私は迷彩シーツを肩から外した。
元々銃器は持ってきていない。何本かの苦無だけをブーツと腕に差し、大振りの軍用ナイフをベルトのラッチに取り付ける。
部室棟のセキュリティにつながる電源はこの後3分後に15秒だけ落ちる。
間取りは頭の中に叩き込んだ。15秒? 10秒あれば私には十分だ。
GO
静かに壁の隙間から身を乗り出し、静かに降り立つ。ほんの5~6m程度の高さなら音も立たない。
部室棟と校舎をつなぐ渡り廊下、扉には後付けの電子ロック。電源は切れている、造作もなく開く。
私は躊躇なく開き、入り、閉めた。
ヒッソリとした廊下を走る。
私は何をしようとしているんだろう。
もう一度自問自答する。
──同胞の死すら駆け引きの道具にしようというゼロの真意を正すため?
──ゼロは本当に日本人の救世主たるのか、指導者たりえるのかを見定めるため?
私は頭を振る。
そうじゃない。私が許せないのはそんなことじゃない。
私が許せないのは私自身だ。私は今も自分を許せないでいる。自分が同胞の屍の上に立って生きていることを忘れた日など一日だってない。
そうだ、これは許されたいと願う私による八つ当たりなのだ。
私の嘘、私の罪、私の心を苛む諸々のモノを紛らわすための代償行為でしかない。
なんと惨め、なんと浅ましい。
なのに、それがわかっていながら、私は──
違和感が私の足を止めた。
『おかしい?』
スコープを跳ね上げて自らの目で辺りの暗闇を見渡す。
いくら公にしていない秘密の仕事場であるにしろ、稼動しているセキュリティが一つもないというのはなぜ?
ゼロはこの先二つ目の部屋にいるはず。侵入した扉からここまでの間、一つのカメラ、一つのセンサーも稼動しているものはなかった。
『……ままよ』
動きを止めていたのは一瞬。覚悟を決めた私はさらに俊敏に前へ飛ぶ。
そして、辿り着いた瞬間目当ての部屋の扉が私の目前で音を立てて開いた。
「!」
考えるよりも先に体が動いていた。
左手で開く扉を押し込むと同時に右手でナイフを引き抜く。扉にぶつかってバランスを崩した相手の手を取る。
合気柔術の要領で私は取った手を回し、背後を取った。首筋にナイフを突きつけ、その相手を──黒衣の人物を壁に押しつける。
「女性の深夜の訪問にしては随分と手荒なことだな」
「申し訳ございません。殿方を深夜に訪れる際の作法は存じ上げておりませんでした」
随分と余裕な態度。この状況でこんなに軽口が叩けるとは。
「で、篠崎咲世子君。深夜にアポイントメントもなしに訪ねてきた、その用向きを聞こうか」
あくまでも上位にいるのは自分の方だと言わんばかりのその態度。立派だと思わないでもなかったけれど、私はムっとしていた。
押さえつける手に力を込める。ギリっと仮面と壁の間に硬質な音が立つ。
「私は名乗っておりません」
返事はなかった。
「先だっての御報告の折、南様は私のことを“篠崎さん”とは紹介されましたが、下の名前に関して口にされてはいらっしゃいませんでした」
「……」
「それなのにゼロ様は私の下の名前に関してもご存知でおられました。……なぜでございましょう」
「それが私を訪ねてきた理由かね?」
声の調子はまるで平常。虚勢も僅かな震えも一切感じられない。
「差し出がましいことを申し上げますが、質問に質問で返答されるというのはいささか紳士らしくない受け答えではないでしょうか」
軽口で返す。だけど私は逆にこのゼロに対して気圧されるような感覚を覚えていた。
警護も誰もいない状況で、侵入者に刃物を突きつけられている状況で、この男はまったく動じていないのだ。
「そうか、今後は気をつけるとしよう」
動じるどころか笑ってさえいる!?
ゾッとするものを感じつつ、しかし動揺は見せない。反攻の隙など微塵も与えない。
「君を現地協力員として推挙した部下に、あらかじめ名前を聞いていた。それでは答えにならないかな」
嘘だ。
理由はない。勘だ。しかしそれは間違いのないものだと確信ができた。
「少し、お話にお付き合いいただけますか」
「それは願ったりだが……この物騒な物を引っ込めて、お互い顔と顔を合わせて会話するべきではないかな」
「申し訳ございません。私、恥ずかしがり屋なもので男性と面と向かうのは苦手でございまして……」
カチカチカチ……秒針が時を刻む音がする。
侵入してからまだ5分と経っていないだろう。
ゼロがその身にまとう気配は昼に対面した時と寸分も変わらない。
落ち着いているのだ。なんらの動揺も恐怖もない。まったくの平常。
ここで少々の驚きでも見せれば「ゼロもやはり一個の人間だったか」などと思えるのだろうけど。
「それで付き合って欲しい話とは何かな。お互いだんまりではただ無為に時を過ごすだけだ」
それはもっともな話だ。
「私がお伺いしたいことは唯一つ。貴方が真に日本の救世主たる人物かどうかということでございます」
「そのようにかけられている期待に私は応えているつもりだが?」
ゼロは少し身じろぎをした。
「同胞の血、同胞の命、それらを駆け引きの道具としていても?」
「それが許せんと言うのならば君と話すことはないな。考えがまったく交わらない相手とはどれだけ議論を争わせたところでそこに実利は生まれない」
「はっきりと仰いますね」
「無駄なことに費やす時間……もったいないどころの話ではない。私にとって砂時計の砂粒は金塊以上の価値がある」
初めてゼロの言葉に感情を聞き取った。
自分の邪魔をするな。そのような意味に私には聞こえた。
それはそうだろう。拘束して刃物を突きつけて会話を強要しているのだ。
でも何かがおかしい。
彼はその事について邪魔をするなと言っているのではない。
つまらない話を聞かせるのだったら──そのことについて邪魔をするな、そう言っているのだ。
この状況で、私につまらないことに付き合わせるなと言ってのける神経は確かに只者ではない。
「もちろん──」
唾を飲み込んで乾いた喉を湿らせようとして、失敗した。喉が鳴る音が部屋の中に響く。
「本題はそれじゃ──ない」
促すように身じろぎをするゼロ。
「扇様たち代表団を囮に利用したのは……なぜですか」
警護とは守る職務だ。
護衛対象に付き従い、その身を守らなければならない。
四六時中対象に張り付く私たち警護役は護衛対象だけを見続けているのか?
答えは否だ。
私たちは、対象を見るのではなく、対象を見る者を、見る。
護衛対象に注意を払う人間を見る。
そうすることで見えないものが見えてくることもあるのだ。
「扇様たちが襲撃を受けた際、明石部隊が救援に現れました。彼らはキョウトの桐原翁に要請を受けてのことだと言っていましたが」
理屈に合わないことがある。
「明石部隊の任務はそれだけではありませんでしたね?」
質問ではない。これは確認だ。
フウと息を吐き、ゼロは一言「続けてもらおうか」と言った。もちろん中途でやめるつもりはない。
「いかにブリタニアの警戒網が厳重だとは言え、少人数の私たちが──それも諜報・情報戦が専門の明石部隊が租界から特区までの行程にまる4日もかかるというのは理解し難いことでした」
ブリタニアの動きを警戒して? 万に一つの危険を冒さぬため? 違う。そういうものだと納得できるほど彼らの実力は低くない。
第一…私は明石とカレン様の会話を思い出していた。
「でもッ──!!」
「繰り返すようだが、すでに人員の配置は終了している。後はGOサインを出すだけなのだがね」
人員の配置は終了している。彼はそう言ったのだ。
そして私に下された指示は紅月カレン──カレン様と合流し、連絡員として扇様方の脱出支援を行うことだった。
あらかじめカレン様が合流することが、そのまま脱出し特区へ向かうことが決まっていたような指示。
作戦なんていうものはスケジュールがキッチリと固められているものだ。状況にあわせてポンポンと改変されていくようなものではない。
総てがリンクしていた。まるで、扇様方が襲撃を受け、私たちが合流し、特区に向かうことがあらかじめ想定されていたかのように。
「しかしそれらは総て君の想像にすぎない。明確な証明がされたとは言いがたいな」
「はい。仰るとおりでございます」
素直にそれは認める。
だけど、
「ですから、証明にたる事実を探しました」
私は疑問を解き明かす為に明石のトレーラーに忍び込んできた。
「貴方は代表団を囮に別命を与えたエージェントを租界に侵入させ、その後の脱出行を目眩ましに複数のルートから総督府との──コーネリア・リ・ブリタニアとの接触を試みるよう命じていらした」
違いますか? 私の問いかけへの答えは簡潔そのもの。
「事実だ」
ナイフを持つ手に力が入る。
「貴方という人は……ッ。人をなんだと思っているのですか! 人間は──」
「──盤上の駒ではない、かね」
その一言に激発しそうになる自分を私は押さえ込む。
落ち着け、私。ゼロは私を怒らせようとしている。激発させることで動揺を誘い、隙を生み出そうとしているはずだ。
「一つ答えよう」
「一つだけ?」
「まずは一つだ」
カチカチカチ……秒針が時を刻む音がする。
この部屋に入ってから、まだほんの数分のようにも、もう何時間もここでこうしている気分に私は襲われていた。
───2018,Jul,行政特区日本外縁部…旧富士市総合運動公園跡地
いい天気だった。
7月ももう終わる。まだ早朝だというのに、早くも暑くなりそうな気配がそこかしこにみてとれる。
私は手を伸ばし、うーんと背伸びをした。
荒れ果てた地面には雑草が生い茂り、ここがかつては運動場だったとは想像もできない。
朽ち果てた建物と照明のポールが微かにその名残を示している。
いずれこの運動公園も再建されるのだろうか。
乗り込んできた車がクラクションを鳴らす。遅い、10分の遅れだ。明石にはちゃんと伝えてあるはずなのに。
名残惜しくなる前に行こう。
私は足元に置いた荷物袋を手に取って到着した車の方に歩いた。
「待たせてしまってすまない」
呆れた。運転席に座っているのは明石元一郎だったのだ。
「部隊長が朝っぱらから何をやっているんですか」
うむ……そう言ったきり彼は返事をしにくそうにしている。
何と答えたらいいか、どう答えるべきか、何をもって話し始めようか、言葉を探しているようだった。
彼もこんな顔をすることがあるのかと思うとちょっとだけおかしくなる。
だからといって微笑んであげたりなんてしない。
まだ私だってこの人とどんな顔をして話をしたらいいのか、決めかねている状態なのだから。
でも。
「ちょっとだけなら…」
頭の中で思っていたことがつい声に出てしまうことはわりとある。大抵それは人に聞かれたくないことだ。
「うん?」と聞き返す明石になんでもありませんとつっぱね、わたしは助手席に乗り込む。
クーラーがギンギンに効いている。スイッチを切ると抗議してくる彼。
「私、クーラーは嫌いなんです。第一バッテリーを食います。非効率です、贅沢です、窓を開けてください」
うむ…と明石はまたモゴモゴと口を動かしたっきり押し黙った。
シフトレバーを倒し、アクセルを踏み込む。そして野原のような元競技場を車は走り出した。
「ところで……」
ハンドルを切り返しながら明石が視線を私に向ける。
「前、見てもらえますか」
前を向く。そして会話はまた途切れてしまった。
ちょっとだけ。
私は窓にかけた肘を下ろして、視線を外から中へと移す。
ちょっとだけなら。
「ねぇ」
ちょっとだけなら、昔に戻ってあげても……いいかもしれない。
「なんで急に──租界に戻りたいなんて言い出したのか。聞きたそうにしてるのは、そのことですか?」
───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁
「私はその件について、それが誰であろうと謝罪するつもりはない」
その言葉に力んだ様子はなかった。相変わらず平常そのままの落ち着いた声音。
傲慢なのですねと私は告げる。
彼はまた笑った。
「傲慢か。ハハッ、まったくもってその通りだ。私は傲慢であるようだ」
一体何度目だろう。またゾッとするものが背筋に走る。冷たい汗が背中を流れる。
なんなのだろう。どうしてここまで余裕綽々としていられる?
なんだというのだろう。この心臓を手掴みされているような、この嫌な凄みはなんなのだ。
「傲慢の報いはいずれ私を裁く。だが、裁きが訪れるその最後の瞬間まで……いや、きっと裁きが下された後だとて、私はこの信念を覆すつもりはない」
「なぜですか! 一体どうしてッ!!」
怯えが私に大声を出させる。
「今という時には必要なのだ。小を殺して大を生かす──それは人として口にするも許されない悪だ。しかし、悪を悪と知ってなお、目的のために必要であれば私は悪を為す」
それがゼロの覚悟なのだ。いつしか私は悟っていた。彼は目的を成し遂げるためにいかなる手段でも行使すると言ってのけた。
それによって恨まれ、憎まれ、畏怖されることも総て受け止めるつもりなのだ。彼は許されることを望んでいない。諦めているのではない、最初から望んでいないのだ。
「そんなお為ごかしなど!」
理解と感情は同一ではない。それは羨望、それとも嫉妬だったのかもしれない。胸にその思いが充満し、ついに私は心を乱していた。
「──フッ」
息を吐く音。
次の瞬間掴んでいた手が引き剥がされた。仮面に包まれた頭が下がり私の顔を打とうと迫る!
「!!」
反射的にゼロの頭突きをかわす。ナイフは命を奪うつもりで突きつけていたわけではない、構えた手を引いて間合いをとるべくステップを踏む。
「?!」
しかしその一瞬の間に目の前からゼロの姿が消えていたのだ。
「形勢逆転と言わせてもらおう」
ゼロの声は背後からした。
「ゼロ様が武芸にも秀でていらっしゃるというのは初耳でございました」
「謙遜するつもりはないが、本気で組み合ったならば私が君に勝つことはないだろう。君のほうが遥かに強い。それは確かだ」
どこまで本気なのだろうか。とりあえず私はナイフから手を離し、両手をあげる。カランと落ちて床にたてたその音はキスのようには甘くない。
ゼロは床に落ちたナイフを蹴り飛ばすでなく、拾うでもなく。何も関心をみせなかった。
「さて、もういいだろう。こちらを向いてくれないか」
動く気配はない。私はゆっくりと振り返る。
ゼロは拳銃を構えてもいなかった。その手には何も握られていない。ただ悠然と立っているだけ。
「襲われたというのに、随分と穏やかでいらっしゃるのですね」
「君が本気で刺すとは思っていなかった。言っただろう? 面と向かって話がしたかったのだよ」
わかってるようなことを言う……思わず口をついて出た言葉にゼロは含み笑いで答える。
「馬鹿にしているつもりはない。驚いてもいた。君が騎士団の現地協力員で、……篠崎流と言ったか? 特殊な格闘技を修めたエージェントだと聞いた時には笑ったがね」
「お笑いになった?」
「そうさ、アッシュフォード学園でランペルージ兄弟の世話をしていた優しいお姉さん。それがこうも強くて激しい女性だったと知れば笑いもするさ」
ゼロは冗談を言ったつもりなのだろうか。
しかし私にとっては冗談どころの話ではない。激情がいっきに冷めていく。
なぜこの男は私がアッシュフォード学園にいたことを知っている? ルルーシュ様ナナリー様の御兄妹に仕えていることを知っているのだ?
一体何者なのだこの男は。
私は覗いてはいけない領域に踏み込んでしまったのではないのか。そんな突拍子のない想像で私の頭がいっぱいになる。
「怖いかね、私が」
ゼロがその身を翻す。
「ついてきたまえ、咲世子さん」
部室棟の地下には緊急時のシェルターが設置されているのだとゼロは階段を下りながら説明をした。
照明はついていない。真っ暗闇の中を足音が響いている。
「なぜ学校の地下などにシェルターを?」
「学校だけではない。ほとんどの公共施設の地下には緊急避難用の壕かシェルターが設置してある。ユーフェミア長官の指示でね」
それは特区設立時の都市開発基本計画の中に最初から織り込まれていたものなのだという。ユーフェミアの強い要望でそれは実現したのだそうだ。
彼女は亡くなり、私は生きている。
貴方だってこの先、命を奪われることがあるかもしれない。
ポツンとこぼれた言葉。それに対する言葉。
次に現れる者が、私のように貴方の首筋から刃を引くとは限らない──そんな皮肉を込めて、私はそんなことを告げた。
コツンと音を立ててゼロが立ち止まる。顔だけ巡らせて私の方を向く。
やっと怒ってくれましたか?
そうではなかった。彼の声音は朗らかな色ではないにしろ、相変わらずの調子だった。
「私は……少なくとも二人分の命と幸運とを受け継いでいる。道半ばで朽ち果てる事などありえないな」
随分と自信たっぷりに言うものだ。心の底から信じているといった断言。
それにしても、二人分とは? 一方は元皇女のユーフェミアとして……それと誰だ?
「第一、私に中途で倒れるなどといった贅沢は許されないだろう」
「中途で倒れるような事が贅沢だと思えるような道を貴方は選んだと仰る。そのような覚悟をもって臨む貴方様の戦いとはいかなる戦いなのでしょう?」
「そうだな……上手く説明できない」
彼がそう言った時、私たちは再び歩き始めた。
「ゼロ様の戦い、その戦いにおいて揮われる力とはどのような力なのでしょうか」
私はあの日の言葉を思い出していた。殺すための力に及ばないと否定された守るための力。
階段は校舎の他の階段とちがって幅がとってあり、一つ一つの段も大きく、低く作ってある。
殺到する際の事故を防止するためなのだろう。手すりも両側に大きめの物がつけてある。
「力の行使は必ず人を傷つけるのか。目的の達成には犠牲が必ず必要なのか。力はいつも命を奪ってしまうのか……」
カツンカツンと足音が響く。
「それが覆すことができない、世界の真理だとしても……私はそれを認めない。私が願う私の守る為の力は、殺す為の力に屈しない」
私の胸の奥に、風が吹いた。
「咲世子さん、貴女にとって故郷とは?」
まただ。また私のことを“咲世子さん”と呼んだ。
「日本──この国ということではなくてでしょうか」
「そうだ。貴女にとって故郷とは?」
繰り返される質問。
戻るべき場所、帰るべき場所、安らぎを得られる人の元、仲間、友人、家族のいる所。
それらはもはや存在しない。
戻るべき場所は奪われた。帰るべき家も失った。
安らぎをくれる人──仲間も友人も家族さえも、もういない。
最初からなければ悔やむことも、憤ることも、悲しむこともなかったろうに。
まして、
『その消失が自分の愚かさ、過ちによるものならばなおさら』
だけど、
『悔しいのは、憤っているのは、悲しいのは全部』
それがとても大切で、得難くて、宝物のように暖かかったから。
だから、
『私はずっと許されたかった』
今はもうなくても、それは私の胸の内に、まだ。
私の答えはまとまった。
「守りたかった──場所、物、人……でしょうか」
「期待以上の答えだ。ありがとう、貴女が来てくれて……よかった」
足音が止まり、私たちは広まった扉の前に立った。
ここがシェルターの入り口、普通の扉だ。カードキーで開錠してゼロがくぐる。私も続く。
出迎えたのは暑さと騒々しさ。振動が床を伝い、壁を伝い、空気を伝って私にとどく。
そして重厚で大仰で御大層なシェルターへの扉が私を見下ろしていた。
再びカードキーを巡らして、ゼロ様が手動でハッチを開く。
「うっ?!」
シェルターの中から私を出迎えたのは冷気。
この暑さは冷房設備が稼動しているためのものだった? にしてもこれは、寒すぎる。
入ることを促すゼロに頷いて、私は警戒することなく壕の中に入った。
閉じ込められる? そんな風には思わなかった。
薄暗い照明にしたがって中ほどまで進む。不思議に恐怖も何も感じない。乏しい照明と冷気、生を感じさせないこの一室。
なぜシェルターをこんな冷蔵庫のような状態にしているのだろうという疑問は当然。
5歩後ろに立つゼロに疑問をぶつけようとした時、私の視界の端にそれが入った
寝台に横になった青年の姿。
吸い込まれるように私の視線はそちらへ向く。
見つめる時間と比例して、呼吸が上ずり、寒さと裏腹に体温が上がる。
ルルーシュ様が、そこにいた。
───2018,Jul,シズオカ地区、旧国道469号線
シズオカゲットーのある旧富士市の辺りまででいいという私、いいや御殿場の辺りまでは送ると言い張る明石。
結局根負けした私は明石に任せ、昔の国道469号線をのんびりと走っているのだ。
「明石大佐はなぜゼロ様に仕えることにしたのです?」
「別にゼロの配下になったわけではない」
その目が強い光を湛える。
「今回の件が桐原翁からの要請だったというのは本当だ。もちろんその背後にゼロの思惑があったということも理解している」
後ろから迫る車を車線を移って先に行かせた。走る車はやはりそこそこに多い。特区宣言からこっち、国内の治安は安定していたからだ。
「俺自身に利益があるから受けた仕事さね。この件で俺は黒の騎士団と繋がりを持つことができた。それは俺の目的のための武器になる」
「目的?」
「それは言えないな。……えぇと」
「今は咲世子と名乗っています」
明石はそうかと言って、また黙り込んでしまった。
明石の目的。それはあの夜の不可思議な力を行使した子供たちに関係あることではないか。そんな気がする。
「そのために特区に来なければならなかったのですね」
「君も……、さ…咲世子君も目的があっからこそ特区までついてきたのではなかったのかね」
その通りだ。だけど、
「私の用事はもう済みました」
そう言って笑ったら明石は驚いていた。
いいな。まるで昔のようで。
「ねぇ」
少しだけ昔のように言ってみる。
「神様って、信じていますか」
───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁
「咲世子さんは、神様を信じていますか」
その声は変声機を通したゼロの声ではなかった。
その聞きなれた、その懐かしい声は──
体がガクガクと震えだしている。振り返ることができない。知らぬうちに寝台にもたれかかるように手を置いていた。
なんなのだ、これは。
目の前のルルーシュ様はまるで眠っているみたい。
でも、この寒い部屋で薄着でいながら身じろぎ一つされない。その真一文字に閉じた口からは白い吐息が立ち昇っていない。
なによりも、なによりもその目は閉じたまま開こうとしない。
「なんなのですか、これは……」
「言ったでしょう。僕は二人分の命と幸運を受け継いでいると」
彼は足音も立てずに私の側に近付いていた。
黒衣をまとった銀髪の青年が私の横に立って、ルルーシュ様の髪を撫でている。
コトン、音を立てて仮面がその脇に置かれた。
あぁ、その横顔は……横顔はッ!
「まるで、眠っているようでしょう。でも……」
私は今どんな顔をしているんだろう。
「ルルーシュは──死んでしまった」
──ライ様!!
私の呼びかけは、声にならなかった。
失ってはならないものを失ってしまった時、人はどうなってしまうのだろう。
私は何もかもを諦めてしまった。少なくともそのように思った。
何かを得ようとすることもなく、
何かを掴もうとすることもなく、
何かを取り戻そうとすることもしなかった。
自分を許せなかった私は、自分の名前さえも捨てた。
ずっと嘘をついてきた。
生きているという嘘。
名前も嘘、経歴も嘘。
何もかもが嘘ばかり。
だけど、咲世子という名前は姉さんの名前。
それは絶望という甘美な毒酒にに浸りきっていながら、それでも最終的な所で総てを諦めるきる事ができない私の心を示していた。
心の奥底では誰かに、何かに許されることを願っていた、私。
失ってはならないものを失ってしまった時、人はどうなってしまうのだろう。
彼は言った。
「咲世子さんは僕の覚悟を、ルルーシュに託された思いの為に、自分の存在さえも犠牲に捧げて戦うことだと解釈しているのでは?」
違いますか?
「ルルーシュにとってのスタートラインがナナリーであったように、僕にとっての発端は喪失した記憶でした」
それが最初の戦う理由だったのですね。
「でも一日過ごせば一日の分、一月生きれば一月の分、人は変わっていく」
思い出を重ねて、人の生き方は変わっていくから。
「僕たちはこの国に故郷を作ろうと思った」
行政特区日本を?
「帰るべき場所、懐かしい物、大切な人……それが守るべき故郷。それが僕の力になる。守ってみせる、僕の総てをかけて」
ルルーシュ様のため? ルルーシュ様との約束だから?
「これは契約、なんです」
約束ではなくて、契約。
「果たされるまで解除されることのない契約。彼が見ることの叶わない未来を僕が作るという契約」
ライ様の瞳には悲壮感などは浮かんでいなかった。
そこにあるのは強い意志、揺るがない覚悟。
失ってはならないものを失ってしまった時、彼の胸の内に覚悟は生まれたのだろう。
それはきっと構えることもなく、ただただ自然に、当たり前のようにそうできてしまったのだ。
「咲世子さんは、神様を信じていますか」
ライ様はもう一度同じ質問を繰り返した。
───2018,Jul,旧シズオカ地区、旧国道469号線
「俺自身は特に神様を信じてるわけじゃない。正月には神社、お盆には仏教、クリスマスにはキリスト様。平均的な日本人というやつさね」
「あなたらしいですね」
少しムっとした感じで私の返事に眉を寄せる。
「それに身近なところに嫌な神様がいるせいでね。手と手を合わせてのんのんさんという気には中々ならないな」
神聖ブリタニア帝国という国号。
代々のブリタニア皇帝は国教会の首長をも兼ねており、現実世界と精神世界の双方において権勢を振るう。
ゆえに神の代理人──代行者──あまつさえ“神”そのものの顕現だと主張するブリタニア人もいるという。
「そういう君はどうなんだ。君自身は?」
───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁
「私は神様を信じません。いっそ何もかも忘れて、すがって、甘えることができればいいのでしょうけど、それで生きていける程に世界は私に優しくはありませんでした」
ライ様は答えずに私に振り返る。
その表情の穏やかさがとても悲しかった。
彼にはもう自分自身として生きるつもりはないのだろう。ゼロとして結んだ契約──故郷を作り上げる、守り抜く。それだけが彼に残された総てなのだ。
「僕も神など信じない。人々を憎しみに駆り立てる世界を、嘘と争いばかりが跳梁するこの世界。それを正すこともせず、ただ惰眠をむさぼるだけの神々など…」
「でも、それは」
信じようと信じまいと世界は厳然としてここにある。神創りたもうた大地と空。世界は厳然としてここにあるのだ!
「だから、思いませんか?」
───2018,Jul,旧シズオカ地区、旧国道469号線
「この世界が間違っているのか、この自分が間違っているのか。それをはっきりとさせるべきじゃないかって」
突拍子のない話だなと明石は面食らったように答える。
「それだと君たちが間違ってると断じた世界を正すために──この世の神に戦いを挑むつもりのように聞こえる」
開け放たれた窓から入ってくる風が気持ちいい。私は窓枠に肘を付いたまま顔を彼の方に向ける。
ちょっとイタズラな気分。ちょっとからかってあげたい、そんな気分。
「私、そのつもりで言ったのだけど、そんな風に聞こえませんでしたか?」
失敗。明るい調子で言ったつもりなのに、明石の顔から笑みが消えていた。代わってのぼるのは真意を探るような神妙な面持ち。
「君は──ゼロは一体何をするつもりなのだ」
───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁
「貴方は、一体何をなさるおつもりなのですか? 世界の間違いを、この世の神を正す?」
子供の頃、姉さんが読んでくれた聖書の一節が思い浮かぶ。
神様に反旗を翻し、同調した兄弟姉妹──何百万の天使たちを引き連れて戦いを挑んだ堕天使を。
この人は知っているだろうか。その堕天使はもっとも神に近い場所で光輝く者と呼ばれていたことに。
乏しい照明に照らされたライ様は、まるでその“光り輝く者”のように見えた。
「貴方が仰ることはまるで……まるで、この世界の神様への反逆のよう」
「反逆者、ですか」
ライ様はルルーシュ様に視線を落とされた。
「──いいえ、反逆の物語はすでに終幕を迎えました」
「では、貴方が為されようとしていることと言うのは、一体──」
その時、私は初めてライ様の屈託のない笑顔を見た。一度見たならば、決して忘れられない──笑顔。
──僕がしようとしていることは……、
──私がしようとしていることは……、
「 こ の 世 の 神 へ の 、 逆 襲 さ 」
───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁
「戻っていたのか?」
戻っていて悪いかと言おうとして止めた。どうせこれでお別れなのだから。
執務室に戻ってきたライは仮面を被っている。生真面目なヤツだ。本気で残りの生涯をかけてゼロを演じぬくつもりなのだろう。
「C.C.、君は本当にここを出て行くつもりなのか?」
私は机の上の書類だのなんだのを押しのけデンと──チョコンと座った。
同じ事を繰り返して言うのは嫌いだ。一度言った事を何度も言うっていうのは無駄なことだ。無駄なことは大嫌いだ。
「そのつもりだ。ルルーシュが──契約者が死んでしまった以上、私がここにいる理由はない」
だけど、もう一度だけと思い、私は先だって告げた言葉をもう一度繰り返した。なんと優しいことだろう。
「それより咲世子はどうした? まさかあのまま帰したわけではあるまい」
「いや、今日の所はそのまま帰ってもらった」
ハアァァァ?!
刃物を振り回して入ってきた女を話をしただけで帰した?
「お前は一体何を考えているのだ?」
「心配してくれているのか?」
「質問に質問で返すんじゃない!」
あぁ、バカじゃないか、バカではないか、やっぱりバカであるかもしれんと思っていたが、こいつもやっぱりバカの内だったか!
「彼女は僕の言うことを理解して、納得してくれた。力になってくれると信じられる」
「信頼を勝ち得たというわけか。だが、ルルーシュの素性や自分の事を話し、それでなびかなかったらどうするつもりだったのだ」
その時は……そう答えるライの言葉は冷たさを帯びていた。
「その時は彼女にギアスをかけるだけのことだ。絶対遵守の力で彼女を縛る」
それはこの男らしからぬ言葉だった。だがそれ以上に、
「……お前、私の教えてやった事を忘れてしまったわけではないだろうな」
ライはかつてギアスの暴走をその身に起こしている。
「僕は暴走したギアスを克服する訓練を行っていない。それは過去に類がないケースであり、この先ギアスを使うことで身体と精神にどんな影響が起きるかわからない、だったな」
わかっていながらギアスを使うつもりだったのか。そう思うと私は何かムカムカするものが沸きあがってくるのを感じた。
「さっきEUのエージェントにギアスをかけた時には何も言わなかったようだが?」
「……」
ギアスをかけると知っていれば止めていた。
もちろんそんなことを言ってこいつを喜ばせるつもりはない。
私は机から尻を離し、立ち上がった。もういい、どうせこれでさよならなのだ。
ドアまで歩いていき、開けて、そして振り返る。
「言うまでもないことだが、お前は時間凍結の秘術によって時の境目を越えた。ギアスの暴走はその際の副作用で休眠状態にあるだけだ」
「そのようだ」
「ブリタニアのバトレーの手で身体を弄くられたせいか、お前の肉体は強靭ではある。だが一個の生物としては儚いほど脆い」
「そうか」
「わかるか? お前にとって最大の敵とはお前自身の崩れゆく肉体と精神そのものなのだ。ギアスを使うことはお前自身の命を削るに等しい行為だと私は説明した」
「そうだったな」
わかっていない、こいつは何もわかっていない!
なぜそんなにも平気でいられる。なぜそんなにも当たり前のように立っていられるのだ。
ライはマントを外してコートハンガーに掛けている。
扉を開けたままの姿勢で私は立ち尽くしていた。
この男は──ルルーシュを死なせた男だ。私の共犯者、私の契約者を守れなかった男だ。
「ライ、お前は──」
私の言葉は遮られてしまった。
「契約、だからな。結んでしまった以上、それは果たさなきゃならない。どんな手段を用いようとも」
約束ではなく、誓いでもなく、契約だから……か。
私は扉を閉める。
なぜお前はそこまで一生懸命になれる。絆なんてものは一方の死によって簡単に途切れてしまうものなのではないのか?
それとも……。
「C.C.?」
訝しげに私を呼ぶライの声。
なぜだろう。もう少しライと話をしてみたくなっていた。
【ぎあすあとがき劇場 咲世子におまかせ】
投下終了と同時に私の横でV.V.様がが仰ったのです。
「ねぇねぇ、咲世子」
──なんでございましょう? と聞き返す私。
「これ、番外編なんだよね?」
──そのようでございますね
「かなり長いんだけど。ていうか、手をとりあって本編よりもかなり長いんだけど」
確かにそのようです。これまで最大だったという第四話よりも容量が多いようですね。
私は頬に手を当て、少しニヤケてしまいました。
──やはりそれだけ主要登場人物に愛情のこもっている話だったからなのではないでしょうか。最初から最終回以外出番がないと決まってる方とは違って
ニヤリ。
「う、うぐうううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
──悶絶するほどの反応ありがとうございます。V.V.様
私は深々とお辞儀をするとジタバタジタバタなさっておられるV.V.様を隣の部屋にお連れいたしました。これでよし。
──さて、
私はあおちゃん様から手渡されたメモを読み上げる。
今回は職場が代わるなどのリアル環境の変化によって長いこと続きをお待たせすることになってしまいました。
無論読み手の方には関係ないただの言い訳に過ぎないことなのですが、本当に申し訳ありません。
今後も完結するまでがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。
今回のお話は玉城編と同じく番外編で当初10レスに満たない短いお話だったのですが、
次回から始まる陰謀編(5,6,7話)と最終回に至る伏線を付け加えていく過程でこんなにも長くなってしまいました。
さらに咲世子さんに関する設定はほぼオリジナルです。ここらへん読み手のみなさまはどのように感じられましたでしょうか?
もし良かったら感想以外にもその点教えていただけたら幸いです。
では、次回は第五話 コーネリア編 でお会いしましょう。青い人でした。
──まぁ書いていたデータが消えてしまったりとか色々ありましたものね
色々と大変なご様子だからあまりムリせずがんばっていただきたいものです。
ところで、と私は画面の向こう側におられるはずのあおちゃん様に視線を向けた。
──ライ様とロロ様が愛憎半ばしつつくんずほぐれつするらしいSSというのは一体いつになったら投下されるのでしょうか
ギクッビクッドキッ
どこかで何かが心に突き刺さる音が聞こえたようですが、それはおそらく幻覚でしょう。
あー、とってもとっても待ち遠しいなぁ~
鼻歌を奏でながら私はお部屋のお掃除をすることにしました。
──終る頃には書きあがってるかしら?
ウフフフフフ……
<つづく>
最終更新:2009年07月05日 22:45