044-356 ─LIGHT COLORS─ □Scene1:優しい食卓 02 @T.Y.



「……!」
 ルルーシュが一瞬、息を止めた。
 動揺を受け止めた椅子が、床を擦る耳障りな音が響く。姿勢を整える気配。細く息を吐く音。
「……さあ、俺に聞かれてもな。レジスタンスの親玉の判断なんて、分かるわけがないだろう? 会長の考えすら理解不能なんだから」 
 冗談めかした台詞の中に、苛立たしげな声色を感じて、ナナリーは眉をひそめた。
 そういえば、ルルーシュは日本人の話が出たときから極端に口数が減っていた。つまらない偏見を持つような方ではないのに、どうしたのだろう。
「私見で構わないよ。分析は得意だろう?」
「やめよう。お茶を飲みながらする話でもない」
「──いえ、お兄様。とても興味深いお話だと思います」
 自分の口から飛び出た台詞と語調の強さに、ナナリーは驚いた。
 兄らしくないピリピリとした空気に怯えてすらいたのに、考えるよりも早く舌が動いたのだ。
 まるでルルーシュが、ユーフェミアを無視したがっているように感じたからかもしれない。
 もちろん、ルルーシュはテロリストの話題を避けようとしただけだろう。でも、この三人が揃っている今以外に、ユーフェミアと特区の話に踏み込む機会があるだろうか。
 妹の横合いからの一声は、ルルーシュにとっても意外だったらしい。毒気を抜かれたような声が返ってくる。
「ナナリーが政治に興味を持っているとは知らなかったな」
「ユフィ姉様とスザクさんのお仕事ですもの」
「まあ……そうだね。そういう意味では、俺も興味はあるよ」
 言いながら、ルルーシュの意識はナナリーではなくライに向いているような気がした。ライも無言のまま、ルルーシュを見つめているのが分かる。
 やがて、ルルーシュが嘆息して笑みをこぼした。多分、渋みの強い苦笑いだ。
「分かったよ、ナナリー。もう少し、ライの話に付き合ってみようか」
「ありがとうございます、お兄様」
 ナナリーも肩の力を弱めて、ほっと息をついた。差し出がましい口を利いてしまったのに、優しい兄は受け入れてくれたようだ。
「僕も感謝するよ。ここまで突っ込んだ話は滅多にできないからな」
「──気にするな。たまにはこういう議論も良いだろう」
 ナナリーへの対応とは裏腹に、ルルーシュとライの会話には鋭い響きが埋め込まれていた。
 軽い口調は見せかけで、互いを探り合うような強い意思が込められているのが、はっきりと聞き取れる。
 ふたりが本気でチェスを打つときに似た、張り詰めた知性の圧力が広がり、ナナリーの身体はまた強張った。
 最初の一手が打たれる。
「質問を返すようで悪いが、ライの意見はどうなんだ? お前のことだ、自論は用意しているんだろう」
「参考にしてくれるのか。それは、迂闊なことは言えないな」
「俺はいつでも、お前の意見を重要視してきたつもりだが?」
「今回もそうなるように努めよう。……僕には、ゼロがどう思っているかは計りきれない。だから、あくまでも僕個人の意見として言わせてもらうよ」
「十分だ。聞こう」
「ゼロは、万難を排してでも特区に参加すべきだ。この機会を逃してはならない」
「──ほう?」
 ルルーシュのものとは思えない、低い声が値踏みするように響いた。
 初めて耳にする、ナナリーの知らない兄の声。得体の知れない誰かが取って変わったような錯覚に、肌が粟立った。
「ずいぶんと強く主張するな。根拠を聞かせてもらおうか」
「とどのつまり、ブリタニアという大国と戦い続けるのは、日本にとって荷が重すぎる。ブリタニア軍を追い出せば全てが収まると勘違いしている日本人も多いが、話はそう簡単じゃない。
 戦線が広がりすぎているとはいえ、ブリタニアには日本をたやすく押し潰せる戦力が揃っているんだ。恒久的な独立を勝ち取るのは、容易じゃない」
「正論だが、ゼロも馬鹿じゃない。その点は十分に考慮しているだろう。ゼロの発言からは、日本の解放と並んで、ブリタニアによる支配体制への反抗という行動理念が強く窺える。
 何らかの方策を立てていると考えるべきだ」
「たとえば、日本国内を制圧した上での、中華連邦やEUを巻き込んでの大連合、か?」
 返答までには、少しの間があった。
「──まあ、そんなところだろう。ブリタニアは世界を敵に回しているんだ。独立の機会を窺っているエリアも、この国だけじゃない。
 世界規模での反ブリタニア連合。意外と現実味のある話だと思うけどな」
「否定はしない。だが──その手段は、日本と黒の騎士団にとって、流され続ける血に見合った結果をもたらすのか?」
「完全なる独立と、ブリタニアの支配下における限定的な特区。そこだけを見れば比べることすら馬鹿馬鹿しい。
 ……ライ、そろそろ小手調べは終わりにしないか。お前だって一般論を語りたいわけではないだろう。俺は別に、特区構想を頭から否定するつもりはない。
 ブリタニアにとっては上手い手だし、黒の騎士団にとっても利用する隙が残されている。
 やり方次第では、痛みわけの形に持っていくことも……いや、少し話が逸れたな。その先はゼロ本人が考えることだ」
 思い出したように言葉を切り、ルルーシュは紅茶で喉を潤した。
 釣られるようにして、ナナリーもお茶を飲む。ほんの少しの間に、緊張で喉が渇ききっていた。
 他人に聞かれたら大事になりかねない話を、ふたりはしている。危うさを感じても、無知なナナリーでは傍観する以外にないのが、歯痒かった。
「……本題に戻ろう。今の話は、少し頭の回る人間なら、誰でも把握できる程度のものに過ぎない。お前なら分かっているはずだ。
 本質的な問題は、ただひとつ。それは──」
「相手がブリタニアであるという事実、そのものだ」
 きっぱりと言い切るライに、ルルーシュも低い声で同意する。
「そうだ。特区の構想そのものは美しい。だが、所詮はブリタニアが打ち出した制度だ。取り込まれた挙句、全てを奪われる可能性も否定できない。
 いや、事実、ブリタニアはそうしてきたんだ。俺とナナリーは、それを誰よりも良く知っている」
 ナナリーがはっと顔を向ける先、ルルーシュが怒りを押さえ込んだ声で続けた。
「この点についても、お前とは認識を共有していると思っていたんだがな。ライ、お前がそこまで特区にこだわる理由は、なんだ」
 挑みかかる口調に、威圧しようとする声色。眼光もさぞかし鋭いのだろう。
 だが、ライは全く気圧されることなく答えた。最初から打つ手が分かっているときの素早さで、
「決まっている。相手が──ユーフェミア・リ・ブリタニアだからだ。ブリタニアではない。ユーフェミアと手を結ぶんだ」
「な……」
 ルルーシュは絶句した。
 ナナリーも驚いている。人伝にしかユーフェミアを知らないライが、ここまでの信頼を露にしていることに。
 ユーフェミアの名前が、鍔迫り合いのようだった議論の流れを大きく動かした。
 ルルーシュの空気が乱れ、弾ける。
「何を馬鹿なことを! ユフィのことは、お前より何倍も良く知っている。だが、いったいどれだけの人間が特区に関わると思っているんだ。全てがユフィの理想通りに進む可能性などありえない!」
「それを何とかしてみせるのが、ゼロの役割だろう」
「なに?」
「ゼロは奇跡を起こす男だと聞いている。そもそも、ブリタニア相手に一抵抗組織が戦争をしかけようという発想からして馬鹿げているんだ。
 さきほどの反ブリタニア連合だって、普通に聞けば机上の空論だ。
 だが──必要ならば、ゼロはやるだろう。奇跡を起こして」
「……」
「なら、特区を利用してブリタニアを崩すぐらいの芸は、見せてくれないと困る。この一手は重要な一手ではあるが、そのまま勝敗が決してしまうわけでもない。
 肝心な点は、短期的な損得勘定以外にある。この先の戦いにおいて、ゼロと組むに値する人物が、どこに存在しているか。それこそが重要だ。
 ──僕は、君とナナリー、スザクから、色々な話を聞いたよ。ユーフェミアは……君の妹は、ゼロと共に歩む資格がある人間だと、僕は思う」
 最後にまたユーフェミアの名前を出して、ライは言葉を締めた。全てを言い終えたと示すように、彼の雰囲気が静かなものへと変わる。
 ナナリーは、当惑していた。
 つまり、ライは──戦略とか、政治の話は全て後回しにして。相手がユーフェミアだから手を組めと、そう言っているのだった。
 だが。
(ゼロはユフィ姉様のことをそこまで信頼してくれるでしょうか、ライさん) 
 どうしても腑に落ちなかった。姉を高く評価してくれるのは嬉しいが、論理的なライらしくない強引な主張だと思う。
 ルルーシュも同じように感じているのではないか。おそるおそる顔を向けると、兄がぼそりと呟いた。
「……お前まで、ユフィと言うのか」
 あまりにも冷たい響きに、一瞬、自分が怒られたのかと思った。
 もちろん、ルルーシュの矛先は妹ではなく、親友であるはずの少年に向けられていた。
「お前の言うことは、いつも正しいよライ。その通りだ。特区は利用するに値する構想で、ユフィは善良な……ひたすらに善良な娘だ。ただそれだけで、人々を引き込んでしまうほどに」
 ライは応えない。
 ルルーシュの声が熱を帯びる。
「だが……今まで踏みにじられてきた人間の思いはどうなる。流された血はどうなる。善悪は関係ない。そこには、流された血があるんだ。犠牲がある」
 鬼気迫る声で、ルルーシュは言葉を吐き出し続けた。
 怖い声。でも、泣いているような声。流れているのは、きっと鉄の匂いがする液体だ。
「忘れろと言うのか。今から得られるものだけを見て、奪ってきたもの、奪われたものは忘れろと。それは、弱者は強者の恵みを這いつくばって待てということだ。そんなことが許されていいのか。
 ユフィはただ、その生まれと善良さだけで、何もかも手に入れようとしているのに!」 
 兄の、血を吐くような訴え。
 ナナリーは──もう、怯えていなかった。
 ルルーシュが何に怒っているのかが分かれば、恐れることなど何もなかった。
 なぜなら、
(お兄様は……私のことをおっしゃっているのですよね?)
 だからルルーシュは、激怒しているのだ。
 ひとりは人々の賞賛を浴びて世界を動かし、ひとりは光と脚を奪われて隠れ住んでいる。
 同じ生まれ、同じ自分の妹なのに、なぜこんなにも違うのだと。
 なら、伝えなければならないことがある。解きほぐしておきたい誤解がある。
「お兄様」
 ナナリーは兄と手を重ねた。
 そういえば、こうしてルルーシュの手を強く握り締めるのは、久しぶりのことだった。知らないうちに、少しだけ距離が開いてしまったと気がついて、切なくなる。
「ナナリー……ああ、すまない、乱暴な声を出して。ただ俺は」
 我に返って狼狽するルルーシュに、ナナリーは微笑んだ。
「今のユフィ姉様は、このエリアの副総督で……色々な人たちの、夢や責任を背負ってらして。そういう立場の方だからこそ、特区が実現できたのは確かなのでしょうね。でも、それだけじゃないと思うんです」
 ひょっとしたら、世間知らずなナナリーの思い込みかもしれないのだけれど。
「ユフィ姉様は、例えエリア11の副総督でなくても、皇族でなくても、同じことをしようと決心されたと思います」
「それは……そうかもしれない。そうなんだろう。だが」
 もどかしげに声を震わせる兄は、ナナリーのためにどれだけの重荷を背負ってきたのだろう。
 あんなに仲が良かったユーフェミアを、まるで敵のように恐れてしまうほど、ルルーシュは何かと戦い続けてきたのだ。
 それはとても尊くて、眩しくて、ありがたくて。
 でも、少しだけ間違っているような気がして。
「それに、私、信じてるんです。ユフィ姉様は、私たちの幸せを守るために、特区を作ろうとしているんじゃないかって。だってユフィ姉様は、この学園で……私たちの居場所で、あの宣言をなさったのですから」
「……!」
 ルルーシュの手が震えた。心の震えも、ナナリーには感じ取れる。その震えに負けないで、同じように信じてもらえればと願う。
 あの、特区宣言がされた学園祭の日。
 ナナリーは、ユーフェミアと数年ぶりに顔を合わせた。ナナリーのために何か出来ることを、そう申し出るユーフェミアに、ナナリーはこんなことを言ったのだ。
『大事な人ができたんです。半人前の私に、とても良くしてくれる、優しい人です。私は、お兄様とその人と一緒に暮らしていければ、それだけで幸せ。今がずっと続いていけば、それだけで』
 ユーフェミアは、驚いたように口をつぐんでから、とても優しい声で笑ってくれた。
『恋をしているのね、ナナリー』
 ナナリーの顔は、きっと真っ赤になっていただろう。
 もちろん、世界の中心に自分がいるだなんて思わない。ユーフェミアだって、ナナリーのことだけを考えて決心したわけではないはずだ。姉の強さの原動力は、きっとスザクだから。
 でも、ナナリーたちの存在が、ほんの少しでも何かの後押しになれたのなら、それはとても、誇らしいことだと思うのだ。
「お兄様。お兄様が育ててくださった、ナナリー・ヴィ・ブリタニアは……今、とても幸せなんです。嘘じゃないですよ。本当です。お兄様と一緒に居られて、いつでも幸せでしたけど……ユフィ姉様が、大きな贈り物までして下さいました」
 ちょっとだけライの方を意識して、見ていてくれると感じたから、恥ずかしさを我慢して微笑み返して。
 指先で宙を登り、兄の顔に触れながら、ナナリーは伝えた。
「だから、お兄様。そんな顔をなさらないで。お兄様の妹は、ふたりとも笑って過ごしているんですよ? 一緒に喜んでくださると、私も嬉しいです」
「…………」
 ルルーシュは何も答えず、それどころか逃げるように顔を離してしまった。
 でも、ナナリーは落胆しない。兄は代わりに手を握ってくれたし、何かを堪えるような深呼吸と、鼻を啜る音が聞こえたから。
 ナナリーは何も知らない子供の顔で、微笑み続ける。
 ルルーシュは、次に口を開いたときには、もう頼れる兄の声に戻っていた。
「──ああ、そうだね。ナナリーの言うとおりだ。俺はちょっと、考えすぎていたのかもしれない。ナナリーとユフィには……いつまで経っても、敵わないな」
「まあ。そんな言い方だと、私とユフィ姉様が我がままばかり言っていたように聞こえてしまいます」
 悪戯っぽく笑うと、兄も楽しげに身体を震わせた。
「結構、振り回されたんだから、これぐらいは言っても良いだろう? ──ライ。やはり、お前の言うことはいつでも正しいよ」
「……そうでもない。こちらも、自分の無力さを思い知っていたところだ」
 和解の響きに、ナナリーはほっと胸を撫で下ろした。このふたりは、穏やかに会話をしているのが一番似合っている。
「謙遜するな。お前は、ゼロよりもよほどゼロらしい。代わりにあの仮面を被ったらどうだ?」
「遠慮しておく。悪いが、あのコスチュームは僕の趣味じゃない」
「な、なに? いや、多少劇場めいた衣装なのは認めるが、演出効果というものがあるだろう。実際、日本人の支持は圧倒的だ。校内にだって隠れファンがいるんだぞ」
「装いへの支持でないのは明らかだと思うが……」
「ゼロの衣装は、そんなにおかしいのですか?」
「そんなことはないよ、ナナリー。ライは記憶がないからね、センスが偏るのも仕方ないんだ。ナナリーもいつか、目にする日が来れば理解できる」
「……今、とてつもなく失礼なことを口にしたよな」
 もう、ゼロの去就については誰も気にしていなかった。
 今は、他愛のない会話が、たまらなく楽しい。
 この三人で居られる時間が増えるのは、まだしばらく先になるのだろうけども。
 ナナリーが居て、ライが居て。そのうちに兄も帰ってきて、いつかはスザクやユーフェミアや、もちろん咲世子や生徒会の皆も加わって。
 ずっと一緒とはいかなくても、食卓を囲める日がやってくれば、とても素敵だと思う。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ準備をしよう。ライ、ナナリーを咲世子さんのところまで頼む」
「良いのか、僕が送らせてもらって」
「ためになる講義を聴いたからな、授業料代わりだ。釣りはたくさん貰いたいところだが、それもサービスしてやる。──ナナリー、今日は三人で登校しよう。また後で」
「はい、お兄様」
 背後に回ったライが、ゆっくりと車椅子を押してくれる。
 廊下に出て、自室へと送ってもらう途中、不意に頭を撫でられた。
「──ありがとう、ナナリー」
「えっ?」
 耳元、とても近い距離で囁かれて、びっくりした。
 ああ、また心臓が悲鳴を上げている。そのうち、爆発してしまうかもしれない。
「君は……何でも変えてしまうんだな」
「あの、お兄様のことなら、私は何も。言いたいことを言っただけです」
「うん。それでも……君は、世界を変えたのかもしれないよ」
「そんな、いくらなんでも大げさです」
 大仰な物言いに、ナナリーはくすくすと笑った。
「世界なんて手に余ります。私には、お兄様のお気持ちを、少しだけ変えるので精一杯」
「──変わったよ。少なくとも、僕の世界は」
「あ……」
 ふわりと、ライの香りが身体を包んだ。
 ライの両手が、ナナリーの両肩に触れていた。抱き締めるには程遠い、腕を交差させるわけでもない、指先で突くような、軽い軽い触れ方。
 それも一瞬のことで、すぐに車椅子は動き出す。
 深く考えることではないはずなのに、何も言葉が出てこなくて、沈黙が全く怖くなくて。
 咲世子の含み笑いに迎えられるまで、ナナリーはずっと、車椅子の上で小さくなっていた。


T.Y.
44
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最終更新:2010年07月28日 03:00
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