誰もいない部室、雀卓の前の椅子に座りながら俺は牌を見つめる。
 もう何度負けたかも分からない。
 悔しいという気持ちも湧いてこないのは、俺の心が完全に折れてしまっているからだろう。
 何も知らないうちは良かった。どれだけ壁が高かろうと気付かなければ越えようとも思わない。
 でももう無理だ。世界大会の皆を見て、それが終わってからの自分を見て……嫌でも分かる。
 ――俺には圧倒的に運が足りない。
 どう足掻いてもトップに立てない。咲にも優希にも、染谷先輩にも和にも部長にも……歯が立たない。
 無い頭を振り絞っても、本やテレビ、ネットを使って勉強しても彼女達に追い付けない。

「あら? 須賀君、まだ帰ってなかったの?」

 部長の声に俺は振り返らず、鞄を手に取る。

「すいません部長。すぐ帰りますんで」

 部長の横を早足で通り過ぎて廊下に出ようとした。
 だが腕を掴まれて阻まれる。

「……どうしたの? 酷い顔色よ?」
「いや……なんでもないです」
「嘘よ。なに? いじめにでもあってるの?」
「なんでもないですってば」

 振り解く訳にもいかないから、俺は笑顔を向けた。
 でも部長は心配そうな表情のまま俺の目を見てくる。

「まあ多少遅くなっても問題ないわよね。ほら須賀君座った座った」
「わっ! ちょ、部長!」
「はーいはい! 私はもう部長じゃないので聞きません!」

 無理矢理椅子に座らされてしまう。
 あまりにも強引だったが、抵抗しても仕方ない。

「で? どうしたの?」
「どう、ってこともないんですよ本当に。ちょっと今後の事を考えてるだけで」
「今後の事?」

 ――俺に麻雀の才能はない。
 誰の目から見てもそれは明らかだ。続けても、きっと芽が出ることは無いだろう。
 部のメンバーには全員何かしらの個性や華がある。俺には何もない。ただ普通に打って、普通に負ける。
 だから今後の事を考えるしかない。
 来年、新入生、新入部員……怖い。無理だ。耐えられない。

「麻雀、辞めようかなと思いまして」
「…………」


 部長はなにも言わずに俺を見つめた。
 どうして? と聞いてこないのは、部長も薄々分かっていたからだろうな。
 30秒ほど見つめあって、部長は笑った。

「ダメよ須賀君、簡単に諦めちゃ。須賀君はまだ初心者なんだから、これから勉強すれば良いのよ? 随分ほったらかしにしてたから、来年に向けて教えるわ」
「部長……部長なら分かりますよね? 俺に才能がないことくらい」
「分からないわね。私、須賀君ならいつか凄い打ち手になるんじゃないかって、そう思ってるし」

 慰める為に冗談を言っているんだと思って、俺は笑った。笑おうとした。
 だが部長の顔が真剣なもので、本気でそう考えているような気がして上手く笑えなかった。
 部長の考えが読めない。
 スッ、と部長の右手が俺の頬を撫でた。

「ぶ、部長……?」
「ねぇ須賀君、覚えてる? 私達が初めて会った時の事」

 初めて部長と会った時? 勿論覚えている。
 俺にとっても分岐点思だったから。

 あれは入学してから一週間程の経った日の事だ。
 何かのチラシを持ってつまらなさそうに立っている部長が気になって俺は声をかけた。

『あの』
『……え? なに?』
『そのチラシ、なんですか?』
『これ? はい、いっぱいあるから一枚どうぞ』
『……麻雀? ここにも麻雀部あるんですね、聞いたこともなかったです』
『ええそうだけど。君は?』
『あ、俺は須賀 京太郎です。部活の勧誘が凄くて逃げてきました』
『ああ……そうでしょうね。須賀君、背が高いし』
『俺運動部は無理なんですよね。ちょっと怪我しちゃいまして。麻雀って面白いですか?』
『面白いわよ!』
『はは、そうですか。じゃあ体験入部させてもらおうかなー』
『ほんと? 麻雀経験者?』
『いえまったく。テレビで見たことはありますけど、それくらいですかね』
『ふーん……できれば女の子が良かったんだけど……ま、そんな贅沢言ってる場合じゃないしいっか! よろしく須賀君!』
『正直ですね。よろしくお願いします、先輩』
『あ、自己紹介まだだったわね。私は竹井 久。清澄高校麻雀部の部長よ。今は二人しかいないけどね、部員』
『そうなんですか。あー確かに、麻雀やるなら龍門渕とか風越行きますもんね』
『そうなのよねー。とりあえず須賀君! 部員集めに協力しなさい! 体験入部とかまどろっこしいのは無し! 入部決定!』
『ええ!? ……まぁ役立てるかは分かりませんが……良いですよ、分かりました。頑張ります』
『ええ、しっかりね! ……ふふ』

 そして俺は麻雀部に入部した。
 それから少しして和と優希が入って、それから咲を麻雀部に誘って……あの時は楽しかった。

「あの時私、本当に心の底から嬉しかったのよ。誰に声かけても興味ないとか、部活もう決めてるって言われちゃって。須賀君に声かけてもらわなかったら暴れだしてたわね」
「そうだったんですか?」
「ねえ須賀君。私は須賀君に救われたわ。須賀君のおかげで毎日が楽しくなったし、団体戦に出場することもできた」
「俺に出来たことなんて――」

 部長は俺の唇に指をあて、俺の言葉を遮った。
 微笑み俺を見る部長はとても綺麗だった。だが何故か……俺は部長のその表情を見てゾクリとした。

「ねぇ須賀君。君がどう思ってるかなんて私には関係無いのよ。私は君に救われた。誰も相手してくれなかった時に、君は私に声をかけてくれた。笑いかけてくれた。それだけで私は良かったの」
「ぶ、部長?」
「須賀君が強くても弱くてもどっちでもいい。一緒に居てくれれば満足だったわ。ねぇ、須賀君……麻雀部、辞めるの?」

 怖い。部長の顔から表情が抜け落ちていく。
 近いうちに辞めることを伝えないとな、とかどうやって伝えようかな、とか……色々と考えていた事は全部ぶっ飛んでしまった。

「や、辞めません、よ」
「……そう、良かった。須賀君に麻雀を辞められると困るのよ。大丈夫、来年のことなんて考えなくても良いから」

 俺は何も答えずにゆっくりと頷いた。

「……ふふ。さ、そろそろ帰りましょうか?」
「そ……うですね……」

 部長が離れた。
 俺はハッとして、いつの間にか手から落としていた鞄を拾う。
 もういつもの部長だった。

 そして外に出て帰路に着く。

「それじゃあ須賀君、また明日」
「は、はい。また明日」

 ……何だったんだろう。
 部長があそこまで本気なのを俺は見たことはなかった。
 勿論麻雀に関しては、ふざけたような調子でもいつも本気だと言うことは伝わって来ていたが、そういうものではない。
 さっきのは凄みが違った。

「……なんて、俺の気のせいだよな、うん」

 ちょっと俺をからかったのかも知れない。
 部長は俺の事を雑用係として重用してるから、咲たちのことを考えて止めに来たのかもしれない。

「部長はもうすぐ卒業するし、部長が卒業してから改めて染谷先輩に辞めることを伝えよう」

 今年一杯は雑用として頑張ろう。まだあと二年もあるんだし、それから他の部活に励んでも遅くはない。
 なんて悶々と考えていると家に着いた。
 家に入る。まだ誰も帰ってきてないようだ。
 俺は階段を上がり、部屋へと向かう。

 ガチャ……

「はー疲れ――」

 扉を開けて中に入ると、入ってすぐ横に顔があった。
 息が止まる。なんで……ここに……?
 表情の無いその顔は、俺を見て、言った。

「部長……?」
「……辞めるの? 私の前からいなくなるの?」
「ど、どうして……」
「いなくなるの? ねえ?」
「いたっ!」

 部長に押し倒される。
 部長の様子がおかしい。こんな人じゃなかった筈だ。
 どうなって……。

「ごめんなさい、謝ります。謝るからいなくならないで? ねえ須賀君、ほったらかしにしたのは他の子と須賀君が仲良くしてるのがムカついたからなの。ごめんなさい。
雑用押し付けたのも接点をあまり持たせないようにしたかったからなの。ごめんなさい。麻雀を教えなかったのは悔しそうにしてる須賀君が可愛かったからなの。ごめんなさい。意地悪ばかりしてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「っ……! ぶ、部長……離してください!」
「やだ。……やだ……やだ、やだ、やだやだやだやだ!!!」

 ごんっ! 部長に頭突きされた。
 手加減なんて無い、本気の頭突きだ。
 だというのに、目の前の部長の顔は笑顔で、俺の瞳を覗いている。

「痛い。これはお仕置だから仕方ないわね。でも私幸せ、須賀君がこんなに近いから。ずっとこうしたかった……須賀君は私の恩人だから、何か恩返ししたかったの。ごめんなさい。私不器用だから、よく分からなかった。卒業する前に告白して……」

 部長の動きが止まる。

「……どうなるの? 私はひとりぼっち? 須賀君、いないの?」

 部長はとても情緒不安定だ。
 笑っていたかと思ったら急に泣き出しそうになった。

「部長……ひとりぼっちなんかじゃないですよ……俺も染谷先輩も、咲に優希に和もいるじゃないですか」
「やめてよ! いや! 須賀君は私のものなのに! ねえ須賀君、一緒に暮らそ?」
「部長……」
「大丈夫、貴方がいれば私は何にも怖くないから。貴方のおかげで私は……」

「救われたから」

 ………………。
 ………………。

 次のニュースです。
 長野県清澄高校に通う須賀 京太郎さんの行方が分からず、警察は必死の捜索を続けています。
 自室に何者かと争った形跡があり、何者かに拐われた可能性があるとのことです。

 ………………。
 ………………。


カンッ

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最終更新:2019年03月11日 01:39