『日出処の天子』あと語り

  今回取り上げた「日出処の天子」という作品は、飛鳥時代の日本を舞台にした物語。
 蘇我毛人(蘇我蝦夷)と厩戸王子(後の聖徳太子)を中心に、豪族と朝廷との権力闘争の中で起こる
 男と男の、そして、男と女の恋の物語りを展開していた。

  時代考証などに関してのツッコミどころはいろいろとある作品のようだったが、
 個人的にはその辺りはあくまで「舞台設定」であって、あまり重要な役割ではないと感じた。
  この作品の中心になっているのは、「親の愛を受けずに育った厩戸皇子の孤独」である。とわたしは考える。

  作品の中で、厩戸王子は暗示にかける事で政敵を陥れたり、戦の時に戦いの神を呼んだり、
 雨乞いを成功させたり、普通の人には見えない魑魅魍魎を見る事が出来たり、と人間離れした能力を持った存在として登場する。
  厩戸王子は生まれつきその不思議な力があるが故に母親である
 「穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)」からの愛を受けることが出来ずに育ってきた。
  間人姫は厩戸王子の弟である「来目王子」ばかり可愛がり、厩戸王子は一緒に食卓を囲むこともできない毎日をすごしている。
 厩戸王子は弟が憎んでいるわけではないのだが、自分へは向かない母の愛に対して言葉に出来ないやりきれなさに苛まれ続ける。

  厩戸王子は、外面上は母の愛は諦めたものというような振る舞いをする。
 しかし、その心の中の奥底で母からの愛を欲する気持ちは消えることがなく、
 その反動からか、厩戸王子は権力闘争の中で実に非道な手段をとり続ける。

  そんな中で厩戸王子は蘇我毛人という男と出会う。
 毛人は厩戸王子の超能力を知っても尚、優しい言葉をかけてくれる。
  権力欲に乏しい毛人は、厩戸王子に対してその「美貌」や「明晰な頭脳」などに惹かれ、
 謎めいた力によって幼い頃から孤独であった事などを知り、事あるごとに厩戸王子を気にかける様になる。
  厩戸王子にとって毛人は、朝廷内での殺伐とした権力闘争の中で張り詰めた心を和ませてくれる存在であったのだろう。

  その様にして2人は惹かれ合ってゆく。
 しかし、厩戸王子は毛人への愛を叶えるためにまたも自分の超能力を使って暗躍を始めてしまう。
  結果としてそのことが毛人の心を遠ざける原因になってしまうというのに…

  厩戸は自分の超能力によって他者からの愛を遠ざけ、孤独から抜け出すことが出来ずに、
 毛人との完全な決別の後、母親に似た知恵遅れの少女を嫁に迎え入れ世話をする様になる。という所で物語は終りを迎える。


  この作品が連載されていた80年代、
 その頃にちょうど青春期を迎えていたある女性に話を聞くことができた。
 その世代の少女たちは、読む本がなかったのだと彼女は言う。
 その当時は国産の児童文学という物がほとんどなく、幼少の頃は海外産の翻訳版絵本ばかりと読んで育ち、
 その後、成長しても国産の児童文学がないので、少女たちはマンガへと流れたのだという。

  少女たちは「花の24年組」と呼ばれる少女漫画家たちの作品をこぞって読んだのだと言う。
 当時は小中学生のみならず高校生や大学生、男性にまで受け入れられ、
 文芸評論家も高く評価するほどの勢いのある作品群がその「花の24年組」によって作られていたのだという。

  今作の作者「山岸凉子」も「花の24年組」のひとりである。


  わたしは、この作品が「飛鳥時代」と舞台にしていること、
 そして、「愛されない事によってその反動から他人を傷つけてしまう少年」を主人公に選んでいる事に因果関係がある様に感じた。
  飛鳥時代に日本の価値観(国策)の変革に大きく関わった仏教の思想と、
 当時「花の24年組」が作品内でしきりに描いていた「アダルトチルドレン」というテーマが、つながりを持っている様に私には感じられた。

 「生きることは苦しいことだ」「煩悩を捨てて悟りを開きなさい」という仏教の教えが、
 愛されずに育った厩戸王子(アダルトチルドレン)の心を慰めようとしている様にわたしには感じられたのだ。

  作中で、厩戸は
 「神は祟る。そうなった時に救ってくれる存在が必要だ。それが仏だ」と言い、
 その後、仏を目の前にして「仏は見ているだけで助けてくれはしない」と言っている。
  悟りは自分の中から生まれるもので、仏が見えたからと言って悟りを開いたということにはならないのかもしれない。


  今作に出てくるキャラクター達は、
 それぞれのキャラクターがそれぞれの煩悩を抱えている。
 それを捨てることが出来ずに悩み、苦しみ、心の中に無念を抱えたまま、混沌のうちに物語は終わってしまう。

  それでも、作中のキャラクター達は自分の守りたいもの、叶えたい夢、野心のために活き活きと活躍していた。

 作品の中で仏教の教えが直接的に描かれる事は少なかったが、
 作品全体を通して人の生きる苦しみを描き、
 人間が持つ普遍的な性質を突き、仏教的な教訓を感じさせる物語になっている様にわたしには読めた。


  物語最後の厩戸王子は、とても穏やかな表情をしている。
 知的障害の少女の無邪気ないたずらに腹を立てることなく、
 優しく抱き寄せながら、自分の思いついた国策である「遣隋使」について語って聞かせる。

  これから厩戸王子は己の力を日本という国のために使い、
 日本を隋と肩を並べるような国にしようと政治的手腕を振るい出すのだろう。
 愛して貰えなかった母の面影を持った少女を愛しながら…

  この時の厩戸には「悟り」の本当の意味がわかっていたのかもしれない。

  力とは、自分を守るために使うのではなく、誰かを守るために使われるべきであるという事が。

  誰かをほんの少しでも救おうという心が生まれた時、
 人間は悟りへと近付けるのかもしれない。
 そんなメッセージをわたしはこの作品から感じた。

                                          2013/5/2 utarou

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最終更新:2013年07月06日 02:22