白石 幾久(しらいし・いくひさ)教授


専門:数理構造論・幾何生命基礎

黒板三面を信仰対象とする、松茸大学理学部の異端数学者・白石幾久。
彼にとって数式とは「静かに呼吸する生命体」であり、解を出すことは「説得に成功した瞬間」なのだという。

授業の冒頭、彼はチョークを掲げてこう言う。

「今日はどんな気持ちで割り算をしますか?」

学生が笑うと「笑いもまた余りの一種です」と返し、そのまま授業が始まる。
板書の途中でチョークが折れると「今、概念がくしゃみをしましたね」と微笑み、学生が計算を間違えると「式が照れてる」と言って黒板に残す。
こうして、黒板には“思春期の方程式”たちが無数に祀られていく。

彼の研究室は理学部棟の最上階にあり、天井には天体観測用の小窓がある。
夜にはチョークの粉が月光を反射し、まるで**「数式でできた星空」**のように輝く。
学生たちは期末前にそこへ願掛けに来る。
彼が言うには「星も数式も、どちらも黙って光る」。

◆ ゼミの風景

週一で行われる“数式観察会”では、学生がそれぞれお気に入りの方程式を持ち寄る。
「この関数、最近怒ってます」
「今日、この公式がちょっと元気ないです」
――そんな報告を真剣に聞く白石。

「いいですね。数字も、たまには心配されたいんです」と頷く。
彼いわく、数式にも情緒がある。
それを見失った瞬間、人間の計算も狂うのだという。

最近では学生が式に“名前”をつける風潮があり、「リサ関数」「たかしの方程式」などが黒板に並ぶ。
講義後、教授は「人間より方程式の出席率が高いな」とつぶやいた。

◆ 逸話

ある日、白石は授業中に突然電気を消し、「今日は“暗算”の本質を感じてください」と言った。
学生がざわつく中、彼はチョークを鳴らして一言。
「暗算とは、世界が一瞬だけ目を閉じることです」

翌週、今度は全照明をつけて「今日はコサインの気分です」とだけ言って講義を終えた。
以来、学生たちは“明るい=コサイン、暗い=サイン”で公式を覚えるようになった。

◆ 現在の研究室

研究室の壁には「数式の感情温度」を測るという謎のグラフが貼られている。
縦軸が“落ち込み度”、横軸が“共感値”で、数式ごとに温度が異なる。
教授曰く、「グラフも季節で変わる」。
冬になると指数関数が縮こまり、夏になると展開しすぎるらしい。

机の上にはメロンパンと微分のメモ。
学生が理由を尋ねると、「糖分を与えると数列がやさしくなる」と返す。
ときどきパンくずが数式の上に落ちて“積分できなくなる”が、本人は「それもまた実験」と言って拾わない。

◆ 人柄

白石はいつも穏やかで、学生に怒ったことがない。
ただし、黒板の掃除を許可なく行うと「そこはまだ考えてたんです」と小声で注意する。
彼にとって黒板は“記憶装置”であり、過去の数式たちもすべて生きたまま保存されている。
学生のあいだでは、「教授の黒板を消すと、1単位失う」という噂がある。

講義の終わりには必ずこう言う。

「数式はあなたを信じています。信じ返せるかどうかは、期末試験で。」

数式とは、心の中で最も誠実に悩む生き物である。
最終更新:2025年11月04日 10:27