044-356 ─LIGHT COLORS─ □prologue:向日葵 @T.Y.

 □prologue:向日葵


 ナナリーの朝に光はない。
 それでも、ナナリーには朝の色が感じられる。
 頬に触れる陽の暖かさ。動き出した空気の匂い。鳥の囀り。
 夜の薄い静寂を吹き払うように、営みの躍動がひとつひとつと浮き上がる。
 朝の足音を楽しみつつ、贅沢なまどろみに漂うナナリーを覚醒させるのは、いつも決まった一言だった。
「おはようございます、ナナリー様。──今日は良いお天気ですよ」
 洗濯物が良く乾きそうで助かります、と柔らかく声を弾ませる咲世子に、ナナリーも変わらぬ微笑みを返すのだ。
「おはようございます。最近、曇りがちでしたものね」
 返事をするうちにも、手際良く起床の準備が整えられていく。さわさわと肌を撫でる空気の揺らぎが心地良い。
 咲世子は、まるで大気のような、そよぐ風のような人。身を包み、安らぎまでも与えてくれる大事な存在だ。
 朝の風に抱かれて身支度を整える。
 自宅の中だからといって手抜きはできない。絶対駄目だ。だらしのない格好などもってのほか。
 もちろん、優秀なメイドに任せておけば不安などない。そのはずなのに、最近のナナリーは最後にこう確認したくなるのだった。
「おかしなところはありませんか?」
「はい、今日もお綺麗ですよ」
 穏やかな返事をもらい、一安心する。
 自分が本当に見栄えの良い娘なのか、ナナリーには確かめようもない。
 ただ、これから会うふたりに綺麗な姿を見せられるかどうか、それはとても重要なことだった。それだけが、大事だった。
 ──よし。
 今日も笑って頑張ろう。
 一呼吸おいてから、ナナリーはにっこりと微笑んだ。
「それでは、行きましょうか」


 ■ 


 ダイニングに移動したナナリーを、耳に馴染んだ暖かい声が出迎えてくれた。
「おはよう、ナナリー。よく眠れたか?」
 咲夜子を大気とするならば、優しく手を握ってくれる兄は、ナナリーを支える大地だった。 
 背を預ければすべてを受け止めてくれる、無くてはならない拠り所。
 ルルーシュの側でならば、ナナリーだって地に脚をつけられるのだ。
「おはようございます、お兄様。おかげさまでぐっすりと」
「そうか」
 満足げに答えるルルーシュの方こそ眠たげな様子だと気がついて、ナナリーはちょっと心配になる。ここ数ヶ月、ルルーシュはいつも疲れているようだった。
(ご無理をされていなければ良いけれど)
 気になるのは、ルルーシュのことだけではなかった。
 席につきながら、耳を澄ます。
 普段はルルーシュよりも早く起き出しているあの人が、今日はまだ顔を出していない。兄に劣らず頑張りすぎる人だから、体調を崩していないか気がかりだった。
 そう待たされることもなく、求めていた足音が耳に届く。
 リズミカルで、あまり音も振動も発しない、身のこなしが上手な人の歩き方。
 いつもと変わりない様子に、ほっとしたのもつかの間、そわそわと落ち着かない気分になる。
 ルルーシュと会話を交わしながら、意識は扉の外に飛んでいた(ごめんなさい、お兄様)。
 足音が止まる。
 わくわくしながら待つ。
 はしたなく思われないように、澄ました顔で。
 扉が開いた。
「──すまない、遅くなった。おはよ……」
「おはようございますっ」
 子供のように弾んだ声を出してしまったと気づいたのは、周囲がきょとんとしたような沈黙に包まれてからだった。
「……あ、私ったら」
 頬が熱くなるのを感じてうろたえるうちに、落ち着いた響きの声が、笑みを含んで耳を撫でた。
「……今朝は随分と元気だな、ナナリー。何か良いことでもあったのか?」
「い、いえ、特にそういうわけでは」
「ライが三日ぶりに朝から一緒だからだろう」
「お、お兄様っ!?」
 横から割り込んで言い放つ兄は、最近ちょっと、イジワルだ。
「事実だろう? 俺もライも、最近はあまり食事を一緒に取れないからな──おはよう、ライ」
「ライ様、おはようございます」
 ナナリーの狼狽もなんのその、ルルーシュと咲世子は澄ました声で挨拶を交わしている。
 気恥ずかしさで顔を伏せていると、ライが側に屈み込む気配がして、それどころか顔をのぞき込まれるのまでが分かって、ナナリーはますます困ってしまった。
 これでは顔も上げられない。
「ナナリー」
 感情が抑制された声音は、出会った頃と変わらない。でも、少しだけ丸みを増したように聞こえることが、ナナリーの心を浮き立たせる。
 微笑んだ声が、ナナリーに向けて言葉を形にした。
「おはよう」
 ナナリーのためだけに、送られた一言。
 だからナナリーも、多分ほのかに染まっている顔を上げて、受け止めた。
「──おはようございます、ライさん」
「ああ。今日も、良い朝だね」
 頭を軽く撫でられる。
 子ども扱いされているのが悔しくて、触れてもらえることに心が躍る。
 全身が宙に浮いてしまいそうで、胸は熱く、頭の中を確かな陽光が満たしていた。


 ナナリーの朝に光はない。
 それでも、陽は上る。
 ライはまるで太陽で、ナナリーは向日葵のようだった。


最終更新:2010年07月28日 03:01
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