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京太郎には、許嫁がいる。



辻垣内智葉。

日本で三番目に強い女子高生雀士であり、辻垣内の一人娘。

そして、京太郎の許嫁――なのだが。


「京太郎。少しだらしなさすぎだ」

「は、はい」


残念ながら京太郎には、その実感がない。

幼いころより一緒に育ってきた京太郎が智葉に抱く感情は家族愛。

厳しいが格好いい姉という認識である。


「よし。行くぞ」


ついて行きたくなる後姿であるが、寄り添って立つイメージが浮かばない。

これでいいのか――と思いながらもどうすることもできない。

今日も、京太郎は智葉に続いて登校する。

がめつい奴だ、と最初は思った。


「キョウタロキョウタロ」

「はいはいなんですかネリーさんや」

「お小遣い」

「ねぇよ」


――ネリーはお金がいるの。

それは彼女の口癖であり、サカルトヴェロという国で育った故の事情と知ってからは、彼女を見る目が少しだけ変わった。

今の会話のやり取りも、お決まりのネタのようなものだ。

今では毎日この会話をしないと調子が出ない。


「……なぁ、京太郎?」

「?」

「ネリーを膝の上に乗せる必要は?」

「?」

「?」

「いや、二人して首を傾げられてもな?」



ネリー・ヴィルサラーゼを一度意識してから、ずっと止まらない。

もっと見ていたい。もっと触れていたい。

そしてそれは、ネリーも同じ。


「……やれやれ」


智葉は、あくまでその関係が友人で終わると信じている。

だから、気付けない。

机の下で、繋がれた手の存在に。


やがて――愛しい相手すら斬り殺したくなるほどの激情を秘めた、自らの胸の内に。


ちょっと金に困ってるんですよ、と。

その一言を零してから、彼の生活は一変した。


「お裾分けなのよー」

「は、はぁ……」


実家の長野を離れて大阪のアパートで一人暮らし。

夜遅くの来客に応じれば、そこには頼れる先輩の姿。

由子が手に持つのは、如何にも高そうなケーキの箱。

断る理由もないので、京太郎は受け取った。


「また来るのよー」

「ど、どうも」



ちょっと、時計が壊れちゃって。

部活の最中に零した一言。


「プレゼントなのよー」

「え?……でも、これ」


差し出されたのは、由子とお揃いの時計。

気軽には受け取れない代物である。


「あ、色が気に食わなかった?」

「いや、そういうわけじゃ」

「大丈夫。ちゃーんとそれも考えて――」


彼女が、カバンをひっくり返す。

瞬く間に玄関に出来た色とりどり時計の山。

針を刻む音が実にうるさい。



「バッチリ用意してあるのよー」



日を追うごとに――段々と、身の回りのものが由子に固められていく。

私服に至っては、下着すら由子からの贈り物である。

流石に気味が悪くなってこっそりと処分したのなら――


「なら、次はもっと良いのがあるのよー」


――もはや、彼に受け取る意外の選択肢はなかった。

ヒモ。

由子に迫られるままの生活を送っていたら、いつの間にやら不本意で不名誉な渾名が付いていた。

実にストレートである。


「今日のお弁当なのよー」


しかし、毎日昼休みに重箱を持って教室を訪れる由子を見ていると否定できない。

もし、ここで彼女を拒んだのなら――それは、あまり考えたくない想像だ。


「たっぷり食べるのよー」

「は、はい……」


数段重ねの重箱より、さらに重い由子の献身。

だがそれも、彼女が卒業すれば終わる。

由子は三年。自分は一年。

彼女が来年に卒業すれば、少なくとも学校では由子に迫られることはないだろう。


「いただきます」


そう考えて、京太郎は今の状況を楽しむことにした。

割り切ってしまえば、このシチュエーションも悪くはない。



そして――いよいよ、待ちに待った由子の卒業式。

先輩たちを送り出して、帰宅した京太郎は――思いっきり拳を突き上げた。


「よっし!」


「あの人もいなくなったことだし……」


「これからは、自由だ……!」


「これからは……そうだ!」


「彼女だ! 彼女を作ろう!」


「普通にデートして普通に映画とか見たりして……」


「そして夜は……へへっ」



「とにかく、思いっきりやってやるっ!!」


「バッチリなのよー」


「……へ?」



――暗転。



京太郎が目を覚ました時――自分が一糸纏わぬ姿で、やけに質の良いシーツと布団に包まれていることに気が付いた。

ボヤける視界を頭を振って払い、部屋の中を見渡す。

それなりの広さを持った、女の子の部屋のようだが――


「おはようなのよー」

「へ――うわっ!?」


横からの声。

何度も聞いたその声に揺さぶられて、思わず跳ね起きそうになったが上手く体が動かない。

全身を異常な気怠さが満たしていた。


「せ、先輩……なんで?」

「デートしたいって、言ったやん?」

「は?」

「だから……お家デート、なのよー」


ぴとり、と由子が身を寄せる。

肌が触れ合う感触から、彼女も京太郎と同じように、何も身につけていないことがわかる。


「京太郎をここまで連れて来たのが夜やったから……ちょっと順番変わっちゃたけど」

「な……ぁ、まさか――」


至る所に、湿った感覚。

状況から想像してしまう、気怠さの原因。

それを裏付けるように――由子は、心の底から幸せそうに微笑んだ。


「うふ……末長く、よろしくお願いしますなのよー」




「パーパ♪」






















放課後。

京太郎は、いつも通り部室に戸を開いた。



一年コンビで二人きり。

ちょっと前まではユキとの間に変な空気が流れていたが、今はいつも通りである。

部活が始まるまでの時間を、彼女は小説を読んで過ごしていた。


「……やっぱなぁ」


こうしてじっとユキの顔を見ていると、改めて彼女の可愛いさを実感する。

ちょっと童顔だけどそれはプラス要素だ。

中学の頃は野暮ったかったのに、揺杏たちのコーディネートは流石だと認めざるを得ない。


「なんですか?」

「あ、いや」


視線を感じとったのか、本から目を上げた由暉子が俺を見上げる。

大きな丸い瞳で俺を見るユキに、俺は――



「ユキが、可愛いと思って」


――正直に、答えた。

なんか軟派な男みたいだが事実である。

爽は打倒はやりんを謳っていたがガチで狙えるんじゃないだろうか。


「……」


俺の返事に、ユキは――



「ごめんなさい。ちょっと失礼します」

「おう」


ユキはいきなり、勢いよく席を立った。

怒らせてしまったかと思ったが、よく考えればユキは割りとハッキリものを言うタイプだ。

何か気に障ったのなら、注意してくるだろう。


「……揺杏たち、遅えなぁ」


ちら、と時計を眺めてみる。

もう直ぐ部活が始まる――筈、なんだが。


「ただいまです」

「おかえり」


ちょっと、の言葉通りユキは直ぐに戻ってきた。

トイレにでも行ったのか、揺杏や爽ならストレートに言っただろうがユキはちゃんとした女の子である。

先輩組が来るまでの時間を、俺は携帯で暇潰しをして待つことにした。


「……」


今度は、ユキが俺の事を見つめていることに気付かずに。











「でも、打倒牌のおねえさんなら――やっぱアレだよな」

「アレ?」


首を傾げる由暉子に、京太郎は雀卓から白牌を一つ摘んだ。

何も書かれていない真っ白なソレ。

ソレを、由暉子の前でしっかりと掲げて見せて――


「そりゃ」

「っ! 文字が!」

「簡単な手品だけどな。よくはやりんがやってたヤツ」


何もない牌に文字を浮かび上がらせる手品。

タネは簡単な摺り替えの手品。手が大きい京太郎にはそこまで難易度の高い技ではない。


「はやりん超えなら、やっぱコレを超える何かを――ってユキ?」


目をキラキラ瞬かせる由暉子。

初めてこの手品を見た時の自分と同じ反応。

京太郎は、ふと口元を緩ませて――


「ユキも、やってみるか?」




ばち、と牌が弾かれる音。

白と中の二つの牌が、京太郎の足元に転がった。


「む」

「まぁ、すぐにはな?」


眉根を寄せる由暉子に、京太郎は苦笑した。

すぐに二つの牌を拾って、彼女の手の平に乗せる。


「コツとか……やりやすい持ち方とか、ありませんか?」

「ん……まぁ」


口で伝えるよりも、実際にやってみた方が早い。

京太郎は白牌の持ち方を教えるために、そっと由暉子の指に触れて――


「あっ……」


彼女の、小さな口から零れた声。

いつもとはまるで違う調子の声に一瞬だけ固まって、すぐに咳払い。

気を取り直して、由暉子へのレクチャーを始めた。


「いいか? コツとしては――」


互いに赤みを帯びた頰を誤魔化しながら。

二人きりの時間は、過ぎていった。






「で、京太郎は誰が好きなんだ?」

「なんだよいきなり」

「なんか最近ユキといい感じだろ」

「……」


確かに。

由暉子を妙に意識してしまうのは否定できないが。


「かと思えば揺杏ともアレだし。成香は――まぁ、いつも通りだけど」

「……」

「ほれほれ、恥ずかしがらずにこのおねーさんに話してみなさい」


口元に手を当てて寄ってくる爽。

最近、誓子にも似たようなことを聞かれた気がするが――3年生の間で流行ってるんだろうか。

京太郎の、返事は――


ニヤニヤした顔は絶妙に可愛いとウザイの中間。

ならば、と京太郎の胸に湧き上がる悪戯心。

一つ咳払いをして、真剣な雰囲気を醸し出す。


「それは……」

「お、マジで言っちゃう感じ?」


あくまで、自然に。

京太郎は無駄に高い演技力で真剣な表情を作り、爽に一歩歩み寄る。


「京太郎?」

「……」

「なんか近くね?」

「それは……」

「それは?」


「爽――お前が、好きだからだよ」




「……マジ?」


爽が、唾を飲み込む。

京太郎は構わず、さらに一歩歩み寄る。


「じ、冗談キツイなー」


爽が一歩後退、合わせて京太郎も一歩前進。

そう広くはない部室、そんなことを繰り返しているうちに――


「……あ」


背後には壁。

京太郎は更に逃げ道を塞ぐように、壁に腕をつく。

あと一歩京太郎が踏み出せば、お互いの距離はゼロになる。


「き、京太郎……?」


雰囲気に流されたのか、爽が目を閉じる。

何を覚悟――または期待しているのか。

京太郎は、そんな彼女の頰を――


「うりゃっ」

「ぐえっ」


思いっきり摘んでやった。

いつも麻雀でボロ負けしている姉貴分への悪戯は大成功。

凄まじい達成感である。





「ベッタベタな手に引っかかったなぁ」

「な、おま――!」


目をパチクリさせて、ようやく真実に気が付いた爽の頰がみるみるうちに赤く染まる。

その表情は怒り――というよりは羞恥。


「すっげーレアなもん見れたわ。写メ撮っとけば――ぐほっ!?」


調子に乗っていたら鳩尾に突き刺さる爽の拳。

その衝撃は、ガタイの差にも関わらず京太郎に痛烈なダメージを与えた。


「……ったく」


蹲る京太郎を見下ろして、爽は胸を撫で下ろした。

高まる鼓動は何のせいか。

浮かんできた思考を気のせいだと振り払い、爽は部活の準備のために自動卓に向かった。


未だ熱の下がらぬ頰を、片手で扇いで。













S「絹ちゃんって結構アブなそうな感じ」

K「確かに。無意識に色々ちょっかい出しそうな」

M「やらかしちゃいそうなのよー」



絹恵「……って言われて」

京太郎「はぁ……」

絹恵「失礼やん? 私、そんなに危なっかしいかなぁ」


京太郎「あの、先輩」

絹恵「うん?」

京太郎「俺、洋榎さんの彼氏なんですけど」

絹恵「知っとるよ? おねーちゃんの惚気話ウザいくらい聞いてるし」

京太郎「……じゃあ、そのチケットは?」

絹恵「USJの。なんか2枚貰ったから」

京太郎「えっと、くれるんですか?」

絹恵「うん。一緒に行けたらなぁ思って」


京太郎「俺、洋榎さんの彼氏なんですけど」

絹恵「だから知っとるけど」

京太郎「……別の人と行くのは」

絹恵「あれ、京太郎USJキライやった?」

京太郎「いや、そういうわけじゃないけど」

絹恵「ならええやん。一緒に行こっ」




京太郎「……確かに、危なっかしいですわ先輩」

絹恵「なんでっ!?」







揺杏「京太郎」

京太郎「よんだ?」

揺杏「うん。呼んでみただけ」

京太郎「そうか」


京太郎「揺杏」

揺杏「なにー?」

京太郎「呼んでみただけ」

揺杏「そ」


揺杏「京太郎きょうたろきょーたろー」

京太郎「揺杏ゆあんゆーあーんー」


揺杏「好き」

京太郎「知ってる」


揺杏「マジ好き」

京太郎「俺も」


揺杏「結婚しよっか」

京太郎「卒業したらな」


揺杏「いえーい」

京太郎「いえい」











「ええと……マジでやるんですか、コレ」

「はい、バッチリですよ。間違いなくあの人こういうの好きだから」


好きな人が出来たんです、と同郷の先輩に相談したところ。

教えて貰ったアドバイスは信じ難いもので。



「須賀? 二人きりで話って」


二つも上の先輩に、今からやること。

もし失敗すれば、きっともう麻雀部にはいられない――が。


「須――が?」


無言で、力強く哩に迫る。

強気であればある程良い、というのは煌の言葉だ。

後退る彼女を逃がさず、壁に押し付ける。


「なぁ……」


腕を押し付け、彼女の股下に膝を割り込ませる。

逃げ場はない。

固まる哩の耳元に、京太郎はそっと唇を寄せて――


「俺の、女になれよ」

一か八かの勝負。

内心のバクバクを必死に押さえ込みながら、京太郎は彼女の返答を待つ。

俯く彼女がその顔を上げた時、その瞳に映る感情は――


「ご主人さまぁ……♪」

「はい?」


ぽたり、と。

膝の上に、何かが垂れた。










誰だって、イライラすることはある。

そして、そういう時に――盛った雌猫のような声を壁越しに聞かされたら、堪ったものじゃない。


「あー……っ!」


だから。

つい、反射的に。

隣が先輩の部屋だということを忘れて、拳を壁に叩きつけた。

ドン、という音がして――隣からの声は、止まった。


「ヤッちまった……けど」


これで、あの人も今度から静かにしてくれるだろうか。

部長が卒業してから毎晩のようにあんな事をされては、健全な青少年として色々と辛い。


「まぁ、明日謝ればいいか……」


そう思考を切り替えると、京太郎は部屋の電気を消して目を閉じた。

壁の向こう側で、姫子が何をしているのかを知らないままに。



「……♥」

「須賀くん」

「あ、先輩。昨日はすみませんでした……」

「ううん、よかよ。アレは私が悪かった」

「でも」

「だから、須賀くん」


「今夜――お詫びをしたいから、須賀くんの部屋にあげて?」



その日から。

京太郎は、盛った雌猫のような声を――自分の部屋で、毎晩のように聞くことになるのだった。











「チカちゃん、最近よく須賀くんと一緒にいるよね」


下校途中、親友が不安げな顔を浮かべるから何かと思えば。

心配性な彼女の言葉に、誓子は苦笑を浮かべた。


「いい、成香? それは京太郎に食べ物の好みを聞いたりしてるからよ」

「……」

「つまり、あなたの為なの。心配してる暇があったらお弁当でも作ってあげなさい」

「……うん」



そう。

京太郎はあくまで幼馴染みであり、弟分。

今のところは――誓子の恋愛の対象にはならない。


「私も手伝うから、ね?」

「うん……ごめんね、チカちゃん」


成香の恋を応援すると、決めたのだ。

その結果がどうであれ、誓子と成香は親友である。


少なくとも、誓子はそう思っていた。








「なんか……最近、隠し事してないか?」

「えっ?」


ぴく、と誓子の肩が小さく動いた。

その反応を見るに、間違いなく黒である。


「そんなことないわよ、そんなことする意味ないし……」

「ふーん?」


あからさまに怪しい。

誓子とは長い付き合いだからこそ、今の彼女の反応に違和感を感じるのだが――







思い出すのは先日の爽。

何となくそれっぽく迫ってみたら、実に面白い反応が見れた。

誓子に対しても、同じように接してみたら――もしかして、ボロを出すのではないか。


「そっか……悲しいな」

「京太郎?」


胸の内側で鎌首を擡げた好奇心はおくびにも出さず、京太郎は声のトーンを下げた。

寂しげな雰囲気を漂わせ、じっと誓子の瞳を見つめる。


「うっ……」


彼女のぱっちりした瞳が罪悪感に揺れる。

その反応は間違いなく、クロである。


「ちーちゃん……」

「――」






「もう、調子に乗らないの」

「ちっ」


ぺしり、と軽く頭を叩かれた。

ちっとも痛みは感じないが、残念ながら思惑はバレてしまったようだ。


「急に昔の呼び方なんてあからさま過ぎ」

「そう呼んでって言ったじゃん、前」

「まぁ確かにそうだけど……とにかく」


誓子は一つ、咳払いをした。


「確かに隠し事はしてるけど、京太郎にとって悪いことじゃないから。絶対に」

「そうなのか?」

「ええ」


誓子の企みを知る事は出来なかったが、これ以上探りを入れても無駄だろう。

京太郎は誓子の言葉を信じて、彼女の隠し事をサプライズだと思う事にした。



「……」

平和よー




「須賀くんは気の多い人なんですね」

「は?」

「爽先輩に迫っていたかと思えば誓子先輩に……」

「待て。待って」


突然の、由暉子のジト目が突き刺さる。

見ていたのか、彼女は前のアレを。


「えっとだな……アレは、何というかおふざけで」

「須賀くんはおふざけで女の子にちょっかいかけるんですか」

「違う、その言い方は絶対に違う」

「……」


必死の弁明は果たして由暉子に通じるのか。

心なしか段々とキツくなる彼女の目線に、京太郎の焦りは募り――


「今までの私とのお話も」

「それは違う!」

「っ!?」

「俺は――」


「俺は、いつだってユキは可愛いと思ってる!」




一拍の間を置いて。

扉の向こうから、何か物を落としたような音が聞こえたような気がした。


「……あっ」


少しだけ冷静になって由暉子を見れば。

珍しいことに、彼女の目線が彼方此方へ泳いでいる。

その反応は――照れている、と思っていいのだろうか。


「ユキ、その……ゴメン」

「い、いえ……私こそ……」


お互い目を合わせられなくて、変な気分になっている。

夏にはまだ早いのに、二人の頰は熱で真っ赤に染まっていった。



「俺は、いつだってユキは可愛いと思ってる!」


廊下まで響く弟分の声に、爽は思わず鞄を取り落とした。

何ともまぁ――ヘタレのクセに、大胆な宣言である。

爽はこっそりと、ドアの隙間から部室の中を覗き見た。


「……わぉ」


そこには、初々しい男女が二人。

見ているこっちが恥ずかしくなる具合である。


「そっかー……やっぱりかー……」


由暉子は未だ自分の気持ちに気付かず。

京太郎は巨乳好きのクセに変なところで鈍感な上にヘタレ。

前々からイイ雰囲気になることはあっても、くっ付くのはまだまだ先だと思っていたが――







ぎゅっと、爽は自身の胸を掴んだ。

ワイシャツに爪が食い込む痛みよりも、彼女を苦しくさせる胸の鼓動。

いくら抑え込もうとしても、止まらない。


「あれ?」


京太郎は弟分。

小さい頃から色々連んでバカやって、そんな対象じゃなかった筈で。


「おっかしーなー……」


目の奥が辛い。

鼻の奥が痛い。

息が、勝手に荒くなる。


「何だ、コレ」


そんな相手じゃないだろ、京太郎は。

小さい頃から隣にいて。

小学校とか中学校とかでも、よく一緒に遊んで。


「そうだよ」


アイツは、昔から。

昔から、ずっと、一緒にやってきたから――






ユキの居場所なんて、なかった筈だろ?


















京太郎「揺杏ってなんでこんないい匂いすんだろ」

揺杏「そりゃ香水とかシャンプーとか」

京太郎「いやコレは揺杏の匂いだ。間違いない」

揺杏「ヘンタイかよ。流石にドン引き」

京太郎「でも?」

揺杏「大好き」


京太郎「いえーい」

揺杏「いえい」



成香「いいなぁ」

誓子「正気?」






「わたしはライオンなんだって」

「ライオンー?」

「ししはらのししはライオンのしし!」

「?」

「がぶっ」

「くすぐったいー」

「がぶがぶっ」

「やめてよー」

懐かしい、夢を見た――


「がぶっ」

「……なにやってんの」


――かと、思えば。

首筋にかぷりと噛み付く我らが大将獅子原爽。

妙に寝苦しかったのはコレが原因か。


「私はライオンさんだからな」

「意味わからんし……というか懐かしいな」


幼稚園児なら兎も角、花の女子高生のすることではない。

京太郎の呆れた目線に、爽は得意気に笑うだけだった。



部室で昼寝をする方が悪い、とありがたい先輩の言葉。

釈然としない思いを抱えたまま、京太郎はゆっくりと立ち上がって肩を鳴らした。






「須賀くん」

「ん?」

「その……こんな物を、貰ったのですが」


由暉子が鞄から取り出したのはアイドルグループのライブチケット。

この前由暉子と買い出しをした時に見かけたものと同じグループらしい。


「私一人で行くのもと思って。良かったら一緒に行きませんか?」

「お、いいね。行く行く」

「では決まりですね。集合場所は――」



「へいへい、ちょい待ち」

二人の会話に割り込んできた爽が掲げて見せた携帯電話。

そこに映る画面には――とある喫茶店の、特別クーポン。


「なんかあるのか?」

「うん。その日は男女カップルでここに行くと特別メニューが食えるらしいんだよね」

「カップル……では、ないですよね。二人とも」

「細かいことはいいからいいから……つーわけでさ、私も京太郎に頼みたいんだけど」

「えっと……」


ライブの会場と喫茶店の場所は大分離れている。

また、ライブ開始時間を考えれば二つを両立させるのは難しい。

つまり、京太郎はどちらかを選ばなければならないのだが――





目の前に並ぶ選択肢は、由暉子の持つチケットと爽の携帯の画面に映るクーポン。


「先輩は……他に適当な人とでも行ったらどうですか?」

「ユキも別に京太郎とじゃなくても大丈夫だろ?」


彼女たちも、お互いに引く気はないらしい。

じっと睨み合う二人を見比べて、二つのイベントを天秤にかけた京太郎は――


「爽」

「おっ」

「悪い。今回はユキとライブに行くわ」

「……そっかぁ」


先に誘ってきたのは由暉子だし、アイドルのライブはこの機会を見逃したらもう行けないかもしれない。

そう考えて、京太郎は由暉子とのイベントを優先した。


「つーわけで、よろしくなユキ」

「はい……じゃあ、集合場所や時間は改めて連絡しますね」

「おう」


「……」






楽しそうな二人に背を向けて、爽は背後の机に置きっ放しの雑誌を手に取った。

プロや学生を問わず、様々な女子雀士の写真が掲載された雑誌。

爽は何気なくページをめくり、気を紛らわすことにした。


「……仕方ないかぁ」


無意識に指を止めたページ。

そこに掲載されている女性は、以前に京太郎が「少しユキに似ている」と零した人。


「……ふーん?」


確かに、改めてよく見ると少しだけ似ている。

若さや可愛らしいさはユキの方に幾分かのアドバンテージがあるが――


「ま、いいか」


爽は静かに呟くと、そのページを破りとってポケットの中にしまう。

会話に夢中な京太郎と由暉子は、彼女の行動には気が付かなかった。


「よっし。じゃあみんなが来るまでサンマでもするかー」


振り向いた爽は、笑顔だった。





「なんかさー、最近ヘンじゃない?」

「は?」

「ヨソヨソしいってか、何か私に隠してる?」


揺杏が唇に指を当てながら聞いてくる。

その仕草に、つい指先を追ってしまい――先日のイタズラを思い出してしまう。


「べ、別に?」

「うわ、超嘘っぽい反応。やっぱ何か隠してるっしょ」


流石に爽や誓子と一緒に長年連んできた相手。

半端な嘘はすぐに見破られてしまうが、正直に話したところでドン引きされるのがオチだ。

誤魔化すか黙り抜く以外の選択はないのである。


「あー、そういや自動卓の具合悪いんだった」

「ふーん?」

「えーっと、今日はちゃんと動くかなー」

「……」



「それなら、こっちにも考えがあるんだよねー」

自動卓を前に悩むフリをする京太郎――の、ぴったり背後に立つ揺杏。

京太郎が気が付いた時には既に遅い。

振り向く前に、揺杏の指が京太郎の脇の下に潜り込んできた。


「そーれコショコショー」

「あひっ!? ひ、ゆ、揺杏、やめっ!?」

「京太郎ここ弱いもんねー。話す気になった?」

「ひゃ、あはっ、ちょ、待――」


的確に京太郎の弱点を擽る揺杏の指遣い。

手先の器用な彼女のテクニックは、京太郎の抵抗など全くの無意味であり――



「うりうり」

「あひゃっ、や、やめっ」


あまりの京太郎の反応の良さに、最早目的を忘れつつある揺杏。

対する京太郎も、悶えることしかできない状態。

だが。


「あっ!」


もし、ここでバランスを崩した京太郎が揺杏の方向に倒れ込んだとしたら――




一瞬の衝撃と軽い痛みに、揺杏は思わず目を閉じて。

自分に何が起きたのかを理解して、腰を摩りながら目を開ければ――


「……あっ」


すぐそこ、鼻先スレスレに目を閉じた京太郎の顔。

客観的にこの場を見れば――まるで、京太郎が揺杏を押し倒しているかのような体勢。

揺杏を止めようと振り向こうとした時に、躓いてしまった結果。


「……ててっ」


そして、彼の手が触れている場所。

そこは正しく、自分の胸であり。


「あ、や、やぁ――!」

「え?……あっ」


京太郎も遅れて状況に気が付くが、最早全てが手遅れ。

手の平が揉んでしまった感触は、どうやっても誤魔化せない。


「……ごめん」



直後。

廊下どころか、階下にまで轟いた甲高い声。


他に部員がいなくて良かった――と、後に二人は心底安心した表情で振り返った。











日曜日。

聖書にも安息日と記されている日。

京太郎と由暉子は約束通り、ライブ会場に来たものの――


「すっげー熱気……」

「一歩間違えると殺意ですね……」


周りの観客たちのオーラに圧倒されるばかり。

勿論サイリウムを全員装備。

売店でノリに任せてサイリウムを買っていなかったら、京太郎と由暉子は浮いていたに違いない。


「あ、来ましたよ」

「よっしゃ」


音楽が鳴り響いて、本日の目玉のアイドルたちが入場する。

つい先日にその名前と顔を知ったばかりの彼女たちだが――それでも、周りの雰囲気に巻き込まれて期待に胸が膨らむ。




ライブが進むにつれて、段々と高まっていく会場全体のボルテージ。

熱心なファンというわけではないが――気が付けば、京太郎も由暉子も立ち上がって夢中でサイリウムを振っていた。

期待は熱意に変わり、熱意は充実感に変わる。

会場は一丸となって、ステージの上のアイドルたちに夢中になり――


「っ!?」


特に、熱心なファン。

それが由暉子の左隣にいたのは、ある意味で運が悪かった。

身長の低い彼女は、興奮した彼の目には入らず。

彼の手振りに押されて、弾かれるように躓いた。


「だ、大丈夫か?」

「は、はい……」


もし左隣に京太郎がいなければ、由暉子は盛大に転んでしまっただろう。

京太郎の腕の中で、由暉子は息を荒げながら頷いた。

「とっ……」


ふらり、と由暉子が姿勢を崩す。

驚いて腰が抜けてしまったのか、彼女は京太郎の腕の中から立ち上がることができず。

その小さな両手で、京太郎のシャツをきゅっと掴んだ。


「……」

「……」


紅潮した頰。

乱れた吐息。

顔を滴る汗。

それを、お互い近くに感じる。


『――ッ!!』


曲がサビに入り、ライブがクライマックスに近付く。

客席の熱気も最高潮に達する。

しかし――京太郎と由暉子は、まるで二人だけ客席から切り離されたような気がして。


「――」


由暉子が、唇を動かす。

周りに掻き消されて、その言葉は聞き取れなかったけれど。

たった二文字の口の動きに、京太郎の鼓動はさらに速くなった。






「ユキ、話ってなんだ?」


突然のユキからの呼び出し。

それも、屋上という少し面倒な場所。

あまり生徒がより付かない場所だから、何か内緒の話をしたいのだろうか。


「……須賀くん」

「ん?」


ぎゅっと、由暉子が拳を握る。

それから、深呼吸を数回。

何度も胸を上下に動かしてから、彼女は京太郎の瞳を真っ直ぐに見つめて――


「わたしは、あなたが好きです」



「私と……」



「私と、付き合って下さい」



期待か、それとも不安か。

由暉子の瞳は揺れて、それでも京太郎を見つめている。


「俺は――」


告白への、京太郎の返事は――






「……少し、考えさせてくれ」


鼓動を暴れさせて――それでも、京太郎は少し冷静になって返事をした。

彼女の為にも、自分の為にも。

勢いに任せたまま頷くことは、できない。


「……わかりました」

「ごめん」

「いえ……そういうところも、好きですから」


告白を保留にされたにも関わらず、由暉子は小さく微笑んだ。

ちくりと、胸の奥が痛んだ。


「ですが……私を好きになってもらう努力は、しますから」

「……努力?」

「はい……これからは、もっともっと、アプローチしていきますので」


「よろしく、お願いしますね?」








揺杏「京太郎さんや」

京太郎「なんだい揺杏さんや」

揺杏「そんなに私の髪いじって楽しいかね」


京太郎「んー……邪魔か?」

揺杏「まぁ、今ちょっと作業中だからうん」

京太郎「わかった。悪かったな」


揺杏「……」

京太郎「……」


揺杏「京太郎さんや」

京太郎「なんだい揺杏さんや」

揺杏「ちょいと寂しいから構え。具体的にはポニテの辺り」

京太郎「はいよ」


揺杏「京太郎」

京太郎「揺杏」


揺杏「あいらぶゆー」

京太郎「みーとぅー」


揺杏「いえーい」

京太郎「いえい」













――私と、付き合ってください。


「……」


日を跨いでも、由暉子の告白が耳を離れない。

何をするにしても、常に彼女の顔が頭の片隅をチラつく。

上の空な状態が、ずっと続いている。


「須賀くん……? 美味しく、ありませんでしたか?」


そして、今も。

成香に作ってもらったお弁当を食べている最中なのに、箸が止まっていた。


「あ、すいません。ちょっと考え事してて……弁当は、凄く美味いっつーか俺好みです」

「なら、良かったです」


不安げに顔を覗き込む成香に、何でもないと笑っておかずを口に運ぶ。

見事に京太郎の好きな物が揃っており、それでいてバランスが取れている。

弁当としては、理想的な内容だった。


「頑張りましたから」


成香が胸の前で手を合わせて微笑む。

両指の絆創膏は彼女の努力の証。

せっかく頑張って作ってくれたのだから、その笑顔を曇らせるわけにはいかない。


京太郎は、今だけは由暉子の告白を忘れることにした。






「ユキってよそもんだよなぁ」

「……どうしたの急に」

「何となく」

「……」


ちょっとずつ。

軋みをあげて、歪んでいく。




「京太郎くんって、呼んでもいいですか?」

「えっ」

「……なんで先輩が反応するんですか」


唐突な由暉子の言葉に、成香が声をあげる。

由暉子は呆れたような目線を成香に送った後に、京太郎に向き直った。


「いいけど。ユキの好きに呼んでくれ」

「ふふ……じゃあ、ダーリンで」

「えっ」


由暉子が悪戯っぽく微笑む。

彼女とは中学からの付き合いだが、こんな表情は初めて見る。

また新しく知った彼女の可愛らしさに、胸が高鳴るのを感じた。


「……まだ、早いかなそれは」

「まだ、ですか?」

「あー……うん、とりあえず今は京太郎くんで頼む」


照れ臭くなって、ポリポリと頰をかきながら目を逸らす。

部活の最中だというのに、目の前の対局に集中できそうにない。





後輩のいつになくアグレッシブな迫り方。

由暉子が京太郎に抱く好意は何となく感じていたが――


「……何だろ。この変な感じ」


面白くない。

アプローチをかける由暉子にも、それに鼻の下を伸ばす京太郎にも。

まるで、大事なものを奪われたような気がして。


「……別に。どうでもいいし」


揺杏は、自らの胸の中に感じた空白から目を逸らした。

今はまだ、その正体を知ろうとは思わなかった。

がりがり


「ユキと、何かあったでしょう」

「……わかる?」

「あからさま過ぎるもの」


二人の様子が、明らかに変わった。

よほど鈍くなければ、何かあったということは直ぐにわかる。

京太郎と付き合いの長い誓子なら、尚更だ。


「付き合い始めたの?」

「いや、そうじゃないけど」

「そう、なら……」



「あまり部活でイチャつくのはやめてちょうだいね?」

「イチャつくって」


どことなく棘のある誓子の言葉に、京太郎は眉根を寄せた。

確かに大会の日は近付いている。

そして、由暉子との関係も今までのようにはいられないだろうが――今は、まだ部活に支障が出るほどではない筈だ。


「そんなにか、俺たち」

「そんなに、よ」

「マジかぁ」

「あんまり酷かったら――出て行ってもらうからね?」


どちらに、とは。

最後まで、誓子は口にしなかった。






由暉子はわりと京太郎の好みに近い。

巨乳だし可愛い顔してるし、コスプレだってノリノリで出来る。


「……むむ」


対して、自分はどうだ。

胸――は、デカイ方じゃない。

顔立ち――は、それなりに自信があるがちょっとツリ目っぽくて京太郎のタイプからは外れてる。

コスプレはまぁ、嫌いじゃないけど。アイツが好きな格好が似合うかは別だ。


「……って何でユキと比べてんだ私」


今はそんなことよりも、大会に向けてユキ用の衣装を用意してやらなければ。

ただでさえ時間が迫ってきてるんだから――



「うん。これならみんなユキの可愛さにイチコロだな!」

「おぉ……」


渾身の出来の改造制服。

由暉子の可愛らしさを強調しつつ、セクシーさを追い求めた出来。

スカートにスリットが入っており、視線を釘付けにすること間違いなし。


「京太郎くんも、イチコロでしょうか」

「……」

「先輩?」

「あ、うん。アイツも結構ムッツリなとこあるから。イケるかもね」


試しに由暉子に着せてみたが、揺杏の見立て通りよく似合っている。

由暉子はスカートの端を摘んで、くるりと回り――


「痛っ……?」

「ん? なんかあった?」

「いえ、コレは……針?」

「え」


顔を顰めた由暉子がポケットから取り出したのは、一本の針。

どうやら作業中に使っていたものが、入り込んでそのままになっていたらしい。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」

「はい。ちょっとチクリときましたけど」


肌を刺す小さな痛み。

幸いにも大事には至らなかったが、本番でやらかしたら洒落にならない。

揺杏は、全国に向けて更に気を引き締めた。


「……」


ほんの一瞬だけ、揺杏の胸の空白を満たした感情の正体。

きっとそれは、気付いてはいけないものだ。









「京太郎くんは、先輩たちとはいつから知り合ったんですか?」

「ん……急にどうした?」

「少し、気になったので」

「……大分昔からだな。多分幼稚園の頃あたりから」


――おまえ、ひとりか?

――カピバラさん?

――こっちでいっしょにあそぼーぜ!


目を閉じると、今でも思い出せるあの時の記憶。

一人ぼっちだった自分に、声をかけてくれた爽たち。


「……懐かしいなぁ」


過去を振り向くように、遠い目をする京太郎。

その口元は緩んでいて、隣に立つ由暉子は目に入っていない。


「……」


由暉子には無い、京太郎との過去を持つ先輩たち。

目を閉じた由暉子が胸に抱く感情は――




――妬ましい、と思った。


「……」


由暉子は彼のことが好きだ。

自分の容姿に自信が持てなかった時から声をかけてくれた彼が。

たとえ下心があったとしても、嫌な顔一つせず頼み事を手伝ってくれた彼が。


「ユキ?」

「……先輩と京太郎くんは、本当に仲が良いんですね」

「腐れ縁ってヤツだよ」


彼の記憶と心の中。

その特別な場所に、彼女たちはいる。

そこは、由暉子ではどうやっても手が届かない場所だ。


「……」


彼を。

彼に、もっと自分を見てもらうには。


「ユキ、この後学食行かないか?」

「デートですね」

「違うって」


京太郎と談笑しながら。

由暉子の思考は、より深くなっていく。






「たーべちゃーうぞー」


部室に顔を出すと。

そこにはとても怖いライオンさん――ではなく、爽がぐわっと大口を開けて立っていた。


「……」


一瞬の沈黙の後――京太郎はその横を通り抜けて、自動卓に向かってコンセントを入れた。

最近少し調子が悪かったのだが、今日は上手く電源が点いた。


「無視は悲しいな。お腹すかせてるのに」

「下手に餌をやると危険だし」

「ふーん?」





「がぶっ」


爽をスルーして自動卓の調整をしようとしたら。

なんと彼女が、腕に噛み付いてきたではないか。

流石の京太郎も、これには固まらざるを得ない。


「……なにやってんの」

「がぶがぶっ」

「いや、がぶじゃねーよ」


地味に犬歯が食い込んで痛い。

血は出ていないが、歯型は出来ているのではないだろうか。


「私はお腹空かせたライオンさんだからな」

「……俺の鞄にあんパン入ってるから」

「では有り難くいただこう」


飢えたライオンはあっさりと口を離して背後の鞄を漁りにいった。

京太郎の予想通り、爽が噛み付いてきたところにはくっきりと歯型が残っている。

唾液はハンカチで拭くとして――この歯型は、どうしたものか。


「~♪」


悩む京太郎とは対照的に。

鼻唄を口遊む爽は、嬉しそうに自分の唇を舐めとった。

生き残りたいー生き残りたいー





「あ、あのっ」

「はい?」


成香が自分の胸に手を当てて、上目遣いに京太郎を見上げる。

その仕草というか、雰囲気のせいか。

身長は由暉子の方が低いのだが、成香の方がより小さいように感じられた。


「き、京太郎くんはユキちゃんのことが好きなんですかっ!?」

「え」

「こ、答えて、ください」


京太郎と由暉子の間に何かがあった、ということは既に先輩たちの間に知れ渡っている。

尋常でない雰囲気の成香にどう答えたものか。

京太郎が逡巡しているうちに、成香は――


「あ……ご、ごめんなさい……変なこと言っちゃって……」


京太郎が黙っているのを、困らせてしまったと思ったのか。

成香は伏し目がちに京太郎に謝り、小さく頭を下げた。


「あ、いえ……」


誓子も、そうだった。

揺杏や爽も気にかけているようだった。

やはり、部のみんなの為にも早く由暉子に答えを出した方がいいのだろう。



「……」


きゅっと、物陰で手を握った彼女には。

京太郎も成香も、気が付かなかった。




「……ん?」


ガタンゴトンと揺れる電車の中で、揺杏は目を覚ました。

やけに寝心地が良いかと思えば――自分が枕代わりに頭を預けていたのは、隣に座る彼の肩。

衣装作りに必要なものの買い出しに京太郎を付き合わせて遠出したはいいものの、二人して電車の中でうたた寝してしまったらしい。


「って」


何だそりゃ、と揺杏は自分の思考にツッコミを入れる。

それではまるで、自分が京太郎に安心を求めているようではないか。

こんな、付き合いだけが長いヤツに――


「……うん」


――イケメンだ。

こうして寝顔をまじまじと近くで見つめてみると、結構精悍な顔立ちである。

中学までは同じくらいの背丈だったクセに。


「……」


京太郎も眠っているのをいいことに、揺杏はもう一度目を閉じて彼の肩に頭を預けた。

想像してみるのは、少しだけ未来の自分たち。

揺杏が瞼の裏に思い描く、それは――




――胸の内を、酷く掻き乱した。


「あー……」


こうして味わう、彼の温もり。

それを独占するのは、揺杏じゃない。

きっとこのままだと――この居場所は、由暉子のものだ。


「ヤッだなぁ……」


手離したくない。

渡したくない。

ユキにも、成香にも。


「……」


だったら、もう。

彼女のやることは、決まっている。


揺杏は、すぐ側にある京太郎の寝顔を見上げた。







一つのベッドに裸で2人。

夢のような時間だったが、シーツの染みや背中の引っ掻き傷の痛みは現実のもの。

触れ合う肌から感じる体温は至福そのもの。

身を寄せて眠る彼女――ネリーを見下ろして、京太郎はポツリと呟いた。


京太郎「……俺、ロリコンだったのか……」


グラマーで家庭的な女性、それが京太郎の理想――だった筈だ。

家庭的かどうかは不明だが、体型で言えば京太郎の好みに合致する女性は3人ほど知っている。

そのうち1人は夜のお供として想像してしまったこともある。


ネリー「んっ……」


だが、こうして現実の中で初めての時間を共に過ごしたのは彼女。

誰よりも愛して、誰よりも求めた女性。

それは、京太郎の理想の女性像には掠りもしなかった筈の、ネリーだった。


ネリー「キョウタロ……」

京太郎「ネリー……」


ネリーが夢の中で自分の名を呼んで、身動ぎする。

それだけでさっきまでの小難しい考えは全て吹き飛んで、幸福感が胸の中を満たした。


ネリー「えへぇ……」

京太郎「……幸せそうに笑いやがって、たく」


とにかく。

須賀京太郎は、ネリー・ヴィルサラーゼに完膚なきまでにべた惚れであった。



【ネリーに首ったけ】













智葉「京太郎、大会に向けて調整をするからそこから退いてくれ」


近付いてくる全国大会。

前回は惜しくも優勝を逃したが、今年は必ずリベンジする。

智葉の意気込みは強く、未だネリーを膝に乗せたままの京太郎にそう告げたのだのだが。


京太郎「あ、それムリっす」

ネリー「ね」

智葉「……なに?」


まさかの、後輩が言うことを効かない。

ネリーは兎も角、京太郎が反発するのは珍しい。

困惑する智葉は理由を問うべく、口を開き――


京太郎「俺、ネリコンなんで」

ネリー「ネリーはキョーコン!」

智葉「……あん?」


――さらに、困惑することになった。

実に頭の悪そうな理由というか名前。

これには流石の智葉も、苛立ちが募る。


メグ「まぁ、いいんじゃないデスか?」

智葉「……なに?」

ハオ「近くで見ることは京太郎の勉強になるでしょうし」

明華「一石二鳥ですね」


なんだ、自分がおかしいのか。

同意を求めて視線を送った監督は――無言で肩をすくめるばかり。


京太郎「監督が言ったんですよ。気高く餓えろって」

ネリー「キョウタローもネリーも欲張りだから!」

京太郎「こうすれば麻雀の勉強もしつつネリーと触れ合える、みんな幸せなんですよ」


少なくとも気高くはない。

だがそれを指摘するのはこの場には智葉しかいない。

結局、自分を抜きにして目の前で始まった対局に――智葉は、深く溜息を吐いた。


【ネリコン】






ネリー「キョウタロ、カベドンってなに? お金の単位?」

京太郎「あー……とりあえずそれは違う」


何でもかんでもすぐに金に結び付けるネリーに京太郎は苦笑して、ゆっくりと立ち上がった。

首を傾げるネリーにその意味を実践すべく、静かに歩み寄る。


京太郎「いいか、壁ドンってのは――」

ネリー「キョウタロー……?」

京太郎「――こういう、ことだ」


壁際に追い詰め、腕と壁でネリーを囲う。

こうなったら女性側に逃げ場はなく、後は男性側の攻めのターン――である、が。


ネリー「……?」


今一ネリーはその意味を理解していないようだ。

キメ顏を作った京太郎としては非常に小っ恥ずかしい。

というか客観的に見ればこの状況、酷く犯罪的だ。

京太郎とネリー、その身長差――約42cm。


京太郎「ん、コホン……なんつーか、こうやって強引に迫られることにトキメキを感じる人もいるんだと」

ネリー「ふーん?……変なの」


そんなことしなくても、ネリーはいつだってキョウタローにドキドキしてるのに。

そんな心の声が聞こえたのかは定かではないが、京太郎は照れ臭そうに咳払いをした。


【エスカレートでストレート】



京太郎「その1。須賀ネリー」

ネリー「その2。キョウタロー・ヴィルサラーゼ」

京太郎「その3。ネリー・須賀・ヴィルサラーゼ」



京太郎「結婚したら名字ってどうなるんだろーな」

ネリー「ネリーはその3がいいなー」

京太郎「なんで?」

ネリー「だって、その方がネリーもキョウタローも一緒って感じがするから!」

京太郎「ネリー」

ネリー「なにー?」



京太郎「今から市役所行こう。もしくはホテル」

ネリー「いいよっ」

智葉「おいコラ15才」

ネリー「もう15才じゃないもん」

智葉「そういう問題じゃないっ」



メグ「サトハも飽きまセンネぇ」

ハオ「あ、このお茶美味しい」

明華「愛人の名字は……」

智葉「こら、そこも!」



【最終的に須賀・V・C・H・D・T・W・京太郎】









「ユキってよそもんだよなぁ」

「またそれ?」

「ふふん」

「……」



「……ま、確かにそうだけど」

「ユキって京太郎と付き合ってんの?」

「いえ、まだですが」

「まだ?……ふーん、そっか」

「……なんですか」

「いや、別に?」

「言いたいことがあるなら」

「だから、別になんでもないって」






「……?」


みんなの様子が変だ、と誓子は感じていた。

上手く違和感を口にできないが、何かが少しずつズレているような。

特に、由暉子が京太郎への好意を全面に出し始めてから変わったような――


「考え事か?」

「まぁ、ちょっとね」


誓子は曖昧に笑ってその視線を誤魔化す。

今浮かんだ考えをそのまま口にすれば、余計な争いを招きかねない。

そして恐らく、この問題は考えても答えは出ないような気がする。

もっと――感覚的な部分でなければ、理解できないような。


「……はぁ」


誓子は小さく溜息をつく。

大会が近いというのに、これではまるで集中できない。





「悩み事なら相談のるけど」


ある意味で、その悩みの種が声をかけてきた。

その気遣いは嬉しいけれど、内容が内容なだけに彼にはまだ話せない。


「ありがと――でも、コレはちょっとダメなのよ」

「そうなのか?」

「それとも聞きたい?――女の子のアレな話」

「うっ……遠慮しときます」


あっさり誤魔化されて引き下がる京太郎に、誓子はくすりと笑う。

未だ、その違和感の正体は掴めないまま。

ズレの正体に首を傾げながら――今日も、部活が始まった。










「揺杏先輩は……」

「ん? どしたの」

「……」

「なんだよ、歯切れ悪いな」


後輩が何を言おうとしているのか。

由暉子の長い髪に櫛を通しながら揺杏が問いかけるも、由暉子は黙ったまま。

お互いに話題がないままに時間が過ぎて、彼女たちが再び声を出したのは部室に彼が訪れてからだった。


「ちーっす。何してんの?」

「おっす。ちょっとユキの髪がアレだったからブラッシングー」

「今朝は時間が無くて……」


京太郎が来た時点でちょうど髪の手入れが完了したらしく、揺杏は満足気に頷くと櫛をしまった。

それからパンパン、と両手を叩くと彼女は京太郎に振り向いて――







一歩一歩、大股で京太郎へと歩み寄る。

あと一歩を踏み出せば互いが密着する距離まで近付くと、揺杏は京太郎の顔を見上げた。


「京太郎」

「な、なんだよ?」


思わず身を引きかけた京太郎の頰を二つの手のひらで挟み込んで固定。

揺杏が何をする気なのか。

まさか、と察しのついた由暉子は腰を浮かすが――


「好き。超好き」


由暉子の、そしてたった今訪れた部員のみんなの前で。

揺杏は、京太郎の顔を引き寄せるように踵を浮かせて。


「私と、付き合って」


その唇を、重ねた。







重ねられた唇の意味。

それを京太郎が理解した頃には――もう、遅い。


「ユキの気持ちは知ってたけど。負けたくないから」


離した口から、透明な橋がかかる。

揺杏が唇を舐める。その仕草から、京太郎は目が離せなかった。


「ゆ、あん……?」

「今、言った通りだから。私は京太郎が好き」


揺杏の瞳が、潤んでいる。

長い間、一緒だった筈なのに。

彼女が泣いた顔も、見たことがあるのに。

笑った顔なんて、それこそ数え切れないくらい見たのに。


「おっぱいも可愛さも、ユキに負けてるけど――でも、好きなんだよね」


今の揺杏の微笑みは、記憶の全てと違っていて。

爪先から頭のてっぺんに至るまで――何もかもが、魅力的に見えた。

















揺杏「ペタペタ」

京太郎「むん?」


揺杏「肌キレーだなって」

京太郎「俺は揺杏のがキレイだと思う。触っていい?」

揺杏「オッケー」


京太郎「ペタペタ」

揺杏「おーくすぐってぇ」

京太郎「ヤバい。めっちゃクセになるコレ」

揺杏「まじかー」

京太郎「揺杏中毒だわー」


揺杏「ちなみに私は京太郎中毒」

京太郎「知ってる」

揺杏「ダブル中毒だねー」


京太郎「いえーい」

揺杏「いえい」









揺杏の告白。

当然、部の雰囲気は練習どころじゃなくなって、そのまま解散という流れになった。

帰宅した由暉子は、洗面台へと向かい――


「うぅ……」


腹の奥底から込み上げてくるものを、抑えきれない。

だって、目の前で。

彼が――京太郎が、揺杏に。


「……」


京太郎の、あの瞳。

アレは今までは、自分に向けられていたものなのに。


「せんぱい」


後から、気が付いたクセに。

今までは、微笑ましく見守っていたクセに。

どうして、いまさら。


「せん、ぱい」


鏡に映る自分の顔。

由暉子は初めて、他人への憎しみを自覚した。

「ごめん」


成香と並んで歩く帰り道。

ショックを受けている成香にどう声をかけたものか誓子が悩んでいると、彼女の方から先に口を開いた。

謝罪の言葉と、一緒に。


「なるか?」

「無駄になっちゃった。チカちゃんに頑張って貰ったのに」

「そんな、まだ――」

「ううん」



「ダメだよ。もう」


無意識に右手の甲を摩りながら。

全てを諦めた表情で、成香は空を見上げた。


「ユキちゃんは可愛いし、揺杏ちゃんは格好いいから」

「……」

「勝てるわけないもん。私には、何もないから」



「あの二人には――私が勝てるものなんて、何もないから」

がりがりがり。

やけに、煩い音がする。


「あっ」


それが自分の歯軋りの音だということに気が付いて、爽は一人で笑った。





――私と、付き合ってください。

――私と、付き合って。



「あー……」


ユキに惹かれていた筈なのに。

揺杏の告白に、酷く心が揺れている。

彼女たちが、どちらも魅力的過ぎて。


「俺は」


好きか嫌いかで言えば、二人とも好きだ。

どちらが上かなんて、直ぐには決められない。

ユキは可愛い。顔も、心も。放って置けない。

揺杏はちょっと前まで有り得ないと思っていた筈なのに――今は、心から離れない。


「麻雀で決められたら、楽なんだけどなぁ……つって」


そんなものの結果で納得できるなら、誰もここまで悩まない。

ベッドに横たわり、天井を見上げながら、京太郎は自嘲の笑みを浮かべた。

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最終更新:2026年01月05日 21:58