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「……あ、れ?」


目が覚めたら。

酷く、汗をかいていた。

夏も終わって、涼しくなり始めている時期なのに。


「……げほっ」


何かを吐き出すかのように、咳き込む。

風邪を引いたか、とも思ったが熱は無く体調もそこまで酷くはない。


「ん……大丈夫?」


横で眠っていた彼女を起こしてしまったらしい。


「大丈夫です……なんか、変な夢を見てたみたいで」


シャワー浴びてきますと告げて、京太郎は寝室を後にした。

宮守がインターハイで優勝して――少しだけ、部の雰囲気が良くなった。

それでもまだ、塞との関係を打ち明けることはできない。





「大丈夫? 顔色悪いよー?」


豊音が京太郎の顔を覗き込むようにして、そう聞いてきた。

朝からどこか調子が悪いのは自分でも解っているが、表情にも出てしまっていたらしい。


「……朝から、何か気分が悪くて」

「え゛っ!? それは大変だぁ!!」


あまりの大声に思わず耳を塞ぐ。

そこまで心配をかける程のことでもないのだが――




「保健室連れてってあげるね!」

「え」


ぐわっと、一瞬のうちに抱き抱えられて。

あっという間に、豊音にお姫様抱っこをされている状態に。


「いや、あの、先輩?」


保健室は、ここから結構な距離がある。

それはつまり、この状態を多くの生徒に見られるということで。


「急ぐよー!!」

「いや、それは――」


聞く耳持たず。

京太郎は豊音にお姫様抱っこされた状態で保健室にまで連れ込まれ。


「ダメだよ、風邪はひき始めが肝心なんだから」


子守唄までセットで無理矢理にベッドに寝かしつけられては、最早どうしようもなく。

豊音の歌声を耳にしながら、京太郎は目を閉じた。





放課後、目が覚めて時計を見ると部活の終わり際で。

少し早足に部室に向かうと、トシが部員たちの前で何かの話をしていた。


「ああ、京太郎。体調はどうだい?」

「寝てたら大分良くなりました」

「そうかい。体を壊しやすい時期だから気をつけな」


さて、とトシは咳払いを一つした。


「ちょうど今、合同合宿の話をしていたところさ」

「合宿?」

「ああ。全国を制したうちと是非ってね。相手は清澄だ」

「清澄……」


「ちょうどいい機会だと思うんだけどね」



「俺は……」


清澄ということは――咲や久と、また会うことができる。

そうでなくとも、色んな相手と練習できることは、悪いことじゃないかもしれない。


「……もっと、先輩たちに教えてもらいたいです」


でも、相手が求めているのは全国優勝校としての宮守。

宮守と同じく零細部である清澄に、自分の練習の相手をする余裕はないだろうと思った。


「だから……」

「ああ、わかった。断っておくよ」

「すいません」

「いいさ。代わりに、これからはスパルタでやっていくからね」


それに。

先輩たちとの、残り少ない時間をもっと大切にしたくて。


「……そう、だね」


ふと目があった塞に、微笑みかけられた。











「合宿所にする予定だったところ。火事があったんだって」

「え。マジですか?」


ほら、と胡桃は携帯にニュースの見出しを映した。

幸いにも死傷者はいなかったらしいが、暫く宿泊施設としては使えなくなるらしい。


「このままだったら、私たち死んでたかも」

「……こわ」

「だったら、京太郎は命の恩人になるのかな?」

「まさか」


だが――もしかしたら、あり得たかもしれない未来だ。

火事で、何もかもが炎と煙の中に消えてしまう光景。

煙の中で――微笑む、少女。


「京太郎、大丈夫?」

「え……あ、すいません。ちょっとボーっとしてました」

「しっかりしてよ? 京太郎は、来年から部長なんだからね」

「え……?」

「なに惚けてるの?」


確かに、考えてみれば。

来年も部が残っていれば、宮守麻雀部の部長は自動的に京太郎務めることになる。


「しっかり! ビシバシ鍛えてくんだから!!」

「あ、はは……お手柔らかに、お願いします」



「それは京太郎次第かなー」

「はー……頑張らないと」


「あんまりだらしなかったら、お仕置きしちゃうからね?」

「お、お仕置き……?」

「そ。お仕置き」


ゴクリと、喉が鳴る。

彼女の言うお仕置きが何なのかは、まるで想像もつかないけれど。


「……が、頑張ります」

「うむ」


ゾクリとした何かを背筋に感じ取り、京太郎は早足に部室に向かった。

まずは、さっさと準備を始めよう――




「……あんまりフラフラしてると、ホントにお仕置きしちゃうんだから」


小さな手のひらの中で。

錆びた釘が、転がった。















PCに向かいあったまま寝落ちしている後輩。

画面にはネット麻雀の成績。


「……へぇ」


シロは、その背後から画面を覗き込むと、関心したように小さな声を零した。

自分と比べると、見劣りする成績。

それでも、以前よりは大分上達している。




「……ご褒美、あげようか」


寝ている後輩と、自分しかいない部室。

部活が始まるまでは、まだ時間があって、二人だけの空間。


「……ちょっと、恥ずかしいな」


ほんの少しの間だけ、重なった影。

名残惜しさと一緒に離れた時には、自身の頬が熱を持っていることを感じた。


「……」


未だ眠る後輩の首筋には、赤い点が一つ。

はっきりは見えないけれど、確かにそこにはシロからの「ご褒美」が残っていた。



エイスリン・ウィッシュアートにとっての須賀京太郎は、運命の相手に他ならない。

道に迷っていた自分に彼が声をかけてくれた日から、青い瞳が映す相手はただ一人だけ。


目は彼を追い、指は筆を動かす。

一冊のスケッチブックは、瞬く間に彼の姿で埋められていく。


「モウ、イッパイ……」


ページが尽きたら、また新しく。

ただひたすらに、彼の絵を描き続けて。


「……アレ?」


ある日彼女は、気が付いた。

彼の周りには、別の女ばかりいて。


自分が一番、彼から遠ざかっている。



それは、当たり前のことだ。

自分が絵を描く側なのだから、彼の隣にいる筈がない。


「……ジャマ」


それでも。

自分のスケッチブックに、他の女と話す彼の姿が描かれるのは――酷く、不快だった。




「じゃあ、どうするの?」





「彼の周りの女を消すの?」


「どうやって?」



「彼が、悲しんでも?」




「キョウタローモ、イッショノキモチ」


エイスリンの答えは、変わらない。

彼も、自分と同じ気持ちに違いないから。


『嬉しく、なりました』


イラストを見て、褒めてくれた彼。

私と彼だけいればいいって、わかってくれる筈だから。


「……ジャマ、シナイデ」

「そう」



「なら、仕方ないか」

秋の大会に向けて、トシや先輩たちの厳しい指導を受ける毎日。

弱音を吐いているわけにはいかない。

少なくとも、今回は予選敗退なんて許されない。


「――あ?」


けれど、心と体の疲れは溜まっていくもの。

最近は、よく部室のPCの前で寝落ちしてしまっている。

対局中に寝落ちすることだけは絶対に避けているが、あまり褒められたものではない。


「はぁ……」


京太郎はPCの電源を落とすと、立ち上がって大きく伸びをした。

体の節々からポキポキ音が鳴る。


部活が休みで、更にトシの手が空かない日にはこうして部活のPCでネト麻をすることが多い。

家でやらないのは、こっちの方が気が引き締まりそうな気がするからだ。


「さて、と」


部室の電気を消して、鍵をかける。

京太郎は久しぶりに、一人で下校した。






宥の遺体が、山の中で見付かった。

その事実を知った時の父の顔は二度と忘れられそうにない。

妻を病気で失い、娘二人が不審な詩を遂げた父。

京太郎もまた、慕っていた姉二人を立て続けに失って――なんて言えばいいのか、もうわからなかった。


「……ごめんね。お茶くらいしか出せなくて」



家にいるのも辛かった。

気が付けば、この家に足を運んでいた。

幼馴染みはもう、ずっと昔にいなくなっているのに。


「ねぇ……」

「……」

「教えてあげようか?」



「辛いことを忘れられる、ただ一つの方法」


望の声が、染みるように聞こえた。

ゆっくりと、近寄る彼女の指を、京太郎は拒まなかった。







想い人が蹂躙される様を、彼女たちはただ見ていることしかできなかった。

彼もまた、同じように。


「あ、が……さ、さわ――」


一方的に嬲られ、縛られた手足では抵抗も許されない。

爽の爪が肩に食い込み、彼女がこの身を貪る度に新しい爪痕が残る。


「は、は……! 考えたことも、なかったろ……!」


京太郎の上に跨った爽は、処女を散らした血を流しながらも、その動きを止めない。

激痛に涙を流して、自分も相手も血塗れになって。

それはまるで、野生の動物の狩りのような。


「ユキとか……成香、ばっかでさぁ……!!」


重ねられる唇。

上唇も下唇も、爽の舌に舐めしゃぶられ、閉じていた口は強引にこじ開けられた。

為すがままに咥内を蹂躙され、かと思うと爽の咥内に舌を引きずり出されていた。


「あ……はぁ♪」


時間にして、どれくらい経ったのか。

満足したのか、唇を離した爽は不気味なくらいに唇を吊り上げて、笑った。


「美味しいなぁ、京太郎……!」


もう誰も彼女を止められない。

それは、彼女自身にも。

どれだけの血と涙が体を汚しても――彼女は、もう止まらない。











自分の恋心に気が付いたのは、インターハイが終わってからで。


「須賀……いや、京太郎! 私は、お前が好きばい! お前のことば、愛してる!!」


初恋が終わったのまた――それに、気が付いてから。

遅かった。

可愛さと愛おしさの区別がつかないうちに、彼は他の女と結ばれた。


「……すばらっ! おめでとうございます!!」


それでも、煌は笑顔の裏に本心を隠して。

彼と彼女を、祝福した。

「き、京太郎……? 一緒に帰るばい!」


さて、公衆の面前で実に男らしい告白をした哩だが、いざ付き合いだすと変なところでシャイだった。

勇気を振り絞って、手を握るのがやっと。

今にして思うと――あの告白は、緊張に追い詰められていたからこそなのだろう。


「はい、ゆっくり歩いていきますか」


そんな哩に、彼は苦笑しながら手を差し出す。

こと恋愛に関しては――どうやら、二人の力関係は逆転するようで。

そんな二人を、部員たちは初々しく見守っていた。


「いいなぁ……」


あそこに立っているのが、哩じゃなくて自分なら――なんて。

思わず口に出た言葉を、慌てて首を振って否定する。


あの二人にとって、自分はただの友人に過ぎないのだから。

――何かがおかしいと感じたのは、哩が受験シーズンに突入してから。


京太郎と哩の距離感が、何だか離れているように感じる。

普通に考えれば当たり前ではあるが、彼の表情にどこか後ろめたさのようなものが見えるのだ。


「……気のせい、ですよね?」


彼女の哩が何も言わないのだから――第三者の自分がどうこう言うものではない。

煌は、喉元にまで出掛かった答えを無理矢理に飲み込んだ。

「ん、京太郎……♥」


「ぶちょーは、こぎゃんこと、してくれなか……?」


「あはぁ……♥」



「よか、よ?」




「全部、私にぶつけて……♥」

扉の隙間から、絡み合う二人を見た時――煌は、自分の中で何かが冷たくなっていくのを感じた。

二人を糾弾するのでもなく。

哩を哀れに思うのでもなく。


「なるほど……」


「そういう、ことでしたか」


ただ、自分を満たす為だけの行動。

煌は、静かにポケットに手を伸ばした。

ある日の部活が終わった後。


「先輩、話って何ですか?」

「はい。それはですね」


自分の部屋に招いた彼をソファに座らせて、煌はポケットから携帯を取り出した。

今から、彼に見せるモノ。

果たして、彼はどんな顔を見せてくれるだろうか。


「これを、見てもらいたいんですけど――」


煌は、いつも通りの笑顔を浮かべる。

その裏に隠れているものは、何もない。






「寝坊助さんだなぁ、相変わらず」


白い病室で、安らかな寝息を立てる少年。

触ると温かくて、微かに反応もある。

それでも、彼は目覚めない。


「はやく起きてよ……みんな、待ってるよ?」


三年前。

一が待ち合わせに遅れたあの日。

雑踏の中で、何もかもが壊れたあの日。


「もう……おばあちゃんに、なっちゃうよ?」


彼は一体、どんな夢を見ているんだろう。

触れても声をかけても、目は開かない。


まるで、彼だけ時が止まったかのように。

誰かが望んだ永遠の中に、閉じ込められているみたいだ。





「あれ……?」


いつものように見舞いを終えて。

屋敷へ帰ろうと病室から出た一は、廊下で懐かしい顔とすれ違った。


「ともきー、来てたんだ」

「……久しぶり」


彼が事故で意識不明になってから、龍門渕から出て行ってしまった彼女。

連絡も取れなかったから、こうして顔を見合わせるのは随分と久しぶりだった。


「……その子は?」


一が指差したのは、彼女が胸に抱く赤ん坊。

金髪の女の子だろうか。智紀の胸の中で、スヤスヤと眠っている。


「……」

「……ともきー?」


彼女は、その問いに答えない。

何度か宙に視線を彷徨わせて、小さく口を開く。


「……見舞いが、あるから」

「あ、うん……」


突き放すような口調。

かつての親友とは思えない冷たさに少しだけ戸惑って、一は道を開ける。


「……またね、ともきー」


背中に投げかけた挨拶に、答えは返ってこなかった。








「須賀くんは……こういうのが、好きなんですか?」


引っ越した先で友達を初めて家に上げたら、机の上に積まれた好きなアイドルのグラビア写真集。

それは、ちょっとした母のお節介。

そんなん考慮しとらんよ、と泣きたくなった。


「ま、まぁ……」

「好き、なんですね」


じぃっと、目力の強い瞳に見つめられる。

思わず目を逸らした先には、ニッコリ微笑む牌のおねさん(28)

何一つやましいことはしてないのに、崖っぷちに追い詰められている気分。


――ピンポーン。


「あ、ちょっと出て来る!」


そんな時に、差し伸べられた救いの手。

鳴り響いたインターホンの音はさながら蜘蛛の糸。

由暉子の視線から逃れるように、京太郎は玄関へと駆け出した。

だが、残念なことに。


「あは、来ちゃった♪」


蜘蛛の糸とは、切れるものである。

ドアを開けた先に立つ牌のおねさん。

半端ないスタイルと可愛いらしい笑顔。

(28)と付けるとちょっとキツイものがあるが、それは些細な問題である。


「は、はやりさん……?」

「うん。あなたのはやりだよー」


彼女と知り合ったのは全国大会の帰りに、東京を観光していた時のこと。

電車の中ではやりとトラブルを起こしてしまい、それから紆余曲折あって麻雀の特別教師をやってもらっているのだが。


「な、どうして?」

「お仕事で北海道に来たから!」


所謂ロケというヤツらしい。

兎に角、この寒空の下わざわざ足を運んでもらったわけであるからお茶の一杯でも出したいところだが――


「……牌の、おねえさん?」


今は。

少し、タイミングが悪い。



どデカイ。


「決勝戦、見てたよ。惜しかったね」

「いえ。全力を出した結果ですから……ただ、次は勝ちます」


机を挟んで対面する由暉子とはやり。

その二人を見比べた京太郎が真っ先に浮かべた感想は、その一言に尽きる。


「……それで」


由暉子の視線が、京太郎を捉える。

それだけで、だらしなくニヤけていた頬は引き締められた。


「どうして、瑞原プロがここに?」

「運命の人だもん。当たり前だよ」

「運命の、人……?」

「そう」


「だって――はやりのここ、思いっきり滅茶苦茶にされちゃったから☆」


――由暉子から、何かヒビ割れたような音が聞こえた。

言い方というものがあるが――はやりの言葉は、事実である。

電車内ではやりの胸を鷲掴みにしたことは確かで、今でもあの感触を思い出すと頬がニヤける――ではなく。


「本当ですか、須賀くん?」

「……はい」


思わず、敬語。

怒るとはまた違うが、由暉子から鬼気迫るものを感じる。


「なら、私も」


由暉子は、すくっと立ち上がって。


「ゆ、ユキ?」

「これで――運命の人、ですね」


有無を言わせず――思いっきり、京太郎を押し倒した。





「ゆ、ユキ……?」


返答はなし。

だが、マズイ。

由暉子の目は燃えている。


「ふーん?」


はやりは面白そうにこちらを観察している――かと思えば、その視線は机の上に注がれている。

蕩けるような微笑みだ。自分のグラビア写真集がそんなに嬉しいのか。

それとも由暉子など眼中にないのか。


「こっちを、見てください」


頬に手を添えられて、強制的に由暉子を注目させられる。

童顔であるが、可愛らしく整った顔。

揺杏たちにプロデュースされた可愛さが、今は全て京太郎に向けられていた。

しかし。

運命の女神は、京太郎を見捨てなかった。


「……あ」


ポケットから鳴る携帯の着信音。

由暉子の動きが止まった瞬間。

京太郎はその隙を逃さず、由暉子を退かして立ち上がった。


「ご、ごめん! 大事な用だから!」


基本的にヘタレでありながら、いざという時の行動力はある。

それをこちらに向けてくれればいいのに――と、由暉子は自分の胸な目線を落とした。





『むぅ、ちょっと遅くない?』


慌てて電話に出ると、スピーカーの向こうから不満気な声。


「ごめん、ちょっと友達とさ……それで、何の用?」

『特に用は……不味かった?』


電話の相手は、佐々乃いちご。

ちゃちゃのんの愛称で知られる女子高生雀士。

そして――


「いや、大丈夫。むしろ凄く助かった」

『ほ……』

「それに、不味いことなんてないよ。だって」


「大好きな人の声って、いつでも聞いていたいし」



京太郎の、遠距離恋愛の相手である。



















「京太郎の望みってさ」


「部員のみんなと、仲良くすることでしょ?」


「じゃあ」


「部員じゃない人は、どうでもいいよね」







姉帯豊音、昔は一人ぼっちだった。

詳しい事情は聞いてないけど――トシは、そう言っていた。

だから、宮守に来れて麻雀部に新しい友達が出来たことは凄く嬉しかった筈なのに。


「~♪」


横目で、鼻歌を口ずさむ豊音を見る。

上機嫌なように見えるけれど、全国大会に参加する前は他の部員を睨み付けていた。

自分の宝物を汚されて怒る、子どものように。


「……先輩」

「んー?」

「先輩は――部員のみんなのことは、どう思っているんですか?」




「……ぽぽぽぽ」

「え?」


背筋を冷たくするような、奇妙な笑い声。

それが目の前の先輩の口から零れたものだとは信じたくなくて、京太郎は、瞬きを繰り返した。


「……あ、うん。ごめん」

「せん、ぱい?」

「ちょっと、考え事しちゃって……気味、悪かったよね」

「いや、そんなことは」

「嘘だよ」


「今にも逃げそうだもん。京太郎くん」


豊音の赤い瞳が、覗き込んでくる。

それは、いつか夢の中で見たものに、よく似ていた。





「まー……逃げたら、おっかけちゃうけどー」


困ったように、豊音は笑う。


「そしたら、部員のみんなとか、どうでもよくなっちゃうだろうなぁ」

「……」


「でも」


「京太郎くんがずーっといてくれるなら……どうだろうなぁ」




「…何ですかそれ?」

「ん?」

「結局、部員のみんなのことは……どう思ってるんですか」


豊音は、自分の顎を人差し指でなぞった。

どうでもいいことを深く聞かれた時のような、困り顔。


「正直言うとさー……許したくないんだけど。色んな意味で」

「……」

「でもー……もっと許したくない人が、いるんだよね」

「……そう、なんですか?」

「うん」


「だから、今は」


「京太郎くんが側にいてくれるなら、どうでもいいかなーって」

「だからね、京太郎くん」


「私が卒業したら、一緒に故郷に来てくれるよね?」


「卒業しちゃったら、今よりも二人の時間は減っちゃうし……」


「来年にまた、変な子が来ちゃうかもだし……」


「私の故郷なら、そんな心配はないからー」


「うん」



「ちょっと、田舎だけど」


「二人一緒なら、何が無くたって大丈夫だもんね!」





小瀬川白望は、常に気怠げな表情を浮かべてはいるけれど――実のところ、周りのことはよく見ている。


「……ダルい」


言い寄られる彼を見る度に、浮かび上がる気持ちに蓋をして。

やろうと思えば出来ることを――彼が悲しむからと、やらないことにした。


「……」


彼が取られたら、嫌だ。

でも、彼を悲しませるのも面倒だ。


「ダルい……」


口癖を呟きながら、廊下を歩く彼女は――



「あれは……」


軽い目眩がして、立ち止まる。

壁に寄りかかって、ふと見た廊下の先。


「塞と……京太郎?」


特徴的な赤髪と、背の高い金髪の男子。

見間違いようもない。

麻雀部の部長と、唯一の後輩だ。


「……」


胸騒ぎと、頭痛がした。

二人は一緒に、教室に入っていく。


「……資料室、か」



白望は――


「……」


そのまま、動かずにじっと見ていた。

二人が出て来るまで、ずっと。


「……」


どれくらいか、時間が経って。

京太郎が塞よりも先に、資料室から出て来た。

少し、汗をかいているように見える。


「……京太郎」

「うわっ」


近付いて、背中から声をかけると、肩が跳ねた。

何かを恐れる、子供のように。




「し、シロ先輩……」

「塞と、何をしてたの?」


――二人っきりで。


「それは……」

「それは?」


――汗を、流して。


「む、昔の資料を……先生に頼まれて」

「……資料、ね」


――すぐに、答えられないこと?


「わかった……よ」


迷いが、さらに深くなったような気がした。






部活が終わって下校途中――京太郎は、ポケットの中に財布が無いことに気が付いた。

鞄の中を漁っても出て来ない。

思い当たるとすれば、部室だけ。


「やっべ……」


忘れたとすれば、学校が閉まる前に取りに戻らなければならない。

京太郎は駆け足で学校への道を戻っていった。

「……あった」


息を切らしながら探した財布は、机の下に落ちていた。

安心の溜息を漏らし、屈みこんで財布を拾う。


「ん……?」


他に何か忘れ物は無いかと見渡した視線の先。

椅子に無造作に置いてあるスケッチブック。

恐らくはコレも忘れ物だろう。誰のものかは直ぐに想像がついた。


「……うわ」


手に取ってページを捲ると――そこに描かれているのは、自分の横顔ばかり。

半ば予想通りだが、中々にショッキングなものである。


「ん……これは」


指が捲った、一番新しいページ。

そこに描かれているのは、京太郎を含めた宮守の部員全員のイラスト。

デフォルメされているが、全員が可愛らしい微笑みを浮かべている。

「俺だけじゃないんだよな……」


また、みんなで仲良くしたいって思っている。

それは、このイラストを描いた先輩も同じ気持ちの筈。

イラストに添えられている英文は、文字が走書きで原型がわからないレベルで崩れているために理解できないが。


「ア……!」

「あ」


イラストに頬を緩ませていると、焦った女の子の声。

声の方に顔を向けると、部室の入口にイラストの作者が頬を赤くして立っていた、


「先輩、忘れ物ですよ」

「ウゥ……」


スケッチブックを差し出すと、その持ち主――エイスリンは、恥ずかしそうに俯きながら受け取った。

その顔は、火が出そうな程に赤い。



「また、みんなで仲良くしたいですね」

「……?」


苦笑しながらそう言うと――エイスリンは、首を傾げた。

いつものような天使の微笑みが見られると思っていた京太郎は、その反応が腑に落ちない。


「ミンナ……?」

「ええ、はい……そうですけど」


何か――自分と、エイスリンの間ですれ違いが起きている。


「おや、まだ残ってたのかい?」


京太郎が疑問を口に出そうとした瞬間に、顧問の注意する声。

日も沈み、暗くなっている外。

生徒が残るには遅過ぎる時間。


「すいません、すぐに帰ります」

「……ゴメンナサイ」

「しっかりとエイスリンを送っていってやりな。何かあったら大変だからね」



帰り道を、エイスリンと並んで二人で歩く。

さっきの変な雰囲気のせいか、会話はない。

やがて、二人の帰り道が別れる十字路へと差し掛かった。


「先輩、それじゃ。これで……」

「……」

「……先輩?」


「キョウタロー、ハ」

「はい?」

「ワタシノ、イエニ……キテ、クレル?」



「今からですか?」


じきに、完全に日が沈む。

先輩の家を訪ねるには、少し遅い時間。

そう思って尋ね返すと、エイスリンは、ふるふると首を横に振った。


「……イマカラハ、ムリダカラ」

「無理……ですよね」

「ダカラ……ソツギョウ、シタトキニ」

「卒、業……?」


「ワタシトイッショニ……キテ、クレル?」

「それって……」

「ニュージーランド。ワタシノ、イエ」


エイスリンの瞳は、不安気に揺れていて。

京太郎の答えは――




「……考えさせてくれませんか?」


エイスリンの問いには、今すぐには答えられない。

だから、少し悩んでそう答えると、


「……ジャナカッタ」

「え?……え?」

「イッショノキモチ、ジャナカッタ」

「先輩?」


エイスリンは、酷く傷付いたような顔をして踵を返す。

彼女とのすれ違いの理由がわからないままに、京太郎は彼女の背中を見送った。







シロが、ダルそうに寄りかかってくる。

それは、いつもと変わらない。


「先輩……?」


違っているのは、彼女の仕草。

京太郎の首筋から、匂いを嗅ぐように息を吸っている。






「やっぱり……ダルいや」


京太郎が困惑していても、シロには構い無し。

マイペースなまま、彼女は京太郎の体温を満喫している。


「あの、シロ先輩……?」


以前、塞と致した直後にシロと出くわした時は冷や汗を流した。

それからずっと、彼女とは気まずい空気で。

今回は、そのことについて追求されると思っていたが――


「ダルいから……何も、言わないで」

「はぁ……」


何かが起こることも、なく。

ただ、いつものようにシロと京太郎は部室へと向かった。


「そういえばさ」


食堂でレディースランチを口に運んでいる時。

対面に座る胡桃が、指で髪先を弄りながら話を切り出した。


「京太郎は、清澄の大将と知り合いなんだよね」

「はい」

「じゃあさ、実は千里山のヤツらとも――ごめん、何でもない」


千里山、という言葉を聞いて浮かぶあの二人。

それは京太郎のトラウマそのもので、顔色が変わった様子を見て、慌てて胡桃は謝罪を口にした。


「昔の知り合いでもなんでもないんだ……」



「……また、あの二人みたいなのがいるかもしれないんだよね」

「縁起でもないこと言わないでくださいよ」


道を歩いているだけで、あんな体験を繰り返す。

そんなオカルトはあり得ないし、あってはならない。


「しっかりと私が守らなきゃ……」


両手をぐっと握り締めて、やる気満々の胡桃。

頼もしいが、危険なマネは避けてほしいところだ。


「俺の居場所はここですから。大丈夫ですよ」


また、あんなのがいたとしても――みんながいるこの場所。

この居場所にさえいれば、きっと大丈夫だろう。


「……そもそも、知らない相手に付いてっちゃった京太郎も悪いもんねぇ」


だが、帰ってきたのはジト目と小言。


「うっ……」

「大体、あの時も京太郎は宮守の部員なのに他校の生徒と――」


そして始まるお説教。

長々と開始されたそれに、京太郎の身は縮まる。

そんな京太郎とは対照的に、胡桃の説教はますます勢いを増していく。


――転げ落ちた錆びた釘は、誰の目にも止まることなく、机の陰へと消えていった。



「みんな?……そっか。そうだった」

「『みんな』がいるもんね」









久「アポトキシン熱……ねぇ?」


ベッドですやすやと眠る少年。
金髪の幼い寝顔は5~6才くらいだろうか。


久「まっさか須賀くんが小さくなっちゃうなんてねー……人生ってわかんないわ、ホント」


指で小さなほっぺたを突いてみる。
子どもらしいプニプニした感触が楽しい。


久「お医者さんは一週間くらいで戻るって言ってたけど……お」

「ん……ぅ……?」


モゾモゾと身じろぎする小さな体。
やがて、目を擦りながら彼が目を覚ました。


久「おはよう、須賀くん。気分は――」


――そして。


「……おねーちゃん、誰?」

久「――え?」



その無垢な顔を見た瞬間から、彼女の須賀京太郎育成計画は幕を上げたのだった――。










「……寒っ」


唐突に感じた寒気。

風邪でも引いたのだろうかと一瞬思ったが、体の調子は悪くない。



彼女を抱くのは、これで何度目か。

罪悪感も背徳感も、今は感じない。

塞に乞われると、何も断れなくなってしまう。


「いい子だね。京太郎は」


彼女の胸に、頭を抱かれる。

温かさと、彼女の匂いが心の中を満たした。


「京太郎は、さ」


「まだ、部のみんなで仲良くしたいって」



「そう、思ってる?」



「まだ、みんなと……」


彼女の温もりに全てを包まれながら。

これを誰かに見られてしまったら、全てが崩れてしまうことも理解して。


「……それ、矛盾してない?」

「……でも」


それでもまだ、部のみんなで、仲良くしたい気持ちはある。


「ふーん?」


塞は、クスりと笑って――



「だったら……部員のみんなが消えたら、君はどうなっちゃうのかな?」

「え……?」


塞の言っていることが、理解できない。

みんなが、消える――?


「あは、冗談だよ。そんな顔しないで」




「でも」


「難しいのも、いるからなぁ」


「もしかしたら、退部してもらっちゃうかも――なんてね」


塞は、ずっと。

その小さな微笑みを、崩さなかった。






『イッショノキモチ、ジャナカッタ』


あの日から。

ずっと、エイスリンの顔は暗いままだ。


「先輩?」

「……ン」


呼びかけても、微かに頷くだけ。

いつものような笑顔は、見せてくれない。

きっかけがあるとすれば――どう考えても、あの時のことだろう。


「聞きたいことが、あるんです」

「……」

「一緒の気持ちじゃなかった……って。どういう、ことですか?」

「……」


「また、みんなで仲良くしたいって思ってたのは――俺だけだったんですか?」

「俺、嬉しかったんですよ。全国大会で優勝した時」

「……」

「みんなで優勝旗、持って。笑顔で」

「……」

「先輩のイラストも、そんなので……字は、読めなかったけど」

「……」

「……先輩!」





「先輩」


エイスリンの肩が、ビクリと跳ねた。

彼女は顔を上げないまま。

京太郎の質問に答えないまま。

踵を返して、走り出した。


「あ……!」


伸ばした手は、空しく宙を掴む。

小さな背中は、あの日の十字路の向こうへ消えていく。








「――!」


嫌な想像が脳裏を過ぎる。

突き動かされるように駆け出し、十字路を曲がった先。


「あ……」


ボロボロになった、スケッチブック。

それだけが、道の真ん中に残されていて。


「……良かった」


走り去っていく金髪の後ろ姿には、傷一つないように見えた。



滅多に車の通らない道だから。

交通事故なんて、起こらないものだと思っていた。

実際、エイスリンもギリギリのところで事故にならずに済んだ。


だから。


秋の大会に向かう途中に、みんなで乗ったバスで交通事故が起きるなんて。

考えも、してなかった。



居場所は、消えた。

塞も、部員のみんなもいなくなった。


「……キョウタロー」


たった二人。

京太郎と、エイスリンだけを、残して。


「イッショニ……イテ?」


小さな身体が、震えている。

それは、京太郎も同じで。

縋り付くように――京太郎は、エイスリンを抱き締めた。


二人の瞳から、涙が零れ落ちた。







身体の傷も、心の傷も、時間の流れが癒してくれる。

それが一人じゃなくて二人なら、もっと早い。

二人だけなら、尚更。



「……あ」


棚の奥から出てきた、古いスケッチブック。

タイヤに轢かれて、更に時間の経過でボロボロになってしまっているソレ。


「……コレ」


高校時代に、エイスリンが持ち歩いていたスケッチブック。

みんなが描かれていたページは、京太郎とエイスリンだけが無傷で、他のみんなが描かれている部分は破けてしまっていた。


「ゴハン。デキタヨ!」

「わかった。すぐにいくよ」


彼女の呼ぶ声に応えて、スケッチブックを机に置く。

机の上で、開かれたままのページ。




それは、かつて――京太郎が目指した未来が、描かれたページだった。





【理想の未来】








朝――板張りの廊下を歩いていると、どことなく物足りなさを感じる。

一種の寂しさのようなそれに首を傾げても、理由は思い当たらない。


「……ま、気のせいかな」


今はそれよりも、この空腹感を片付ける方が先だろう。

京太郎は鳴り続ける腹の虫に従って、みんなが待つ食卓へと向かった。

隣に小蒔と春。

向かい側に霞と巴。


「うーん……?」


いつも通りの朝の食卓。

そこに、何も違和感は無いはずだが――


「どうかした?」

「いや、誰か足りないような気がしてさー」


朝から続く違和感は、朝食を口にしても収まらない。

むしろ、強くなったような気がする。


「気のせいじゃないかしら?」

「そっか。そうですかね……?」

「ええ。勿論」



「……」




胸に引っかかる何かの正体を思い出せないままに、学校へ。

そのまま、授業にも今一集中できず――気が付いたら、放課後になっていた。




「気のせい……って言われたけどなぁ」


ここまで尾を引くのは――何か、おかしいような気がする。

しかし、いくら記憶の糸を手繰り寄せても思い出せるものは何もない。


「なんだろう……」


何か、良い方法はあるだろうか――?



「屋敷の中を歩き回ってみるか」


そうと決まれば善は急げ。

京太郎は早足に、屋敷へと戻っていった。






うろうろと歩き回っても、何も見付からない。

似たような廊下の景色、ここに来て日の浅い京太郎には区別がつかない。


「前にもこうやって迷ったような気がするんだけどなぁ……?」


歩けども歩けども、迷いはさらに深まるばかり。

答えは、どこにも見付からなかった。



「いっしょに学校、行きましょうか!」


京太郎の隣に並んで登校する小蒔。

学校では放課後にならないと会えない彼女は、こういった時に積極的にアプローチしてくる。

その胸に踊る立派な二つの塊は、いつ見ても色んな意味で目に優しくない。


「ん、行きますか……」

「? どうしました?」


不自然に目線を逸らした京太郎を、不思議そうに小蒔は見上げる。

変なところで鋭い彼女だが――



邪な気持ちを何とか誤魔化しつつ――京太郎は、ふと思いついたことを口にした。


「少し前の朝はもっと賑やかだった気がするんです」

「賑やか?」

「何つーか……今よりも、もっとガキっぽかったっていうか。上手く言えないけど――」


「それは――」





「ちっちゃい頃の思い出、ですね!」

「思い、出……?」

「はい!」


まだ自分が、本当に小さかった頃――ここで、小蒔と毎日のように遊んでいたらしい。

イタズラをして怒られたり、一緒に川遊びをしたり。

小蒔曰く、感じる物足りなさはそういった幼い日の思い出が原因らしい。


「つまり、また一緒に私と遊びましょう! 思いっきり!」

「お、思いっきり?」

「はい! 子どもの時みたいに!」

「ええと……イタズラとかしたり、ですか?」

「ええ! 寝てる霞ちゃんにラクガキしたり――」




「なるほど、それは楽しそうね?」

あ、と口から声が出た時にはもう遅い。


「イタズラなんてする子には……お仕置きしなきゃねえ?」

「お、お仕置……!?」

「ふふ……小蒔ちゃんには後で言っておくにして。京太郎くん」

「は、はい」


条件反射的に背筋が伸びる。

本能が、この人には逆らうなと告げていた。


「何か気になることがあるなら、色々やってみるのもいいと思うわよ?」

「色々?」

「そう。例えば麻雀部――とか、ね」

「麻雀部……」


確かに、学校と屋敷を往復する日々よりはそっちの方が何か新しい発見があるかもしれない。

京太郎は頷きながら――霞に引き摺られていく小蒔に両手を合わせた。


「はい、どうぞ」


一休みしようと背伸びをした瞬間、傍に置かれた湯呑み。

完璧なタイミングである。


「あ、ありがとうございます!」

「おかわりもあるから」


鼻の下を伸ばしながら湯呑みを受け取る。

渋谷尭深という先輩は、京太郎にとって理想の女子だった。

可愛らしいスタイルであり、気配りもできる。


「ふふっ」


さらに、その仕草の尽くがツボを押さえているものだから――もう、骨抜きにされるしかない。

「ふあ……」


気が緩むと欠伸が出てくる。

涙で視界が滲む京太郎に、尭深は微笑みかけた。


「ちょっと、休む?」


自分の膝をぽんぽん、と叩く尭深。

男なら誰しもが憧れる魅惑の枕に、京太郎が抗えるはずもなく。


「おやすみなさい」


頭を撫でる指の気持ちよさを味わいながら、京太郎は目を閉じる。

幸せで満たされたこの状況を、疑問に思うことなく。

部屋にずっと二人っきりという状況を、当たり前だと考えて。


「いらないものは――全部、間引いたから」


京太郎は、深い眠りに落ちていく。






その日、宥の目覚ましとなったのは彼の優しい声ではなかった。


「う……ぅ……」


全身を滴る冷水と、纏わり付く氷の欠片は容赦なく宥を攻め立てる。

濡れた布団や寝巻きが震える宥の身体に張り付く。


「く、玄ちゃん……?」


だが、宥の心を深く抉るのは、何よりも冷たい妹の目線。

震えて蹲る宥を、玄は怒りを込めて見下す。


「昨日……寝てるフリして、京太郎くんにキスしてたでしょ、おねーちゃん」

「ぅ……う……」

「私がお掃除とか、色々やってる時。京太郎くんにおんぶされてさ」


玄は、宥を実の姉として見ていない。

一人の女として、一人の敵として。

目の前の女を、罵る。


「何も、できないクセに」

「ち、ちが……」

「私が、私たちが、京太郎くんがいなきゃ……何も、できないクセに」


言葉の一つ一つが、宥の胸の内を抉る。

甘えていた自分を、丸裸にされる。


「そんなおねーちゃんは、ずっとこうして震えてればいいの」


「自分が迷惑しか、かけられないんだって」



「ずっと、ずーっと、震えてればいいんだよ」



髪先から滴り落ちた雫が、畳に吸い込まれて消えた。






両親は旅行中。

目覚ましはセットし忘れた。

モーニングコールなんてものはない。

だというのに、京太郎が遅刻もせずいつも通りの時間に投稿できているのは――


「……なあ、ハオ?」

「はい?」

「何で……さっきから、俺の後ろをついてんの?」


何故か、目覚めた時にハオが全ての準備を済ませていたからだ。

食事から着替えから、何から何までを。


「日本ではこういう時……三歩後を歩くものではないのですか?」

「いや、落ち着かないから」

「……わかりました、あなた」


帰って来るのは、どこかズレた返答ばかり。

周囲の好奇の目線が少し痛い。

――なんだ、この空気。


「むー……」

「ふ……」


睨み合うハオとネリー。

きっかけは、いつも通りにネリーが京太郎の膝を陣取ろうとしたこと。

が、背後に控えていたハオがネリーを退かして一言。


『私は、妾など認めるつもりはありません』


一瞬にして着火された導火線。

火花を散らす二人に、京太郎はどう言葉を投げかけたものかわからない。

互いに膠着している間に、時間は進み――


「あー、二人とも……何を、しているんだ?」

「喧嘩、ですか?」


火に注がれる油が、到着した。


「夫の不倫現場を見逃すことは、できませんから」

「……夫?」

「不倫……?」


最早――京太郎にできることは、祈ることだけである。











廊下の奥から聞こえてくる足音。

背後から段々と近付いてくるそれの正体には、既に勘付いてるが――


「きょーたろー!!」


背中への軽い衝撃と、広がる長い金髪。

声を聞かずとも、この相手が誰なのか、京太郎には既にわかっている。

最近やたらと成長してきたおもちに、どう反応をするべきか迷う相手。


「……お前、なぁ」

「なーにー?」


この高校100年生、どういうわけかすっかり京太郎に懐いてしまった。

同じ金髪同士で通じるものがあったのか、それとも単なる気まぐれか。

所構わずベタベタされては、健全な青少年であることを自負する京太郎の心臓に悪い。


「何とも、思わないのか?」


主に、周りの目線とか。

そう問いかけても背中の淡はどこ吹く風。


「なにかあるのー?」

「いや……まぁ、いいや」


なんだかんだで役得であるし――と、京太郎は背中の感触を楽しむことにした。



だが――そんなウィン・ウィンの関係は長く続かない。


「……来たか」


部室の戸を開けた途端にキツい空気が突き刺さる。

部長の弘世菫を始めとして、チーム虎姫のメンバーが鋭い視線をぶつけてくる。


「れ、練習始めますか」

「……そうだな。淡、さっさと降りろ」

「はいはーい」


実のところ、その視線は淡に向けられたものであるが――二人は、気付かない。

京太郎は、実力を共わない自分が、大将である淡とベタベタしていることが彼女たちの癇に障っているものだと考えている。

淡は、京太郎以外のものは全てがどうでもいい為に、気付けない。


「そ、それじゃ……またな」

「ん! 待っててねー!」


淡は大事な友達だから。

京太郎は大好きな男の子だから。

だから、彼女たちは気付かない。


彼と彼女が結ばれるその日まで――全てが手遅れだということに、気付けなかった。










「私もなぁ、ホントはこんなこと言いとうないんよ~?」


末原恭子の成績が前回よりも落ちたのは、不純異性交友のせいである。

学校側はそう判断しかけていると、郁乃は言った。


「でもなぁ、客観的に見たら――そう判断しちゃうのも分かるしなぁ」

「そんな……」


暗に、自分のせいであると。

頑張っていた彼女の足を、自分が引っ張ってしまったと――京太郎は、俯いて拳を握り締めた。


「ああ、そんな顔せんでな? 末原ちゃんも京ちゃんも、可愛い教え子なんやから」

「なら……」

「うん。まぁ、結局現場で見てる私の言葉が一番通りやすいから」


「末原ちゃんも、京ちゃんも」



「み~んなが、幸せになれる方法」



「私の言う通りにすれば――ぜぇんぶ、上手くいくからなぁ」


郁乃が、肩に手を置いて微笑みかける。

京太郎は彼女の言葉に、必死に耳を傾けた。

全ては、恭子の為に。


「ん、それはな~?」


そんな彼を見て――郁乃は、今までで一番の微笑みを浮かべた。







「あの子が……あの子が、悪かったんです……!」


長い前髪の間から溢れる涙は、彼女の激情を表している。

普段の彼女なら――人のことを、悪く言ったりはしない。

それを知っているだけに、揺杏たちは言葉が出ない。


「でも……やっぱり、どんな理由があっても。人殺しなんて、駄目に決まってるだろ」


部外者だからこそ、京太郎は深く踏み込むことができる。

泣き崩れる彼女に、彼はゆっくりと近付いて。

その小さな肩に、手を置いた。


「話は……後で。今は――」

「う、うああぁぁああああ……!!」


胸元に染み込む涙を、京太郎は黙って抱きとめる。

幼子をあやすように、その頭を撫でてやる。

彼女が落ち着くまで、ずっと。



「これで、一件落着か……」


深い溜息は――誰にも、受け止められなかった。

「ハイカットー。オッケー、いい画が撮れた!」

「別にカメラを回してるわけじゃないでしょうに」


爽の一言と誓子の苦笑で、場の雰囲気が一変する。

無理して重っ苦しい表情を作っていた京太郎と成香は、息苦しそうに深く呼吸をした。


「ホント、何部なんでしょうねココ」

「あはは……」

「まぁまぁ。やってみたら意外と楽しいっしょ?」


文化祭の出し物――揺杏の提案により決まった、有珠山サスペンス劇場。

苦笑しながらも、なんだかんだで迫真の演技に身を入れる京太郎と成香であるが――そこに、不満気な顔をした部員が一人。


「やっぱり……納得、いきません」

「おー? ユキは不満? 珍しくほっぺでお餅焼いてら」

「ええ。クライマックスは同学年同士でやるべきです。その方が須賀君も演じやすい筈ですから」

「しょーがないって。クジ引きで決まったんだからさ」


痴情の縺れで刺される役・由暉子。

刺す愛人役・成香。

京太郎は由暉子の彼氏役と刑事役の一人二役である。


揺杏や爽、誓子はその他諸々の友人役や警察役を演じることになっている。


「じゃ、リハーサルはこんなんで! 本番もよろしく!」


おー!と、約一名を除いてやる気満々な有珠山麻雀部員たち。

ある意味で――全国大会を目指した時以上の団結を見せていた。



「んん……」

「お疲れさまです」

「あ、先輩もお疲れさまです」


帰り道――伸びをしながら帰宅する京太郎に、声をかける成香。

京太郎は肩をグリグリと回しながら振り向いた。


「にしても先輩の演技、凄いですね。俺が観客だったら見入っちゃいますよ」

「須賀くんも凄いですよ! とってもいい声で……惚れ直しちゃいました!」

「はは、光栄っす」


キラキラ輝く瞳で見つめてくる成香がこそばゆくて、京太郎は頬をかきながらそっぽを向く。


「でも、やっぱ先輩には負けちゃいますよ。なんつーか……演技だとは思えない、というか」

「そう……ですか?」

「はい。まるで本人そのものというか――ああ! 別に先輩が人を刺しそうだとか、そんな意味じゃないっすよ!?」

「あは、わかってますよ」



「でも、きっとそれは――」


――私が、この役の子に、自分を重ねているからでしょうね。

それが、何を意味するのか。

問い質そうとした時に、由暉子からの電話がかかってきて。


何で――成香がそんなに嬉しそうなのか、それは最後まで知ることはできなかった。



――後日。


爽「あー、ダメだし食らっちったアレ」

揺杏「……マジ?」

誓子「まぁ、一応ミッション系だし。あんまり過激なのは駄目なんでしょうね」

成香「ほっとしたような……残念なような」


爽「また一から考え直しかー……京太郎、ホストでもする?」

京太郎「うぇっ!?」

揺杏「声は良いしパッと見イケメンだから……仕込めば案外イケるかも!」

由暉子「……アリですね」

成香「……すてき、かも」



誓子「……またダメ出し食らうのがオチでしょうに」ハァ


有珠山高校は、今日も平和だった。







全国大会を終えてから――どうにも、部がピリピリしているように感じる。


「須賀くん……今までごめんなさいね。これからは、ちゃんと私が――」

「部長……いえ、竹井先輩は進路のことで忙しいでしょう? 気を使わなくて結構ですよ」


久と和が、睨み合う。

それは京太郎の勘違いでも、何でもない。

あからさまな敵意を持って、二人は会話をしていた。


「京太郎、タコスパワーが尽きそうだじぇ……」

「お、おぅ。わかった、ちょっと待って――」

「優希ちゃん、たまには自分の足を動かしたら? ブクブクに太ったら気持ち悪いよ?」

「そうじゃな、ちと京太郎に甘え過ぎじゃ」


その矛先が京太郎に向かうことはないが――飛び散る火花は、確かに感じている。

練習で以前より親密に教えてもらっても、居心地の悪さは感じている。

これならまだ、雑用に従事していた頃の方がマシだった。



――だから。


「須賀くん、話って?」

「俺……部活、辞めようと思って」



久は、少し目を見開いてから――一つ、咳払いをした。

彼女がこうして動揺する姿を見るのは、卓の外では始めてかもしれない。


「……どうして?」

「いや……その、少し。部に居づらいって思って」


刺々しい雰囲気の中で、練習を続けるのは難しい。

誤魔化そうかと思ったけれど、京太郎は正直に打ち明けることにした。


「……部活を辞めた後は、どうするの?」

「特に考えて無いんですけど……バイトとかしようかな」

「……」

「すいません、折角先輩に誘ってもらったのに」


京太郎が最初に打ち明けた相手が久だった理由は、彼女に誘われて入部したからだ。

麻雀の楽しさを深く知る前に退部するのは勿体ないと思うし、申し訳ないとも思うが、もう決めたことだ。


「……それじゃあ、今からみんなにも。話してきます」


深く礼をして、教室を後にする。

――何か、物を強く叩き付けた音が聞こえた気がした。

「あなたの、せいよ」


「みんなが、悪いんだ」


「あなたたちが、悪いんですよ」


「お前らの、せいじゃ」


「絶対に……許さない」



彼がいないなら――この部活に、意味はない。



深夜零時を過ぎた頃。

戸を叩く音がして、京太郎は目を覚ました。


「……なんだ?」


インターホンのチャイムではなく、ノックの音。

気のせいかと思っても、それが繰り返し続くなら見逃すことはできない。


「……」


嫌な予感がする。

京太郎は携帯を片手に持って、ドアの覗き窓から外を除いて――





「ごめんなさい。うまく、ボタン押せなくなっちゃって」





持っていた携帯を取り落とし、絶句する。

とんとん、とドアを叩く音。


「開けて、くれる?」


赤だか黒だか、よくわからない液体で髪を、頬を、制服を、スカートを染めている彼女。

両手首から先は、包帯で巻かれている。


「ねぇ、いるでしょ?」


とんとん、とドアを叩く音。

ドアスコープに何かがかかって、視界が塞がる。


「ねぇってば」


それでも、彼女の声は止まらない。

とんとん、とドアを叩く音。


「ねぇってば」


とんとん、とドアを叩く音。

閉じられたドアの先で続くそれは、いつまでも、耳にこびりついた。





魂の絆で結ばれた二人だからこそ――本気で、憎しみ合う。

雁字搦めの鎖は、最早どうすることもできない。


「部長……」

「姫子……!」


包丁に、ナイフ。

普段ならキッチンで振るわれる刃物でも、平気で人の命を奪うことができる。

それが、相手への殺意を持って振るわれたものなら――当たり前のように。


「あ、ぁ……」


薬で痺れた体では、二人を止めることはできない。

床に転がされた京太郎の心の中を、絶望が満たす。


「く、そ……」


自分が優柔不断でなければ。

早く、彼女たちのどちらかを選んでいれば。

ここまで、彼女たちが、憎しみをぶつけ合うこともなかった。


ただ、赤い結末を、見届けるしかできない。

流れた涙は、頬を伝い――



「なんもかんも、政治が悪い」






二つの刃物は、肉を切り裂くことなく。

まるで、甲虫の角のように鋭く頑強な何かに阻まれて。


「実に――すばらく、ないっ!!」


憎しみの強さがそのまま衝撃となって跳ね返されたかのように、二人の体が吹き飛ばされる。

壁にぶつかって苦しげな呻き声を上げ――哩と姫子は、揃って意識を失った。


「あ……ぇ?」


状況についていけないのは、京太郎である。

某特撮番組、三分間の光の戦士のお面を付けた先輩が、二人の修羅場の間に割って入ったかと思えば。

あっという間に、事態を片付けてしまった。


「これで、この場は大丈夫ですが……所詮、その場凌ぎに過ぎません」

「よっこらせ」

「え、うわ――」


羊のような癖っ毛の先輩に俵担ぎにされる。

薬が効いている体では、碌な抵抗も許されない。


「ヒーロースバラーマンとして……原因となった貴方を、責任を持って私が管理します!」

「は、へ――え?」


――それから。

新道寺において、須賀京太郎の姿を見たものはいない。


「なんもかんも、政治が悪い」


真実を知るのは、一匹の羊だけだ。







華菜は、開いた口が塞がらなかった、


貴子「おー、よしよし♪」

「んー……」


我らが鬼コーチ――久保貴子が、膝に乗せた金髪の小さな男の子にデレッデレになっている。

隣に立つキャップも、驚きで普段は閉じている片目が開かれていた。


美穂子「こ、コーチ……その子は?」

貴子「拾った。ウチで育てる」

華菜「にゃっ!?」

「んー……」

貴子「眠いか? よし、一緒にお昼寝するか」


そのまま男の子を抱き上げて去って行こうとするが――美穂子たちとしては、そういうわけにもいかない。


美穂子「あ、あの。個人戦に向けてのミーティングは……」

貴子「……ふ」


その言葉に振り向いた貴子の表情は――まるで、聖母のような微笑み。

華菜は、背筋から踵までゾワゾワした冷たい何かが走るのを感じた。


貴子「福路……今まで、厳しくあたってすまなかったな」

美穂子「コーチ……?」

貴子「もう、お前に私の言葉は必要ない――お前は、強い」

美穂子「コーチ……!」

華菜「いや、そこ感動するとこじゃないし……」


そうこうしている間に――貴子は、金髪の男の子を抱き上げて行ってしまった。

後に残されたのは、感動で瞳を潤ませる美穂子と、呆れて何も言えない華菜の二人。


華菜「でもあの子……どっかで、見たような?」


突如として現れた男の子。

まさか、その子を巡って全国を巻き起こんだ一大騒動が起こるとは――華菜はまだ、知らない。

なお続かない

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最終更新:2026年01月05日 21:23