ターン11「シャーリー」Cパート
ブリタニア帝国宰相府。その一番奥にある執務室には一人の男が腰かけている。
シュナイゼル・エル・ブリタニア。平和外交での彼を知る者は紳士、戦争外交での彼を知る者は悪魔、とそれぞれこの男を形容する。
今、そのシュナイゼルは執務室の上にあるパソコンを眺めながら、何やら物思いにふけっていた。端正な顔立ちが、どこか面白くなさそうに歪んでいる。
「珍しいこともあるものですわね」
声に反応して、シュナイゼルは首の角度を調節した。
「ああ、なんだカノンか」
シュナイゼルは執務室に入ってきた人物――副官のカノンを見ると、軽く笑った。
「まるで、クイズの解けない子供のような顔をしていましたよ」
「そうかい? それは恥ずかしい所を見られてしまったね」
と言っても、別にシュナイゼルは恥ずかしさのあまり顔を赤くしたりなどしない。ただ、また笑うだけである。お互いの恥ずかしい所などとうに知り尽くしている二人なのだ。
「何をご覧になっていたのですか?」
「んっ? ああ、これかい」
シュナイゼルは、自身のパソコンを動かして、その画面をカノンにも見えるようにした。
カノンは顔を下げて画面を覗き込んだ。そこには、二色に色分けされた世界地図があった。
「超合衆国ですか……」
カノンが神妙面持になった。
無理もない。
超合衆国。黒の騎士団のリーダー、ゼロによって組織化が強力に推し進められてきた勢力である。最初は分裂した中華連邦の一部がゼロに賛同したにすぎなかった言わば“ゼロ勢力は”、今や超合衆国と名を変えて、その力を世界の四分の一ほどに膨れ上がらせていた。
しかも、この超合衆国は声高々に打倒ブリタニアを叫んでいるのだ。ブリタニアにとっては、敵らしい敵となる初めての存在ではないだろうか。
「私が行こうと思うんだ」
シュナイゼルの言葉に、カノンは形の整えられた眉を微細に動かした。
「殿下自ら、ですか」
「それぐらいしなければいけない状況だよ、これは」
「エリア11は、戦場になると?」
「……そうならない努力は、してきたつもりなんだけどね」
戦争が起きる。しかも、回避は不可能。となれば現在のエリア11の総督であるナナリーには少々荷が重い、とシュナイゼルは考えていた。
ナイトオブラウンズが三人補佐に付いているし、その中にはシュナイゼルがその能力を高く評価しているあの男もいるが、それでも、今回は一介のエリア内で処理をする範囲をゆうに超えている。
シュナイゼルは、椅子の背もたれに深く体を預けた。
「超合衆国。ここまで大きくなるのを止められなかった。流石はゼロ、奇跡の男というところかな」
「ですが」
カノンはすました顔で言葉を続ける。
「奇跡というのは、続けて起きるものではありませんわ」
シュナイゼルはカノンの言いようがいたく気に入ったようだった。
「そうだね。ここらで打ち止めになってもらいたいね」
二人は、声を立てずに同時に笑った。
この瞬間、シュナイゼル旗下を含め、一個師団以上の戦力がエリア11に出撃することが決定した。
「では、ご出立はいつになさいますか?」
「父上に許しをいただいてからだから、来週かな」
「それはまたずいぶん急ですね。言わずともお分かりになっていると思いますが、軍隊を動かすというのも結構手続きが面倒なのですよ」
「その割には、困った顔をしていないじゃないか」
「殿下の言われることにいちいち動転していたら。今頃私の心臓はつぶれていますから」
「ハ頼りにしているよカノン」
その時、外からドアをたたく音がした。シュナイゼルは、カノンとの穏やかな雰囲気を打ち切って、その表情を帝国宰相のものに戻した。見ると、カノンも笑顔を消して、その真剣な顔をドアへと向けている。
「どうぞ」
シュナイゼルが言うと、ドアがゆっくりと開いた。
「失礼します」
「ほう、これはこれは」
訪問者の顔を見て、シュナイゼルほどの男が軽い驚きを覚えた。訪ねてきたのは、それほどの人物だった。
「急にお伺いして申し訳ありません殿下」
入室してきた男は、シュナイゼル達の前まで歩き、そして跪いた。男の“白いマント”が赤い絨毯の上でフワリと舞い、床に広がった。
「わざわざナイトオブワン自らとはね。何かあったのかな?」
「お話があります」
ナイトオブワン――ビスマルクが顔をあげる。ほりの深い顔立ちの立派な体格をした騎士で、そしてブリタニア最強の男。それが彼、ビスマルク・ヴァルトシュタインだった。
彼の瞳には一つの光しか無かった。異様な事だが、彼の片目は、なにかリングのようなもので塞がれていた。巷では、過去の戦いで目を潰してしまったのだとも、鍛錬のためにあえて片目を塞いでいるのだとも言われているが、真実は誰も知らない。
「……聞こうか」
シュナイゼルは手元のノートパソコンを閉じて、ビスマルクに立ち上がるよう促した。カノンが心持ち、シュナイゼルの方に近寄った。
○
「皇帝陛下が行方不明!?」
エリア11政庁での会議室には、文官武官の中でも特に地位の高い者達が勢ぞろいしていた。皆、優秀と言われるにふさわしい人物達であり、文官武官にかかわらず少々の事では動じない心を持つ猛者達である。しかし、彼らの瞳は、この時ばかりは大きく見開かれた。
「それは本当なのですか?」
場を代表して、コーネリアの騎士ギルフォードがナナリーに確認する。ナナリーは頷いて、
「はい、本当です。先ほどシュナイゼル宰相閣下からご連絡をいただきました。当面はここにいる人たちだけの話とさせて下さい。帝国本土でもごく一部の人にしか知らされていないようですから」
「一体何があったというのですか?」
ギルフォードが驚きを隠せぬ表情のまま更に尋ねる。ナナリーは、今度は顔を横に振った。
「現在は調査中との事です。これ以上は何も言えません」
ナナリーのその時の表情を見て、この場の察しのいい何人かは、ナナリー自身も皇帝失踪について、詳しく知らされていないという事に気付いた。
「お待ちください」
そんな中、更にナナリーを問い詰めるような発言をしたのはグラストンナイツのエドガーだった。ロイ・キャンベルの隣に腰かけているアルフレッドが、一瞬だけそのエドガーを見る。
「それでは中華連邦への対応はどうなさるのですか。皇帝陛下に宣戦布告をしていただかなくては」
「そ、それは――」
「治安の問題もあります」
ナナリーの横に立つローマイヤが、決して大きくは無いが、よく通る声で言った。
「こんな事がナンバーズに知られたら事です。今後の方針を示していただかない事には、我々も職務に打ち込みようがございません」
その言葉には、どこか突き放すような冷たさがあった。
「……」
ナナリーとローマイヤから比較的近い席に座るジノ・ヴァインベルグは、怪訝そうに眉を寄せた。
「それは、そうなのですけれど……」
ナナリーとローマイヤの間から何か私怨的な感情を感じ取り、これはあまりよろしくないなと判断すると、ジノは発言を促すように隣に座る友人を見た。
基本的にローマイヤが苦手なジノは、ことこういうローマイヤに関しての対応は、友人であるロイに一任していた。
しかし、ジノが期待を込めて視線を向けた先にあったのは、
「……」
目の前で起きているいざこざに全く関心を示していないどころか、むしろ気づいてないんじゃないのか? と思えるように、ただ頬杖をついてあらぬ方向に顔を向け、ボケーっとどこかに視線を泳がしているロイ・キャンベルの姿だった。
ちなみに、その顔には修理されて戻ってきた分厚い眼鏡がかけられている。
「おい、ロイ。ロイってば」
ジノは口に手を添えて小声で話しかけてみる。しかし、ロイは全く反応を示さなかった。
「総督はあなたです。ナナリー様」
ローマイヤの口調の鋭さが増していく。ジノは、スザクにも期待するような視線を向けたが、スザクはスザクで女性二人のやりとりを困った表情で見守っているだけだった。
気は進まなかったが仕方がない。人知れずため息をついてから、ジノは目の前で両手を合わせ、少々重い口調になるように意識してから口を開く。
「ミス・ローマイヤ。それは責任の押し付けですか」
その声も、会議室にはよく響いた。
「いえ、そんな事は……」
ローマイヤは口をつぐんだ。それから、彼女は何も発言しなかった。
そのやり取りを最後に、ギルフォードの提案もあって会議は解散となった。
最後まで、ナナリーはどこか疲れた顔をしていた。
○
「おいロイ。どうかしたのか?」
ロイがアルフレッドを連れて会議室を出ると、ジノが話しかけてきた。
「どうかしたのかって、何が?」
ロイは足の動きを緩めて、友人が追い付いてくるのを待った。肩が並んだのを確認すると、ロイはまた早足で歩き始めた。
「何がじゃない。お前、さっきの会議は一体何が議題だったか覚えてるか?」
「馬鹿にしないでくれジノ。そんなの、分かるに決まって――」
ロイの歩みがピタリと止まり、分厚いレンズの奥の瞳が大きく開く。ロイは思い出せなかったのだ。約一時間続いた先ほどの会議。一体何が話し合われて、一体何が決定したのかが。
「重症だな」
「重症ですね」
ため息が二つ同時に漏れた。ジノとアルフレッドである。
「今まで言おうかどうか迷っていたのですが。キャンベル卿、一体どうされたのですか。ここ数日の卿はあきらかにおかしいですよ」
ロイは振り返って、背後にいる副官を見た。信じられない事だが、この時ロイは、背後にアルフレッドがいた事に初めて気づいた。
「えっ、そうかな……」
「そうです」
アルフレッドはキッパリと言って、頷いた。
「書類ミスは当たり前。会議はすっぽかそうとしますし、ナナリー様から頼まれていた計画書の期限は破るし、それに……」
アルフレッドは、ロイをチラリと見て、そして咳払いを一つ、
「今だって、なぜかアールストレイム卿のマントを羽織っておられますし」
「えっ!?」
ロイが首をひねって背中を見ると、そこには見覚えのあるピンクのマントがひらめいていた。会議に出席する前にはちゃんと自分のマントを付けていたはずなので、会議後、外していたマントを改めて付けるときに、間違ってアーニャのマントを手にとってしまったのだろう。
「何やってるんだよお前は……」
ジノの嘆息に、カメラのシャッター音が重なった。長身の男三人は同じ方向に顔を向け、そして同時に視線を下げた。。
「記録。しかもレア」
いつの間にか、ジノの隣には、カメラと紫色のマントを肩に担いだアーニャがいた。どうやら、ロイがマントを間違って持って行ったのに気がついて、後を追ってきたらしい。
「アーニャ、すまない。どうやら間違えたみたいだ」
ロイはピンクのマントを取り外し、それをアーニャに差し出した。
「構わない。むしろ交換する?」
「遠慮します……」
「そう、残念」
アーニャは、ロイから桃色のマントを受け取ると同時に、肩に担いでいた紫色のマントを差し出した。ロイはそのマントを受け取ると慣れた動作で背中に身に付けた。
その様子を、どこか呆れた表情で見ていたジノとアルフレッドは、顔を合わせて肩をすくめた。
「一体全体どうしたんだよロイ。どこか体の調子でも悪いのか?」
慣れたマントの付け心地を確認しつつ、ロイは顔を振った。
「そんな事はないよ。いたって健康さ」
「じゃあ、どうしたんだよ。なんか悩みでもあるのか?」
ジノの問いかけを受けて、ロイの体は、一瞬微細に震えた。
悩み。それとは少し違うが、ロイの中では今、数日前の一つの出来事が何度も反芻されてた。
あの地下での出来事。彼女の体の温かさ。どこか奥底をくすぐる甘いにおい。
紅月カレン。
ロイはあのキスが忘れられなかった。日常の一間一間に、あの出来事を思い出してしまう。あの快楽を、あの何か無くしたものを得たような充足感を。
「……悩みなんて、そんなものは無いさ」
ロイは事実を言った。確かに嘘は付いていないのだが、なぜかその言葉に、ロイは後ろめたさを感じた。
傍のアーニャが、返してもらったピンクのマントを身につけながら何かを言いたそうにロイを見つめていた。その視線に、ロイは程なく気づく。
「ん、何?」
アーニャはしばらく返事を迷ったようだった。しかし、彼女は、すぐにまっすぐロイを見つめて、
「ロイ。話がある」
そのアーニャの真剣な表情と口調に、ロイはただならない何かを感じとった。
「? どうしたのさ、改まって」
「大事な話。二人きりで話したい」
「二人きりで? ここじゃあ駄目なのかい?」
ロイは、傍に立つアルフレッドとジノを交互に見た。ジノの顔はなぜかニヤニヤとしており、アルフレッドの態度はどこか不愉快そうだった。その二人の対比がロイには印象的だった。
「そうだ、俺は仕事が残ってたんだった。もう行かなきゃ」
と、ジノはどこか棒読みで言って、それからロイに近寄った。細長い腕が、すぐにロイの肩にまとわりつく。
「あとで、どうなったか教えてくれよ」
ジノの声量は囁きに近かった。
「? 何が?」
意味が分からずロイが聞き返すと、ジノは軽い足取りでロイから離れた。
「今は意味が分からなくていいよ。とにかく、後で教えてくれ」
そして、そのままジノは軽い足取りで身をひるがえすと、スタスタと廊下の向こうに歩いて行ってしまった。
「私は反対です」
ロイが釈然としないものを感じつつジノの後ろ姿を見送っていると、背中からアルフレッドの声があがった。振り返ると、アルフレッドがアーニャに詰めよっていた。
「アールストレイム卿。よりによって今ですか? あなたは先ほどの会議を聞いていたのですか? こんな大変な時期にこれ以上私の上官を困らせるような事はやめて下さい」
「うるさい」
アーニャが、苛立たしげに金髪の青年に言い返した。
「もう言うって決めた。そもそも、あなたには関係ない」
「ありますとも!」
アルフレッドは引き下がらない。むしろ胸を張って一歩前に出た。
「いいですか。キャンベル卿はただでさえ多忙な職務を遂行しておられるのです。特にここ最近のキャンベル卿の夢うつつ状態のおかげでその仕事が未処理のまま溜まりに溜まっているのです。
それなのに、あなたの個人的で身勝手な感情でキャンベル卿の心境をさらにひっかきまわそうとするような行為は許容しかねます。別にあなたに思うところがあって言っているわけではないんですよ」
アルフレッドは最後に余計な事を言った。
アーニャは音の無い舌打ちをした後、アルフレッドから顔をそむけた。しかし視線だけはアルフレッドに向けてボソッと言い返す。
「泣き虫のくせに……」
アーニャの発言は痛烈だった。アルフレッドの背後に大きな雷が落ちたようだった。
「私に模擬戦で負けて大泣きしたくせに、偉そうに」
それは、言わばトラウマに近かった。
小さな声量の暴言がアルフレッドを直撃した。
アルフレッドは一瞬、反論する口を失ったかのように沈黙を守り、数歩後ろに後ずさっていたが、
「べ、別に泣いてなんていません!」
そう言い返したアルフレッドの頬は赤かった。
「泣いた。ワンワンと」
アーニャはこぶしを目元に持って行って、ワンワンと泣く子供のような仕草を無表情な顔でやってのける。
アルフレッドの顔が更に赤くなった。
「そんな子供みたいな泣き方をするわけないでしょう!」
「事実だから仕方がない」
「ねつ造は止めて下さい!」
「弱虫アルフレッド」
この時、アルフレッドの中の、大人の理性とか大人の余裕というものが粉々に崩れ去った。
「……いいでしょう。今度は私が泣かせて差し上げましょう」
「弱いものいじめは、趣味じゃないんだけど」
アーニャは懐に携帯をしまい、目をスッと細めた。
「売られたケンカは、買うのがラウンズ」
段差のある視線の交錯が始まる。その中間では火の元も無いのに火花が散っていた。
「分かった。分かったからもう止めてくれよ二人とも」
そんな二人の間に、存在感を誇示するように割り込んだのは、ロイ・キャンベルだった。ロイは、アルフレッドに分厚いレンズを向けた。
「アルフレッド。悪いけど、君は先に戻っていてくれ」
「い、いけませんキャンベル卿。あなたはいま、ドツボにはまろうとしているのですよ?」
「言っている意味がよくわからないが……アーニャは僕の友達だ。そのアーニャがこうしてお願いしているのだから、僕はそれに応じてあげたい」
ロイの背後で、アーニャがンべ、とアルフレッドに向けて舌を出す。
「それは錯覚ですキャンベル卿! このアールストレイム卿が、いつお願いなんて愁傷な事をしましたか!?」
アルフレッドは上官の肩を掴んで説得しようと食い下がった。しかし、ロイの気持ちは変わらなかった。
「アルフレッド。仕事は帰ったらしっかりとやるからさ。なに、すぐ戻るよ」
「ああ……」
アルフレッドは力ない足取りで、上官から距離を置いた。説得は不可能だと悟ったのだろう。
「し、仕方ありません。副官に許されるのは意見までであって、最終的に決断するのはあなたですキャンベル卿……。しかし、ご忠告はさせてください。くれぐれも、軽率な判断だけはなさらぬよう、お気を付けて」
「その辺が僕にはよく分からない。一体、君はなんの事を言ってるんだ」
「キャンベル卿」
「ん」
「私は、あなたの能力は認めていますが、たった一つだけ、劣っていると思っているものがあります」
不遜な上官なら怒り出すような言葉だが、あいにくロイは部下からの指摘を歓迎するタイプの士官だ。
「聞こうか」
「女運です」
「……」
ロイは返す言葉が見つからない。見つからないうちに、アルフレッドの口が再び開く。
「お早いお帰りを、マイロード」
アルフレッドは一礼して、二人に背を向けた。その後姿にはどこか力が感じられなかった。
「なんなんだ、一体……」
ロイは、小さくなっていく副官の背中を眺めながら心の中に疑問符を浮かべた。常に、報告や言葉遣いが明確な副官にしては、今回の言動はとことん曖昧だった。
そう言えば、ジノの態度もどこかおかしかった。
「別に構う必要はない。それよりロイ、付いてきて。場所を変えたい」
「んっ、ああ。分かった」
ロイは、知りあい達の態度に釈然としまいものを感じながらも、アーニャが歩きだしたのもあって、思考を止めて、小さい背中の後に付いて行った。
その見慣れた背中に、冷たい緊張の汗が流れている事に、ロイは気づかなかった。
シーン11「シャーリー」終わり。
シーン12「 初 恋 」に続く
最終更新:2009年07月04日 13:25