「無限の住人」あと語り

  今回取り上げた作品は沙村広明先生の「無限の住人」
 激しいバトルの連続で表面上は痛快な作品になっているのだが、
  そのバトルの中で起こる執拗な人体切断。
 戦っているどちらが正義なのか、勝利するのかが不明瞭な展開。
 にも関わらず、引きの強い物語の力に引き込まれていく高い漫画力。
 普通のバトルマンガとは一味違った作品だなと感じた。

  作者自身がいろいろな媒体で語っている、
 その特殊な性癖に注目して今回は語りを展開してみたい。

  普通の作品って「戦わせたい」んです。
 もう少し広く通用する言葉で言うと「対立」を描きたい。
 何かが「対立」する。
  そして、片方が勝利する。っていうのを描きたい。
  それは読んでいる側からするとわかりやすい快楽(娯楽性)なんです。
 だからエンタメとしては、何かを対立させて、片方を勝たせる。っていうのをやりたがる。

  でも、今作は、
 ひたすら殺し合い。
 一番の悪の組織として描かれていた逸刀流も結局は自らが憎んでいた
 「親から子への夢の押し付け」を自らが行おうとして失脚してしまった。
  しかも、万次が斬り殺すのではなく、凛が刺し殺すという形。
 念願だった復讐を果たしたはずの凛に笑顔はなく、重苦しい空気が立ち込めるだけだった。

  今作は痛快な復讐劇ではない。

  さらに、そこで物語は終わらず、
 最後は、さんざんに斬り殺し合う道を歩き続けた万次が、
 時を超えて、明治に差し掛かりつつある日本にて、ついに刀を捨てる。
 というシーンで物語は締めくくられている。

  これは作者の、
 「刃物で人体を切断したシーンを描くのが好き」
 という性癖を叶え、それを世に伝えるための作品であり、
  その性癖の異常性を自分で知りながらそれを描いてしまう後ろめたさを
 成仏させるための物語なのだろうとわたしは思う。

  だからこそ、万次は物語の最後に刀を捨て、
 本当の償いを始めるのだろう。

  散々斬り合いをして、自分にはそれしか出来ない。
 誰かを斬り殺す事でしか自分の償いは出来ない。と万次は思っていたはずだ。

  でも、それは違って、
 暴力はさらなる暴力を呼び、
 復讐の連鎖と報復の連鎖を生むだけなのだ。
 万次は長い間それに気付くことが出来なかった。

  時を超えて万次はそれに気付き、
 刀を捨て、まだ見ぬ本当の償いに向けて歩き出した。
  でも、万次が人々を斬り殺した罪は消えない。
 無限に繰り返す償いに終わりはあるのだろうか?

  自分の罪は消えないと悟った時に万次の償いにもようやく終わりが来るのかもしれない。


  度重なる人体切断シーンに新たな性癖の目覚めを体験した読者もいたのではないだろうか?
 沙村氏の今後の創作活動を追って、その範疇内でその性癖は成就させて頂きたい。

  今作はその特殊な性癖を推奨するものではなく、
  その異常性に気付き、認めた上で、
  その性癖を成就させるための作品として機能するための物だと思う。
                                             2014/7/2 by utarou

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最終更新:2014年07月07日 21:01