「……またやったな」
ノネットが発泡酒のグラスを受け取りながら呆れ顔で言う。
「お前、無節操にフラグを立てていると、そのうち血を見るぞ?」
『?』
ライが、無自覚な表情でノネットを見返した。
「やり手なのか。お前」
ジノがライをつついて言った。
「言葉が話せないというのも、乙女に夢を見せる原因のようだな。……無口な男は持てるらしいぞ、ジノ」
「何だよ、それ」
ノネットの含みに反応したジノが言い返そうとすると、ふかふかとしたババロアをつついていたアーニャが、口を挟んだ。
「……ジノは、喋りすぎ。……あと、服のセンス」
「もう、何が悪いんだよ。カッコイイだろうが、あれ」
そういうジノに、アーニャはもの問いたげな視線を送るだけでもう何も言わなかった。
「……そうは言っても、な。和やかなばかりではないんだよ、ここも」
「?」
くい、とグラスを煽ったノネットが言った。ジノが顔を上げる。先ほどの話の続きらしい。
「近頃では、植民地由来の資本すら駆逐するべきだ、と言う国粋主義派閥の動きが活発でな」
会話にきなくさいにおいを感じたのか、アーニャがちら、と視線をよこす。
「――私がこちらを空けがちなのも、原因ではあるんだが。合弁企業標的のテロも増えている」
無爵位のナンバーズでありながら、その産業を国から庇護され、鄙の下級貴族よりもよほど貴族らしい生活を享受する。
そういった彼らに、下級貴族や、純血のブリタニア人でありながら裕福とは言えない生活に甘んじる層からの反発は根強いのだった。
「そんなものかねえ」
名家ヴァインベルグの出とは言っても四男坊、政治の世界にはもう一歩踏み込んでこなかったジノにはピンとこない話ではあった。
「そんなもの、みたいだな。」
ノネットは言うと、すい、と手にしたグラスをライに預けた。
「――エニアグラム卿、そろそろよろしいですか。」
さくさくと草を踏み、近付いてきたのは年の頃四十前後の男だった。ジノとアーニャに丁寧に礼をする。
肌と目の色が濃い。おそらくはナンバーズである。
派手なところはないものの、落ち着いた物腰がこの男が責任ある立場にあることを知らせていた。
「わかった。行こうか、エリオット」
ノネットは、男の手を取ると進み出た。
「それじゃあ、ちょっとお仕事だ。行ってくるよ」
ノネットはそう言うと、空いた方の手をひらひらと振りながら、丘を背にした位置に設けられた演台へ向かって歩き出した。
一旦止まった音楽が、セレモニーの開始を告げる華々しいものに変わった。
先ほどノネットをエスコートして行った男が壇上で挨拶をしている。
エリオット・シュナイザー、IAC・国際農業開発機構社長。この催しの主催者であったらしい。
舞台袖で出番を待つノネットの姿を眺めながら、ジノは隣り合ったライを突付いた。
「ところでお前さ、」
『?』
「ここに来る前は何をしていたんだ? ……って、そうか言葉が」
ジノが頭をかいていると、ライが、隠しから小さな巻き取り式のリールにつけた手帳を引き出して見せた。
「ああ、筆談か。なるほど」
「……ノート?」
見せて、とアーニャが手を差し出した
「ちょっと待て。私が先に質問していたんだぞ」
ジノが遮る。ライは少し困ったように首を傾げてから、手帳のリングに挿したペンを引くと、開いたページに筆記し始めた。
さらさらと紙が鳴る。差し出された頁を、ジノとアーニャは覗き込んだ。
『(ここに来る前は、エリア11に)』
「……へえ?」
「特区、日本の。」
文字とライの顔を見比べながら、ジノは重ねて尋ねた。
「何をしてたんだ?学生か? ……軍人だったのか、お前は」
「 …… 」
何かを答えようとするように、息を吸い込む気配があった。手帳を持った手が、ためらいがちにペンを構える。
『 ……(僕は、)』
手元を注視されながら、ライが迷いながらその一語を綴ったとき――会場の空気が変わった。音楽が止まる。三人は舞台を振り返った。
「――それでは、我らがIACに多大なるご支援をいただき、また栄えある皇帝陛下ご直参、ナイトオブナインでもあらせられる
ノネット・エニアグラム卿よりお言葉をたまわりたいと思います。……エニアグラム卿、どうぞ!」
さっ、とエリオット・シュナイザーの腕が舞台袖へと差し伸べられた。
スポットを浴びて、ノネットが壇上へと進み出る。音楽が鳴り始めた。同時に会場中から大きな拍手と歓声が湧き起こった。
ノネットが微笑みながら手を上げてそれに答えると、さらに歓声は大きくなった。
「……これはこれは。」
「すごい、人気。」
ジノとアーニャが、あたりを見回し、熱狂する人々を見て感心したように言った。
「さすがはブリタニアは西の要、と言ったところか。」
誰にともなく、ジノがつぶやく。ライは、まぶしいものを見るように、舞台に立つノネットを見つめていた。
「……難しいことは言わない。今日は、思い切り羽目を外して楽しんで欲しい。そして明日からまた、元気で働けるように。」
舞台上での、ノネットの挨拶は簡潔だった。笑いさざめく聴衆から、いくつもの同意の声があがった。
「皆の健康と、幸福を祈って。……乾杯!」
ノネットの発声に、会場の人々が調子を合わせグラスを掲げた。舞台の両袖と背後でドン・ドンと音を立てて花火が打ち上がる。
パリパリとはじける音とともに、天に極彩色の花が咲いた。降り注ぐ光に、会場の人々が夜空を見上げて歓声を上げた。
舞台上のノネットも、手をかざして空を見上げた。そのとき、
(ドンッ)
タイミングを外したように、もう一度爆発音が響いた。再度歓声が沸きかけるが、花火は上がらない。
「……?」
人々はいぶかしげにあたりを見回した。奇妙な沈黙。次の瞬間、舞台を組んだやぐらが足元から火を吹いた。
(ドン!)(ドン!)(ドン!!)
連続した爆発音とともに、足場が崩れ始める。ライトが吹き飛び、ガラスの破片が降り注ぐ。
バチン、という音とともに会場中の明かりが落ちた。
「!?」
「……!!!」
人々が声もない驚きに立ちすくんだのは一瞬だった。間を置かず、悲鳴が噴出する。
吹き出した炎が舞台を舐め上げ、聴衆の髪を焦がした。恐怖に駆られた人々が無軌道に駆け出すのは同時だった。
「――テロかッ」
ジノは反射的に身を伏せ、降り注ぐ破片から身を守って言った。
「アーニャ?」
「……平気。」
(ノネットは?)
ジノは舞台に目を向けた。もうもうと巻き起こる土ぼこりの向こうに、ちらりと薄紫のドレスが動くのが見えた。
脇に、人を抱えているようだ。――あれは、IAC社長か?
「よし、とりあえず動いてるな。お前は」
ジノはライを振り返った。ライが視線を合わせて小さく頷く。……一瞬、気を飲まれた。戦士の顔。そうか、こいつは、やっぱり。
爆発物から引火したのか、会場の周縁に配置された屋台が燃え始めていた。足場に張られた幔幕が炎のカーテンとなる。
間を置かず、非常時の火災に備えて会場外に待機していた消防車からの放水が始まったようだった。
炎に照らされた会場に雨粒が降り注いでいたが、断続的な爆発が続き、炎の勢いは衰えを見せなかった。
「まずいな、会場中に燃え移ったら蒸し焼きになるぞ。客たちを避難させないと」
「出口が、少ない」
「アーニャ、設営用の重機ナイトメア、使えるな。足場押しつぶして出口を開けよ」
「起動キー。」
「なければ探せ」
「……命令しないで。とりあえず行く」
ふわり、桃色のドレスが鮮やかに翻る。アーニャは目星をつけた方角へ風のように駆け去って行った。
耳にとりつけたインカムを操作しながら、ジノが言った。
「ライ、私は避難誘導と消火の指示に回る。お前は……」
そのとき、新たな爆発が起こった。はじけた鉄パイプが落下してくる。逃げ惑う人々。咄嗟に、ライは地面を蹴って飛び出した。
銀色の風が駆け抜ける。パイプの落下地点をすり抜けて現れたライの腕には、若い女性が抱きかかえられていた。
着地点で女性をそっと地面に降ろすと、ライは大丈夫、と安心させるように彼女に微笑んで見せた。
……ひと呼吸ののちに飛び出していった彼を見送る彼女の目が、恋するそれになっていたのは仕方のないことだろう。
「 ……なるほど。やるな、お前(フラグ的な意味で)」
『 ……? 』
ジノの言葉にちらりと視線を向けると、ライは肯定するでもなく謝辞のように、かすかに頷いてみせた。
「ライ、お前はノネットに合流しろ」
ジノはライに言った。
「狙いはおそらく、IAC社長、あるいはノネット自身だ。どさくさにまぎれて狙われる。」
『 ……っ 』
ライの瞳が鋭くなる。
「任せていいな?」
ライは真剣な瞳をジノに向けると、力を込めて頷いた。
*
(参ったな、)
ノネットは火にまかれた舞台袖を逃れて、共同使用の耕作機械を収める倉庫の影に身を潜めていた。
背後に丘がそびえているせいで外に逃れることはできないが、会場からは木々にはばまれた上に草が刈ってあり、当面燃えるものがないのが救いだ。
彼女の隣には、IAC社長が寝かされていた。最初の爆発の際に飛んだ破片が、彼を傷つけていた。
どうにか外に救援要請と火災消火の指示を発したあと、彼は意識を失ったのである。
浅い息をつく彼の頭部から血が流れ続けていた。ドレスを裂いた布で傷口を締めてあったが、止血には至らないようだった。
(怪我の程度はそれほどでもないようだが……手当ては必要だ)
エリオットから外した通信機を耳に当てるが、雑音が入るばかりで役に立たない。今は妨害電波が出ているようだった。
舞台周縁を崩す爆発。炎から逃れて来たものの、その実誘い込まれていたのではないか。ノネットはかすかな焦りを覚えた。
(来ているな)
ノネットは、インカムを捨てると耳に神経を集中した。
(混乱は、囮か。狙いは――)
ノネットの耳に爆発音、悲鳴や怒号が届く。ノネットは、ともすれば浮き足立ちそうになる自分を押さえつけた。
(大丈夫だ、あちらにはジノとアーニャが居る)
ノネットは、エリオットに足を曲げた姿勢をとらせると、垂木の上に伏せて乾燥させられていた仕分け用の大きな樽桶の下へ押し込んだ。
桶を元通り伏せてから、ひとつ、深く息をつく。裂いたドレスの下から、身につけていた銃を抜き出して弾倉を確認した。
ノネットは目を閉じて、闇の中に気配を探った。確かに居る。3人?もっとか。
ノネットは、倉庫の影からわずかに身を乗り出した。
(ヒュッ)
頭上を鋭く切っていく風。ノネットはすぐに首を引っ込めた。なかなか正確な腕だ。タイミングも良い。
自分も夜目は利くほうだが、暗視スコープに比べれば分が悪い……
そのとき、暗闇の中で衝突音が響いた。ぐぅっ、といううめき声とともに体勢が崩れ落ちる音。
続いて、タ・タと数発の銃声。同時に葉を鳴らし、木の幹をえぐる乾いた音。
「 ――…ッ!?」
虚を突かれたような声がし、一拍遅れてまた衝突音。
かすかなうめき声と前後して、ドサリ、と重いものが崩れ落ちる音が闇に響いた。
(……!?)
ノネットは、陰から身を乗り出した。
(!! お前、)
木立の陰に、ライの姿があった。ノネットは思わぬ安堵にかられて声を出しそうになった。
ライが、しっ、と唇の前で人差し指を立てた。続いて、ライの手が、何か意図的な動きをする。
軍用のハンドシグナルかとも思ったが、そうではないらしい。
「……?」
一瞬いぶかしんだノネットだが、すぐに思い当たった。
……言葉を話さなくなった少年に、ノネットは最初、手話での会話を勧めようとしたことがあった。
しかし、それを使っての意思の疎通には、自分もその言語を知っていなければならない―――
そのことに気付き、ノネットは手話での意思疎通は諦めたのだった。……必要な情報伝達は、筆談でできるからな!
早々に手話学習を放棄したノネットだったが、ライ自身は地道に勉強を続けていたらしかった。
(ええと、なんだったか)
ノネットは、眉間にしわを寄せながら一週間で投げ出した初心者向けの教本を頭に思い浮かべた。
脳内でたどたどしくそのページをめくる。手を動かしながら、記憶にある綴りを辿った。
(?……「ね」、「の」、「う」、「え」、「か」……?)
続いて、上を指差す仕草。
(……屋根の上)
ノネットは、壁面に張り付いた。横目でライの様子を探る。……当たりか。丘の上から回り込んできたのだとノネットは見当をつけた。
(単純に上を指差せばそれでいいものを)
ノネットは、少年の妙な要領の悪さに呆れながら気配を探る。頭上に、かすかに人のにじる砂音を捕らえた。
ひさしから、ふいに銃を構えた男の頭が覗いた、その瞬間。ノネットの銃が過たずそれを打ち抜く。力なく垂れ下がる腕と銃器。
(タ!)
続いてもう一発の銃声が響いた。一拍を置いて、ドサリ、と音がした。もうひとりの男がノネットの背後に降る。
思わずノネットが振り向くと、ライが木立から身を乗り出し、緊張した面持ちで銃を構えていた。
*
「馬鹿、お前、どうして数を教えない」
ライと合流したノネットは、そう言うと、ぱかん、とライの頭を叩いた。
叩かれた箇所を抑えながら目顔で謝るライの姿に、緊張が解けたノネットは思わず吹き出した。
「 ……だが、助かった。ありがとう」
ふたりは、木立で昏倒させた刺客たちをリールワイヤーで拘束すると、武装を奪った。桶の下からIAC社長を引き出し
代わりに暗殺者を詰め込むと、ライが社長を背負い上げた。辺りをうかがいつつノネットを先導して歩き出す。
短い木立を抜ける。火災は消し止められつつあるようだった。
時折、屋台の燃料に引火するのか、小規模な爆発が起こる他は、人影もないくぼ地の広場は音をなくしつつあった。
水浸しになった広場には、焦げ臭い匂いが充満している。空気は放水の細かな水滴を含んで重たくまとわりついた。
筋となった水が足元を蛇行しながら進んでいく。ライが一瞬、ぎくりとしたように踏み出した足を引き戻した。
濡れた足元がぐにゃり、と歪むような感覚があった。と、姿勢が前のめりになる。ぐるりに燃え残ったやぐらが明らかに傾いた。
「――っ!」
意識のない男の体を持て余した一瞬が、回避のチャンスを奪った。ふたりは足元のなだれ落ちるまま地面に呑まれる。
ノネットは、頭部を守りながら幾度か硬いものにぶつかって落ち続け、やがて体が止まるのを感じた。
――闇。ノネットは、パラパラと細かな土が降り注ぐのが止まるまで、目を閉じて待った。
慎重に体を動かしてみる。崩落は落ち着いたようだ。手足にひどく傷めた箇所もないらしい。
「ライ、無事か。」
やや離れて、ふう、と息をつく気配があった。ノネットは、かすかな光を頼りに気配の元へたどり着いた。
だんだんと闇に目が慣れてくる。ライは、抱えたまま落ちてきたらしいエリオットの体を看ているところだった。
ひととおり脈や呼吸を調べたあと、ライがノネットに向かってほっとした表情を見せる。最初の怪我の出血も止まっているようだった。
「――地下水脈かな。放水で急に抜きすぎて陥没したのか……いや、その前の爆発か、きっかけは。」
ノネットは、穴の底から上を見上げて言った。落差は5メートルはあるだろうか。生き埋めにならなかったのは不幸中の幸いと言ったところだ。
遠くわずかに開いて見える穴の口に、やぐらの燃え残りが格子模様の影絵になって見えた。
水を吸ってもろい土壁や勾配を思えば、自力で登れる高さではなさそうだ。
「仕方ない、発見されるまで待つしか……」
ノネットが言いさしたその時、穴の口に人影が差した。
「――ナイトオブナイン!エニアグラム卿!ご無事ですか!!」
男の声が降ってきた。ノネットははっと顔を上げる。ライが一瞬、険しい顔でノネットの顔を見た。
「そうだ!ここにいる」
ノネットが間髪をいれず答えた。
「他にも、ふたり……」
次の瞬間、ノネットの体は突き飛ばされるように位置を変えていた。何か鋭いものが、ノネットの居た場所の空を切る。
ライが、ノネットの体を抱え込むようにして土の壁に押し付けていた。
「 ――間違いない。ナイトオブナインとエリオット・シュナイザーだ」
たった今、銃を撃ち込んだ男が冷ややかに確認するのが聞こえた。
「まあ、いい。」
一旦言葉を切ると、男はむしろ愉快そうな口調で続けた。
「埋めろ、このまま。」
ノネットはその言葉に戦慄した。自分の迂闊さにぎりりと唇をかむ。
「……それでは、ごきげんよう。ナイトオブナイン」
冷ややかな声を聞いたとき、ノネットは、背中ごしに自分を壁に押し付けていたライの体が離れたのを感じた。
振り返ると、ライは真剣な表情で穴を見上げていた。やがて視線を降ろすと、ノネットを見る。
……にこり、とライはノネットに微笑んだ。ふわりとした感触。ライの両手がノネットの顔を包み、胸元へと引き寄せる。
ノネットが混乱した次の刹那、その手に力が入った。隙間なくふさがれたのは、耳。
ノネットの頬に押し当てられたライの胸が、深く息をはらむのがわかった。
『 ――、―――!』
凛、とその胸が震える。ノネットには何も、聞こえなかった。しかし、耳で聞こえずとも、肌で、髪で感じることのできる音はある。
その響きが、その場の空気を、彼女の肌を震わせて去ったあと、ノネットは、自分の耳が開放されるのを感じた。
「「……イエス・マイロード!!」」
頭上から、いかめしい男たちの声が響いた。整然と駆け去る足音。
――あとには、沈黙と、闇が残された。
*
男たちが駆け去ったあと、ノネットはしばらく外の様子をうかがっていたが、やがてライを振り返った。
「 お前、今――――。いや 」
わずかな迷いはあった。しかし、ノネットは続けた。
「 ……やはりお前、声は出るんだな」
問いかけではない。確認だった。ライは、そのまなざしから顔を背けた。口元はかたく引き締められている。
ノネットは、わずかに瞳をゆがめ、そのかたくなな表情を見つめていた。
ノネットは小さくため息をついた。視線を落とすと、土を踏み固めながら、地面にのべられたままのエリオットの元へと進む。
――少し、冷えてきた。濡れた体が重かった。ノネットは、彼の体温が下がらないように土との設置面を少ない姿勢を取らせた。
「……こんな暗闇の中にいるとな、思い出すよ」
ふと、半分埋まった木の根に腰を落ち着け、ノネットは言った。
「私は子どもの頃、幽霊が恐かったんだ、……ものすごく。信じられるか?」
わずかな含み笑いが混じる。ライは静かに、ノネットを見た。
「お前に、兄弟はいるのか?」
ライの表情がかすかに動いた。答えはなかった。ノネットは続ける。
「私には、たくさんいたんだ。聞いて驚くな―――八人だ。
しかも母のひとつ腹。けれどな、私はその兄弟たちと過ごしたことはないんだ。」
「上に生まれた八人は――男も女もいたが――全て亡くなった。病気や事故や、色々な理由で。
最後の兄が事故で死んだあと、父はもういちどだけと母に無理を強いた。それで、母の命と引き換えに生まれたのが、私だ。」
ノネットは、言葉を紡ぐ。
「……私は。上の兄や姉のひとりでもまともに育っていれば、存在しない人間だったんだよ。」
――ライ、お前は聞いたことがあるか?「ナイトオブナインは九つの死地を越えてきた」という話。
面白いものだと思ったよ。噂はときどき、意外な形で真実を映す。
私は確かに、八人の兄姉と母の命、九つの命を越えて生まれてきたのだから。
私はしごく健康に育ったんだがね。まあ、八人も育たないのが続けばいい加減、呪いの域だ。
それはもう、過保護にされたよ。父は気苦労が絶えなかったろうな。なんと言っても、筋金入りのお転婆だ!
危なっかしいと思うことは進んでやった。全部やった。やってやった!――生きた心地がしなかったんじゃないかな、父は。
……正直、たまらなかったんだ。
ふとしたときに感じる、この子もいつ死ぬのだろう、と、腫れ物にさわるような怯えた眼差しが。
長い間、背負った命は私にとっても呪いだったんだ。……兄たちのことを知ってからは、闇が怖くなった。
どうしてお前が生きている、と夜具のすそから私の足を引く兄の手を見る気がしたんだ。
――でも、あるとき、ある人に言われた。それは、呪いではないと。
たくさんの命の乗り越えて今のあなたがあるのなら、あなたはその命を納得させるほど強く、輝いてあるべきだと。
世界が裏返ったような気分だった。……お察しの通り、お前もご存知のあの方だよ。らしい物言いだろう?
気付いたんだ。私が背負っていた命は、九つでは足りなかった。
母を、殺して……生まれてきた私を愛してくれた父や、エニアグラムの領民、町の人々。
気付けば、私には大切なものが抱えきれないほどあった。そして、それを脅かすものも。
……だから私は、力を求めたんだ。私には、それが出来た。
……だから。
ノネットはライに目をやった。
「お前にも、背負う命があるのだろう、ライ。」
ライは、ノネットの瞳を見返した。
「お前を脅かす脅威は、どこにある? お前が恐れているのは、お前自身だけなのか?」
「……私はな。お前を一生隠れ住まわせる気はないんだ。」
ライがかすかに表情を陰らせた。
「それで、考えたんだが」
ライは、言葉の続きを待った。静かに判決を待つように。
「お前、ラウンズになれ」
「 ……っ 」
「 ――は!」
ノネットは思わず歓喜の声を上げた。してやったりという表情になる。
「今お前、ちょっと声出そうになっただろ」
ライは、いかにも不本意だ、という様子でぐっ、と口をつぐむ仕草をする。ひどい冗談だ、とその目が言っている。
ノネットは口元がほころぶのを止められなかった。けれど、すぐに表情を改め、真剣なまなざしでライに向き合う。
「すべて思い出した、とあの時お前は言ったな。」
ノネットは続けた。
「私は、その全ては知らない。理解できる自信もない。でも、自分がどれだけ危うい立場に居るのか。お前にはわかるんだろう?」
「 …… 」
ライは何も言えず――何か話す事が出来たとしてもきっと同じだっただろう――ノネットを見返していた。
「私はお前を守りたい。だが、一生を隠れ住んで欲しいとは思わない。それでは駄目なんだ。」
「……おまえ自身が、お前にとってのあらゆる脅威が手を出せないだけの力を持て。お前には、それができる」
ノネットは、少し声を低めると、真剣な表情のまま続けた。
「あるいは、皇帝陛下が、お前の最後の脅威になるのかもしれない。……それでも」
ノネットは言葉を途切らせた。
「来ないか。私とともに」
ノネットは、それきり口をつぐんだ。
沈黙が降りた。呼吸の音ですら場違いなほどの緊張が辺りを満たした。ライが身じろぎをする。
……やがて、さらさらと紙を走るペンの音が聞こえはじめた。ライがノネットに手帳を差し出した。
「読めないな。」
ノネットは目を向けることもせずに言った。
「私は、夜目が利かないんだ。こんな闇の中では見えないさ」
そう言いながら、その瞳は挑むようにきらめきながら、確かにまっすぐライを見ていた。
かすかな星の光をなめらかに反射する、ふたつの貴石。
――迷っている。息を詰めた彼の唇がわずかに震える。ノネットは待った。
苦しげな逡巡の表情。やがて、す、とライが目を逸らした。
思わず、ノネットは失望とともに、身の内でふるえるほどに満ちていた何かが失せていくのを感じた。そのとき
「――ありがとう。」
かすかな声が、ノネットの耳朶を打った。
「ありがとう、あなたは何度も、僕に未来を……踏み出す勇気を与えてくれる、」
一瞬の、開け放しの驚き。見る見るうちに、喜びがその顔色を満たしていく。
「お前の声。」
ノネットは、ぽかんと開いた唇に、ようやく言葉を乗せた。
「その声。思い出した。……忘れるところだったぞ」
ノネットは、言いながら腕を差し伸べ、ライを抱き寄せた。
「……随分、待たせたものだな?」
いたわるように背中をさするその声は、わずかに震えていた。ノネットは、ライを抱いた腕をほどいた。
両の手でそっとライのほほを挟み、引き寄せると額と額とを触れあわせる。
「おかえり。」
ノネットが言う。
ライは、瞳を閉じ、されるままに抱擁を受けていたが、やがてゆっくり身を引き、目を開いた。
「ありがとう。……ただいま、ノネットさん」
そう言うと、ライはわずかに伸びをしてノネットの髪に手をそえると、額にそっとキスを落とした。
*
*
*
陥没した穴から、ノネットたちを解放したのはアーニャだった。
『こちらから、開ける。下がっていて、』
重機ナイトメアの外部スピーカーからアーニャが告げる。わずかに見えていた狭い空が遮られた。
地すべりの起きかねない不安定な地盤の上で、起用にナイトメアを操り、アーニャは瓦礫と土くれを取り除けていく。
「……アーニャ!そこまででいい!」
聞こえてきたのはジノの声だった。大きくなった穴から、ロープと担架が降ろされる。
やがて、ナイトメアによって全員が穴から引きあげられると、一堂はようやく息をついた。
星はその名残りを残しながら、空は、薄明るい桃色に明けかけていた。
「――ジノ、どうして、あの場所がわかった?」
毛布にくるまりながら、温められたワインを吹いて、ノネットが尋ねた。
避難所として設けられた仮設テントでは、避難してきた人間の手当てや問診が行われていた。
幸いなことに、今のところ死者は出ていなかった。一番重傷だと思われたエリオット・シュナイザー社長にしても命に関わる怪我ではない。
爆発が主に観客から隔てられた舞台を狙ったものであったこと、現場が周囲に家屋などのない郊外だったことなどに加え、
迅速な避難誘導が功を奏したのだった。
ジノとアーニャは、指揮系統などの諸々を地元警察に引き継いだ後、自分たちも仮設テントへやってきて、ノネットたちに付き添っていた。
「ん?ああ、あれは」
自分も温かな飲み物に口をつけ、人心地付いたジノが、ノネットの問いに答えた。
「救助要請があった。テロリストから」
「 何?」
「助けを呼びに来た、と言ってね。場所も告げた。
……で、見るからに怪しい武装をしていたから、その場で逮捕。……なんだったんだ、あれ。」
腑に落ちない、といった表情でジノがぼやいた。
ノネットは、ライを振り返った
「 …… 」
ライはちらり、とその視線を受け止めると、困ったように微笑んだ。黙ったまま、首を振ってみせる。
ノネットは思った。……まあ、それもいい。お前がそうすると決めたなら。
「ふたりとも、ペンドラゴンに戻ったら、頼みがあるんだ」
ノネットは、ジノとアーニャに向き直って言った。
*
*
*
――エリア11、行政特区日本。その行政庁舎の一画に設けられた、特別派遣嚮導技術部駐在所、通称「特派室」内。
「……そォんなの!」
半開きの扉から突然聞こえてきた叫び声に、忙しく立ち働いていた職員たちは思わず手を止めた。
「駄目ですよ。あれはね、ボクのなんですから。いじっていいのは、ボクだけなんです」
職員たちが顔を見合わせていると、ひとりの女性職員が、決然とした表情で扉へ歩み始めた。
それを見て、他の職員は自分たちの仕事へと戻っていく。……あの主任の諸々は、彼女に任せておけば間違いないのだ。
「わかりました。勿論、ボクも行きます。こちらのことならね、ラクシャ……、あー、
さしあたってのメンテナンスは、あっちのチャウラー博士のチームに任せる事だってできるんですから。」
『 ……、……。』
「当然です。楽しみに待っててねって、伝えておいてください。はいはい。それじゃあ~」
通信は、終わったようだった。話の終わらぬうちに入室を果たしていた先ほどの女性職員が、後ろ手に扉を閉めて言った。
「――ロイドさん!いつも部屋の扉は閉めて下さいって言っているじゃないですか。
人に聞かれるべきじゃない話だってあるんですから、気を配っていただかないと!」
たしなめる声に、特別派遣嚮導技術部主任、ロイド・アスプルンドは顔を上げた。その顔がにんまりと笑っている。
「セシル君。」
「……はい?」
なんだか雲行きの怪しい様子に、セシル・クルーミーはやや及び腰になって答えた。
「さっそく、準備を始めようか。忙しくなるねえ!」
ロイドは席を立つと、意気揚々と歩き出した。
「えっ、準備って、何の。……ロ、ロイドさん!?ちょっと、今の通信は一体……!」
セシルは、訳のわからぬまま、慌ててロイドの後を追った。
*
――通信を切ったシュナイゼル・エル・ブリタニアは、おかしそうに笑った。
「どうされました?殿下」
書類を手に現れた補佐官、カノン・マルディーニが尋ねる。ブリタニア本土はテキサス、ダラス研究所にてのことである。
「――ロイドに、叱られてしまったよ。枢木の機体こともあるし、パラミティーズのチームに預けたらどうかと言ったのだがね」
「パラミティーズ……ナイトオブナイン、エニアグラム卿ですか。」
「ああ、ナイトメアを一騎、くれと言ってきた」
シュナイゼルは、わずかに天井を仰ぐと、優雅な仕草で手を組んだ。
「まあ、ここで多少の恩を売っておくのも悪くはない。――あれはちょっと、面白い子供だったのだがね――」
シュナイゼルは半ば独り言のようにつぶやいた。
「――新たな騎士がひとり、か。」
シュナイゼルは、言葉を途切らせた。
「父上は――、当然、ご存知なのだろうな。 ……これは、却って面白いことになるかもしれないね?」
問いかけるでもないシュナイゼルの言葉を、カノンは静かに聞いていた。
*
*
*
皇暦2018年、8月。
その年における、現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの誕生月である。
この季節のブリタニアは、国を挙げて、ひとりの男の誕生を、その存在を祝う。
その催しのひとつに、名のある騎士同士がナイトメア・フレームで戦い雌雄を決する「御前試合」があった。
――ペンドラゴン郊外に設けられた闘技場は、試合開始を待つ人々でざわめいている。
用意された主なカードは、すでに消化されていた。
残された最後の立ち合いを、人々はいまや遅しと好奇心と期待を持って待ち構えているのだった。
入場口からさす光の奥に、ナイトメア搭乗を控えたひとりの少年騎士が立っている。
「――そうだ、スザク君から伝言。『君は帰ってくるって信じてた。健闘を祈る』だってさ」
白衣の男が、少年に告げた。その言葉に、騎士の口元がふわりとほころぶ。
「コーネリア殿下もいらしてるしねえ。ここは良いところみせるしかないねーえ?」
へらり、とした笑顔を浮かべながら、男は少年の背中を叩いた。
少年は、にこりと微笑んだ。やがてその顔が、横に控えたナイトメアを見上げて引き締まる。
「さあ、出番だ。行っておいで。あちらもお待ちかねだよ」
闘技場に、騎士の入場を間近に知らせるファンファーレが響き渡った。
「神聖ブリタニア帝国第九十八代皇帝 シャルル・ジ・ブリタニア陛下に、礼!」
朗と響き渡る肉声で、審判が告げた。闘技場の中央に向かい合った二機のナイトメア・フレーム。
それぞれのコクピットに立った騎士が、貴賓席、その中央の男へ敬礼の姿勢を取る。
「両者、互いに、礼!」
騎士たちは、自らの駆る馬上から向かい合った。
「東!パラミティーズ騎乗、ナイトオブナイン、ノネット・エニアグラム卿!」
さっ、と伸びた腕の示す先には、淡い紫を基調とした機体が、太陽を照り返す。その姿は、優美で、力強い。
名を呼ばれた騎士――ノネット・エニアグラム――は、誇らしげにその胸をそらした。
続いて、審判の逆の腕が差し伸べられる。
「―――――西!ランスロット・クラブ騎乗、ナイトオブイレブン、―――ライ・エニアグラム卿!」
その先には、白と青に塗り分けられた、清廉な機体。少年の騎士への憧れをそのまま形にしたような。
そのコクピットに立つ少年騎士、――ライ・エニアグラム――はまっすぐに、相手のパイロットへと視線を投げかけていた。
二人の騎士のまなざしが交叉する。
盤上の二機、そしてその騎士に、割れんばかりの拍手と歓声が降り注ぐ。
「それではこれより――――『卓上の相克』を執り行う。」
審判が、力強く宣言した。
ふたりのまなざしはほどけた。コクピットは閉じる。二機は対峙した。
「――はじめ!」
その一声とともに、二機のナイトメアは弾かれたように地を蹴る。
『――さあ、行こうか!!』
期待に満ちた楽しげな声が、高らかに響いた。
(おわり)
最終更新:2009年05月29日 20:46