「だーかーらー! そこはそうじゃないっていつも言ってんだろーが!」
椅子越しに背中をゲシゲシと蹴ってくるロリ師匠に、俺は辟易としていた。
彼女と出会い師事を受けて一年もの時間が経過したが、未だに彼女の言っている事の半分も理解できていない。
彼女の中での常識は、俺にとって異世界でしかない。
例えば今の一局、五順目テンパイドラ切り即リーをしたのだが、咏さん的にはかなりの悪手らしく「私なら跳ねツモだな! あーまったくわっかんねー弟子だ!」とのお言葉を頂いた。
事実そのあとドラを二枚引いてきて、三枚目のドラを切った所で直撃を喰らってしまったからなにも言えない。
わっかんねーのはこっちですよ、とは口が割けても言えないので黙って結果を受け入れる。
「いつまで経っても上達しないよなーほんと」
咏さんの両親と俺の両親が知り合いで、ある日たまたま出会うことになった俺達は、その日一日を麻雀漬けで過ごした。
俺は麻雀なんてやったことも興味もなかったのだが、その時点で俺と咏さんの力関係は完全に決まってしまっていたので逆らう事は許されなかった。
その日の事だけだと思っていたのに、暇な日は通話で、もっと暇な日は直接家に来て俺に麻雀を教えてくれるようになった。
プロって暇なんだなーと思わないでもないが、以前よりもずっと世界が楽しくなったので俺は黙って咏さんを受け入れた。
ひとつだけ問題があるとすれば、俺と咏さんの気性がまったく噛み合わない事だ。
基本ことなかれ主義で大きい賭けには出ない俺と、【火力】【火力】【飛ばす】というように振り切れた咏さんの相性は最悪と言っていい。
俺が咏さんに合わせれば良いんだが、どうにも上手く食いついていけないのは俺の弱さだろうか?
そんなこんなで今日の指導も終了し、俺はベッドに大きく倒れこんだ。
「京太郎、お前は本当鍛え甲斐のある弟子だよ」
「素直にド下手と罵ってくださいよ」
「今更言うまでもねーだろ?」
確かに、とは言わない。言ったらマジギレされるから。
曰く「自分を弱いと思うやつが強くなれる訳ねーだろ。お前は私の弟子だ、まず自分を認めてやる所から始めろ」とのこと。
例外として師匠は弟子をどれだけ罵倒しても良いらしい。理不尽な話だと思う。
咏さんは俺のベッドに腰かけて数秒無言になったあと、んんっと咳払いをして声を出した。
「なあ京太郎、お前本当に清澄行くのか? 今からでも遅くねーから、こっちに来れば良いのに。知らんけど」
またこの話か……俺は既にこの話を二度断っている。
うちの家政婦になれ、代わりに三食昼寝にお小遣い+麻雀の指導と高校三年間の学費付き……この条件を最初に持ち掛けられた時、俺はからかわれているのだと思った。
でも咏さんの目が大マジだった。
だから俺はすぐに断った。そこまでしてもらう訳にはいかないからと。
金の心配をしている訳じゃない。俺みたいなのと同棲してマスコミにでもバレたら、咏さんがどうなるかは想像に難くない。
師弟だと言った所でマスコミは面白おかしく取り上げるだろう。
咏さんとの生活に魅力を感じないでもないが、咏さんの経歴に傷をつける訳にはいかなかった。
「折角ですけど……。麻雀部で勉強しながらバイトして、まず金を貯めます。現状咏さんにばっか負担かけてるんで、俺からも会いに行けるようになりたいし」
「ばっかだねぃ、私は大人で師匠なんだからそんなこと気にしなくて良いって言ってるのによー」
大人、の部分を妙に強調した事については黙っておく。
「俺も青春したいですしね。咏さんの家政婦になると休まる暇も無さそうですし」
「青春? 麻雀弱いくせになに言ってやがる。私に勝てるようになるまでその辺の奴との恋愛なんて禁止だぜ?」
「それじゃあ一生恋愛できませんね」
「一生するなって言ってんだ」
不機嫌そうな声色に俺は思わず苦笑する。
――正直な話。俺はこれ以上咏さんの重荷になりたくなかった。
咏さんと違って俺の麻雀の才能は平凡と言っていい。一年前から少しは成長を感じているが、彼女のようにそれで食っていけるかと言われれば答えはNOだ。
俺の面倒を見てるうちに、咏さんに取り返しのつかないことが起きてしまうことだけは避けたい。
「おい馬鹿弟子。今のは冗談じゃないぜ? 部活するのもバイトするのも、まぁ、許すけどさ。最優先は私だからな」
「部活はともかくバイトの方はそういう訳にも……」
「口答えすんなっつーの! 良いな!」
「なるべく努力します」
太股を叩かれる。
それでこの話は終わりだ。
「今日は泊まっていくんですか?」
「……そのつもりだけど」
「分かりました。部屋と夜ご飯の準備をしてきます」
俺は立ち上がる。
咏さんがここに来る時のルールとして、咏さんの世話は全部俺がやることになっている。風呂やトイレは勿論例外だが。
ルールを課したのは咏さんだが、何でも自分で出来る人間に育てる為の教育の一環だったのだろうと今は納得している。
さて、まずは寝床の準備を――
部屋から出ようとした俺の手を後ろから掴まれた。流れるようにベッドに引き倒された。
「んおっ! え、咏さん!? 危ないですからこういう冗談はやめ」「京太郎」……ん……!?」
咏さんはそのまま俺の上に馬乗りになり、俺の抵抗を封じた。
まずい、腕が不自由だ! ガードできない! ボコられる!
と目を閉じたが、いつまで経っても拳は飛んでこなかった。
「なあ京太郎。私がなんでここに来てるか、分かってるか?」
「へっ?」
間抜けた声をあげてしまった。
俺は目を開けると、思い詰めたような顔の咏さんを見上げる。
それを見て胸が締め付けられた。
俺がこんな顔をさせてしまったのなら、すぐになんとかしなければいけない。
「……すいません。俺の指導の為だと思っていたんですが、違うんですか?」
「それもある。けどそれだけじゃない。京太郎、私が本当に……弟子の為に金をかけて何度も指導に来るような良い師匠だと思ってるのか?」
どういうことだ? それは全て事実だ。
まだ学生の俺の為に金をかけて指導しに来てくれている、と俺は思っていたのだが……違うのか?
俺が困惑しているのに気付いたのか、咏さんは気まずそうに目を反らす。
「私はそんな優しい女じゃねーよ。……お前さ、最初に会ったとき凄く冷めてただろ。世界の全部くだらねーって顔して表情ひとつ変えないで」
「……そうですね。その節は大変な失礼を」
咏さんと会ったとき、俺は世界と言うものに失望しきっていた。
俺は中学の二年までハンドボールと共に生きてきていた。
そこはクソくだらないプライドと口だけの奴らだらけで、何度も俺の足を……いや違うな。仲間うちで足の引っ張りあいをするような部活だった。
それでも俺はエースの座を勝ち取り、陰で悪口を言う事しかできない奴らを見下していた。
――そして右肩に大怪我を負って、俺は引退することになった。
人生ってのが嫌になって、世界が色褪せて見えて何もかもどうでもよくなった……そんなときに出会ったのが咏さんだった。
「私はお前の辛気くさい顔が嫌いで、うざがられても年上命令って事で無理矢理絡んだ」
上下関係は絶対、年上は敬え……俺の体に叩き込まれていた条件反射は咏さんを拒めなかった。
「お前が笑うようになったのが楽しくてな。ついもっと笑わせてやろうと思って、私は無理矢理お前の師匠になった」
「咏さんには感謝しています。咏さんが師匠になってくれたことが俺の一番の幸運ですから」
「……最初はそれだけのつもりだったんだぜ、本当だ。でもな、いつのまにかそれだけじゃなくなっちまったんだ」
……スッ……。
俺がそれを理解するのに、たっぷり十秒はかかった。
ゆっくり離れて行く咏さんの顔を見て……俺は今起きた事を認識した。
「咏さん、今……え?」
「ほんっとお前って奴は、本当に馬鹿だ。ろくでもない馬鹿弟子だねぃ。嘘だろオイ、なんだその反応? 私がそんなに良い女だとでも思ってたのか? そんな訳がない。私はお前を自分のものにするために手を尽くして来たんだ」
「いや、だってそんな……」
「今までそんな素振りを見せなかった? でもよく考えてみろ。本当にそうだったか?」
そういわれても本当に心当たりはなかった。
俺にとって咏さんは厳しい師匠で頼れる姉貴分、過去も今もこれからもそういう存在だった筈だ。
「私は弟子だからお前に構ってたんじゃない。お前だから、お前に好かれたいから、お前に忘れられないように、お前を私なりに精一杯愛した」
「お前に私の世話をさせたのも、将来私の手元に来たときの為だ。金は私が稼いで、帰ったらお前に世話される毎日なんて、考えただけで舞いあがっちまう」
「お前に麻雀を教えてるのなんて、ただの理由作りだ。お前が本当に麻雀が上手くなって、私が必要なくなったら……そんなこと考えたくもない」
「高校に入ったらお前が他の女に目移りするかもしれないから、お前をこっちに縛り付けたかった。いつも不安なんだ、余裕なんか少しもない。お前を取られたら、私はきっと普通じゃなくなる」
「咏さん」
俺は優しく声をかけた。
咏さんは俺を見ない。
それでも俺は続けた。
「そんなに自分を傷付けないでください」
「そ……そうじゃないだろ!? 私はお前が嫌う汚い人間なんだ! 自分のことしか考えてなくて、自分のために他人を利用するような……そんな……ッ!」
「自分のために他人を利用するなんてこと俺だってやってますよ? 俺は楽しくて幸せだから、咏さんと一緒にいます」
「そんなの!」
「そもそも、俺が嫌いなのは悪意を持って他人を利用する連中のことです。咏さんは俺に悪意なんて持ってましたか? 俺は咏さんからそんなもん感じたこともないですよ」
「それは……」
「俺悪意には敏感ですからね。咏さんに悪意が無いのは俺が保証します。だって咏さん、俺が麻雀上手くなったら困るとか言って、それでも真剣に教えてくれたじゃないですか」
ようやく咏さんと目があった。
俺は自由になった両手で、咏さんの頬を包み込む。
「咏さん。ごめんなさい。俺は咏さんの気持ちに今は応えられません」
「あ……」
「そんな顔しないでください。だって俺、本当に言い返せない程の馬鹿なんですから。今まで咏さんのこと姉としてしか意識してませんでした。だからここから始めさせてください」
俺は今まで異性にそれほどの興味がなかった。
まだ俺がハンドボールをやってた頃は近付いてくる女が山ほどいた。
そいつらは俺が怪我をした途端全員離れていった。
そういうこともあって、咏さんのことをそんな風には見たことがなかった。
でもそれも今日までだ。だって目の前で俺の事を想って涙を流す咏さんが、あまりにも素敵すぎた。心臓を鷲掴みにされた気分だ。
「俺の気持ちに曖昧なまま咏さんに返事をするのは嫌です。だから少し待っていてくれませんか?」
俺が笑いかけると……おや? 咏さんの顔が少しずつ赤くなっていった。
照れているのだろうか……いやこれは……違う?
この感じは……怒りだ!
「……良いか京太郎。私の信条は押して押して押しまくれ、だ」
「も、勿論知っていま……」
腕を掴まれた。
物凄い力だ。咏さんの威圧感も手伝って、振りほどける気がしない。
「今日までずっと純情乙女みたいにお前から来てくれるのを待ってたさ。でも……ここで引く訳にはいかないよなぁ?」
「ちょ、咏さん? 今いい感じに話がまとまりかけてましたよね!?」
「んなもん知るかー! 今日お前に誘いを断られたら死ぬ気で攻めるって決めてたんだ! 知らんけど! 湿っぽい空気取っ払ってくれてありがとうだぜぃ!」
「キャー!!! けだものー!!!」
で。今回は添い寝で今までの女性に対する無礼を許してもらえることになった。
最後にふざけたノリにはなったが、ずっと顔を真っ赤にさせている咏さんが可愛くて、俺はどうでも良くなってしまっていた。
隣で背を向けて眠る咏さんを見る。
ちゃんと誠実に咏さんと向き合おう。
元々咏さんが大好きだから問題なんて無い。今も咏さんのことを見ていると、胸の鼓動がどんどん早まっている。
もっとちゃんと咏さんへの好意を自覚してから、今度は俺からちゃんと好きだと言おう。
「おやすみなさい、咏さん」
「眠れる訳ねーだろ……馬鹿弟子……」
………………。
………………。
「須賀 京太郎さん! 男子個人の部優勝おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「今の気持ちをお聞かせください!」
「……俺をここまで育ててくれた人への感謝の気持ちでいっぱいです。部の皆、それから俺の師匠に」
「師匠がいらっしゃるのですか?」
「はい。……ちょっとここでは言えないような人なんですけど」
「もしかして、プロの方?」
「ええ、まぁ……あの、本当にまずいんでこの話はこの辺で……」
「分かりました。ところで話は変わりますが、トッププロの三尋木 咏さんが小鍛冶プロを下して優勝した際に「京太郎ー! 愛してるぜぃー!」と言っていた事についてお話を聞きせてください!」
「話が変わってねぇ! 何してるんですか咏さーん!?」
………………。
………………。
カンッ
最終更新:2019年03月11日 01:40