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「そういえばさー」

「はい?」

「もうセックスは済ませたの?」

「っ!?」


突然の久の言葉に、思わずお茶を吹き出しそうになる。

むせ返りながら睨むと、久はどこ吹く風で髪の先をクルクルと弄くっていた。


「な、なにを……」

「あら? 結構、有名だけど。須賀くんと風越のキャプテンが付き合ってるって」


確かに、京太郎と美穂子はつい先日、男女としての交際を始めた。

しかしそれは、互いに周りには秘密にしていた筈なのだが。

一体、部長はどこでそれを知ったのだろうか。


「で、どうなの?」

「な、なんだっていいでしょう。部長には関係ないですし」

「あ、まだなんだ」

「……」


バレバレのようだ。

そこまで分かりやすい態度だったのだろうか。


「ちょっとだけ、協力してあげようか」

「部長?」

「デートスポットに、ちょうどいいところ」

「教えてくれるんですか?」


ううん、と久は首を横に振って。


「本番前の予行練習。私が付き合ってあげる」


器用に、ウィンクをした。









「淡、また先生に迷惑をかけたの?」

「んー?」


白糸台の宿泊先にて。

雑誌を広げて寝っ転がる淡に、照が眉根を寄せて声をかける。

当の淡は知らん顔で、雑誌を無造作に放った。


「んー……」

「淡」


伸びをする淡に照は不快感を隠そうともせず、静かな怒気を含めた声音で再度呼びかける。

照は会うことが出来なかったが、このインターハイの会場に京太郎が来ていることを、菫から聞いて。

彼が白糸台の講師をやっていた時のように、淡が迷惑をかけていたとなれば――それは、照にとって見逃せることではなかった。


「……ん、羨ましい?」

「……」

「そっかー。じゃ、しょーがないね。テルーのとこには、来てくれなかったもんね、せんせー」

「……黙って」


「テルーがずーっと、一人でやってる間にも。私は、せんせーに色々教えてもらってたし」

「……うるさい」


「私ね。頑張って、色々やったよ? せんせーに、認めてほしくて」

「黙って」

「お休みの日も、せんせーにネットで教えてもらってたし。繋がってたんだ、せんせーと……テルと違ってさ」

「うるさいっ!!」



「あはっ♪」










それは、時間的な繋がりで言えば、久よりも長いということ。

そして、家に上げたことがあるというのは――


「久……」

「……あ」


気が付いたら、隣にいたまこに、右手を握られていて。

その手の親指の爪が、痛々しい赤色に染まっていた。


「大丈夫……大丈夫、だから」

「しかし……」


次は、絶対に負けない。


「ごめん。心配かけて」

「……」

「絶対……絶対に、清澄を優勝させるから」


唾を飲み込むと、鉄の味がした。









暗いホテルの一室を、液晶の光が、仄かに照らす。


「あー、待ちきれへん……」


「ずっと、ずーっと、我慢しとったからなぁ……」


「……けど」


「もうすぐやね」


「京ちゃん……♪」


夜の、生徒たちが寝入る時間でも。

暫く、明かりは消えなかった。



阿知賀、千里山、白糸台、そして宮守。

以上の4校による準決勝。

白糸台に僅差で敗れたとはいえ、宮守も決勝へと進めることになった。

これまでは順調に進むことが出来たが、決勝戦となれば予想を何度も覆されることが起きるかもしれない。


「さて……」


トシは、宮守の部員たちの表情を見渡す。

シロを除く全員が、決勝に向けて緊張した表情を浮かべている。


「いよいよ次が決勝となるわけだけど」


ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた。


「やれることは、全てやっておきたい」


「そこで」


「あんたたちも良く知る、頼もしい人を連れて来たよ」


トシの背後のドアが開き、スーツを着た男性が入ってくる。

勿論、その男性は――




「みんな、久しぶり」




「あっ!」

「センセイ!」

「決勝に向けて、トシさんに頼まれたんだ」

「……」


宮守の部員たちが、一様に驚きの表情を浮かべる中で。

シロはただ一人、無言で立ち上がった。


「シロ?」


京太郎が宮守を去る直前の出来事から、シロとは少し気まずい仲だった塞だが、今のシロの雰囲気にはいつもとは違うものを感じる。

何となく嫌な予感がして声をかけるが、返事はない。


「先生」

「ん? 何だ、小瀬川――」


そっと背伸びをして、京太郎の首に手を回し、京太郎の顔を引き寄せるようにして、耳元に唇を寄せ。


「……全部、終わったら。言いたいことが、ある」


それだけを告げると、シロはさっさと離れていった。



「ナニヲ、オハナシ?」

「……内緒」



耳元に、生暖かい感覚が、残った。






宮永咲、大星淡、末原恭子。

豊音が決勝で戦う相手。

決勝戦ともなれば、今までとは格が違う相手と戦うことになるだろう。


「――でも」


負けない。

今の豊音は、一人ぼっちじゃない。

みんながいるから、ここまでやって来れた。


「ツモ!」


楽しかったお祭りも、いよいよ最後。

ここまで楽しかったのは、きっと――


きっと、先生がいてくれたから。


「ロン!」


お祭りが終わるまで――いや、お祭りが終わっても。

先生と、一緒にいたい。

ずっと一緒に、二人でいたい。


「でもー……」


シロも、エイスリンも、胡桃も、きっと塞も。

豊音と同じように、思っている。


そして、昨夜のトシと京太郎の会話から。

この後も、京太郎はまたどこか他の高校のところに行くのだろう。


「……やだなぁ」


以前に、エイスリンと一緒に、京太郎に頭を撫でられた時と、似たような気持ち。

違いがあるとすれば、あの時よりもずっと大きい、胸の底から込み上げてくる感情が。



「ずーっと、一緒だよー」



豊音の瞳を、大きく揺らした。




「なぁ、京太郎……お前、言ったやろ?」


自分を見下すセーラの右の拳は、痛々しく赤く腫れている。

そして、頬に感じる熱と痛みからも、彼女の拳が一切の手加減がなく振るわれたことが分かる。


「可愛くなくてもいいって――竜華よりも、俺のが好きやって」


胸倉を掴まれ、無理矢理に引き起こされる。

胸元が圧迫されて、喉の奥から呼吸とも咳ともとれない、空気の塊が絞り出された。


「せやのに……何でや! 何で、何で竜華の方ばっか見とんのや! お前の彼女は俺や! 竜華やない!!」


悲痛な叫びと共に、彼女の腕から伝わる力が強くなっていく。

それでも口を開くと、血と唾液の混ざったものが零れて、彼女の手の甲を濡らした。


「……あ」


すると、彼女の表情から、血の気が失せて。

同時に、腕の力も抜けて、だらりと垂れ下がった。


「いや、違……」


「そんな、そんなつもり、は……」


信じられないように、自分の手の平を見詰めて、小さく震えている。

抱き締めてやると、縋り付くように、顔を胸元に埋めた。


「ごめん、ごめんなぁ……!」

「もう駄目なんや、俺……京太郎が、京太郎が、いないと……!」


幼子をあやすように、何度も、何度も彼女の頭を撫でてやる。

彼女が安心出来るまで。彼女の震えが、止まるまで。


「京太郎……京太郎ぉ……」


他には誰もいない、夕日が赤く染める教室の中に、彼女の啜り泣く声だけが響いた。





がむしゃらに突き進んで来たものが、壁にぶつかってへし折れた。

折れて、弱って、そのまま腐りかけていたところを、支えてくれた人がいた。

そして、再び壁に挑んで、今度は乗り越えることが出来た。


――けれど。



「……燃え尽きた?」


「あー……お前さん、そりゃあ……また、贅沢な悩みだな」


「……そういや、教員免許持ってるとか言ってたな」


「いっそのこと、どうだ」


「今の麻雀を楽しめないなら――」



――後のやつらを、育ててみるってのは。





日が暮れるまで宮守の調整に付き合い、彼女たちとの麻雀を終えて。

自分の泊まっている部屋まで戻ってきた京太郎は、上着を脱いで一息吐いた。


「ふぅ……」


京太郎の立場上、決勝戦の4校のうちのどれか一つを、特別に応援することは出来ない。

気持ちの上では、自分の後輩である久たちには頑張って欲しいが、他の3校の生徒たちも全て大事な教え子である。

京太郎に出来ることは、彼女たちが悔いを残さないように、全力でサポートしてやることだけだ。


「さて……」


今日の、この後の予定は――



「そういえば、小鍛治プロに誘われてたな」


久しぶりに皆で会う、とのことだったか。

教え子たちのやる気に満ち溢れた姿を見て、またこのインターハイの空気に中てられて、胸の奥底で燻っていた気持ちに火が付きつつある。

現役を退いてからは、すっかり顔を合わせることもなかった他のプロたちだが――


「俺も、久しぶりに……!」


鞄から携帯を取り出し、健夜に教えてもらった連絡先を入力する。

数秒のコールの後、すぐに電話が繋がった。


「あの、俺も――」


東京の、とあるバーにて。


「おー、戒能プロ! いつの間に大人っぽい!」

「ねー」

「どうも」


はやりが提案した、軽い同窓会のような集まり。

良子は、集合時間に遅れることなく、この場所に辿り着いた晴絵に、少しだけ驚いた。


「はやりさんのあのメールで、よくここがわかりましたね」


はやりのメールは、文章ではなく猫やヒヨコといった可愛らしい絵文字で送られてくる。

最早、暗号といってもいいレベルであり、解読するのは中々に難しいのだが。


「まぁ、もう慣れましたよ」


苦笑いする晴絵。

何となく、軽いジェラシーのような気持ちを抱く。


「ほら他にも解読できる人が」


カランカラン、とスイングドアが開く音。


「わかりにくいよ!」

「難解!」


小鍛治健夜に、野依理沙。共に、はやりと同じ世代のプロである。

そして、


「よろしくお願いしますね」


昔から尊敬していて、今でもずっと、心に想い続けている人。


「先、生……?」


須賀京太郎が、二人に続いて、入って来た。








「お久しぶりです、皆さん」

「久しぶり! 元気にしてた?」

「ええ」


はやりたちと挨拶を交わす姿と声は、記憶の中のものと寸分違わない。

自分がプロになった時には、既に現役から引退していた彼が。


「良子も、久しぶりだな」


今、この場所で。

私に、笑顔を向けてくれている――!



「……ッ、お久しぶり、です」


胸の奥底から溢れそうになった感情に、何とか蓋をして。

辛うじて、普段の済ました表情を取り繕い、良子は挨拶を返した。


「ふふふー?……それじゃ、お話は席に着いてからで!」


京太郎に隠し通せたかはわからないけど、隣に座る牌のおねえさんにはお見通しだったようで。

妙に、にこやかなはやりが指揮をとり、懐かしい面子での飲み会が始まった。



「先生をやってるんでしたっけ、須賀プロ」

「ええ、まぁ。最初は大沼さんに勧められて、今はコーチとして色んな場所に」

「インターハイに来たのも、その関係で?」

「そうですね。色々と、昔を思い出して懐かしい気分ですよ」

「まだ若い!」

「はは……」


ビールやサラダ、時に思い出話を交えて飲み会は進んでいく。

そういえば、と良子がテーブルに座る面子の顔を見渡して、思い出すように、話題を切り出した。


「小学校の頃、皆さんの試合をテレビで見ましたよ」


良子と京太郎を除く、この場の4人が鎬を削ったインターハイ準決勝。

京太郎がインターハイ男子の部で活躍したのも、同じ年だ。

両方ともに、良子の記憶に強く残っている。


「ねね」


良子の言葉を受けて、はやりがバーの隅に置いてある自動卓に目を向けた。


「みんなで打ってみない?」


あの準決勝の時のように、この4人で。

声には出していないが、はやりの言葉には、そのような意味が込められていた。



「……いいですね」


突然のはやりの提案に驚きながらも、健夜が頷き、席を立つ。

続けて、理沙も同じように卓へと向かう。


「私は……」


ただ一人、晴絵は立ち上がれないでいる。

かつての自分と同じように、準決勝で敗退した阿知賀女学院。

だが、何度でも立ち向かう姿勢を見せた穏乃たちの姿に、再び頑張る力を貰った。


「……須賀プロ」

「ん?」


しかし。


「……私の代わりに、打ってくれない?」


まだ、トラウマの原因となった健夜と麻雀を通して向き合う自信は、持てないでいた。





「いいんですか?」

「……うん」


彼女たちとの対局は京太郎にとっては願っても無いことだが、それは彼女たちの思い出に水を指すものではないか。


「……私も。私も、先生が打つのを、見たいです」

「良子……だけど……」


そう思うと、京太郎も直ぐには頷けない。


「はるえちゃん、どうしても無理?」

「……ごめんね」

「そっか……すいません、須賀プロ。お願いできますか?」

「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」


躊躇う気持ちはあるが、はやりに頭を下げられては、京太郎に断る選択肢は無い。

晴絵の分の麻雀も打つ心持ちで、京太郎は健夜の隣に着いた。


「……」


専用のライトが、4人が囲む卓を照らす。

はやり、健夜、理沙、そして京太郎。


「先生……」


その一挙一動を、見逃さないように。

良子は、瞬きもせず、京太郎を見詰める。


晴絵と良子。

たった二人だけが見守る中で、対局が始まった。







「京ちゃん、また部活休むの?」

「ん? あぁ……」


HRを終えて、放課後の始まりを知らせるチャイムが鳴り響くと、さっさと鞄に最低限の荷物を纏める幼馴染。

その行く先が部室ならば、部活に熱心な姿勢として受け取ることが出来るのだが。


「悪い。部長によろしく言っといてくれ」

「今週、ずっと部活に出てないけど……」

「そうか? 悪い、もう時間がないんだ」

「あっ」


鞄を肩に担ぐと、止める間もなく教室から出て行ってしまった。

引きとめようと伸ばした腕も間に合わず、指先は虚しく宙を切った。





「京ちゃん……」


何となく、部活にも身が入らない。

一人で歩く帰り道は珍しいことではないのに、何故だか道の幅がいつもより広く感じる。


「……あれ?」


そんな中で、ふと視界の隅に入った二人。

自動販売機の裏で、抱き合っている男子と女子。


「あれって……?」


一人は、今まさに考えていた男子。

もう一人の、赤い髪の女子は――



「……うそ」


咲の目線に気が付いていない、二人の影が。

ゆっくりと、静かに重なった。





全国大会、決勝戦。

ついに団体戦の部での、真の強者が決まる。


王者白糸台が今年も制覇するのか。

姫松が強豪校としてのプライドを見せるのか。

宮守がダークホースとして優勝旗を奪って行くのか。

清澄が伝説の再来を見せてくれるのか。


果たして、頂点の座を奪い取る高校はどこになるのか。


あらゆる意味で注目が離せないインターハイ、決勝戦。

今、その火蓋が、切って落とされた――!!



「ふー……こんなんでいいかな?」

「最後まで真面目にやろうよ、こーこちゃん……」




ってなわけで始めますん


――白糸台。


「照、いけるな?」

「うん」


平然と頷く照の横顔に緊張は見られない。

先鋒を送り出すチームメイトたちの瞳にも、心配はない。

それは油断でも余裕でもなく、先鋒戦で宮永照が遅れを取る筈がないという、自信の表れである。


「……だが」


いくら考えても、拭い去れない違和感。

胸の底で何かがざわめく。


「照……」


気のせいであって欲しいと願いながら、菫は照の後ろ姿を見送った。


――姫松。


「おっしゃ、いってこいや!」

「はい!」


バシン、と強く背中を叩かれて気合を注入される。

まさか、自分がこんな晴れ舞台に立てるなんて、思ってもいなかったけれど。

自分を信じてくれた先輩たちの為にも頑張るしかないと、漫は気合を入れて拳を握った。


例え、無様な姿を晒してでも――



「上重ちゃん? わかっとるよな~?」

「は、はい……」


……訂正。

無様な姿を晒すわけには、いかない。


「い、いってきます!」


何としてでも、点数を稼いで、バトンを繋がなければならない。

気合と、緊張と、若干の怯えを胸に、漫は控え室を後にした。











――清澄。


「ゆーき、わかっていますね? くれぐれも、決勝で浮足立つことのないよう……」

「大丈夫だって、和ちゃん……ね? 優希ちゃん?」

「う、うん……」


同期の二人に念を押されて、控え室を後にする。

負けるわけにはいかない。それは当然のこと。


「……何だか」


全国大会が近付くにつれて、練習でも鬼気迫るような打ち方を見せた咲。

常に上の空のような様子を見せながらも、鋭さを増していった和。

優勝に対して、並々ならない執念と、焦燥感すら感じさせる久。


「……怖い、じぇ」


胸の中を占める感情は、プレッシャーなどという生易しいものではない。

それでも何とか胸を張って、毅然とした足取りで、優希は卓へと向かった。


――宮守。


「今の心境は?」

「ダルい……」

「つまり、よゆーってことね」


言うまでもなく、団体戦での先鋒は非常に重要な役割を持つ。

特に決勝戦ともなれば、失敗は許されないが――当の本人は、どこ吹く風で。


「……」

「ん? もう行くの?」

「トイレを」

「あぁ……行ってらっしゃい」


ここが全国だろうと、部室だろうと、シロのやることは変わらない。

いつも通りに、練習通りに打って、点数を稼ぐ。


「行ってくる……」


ただそれだけだと、シロは控え室を後にして、決勝の舞台に上がる前に、化粧室へと向かった。






「あれ」


御手洗いを済ませ、決勝の卓へと向かう途中の廊下で足が止まる。

つい先日に最終調整に付き合って貰った恩師と、どこかで見たことのある女性が会話をしているのを、遠目に見かけたからだ。


「戒能プロ……だっけ」


普段なら気にせず声をかけに行っただろうが、今は時間がないし面倒くさい。

今度こそ決勝の舞台に向かうために、踵を返し――




「――」



――京太郎が、その女に唇を奪われる瞬間を、見てしまった。









「よろしく、お願いします」

「……あれ?」


気がついたら、卓に着いていた。


「……ああ、そっか」


――先鋒戦に、来てたんだっけ。

シロは、どこか上の空のような、霧の中を彷徨うような心地で、牌に触れた。




「なんやの、コレ……」


不気味だ。

決勝卓の面子と顔を合わせて、何よりも先に、そう思った。

清澄はまだいい。緊張しているようだが、それは自分も同じだ。

問題は白糸台と宮守。

チャンピオンの宮永照。彼女と目を合わせた瞬間に、自分の中の何もかもを見透かされたような気がした。

そして、小瀬川白望。彼女の周りの空気だけ、まるで、どこか別の世界に迷い込んだような――


「いやいや、ありえん……」


ブンブンと首を振り、嫌な予感を振り払う。

胸の奥で、何かに火が付いたような、そんな気がした。




「なんだか、やりにくいじぇ……」


東場は自分の独壇場、の筈だった。

だというのに、思ったように風が吹かない。


「このままじゃ……」


気持ちの上でも、風下に立たされては、本当に勝ちの目が潰れてしまう。

直前に食べたタコスの味を思い返し、勢いよく自らの頬を叩き、優希は気を取り直した。




誰だって、関係ない。

「ツモ」

ただ、潰すだけ。







「……やっぱり」


京太郎が一時的に彼女たち、宮守女子のコーチをしていたことは、照も知っている。

だが。

照は、この対局を通してそれ以上のことを、シロに写し見た。


「……宮守」

「ダルい、なぁ……」


照の敵意の込められた目線も意に介さず、シロの手が虚空を彷徨い、牌を掴む。

他家のことなど眼中にないように、自分の中だけを見ているように。



「……ツモ」




――こうして、先鋒戦は幕を閉じた。

大方の予想を覆し、宮守女子が白糸台を僅差で押さえ付けて1位に。

2位の白糸台に大きく差を付けられて、清澄が3位。

強豪校の姫松は4位。


事前の見立てでは白糸台が圧勝すると予想していたメディアからすれば、この結果は大きく予想を外された形になった。



「ただいま」

「おかえり!」


シロを迎える宮守の部員たちの表情は明るい。

事前のミーティングでは、先鋒戦でどれだけ白糸台に食い付けるかが勝負の分け目であると話していた。

しかし、結果は僅差であるとはいえ1位。

あの、宮永照を打ち破ったのだ。


「……ごめん。ちょっと、疲れた」

「あ、うん……お疲れ様」

「アトハ、マカセテ!」


しかし当の本人は、部員たちの浮かれた様子にも、表情を変えることなく。

ぐったりと、ソファに身を預けると、右手で目を覆った。


「……先生」


さっきのアレが、見間違えではないのなら。

先生は、あの女と――?



「……何、で?」


ポツリと漏れた呟きに、答えは返って来なかった。

「あ、あのぅ……」


姫松の控え室に戻ってきた漫の表情は暗い。

途中で何度か、自分の中で弾けるような感覚はあったが――奮戦虚しく、結果は最下位。

先輩たちに、合わせる顔がなかった。


「ま、しゃーない。トバなかっただけ上等や。宮永照が二人いたようなもんやし」

「末原先輩……!」

「あとはウチらの仕事や。ゆーこ、いけるか?」

「キーウィ対策はバッチリなのよー」


このような状況でも、先輩たちは勝ちを諦めていない。


漫の曇っていた表情が、少しだけ明るくなり、


「上重ちゃん、あっちでお話な~」

「……あ」


郁乃に連れ去られて行く姿に、部員の全員が合掌した。






「……」

「まさか……お前が、な……」


僅差であったが――チャンピオン、宮永照の敗北。

その事実は、チーム虎姫に重くのしかかっていた。


「小瀬川白望、か……」

「アレも……だった……」

「なに?」

「……」


聞き返しても、照の返事はない。

菫は軽く溜息を吐くと、席を立った。


「行ってくる」

「お気を付けて」

「ああ」


絶対に、勝つ。

そして、あの人の教え子として、誰が相応しいかを、見せ付けてやる。


どんな状況でも――菫のやることは、変わらない。





「うぅ……」

「よくやった。仇はとってやるけぇの」


涙ぐんで帰って来た優希の頭を撫でて、まこは次鋒戦の舞台へと向かう。

何としても、次でトップ2校との差を埋めなければならない。


「……」


気付かれないように久に横目を向けると、表面上は満足そうに微笑んでいる。

しかし、右手の親指は――


「……踏ん張って、いくか」


少しでも、後輩と親友の負担を減らす。

そう決意を込めて、まこは一歩を踏み出した。





何それ胸熱

「ヨロシク、オネガイ、シマス!」


エイスリン・ウィッシュアート。

地区大会和了率全国一位。

この次鋒戦で最も対策が必要とされる選手は彼女であり、菫も由子もまこも、そのつもりで卓に上がってきた。


「……何だ。コレは……」


異質。

一言で述べると、そうなる。

彼女の中に、まるでもう一人、誰かがいるような。

そして、この打ち筋から、脳裏に描かれるのは――


「……くっ」


――やはり、彼女が一番マズイ。



三人の認識は、一致していた。







「これ、は……」


牌譜にあった打ち方と、まるで違う。

対局が進むにつれて、エイスリンの打ち方が段階的に変わっていく。

それはまるで、真っ白なキャンバスに、少しずつ新しい絵が描かれていくような。

自分の切った牌ですら、彼女の絵の一部として、取り込まれていくような。


そんな錯覚を、菫は感じた。


「ツモ!」

「なに……!」


そして、エイスリンに気を取られ過ぎていたせいか。

清澄の攻撃を、許してしまった。



次鋒戦、終了

1位 宮守
2位 白糸台
3位 清澄
4位 姫松

「ヤリマシタ!」

「ありがとう、エイちゃん」


流石にシロほどの稼ぎはないが、トップを維持した上で、更に白糸台との差を付けて帰って来たエイスリンを労う。

麻雀を始めて半年弱のエイスリンには、十分過ぎる成果である。


「さて、出だしは順調だ。だけど、ここからが本当の勝負だよ」

「はい!」


とはいえ、ここからはそう、上手くもいかない。

姫松からは愛宕洋榎が、清澄からは長野県大会で大きな活躍をした竹井久が。

白糸台の渋谷尭深も、油断していれば足元を掬われるだろう。


「行ってきます!」


胡桃はより一層気を引き締めて、中堅戦に備える。





「ありがとう、まこ」

「あぁ……大丈夫か? それは」

「うん」


清澄の控え室では、指に絆創膏を巻いた久が、まこを迎えた。

順位は変わっていないが、差は縮まっている。

まだ、挽回はできる。


「……絶対に、勝つ」


その言葉は、誰に向けられたものか。


「だから、見ていて。私を」


久の瞳は、この場の誰も、映していなかった。

「ごめんなさい……」


対策はしてきた、つもりだったが。

宮守にも、清澄にも、白糸台にも。

由子の麻雀は、届かなかった。


「このままじゃ……」

「いや――これから、や」

「え?」


点数の差は、絶望的。

だが、洋榎の目に、諦めの二文字は無い。


「あの人だって――小鍛治プロに挑んだ時は、ズタボロやった」

「……」

「ここからや。絶対に、点数ぶんどってきたるわ」


このままではあの人に顔向け出来ない。

だから、このまま終わるつもりはない。


「ウチに、任しとき。清澄も、白糸台も、宮守も――全部、トバしたる」


洋榎の声は、自信で満ち溢れていた。











「すまない……」

「いや、まだここからですよ!」

「行ってくるね」


尭深は、あくまで自然体に中堅戦に挑む。

少し躓いたとはいえ、宮守に追い付けない点数差ではないし、清澄に追い抜かれたわけでもない。

中堅戦、副将戦、大将戦と残っていることを考えれば、まだカバーはできる範囲内だ。



「~♪」


先輩たちの会話を横に、淡は呑気に口笛を口遊む。

状況が見えていないのではない。

むしろ、理解出来ているからこそ――淡は、今を楽しんでいた。


――思いっきり、逆転勝利とか決めたら。

――先生、思いっきり褒めてくれるかな?


ニッコリ、満面の笑みを浮かべて。

淡は、自分の出番を待つ。

卓の上で、久と洋榎の視線が、ほんの一瞬交差する。


――お前は、あの人に、相応しくない。



視線に込める意思は、互いに変わらない。



勿論、残る二校も気圧されることはない。

このまま逃げ切るつもりで守りを固める胡桃と、攻めの手を緩めるつもりの無い尭深。


様々な思惑を乗せて、中堅戦が、幕を開けた。








淡「あっついぃー……」

京太郎「そーだなー……」


淡「ねぇ、きょーたろー……」

京太郎「んー……?」


淡「ケッコンしよーよー……」

京太郎「あー……」


淡「ねーねー……」

京太郎「あついからなー……」


淡「いーじゃんさー……」

京太郎「もうちょい涼しくなったらなー……」


淡「じゃあ、氷で出来た教会でー……」

京太郎「いくらかける気だー……」


淡「冬も似たよーなこと言ってたじゃん……」

京太郎「そうだっけかー……」


淡「きょーたろー……」

京太郎「あっついなー……」












「……ここは」


淀みなく進んで来た久の手が止まり、長考に入る。

安牌を切るか、逆転に向けて布石を打つか。

順位は最初から変わっていないが、宮守の勢いが大幅に削がれている。

もし、あの人なら、ここで――


「ロン!」

「……え」


悩み抜いた末に、打ち出した一手は。

姫松の逆転に、利用された。


「なんや、清澄……そんなんで、あの人の後輩なんか名乗っとんのかいな」

「っ!」

「はん、格の違い……いや、核の違いっちゅーもんを、見せたるわ」



「いいから点数!」

「あ、ハイ……」



その後も洋榎が全体の場の流れを上手く読み取り、終始有利に対局を進めた。

総合的な順位に変更はなかったが――胡桃も、尭深も、久も。

流れを姫松に持って行かれたと、確かに感じていた。


1位 宮守
2位 白糸台
3位 清澄
4位 姫松









お姉ちゃん!」

「ごめんなぁ……エラそうなこと言っといて、順位ひっくり返せんかった」

「ううん……後は、私が!」


先鋒戦、次鋒戦と続いて来た宮守の流れが、断ち切られようとしている。

この状況を作ったのは間違いなく、洋榎である。


「行ってくるわ……!」


姉の背中に追い付くのではなく、姉と一緒に戦って、姫松を優勝させる。

決勝戦の緊張は、もう無い。

絹恵の胸の中は、自信で満ち溢れていた。







「ただいま」

「おかえりー」


愛宕洋榎と竹井久。

県大会での牌譜を見る限りでは、二人とも限りなく厄介な相手だった。

その二人が一緒にいる中堅戦だったが、どのような状況でも、尭深は自分のペースを崩さなかった。


「……」


それどころか、常に熱いお茶を啜りながら対局を進めた彼女は――ある意味で、一番大物なのかもしれない。


「次は、私の番か」


この勢いのまま宮守を追い抜いて、1位を奪い取ってから淡に繋ぐ。

気合を入れて、しかし空回りしないよう、誠子は練習の内容を頭の中で反復しながら決勝の舞台へ向かった。







「……」

「胡桃?」

「ごめんなさい……」

「いや、大丈夫だよ。まだ勝ってることには変わらないし――」


「ごめんなさい」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」


「く、胡桃?」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」



「ごめん、なさい」







順位に変動は無いが、白糸台は既に目と鼻の先。

宮守も射程圏内に入っている。

この中堅戦で、確かに流れが変わった。


「……」

「お疲れさん……久?」


稼いだ点数は愛宕洋榎に届かなかったが、それでも全体的な成績で言えば2位。

胸を張ってもいい結果だが――


「負けたの」

「……なに?」

「……負けた」

「じゃが、それでも――」


「負けた。絶対に勝たなきゃ、駄目だったのに」


「私は、負けた」



「久!?」



力なく、その場に崩れる久を抱き止めるまこの隣を。


「……ふふ」


上気した頬を緩めて、和が通り過ぎて行った。







決勝戦も、いよいよ終盤。

中堅戦で失速した宮守が立て直すのか。

他の3校が一気に追い上げるのか。



「よろしく、お願いします」


全中王者、原村和が参加する副将戦。

当然、注目も高くなる。


絶対に逃げ切ってみせると、注意深く面子の顔を見渡す塞。

ここで稼いで後に繋ぐと、張り切る誠子。

姉から受け取ったバトンを無駄にしないと、意思を高める絹恵。


「……」


その三人の目線を受けても、和の胸中に変化はない。

ただ、あの人に捧げる為、に打つ。

和の思考は、全てその一言に集約されている。





――なんや、コイツ……。


事前の牌譜からも、全中王者という事実からも、原村和がこの副将戦で最も厄介な相手になることは理解していた。

しかし、いざ、本人を目の前にすると。


「ふふ……」


こっちを、対局相手を、見ていない。

全てが、自分の中で、完結している。

そのような印象を、絹恵は抱いた。


「ロンです」

「あ……」


そして、絹恵は失念していた。

この対局では、原村和が目立っているが。

今一番、最も追い抜かなければならない相手は――



「なんとか……トップは維持したかな」



1位は変わらず、宮守女子。

清澄が僅差で白糸台を追い抜き、2位に浮上。

姫松は、他校に大幅に遅れを取る形で4位になった。










みんなのお祭りも、もうすぐお終い。

後に個人戦が控えているが、宮守女子の団体戦として挑む大会は、これが最後になる。


「豊音、後は任せたよ」

「任されたよー」


だが、今の豊音には、それを惜しむ気持ちはない。

胸の中にあるのは、目の前の対局を楽しむ気持ちと、


「先生、見てるよねー?」


ただ、昔から想い続けた人の顔だけ。

今や彼女の執着は、全てが一人の男性に向けられていた。








姉帯豊音。

宮永咲。

大星淡。


「なんや、化け物揃いやんけ……」


牌譜から得られた彼女たちの打ち筋、実際に対局して得た感覚。

知り得た情報の全てが、彼女たちが只者ではないことを示している。


「うちは……」


それに比べて、自分は凡人。

加えて、状況は絶望的。


「けど……」


このまま逃げ出すようでは、対局前から挫けるようでは、誰にも顔を向けられない。

バトンを繋いでくれたチームメイトたちにも、部の強化に尽力してくれた監督代行にも。

そして何より、善野監督も見守ってくれている試合。


「しゃっ!」


自ら両頬を叩き、折れそうな心を奮い立たせ、恭子は最後の舞台へと上がる。










白糸台の控え室へと戻る誠子の足取りは重い。

出来る限り失点は抑えたつもりだが、トップの宮守を引き摺り下ろすには到らず、清澄に追い抜かれてしまった。

浮かない表情で廊下を歩いていると、ちょうど廊下の反対側から、淡が鼻歌交じりに向かって来た。


「淡、すまん。辛い状況だけど――」

「先輩、ありがとー」

「――は?」


淡は誠子の失態を攻めるわけでもなく、これからの意気込みを伝えるわけでもなく。

ただこれから遊びに行くような声音で、誠子に微笑みかけた。


「あ、淡?」

「ピンチからの逆転! せんせー、きっとすっごい褒めてくれるよね」

「何を言って……?」


戸惑う誠子にも構うことなく、淡は軽い足取りで決勝の舞台へ。


「頭撫でてもらったりー……あ、ほっぺにキスとかしちゃおっかな♪」


淡には油断も慢心もない。


ただ、絶対に負けない。それだけである。


淡の心の中は、ただ一人、大好きな先生で、塗り潰されている。














「咲ちゃん……」

「しんどいと思うが、頼む!」

「ええ――大丈夫、です」


インターハイ決勝、大将戦。

咲の表情にはプレッシャーを感じている様子も、力み過ぎている様子もない。


「行ってきます」


頭を下げて、控え室を後にする。


「やっと」


白糸台。

姫松。

宮守。


「やっと、だね」


やっと、この手で。


「私だけの……京ちゃん」



満開の花が、散った。






様々な想いが交差する、決勝戦。

最後の対局が、幕を開ける。



「やっぱ、そうだよね」


絶対安全圏。


「ゼッタイ負けないもん、私」


ダブルリーチ。


「だって、私には」



そして――



「ずーっと、せんせーが付いててくれたんだよ?」



トップを走る宮守に、直撃を奪い取り。


「せんせーの後輩だとか、ダークホースだとか、強豪校とか、知らないけどさ」



「私が、負けるわけないじゃん! せんせー以外の相手にさ!!」


白糸台が、1位を勝ち取った。






【先生編、姫松パートより】



「寒いねん、京ちゃ――くしゅっ!!」


大きなくしゃみ。

続けてズビズビと鼻を啜る音。

ハァ、と京太郎は大きな溜息を吐いた。


「ほら、ティッシュを」

「ん、おおきに~……」


昼間にスーパーで買った箱のティッシュを開封し、郁乃に手渡す。

ついでにデコに手を当てて熱を計ると、確かに熱を感じた。


「そりゃ、傘も差さずにこの雨の中歩いてたらなぁ……」

「うぅ、だって~」


この人は、昔からそうだった。

出会った時から色々と気にかけてくれたが、何処か抜けたところがあるのだ。

付き合っていた時も、色んな意味で目が離せない彼女だった。


「とりあえず、風呂で温まってください。その間に着替えになりそうなもん探しとくんで」

「え~? 人肌がええのに~」


寝ぼけたことを言うのでデコピンを一つ。

あた、と涙目で額を押さえる郁乃に、京太郎は再び大きな溜息を吐く。


「あんまり寝ぼけたこと言ってると傘持たせて追い出しますよ」

「あ~ん、京ちゃんのいけず~♪」


昼間に出会った洋榎のテンションといい、この人といい。

少なくとも大阪にいる間は多忙な毎日になることを、京太郎は確信した。


「満更でもないクセに~」

「ここで着替えない!」


京太郎の気苦労は、尽きない。



【ポンコツいくのん】













序盤の宮守の快進撃に、中盤の姫松と清澄の奮闘、そして最後の白糸台の逆転。

どこも諦めずによく戦ったと、彼女たちの指導を担当した京太郎は、胸が熱くなった。


「しかし……」


教え子の奮闘を誇りに思う気持ちもあれば、惜敗を残念に思う気持ちもある。

決勝進出した4校が全て自分の担当した学校ともなれば、京太郎の胸に抱く気持ちは複雑だ。


「さて……どうしたもんか」


ハタから見れば贅沢な悩みだろうと、京太郎は苦笑し――


「せんせーっ!!」


――背中に不意打ちの衝撃を受けて、大きくつんのめった。



こちらの事などまるでお構いなしな態度。

そして興奮に満ちたこの声となれば、思い当たる生徒は一人しかいない。


「せんせー! やったよ! 私、やったよ!!」

「淡……」


回された腕を解き、振り向く。

キラキラ輝く瞳は喜びを全力で表現していた。


「せんせーっ!!」


まるで犬のようだ、と京太郎は思った。

褒めて褒めてと全身でアピールしている。

もし彼女に尻尾があれば、千切れんばかりに振り回していることだろう。


「よく、やったな」

「えへへっ とーぜんっ!!」


頭を撫でてやると、淡の全身から光輝くオーラが溢れ出した、ような気がした。





白糸台の――というより、決勝全体でのMVPを決めるとすれば間違いなく淡だ。

彼女がいなければ最後の逆転は有り得ず、また何処か他の高校が優勝していた筈だ。

白糸台では特に淡とコミュニケーションを取っていただけに、京太郎も鼻が高い。


「えへへ……」


喜びで感情が振り切れている淡の姿に、目の前の京太郎も嬉しくなる。

画面を通して大将戦を見守っていた彼女のチームメイトも、大きく盛り上がったことだろう。


「……ん?」


と、ここで京太郎は、周りを見てもチーム虎姫の他のメンバーが見当たらないことに気が付いた。


「淡、菫たちは?」




大将戦が終われば、真っ先に向かうのは白糸台の控え室の筈。

だというのに、今この場に淡だけがいるのは少し不自然だ。


「……どうでもいいじゃん、今は」

「あ、淡?」


だが、返って来た答えは淡らしくない、突き放したもので。


「私、頑張ったよ」

「あぁ……わかってる。よくやったよ」


淡の様子がおかしい。

そう感じさせるには十分な程に、淡の瞳は冷めていた。


「もっと、褒めて」

「なに?」

「頑張ったもん、私。一番、頑張ったよ」


少しでも突き放せば、崩れてしまうような。


「だから、もっと」


「私を、褒めてよ」


そんな危うさが、今の淡には、あった。

――なんで? どうして?


「勝ったのは、私だもん」


――私は、ずっと先生を、見てたのに。


「私が、一番なのに」



――なんで先生は、私だけを、見ないの?




「私といるのに他の女の子の名前出さないで」









代わり映えのない通学路。

いつもと変わらない朝の風景。


「んー……?」


だというのに、京太郎は言葉に出来ない違和感を覚えていた。

何かがいつもと違うと直感が訴えているが、具体的に説明できない。

あくびを噛み殺しながら、何か忘れていることがないか記憶を探っても、思い当たることは何も無い。


「んー……あ、咲?」


違和感の正体が掴めないままに通学路を歩いていると、少し先に幼馴染の背中を発見。

心なしか、元気がないように、ただでさえ小さい背丈が更に小さく見える。


「よっ!」

「わっ!?」


答えが出ないことは頭の片隅に追いやって、駆け足で咲に追い付く。

肩に手を置いて声をかけると、小さな体がビクリと大きく跳ねた。


「え……京、ちゃん……?」

「おう。おはよう」


振り向いた咲は、信じられないものを見る目付きを京太郎に向ける。

それを内心で不思議に思いながらも、京太郎は咲に朝の挨拶をした。

「なんで……?」

「なんでってお前……今日、普通に学校あるし」

「だって京ちゃん……九州に行っちゃったんじゃ……」

「は?」


咲の言葉に、更に疑問が増える。


「何だそりゃ。変な夢でも見たのか?」

「ゆ、夢じゃないよ! だって、あんなにメールとかで――」


咲が足を止めてカバンの中を探る。

恐らくは携帯を探そうとしているのだろうが、そもそも咲は。


「いやお前、携帯持ってないだろ」

「じゃあ、本当に……」


夢、だったの?

半端に口を開いて固まる先の頭をポンポンと軽く叩く。

『お前、本の読み過ぎじゃないか?』


そう、からかおうとして――


「京ちゃんっ……!!」

「うぇっ!?」


思いっ切り泣かれて、抱き着かれた。



――放課後。

京太郎は、頭を抱えて机に突っ伏した。


「はあぁー……」


アレから大変だった。

うわんうわんと泣く咲を宥めるのもそうだが、加えて朝の通学路となれば周りには他の生徒もいる。

噂が広まるのも、あっという間である。


「嫁さん泣かしたんだって?」

「そんなんじゃねーよ」


早速このネタでからかってくる友人にヒラヒラ手を振って否定する。

未だに朝の咲の様子がおかしかった理由はわからないままだが、自分が何かをした覚えは、京太郎には無い。


「お、噂をすれば」

「あー……」


教室の入口に、咲の姿。

キョロキョロと教室の中を伺い、京太郎と目が合うと、花丸笑顔を浮かべて駆け寄って来た。


「ほら、嫁さんが来たぞ」

「だから、そんなんじゃ――」

「いこっ 京ちゃん!」


友人のジョークを否定する前に、咲に手を握られる。

その咲の姿は、まるで人前でも平気でイチャつくバカップルの片割れのようであり。


「おおーっ」

「あの二人、やっぱりそうだったんだ」

「じゃあ、朝のは……」


噂に尾鰭が付いて広まるのも、時間の問題である。



そして、当然。


「咲を泣かしたんだって?」

「部長まで……」


この手のネタに、久が食い付かない筈がなかった。


「それにしても意外。いつから付き合ってたの?」

「だから、俺と咲は付き合ってませんし。カップルでも何でもないですよ」

「ふーん……?」


腕を組んで何やらブツブツと呟いている久に背を向けて、京太郎は部室のPCからネト麻のアカウントにログインする。

こういう時は、マトモに相手をするだけ損であると、京太郎は分かっていた。


「……ん?」


自分のアカウント画面を確認すると、知らない相手からメッセージが届いている。


「洋榎? 先生? なんのこっちゃ……?」


一応念の為に確認してみたが、メッセージの贈り主に心当たりのある人物は、京太郎の記憶にはない。

面倒な事になる前に、京太郎はさっさとブロック設定をした。


「やれやれ……」






「なぁ、春」

「……」


返事は無く、ポリポリと黒糖を齧りながら顔を向けてくる同級生。

学校の教室においてもマイペースっぷりを崩さないのは京太郎も見習いたいところではあるが――


「永水って、共学化したんだよな?」

「うん」

「なら、他の男子は?」

「ずっと休んでる。そこの空いた席」

「……」

「あ、退学になったんだった」


――今は、それどころじゃなかった。



「はぁー……」


元が女子校だった場所が共学化したという話だから、男子生徒の数は少ないだろうとは予想していた。

が、クラスの男子が自分だけとなれば、流石に堪える。


「ぽい」

「んぐっ」


女子生徒の目線やら何やらで気が重く、大きな溜息を吐いた瞬間に口に放り込まれた何か。

反射的に噛み砕き、飲み込むと甘い味がした。


「……黒糖か」

「疲れた時は糖分」

「ん……ありがとな」


いつの間に隣にいたのか、そしてほんの一瞬の隙を突いて黒糖を口に放り込む俊敏な動作はどこで身に付けたのか。

聞きたいことは色々あったが、春の厚意は有難かった。


「お前がいてくれて良かったよ、ホント」


春のマイペースな性格は話していて気楽だ。

これで彼女まで小蒔のような性格をしていたならば、京太郎の心労は倍に増えていただろう。




「どういたしまして」


可愛らしい微笑みで、黒糖をもう一欠片差し出してくる。

普段は無表情なのに、黒糖の話になると可愛らしい表情を見せてくるのが、この春という少女だ。


「お……おう。ありがとな」


中学時代の友人と話すような感覚で会話をしていると、このように不意打ちでアプローチを仕掛けてくる。

恐らく春は無意識でやっているのだろうが――そのギャップに少しだけ、京太郎はときめいた。


「?」

「何でもない」


赤くなった頬を誤魔化す為にそっぽを向いて黒糖を齧る。

程良く、甘い味がした。

高コンマだと衆目の前で公開ペロリストでした





「ふぁー……」


欠伸と共に目の端に溜まる涙を拭い、廊下を歩く。

鹿児島に来てからの京太郎の朝は早い。

この場の空気がそうさせているのか、怠けようという気にならないのだ。


「……む」


耳をすませば彼女が近づいて来る気配。

そういえば、そろそろ初美が攻撃を仕掛けてくる時間でもある。


「京太郎ー!」

「やっぱり……」


廊下の曲がり角から自分を呼ぶ初美の声。

いつものような不意打ちではないが、それが逆に怖い。


「ふふふ……今日という今日は!」

「それは……?」


覚悟を決めた京太郎の前に現れた、初美が手にしているものは――



針と糸。

正確には、糸が通された針。

光を反射する針の先は、見るからに鋭い。


「さ、裁縫?」

「裁縫ですかー? まー、確かに」


初美が針を持った指を乱暴に振る。


「こうやって、聞き分けのない口を塞いでー」


その仕草は、まるで。


「誰のものか――っていうのを、刻むのは」


五月蝿い小蝿を叩き潰すようにも、見えた。


「裁縫って、呼べるかもしれませんねー」



初美が、笑顔で近寄ってくる。






「……っ!」


静かに、ゆっくりと。

針の先が、京太郎の眼前に迫り――





ヤバイ。

目の前にいる初美は、普通じゃない。

表情は和かだけど――中身は、何か、別のものだ。


「っ!」


そのことを頭で理解した瞬間に、体は駆け出していた。

向かう先は、初美の反対方向。

とにかく、誰か他の人がいる場所に行かなければならない。



「あーあ」



「誰でもいい……!」


霞でも巴でも春でも、この際小蒔でも。

誰か、初美を止められる人を。


「誰か……!」


けれども。

いくら廊下を走っても、すれ違う人はいなくて。


霞さんっ!!」


片っ端から扉を開けても、部屋の中には、誰もいなかった。


「なんで……」


そして、息を切らして、柱に寄り掛かる京太郎に。


「お困りですかー?」

「あ……」


さっきとまるで変わらない、初美が微笑みかけた。








「駄目ですよー? ここは色々と『違う』場所なんですからー」

「あぁ……」


右手で針を持ち、左手は京太郎の頬へ添えられる。


「そういえば、出会った時もそうでしたねー」

「……やめて、くれ」


そのまま、左手は首に。


「んー、しょーがないですねー。ちゃーんと、 人の言うことを聞けるように」

「やめろ……!」


「おねーさんが、おまじないをかけてあげますよー」


胸の真ん中に、激痛が走った。










「……ぅ、あ?」


全身を覆う酷い倦怠感と共に、京太郎は自分の部屋で目を覚ました。

加えて身体の節々が痛む。汗で寝間着が肌に張り付いていて、気持ちが悪い。


「あ、起きた?」


京太郎が状況を確認出来ずに困惑していると、襖を開いて巴が部屋に入ってきた。

手にはタオルや桶を抱えている。

何があったのかを聞こうと口を開くが、口内が乾いていて上手く舌が回らなかった。


「はい、お水」

「……ありがとう、ございます」


巴から水の入ったコップを受け取り、漸く一息つく。


「心配したよ? 急に、高熱出して倒れたって」

「高熱……?」

「うん。三日前だったかな? 初美ちゃんが君を引きずって部屋に飛び込んで来た時は驚いたよ」

「薄墨、先輩が……?」


「無理はしないでね。あ、あと軽く食べられるもの持ってこようか」

「はい……ありがとうございます……」



立ち上がり去っていく巴の背中を見送る。

直前の記憶は霞がかったように曖昧で思い出せないが――胸の奥が、ちくりと痛んだような気がした。





巴の話によると高熱で三日間も寝込んでいた、とのこと。

意識を取り直した今では、熱は完全に引いているようだが、代わりに体調が絶不調状態。


「ベタベタして気持ち悪い……」


さらに、汗を吸った寝間着が絶妙に不快感を際立たせている。

どうにかできないかと辺りを見渡すと、巴の置いていった水の入った桶とタオルが目に着いた。

恐らくこれは、風呂に入れなかった京太郎の体を拭く為に持ってきたものだろう。


「使わせてもらおう……っと」

「京太郎くん!? 目が覚めたって――」


だが、タイミングとは悪い時に重なるもので。


「――あ」

「あ」


ちょうど京太郎が寝間着を脱いだ瞬間に、血相を変えた小蒔が、部屋に飛び込んで来た。





「ご、ごめんなさい……」

「い、いえ……」


甲高い悲鳴が響いた後。

見なりを整えた今でも、小蒔は顔を真っ赤にして京太郎の顔を直視できないでいる。

が、たまにチラチラとこちらを伺う目線が何とも気恥ずかしくて居心地が悪い。


「すいません、心配と迷惑を」

「そんな! 迷惑だなんて……でも、無理は絶対にしないで下さいね」


三日間も寝込んでいたのだから、この少女にはさぞかし心配をかけさせたことだろう。

京太郎の胸の中が申し訳なさで一杯になると同時に――少し、疑問になることが出て来た。


「……そういえば、俺の世話は誰がしてくれたんですか?」


さっきの小蒔の反応では、半裸の体をタオルで拭くなどといったことは、とても出来そうにないが――





「霞ちゃんや巴ちゃんが、交互にやってくれました」

「成る程」


確かに、あの二人ならそつなくこなしてくれるだろう。

後でしっかりと礼を言っておこうと、京太郎は心に刻んだ。


「霞ちゃんはスゴく熱心にやってましたよ。いつも顔を真っ赤っかにしてフラフラしながら戻ってましたし」

「なんと……」


まるで清盛の医者である。

色々と面倒を見てくれているのに、霞には益々頭が上がらなくなりそうだ。


「勿論! 私も力になりますから!」


ムン、と頼りない力こぶを作る小蒔に苦笑する。

彼女の場合はやる気が空回りしそうなイメージしかない。


「はは……すいません」

「何でも! 言ってくださいね!」


――もっともっと、しっかりしよう。

京太郎の意思は、更に強くなった。

寝てる京太郎に××する姫様なんていなかった



その日の深夜。

何かが動く気配を感じて、京太郎は目を開いた。

元々寝付きが浅かったのもあって、すぐに意識は鮮明になった。

一瞬、また小蒔かと思ったが――病み上がりの自分の布団に潜り込むようなことは絶対にあり得ない。

小蒔が実行しようとしても、霞が止める筈だ。


では、一体誰が――



「寝ない子ですかー? 悪い子ですねー」

「あ……」

「そーんな、悪い子はー」


障子の隙間から差し込む月明かりに照らされて。


「私が躾けてあげますよー」


初美の、一糸纏わぬ姿が、露わになった。








肩に置いた手は、拒む為ではなく受け入れる為。


「ふふふ、いい子ですねー……ん」


開いた口は、彼女の口を塞ぐ。

全ては彼女のなすがままに、彼女の望むままに。

そうしなければならないと、胸の痛みが訴えた。




月明かりだけが照らす、仄暗い部屋の中。

重なる肌に、水の音。

開いた扉の隙間から、二人の行為を覗くのは――

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最終更新:2026年01月05日 20:14