九州のとある大学病院にて

京太郎「そ、そんな...嘘、ですよね」

医者「残念ながら、もう自然妊娠は難しいでしょう」

 その日、俺と俺の恋人は残酷な現実を突きつけられた。

小蒔「子供が、できない?」 

 そう呟いた俺の大好きな人はそのまま気を失ってしまった。

医者「良性だったら問題はないんです。しかし神代さんの場合...」

医者「悪性の子宮筋腫が二つと、なりかけの筋腫が四つあります」 

医者「放っておけば確実に子宮癌になります」

医者「今なら手術をすれば今後の人生に影響は出ません」

医者「どうか、よく話し合って決断して下さい」

 そう言い残して、小蒔さんを診察した九州一の名医は別室で待っている

小蒔さんの両親の居る部屋へ重い足を引きずりながら立ち去っていった。

 俺は呆然としながらも、気絶している小蒔さんを背負って病院を出た。

~次の日の朝~

 ボロボロと大粒の涙を流しながら、俺と小蒔さんは怒鳴り合っていた。

 子宮筋腫がいつ癌を引き起こすか分からない以上、一刻の猶予も小蒔には

残されていなかった。日本有数の神職の大家の一人娘は自らの誇りを守る

ために自死を選ぶ事さえ許されない。

小蒔「イヤッ!そんなのイヤです!」

京太郎「分かってくれ!手術しなければ小蒔さん死んじまうんだよ!」

京太郎「出来る事なら全部俺のせいであって欲しかったよ!」

京太郎「でも、小蒔さんの体は癌になりかけてるんだ!」

小蒔「それがどうしたっていうんですか!」

小蒔「京太郎さん!京太郎さんは私との愛を違えるおつもりですか!?」 

小蒔「愛する人は生涯一人と、そしてその人は今私の目の前にいます!」

小蒔「最愛の女は生涯お前一人だと言ってくれたじゃないですか!!!」

 小蒔は京太郎に捨てられるかも知れないという恐怖と愛する人との間に

最愛の子供を儲ける事が出来ないという絶望の狭間に立たされていた。

小蒔「なのに、なのに...子宮を全部摘出しろって...」

小蒔「それならまだわかります...だけど」

小蒔「私以外の女と、子供を儲けるなんて...」

小蒔「そんなの...そんなのあんまりじゃないですか...」

母親として、一人の女として愛する人との間に自ら臨んで子供を儲かり

幸せな家庭を築くというのが最上の幸せなのだと小蒔はそう聞かせられて

今日まで育ってきた。

 それが出来なければ、例えどんな理由があろうとも辛い目に遭うとも。

 いっそこの場で京太郎と心中できたらどんなに楽だろう。

 京太郎も自分も血と苦痛の中で死を迎えてしまうが、少なくとも味わう

苦痛は一回きりで済む。

 しかし、自分の命はもう自分だけの物ではないという事と京太郎が

これ以上苦しむ姿を見たくないという、霧島という一種の魔境において

小蒔はこれ以上ないほどの優しい理由で、それを決意するなら死んだ方が

マシだという屈辱を全て飲み込んだ上で、京太郎への愛を示すために

生き恥をさらす覚悟を決め、全てを受け入れたのだった。

 ただ一つだけ救いがあったのは、小蒔の子宮は失われるが、正常な卵子は

作れる為、夫婦の精子と卵子を体外受精させ、第三者の女性に移植して

出産して貰う代理出産という方法が残されていたことだった。

~~~

 後日、神代本家で下された決定に従い、京太郎と小蒔は体外受精の手術を

受ける前に自分達の子供を、腹を痛めて育ててくれる代理母となった嘗ての

大切な人の元を訪れていた。

 本家と分家というどうしようもない問題のせいで京太郎を諦めた霞だが、

小蒔「霞ちゃん...私、私...」

 どうする事も出来ない病という運命に打ちのめされた親友の姿をその目に

収めた時、小蒔との確執を放り投げ、苦しみ嘆く親友を抱きしめた。

霞「これ以上何も言わないで。小蒔ちゃん」

霞「お互い、これ以上の言葉を交せば本当にどうしようもなくなるわ」

小蒔「悔しい...悔しいです。なんで私がこんな目に遭うんですか!」

 こんな時、どうすれば小蒔が納得するのかを熟知している霞は、あえて

小蒔の嘆きに同調する事無く、突き放す様にして自分の味わった苦々しい

体験を小蒔に語り聞かせる。

霞「私だって悔しいわよ。好きな男は幼馴染の貴方に取られるし」

霞「高校卒業したら、私達三年生組は好きでもない男と結婚よ?」

霞「はっちゃんは小さすぎて子供が産めないし」

霞「巴ちゃんなんかDV受けて、離婚調停中よ?」

霞「それに比べたら、まだ私も貴方も恵まれているわ」

小蒔「ううっ、うううううっ!」

霞「小蒔ちゃん、私達の関係も大人になって大きく変わってしまったわね」

霞「でも、私も京太郎も貴女の事が大好きよ」

小蒔「ごめん、なさい。ごめん、なさい」

霞「生まれてくる子供に、おっぱいくらいはあげてもいいかしら?」

小蒔「はい、はい...」

霞「たくさん愛情注いで、元気に遊ばせて、色んな所に連れて行って...」

霞「それから、それから...」

霞「昔みたいに、昔みたいに...皆で集まって馬鹿騒ぎが...したいなぁ...」


 霞のその一言に、小蒔と京太郎は恥も外聞も無く、大声で泣きわめいた。

 何も知らなかった子供でいられた時は、もう過ぎ去ってしまった。

 これからは責任という名の枷に縛り付けられながら、次に生まれてくる

子供達に一つでも多くの物を遺して逝けるように、この命を捧げなくては

ならない。

 だけど、今だけは...何も考えずにただこの温もりだけを感じていたい。

 そう感じた、2月の寒い夜だった。

~春~

 雪が解け、春の息吹が暖かな風に乗ってやってきた。

 霧島神境から少し離れた永水女学館の校庭に六人の男女が集まっていた。

霞「桜が咲いたとはいえ、まだ寒いわねぇ」  

巴「そうですね。霞さん」

初美「こうしてまた皆で集まれるとは思いませんでしたよ~」

 風一つ無く、満開の桜が暖かい陽光を浴びて柔らかい輝きを放つ。

 優しさというものに色があるとすればそれはこの景色の事を言うのだろう。

初美「御当主様も思いきった事をしましたよね」

 巴と初美は霞の腕に抱かれている男の子を愛おしげに、慈しむように

優しい眼差しを投げかけていた。

 小蒔さんの身に降りかかった災難と霞さんの惜しみない無償の愛の果てに

生まれた子供は男の子だった。

春「神代本家を解体」

春「その仕事と役割を持ち回り制にするとはとは恐れ入った...」

 高校を卒業して、かなり太った春がポテトチップスの袋に手を突っ込み

ボリボリとポテトを貪り喰らいながら、懐かしむ様に俺達の転機となった

出来事に言及した。

京太郎「まあ、平等にやろうとか謳ってるけど」

京太郎「実質、仕事の丸投げに近い事しちゃってるからね」

 借り腹の子供なんざその程度、とかこれで神代家オワタとか一部の心無い

長老達がぐちぐちとろくでもないことを言った為、親父さんと俺と、あと

そいつらのせいで結婚させられた一部の被害者達の家が立ち上がり、

自由を勝ち取るための戦いを仕掛け、俺達は何とか勝ちを収めた。

京太郎「大変だろうな~、特に石戸の役割の家の人は」

京太郎「ラップ音とかなまじ霊媒体質のせいで霊が近寄りすぎて」

 狩宿も、滝見も、薄墨も、十曽も、石戸も何百年もの間、神代の家に

振り回され続け、その度に苦渋と辛酸を舐めさせられ続けてきた。

 恐らく、10年も保ちはしないだろうが俺達が少しくらい休憩したって

そんなに罰は当たらないだろう。多分。 

 慰安旅行という名目で、高級リゾートとか世界一周旅行とかに俺達皆で

行くのも悪くはないだろう。

京太郎「まだ時間はかかるけど、皆が家柄に縛られない様にするからさ」

京太郎「昔は昔、今は今ということで皆様一つお願いします」

霞「そうねぇ。これで少しは私達みたいなのも生きやすくなったかしら」

小蒔「それを探すのが人生というものなんですよ。霞ちゃん」 

霞「あら、随分と格好良いこと言ってるわね。小蒔ちゃん」

霞「でもその台詞、どこかの漫画で見た事があるような、ないような」

霞「大きな熊さんのぬいぐるみと、可愛らしい貯金箱のあるお部屋の...」

小蒔「わーっ!わーっ!!そういうのナシ!そういうのナシにして下さい」

春「お元気そうで何よりです。小蒔さん」

小蒔「ありがとう春。ええ、皆のお陰で元気に生きられそうです」

 皆が声をあげて笑った時、一陣の風が桜の花びらを巻き上げた。

 その風に驚いたのか、今まで眠っていた息子が目を覚ましてしまった。

小蒔「よしよし...悠君、大丈夫、怖くない怖くない」

春「ぐふふ、十年後が楽しみですなぁ」 

春「小さな子供に妖艶なエロスを振りまく妙齢の女達が群がり...」

春「その幼気な顔を恐怖に歪ませながら覆い被さる...って痛い!」

 いやらしい笑みを浮かべながら息子に群がる変わってしまった同級生の

頭を京太郎さんと私でひっ叩いて元に戻そうと試みる。

 しかし、春があの無表情に戻る事はもうなかった。

初美「はるるは東京で一体何を経験してしまったんですかね」

春「衣とミッポと一緒に禁断の世界に足を踏み入れたでござる」

巴「こんな春ちゃんでも、今では押しも押されぬ大人気漫画家ですからね」

春「稼いだ金とポテチとコーラのせいですっかりデブになったでござる」

春(ごめん。皆と同じ目に遭うのが怖かったから逃げた)

 内心でそう呟いた春は、小蒔の腕の中で眠る小さな子供を見遣った。

悠々の悠と書いて、「はるか」というのが京太郎と自分と霞の子の名だ。

 名付けたのは自分だが、正直女々しすぎやしないかと思わなくもない。

春「そして年の差はあれど真実の愛を見つけた...」

 ...春ちゃんはやっぱり無口だった頃の方が良かったですね。  

小蒔「はいはい春ちゃんは少し黙っていましょうね!」

巴「でも、京太郎と小蒔さんの子供は私達の子供も同然ですからね」  

初美「いつでも私達の家に遊びに来て下さいね。ウェルカムです」

霞「それじゃあ、私達は帰るわね。小蒔ちゃん」 

 親友達と一緒に家路に付きながら、私と京太郎は明日に向かって歩く。

これから先、この子はどういう人生を辿るのだろうか。

 自分みたいに誰かに利用されるのか、それとも名前に込めた願いの通り、

悠々自適の人生を送るのかはまだわからない。

 それでもいい。幸せな時間というのは出来るだけ長い方が良いではないか 
 自分達みたいな存在がようやく掴んだ幸せの形があの子なのだ。

 なら、まだ私達の人生は捨てた物じゃない。また歩き出せる。

 だったら、歩き疲れてもう歩けないくらい満喫しようではないか。

 恋も愛も経験したのなら、次は母親というのに挑戦してみよう。

霞(幸せにね、小蒔ちゃん...京太郎君) 

 自分の隣にいる最愛の人の温もりを絶対に離さない様に、私はその手を

きつくきつく握りしめた。

 完

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最終更新:2018年05月02日 20:48