霧島 沙月(きりしま・さつき)教授


専門:量子共鳴生物学・情報菌体理論

霧島沙月教授は、理学部でも屈指の人気を誇るが、学生たちは彼女を「わかるようで、わからない先生」と呼ぶ。
話し方は穏やかで、常に微笑んでいる。だが講義が始まると、黒板に大きく「菌は考える」と書き、静かに言うのだ。

「ここまでは生物学。ここから先は恋です。」

学生たちは一瞬ざわつき、次の瞬間ノートを取り始める。
もう慣れている。松茸大学では、こういうことはよくある。

◆ 生い立ち

霧島は幼い頃から虫や草花に話しかける子供だった。
「朝顔が寝坊した」と本気で心配し、「カビも家族だから掃除できない」と母親を困らせた。
理系に進んだのは「菌は裏切らないから」と語るが、その理由を聞いた者は少ない。

大学では生物物理を専攻。量子生物学の講義で「観測されると粒子の状態が変わる」と聞いた瞬間、ノートにこう書いたという。

「じゃあ、見られた菌は恥ずかしがってる。」

その日から、彼女の研究テーマは“量子状態における菌の感情変化”になった。
周囲は笑ったが、彼女だけは笑わなかった。
「感情も観測できるなら、データになる」と本気で信じていたからだ。

◆ 教授としての現在

霧島研究室は、学内でも異彩を放つ。
扉の横には「乾燥注意」「菌も休ませて」と貼り紙。
湿度計の下には加湿器が二台並び、机の上には菌糸のサンプルと温度ログの隣に、なぜか観葉植物の名札がある。
それには「菌太郎(仮)」と手書きされている。

授業は一見真面目だが、例え話が奇妙だ。
「量子共鳴とは、恋人が同じタイミングで既読をつける現象です。」
「エンタングルメントは、遠距離恋愛の科学版。」
学生たちは半笑いでメモを取るが、期末試験では本当にそれが出題される。

◆ ゼミ風景

ゼミは週一回。
学生たちは自分の担当する菌の培養記録を発表するが、報告の形式が独特だ。
「本日の菌は機嫌がよく、泡の立ち方が元気でした。」
「昨日の菌は少し不安そうで、色がくすんでいます。」
教授は真剣に聞き、「あなたの観察眼は優しいですね」と褒める。

ある学生が「先生、菌に名前をつけてもいいですか?」と尋ねると、霧島は少し考えてからこう答えた。

「いいけれど、名前で呼びすぎると、依存関係が生まれます。」

その一言に教室が静まり返る。数秒後、誰かが「先生、それは人間にも言えますね」とつぶやき、全員が笑った。

◆ 人柄と逸話

霧島は非常に穏やかで、怒る姿を見た者はいない。
ただし、除湿器のスイッチを入れた学生にだけは「それは裏切りよ」と真顔で言ったという。
彼女にとって湿度とは信仰のようなものである。

講義の途中でスマホの電波が急に悪くなると、「ごめんなさいね、菌糸が混線してるの」と言って休講にすることもある。
学生たちは最初こそ困惑したが、いまでは“菌糸トラブル”を口実にレポートの締切を延ばすようになった。
教授もそれを暗黙に認めている。

◆ 研究と現在

彼女の研究テーマは「菌糸ネットワークを介した量子情報伝達」。
論文には難解な数式と共に、謎の注釈が多い。
「このとき菌は“喜び”を示した」「おそらく照れた」など、学会では議論の的だ。
だが、その“主観の混入”こそが霧島の真骨頂である。

最近は菌を使った感情デバイス「バイオWi-Fi」の試作にも成功。
学生が「通信速度は?」と聞くと、教授は笑って答えた。

「だいたい、恋が始まる速さくらいね。」

科学も恋も、観察が続く限り、まだ終わっていない。
最終更新:2025年11月04日 11:27