042-018 コードギアス LOST COLORS [手をとりあって]その4.25 【篠崎咲世子】 01 @BLUEDESTINY



───2018,Jul,トウキョウ租界

「明石? あ、明石元一郎………大佐殿でありますかッ?!」
南様の素っ頓狂な…もとい非常に驚かれた声が壁にぶつかり、跳ね返って木霊になって飛んでいく。
ここはまだこの国が日本だった頃に開発が進められていた地下道路だ。戦争勃発と共に工事は中断され、その後長く放棄されたままになっていたという地下道路。
私たちはそのコンクリート臭い穴倉の中で一息をついていた。
周りには私たちの様子に目もくれず忙しく行きかう男たち。服装はまちまちで統一感の欠片もなかったけれど、その動きには少しの無駄もない。統一された意思がそこにある。彼らが訓練された人間であることは容易にうかがえた。
『軍人なのだろう』
その私の予想はこの場所でこの男の姿を確認したことで確信に至ったのだった。
「明石元一郎………って誰?」
南様の傍らにあった杉山様が小声でそっとお尋ねになる。「知らないのかよ!」再び南様の大きなお声がトンネル内に響き渡った。
「旧日本軍じゃ伝説的な方なんだぞ! 若くして諜報戦の第一人者と称えられ、末は大将、参謀長かと言われててだな。知ってるだろう、常識的に考えて!」
「知らねェよ!」
一方的に称えられ、そして一方的に知らないと言われたその男は特になんということもなさ気にただ佇んでいる。
風采の上がらぬ小柄な中年男。どこにでもいるような、目立つ印象など少しもないただの小男にしか見えない。
誰だってそう言うだろう。私だってそう言う。
彼と言う男の素性と本性とを知らないでいたならば。

「さて、では話を戻そうか」
さり気なくお二人のやりとりに割り込んで会話の主導権を再び握る。相変わらず上手い。
「扇副指令閣下と君たちの特区への脱出支援には異論はないだろう? 後は紅月カレン君の母上をお連れすることについてだけなのだが」
「申し出はありがたいです。それは本当に。………でも」
カレン様はその語尾を濁された。
多くの日本人同胞が政治犯として、言われなき罪によって捕らえられている中、自分の母だけ助けてもらうという事に感情的な反発があるのだろう。
もちろん本音では助けて欲しいに違いない。
だけど、自分の母親だけ、特別に、一人だけ。
カレン様らしいと思った。
特別扱いされることに後ろめたさを感じておられるのだ。
「君は───自分が特別扱いされることに後ろめたさを感じているようだね」
明石はニヤニヤしながら口を開く。
「特別扱いされるのはそんなにイヤかね?」
「……それは」
こんどはフッと鼻で笑う。
「これまでの戦果はすでにナイトメア18機、装甲車両・トラックは26台、ヘリに関しても7機。いずれも確定戦果のみで不確定分や共同撃墜などを含めればその数はさらに割り増し、と」
「大佐さんは何を言いたいんですか」
「君は特別なんだ、と言いたいんだ」
ピシャっと言い放ち、明石はカレン様の言葉を遮った。
「名実ともに黒の騎士団の───日本のエースと言っていい君の肉親をブリタニア官憲に預けておくわけにはいかない。そうは思わないかね?」
「わたしの素性はブリタニアには知られていないはずです!」
「そうかい?」
明石はわざとらしくため息をついてみせる。
確かにそれは違うと思った。気に食わないけれどこれは明石の方が正しい。
「ばれていない“はず”では困るのだよ、紅月さんや。それに、ブリタニアを過小評価したい気持ちもわかるんだがね、諜報組織というものを甘くみるものではないさね」
「でも…」
「今はまだよしとしようか。しかし、後々素性がばれてしまったら? 母上を人質にされてしまったとしたら? 君はそれでも戦えるのかね? 眉一つ動かさずに母上の屍の上を越えていけると?」
「でもッ──!!」
「繰り返すようだが、すでに人員の配置は終了している。準備に要した手間も考えてほしいものだね……後はGOサインを出すだけなのだから」
彼の言うことはどこまでも正論だ。だけど悔しそうに唇を噛みしめるカレン様の姿に私はもう黙っていられなかった。銃で撃ち抜かれた肩が痛みはしたけど構わない。私は立ち上がろうとした。
その時だった。
「明石大佐、その件よろしくお願いいたします」
私の背後から声が飛んだ。
「扇さん!」
手当てが済んだのだろう。ストレッチャーに横たわったままの扇様が衛生兵らしい男に運ばれてきたのだ。
「カレン、私情は捨てるんだ。これからの戦いにおいて何が上策なのか、何が最も優先されるべきかを考えるんだ」
カレン様は納得されない。
「これは私情じゃない!」
「私情だよ」
扇様の言葉も淀みない。
「自分が特別扱いされることがイヤなんだろう? 後ろめたいんだろう? それは私情だ、お前だけの勝手な都合だよ」
いいか?、と扇様は断りをお入れになる。
「だから副指令である俺が勝手に決める。黒の騎士団副指令の扇要の責任において明石大佐に紅月夫人救出の要請を行う。いいな、“俺が”決めたことだ」
ほう、と明石は小さく声を上げた。
「決定の責任は全て自分に所在する。だから紅月君は気に病む必要はない、か。男だねぇ扇さんや」
ニヤニヤを消さない明石に扇様は笑みの一つもお向けされなかった。
「明石元一朗大佐殿に要請いたします。紅月夫人の救出と共に我々の特区への脱出支援を行っていただきたい」
「承ろうとも。それが桐原公から下された我々の任務でもある」
その言葉が合図となったかのように、男たちの動きがさらにせわしないものになる。辺りが騒がしくなっていく。
「安んじてお任せあれ」
そう言って明石は踵をかえした。
すれ違いざま、私は彼の顔を強くにらむ。
「……………」
明石は───彼は何も答えない。
ただ、通り過ぎ、立ち去っていく。
遠い記憶に残るあの笑顔とは───何もかもが違っていた。
それは彼が変わってしまったからか、私が変わってしまったからなのか。
おそらく──その両方であると、私は思っていた。


コードギアス LOST COLORS [手をとりあって]その4.25   【篠崎咲世子】


───2018,Jul,行政特区日本…四日後

脱出行は細心の注意をはらって行われた。カモフラージュと情報工作、そして大胆な行動。すべてがそれに尽きる。
私たちがようやくフジの行政特区日本に到着したのは、あの銃弾が飛び交った夜から四日目を数えた朝のことだった。
扇様はそのまま入院とされ、代わりに南様と私に臨時政庁への出頭と報告が命ぜられた。
言葉通りの臨時に設置された政庁。
それは、“臨時に”“暫定的に”“限定的に”特区と特区に集う市民に関する行政を行う。そのためにエリア11総督府より設置することを“許可”された組織だった。
本来の政庁はテロによって機能を失い、いまや巨大な墓標のようにその残骸をさらしている。
犠牲者の収容は完了し、もはや近付く者もいない。
病院で一応の処置を受けた後、(もちろん脱出行の最中にも応急処置は受けてはいたけれど)私と南様は用意された車に乗り込み、臨時政庁に向かったのだった。
処方された痛み止めのせいだろうか、まぶたが重い。
「休んでいてくれてかまわないよ、篠崎さん」
ハンドルを握る南様に問題ありませんと答える。でも、お気遣いに感謝しますと私は言いかけた。
ゴッ───
光を遮る影が私の口から言葉を奪う。言葉を奪った主、青い巨人が私たちの視界に入り込む。
「派遣軍のサザーランドが市街地にまで入り込んでいるのかよ……」
悔しそうに呻く南様に私も相槌を打った。
「治安維持部隊のナイトメアがこんな市街地にまで入り込んでいるんだなんて……」
サザーランドは市街地用の警戒装備のようだった。足底にはゴムのパッドを被せ、道路のアスファルトを損壊させないよう気遣われている。ランドスピナーのタイヤもそういう仕様に換装されているようだ。
だけど腕部に装備されている大仰な装備からは禍々しいまでの威圧感を感じた。あれは確か気体爆薬を噴霧する兵器ではなかっただろうか……。
「あの武器、ゴウワインダストリーのブラストロッドか。暴徒鎮圧用装備と言えば聞こえはいいけどさ、この特区日本で一体誰を鎮圧するつもりなんだろうな」
私はまじまじと南様の顔を見返した。
「南様………軍事や兵器のことなど、随分お詳しいのですね」
「あぁ、うん」と面食らったような表情と言葉。南様は返答に困っていらっしゃる。
聞いては不味いようなことだったのだろうか。
「失礼な質問でございましたか?」
「あ、いや。別にそういう訳じゃないんだ」
南様は私に向けた視線を外し、前へと視線を向けた。
「戦前……、戦争が始まるほんの少し前まで防衛大学校にいたんだ。卒業後は海軍に進んで、でもすぐに幹部候補生学校に進むこともきまっていてさ」
南様は幾分得意そうに続ける。
「そのうち艦長……末は提督だ、なんてね。抵抗運動に参加したのだって能力をナオトに買われたからさ」
そうでしたかと私は静かに頷いた。
紅月ナオト。抵抗グループを率いた若きカリスマ。私もその名前だけは知っていた。
民間人の抵抗ゲリラでありながらキョウトが支援を躊躇わなかった逸材と聞く。逸材だったと言うべきか。
「軍仕込みの本物の知識、本物の戦い方をナオトのやつに見込まれたもんでさ、それで誘われてね」
それで軍事にも明るく、明石元一郎の素性も当然のように知っていたのか。私はようやく合点がいきましたと南様に告げる。
「騎士団の他の皆様方と違わず、南様も凄い方だったのですね」
「もっとも兵器だの何だのの薀蓄話は趣味みたいなもんでさ、ミリオタってやつさ。杉山のヤツが言ってただろう?」
笑う。つられて私も笑い声をたてようとして、ハッとした。
南様のそれは乾いた笑い声。
自嘲の込められた、笑い声。
「南様?」
南様の視線はただ真っ直ぐ。正面を見据えたままのその表情にはさっきまでの陽気さは見受けられない。
「嘘なんだ、全部」
ポツンとそれだけを吐き出され、車内には沈黙だけが残った。
嘘、か。
私は顔を上げて車の天井の先にある空を思った。
誰が彼を責めることができるだろう。
虚栄心か、小さなプライドか、自分自身を守るためか。いや、理由などどうでもいい。
人は誰しも仮面を着けて生きていく。
誰だって嘘をつく。
そうだ、誰も彼を責めることなんてできない。
だから、誰も私を責めることなんてできない。
あの日から私もずっと嘘をついてきた。
生きているという嘘。
名前も嘘ならば、経歴も嘘。
嘘、嘘、嘘。嘘ばっかり。
何も変わらない世界にうんざりしているくせに、それなのに絶望に浸って諦める事もできない。

「だけど」

私はここに来た。
自分を、この世界さえも変えてくれるかもしれない存在に会うために。
それだけは───嘘じゃない。

───2010,Sep,東京都府中市

「どうしてですかッ!」
私の憤りにお爺様は何も答えない。
「教えてください。……答えてッ!!」
「我ら篠崎の者は東京より撤収する。下された命はそれだけだ」
視界が怒りの朱に染まる。視線で人を殺せたらと私は本気で考えた。
「銃後の国民を、守るべき人々を捨てて逃げるのですか、防人の一族が!」
「篠崎に課せられた責務は要人警護ぞ。それらは……」
「我らには関係ない話とのたまうかっ!」
言いすぎだと傍らに控える篠崎の男が私の袖を引っ張る。しかし私はその腕を振り払い、お爺様に詰め寄った。
「尊い血筋の方々だけお守りできれば国は安泰とお考えか? 篠崎の力と技は自らを守ることさえ覚束ない人々のためにこそ振るうべきではないのですか!」
私は懐から取り出した苦無をお爺様の眼前に突き出した。
「お爺様が仰った“守るための力”は、私たちの力は、いまこそ発揮されるべきなのではないのですかッ!!」
「若干十代で篠崎の技の数々…その全てを極めたお前だからこそ、その良くまわる口に黙ってもいたが……」
「そんなことは聞いてないっ!」
血を絞り出すように私は言葉を吐く。
「……お爺様。私に力のなんたるかを、技のなんたるかを教えてくださったお爺様は何処に行ってしまったというのですか」
怒りは収まらない。ただ、途中から自分の声が湿り気と震えを含み始めていることに私は気がついていた。
私は頭を下げた。両膝をついて、手をついて、地面に伏して頭を下げた。
「無礼ならお詫びします、この通りに。だから仰ってください。私に、私たちに。今こそ篠崎の“守るための力”を以ってブリタニアの魔手から民衆を守る時ぞ、と」
背後で何人かの若い篠崎の者達が同じように地面に伏していく気配が感じ取れた。
心を同じくしてくれる者がいる!
それは私の心の火をなお強くしてくれるものだった。
『そうだ、負けない。負けるものか』
ブリタニア帝国がどれだけ強大な軍事力を有していようと、篠崎の力と技を駆使する私たちが結集すれば何するものぞと信じられる。
ここには熱き血潮の兄弟姉妹がいるのだから!
だから、
「それは許さぬ」
その言葉はより一層の失望のみを私たちに与えるものだった。
「どうしてなのですか!」
言葉を失った私に代わって誰かが訴える。
「答える必要はない。命はすでに下したであろう」
再び私の視界が朱に染まった。怒りと失望が私の総てを塗りつぶそうとしていた。
「どうしてですお爺様。なぜわかっていただけないのですか」
私はゆっくりと立ち上がる。
「今まさにブリタニア軍はこの東京に攻め込もうとしているのに。彼らの“殺すための力”から一体誰が人々を守るというのですか!」
「だからこそよ」
短くポツンと吐き捨てられた言葉に私は一瞬酷く驚いた。
この人はこんなに力ない言葉を紡ぐ人だったろうか。
私の驚きは他の者達にとっても同様だったのだろう。場に立ち込めていた諸々の怒気や不満の渦が不安と心細さに取って代わっていく。
「ブリタニアの力は殺すための力。我らの力は守るための力。よう言ったもんじゃ、上手いこと言ったものよ」
「それがなんだって…言うの」
「だからこそ我らはブリタニア軍と戦うべきではないのだ。守るための力が殺すための力に抗し得ることはない」
私は自分の耳を疑った。
今、この人は何と言ったのだろうか。
「……そんな」
誰かの悲鳴にも似た声が聞こえた。聞き違いではない。空耳でもない。それは確かに言い放たれた言葉だということだ。
私たちの守るための力は、ブリタニアの殺すための力に及ばないと、そう聞こえた。
私たちの力はっ!!
「──篠崎の技はブリタニアなどに劣ってはいない!」
「そういうことではないのだよ……」
私は目の前にいるそれを、何か違うもの…得体の知れない存在のように感じていた。
この老人がお爺様であると認めたくなかった。
「100人にも満たぬ人数で何ができる。徒に命を散らすだけのことよ。それだけのことでしかないのだ」
そんなことはない! 思った時には誰かが言葉を発していた。
「我々には心を同じくする同志がおります。明石大佐指揮下の部隊……彼らと共にあればより多くの人々を救うことができます!」
そうだ。私の脳裏にあの屈託のない笑顔が浮かんだ。
「そうよ、元一郎さんが…あの方と力をあわせられる限り、私たちがブリタニアに屈することなんてありえない!」
「共同歩調をとってブリタニア軍の侵攻を食い止め、危険地域からの都民の退避を進めましょう!」
「そうだ! 我々にはまだ出来ることがある! 戦えるのだ!!」
私の声に賛同の言葉が次から次へと上がる。上がっていく。
……それなのに。

───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁

いつの間にか眠っていた私は南様に揺り起こされ、自分が臨時政庁に到着したことを知った。
嫌な夢。
渡されたお手拭で顔を拭き、私は思っていた以上に寝汗をかいていたことに気がつく。
失礼しましたと告げる私に南様は「気にしないでくださいよ」と軽く笑った。
もしかしたら寝言など言っていたかもしれない。だけど南様はそういった類には何も触れなかった。私たちは建物へと入っていく。
『思いのほか人が少ない……』
それが第一印象だ。
政庁庁舎がテロにあったのだ。次に標的とされるとしたらこの臨時政庁では? そう考えるのは当然のことだろう。人が少ないのも合点がいく話ではある。
だから、陳情であるとか事務手続きであるとかで訪れる人はいないように見えたが、警備の任についてると思われる人影はそこかしこに見て取れた。
だが不味いのだ。
恐らくは軍人──旧日本解放戦線出身の人材を警備要員として配置しているのだろうが、配置がなっていない。
同じ軍人であっても憲兵出身などであれば違うのだろうが、彼らはそうではないのだろう。おそらくは彼らを指揮監督している人物もそうではないはずだ。
見えるところに配置する警備、見えないところに配置するべき警備。それらが著しくバランスを欠いている。
『どういうつもりなんだろう?』
ゼロは冷徹で政戦両略に長けた人物と聞く。
そんな人物がこんな穴だらけの意味のない警備体制をそのままに放置しているのだろうか?
仮に警備責任者が無能者だからなのだとしても、ゼロとはそのような人物に重責を任せる程度の人物だということか?
『そうだとしたら興醒めもいいとこだけど……』
「篠崎さん、こっちだ」
髪の長い女性と話をしていた南様が私を呼ぶ。
もう一度ロビーを軽く見回し、私はそっちの方へ身を流した。
「……あぁ、玉城のとこには後で顔を出すよ。井上はカレンの所に行ってやってくれ」
「わかった。……もう話したの?」
首を横に振る。「そっか」井上と呼ばれた女性はそれ以上何も口にされなかった。そのまま身を翻して建物を出て行かれた。
「男はダメだな。こういう時に何もできやしない……」
その後姿につぶやき、南様はため息をつかれ、
「さ、行こうか」
私を伴い歩き出すのだった。

臨時政庁は落成したばかりの学校の校舎に間借りしているそうだ。
と言ってもテロ事件が起きたばかり、学校は無期限の休校にしてあるという。
出来たばかりで日もそう経ってない校舎内はまだ真新しい建材の匂いでいっぱいだった。
『ミレイさまやナナリーさまはどうしていらっしゃるだろう』
私はその匂いに混ざる“学校”の匂いにアッシュフォード学園を思い出していた。
あの暮らしは私に安らぎを与えてくれた。それは得がたいものなのだと私は感じている。
その日々を大切に思っているのも間違いなく私だ。嘘じゃない。
しかし、私は黒の騎士団に出会ってしまった。
名誉ブリタニア人に身を堕としていながら、自分は日本人だと主張出来る場所を見つけてしまったのだ。。
『逆かな』
日本人であることを捨て切れず黒の騎士団に身を投じた自分であるのに、名誉ブリタニア人として生きた時間を貴重なものとして思い起こしている。
そう思うと自分の存在が矛盾してるようで笑える気分になった。
「こっちだ」
廊下をまた曲がる。もうけっこう歩いている。
学校の校舎は階層もあり、本館や別館もありとまるで迷路のようだ。アッシュフォード学園でも毎年の新年度には新入生が目当ての教室に辿り着けなくなるようなことがよくある。
ハっとした。
「気がついた?」
振り返り、少し悪戯っぽく笑う南様。私も思わず微笑みを返す。
「校舎の廊下は基本的に一本道。その廊下の奥の奥に司令部を置くことで防衛を容易にする……距離の防壁ですね」
「そして建物の中心部に置くことで司令部を攻撃から防御する。周囲には高地はないから迫撃砲なんかがあっても直接攻撃は不可能ってね」
「だから?」
「あえて」
「エントランスの警備を──」
「──穴だらけのままにほったらかしにしてあるってわけさ!」
私と南様の声が重なった。
「まったく、あんたってホントにただのメイドさんじゃないんだな。とんでもないや」
ひとしきり笑った後で南様は私を持ち上げる。私は曖昧な微笑で答える。
「実の所……」
ふと思いついた言葉を私は口にしてみることにした。
ンン? と南様が興味深そうに私を見つめる。
「私もいわゆる、その、ミリオタというものなのかもしれません」
南様はポカーンと大きく口をあけて言葉を失っていた。私は考えるよりも早く右の手の平で南様の背中をバシーンと叩いていた。
「嘘です!」
そう言って私は南様の先を歩き出す。廊下は一本道。迷うことなんてないのだから。
背後に南様が駆け寄る足音が聞こえる。
どう声をかけたらいいのかわからないといった感じなのだろうか。タイミングを計っているような気配。
私は振り返らなかった。長いこと思い出すことのなかった、友人に感じるような照れくさい気持ちが蘇ってきていた。

───2010,Sep,東京都府中市

「そうだ! 我々にはまだ出来ることがある! 戦えるのだ!!」
私の声に賛同の言葉が次から次へと上がる。上がっていく。
……それなのに。
「みんな、静まりなさい」
静かだけど強い言葉がその熱を一瞬で奪っていった。
「姉さん」
いつ起きたの? いつこの部屋に? そもそも起き上がって大丈夫な体なの?
姉さんはその第一声を発すると共に部屋の中央に進み、お爺様を背に私たちへと向き直る。
「みんな落ち着いてちょうだい」
諭すようにもう一度。
そうか……そうか!
「姉さんは反対なのね、私たちに」
自分でも驚く程に低い冷たい声が出た。
それなのに姉さんの視線は私をとらえてはいない。私を通りこして……みんなを見ている。
「今、あえて伺いましょう。私たち篠崎の者が長きに渡り、鉄と血の中に身を置いて暮らしてきたのは何のためであるか」
言葉を切って私に目を向ける。反発の言葉をあげようとした私の動きを制する視線。
動けない。何も言えない。
無言の気迫だった。明日をも知れぬ命と宣告された姉さんが、私を視線だけで押さえつけている!
「私たち日陰の者に栄光や名声があったとは言いません。しかし、重ね続けた日々が歴史は確かにここにあるのです。それらを無為に散らすことは篠崎の当主として看過できません」
──無為にではない……!
少なくともより多くの一般人を、その命を救うことができる。たとえ篠崎の者が一人残らず息絶えようとも!
「わ、我々は命を落とすことなど恐れては……恐れてなどおりません!」
「お黙りなさい」
私の思いと同じくする誰かの言葉は姉さんの一喝で消し飛んだ。
「命のやりとりを生業とするものが命を軽んずるかッ」
簡潔にして苛烈なその言葉は病を微塵も感じさせない。
「日本は負けました」
誰かのヒッと息を飲む音。
「負けるべくして負けたのです。政治家は権力を弄び、軍人は投機的な作戦に終始し、国民は現実から目を逸らし続けた。安穏とした日常という蜃気楼の中で遊んでいたのです」
だから負けた、日本は負ける。と姉さんは私たちにとどめをさすように、静かに淡々と言い放つのだ。
「枢木首相の件は先触れだったのかもしれない。もはやこの流れが覆ることはないのでしょう」
「だからと言って、私たちはッ」
姉さんの圧力を振り払って私は叫ぶ。
「負けただなんて認めない。この心が折れない限りは負けただなんて思わないッ」
「貴女の個人的な感傷などどうでもいいのです」
「感傷?!」
顔を振って額にかかった長い髪を振り払う。姉さんは感情を失ったかのように淡々としていた。
「私たち篠崎の者は東京より撤収します。下した命は変わりません。勝ち目のない戦いで家族の命を散らすつもりは私にはないのです」
「勝ち目はないだなんて誰が決めたのッ!!」
姉さんの視線は絶叫する私には向けられない。
「この府中には元一郎さんの部隊があるわ。あの人は特務の権限で周辺の部隊を自分の指揮下に組み込むことができるはず! 力を合わせれば、きっと!」
「……」
奇妙な静けさが部屋の中に広がった。
もう誰も言葉を発さない。私と姉さんの二人以外には。
なぜだろうか、その静寂に私は酷く悲しくなった。
覚えている姉さんの顔はあんなにも優しい笑顔ばかりなのに、今の私たちの間には冷たい無機質な空気しかないのだ。
いつからだろう。私たちの間にこんなにも距離を感じるようになったのは。
「明石大佐はここにはいません」
雷鳴が鳴り響いた。
「明石大佐とその部隊はここにはいません」
この人は何を言っているのだろうという疑問が私の胸の内を駆け巡る。言葉の意味を理解することに私はしばしの沈黙を必要としなければならなかった。
「……どこへ?」
口にしてから私は思った。どこへもへったくれもあるかと。
その瞬間、苛立ちと怒りと…それらいくつもの感情が私の中で雑に混じりあって沸騰した。
「知りません。機密だということで教えていただいてもいません」
そんなことに気がついてもいないような、相変わらずの淡々とした口調。
違う……違う、違う、違う、違う、違う、違う、違うッ!
「違うでしょ、そうじゃないでしょう!」
行ってしまった? 病床にある姉さんを置いて、行き先も告げずに、置いて行ってしまった?!
「元一郎さんが行ってしまったって……。じゃあ姉さんは、どうして姉さんはここにいるの?!」
答えない。姉さんは何も答えない。
「明石大佐はすでに東京から撤収しております。我らの後ろ盾となる戦力はすでにありません。この上は我らだけでのブリタニア軍への抵抗も無意味でありましょう」
やはり淡々としたその声は少しの震えも見せることはなく、
「あらためて命を下します。我ら篠崎も戦闘を停止し、東京から撤収します。あたら命を無駄にするようなことは当主として絶対に許しません」
結論だけを述べるのだった。まるで振り下ろされた鉄槌のような重さが感じられた。
皆が皆、押し黙っていて、身じろぎ一つしない。議論の総ては尽きたのだと私は悟った。だけど
「待ってよ、待ってよ姉さん」
反論がないのは当たり前と言わんばかりに私たちに背を向けた姉さんに私は。
「どうして元一郎さんは行ってしまったの。側にいるって言ったのに、姉さんの側にいるって約束したのに!」
詰め寄る私をお爺様が押し留めようとする。
「答えてよ姉さん。それでいいの? 任務だから仕方ないの? だからって、だからってっ! 姉さんッ!!」
私が本当に守りたかったものは! 貴女と、あの人と、なのに!! どうして!!
姉さんは振り返らない。私は絶叫する。

──答えてよ、咲世子姉さんッ!!


───2018,Jul,行政特区日本…臨時政庁

すでに人の出入りは絶えて久しい。
手元の時計は23時をまわっている。ゼロも側近と共にすでに臨時政庁を退庁して宿舎に戻っている。
『と、見せかけて』
夜の帳の降りた学校はヒッソリとしていて、灯りをみつけることも難しい。
厚い雲に隠され、月も星もその輝きを地上に落とすことはない。
私にとってはとてもありがたい夜。
明石の部隊から内緒でこっそり貰ってきた個人暗視システムがこんなにも役に立つとは思わなかった。
都市型迷彩のシーツに身を包んで、私はあたりをつけていた場所を見下ろせるポイントに身を潜めている。
校舎と校舎の壁の隙間、セキュリティとセキュリティのの僅かな隙間に私は身を潜めている。
月明かりもなく、照明の明かりもない暗闇。さらに建築物の間で陰になるこの場所。だけど、暗視装置は確実に私の眼下を鮮明に見せてくれている。
この第三世代のパッシブ式赤外線スコープはたとえ完全に密閉された、まったく光がない状況でも“見る”ことができる。
スコープをはねあげ、私はもう一度時計を確認した。
「そろそろさっきの外人が入っていってから30分…」
そこは使用されていないはずの文科系部の部室棟。その一室が退庁したと見せかけて彼が鎮座している玉座というわけだ。
秘密の執務室? 会議室? があるのだ。そこにゼロがにいる。極少数の側近や警護役すら伴わずに。
「ん」
本校舎と部室棟をつなぐ渡り廊下に微かな動きを見咎め、私はスコープを装着しなおした。
3人……いや、4人。
入ってきたときとちがって1人多い? その体形から1人は女だと分かった。彼らが入っていった時にはいなかった……元から棟内にいた人物? ゼロの警護係か何かだろうか。
まぁいい。これらが意味するところとは考えるまでもない。
会談は終わり、今棟内にいるのはゼロだけだと言うことだ。
さて。
私は迷彩シーツを肩から外した。
「報告するようなことは……まぁ、以上だな」
ゼロの執務室は天窓からの光もあって随分明るい。整理整頓が行き届いていて無駄な物はなく、狭いながらもスッキリとしていた。
南様からの口頭の報告を受けた異貌の仮面は手元の報告書に目を落としつつ「そうか」とだけ答える。
この男がゼロなのか。
室内にもかかわらず仮面と外套を身に纏っている。外套──マントを纏ったまま椅子に座るというのはどうなんだろう? 私はそんなことをぼんやりと考えていた。
少々シュールと思わずにはいられないその部屋で私は南様と共にゼロに報告を行っていた。
「では、南。感想を聞こうか」
「感想?」
「そうだ。実際にその現場にあった者として、状況にどのような感想をもった?」
ゼロは仮面を傾け、私の方も向いた。
「さよ……」
何か言いかけてゴホンと咳払いをし、
「君は篠崎咲世子と言ったな。君からも聞かせてもらおうか」
私にも促す。
『?』
不意に私を何かが襲ったような感覚。
「そうだな。学校で襲ってきた訳の分からん奴らについては扇が直で報告すると言ってたし、詳しいことは俺にはわからないな。明石大佐からも詳しいことは聞いてないし。ただ…」
「ただ?」
「最初に襲ってきた連中がさ、不正規戦をやる特殊部隊だかエージェントにしては随分弱く感じたな」
思い出したように苦笑される。
「もっとも篠崎さんとカレンが助けにきてくれなかったら皆殺しにあってたかもしれないんだから、大きいことは言えないけどな」
少し冗談めかして南様は仰ったが、ゼロはほんのちょっとも気にかけた様子はなく黙っていた。
笑ったような気配など微塵もない。
私は少しムっとしていた。
「私からは特にはありません。報告書にある通りでございます」
慇懃無礼につっぱねてみた。
「そうか。二人ともご苦労だった」
ゼロは相変わらず無表情──仮面を被ってるのだから当然声色についてのことだ──のまま頷いた。
「ケガをしていると聞いている。腕を吊っているのだから見ればわかることであるが……、今日はもう下がって休むといい」
手元のインターホンを操作するとすぐに従卒であるらしい若い兵士が入ってきた。
「君、二人を官舎に送ってくれたまえ……いや、そうだな」
従卒から私たちに視線を移し、ゼロは手元のペンを便箋にはしらせる。
「命令書だ。扇・南・杉山、及びカレンと篠崎咲世子の5名に休養・療養を命ずる。それに関する限り特区の公的施設・半公的施設の無制限利用を許可する」
ゼロは席を立ち、わざわざ南様の前にまで歩いてからその便箋に書かれた“命令書”を手渡された。
「病院でも食堂でも好きなように使って構わない。もちろん常識の許す範囲内で、ではあるが」
「いいのか? こういう特別扱いって、ディートハルトあたりが顎を吊り上げるんじゃないか?」
それを言うなら「眉を吊り上げる」ではないだろうか? ゼロにはちゃんと通じているようだけど。
「危険な任務に従事し、あやうく命を落としかけた人間になら何でもしてやろうという気にはなる。構うことはない」
「ようは飴と鞭の飴かよ」
「飴は嫌いかね?」
ありがたく受け取っておくよ、と南様は続いて示された封筒にその便箋を畳んで入れた。
「すまなかったなゼロ。襲撃は予想できる事態だったのに、結局たくさんの仲間を一度に失ってしまってさ」
いや……とゼロは頭を振る。
「これまでだとて血は流れてきた。同胞の血、仇敵の血。我々がするべきことは振り返り悔やむことではない、流れた血を無駄にしない為に前進を続けることだ」
振り返らない、か。そのフレーズがチクリと私の胸に刺さる。
上に立つ人間らしい言葉だと思った。そして、
「それに考え方を変えればこれはチャンスと言えなくもない」
続く言葉が私にゼロの仮面を注視させた。
「コーネリアは特区に軍を派遣したことに加え、保護すべき使節団を保護しなかったという負い目を持った。我々に対してというよりは世論に、そして本国にという意味でだが」
「……あの夜の襲撃、あいつらの死。それ自体がカードになるっていうことか……」
「実際に命を落としかけた君からすれば嫌らしい論理かもしれないが、時に政治や外交というものは清らかな手段だけでは戦うことはできないものだ」
「理解はできるつもりさ、努力はする。杉山や扇だってわかっている…と思う」
「そう言ってもらえると助かる」
南様は立派だ。理不尽な……以ての外の理屈を、論理を聞かされても、それを自分の胸の内で一旦脇に置くことができている。
私は納得も理解もしたくなかった。同胞の血、同胞の命。それらを悼むことなくチャンスだと言ってのけ、あまつさえ駆け引きの道具にしようだなんて。
義憤?
違う、そうじゃないことを私は知っている。
そういうことじゃない──


02

最終更新:2009年07月06日 01:35
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