雪交じりの冷たい風が頬を叩く
地面に掘られた塹壕の中に籠る兵士の白襷も風に靡いてもの悲しい音を奏でる
そんな中、冬だというのに一匹の蟻が一人の兵士の右手をヨロヨロと歩いている
「ケッ、酸っぺぇ…」
自分の手を歩いていた蟻をためらいなく喰らって吐き出す兵士
顔に大きな傷跡を刻んだ精悍な兵士だ
日本人らしくない金髪であるが… 歴とした大日本帝国陸軍第一師団の兵士である
手に三十年式歩兵銃を構え、敵陣を静かに見つめている
「腹減ったなぁ、なあ、京太郎」
「へっ! いざとなったらブッ殺した露スケの尻に噛り付いてでも生き残ってやるさ…」
「お前は本当に野生児だよな…」
「誠、お前はもっと図太くなった方がいいぜ」
親友兼戦友兼幼馴染の高井田誠に軽口をたたく金髪の日本歩兵
名を須賀京太郎と言う
彼らの居るところは旅順、彼らの目の前にあるのは夜の帳の中に佇む松樹山
そう、今現在、帝国は露西亜との戦争の最中にあり
彼らは旅順攻囲戦に参加しているのだ
カチカチと時計が時を静かに刻み
その針が20:50を刺したとき、ついに命が下された
「突撃ィイイイイ!!!」
号令と同時に塹壕から一斉に3千を数える武士たちが這い出し
敵陣・松樹山第四砲台に向かって吶喊する
しかし、敵の機関銃、地雷に吹き飛ばされ、鉄条網に行く手を阻まれる帝国陸軍決死隊
「!!」
そして京太郎も頸に銃弾を受けてしまう
普通なら即死… 運が良くても重傷を負い、ここが戦場であることを考えれば生き残ることは絶望的と言える
しかし、須賀京太郎は並みの兵士ではない…
「ぐぅおおおおおお!!!」
「オラァ! 殺してみろォ!!!」
驚異的な強運を持つ彼に命中した銃弾は主要な器官を傷つけることなく後ろに抜けていた
被弾した一瞬は失神状態に陥ったが…
直ぐに気を取り戻し、敵陣をギロりと睨みつける
バタリバタリと味方の兵が機関銃の餌食になって倒れていくなか
京太郎は銃剣を付けた歩兵銃を手に敵の塹壕に躍り掛かる
「うぉおおおりゃぁああああ!!」
刺突、銃床による側撃、殴りつけるなどの格闘を織り交ぜ敵兵を次々に屠っていく
その戦いぶりは当に鬼神
明らかな重傷を負いながらもその奮戦ぶりから京太郎は味方にこう呼ばれる
――『不死身の須賀』と…
「須賀君… 須賀京太郎君…」
川の中に板を浸し、川面を見つめていた京太郎
作業の途中で、いつの間にか昔のことを思い出し、心ここに非ずの状態に陥っていたらしい
そんな彼を現実に引き戻したのは若い女の声だった
「調子はどう?」
一升瓶を片手に赤ら顔で河原に座り込む茶髪の女
喋り具合から京太郎とは既知の仲であるようだ
「あんた、また呑んでるのかよ… 竹井久さん?」
酔っぱらっている憧に向けて飽きれた視線を送る京太郎
しかし、彼は律儀にも久の質問に答えた
不死身と軍で恐れられた彼だが、その根幹は情に篤く、素直な性格で、女性には紳士な益荒男だ
溜息と一緒に京太郎は久に語りだす
まだまだ砂金が取れると聞いて、北海道の山奥まで来たこと
一攫千金を夢見、長野から出てきたというのに取れるのは岩屑ばかり
「砂金! 金粒! 金塊! どこにもねえ!!!」
「ひっく… 砂金で儲けた人なんてほんの一握り… アレはどこに出るか嗅ぎ当てる目利きが大事なのよ。素人が手を出せるものじゃぁないわ」
「あ~… 金が欲しい… 金が必要なんだ…」
ケピ帽の鍔をつかんで顔を伏せ呟く京太郎
その顔は焦ってるような、悟ったような複雑な表情だった
「ヒック… 銃を持ってるんだから毛皮を取ればいいじゃないのよ… 高値で売れるって話だし…」
「そっちこそ素人が手を出せるもんじゃないだろ…」
そういって木に立てかけてある三十年式歩兵銃をちらりと見やる
よく手入れされ、使い込まれたそれは新品にはない独特の存在感を放っている
「そういえば、貴方。日露戦争の英雄なんだってね… なんでも『不死身』と恐れられたとか… 普通なら『武功抜群』で左団扇でしょ? なんで金に困ってこんな山奥に?」
「気に入らねぇ上官を半殺しにしなきゃ、今頃年金貰って悠々自適だったさ」
「アッハッハッハ! 気に入ったわアナタ!!」
そういって赤ら顔で大笑いした後、久は京太郎にズイっと近寄った。
そして、彼の耳元でこう囁く
「飛び切りの話をしてあげるわ、誰にも漏らすんじゃないわよ…」
彼女の話はあまりに突飛なものだった
何人かのアイヌによって隠されたつづけた大量の金
そのアイヌを騙して皆殺しにし金を奪い去った人物
逮捕され死刑囚として網走監獄に収監されたその下手人は、同じ死刑囚の体に入れ墨を施し、それを金の手がかりの暗号としたこと
入れ墨を施された死刑囚たちは、好機をうかがい集団脱走したこと
「おいおい、完全に与太話の類だな… やっぱあんた酔ってるだろ?」
「フフン、信じるか信じないかは須賀君、あなた次第だけどね」
そう言って一通り語り終えた久は一升瓶に入った酒を一口煽った
最終更新:2020年04月06日 22:47