"Y2J" Chris Jericho <実在の選手>
1999年にY2K問題(2000年問題)をモチーフとしたY2Jというコードネームで
WWFに参戦。
それ以前では当時存在した日本のプロレス団体WARに所属しその関係で
新日などにも参戦、
『ライオン道』というリングネームで活躍していた。
非常に勤勉な選手で日本での活躍時に日本語を勉強し、しゃべる事が可能。
レスリングにもカナダ・メキシコ・ジャパニーズスタイルをしっかりと背景に持っており
そこへ更に
ECW>
WCWを経たアメリカンプロレスを埋め込むことにより試合内外の技術で卓越したキャラクターを掴み取った。
ジェリコの
WWFデビューは対
ロックとのスキットであり、
その後
ロックとジェリコは1999年~2002年に様々な形で大半は衝突、時には奇妙な共闘を繰り広げ、
比類なきアピール能力から日本のファンの間で『二大マイク番長』とも呼ばれていた。
試合では巧者ながら安直に勝たない、ベビー・ヒール双方に携わることができる、ファンからの支持が非常に多いなど
まさしく魅せるトップレスラーと表現するに相応しい選手であった。
参戦僅かで
WWF&
WCWのタイトルを
ロックと
ストンコそれぞれから同一
特番で奪取し
初代統一王者(史上3人目のグランドスラム)達成者になるなど、今日でも
WWEの歴史的体現者でもある。
また
WWFに参入して僅かで
Alliance抗争が勃発。
HHHと
HBKが負傷離脱してしまっていたこともあるが、団体軍の選抜5名に選ばれるなど
非常に団体からも期待され、それに応えてきた選手でもあった。
バンド"FOZZY"のヴォーカルでもあり、バンド活動のために
WWEから一度退いたが
(当時はある試合で破れ、ギミック上解雇された)
2007年末に大々的なタイタントロン予告を毎放送流しながらも放送外のサイトや発言でファンをかく乱しながらも
最終的には2nd comingとして
WWEへと復活。今日でもトップのスーパースターとして確固たる地位を獲得している。
経歴からハードコアマッチ適正も極めて高く、
WWEでの様々な試合形式を提案した選手としても認知度あり
特にTLCマッチ(テーブル・ラダー(脚立)・チェアー(椅子)戦)での気迫は凄まじい。
東プロ内では
幽香のフィニッシュホールド『VFT』が
ジェリコのウォール・オブ・ジェリコと同型(高角度逆エビ固め)である。
また妙な共振が起きている
ロック様信者の
早苗との関係を
オリジナルの両者との間柄と照らし合わせると非常に興味深い構図になっている。