アットウィキロゴ
「お待ちしておりましたわ!」


胸を貼って堂々と阿知賀の面子を迎える彼女が龍門渕の部長、龍門渕透華。

言葉遣いといい、立ち振る舞いといい、『いかにも』な雰囲気が漂っている。


「こいつらが奈良代表?」


ハンバーガーを頬張りながら怪訝な視線を飛ばしてくるのが先鋒の井上純。


「こいつらとか失礼だよ、純くん」


その彼女を宥めるのは中堅を務める国広一。

ほっぺたの星はシールだろうか。


「よろしく……」


眼鏡の彼女が沢村智紀。

無関心なのかマイペースなのかはよく分からないが、他の龍門渕の部員たちに比べて随分と落ち着いているように、京太郎は見えた。


そして――



「遠路、大義!」


ある意味で、最も強い存在感を放つ、最も小さな彼女。

龍門渕の大将、天江衣。



阿知賀の面子に引けを取らない濃い部員たちが、京太郎たちを迎えた。



「ふーん……?」


そして、阿知賀勢を、同じように見渡す龍門渕の部員たち。

京太郎に特に目を付けた彼女は――



「あら、あなたは……?」


龍門渕副将の、透華が京太郎に目を向けた。

その視線の意味は何故男子がここに、ということだろうか。


「ああ、俺はマネージャーみたいなもんですよ」

「マネージャー……個人戦には?」

「出たけど、負けちゃいました……準決勝までは行けたんですけどね」

「ふむ……」


じーっと、見つめてくる透華の視線が居心地悪い。

同じ金髪同士、何か思うところがあるのだろうか――なんて。


「あなた――」


透華が続けた言葉は


「名前は?」


じっと考え込んでいたものだから何かと思えば、飛び出してきたのは至って普通の言葉。

京太郎は少し拍子抜けしながらも、返答するべく口を開く。


「あ、はい。松実京太郎です」

「そういえば、自己紹介まだだったね」


と、一が仕切り、軽く名乗り合う。

全員の簡単な自己紹介を終えると、純が目を丸くして玄と宥と、京太郎の顔を見比べる。


「へぇ、姉弟なのかアンタら」

「……えぇ、まあ」

「姉と妹はすぐに分かったけど、弟のほうは――って、悪い。別に悪く言うつもりは無いんだが」


京太郎が微かに顔を曇らせたのを見て、慌てて訂正する純。


「まぁ……なんつーか、雰囲気がアレだったから。てっきり彼氏彼女の関係かと」

「ええ、とっても仲良しだって。よく言われますから!」


ボリボリと頭をかきながら純が気まずそうに感想を零すと、松実姉妹は顔を綻ばせる。

寒そうに身を震わせていた宥の頬も紅潮した。




「……」


ぎゅっと、憧は手の平に爪を食い込ませた。






そうして、一部で妙な雰囲気を抱えたまま阿知賀と龍門渕の対局が始まり――


「また衣の勝ちだー!!」


――阿知賀の面子が誰一人として大将の衣に土をつけられないまま、日が暮れた。



「強いなぁ、本当に」

「アレでも本来の衣とは程遠いのですが」

「あ、龍門渕さん」

「透華、で結構ですわ」


穏乃が挑んで負けて挑んで負けて挑んで負けて――を、何度も繰り返している光景に、ポツリと漏らした言葉に透華が答える。

いつの間に隣にいたのだろうか。


「……あれでもまだ、本気ではないと」

「ええ。月も出ていませんし」


その言葉の意味するところは分からないが、恐らくは二人の姉のように衣にも彼女固有の事情があるのだろう。

京太郎がそう納得して頷くと、透華が卓を指差した。


「あなたは、打ちませんの?」

「俺は、マネージャーみたいな立場ですから」


こういった外部の、それも準優勝高校と対局できる機会は非常に貴重だ。

故に、全国大会に出ない京太郎よりも女子部員たちが優先されるべきなのである。

そう伝えると、透華は複雑な表情を見せた。


「あなたにも資質はありそうなのですが……」

「資質?」


透華が知る京太郎の麻雀の腕前は奈良個人戦準決勝敗退の事実のみ。

それで、どうやって資質だのなんだのを知るのかと聞くと、


「カン、ですわ! 」


身も蓋もない答えが返ってきた。












「京ちゃんも……打とう?」


透華と話し込んでいると、宥が袖をクイクイと引っ張ってきた。

その目は、京太郎だけを映している。


「……私と、交代する? そろそろ休憩したい……」


そこに、灼が手を上げた。

額が汗ばんでおり、本人の言うとおり疲労感が伝わってくる。


「分かりました。それじゃあ……」

「いくらでもかかってこい!」


灼と交代するような席に座ると、衣が幼い顔立ちにそぐわない獰猛な笑みを浮かべて迎える。

押しつぶされそうな感覚に、息を飲んだ。



「――よろしく、お願いします」






――全然、勝てない。


「また衣の勝ち!」

「久しぶりに飛んだ……」


グッタリ、卓に突っ伏しそうになるのをなんとか堪える。

恐ろしい程に強い。長野ではこれが代表になれないレベルなのか。


「……見込み違いかしら?」

「まぁ、衣が相手だしね」


「京太郎、大丈夫?」

「んや、心配しなくていい。ありがとな」


心配そうに駆け寄ってきた憧にヒラヒラと手を振り、姿勢を正して衣に向き合う。

対局中のような重苦しい雰囲気は、消えていた。


「ありがとう、ございました……楽しかったです」

「楽しかった……?」

「はい、色々と考えましたよ……全部、駄目だったけど」

「そうか、楽しい……か」


くく、と衣が喉を鳴らす。


「……うむ。精進すべし!」



また打とう、とは言われかったけれど。

衣の嬉しそうな笑顔が、印象に残った。







太陽が沈み、夜空に欠けた月が浮かぶ頃。

京太郎たち、阿知賀学院麻雀部は龍門渕の屋敷に泊まることになった。


「すっげぇなぁ……」


漫画やアニメで見るような西洋風の屋敷は、旅館で育った京太郎には斬新だった。

先程の対局の後だったこともあり、今の京太郎は、少し気分が高揚していた。

明日も早いのであまり遅くまでは起きていられないが、探索気分で広い廊下を進む。




「お?」


廊下を探索気分で――と言っても、向かう先は自分が今夜泊まる部屋だが――歩いていると、廊下の曲がり角からひょこっと覗く小さな影。

続けて姿を現す小学生と見間違えそうな年上の先輩、天江衣。

京太郎と目が合うと、とてとてと駆け寄ってきた。


「京太郎か。一人か?」


龍門渕の制服ではなく、可愛らしい寝巻きに身を包んだ彼女が自分を子供じゃないと主張しても、誰も信じないだろう。

などと、実に失礼なことを考えながら。


「はい。後はもう、寝るだけなので」

「一緒に寝たりしないのか? 兄弟とは、そういうものだと聞いたぞ」

「……」


――あったかく、なろ?


「……まぁ、流石に。もう高校生なので」

「そうか……」




「じゃあ、衣と一緒に寝よう!」

「……はい?」


何を言い出すのかと思えば。

出会ってから半日の男に言う台詞ではない。

彼女の様子と前後の会話の流れから、添寝程度の意味合いで、それ以上のことではないのだろうけれど。


「姉と弟がどのようなものか、家族とは何か。興味があるのだ。だから、今夜は衣が京太郎のお姉さんになってやろう」

「いや、でも……」

「……ダメ、か?」


見上げる丸い瞳。

対局中とは違い、無垢で可愛らしい輝き。

そして一瞬、寂しさのような震えが垣間見えて。

京太郎が折れて首を縦に振るのも、時間の問題だった。


「……分かりましたよ。今夜だけですからね」

「うむ!」

「……あと、少し聞きたいことがあるんです。麻雀のことで」

「何でも聞くがいい! 弟を導くのも姉の役目だ!」


一晩限りの自分よりずっと背の低い姉に手を引かれ、京太郎は寝室へと向かう。

彼女が寝たら、こっそり部屋を出ようだなんて考えていたけれど。

結局、朝まで衣と一緒にいることになるのは、まだ京太郎は知らない。






「大きな手だ。衣より、ずっと」


「家族とは。弟とは。このようなものなのか?」


「……麻雀を教えるのも、悪くはなかった」


「……京太郎」


「もし、本当に弟だったら」


「いや」


「戯言、だな」




「……おやすみ」








衣が目を覚ました時、隣に京太郎はいなかった。

シーツを触ると仄かに温かさを感じるが、それだけだ。


「……」


当然といえば当然である。

衣が京太郎の姉だったのは昨夜だけの話で、そもそも二人は出会ったばかりだ。


「……楽しかった」


……そう。

出会ったばかりであるのに、衣は京太郎に対して好意を抱いていた。

麻雀で叩き潰しても楽しそうで、自分を年上として敬ってくれた。

もし本当に、自分に弟がいれば――



「……夢だな、所詮」



小さな指は、シーツを離さなかった。



「天江さん?」


ビク、と反射的に小さく跳ねる。

振り向くと、ドアから京太郎が入って来たところだった。

ドアが開く音にも気付けないほど、自分は惚けていたらしい。


「京太郎?」

「はい、ちょっと物音がしたので……どうしました?」

「いや……」





「……何でもない」

「そうですか?」


――そうだ。

京太郎には宥と玄という二人の姉がいる。

そこに、本来なら家族でも何でもない自分が割り込める筈もないのだ。



……例え。


「じゃ、俺は俺の部屋に戻りますね」

「……うむ。楽しかったぞ、京太郎」



あの二人が、いなかったとしても。






緊張していたからか、普段よりも早い時間に目が覚めたのもあって、まだ阿知賀の面子は起きていないようだった。

衣の部屋と京太郎が泊まる予定だった本来の部屋はそこそこの距離がある。

やましいことはしていないつもりだが、昨夜に衣の部屋に泊まったことが知れ渡れば面倒ごとは避けられないだろう、

京太郎は忍び足で、自分に割り当てられた部屋へと向かった。




「あら、あなた……」


ドキリ。

背中にかけられた声に心臓が跳ねる。

恐る恐る振り向くと、龍門渕麻雀部部長の透華が立っていた。


「お、おはようございます」

「おはようございます……どうしましたの? こんな朝早くに」

「ええっと……少し、お手洗いを」

「ふうん?」


ここに来るまでの間にトイレを済ませたので、全くの嘘でもない。

おかしなことは言っていない筈だが、透華は――




「そうでしたの……なら、仕方ありませんわね」

「ええ……じゃあ、また後で」


何とか誤魔化せたようだと、ホッとして透華の横をすり抜けようとして――


「……お待ちになって」

「ぐぇっ」


――襟首を、透華に引っ掴まれた。

何なんだと涙目で抗議の目線を送るが、透華の真剣な表情に何も言えなくなってしまう。


「……衣のことで、話があります。私の部屋に、来てくださりますか?」







「両親を……?」

「ええ」


衣は、両親を事故で亡くしている。

透華に衣が龍門渕に引き取られるようにまで至った経緯を告げられて、京太郎は閉口した。


「……本来であれば、出会ったばかりのあなたにお話するようなことではないでしょう」

「……」

「……しかし。衣は、あなたのことを好いています。それに、私もあなたのことは信頼できる人だと、思っています」


――家族とは何か。興味があるのだ


昨夜の彼女の言葉を思い出す。

彼女は、温もりを求めているのだろうか。

執事以外に身近で触れ合う男性が今までにいなかったのであれば、衣の態度も納得がいくかもしれない。


「私からのお願いは、一つです」

「……」

「ここにいる間だけでも構いません――衣に、あなたの姉として、接してあげてくれませんか?」


実の両親を亡くしている衣。

本当の両親を知らない京太郎。

もしかしたら、ある意味で似たもの同士かもしれない――と、それは流石に飛び過ぎだろうか。


「……そういうことでしたら。喜んで」

「……ありがとう、ございます」









――ぞくり。

急に部屋の温度が下がったような気がして、京太郎は身震いした。

テーブルに置いてあるエアコンのリモコンに目を向けたが、室温は標準を示している。


「あなたが衣の弟で……家族で……」

「透華さん?」


急に、雰囲気が変わった透華を前に戸惑う。


「……ああ。だとしたら、いらないですわね」

「え?」


「――今の、あなたの家族は」





「……このお部屋、寒い」


微かに空いていた部屋のドアの隙間から入って来た声。


「……姉さん?」

「京ちゃん、ここにいたの?」


返事をすると、ドアが開いて、京太郎の本当の姉である宥が部屋に入って来た。

京太郎を見ると顔を綻ばせたが、部屋に一歩踏み入るとより一層寒そうに体を震わせる。


「さむい……」

「姉さん、大丈夫?」

「……姉さん?」


――と。

ここで漸く、透華が宥に気が付いたようだった。


「……龍門渕さん? 京ちゃんと、なにしてたの?」

「それを、あなたに言う必要がありまして?」



互いに、敵意の篭った目で睨み合う。

間に挟まれた京太郎は、心の底から凍えそうな感覚を味わった。











「京ちゃんは、私たちの、だから」


宥に抱き寄せられる。

防寒着で身を包まれた身体は、柔らかくて冷たかった。


「……しかし、彼は。京太郎は、衣の弟になると――そう、言ってくれましたが」

「……京ちゃん?」


宥の身体の震えが強くなった。

京太郎は答えられない。

何と言えば良いのか、分からなかった。


「……血の繋がりなど、所詮はその程度ですわね」

「……違う」

「……姉さん」



「だって、私たちは――」








……朝食の時間になっても、透華と京太郎がやって来ない。

このままでは今後のスケジュールに支障をきたすため、京太郎の姉である宥が彼らを呼びに行くことになった。

だが、今度は宥も行ったきりで戻って来ない。


「……私も、行ってくる」


――胸がざわざわする。

気持ちの悪い感覚に突き動かされるように、憧は席を立って返事も待たずに駆け出した。



3人の居場所はすぐに分かった。

ドアが開いていて、中から声が聞こえてくる部屋。

声音から剣呑な雰囲気を感じた憧は、更に足を速めて――





「だって、私たちは――赤ちゃん、産めるから」







「絆とか、そんなのじゃなくて」


「もっと、もっと、あったかいの」


「いーっぱい、京ちゃんに貰ったらから……ね? 京ちゃん?」


「えへへ……」



「だから、ね」




「最初から、あなたたちは、入れないの」





『うめる』はどっちの字でも良いんじゃね



いいぞもっと病め





「京太郎、衣がソースをかけてやろう!」

「あ、ありがとう……衣、姉さん」



「なんつーか。随分と衣に懐かれたな、あいつ」

「あいつとか失礼だよ純くん……でもまぁ、確かに」



「なんか、姉弟みたい」

「ふふ……あったかーい」


「ね?」


「憧、ちゃん?」




【松実京太郎、遠征に行くの巻 了】













一人目は、小学生の頃。

クラスで隣の女の子に告白された次の日。

その子が、足の骨を折って入院した。



二人目は、中学生の頃。

ちょっといいなと、軽い一目惚れをした名前も知らない子。

酷い虐めにあったとかで、一月後には転校してしまった。



三人目は、高校に入る直前に。

その子とは幼馴染で、友達以上恋人未満な関係をずっと続けていた。

別々の高校に通うことが決まって、離れ離れになる前に、告白しようと決心した日。

その子は、京太郎の目の前で、トラックに――










「……あ」


バクバクと、胸を内側から叩き付けられるような痛みで目が覚めた。

汗でシャツが張り付いて不快だ。


「あ、ぁ……」


――京、ちゃん?


「……ああああああぁぁぁっ!!」


助けられなかった。

目の前で、足が、頭が、変な方向に向いて。

黒くて赤くて、よく分からない何かの色でベットリ染まった幼馴染の姿が、ずっと瞼の裏側に焼き付いて離れない。


「クソ、クソ、クソ……!!」


何度も、壁に拳を叩き付ける。

手の平の中に残る、指の感触を振り払うように。

痛みで、痛みを誤魔化すために。



「京さんっ!!」

「……あ」



――だけど。

隣から全身を包む甘い匂いが、その行為を中断させた。









「モモ……?」

「はい……ここに、いるっす」


皮が破れて、血が出た拳に添えられる白い指。

確かに、彼女が、ここにいる。


「……っ!」


離さないと、苦痛すら感じさせる力で桃子を抱き締める。

桃子は優しく微笑んで、京太郎の頭をそっと撫でつけた。


「……大丈夫っすよ」


いなくなって、いなくなって、いなくなって。

いつしか誰も、京太郎の隣に立っていなくて。

誰も見えなくなった世界に――ただ一人だけ、色を持った少女。


「離れないでくれ……」


桃子がいなくなったら、本当に京太郎は一人ぼっちだ。

桃子も、そのことは分かっている。


「……一生、一緒っすよ」


ずっと、後ろ姿を見ていたから。


京太郎にしか見てもらえない桃子。

桃子しか見ることのできない京太郎。


二人の世界は、それだけで、閉じていた。






見てもらえないなら見えるものを私だけにすればいいじゃないー
キャップ小ネタ書いてたら普通のラブコメになったので手直ししてまた今度

小ネタが書きたい気分なので小ネタ安価下3辺りでー













――妹が、妬ましい。


宥は、マフラーの下で唇を噛み締めた。

理由は単純。

彼の側にいられる時間が、自分よりもずっと長い。


「……寒い」


分かっている。

妹も彼も、根っこは真面目な性格だから。

一緒に麻雀くらぶの教室の掃除を続けていたから、仲も良くなる。


「……ずるい」


それでも、妬む心を抑えることが出来ない。

冷たくて、寒くて、彼の隣に立てない自分には。


「玄ちゃん……」


こうして、震えていることしか出来ないのだから。

――姉が、妬ましい。


玄は、奥歯を噛み締めた。

理由は単純。

何の努力もしていないのに、彼に気にかけてもらえている。


「……でも」


分かっている。

彼が優しくて面倒見がいいから、姉の体質を放っておけないってことぐらい。

だから、二人っきりでいる時にも、姉の名前が口から出ることは。


「……ずるい」


それでも、妬む心を抑えることが出来ない。

可愛くもないし、姉のように守ってあげたいと、彼に想ってもらえない自分には。


「おねーちゃん……」


こうして、一方的に想い続けることしか、出来ないのだから。

「おねーちゃんは、ズルいよね」

「玄ちゃんは、勝手だよね」



「また、京太郎くんに迷惑かけてるんでしょ? 断れないからって」

「また、京太郎くんを居残らせてお掃除させたんでしょ? 無理矢理に」


「そんな、怠け者のおねーちゃんに」

「そんな、身勝手な玄ちゃんに」



「京太郎くんは」

「京ちゃんは」



――渡さない、から。


















「あ、これもお願い」


ひょい、と手渡される紙袋。

中身はお洒落な服やら下着やら。

デートの時の荷物持ちは、古今東西彼氏の役目である。


「あ、憧……」


――とは言え。

そろそろ、紙袋の数が両手で持てるキャパシティを超えそうだ。

中学までは幼馴染と一緒に野山を駆け巡っていたので体力や腕力には自信があるが。

流石に、重い。


「……なに?」


そう思って、懇願の目線を憧に送った京太郎だが。

帰って来たのは、冷たいジト目だった。


「いや、そろそろ、買い過ぎじゃないかなって……」

「……昨日。松実館に、泊まったでしょ」

「……うっ」


痛いところを突かれて固まる。

彼女に黙って他所の女の家で一泊。

当然、許されることではない。


「……私だって、不安になるんだよ?」

「……ごめん」


言い返せず、俯いて謝ることしか出来ない。

確かに、彼女には不義理なことを――



「――なんて、ね」

「……はい?」




「どーせ京太郎のことだから、アレコレ頼まれて断れなくなっちゃって、そのまま遅くなってズルズルと引きずっちゃったんでしょ?」


見事に当たっている。


「それで遅刻とかしたら、私も怒るけど――うん。無駄に早く着いてたもんね、アンタ」

「はは……」


――待った?

――ううん、今きたところ。

使い古されたシチュエーションも、この二の間では通じなかった。


「けど」


鼻先に、ピシッと指先を突き付けられる。


「流石に、連絡がないのは見逃せないわ」

「うっ……反省してます」


急な仕事で忙しくて、すっかりその事を失念していた。

仕方なかった、なんて不義理な台詞は吐けないが。

それでも憧は、許してくれた。


「だから、もっと、お願いね?」

「……ハイ」


この両手にぶら下がる重さも、彼女の為なら頑張るしかあるまい。

京太郎が溜息を漏らすと、憧がクスりと微笑んで、


「ふふ――後で、頑張ったらご褒美あげよっか?」

「え?」


妙に、色っぽく見えた。




「……でも、いいのかなぁ」

「ん? 何が?」

「いやさ――みんなに、言わなくて。俺たちの関係」

「ああ、なんだ」


そんなこと、ね。


「いいのよ。大会に向けて、みんなの気が散っちゃったらイヤでしょ?」

「まぁ、そうだけど……」



「それに、その方が……」


見てて、面白いし。


「ん?」

「ううん、何でもない」


本当に、馬鹿みたいよね。

あの二人、ああやって、互いに遠慮して。

終いには、仲違いしてるんだもん。


「……ところで、さ」


どうして私は、だなんて。

もう、そんなことは言わない。


「今日、さ」


今夜、私は。


「私の家」


全てを捧げて。


「誰も、いないんだ」


全てを、貰う。

























――お前は、遥か高みにいるのに。

「咲、優勝……おめでとう!」


――俺は、何をしているんだろうな?

「ありがとう、京ちゃん」


――俺には、何もない。



東場での爆発力も、経験も、悪待ちも。

牌が見えるなんて――それこそ、オカルトで。


――なのに。

「京ちゃん……」


――咲。

「ずっと、言えなかったことがあるの……」



――お前は、

「……私と。私と、付き合って!」


――なに、を





「咲、今日もレディースランチ、頼むぜ」

「あ、京ちゃん……そのこと、なんだけど」


カバンから取り出す、小さな弁当箱。

2段重ねになっていて、中身は様々な具材が家庭的な彩りを演出していた。


「作ってみたんだ。京ちゃんの好みに、合わせたつもりなんだけど……」

「おぉ、マジか……!」


頭を下げて、早速箸を伸ばす。

その言葉通り、味付けも具材も京太郎の好みに合わせられていて、尚且つ栄養バランスも完璧。

非の付けようがなかった。


「うめぇ!」

「えへへ……」


「またか、あのバカップル」

「ほんと、嫁さんって感じだよなぁ」


呆れたように笑う周りの生徒たち。

幸せそうに微笑む咲。


「ありがとな!」


京太郎も、笑う。

心の奥の劣等感と、嫉妬の想いに蓋をして。

自分に、咲を拒む権利はない。

清澄に泥を塗った自分が、咲を傷付けて。

もしそれで、次の大会で清澄が負けたら。


「……ごちそうさま。これから毎日、頼みたいぐらいだ」

「もー、京ちゃんったら……」


何もない自分には、これぐらいしか、できる事が無いのだから。

京太郎は、笑い続ける。

笑顔の裏に、何もかもを隠して。



「京ちゃん」


どうしてお前は、そんなに強い?


「京ちゃん」


どうしてお前は、そんなに麻雀を楽しめる?


「京ちゃん」


どうしてお前は、そんなに笑えるんだ?


「京ちゃん」


どうして


「京ちゃん」


どうして


「京ちゃん」


どうして

どうして

どうして

どうして、俺は――



「京ちゃん? どうしたの?」

「ああ、すまん。ちょっと、考えごとしてた」


京太郎は、笑い続けた。









「智紀ッ!」


室内に響き渡る怒号。

全力で振るわれた拳に、眼鏡が弾き飛ばされる。

鋭い痛みと、鉄の味。

咳をするように口を開くと、真っ赤な唾液と一緒に、欠けた奥歯が零れ出た。


「お前っ! お前、何したか分かってんのか!?」


鬼のような形相というのは、きっと今の純のことを言うんだろう。

彼女がここまで激怒しているから、自分は冷静に、客観的でいられるのだと、智紀は痛む頬を手の平で押さえた。


「辛そう、だったから」

「あぁっ!?」

「……彼と、衣では、セックスが、出来ない。体格が違い過ぎる」

「そうだよ! でも、アイツは、京太郎は、他の女に手を出さなかった!! 衣が、大好きだったからな! それを、お前は――」

「薬を、盛った」

「ッ!」


返事の代わりに振るわれた拳によろめくと、胸倉を強く掴まれる。

眼鏡を通さない曖昧な視界でも、純の想いは強く感じ取れた。


「アイツが! アイツが、オレのところに来て、何て言ったか分かるか!?」

「……」

「殺してくださいって、そう言ったんだぞ! 死にそうな、顔で!!」


想像するのは、難しくない。

衣への不義理になるからと、そういった行為を極力抑えてきた彼が。

薬に後押しされたとはいえ、衝動に身を任せて、この肢体を貪り食らったのだから。


しかし。


「……何で」


開かれた口から出た言葉は、


「何で、そんなに怒るの?」


純が期待したものとは、全く別のもの。




「お前、まだ――!」

「衣のため……では、ないでしょう?」

「ッ!?」


胸倉から感じる力が弱まった。

畳み掛けるように、言葉を続ける。


「あなたの怒りは……彼を、汚されたから」

「違う! オレは!」


「初めてを……私に、取られたからでしょう?」


「……違うッ!」


壁に押し付けられ、肺の中の空気が絞り出される。

喉の奥から、咳だか何だか、よくわからないものが漏れ出た。


「……許さねぇ」


吐き捨てるようにそう言い置くと、純は乱暴に扉を閉めて出て行った。

智紀は服の埃を払うように軽く腕を振るうと、屈んで足元の眼鏡を拾う。

左のレンズに、大きな罅が入っていた。






「嘘だろう……京太郎?」


震える声は、問いかけではなく、そうであって欲しいという願い。

だが、後悔と自責の念に塗り潰された彼の表情は、それが事実であることを告げている。


「お前と――お前と、照が――」


怒り、嫉妬、憎しみ、悲しみ、恨み。

様々な負の感情が、胸の底から湧き上がり、混ざり合う。


「……お前!」


やがて、その感情は眼差しへ。

戸惑う瞳に明確な敵意が宿り、彼を汚した女へと向けられる。


「……俺がっ! 俺が、悪いんです! 」

「……そん、な」


その目線を遮るように、一歩前に出た彼。

何で、その女を庇うのか。

何で、彼を憎めないのか。


「何で、なんだ……!」


――何で、こんなことになってしまったのか。

問い詰めていたのは自分の筈だ。

だが、今の彼女は、この場の誰よりも、追い詰められていた。









「なー、なんでいつもそないなとこで寝とるん?」

「あんたのオカンは……っていない?」

「あーもー、なくなや! 男やろ?」

「もー……しゃーないなぁ」



「ただいまー」

「おかえりー。こないな時間までどこほっつき……その子、どこの子や?」

「おねーちゃん、カレシ?」

「なんかなー、こうえんで寝とったからなー。きいたら、オトンとオカンがいないって」

「ふーむ?……なぁ君、名前は?」


「そっか、きょうたろう君か……カッコ良い名前やね」

「まー、折角や! 今日はウチでご馳走したる!!」


「やった!」

「オカンのからあげはぜっぴんやでー!」







「……何で、ウチから逃げるん?」

「だって、最近ウチやおねーちゃん見るとコソコソしとるし……」

「ウチらのこと……嫌いになった?」


「……じゃあ、何でや」

「……はぁ? 恥ずかしい? なんや、ソレ」

「大体、ちょっと前に一緒にお風呂とか入ったのに何を今更――」

「え? それを男子にネタにされる?」


「ん! よし、わかった!!」

「だったらウチ、男の子に負けないくらい強くなったる!!」


「どうやってって――あ、そうだ」

「今、ワールドカップとかでサッカーが人気なんやろ?」

「それで、男の子を思いっきり負かしたらええねんな!」



【小学生】






「いたた……ごめんなぁ、京太郎」

「ウチ、重いやろ?」

「ん、そっかぁ……」

「んじゃ、少し甘えさせてもらうわ」


「……なぁ、京太郎?」

「ちょっと、聞きたいことあるんやけど」


「この前、自転車の後ろに乗せてた人」

「あれ」



「誰や?」



「ん、どうや、京太郎――イメチェン、してみたんやけど」

「髪切って髪型変えて、メガネからカラコンにして」

「髪の色も、変えてみた」



「似合う? ありがとな」

「で、も一つ聞きたいことあるんや」


「あの人とウチ」


「どっちの方が、可愛い?」












「はー……」

「ウチらももう中3かぁ……」

「なーんかしみじみするなぁ」


「ホラ、受験って人生の節目、みたいな?」

「まぁ、何にしても」

「これからも、ずっと一緒や」


「ウチは勿論、姫松が第一志望やし……え?」



「京太郎」


「千里山、受けるんか?」





「なんやなんや、騒々しい」

「え?……願書、失くした?」


「はー、しゃーないなぁ」

「一緒に探したるわ。おねーちゃんも呼んで」

「なんだったらおかーさんも呼ぶ?」


「ええねん、気にしなくて」

「今までと同じや」

「こうやって助けあって」


「それに、何なら姫松に来ればいいし」


「あはっ」

「ずっと」

「ずーっと、一緒やで?」


「なぁ」

「京太郎?」














Aブロックからは白糸台と宮守。

Bブロックからは清澄と姫松。


以上の4校が、インターハイという舞台の決勝戦で、鎬を削ることになった。



「なんつーか……」


タブレットに映るニュース。

京太郎が直前に担当した4校の激突。

正直、どこを応援したら良いのやら――と、京太郎は苦笑を零した。


「……まぁ、俺は俺の仕事を頑張らないとな」


向かう先はインターハイ会場。

その先で、どのような結果が待っているのかは、まだ誰も知らない。





インターハイの会場という場は、それだけで特別な空気を持つ。

全国の強者が集まる舞台に、ピリピリした感覚を肌に感じる。

そして今年は、自分の後輩たちがこの舞台に立ち、もしかしたら優勝してしまうかもしれない。

京太郎は感慨深いものを感じて、目を瞑り――


「あっ! アレは!?」

「ん、どうした?」

「やっぱり!!」

「お、おい、淡!?」


……何やら、空気に浸っていた自分をぶち壊すような、聞き覚えのある喧しい声。

呆れながら、京太郎が振り向くと――







迫り来る足音は、明らかに京太郎を目指している。

この勢い任せの行動力に、先程聞こえた声からして、この足音の主は――


「とう!」

「おわっ!?」


京太郎が振り向くと同時に、両腕を広げて飛び掛かる小さな影。

突然のことに反射的な行動しか取れず、京太郎はその影を抱きかかえるようにしっかりと受け止めることになった。


「えへへ――バックアタックだ!!」

「お前なぁ……」


花も恥らう、などという言葉とは無縁な高校100年生。

大星淡が、満面の笑みを浮かべ、コアラのように京太郎に抱き付いた。








「やた! ついにせんせーから一本とった!」


確かに、白糸台を担当していた時は、似たような淡のイタズラを悉く回避していたが。


「お前なぁ……」


漏れる溜息と苦笑は、彼女のまるで変わらない様子に対して。

自分が初めてこの会場を訪れた時は大いに緊張したものだが、この高校100年生は決勝戦を前にしてもそういったプレッシャーとは無縁らしい。


「えー、ここは感動の再会と弟子の成長に涙するとこでしょー?」

「何言ってんだお前」


画面を通さない現実での接触は久しぶりだが、ネット麻雀では何度も対局したし、チャットもした。

それに、久しいと言ってもたかだか数カ月前の話である。


「それより、離れろ……よ」

「うー……」


幸い、今はマスコミなどはいないが、この場面を他の誰かに見られたら面倒なことになるだろう。

京太郎は淡を引き離そうとするが、彼女も全力で対抗してくる。

大人と子供の力の差もあり、すぐに淡を離せるだろうが――










――クスッ


小さく笑う声は、ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人にも不思議と聞き取れて。

力が抜けた淡がストンと京太郎から降りて、二人一緒に、ポカンとした表情で振り向く。


「……お久しぶりです」


麻雀を齧ったことのある者なら誰もが名前を知る、超大物。

京太郎が強くなり、また現役から退くきっかけを作った女性。

小鍛治健夜が、口元に手を当てて、微笑んでいた。







「現役からは退いたと、聞きましたが……」


チラリと、健夜の目線が隣にいる淡へと向けられる。

知らない女が、先生と親しげに話している。


――気に入らない。


淡は敵意の篭った目線で、健夜を睨み返した。


「誰? おばさ――あいっ!?」


そんな淡の額に拳骨が落とされる。


「こら、失礼だろ……すいません、小鍛治プロ」

「いえ、大丈夫ですよ」

「むー……」


涙目で額を押さえ、二人を交互に見る淡。

何だか蚊帳の外に置かれたような気分で、面白くない。


「……コホン。まぁ、今は教師のようなことをしていまして」

「成る程、それで――」


再度、淡へと向けられる健夜の目線。

淡は、その意味がわからずに小首を傾げた。





「ふふっ……あなたが、須賀プロの教え子だって聞いたら……色々と納得がいったから」

「えっと……?」

「あなたの打ち方が――誰かを、意識してると思って」


言葉を付けたされても、まるで理解出来ない様子の淡に健夜は苦笑して。

目線を京太郎に戻すと、バッグから携帯を取り出した。


「今度、皆と合うんですけれど……良かったら、須賀プロもご一緒しませんか?」

「え?」

「瑞原プロや、野依プロも来ますよ」

「それは……」


「ふふ……気が向いたら、この番号に連絡して下さいね」


最後まで淡を置いてけぼりにしたまま、健夜は軽く手を振って去って行った。















「それじゃ、またな」

「はい、宜しくお願いします!」


淡をチーム虎姫へと送り届けた京太郎は、会場内の散歩を再会する。

先程は淡の乱入があったが、今度こそ感慨深い気持ちに浸りたい。

そうして、少女たちが競うことになる舞台の前で、京太郎は目を閉じた――


「……あぁっ!?」

「あっ」


――が。

ニュースにも示されていた通り、決勝でぶつかり合う4校は全て京太郎の担当した高校。

当然ながら、ここでその少女たちに再会する可能性は高い。

そして。


「先生っ」

「先生」


――お久しぶりです。


その機会が偶然被ってしまうこともまた、起こり得る。



「あ、あぁ……久しぶりだな、二人とも」


……とは言うものの、洋榎は淡と同じようにパソコン越しに。

久はついこの間まで特別講師として指導をしていたので、時間的には大して久しい訳ではないが。


「先生……もし良かったら、この後に私たちの宿に来てくれませんか? また、教えてほしいことが――」

「センセ、今夜もよろしくお願いします!」


久の言葉に上から被せるように、洋榎が勢い良く頭を下げる。

台詞を遮られた久は、小さく舌打ちをした。


「先生は今、ウチと話しとるんや。引っ込んでろ」

「あなたこそ、部外者は引っ込んでてくれる?」


自分こそは、先生の教え子であり、後輩である。

そう言葉に滲ませて、洋榎に言い返す。


「……は」


その言葉を受けて、洋榎は鼻で笑い、











「ハ?」

「それだけやない。先生、家に来たこともあるんやで?」

「ッ!」


言い返せず、洋榎を睨み付ける久。

くぐもった歯軋りの音が聞こえてくる。

その音に、洋榎は得意気な笑みを浮かべる。

いつもの自信満々なものとは違い、卑しい笑み。


「――やめてくれないか、二人とも」


久と洋榎の、憎しみの籠められた視線が交差する。

一触即発の空気を裂いたのは、二人に挟まれた京太郎の声だ。


「……どっちが特別だとか、そういう話じゃないだろう」


既に対局を中継同士であり、次の決勝戦では今度こそ雌雄を決する二人。

だからこそ、互いに高い対抗意識を持つのは分かる。

けれど、京太郎が二人を止めたのは、それよりも――


「……あまり問題を起こすようなら、指導も何もしないぞ」

「……はい」

「すいません……」


――二人の瞳に。

かつて、郁乃の瞳に見たことがある、とある感情の色が、宿っているからだった。





「キミってズルいよね」

「衣には言えない。だけど隠し通せるほど図太くも無い」

「だから、純くんに打ち明けたんでしょ?」


「悪いことをしたと思ってる。死にたいと思ってる」

「でも、自分から死ぬ勇気はない」


「フフ、いいよ。それでも」


「衣や透華たちがキミを見放しても」

「ボクだけは――ずっと、キミの側にいてあげる」


「だからさ」

「今までに溜め込んだモノ、ぜーんぶ」


「吐き出しちゃいなよ、ボクに」

一ちゃんはご奉仕系ヤンデレー






「ふー……」


ホテルのチェックインを済ませ、ベッドの上に荷物を放る。

決して広くはないが窮屈もしない大きさの部屋。

仕事の都合上、大会期間中はここで過ごすことになる。


「全国、か……」


備え付けのソファに身を預ける。

目を閉じて頭に浮かべるのは、学生時代の自分の姿と――昼に再会した、久と洋榎。

彼女たちの目付きには見覚えがあった。

記憶の中にある郁乃や貴子と、似たような目付きだ。


「……そんな筈、ないよな」


自分と彼女たちでは年の差が有り過ぎる。

恋愛だとか、そういったものは成り立たない筈だ。

それに、仮に郁乃や貴子と同じ気持ちを彼女たちが抱いていたとしても――その気持ちに応えることは、出来ない。


「……ん?」


一息吐いたところにドアをノックする音。

京太郎が返事をして、ドアを開けると――





――自分よりも背の高い、教え子がいた。


「……え?」

「あれ?」


京太郎はホテルのスタッフだと思って。

豊音は部屋を間違えて。

ドアの向こう側に立っている相手がそれぞれが想像した相手と違ったものだから、見事にお互いに固まった。


「え? あれ? なんで? 夢?」

「なんでってまぁ……ここ、俺の部屋だし」


未だに混乱している豊音に、先に我に帰った京太郎が冷静に突っ込む。

背丈の高い彼女だが、オロオロと慌てる仕草はよく似合っていると、何処か他人事のようにそう思った。


「……まぁ、ちょっと落ち着こうか」


少なくとも、これは夢でも何でもなく現実である。

他のホテルの利用客に見られたい光景ではない。

京太郎は心の中で溜息を吐くと、豊音を落ち着かせるべく、腕を伸ばしてその肩に手を乗せた。




――かくかくしかじか。

何とか落ち着いた豊音から聞いた話によると、どうやら宮守も京太郎と同じ、このホテルに滞在しているらしい。

そして豊音はうっかり部屋を間違えて、京太郎の泊まる部屋のドアをノックしてしまったようだ。


「また会えるなんて! ちょーうれしいよー!!」

「はは……」


無邪気に笑う豊音の姿を見ると、沈んでいた心も少しだけ軽くなった気がした。

きっと彼女は、純粋にプロとしての自分や先生としての自分を慕ってくれているだろうから。


「……それで、時間は大丈夫か?」

「時間?……あ!」


時計の針が指し示す時間は、一般的な女子高生なら眠りにつく時間。

部屋を間違えて来たというのなら、今ごろ宮守の他の部員たちが心配しているかもしれない。


「ああ、大変! もういかなきゃ! 」

「やれやれ……」


相変わらずな子だと、京太郎は苦笑した。



豊音は階を間違えてしまっていたらしい。

ホテルの中なので女子高生が一人でこの時間に出歩いていても、問題がないだろう。

しかし念の為に、京太郎は宮守の泊まる部屋まで豊音を送り届けることにした。


「すいません……」

「いや、いいって。みんなの顔も見たいしさ」

「そっかー……」


エレベーターの閉じた扉の前で、豊音がぎゅっと拳を握る。

無意識の行動で、京太郎は勿論、豊音自身も気に留めることは無かった。


「お……来たか」


エレベーターが段々と登ってくる。

やがて、京太郎たちのいる階で止まると、ゆっくりと扉が開いた。




エレベーターの中には誰もおらず、豊音と二人きりでホテルを登っていく。

途中で何か問題が起きることもなく、宮守の泊まる部屋へと辿り着いた。


「すまないねぇ」

「いえ、俺も久しぶりにみんなと会えて嬉しかったですし」


京太郎たちを出迎えたのは、顧問のトシだった。

豊音も含めた宮守麻雀部の部員たちは、寝室で明日に備えて眠っている。


「そう言ってくれると有り難いよ……さて」


トシの目が細められる。

ここから先は、世間話だけではない。


「あの子たちも、ついに決勝だ。勿論勝たせてやりたいけど、厳しい戦いになるだろう」

「……はい」

「そこで、決勝前の調整をお願いしたいんだけど――頼めるかい?」





「任せて下さい」

「ありがとう。あの子たちも心強いだろう」


京太郎の返事を聞いて、トシは表情を綻ばせた。

最初で最後のインターハイであり、決勝戦。

全員多かれ少なかれ緊張していたようであるが、京太郎が力を貸してくれるのなら、決勝で無様に負けることはないだろう。


「それじゃあ、明日のこの時間は――」

「――分かりました。それではよろしくお願いしますね」


互いのスケジュール帳に予定が書かれていく。

お互いに確認すると、トシは小さく息を吐いた。


「悪いねぇ、忙しくて。他の高校にも行くんだろう?」

「……知ってました?」

「赤阪郁乃の顔の広さは有名だからね。それに、この時期にあんたがこの場所にいるってことは、そういうことだろう?」


お見通しか、と京太郎は苦笑した。


「今度、落ち着いたら一緒に食事でも行くかい?」

「そうですね。楽しみです」


スケジュール帳を閉じて、和やかに会話をする京太郎とトシ。

そんな二人の会話を、扉の隙間から、赤い瞳が覗いていた。






牌を握るのが怖い。

相手がどんな手を打ってくるのか、分からなくて怖い。

今まで、頑張ってきたのに。

たったの。

たったの一局で、積み上げてきたものが、全て崩れてしまった。

だったら、もう、俺には何も――


「忘れたら、ええねん」

「あ……」

「嫌なことは、みーんな忘れたらええ」


頬に添えられた手。


「みんなは、京ちゃんのこと、怒るかもしれへん」

「でもな」

「私はちゃーんと、京ちゃんのこと見とるよ」


寄り添って、重なる肌。


「ここには、京ちゃんをいじめる悪い人はおらんから」

「たっぷり、ゆっくり」

「私に、甘えたらええよ?」


折れた彼は、寄る辺を求めて。

彼女は、誰よりも彼を癒して。


互いに互いを求めて、今日も、また――





「これで――どうやっ!」

「ロン」

「んがーっ!?」


姫松高校麻雀部にて。

主将の洋榎が突っかかり、顧問の京太郎が適当にあしらい、何やかんやで麻雀に。

そして最後には、洋榎が狙い打ちされる。


「主将、またやっとるんか」

「おねーちゃん、負けず嫌いだから……」

「今日はいつもより保ったのよー……」


これが姫松高校麻雀部の日常であり、名物である。


そして。


「でも何で……先生はこんなところで、教師なんかやってんやろな?」

「あー……なんか、昔は凄い人だったらしいけど」


雑談に興じていた恭子の肩に、ポンと手が乗せられた。

なんや、と恭子が振り向けば、そこには、


「随分とお喋りやね~」


皆が苦手とする、監督代行の笑顔が。


「私も寂しがりややから~ あっちで一緒にお話せえへん?」

「い、いや……それは、ちょっと」

「遠慮はいらんよ~? 私と末原ちゃんの仲やねんな」


恭子が、昔の京太郎の話をしようとすると、郁乃に連行されていく。

これもまた、姫松高校麻雀部の日常だった。









「なー、おねーちゃん」

「んー?」

「何でそんな、先生に突っかかるん? あの人、普通にええ人やん」

「あー……」


部活を終えて、姉妹揃って一緒の道を歩く帰り道。

絹恵がふと疑問に思ったことを口にすると、洋榎はキョロキョロと辺りを見渡した。


「ん。ここだけの話やで?」

「う、うん」


曰く――現役時代の須賀京太郎は人気あるプロの一人で。

姉もそのファンだったらしい。

だが。


「あの日――小鍛治プロに惨敗してから、めっきり見なくなったんや」

「え……」

「まー、事実上の引退っちゅーやつやな」

「じゃあ、おねーちゃんが先生にちょっかいかけるのは……」

「ああ」



「帰って来て欲しいんや。あの頃の、須賀プロに」

「あの人は、強い。まだ、やれる筈なんや」


「だからな、ウチは何回負けてもへこたれへん」

「いつか先生に勝って、引っ叩いて、表舞台に連れて行く」

「おねーちゃん……」



「あ、コレみんなには内緒で頼むでホンマ。特に代行」

「わ、わかった」











「駄目なんだよ、もう。表舞台には、立てない」

「先輩……」

「貴子も、俺のことなんか、早く忘れて――」


乾いた音が室内に響く。

貴子に平手打ちをされたのだと気が付いたのは、頬が熱を持って痛み始めたからだ。


「舐めないで下さい、私を……そして、あなた自身を」

「……」

「……ごめんなさい、あなたを振った私に……一番、大切な時期にあなたを支えられなかった私に、こんなことを言う資格はないですが」


「忘れられるわけ、ないじゃないですか……!」


「今でも……いや、5年、10年経っても!!」


「私は、誰よりも! あなたを、応援し続けますから! 例え、どんなに情けなくっても!」


「……貴子」







貴子が、この場を去った後も。

京太郎は、ずっと、立ち尽くしていた。

足が鉛になったかのように、一歩を踏み出すことが、出来ない。


「おう、ほっぺに真っ赤な紅葉。随分イケメンになったやんけ」

「……洋榎」

「先生、勝ったで。うち、個人戦で、宮永照に勝った」

「あぁ……おめでとう」


「次、先生の番や」

「……」

「なんや、まだヘタレてんのかいな」



「先生」

「……」


「ウチと」

「ウチと――勝負や!」





「京ちゃん……今、何て?」


聞こえなかった訳じゃない。

ただ。

嘘で、聞き間違えであることを、願いたかった。


「小鍛治プロにリベンジしに行くって。もう一回だけ頑張ってみるって」

「何で?」

「何で、自分から、傷付きに行くん?」


「そっか――行ってまうのね」


「京ちゃん」

「コレ、見て?」


「ううん、ちゃうよ。京ちゃんを刺すとか、私にできるわけないやん」

「ただな」

「このまま出て行くなら――私、死ぬ」


「分かるんよ、京ちゃん。私から離れてったら、色んな女の子に引っ張られるって」

「いやや。そんなの、絶対に」



「そんな京ちゃん見てるくらいなら――私、ここで死ぬ」



「ずるい女って思う?」

「でもなぁ」

「これしかないねん。もう、私には」


「なぁ、京ちゃん」



「どう、するんや?」








「お届けものでーす」

「ものってそんな……」

「トイレくらい迷わずに行けるようになってから言え」

「うう……」


インターハイ会場でも、咲の方向音痴っぷりは遺憾なく発揮され。

帰って来ない咲を、京太郎が見付けて帰って来るという、いつも通りの光景が見られた。


「まぁ、こういう場でもいつも通りの自分を――ってポジティブに考えたらどう? 咲が迷子にならずに帰って来たらそっちのが怖いし」

「あ、確かに」

「ひ、ひどい……」


「あ、そうだ。須賀くん、帰って来てばかりで悪いんだけど、風越の先生にこのプリント渡して来てくれる?」

「うっす」


久から一枚のプリントを受け取り、去り際にグリグリと雑に咲の頭を撫でて、京太郎は退室した。

ドアが閉まると同時に、久はにっこりと笑みを浮かべて。


「いい加減、自分の存在そのものが須賀くん迷惑だって、気が付いたらどう?」

「部長こそ――京ちゃんが、自分の奴隷か何かだと勘違いしてるんじゃないですか?」


互いに穏やかな微笑みを浮かべたまま、思うことは同じで。


「あなたなんか」

「いなくなっちゃえば、いいのに」


――私と一緒に、歩んで下さい

――あなたが、好き



「へぇ、透華と智紀に?」

「はい……」


同時に告白された、と。

二人にどう応えればいいのか分からず、思い悩む京太郎の前に声をかけてきたのは純だった。


「そりゃ、難しいことで……ま、好きなら好きで嫌いなら嫌い。お前の思ってることをそのまま言うしかないんじゃねえの?」

「……ですよね、やっぱり」


中途半端な答えは彼女たちに失礼だ。

しかし、これがきっかけで彼女たちが傷付いたら。


「アイツらがそんな繊細なわけないだろ。だって透華と智紀だぜ?」

「はは……」


酷い軽口だが、お陰で少し胸が軽くなった。

そして、決心も着いた。


「ありがとうございます、純さん」

「いやいいって、そんなん」


礼を言って向く。

向かう先は二人の元。

告白の返事を待つ彼女たちに、答えを告げに行く。


「ああ、そうだ」


「オレも――お前の事が、好きだったんだよ」


――え?

突然の言葉に振り向く前に衝撃を感じ、口に何かを放り込まれ。

すぐに思考が曖昧になり、瞼が意思に反して降りていく。


「心配すんな。目覚めた時には、全部終わってるから」


それが、最後に聞いた純の言葉。

どんな表情をしているのかは、分からなかった。



「きょうちゃんこれひいてー?」

「おー?」


こども麻雀くらぶに訪れた京太郎に、桜子が差し出してきたダンボール製の小箱。

中は不揃いなサイズの紙切れで一杯になっている。


「指令?」

「うん!」


引いた紙に書かれた指令をこなさなければならない。

昔に憧や穏と一緒によくやった遊び。

ちょっぴり懐かしい気持ちになって小箱に手を突っ込み、紙切れを一つ取って広げてみると――


「……ひなのほっぺにチューする?」

「えへへ……」

「むぅっ」


目をゴシゴシと擦っても紙切れの内容が変わることは無い。

内容を読み上げるとゆでダコになってはにかむ女の子が一人。

この指令を誰が書いたのかは最早一目瞭然である。


「……次は二枚引くからこの指令はナシな」

「えー……」


この指令は色々とマズイので破棄。

ふくれっ面のひなには悪いが、それ以上に睨んでくる他の子が怖い。

気を取り直して、続けて箱の中に手を突っ込む。


「りんと一緒にお風呂……あやと……ケッコン……!?」


……まさか。

この箱の中身、全てが。


「またやめるのー?」

「つぎは4まい!」


ジリジリと詰め寄ってくるこども麻雀くらぶの面子。

少しずつ逃げ場がなくなっているような、崖に追い詰められているような、そんな気がした。



明日なんて、来なければいいのに。


愛しい人の胸に抱かれ、その温もりを感じながら目を覚ました白望は、京太郎の頬へ手を伸ばす。


「……起きなくても、いいよ?」


安らかな寝顔。

答えは勿論、帰って来ない。


「……」


帰ったら、この腕であの女を抱き締めるのだろうか。

この唇で、あの女に愛を囁くのだろうか。


「……いやだなぁ、本当に」


立てた爪が、その胸板に小さな傷を残す。

こんなことをしても、何の意味もないけれど。


「……この傷を見る度に、私を思い出してくれたら」



――今は、それでいい。


白望は、小さく微笑んだ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年01月05日 20:04