今回取り上げた「ぼくの地球を守って」、通称「ぼく地球」は、
 少女マンガでありながら、SF、ギャグ、オカルト、ヤクザ、恋愛、ショタ、BL、などなど
 漫画好き少女(=作者?)の大好物な要素を惜しげも無く詰め込んだ作品だった。

  しかしながら、作者「日渡早紀」の力によってそれらのバラバラのピースはひとつの作品としてつながり、
 大変に深みのある物語を形作っていた。
 「紫苑」と「木蓮」の『一回の人生では収まり切らないほどの強い想い』を軸に、
 それに関わるたくさんのキャラクター達が実に活き活きと魅力的に描かれていた。

  登場するキャラクターはいずれも人間臭い、汚い部分も持ち合わせた、
 「愛」と「深い嫉妬」との間でゆれる実に魅力的なキャラクター達だった。
 愛するが故に、その報われない想いに悩み苦しみ、他人を傷つけてしまう。
 そんな「汚い自分」を恥じる気持ちにまた苦しめられる。
 普遍的な人間の葛藤に強く共感させられる場面の連続だった。

  人間の「愛」にまつわる様々な感情を、それぞれのキャラクター達の「人生」を通して浮き彫りにしていく、
 大変に感動的な物語であった。

  そして、何よりも作者の「魅せる」物語演出の妙によって
 読者はさらに強くこの作品に惹きこまれて行くことになる。

  物語と同時に展開される作者のエッセイ「1/4のたわごと」は、
 創作過程の様子や、作者のオタク歴、ファンとの交流など、
 作品連載当時の雰囲気を味わわせてくれる。

  本来であれば一人で行なっているはずの「読書」という行為の中で、
 「同じ作品を一緒に楽しむ仲間」の存在を感じさせる事によって、
 作品を読み進める快感はより高まっていく。
 想いの共有がそこにあるからだろう。

  その「1/4のたわごと」中で、作者がフィクションにのめり込みすぎるファン達の言動に対して、
 「上手にフィクションを楽しんでください」とメッセージを投げかける場面があった。

  作者の、「読者には作品の世界を存分に楽しんでほしい」という想いとは裏腹に
 大切な一線を超えてバランスを崩してしまう読者も少なからずいたようだ。
 それほどまでに作者「日渡早紀」の物語の力は強く、
 読者達の心をそして、価値観を大きく揺るがすほどの影響力を持っていたのだろう。

  日本の漫画読みは、大変に漫画に対する読解力が高く、
 複雑な物語や、微妙なキャラクターの心の動きを読み解くのが得意だ。
 そんな読者たちの潜在的な読解力の高さが、今作のような優れた作品を生む土壌になっている。
  しかし、そんな物語へと同調する力の高さが、
 現実世界との間で歪みを生んでしまっている事実もあったのかもしれない。
 「強すぎる想像力は自分をも傷つける」

  娯楽として物語を楽しみ、そして同時に教訓として何かを学びとることが出来たなら、
 作者の言う「上手なフィクションの楽しみ方」に近づけたと言えるのではないだろうか?

  作者は、悲劇的な最期を迎えた前世の魂たちに現世では安住の地を与え、幸せな未来を予感させる形で物語を締めくくっている。
 しかし、同時に前世の滅んでしまった世界と、現世で起こった様々な出来事に関して、
 私達に考える機会を与えてくれている。

  サージャリアンたちはなぜ滅んでしまったのだろうか?
 紫苑が、輪が、同じ過ちを繰り返しそうになってしまったのはなぜだろうか?
 それを阻止する事ができたのはなぜだろうか?

  当たり前な答えがそこには待っているかもしれない。
 しかし、現実をしっかりと生きていくためには、当たり前な事を当たり前に繰り返していくしかない。

  作者が各単行本最後の「1/4のたわごと」に必ず書いていたお別れの挨拶、
 「両足を大地にくっつけて星に両手を差し伸べて、きっと元気でいて下さい。御機嫌よう、さよーならーっ!」

  この中には「地に足をつけて、しかし、夢見る心を忘れないで、元気で生きていこう」
 というメッセージが込められていたのではないだろうか?

  作者の強い想いの詰まった作品だった。
                                           2013 4/5 utarou

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最終更新:2013年04月06日 00:21