a.t.b. 2018
ブリタニア人住居区域 トウキョウ租界。
曇り一つ無い晴天の空の下、蜜柑色の気球船がブリタニア人住居区であるトウキョウ租界上空にさしかかっていた。
操縦席に座っている、緑色の長髪を持った女はトウキョウ租界航空管理局との通信を終えた後、可愛らしいストラップが付いた桃色の携帯電話が鳴った。
彼女は白を基調とした独特のスーツを身に纏い、美女と呼ばれる容姿をしていた。その女は操縦桿から右手を離した。胸ポケットから携帯を取り出すと、電話を繋いだ。
「どうした?」
『ねえ、本当に大丈夫なの?大規模な作戦なのに、ナイトメアはたったの十機、それも旧式なんかで…』
「心配するな、井上。そっちは任務に専念しろ」
『準備はすでに整ってるわ。あとは貴方たちの行動を待つだけ』
「そうか、報告感謝する。だが、余計なことは気にするな。なぜなら――」
モニターにはトウキョウ租界の南東に聳え立つ、一際異彩を放った建築物が映し出された。彼女はそれを眼前に捉える。
「これは、『ゼロ』の命令だからな」
整った容姿に、魔女は微笑みを浮かべた。
コードギアス LOST COLORS
「反逆のルルーシュ。覇道のライ」
TURN01 「2人のゼロ」
曇り一つ無い晴天の空の下、ヴィレッタ先生の追っ手から逃れたサボりの常習犯兼副会長、ルルーシュ・ランペルージはリヴァルのバイクを借りて、ロロ・ランペルージと一緒に目的地であるバベルタワーに向かっていた。
会長の差し入れであるパンをロロに噛ませると、車体が大きく揺れる。
冷静沈着なルルーシュも、弟の運転に少しひやっとした。
「おいおい!…ロロ」
「んっ!だって、兄さんが…」
「ははは。分かってるさ。だが、安全運転で頼むぞ」
「うん」
そういうとロロはブレーキに少し力を入れた。
スピードを落とし、バイクは都市高速のカーブを曲がっていった。
ルルーシュはパンを包んでいた袋をサイドカーのダストシュートに入れる。向かい風でページがめくれるのを押さえながら、「カラマーゾフの兄弟」を読みふけっていた。
(ふん……小説でも現実でも、悲劇は連鎖するものだな)
ルルーシュが小説を読み終えたとき、バイクが信号に捕まり、吹き付ける風が止んだ。
都市高速を下り、目の前にはバベルタワーまでの一直線の道路が見えていた。
巨大スクリーンから流れるカラレス総督の声が、ルルーシュの耳に入る。
ルルーシュは目を細めて、ヘルメットについた青いサングラスを通してスクリーンを見た。
眼前では黒の騎士団のメンバーが射殺される光景が映った。
執行後、カラレス総督の声がスピーカーを通して周囲に大きく響いた。
『これはイレブンに対する差別ではない!区別だ!』
ブリタニアの武官らしい風格と、武官らしい言動がルルーシュの心を曇らせた。
行政特区日本崩壊から、もうすぐ1年。
ゼロが起こしたクーデター、『二〇一七事変』の真相については、当時様々な情報が飛び交っていたが、ブリタニアの公式発表によればこうだ。
設立からわずか半年で、黒の騎士団は行政特区日本が保有する軍隊として正式に任命された。
急激過ぎる進展。
だが、ゼロの思惑はそれだけにとどまらなかった。
黒の騎士団は裏で軍備拡張を続け、ブリタニアの傀儡となることを恐れたゼロは、行政特区日本の崩壊と共に独立を目論んでいた。
そして、式典で起こった惨事。
ゼロは『新日本党』を利用し、混乱に乗じて、ユーフェミア様を亡き者にしようと企んでいた。
ゼロの目論見に気付いたユーフェミア様は、それを止めるべくゼロをけん制したが、失敗に終わり、命を落とした。
そう考えれば、ゼロが反行政特区組織であった『新日本党』と裏で繋がっていたことも納得がいく。
ゼロは新たな国家を作りたかったのか、それとも特区日本の実権を握りたかっただけなのか、今となっては分からない。
いずれにせよ、特区日本は終わった。
(たとえ、日本がブリタニアの属国になったとしても、血を流さずに戦う方法は幾らでもあったはずだ…)
黒の騎士団は敗北し、ゼロは捕らえられた。
数日後には処刑され、その功績で、生徒会のメンバーであったスザクはラウンズに就任した。
それを祝って、俺たち生徒会のメンバーもささやかなパーティをしたものだ。
名誉ブリタニア人が、軍の最高位であるナイトオブラウンズに就くなど、ブリタニア始まって以来の異例の出世だ。
一部のメディアが冷ややかな報道をしたが、俺たちにとっては嬉しい出来事だった。
しかし、半年前に『ゼロ』は復活する。
EUに亡命を果たしていたゼロは、活動を再開した。
今年は10カ国の国家がブリタニアの支配下に入り、神聖ブリタニア帝国の侵攻の勢いはさらに増した。
このエリア11のこのような植民地は増加しつつある。
その時代の中で、ゼロの鮮やかなパフォーマンスで彩る逆転劇に、イレブンの人々だけではなく反ブリタニア勢力も希望を取り戻し、近頃のテロは活性化しつつあった。
スザクが捕まえたゼロは偽者だったのか?
だが黒の騎士団は一時期、壊滅寸前まで陥っていた。ゼロが何らかの理由で表舞台に出てこられなかったのは確かだった。
今のゼロは別人なのか?
本当にゼロは生きているのか?
ゼロに関する様々な噂は絶えない。
だが…
(…俺には、関係の無いことだ)
ルルーシュは小説を閉じると、バイクを運転する弟に声をかけた。
「ロロ、早く行こう」
「わかったよ。兄さん」
信号が変わると共に、ロロは思い切りアクセルをきった。
バイクをバベルタワーの地下駐車場に置き、歩いてバベルタワーのエントランスホールへ向かった。
高貴な身分が集まる会場に相応しい、豪華なエントランスホールをまたぐと、黒スーツを纏った男が近寄ってきた。ルルーシュは彼に会員証を提示した。
赤い絨毯が敷かれた階段を上り、カジノに直通のエレベーターに乗り込んだ。
「兄さん。今日は幾ら稼ぐつもりなの?」
「なに…ここまでの往復のガソリン代と、2人分のディナーの食事代を稼げればいいさ」
「それと、シャーリーさんの誕生日プレゼント代も、でしょ?」
「ん?そういえば…あったな。そういうのも」
「それはひどいよ。シャーリーさんが可哀想だ」
「なぜだ?恋人でもあるまいし…」
「…やっぱり、ひどい」
「ははっ。俺にとって、お前以上に大切なものなんて無いさ。ロロ」
ルルーシュの言葉を受けて、ロロは照れてしまう。だが、ロロはルルーシュの表情から憂いの感情を感じ取った。携帯を制服のズボンのポケットに入れる。
「…ありがとう。兄さん。でも、ほどほどしたほうがいいと思うよ。気持ちは、分かるけどさ」
「……相手になる奴がいないからな」
「…早く、帰ってくるといいね」
「……ああ」
ルルーシュはエレベーターのガラスごしに、小さくなっていくトウキョウ租界を見下ろしていた。
トウキョウ湾では大型タンカーなどの多くの船が行き来しているのが見える。
彼はため息をつくと両肘を金色の手すりに置き、表示される階の番号に目を向けた。
ふいに紫色の瞳が揺れる。ルルーシュの顔に哀愁の表情が浮かんだ。
ライ。
お前は何処にいる?
お前が好きだったカレンは、黒の騎士団のメンバーだった。
ショックなのは分かる。
でもな。
その悲しみを皆に与えるんじゃない。
俺は会長の空元気は、もう見たくはないんだよ。
お前は強い男だろう?
お前がいれば、俺はこんなことはやっていない。
…退屈なんだよ。
俺は…
エレベーターを降り、ルルーシュとロロはイレブンの格闘場を無視して、チェスやルーレット、カードのギャンブルが行われている場所へ足を運んだ。
チェスが置かれている台の一つに、一際賑わっている箇所があった。ルルーシュは名のある打ち手が来ているのかと思い、見物客を割って入っていった。
そこではルルーシュの予測どおり、賭けチェスで有名な棋士の決闘が行われていた。
「チェックメイト」
カツ、とクラッシュアラバスターが奏でる木質の音と共に、透き通った声が辺りに響いた。
煌びやかな服を纏ったギャラリーから声が上がる。
「黒のキングが負けた!?」
「すごい…圧倒的だ」
貴族を示すような顎鬚を生えそろえた中年の男、『黒のキング』は、震える手で決闘の相手を指差した。
「い、イカサマだ!これは!」
「あら?何をおっしゃいますの?黒のキング様。それとも、本当の決闘を申し込まれたいのかしら?」
黒のキングに打ち勝った相手は、黒服の女だった。
肩を晒した漆黒のドレスに、二の腕まである黒のロンググローブ、赤いバラをさした黒の帽子には目元と鼻の辺りまで覆う黒のベールを纏っていた。
その下に表れているのは透き通ったように白い肌と、ピンク色の彩られた唇であり、整った体型と、そこから想像させる美女の輪郭は、男の視線を惹きつける魔性の雰囲気を漂わせていた。
彼女は透き通るような声一つで、怒りに身を震わせる『黒のキング』を制していた。
ルルーシュは、男の怒鳴り声に動じない女の胆力に内心賞賛しつつも、彼女の真意を見抜いた。それは彼女の左胸に飾られている金色の翼のようなアクセサリーだった。
このカジノで一握りの会員が付けることを許された装飾品であり、それは彼女の身分を表すことと同然だった。
(ほう…あの女、貴族か。それも侯爵じゃないか)
黒のキングもエリア11にいる貴族であり、一時の癇癪で決闘を起こせば、人のつながりが最も重要である貴族としての地位を揺るがしかねない。
そして、『黒のキング』は男爵だ。
『男爵程度の下級貴族が、私に刃向かう気か?』
と、暗に意味していたのである。
「ちぃ!…どけどけっ!」
周囲に群がる人々をどかし、黒のキングは二人のボディガードを連れて、眉間にしわを寄せたまま去っていった。
その情けない後姿を見つめていると、唐突にルルーシュに声がかかった。
「…もしや貴方は、『プリンス』様では?」
その声に、周囲の人々の視線がルルーシュに集まった。
彼の隣にいたロロはいきなり注目を浴びたことで、身を縮めてしまった。
ルルーシュが目を見開いたのも一瞬、顔に微笑みを浮かべて彼女に返事をした。
「これはこれは…光栄ですね。近頃、噂になっている『魔術師(メイガス)』様に気を留めてもらえるなんて…」
「あら、近くで見ると中々の坊やね。では、一局いかがかしら?」
「…喜んでお受けいたします」
人々から、軽い歓声が上がった。
先ほど、名立たる打ち手が負けたのを目の当たりにしておきながらも、年端もいかぬ若者が物怖じせずに彼女の挑戦を受けたのだ。当然の反応だった。
ルルーシュは席に座り、ロロが椅子のすぐ後ろに控えた。
スーツを着た男が駒を揃え始めた。
だが、『魔術師(メイガス)』は左手でそれを止めた。
「待って」
「どういたしました?」
彼女の行動が理解できなかったスーツ姿の長身の男は、戸惑いの心情を声に乗せていた。
ルルーシュもそれは同様だった。
彼女は黒いロンググローブを纏った指先で、ルルーシュが手にしていた物を指差した。
「どうせなら、貴方のボード、ギースベルト社の一品で行いましょう。イカサマと疑われるのは心外ですので…」
『魔術師(メイガス)』の視線の先で、『黒のキング』がグラスを床に叩き付け、大きな舌打ちをした。2人の屈強なボディガードを引き連れ、不愉快を示す足取りで大きな自動扉をくぐっていった。
周囲の見物客から、失笑が漏れる。
鼻から上の顔を隠す黒のベールが揺れ、『魔術師(メイガス)』の鮮やかなピンク色の唇が、魅惑的な微笑を模った。
「では、プリンス様のお手並み拝見といきましょうか」
アッシュフォード学園の高等部の校舎、日差しが差し込むテラスで、金髪の女子生徒、ミレイ・アッシュフォードはルビー色の携帯電話を切った。
紅茶を運んできた生徒会メンバーの女子生徒、シャーリー・フェネットはミレイに話しかける。
扉をあけた音と共に、テラスの手すりに留まっていた鳩は飛び立った。
「随分と長い電話でしたね」
「本国の叔父様から電話があって、今日の中継を見忘れるなって…」
「何かおめでたいことでもあったんですか?」
「声が弾んでたからそうだと思うけど……どんなサプライズをするのやら、不安で仕方ないわ~…叔父様のやることって、想像がつかないから」
彼女にしては珍しく真面目な表情で、ミレイは両肩を抱いて身を振るわせていた。
シャーリーはミレイの反対側の席に座り、紅茶を一口すすった。
「…会長が言えるセリフじゃないですよ。それ」
栗色の長髪をした彼女は、ミレイの意外な言葉に独りごちた。
プリンスとメイガスが繰り広げるチェスの決闘に、周囲の人々は惹きこまれていた。熱狂という名の沈黙が辺りを支配していた。
彼らが織り成す至高の駆け引きは、もはや芸術の域に達している。
「どっちが勝ってるんだ?」
「分からない。だが…プロ並みだぞ。この二人」
ある者は声を潜めて言葉を交わし、ある者は腕を組み、二人の決闘を固唾を呑んで見守っていた。
「…兄さん」
ロロは不安な口調で兄に話しかけるも、彼には届いていなかった。
「くっ…」
ルルーシュは戸惑っていた。
ライ以来だった。
彼をここまで追い詰めた相手は。
(ルークを動かすと、ナイトに切り込まれる。そして、クイーンは囮。12手目にポーンをクイーンにして、再びキングを狙ってくる。
だが、ここで叩かないと17手目にはこっちのクイーンがやられる。
しかし、その場合は左方が手薄になり、ビジョップがナイトに取られた場合、対処のしようがない…
いや、待て。
29手目のことを考えると、このルークもサクリファイスとして成立するぞ。
くそっ、このままではステールメイトに持ち込むしか…)
ルルーシュは一瞬で何十通りの手を考え出していたが、彼女の手は全てが本当で、全てが囮のようにも感じられる手ばかりだった。
噂以上の腕だった。
彼の額に緊張の熱に当てられた雫が、頬を伝う。
(…若干だが、旗色は俺が悪い)
ルルーシュが額に手を当て思考していると、唐突に『魔術師(メイガス)』の声がかかった。
「プリンス様」
「…なんです?メイガス様」
「貴方は強い」
「ほう、この状況で貴女がそ…」
「ただ、それだけです」
彼女はルルーシュの声を遮るように言った。
「貴方では、私には勝てません。たとえ何回やっても、何千回挑んできたとしても…」
メイガスの言葉はルルーシュの癇に障った。彼の整った容姿に眉が吊り上る。戦局が悪いこともあって、ルルーシュは不快な表情を隠せずにいた。
「…もう勝利宣言ですか?随分と強気ですね」
ルルーシュの視線を受けたメイガスは唇に笑みを浮かべた。その表情が彼をさらに苛立たせた。
不敵な笑顔で、『魔術師(メイガス)』は白のポーンの駒を進めた。
「貴方は失ってしまった」
「・・・失った?」
「ええ。もっとも大切なものが……そう、『真実』というピースがね」
「真実?そんなもの、語られないほうが多いのでは?」
「ですが、それこそが、貴方が必要としている『真実』でもあるのですよ」
「…おっしゃる意味が分かりかねますが?」
「ええ、『今』の貴方に理解できないのは当然です」
「……『今』の俺?」
ルルーシュに後ろに立っていたロロの表情が鋭くなった。
メイガスの言葉が理解できず、ルルーシュに一瞬の隙を与えた。黒のナイトをボードに置いた。そのとき、ルルーシュの思考は止まった。
はっとなり、先ほど置いたナイトを見た。
(し、しまった…駒の配置を間違えた!くっ!この女、俺の動揺を誘ってっ!)
メイガスの唇が薄く開いた。それを見たルルーシュは、ベールに隠された笑みの表情を連想し、不快な思いがこみ上げてきた。
「ふふっ。この勝負、見えましたね。では…」
白のクイーンが黒のキングを捕らえ、チェックがかかった。
メイガスの唇が歪む。
「貴方に『真実』をプレゼントいたしましょう」
魅惑的な笑みを浮かべる黒服の女性に、ルルーシュは目を奪われた。
素顔こそ分からないが、ピンク色の唇と透き通った白い肌から連想される彼女の美貌に、頭を刺激される。
この時、彼には黒服の女が『魔術師』ではなく、本物の『魔女』に見えた。
その時だった。
爆音と共に、カジノが揺れた。
シャンデリアが落ち、ガラスや壁が砕け散る音と共に周囲に煙が舞った。強い風がルルーシュたちを襲う。
盤上の駒は全て弾かれ、その場にあったグラスや花瓶は吹き飛んでいった。
「うわあああっ!」
ルルーシュは椅子から離れて、床にたたきつけられながらも無意識に両手で顔を覆った。
灰色の煙が漂う中、ルルーシュはすぐさま立ち上がり、大声で叫んだ。
「何処だ!ロロ!」
悲鳴を上げて、周囲にいた人々は逃げ出した。駒が散乱していたが、彼はそんなことを気にとめていなかった。
足を誰かに掴まれた感触がしたルルーシュが下に目を向けると、怯えた表情で視線を合わせない弟を発見した。
「ロロ!大丈夫か!?怪我は…」
ルルーシュの言葉が耳に入っていないのか、ロロは震える手である方向を指差した。その先をルルーシュは視線を向ける。
「兄さん。あれって…」
約5メートル先の眼前には、紅いナイトメアフレームがいた。そして、眼前にはその状況に臆することもなく、ゆっくりと椅子から立ち上がるメイガスの姿が映った。
機械音が鳴り、紅いナイトメアフレームの右腕にある銀色の鉤爪が鈍く光った。ルルーシュの背筋に悪寒が走った。
(見覚えがある。あれは…)
「あ、あの赤いナイトメアはっ!」
ルルーシュが告げる前に、一人の男が叫んだ。
「逃げろお!ゼロの双璧だ!」
また、逃げ惑う民衆の中から、男の大声が響き渡る。
「くっ、黒の騎士団が!エリア11に帰ってきた!」
周囲の悲鳴がさらに鋭くなる。
客だけではなく、従業員さえ仕事を投げ出して、扉のほうへ逃げていく。
突然、ルルーシュの手が掴まれた。
「逃げよう!兄さん!」
「あ、ああ…」
「何!?」
ルルーシュの反対側の席に座っていた『魔術師(メイガス)』は声を上げ、椅子から立ち上がった。
黒光りする小さなバッグから、耳に装着する通信機を取り出すと多くの人が走っていく方向を指差して、叫んだ。
「カレンさん!後を追って!」
『了解!』
ナイトメアのオープンチャンネルの声が響き、ランドスピナーが起動した。
左腕に武装されたコイルガンで扉を壊すと一気に跳び上がり、紅いナイトメアフレームは走り去った。
それを確認したメイガスは右手で通信機のボタンを押した。周囲の状況に全くといっていいほど動じていない彼女は、服装の色とは対照的な白い通信機でやり取りを交わしていた。
『ルルーシュを見失った?』
「ええ…かけていたのに、いつの間にか解かれていたのよ」
『では、あの少年はお前の予想通り…』
「対ギアス能力でないとしたら…」
『メイガス』は金色の懐中時計を取り出し、蓋を開けた。
「そうね……時を止めるギアス。
正確には『人間の体感時間を止めるギアス』といったところかしら?」
秒針が刻々と動くギリシア数字表記の盤面に目をやった。
重い非常扉を閉め、ルルーシュは肩で息をしていた。
先ほどの飾り立てられた室内の雰囲気とはうって異なる、物寂しいコンクリートがむき出しの空間に、ルルーシュとロロはいた。
ルルーシュは困惑していた。
(……何で、あの赤いナイトメアは俺に手を差し出したんだ?あれじゃ、まるで…)
「兄さん!」
「ああ、大丈夫だ。それよりもロロ、怪我は無いか?」
「…うん。でも、ここからどうすれば」
「安心しろ。ロロ。お前は必ず、俺が何とかしてみせる」
弟の肩を抱きながら歩いていると、上から足音が聞こえた。彼らが見上げると、そこには黒のジャケットを羽織り、アサルトライフルを構えている人間がいた。
刹那、数発の銃弾が彼らに襲い掛かる。
「危ない!兄さん!」
ロロは身を挺して、ルルーシュと共に床に倒れこんだ。
息つく暇もなく、爆発音が響き渡り、建物が揺れた。その反動で、ルルーシュが足場の無い場所へと転がり込んだ。
ルルーシュは気が飛ぶような浮遊感に襲われる。
「ロロ!」
だが、ルルーシュは自分の身よりも、弟のことを気遣っていた。
「兄さん!」
二人が手は伸ばしたが、指だけが重なり、ルルーシュは暗闇に落ちていった。
大きく目を見開いて叫ぶロロの姿が遠くに離れていく。
ルルーシュは、遠ざかる弟を掴むように手を伸ばしていた。
ルルーシュは運よくビニール製のマットに倒れこみ、無傷で助かった。しかし、何階も下に落ちたために、ロロと大きく離れてしまった。
黒の騎士団がこのバベルタワーにいる。
そう考えただけでも、焦燥感がルルーシュの全身を襲う。
自分の安全など省みず、一目散に階段を走り出した。
(…俺にだって力はあるはずだ。世界で、たった一人の弟を守れる力はっ!)
階段を上りきると、大きな暗い空間がある場所にでた。四方八方を見回しながら、上へと登る階段を探していた。
足に、何か柔らかい感触があった。ルルーシュはふと足元を見る。
「!?」
そこでブリタニア人やイレブンの無残な死体を目の当たりにした。それも一人、二人ではない。中には『黒のキング』の死体もあった。
強烈な吐き気を催し、押さえ切れず、地面に零す。
全身が凍りつくような不安に襲われながらも、心は弟の安否だけで埋め尽くされていた。
イレブンのバニーガールが手にしていた一枚の写真が目に入る。
血で濡れたゼロの写真がそこにあった。
(馬鹿だ!こんな奴をいまだに信じてるなんて…だからお前たちは!)
死体が連なる先には、サザーランドではない青いナイトメアが静かに佇んでいた。
ルルーシュは目を見開いた。
片腕に大きな鉤爪がある青いナイトメアが、ゆっくりとルルーシュの方に向いた。
その機体も見覚えがあった。
先ほどの目にした赤いナイトメアの対となる青いナイトメア、黒の騎士団の最高戦力として名を馳せた機体だった。
「ぜ、ゼロの双璧!」
ルルーシュの声に反応したように、ナイトメアのコクピットのハッチが開き、一人の少女が現れた。
緑色の髪をした少女だった。
白を貴重としたパイロットスーツを身に纏い、整った女の体躯が暗闇でも分かる。
一筋の光が彼女を照らす。
「ルルーシュ」
酷く綺麗な声が耳に届く。
「・・・な、なぜ、俺の名を」
彼女は美しかった。
ルルーシュが見てきたどんな女よりも美しく、そして全ての男を虜にするような魔性を放っていた。
彼女はナイトメアのワイヤーを使って、ルルーシュと同じ目線に降り立つ。
魔女の誘惑に魅入られたように、彼は足を進めた。
目には彼女しか映っていない。
その時、彼に近づいてくる足音が木霊した。
ルルーシュは、それに気付き、すぐさま振り向いた。
そして、凍りついた。
「ゼロ!?」
忘れるはずが無い。
黒いマントをなびかせ、黒い服で全身を覆いつくす仮面の反逆者が眼前にいた。
全身が黒い服で覆われ、性別、素顔、経歴、全てが謎の人物。
このエリア11に新たな波を引き起こしたテロリストの首領が、単調な歩行でルルーシュに近づいていた。
コツコツと、仮面の人物がコンクリートを踏みしめる音がルルーシュを怯えさせた。
眼前にはゼロ。
後ずさるも、背後には得体の知れない魔女がいる。
ルルーシュはどうすることも出来ず、足がすくんで尻餅をついた。
喉が冷えあがる。
このエリア11に戦争を巻き起こした張本人が目の前にいる。
震える声と手で、ルルーシュはゼロを指差した。
「お前は、死んだはずじゃ…」
仮面の人間はルルーシュの問いには答えず、副生音の言葉でつづった。
『お忘れですよ。プリンス様』
ゼロは足を止めると、ルルーシュに『あるもの』を投げつけた。
『それ』を受け取ったルルーシュはさらに驚愕した。
「なっ!?なぜこれをっ…!」
それは茶色のチェスボードだった。混乱の最中、ルルーシュが置いていったものだった。
仮面の人間から、彼の耳に届いた。
『だから、言ったではありませんか。貴方に素敵な『真実』を見せてやると…』
「…まさか、お前はっ!」
ルルーシュの言葉は、コンクリートの壁がナイトメアの銃弾によって破壊される轟音によって塗りつぶされた。
彼が振り返った目の先には、アサルトライフルを構えたサザーランドが立ちふさがっていた。
床を蹴る多数の足音と共に、完全武装したブリタニア兵が姿を現した。
ライフルの金属音が木霊し、銃口がゼロを狙っている。
ブリタニア兵の姿を見た途端、ルルーシュの心は安堵と恐怖に締め付けられた。
(…助かったが、まずい!これでは、俺が黒の騎士団の一員だと誤解されてしまう!)
「へ、兵隊さん!ゼロです!ゼロが!」
『まあ、慌てるな』
低い男の声がナイトメアのオープンチャンネルと通して、ルルーシュの耳に届いた。
サザーランドのハッチが開き、パープルを基調とした軍服を纏った中年の男がワイヤーを使って降下する。
その右手には拳銃を構えたまま、ルルーシュを見据えた。
「まさか、魔女と一緒に『ゼロ』までエサに引っかかってくれるとは…私にもツキが回ってきたということかな」
「え、エサ?」
「そうだよ。ルルーシュ・ランペルージ君。君は魔女を捕まえるためのエサなのだよ」
「魔女?…エサ?…何を言ってるんですか!?俺はただの…」
「君と話す気は無いね。ごくろうだった。君は役目を十分に果たした。だから、もう…」
ゼロの仮面の一部がスライドし、琥珀色の瞳が晒された。
その瞳に、赤い紋章が宿る。
鳥のような形をした悪魔の刻印が、妖しく輝いた。
司令官の男の目が、赤い光に彩られた。
「……かっ、か…」
その男は驚愕の顔を浮かべ、両手で首を押さえた。
喋ろうとするが、口が動かず、命令を下すことが出来ない。
途中で声が途切れたことに疑問を思った数人の兵士が、司令官の方を向いた。
彼はなんでもない、と手を振ると言葉を紡いだ。
「まだ撃つな。殺すのはゼロの最後の声を聞いてからにしよう」
(…口が、勝手に、動いた…!?)
誰も彼が苦悶の表情で声を発していることに気付かなかった。
魔女は、目が赤く縁取られた司令官の表情を見て、くすりと笑うとルルーシュに口付けた。
「本当の自分を思い出せ―――――――――ルル―シュ」
何だ。これは?
見知らぬ光景が映し出される。
いや、知っているはずの光景が映し出された。
母の死から転落した過去、
魔女の出会い。
鉄と血にまみれた日々、
嘘で固めた日常、
親友との再会、裏切り。
そして、出会うはずの無い人間との遭遇。
境遇を知り、苦しみと喜びを分かち合い、手を取り合った日々。
俺たちが手にした本当の平和。
だが、それは一瞬で砕け散った。
力が欲しいか?
――――力ならお前はもう持っている。
――――忘却の檻から、お前を解き放つ。
魔女が彼に近づいてくる。
眩い光が彼の視界を白一色に染め上げた。
――彼が過ごしていた嘘の日常は、全ては壊れた。
俺の日常にとげのように突き刺さっていた苛立ち…
――ああ、思い出した。
俺は――――――――――
俺が――――――――――
『魔神』は目覚める。
「――――――礼を言う。C.C.」
魔女から唇を離した『魔神』は、ブリタニア兵のほうへと向けた。
黒髪が揺れ、紫色の瞳が妖しく光りだした。
「残念だったな、ブリタニア。本当のエサは誰だったか、それを俺が教えてやろう」
『魔神』は大きく腕を仰ぐ。
彼を縛り付けていた虚無の呪縛を振り払うように。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる」
「――――――――――――――――死ね」
『魔神』の左目に赤い紋章が輝いた。
不死鳥をかたどった刻印がブリタニア兵士を襲った。
抗うこともできずに、赤い光が宿った兵士たちは微笑みながら、互いに銃口を向けた。
司令官である男は、拳銃を首筋に押し当てた。
彼らの最期の言葉が、狂喜に満ちた声で紡がれる。
『Yes! your highness!』
銃撃が鳴り響き、多くの兵士たちの命は散った。
凍てついた瞳で、ルルーシュは亡骸を見下ろしていた。
「そう、俺はゼロ。ブリタニアに反逆し、世界を変える男…」
突然、天井の一部が崩れ落ちた。
瓦礫を散らせながら、地響きと共に一機のナイトメアフレームが降り立った。
銀色の鉤爪を持った、左右非対称の腕を持つ紅いナイトメアだった。
蒼の月下と紅蓮弐式。
黒の騎士団の最高戦力、『ゼロの双璧』が立ち並ぶ。
2機のナイトメアフレームの間には、彼らの守るべき主君、『ゼロ』が佇んでいた。
ゼロはC.C.の肩をたたいて、横を悠然と通り過ぎる。
黒いマントを靡かせながら、仮面を被った主君は『魔神』の元へ足を進めた。
ゼロは静かに『魔神』に告げる。
『お待ちしておりました―――――――――ゼロ様』
最終更新:2009年05月30日 18:54