「羊のうた」あと語り
今回取り上げた「羊のうた」は美大卒の漫画家による作品だけあって、「絵」に対するこだわりを強く感じる作品だった。
連載を経るごとに変化し、進化していく絵柄。
「手の演技」を大切にした描写。
デッサンのモデルのような美しいポーズで描かれるキャラクター達。
各巻の表紙を見るだけでも、
作者の絵に対するこだわりを感じることが出来るだろう。
今作は視覚的な部分以外にも作者の美意識を随所に感じることが出来る。
「高城の病」という理不尽な病に侵された主人公「千砂(ちずな)」と「一砂(かずな)」は、
他人の温もりを欲する「渇き」が原因で起こる「発作」によって徐々に追い詰められていく。
「他人の血を飲みたくなる」という発作。
二人のそれを忌み嫌い、二人きりで引きこもる様にひっそりと暮らしていく。
その間にも絶え間なく襲い来る「渇き」
他人を欲し、同時に他人を拒絶する。
歪んだ心の働きによって絶望と閉塞感に支配された日常。
そんな狂気的な状況がこの作品内での日常なのである。
そして、そんな歪んだ日常の中に「心の美」を感じ、
それを丁寧に描こうとした所に今作の魅力はあると、わたしは思う。
着物を着て畳の上で生活するという、一昔前の日本には当たり前にあったスタイルで暮らす千砂と一砂。
しかし、二人は止まった時間の中に閉じ込められ、世間から隔絶した異世界を生きているような印象を受ける。
さながら明治の文豪「夏目漱石」や「幸田露伴」の描く世界に迷い込んだ様な感覚が今作にはある。
そこに流れている時は、我々の生きる現代のめまぐるしいものではなく、
じっとりとまとわりつくような粘性の高さを持っている。
閉鎖された空間で自分の内面と向かい合いながら、じっと時が過ぎるのをやり過ごす。
そんな毎日の中で心は徐々に狂気へと変わってゆく。
そして、そんな狂気さえも時の流れは日常として押し流していってしまう。
そんな時の流れに読者は引きこまれ、
作品へのめり込んでいくのではないだろうか?
歪んだ愛情の中に、狂気の人間の心に、不可思議な美が隠れている。
作者の描きたかった「美の世界」がそこにはあるのではないだろうか?
実を言うと、今回は実に一年ぶりとなるTwitterのTLのみで開催されたマンガ語りだった。
(2012年7月~2013年6月まではUSTによる動画配信という形のイベントとして開催されていた)
USTの動画配信の時と事前準備があるのは変わらないが、その瞬間に言葉として喋るのと、
文字にしてツイートするのとでは脳の違う筋肉を使っている様な感覚を覚える。
それぞれに固有の刺激があり、どちらも楽しい。
久しぶりにツイートによるマンガ語りの楽しさを味わうことが出来てよかったと思う。
沢山の参加者の方々の「語り」に触れることが出来たことも大変に有意義だったと思う。
3時間ツイートしっぱなしもそれはそれでなかなかに疲れるものだ。
次回は甘いモノを用意しようと思う(笑)
2013/8/3 by utarou
最終更新:2013年08月03日 13:08