【怪物記 第三話】

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【怪物記 第三話】 - (2009/07/23 (木) 22:17:45) の1つ前との変更点

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#ref(怪物記3.jpg) [[ラノで読む>http://rano.jp/825]]    &italic(){白黒つけるぜ}      &italic(){――ゼブラーマン} ・・・・・・  私と会長が隠れた商業区の路地裏の傍を数人の黒い生徒たちが駆けていく。 「……行ったのか?」 「行ったようだ」  我々は数千人の生徒に追われている。別に会長のファンクラブに追い回されているなどの事情ではない。大体そんなに大勢はいないだろう……いやひょっとするといるのかもしれないが。  我々が追われているのは、学園の生徒が白と黒の二色に分かれており、我々がそのどちらにも染まっていないからだ。  数ある色の中で白と黒の二色は最も対立している色だとされている。例えば一般に天使のイメージは白で悪魔のイメージは黒、正しいは白で悪いは黒。そして……チェス。  陰陽太極図という図式がある。あれの場合は黒――陰の中にも白――陽があり、陽の中にも陰がある。そして陽が陰を、陰が陽を食らおうとして鬩ぎ合い、やがて互いの内にある陽と陰に食われて陰陽が入れ替わり、それを延々と繰り返すというものだ。  今回の事件はそんな白黒の対立の一種に双葉学園都市が巻き込まれてしまったというものだ。 「それでハイジ、この騒動の大本のラルヴァの名前は何といったか?」 「この【扇動事件】を引き起こしたラルヴァは」  自分達の対立に双葉学園全体を巻き込んだはた迷惑なラルヴァの名は   第三話【境界パンダ】 ・・・・・・  事態は二時間前まで遡る。  私は醒徒会の執務室、すなわち醒徒会室を訪れ醒徒会書記にレポートを提出していた。この醒徒会室という場所は洋風のオフィスといった風情だが、なぜか資料室という名目で和室が付随しているよくわからない場所だ。 「これがこの二週間で出現したラルヴァに関するレポートだ。死出蛍に関しては新たに判明した生態と戦う上での注意点を私のほうで追加してある」 「おつかれさまー」  レポート提出と言うとまるで宿題に追われる大学生のようだがそうではない。これは情報交換の一種だ。この学園の生徒たちが遭遇したラルヴァの中で過去に発見されたことのある個体に関する生態や対処法のデータを渡し、代わりに未発見だったラルヴァのデータをもらう取り決めになっている。  本来なら全て私が直接生態観察に行きたいところだが私の体は一つであり、加えてラルヴァは遭遇するまで未発見の個体かどうかはわからない。何より偶発的な遭遇も多い。全てをカバーするのは不可能だ。 「いつもありがとうございます。こちらが新たに発見されたラルヴァのデータです」  醒徒会の副会長から対価のデータを受け取る。表紙は【金属喰い(仮称)】というラルヴァだった。パラパラと捲って読んでみると、能力こそは該当する例がいくつかあるが形状や食した金属の模様がそのまま体表に表れる特徴など新しい部分もある。 「新種だ」 「あれだけ出現してよくまだ新種が見つかるものだね」  私の呟きが聞こえたのか醒徒会の会計監査が呆れたような口調で言った。 「新種と言うよりは変種なのかもしれん。例えば生物学的には同じ昆虫や鳥でも生息域によって模様や食料に違いが出る。ラルヴァの場合はそれがより顕著であり、生物学的レベルで別の種族になってしまうほど変化している可能性もある。だとすると、生息域だけでなく時代も関係しているはずだ。人間とて初期のホモサピエンスから随分と進化している。ラルヴァもそうだろう」  生まれたのが1999年の前か後での違いは無論あるだろう、などとラルヴァについて語っていたら、 「ハイジの話は難しいし回りくどいぞ」 と、苦情を言われてしまった。苦情の主は一番奥の一番サイズの大きいデスクに座った……ここで一番小さい醒徒会長だった。 「私の話し方は性分なのでどうしようもない」 「直す努力をするのだ。それに先日もう少し普通の喋り方をしていたのを見たぞ。独り言のようだったが」  どうも助手との会話を聞かれていたらしい。突っつかれても困るのでスルーしよう。 「そうそう、ラルヴァの中には先ほどの説明とは逆に最初に出現してから千年以上経過しても一切形状と性質に変化が見られない種族もいる」 「例えばどんなちゅ族だ? あ……」  噛んだ。 「……コホン。そ、それでハイジ、その出現してからいっさいけいじょーとせいしちゅに変化が見られないちゅぞくとは例えばどんなちゅぞくなのだ?」  しかも慌てているせいか言い直して余計に言い間違えている。 「……代表的な例としては先日この都市に出現した赤壁だな。あれは昔から変わらず、ずっとあの形らしい。それ以外では流遇城《リュウグウジョウ》や七色件《ナナイロクダン》、それと変り種では【境界パンダ】だ」 「境界パンダ、聞いたことがある」  有名なラルヴァなので会計監査は名前に覚えがあるらしい。副会長も知っている様子だ。だが会長と書記は「なにそれ?」という顔をしている。 「パンダとはあの白黒のパンダか?」 「そのパンダだ。会長の式神と同じように白黒のな」  うなー、と会長の腕に抱きついていた白虎が鳴いた。 「境界パンダは生態や姿形が一切変化していないにも関わらず名前が変わった稀有な例だ。元々は陰陽熊と呼ばれていたが、一八六九年に中国で初めてジャイアントパンダが発見された後に名称が変更になったという逸話がある。存在自体は千年以上前から確認されているラルヴァだ。しかし、この微笑ましい名前の変遷とは裏腹に境界パンダの能力は危険で、その生態も能力と深く結びき……む?」  私は境界パンダの解説を中断せざるを得なかった。解説の途中、不意に醒徒会室のドアが乱暴に開かれたからだ。  ドアの向こうには五、六十人もの生徒達がおり、彼らの目はみなどこか虚ろで視線が宙を彷徨っている。さらに奇妙なのはまださして日差しも強くない季節であるのに全員が全員、奇妙に浅黒い肌をしていること。……黒? 「ちょっとちょっと!? なにさーこんな大人数で! だいたい入るならノックくらいしてからにしなって」  彼らの肌の黒さに、記憶の中の何かが引っかかりを覚える。そう、今しがたも思い出していた気がする。  黒、染色、感染、黒、白、陰陽…………境界パンダ! 「だから待ちなって……」  書記が醒徒会室に入ってきた黒い生徒達を手で静止しようとしたのと、 「「触るな!!」」 私と会計監査の警告は同時だった。同時だったために、間に合わなかった。  書記の手が黒い生徒に触れると、黒い生徒達の肌から『黒』が滲み出して書記の手を伝っていった。数秒もしないうちに彼女の皮膚は黒い生徒達と同じ黒に染まっていた。そしてクルリとこちらへと向き直り、他の黒い生徒と同じように迫ってくる。 「おお!? イメチェンか!? 健康小麦肌にイメチェンなのか紫穏!」 「会長、下がってください」  純粋に驚いている会長を、異常事態を悟り警戒体勢をとった副会長が下がらせる。私の横では会計監査が黒い生徒達の動きを警戒している。 「語来。やはりこれは境界パンダの?」 「噂をすれば影とは言うが……何もこの学園都市に出なくてもいいだろうに。流石の私でも会いたくない部類のラルヴァだぞ、境界パンダという奴は――横暴で凶悪すぎるからな」  私が愚痴を言っている間にも黒い生徒たちと黒く染色された書記がフラフラとした足取りでこちらに迫ってくる。ああ、こんな風に寄ってくるゾンビと戦うシューティングだかアドベンチャーゲームがあったな。あれと違うのは撃ってはいけないことと 少しでも触られたら即同類になってしまうことか 「……かなり深刻な違いだ」 「ぼやいている暇があるなら逃げろ。君たちが逃げる時間は僕が稼いでやる」 「と、言われてもだな」  外への唯一の正規出入り口であるドアの前には黒い生徒達がいる。残る逃げ道は窓くらいとなるわけだが、この醒徒会室はよくある漫画の生徒会室と同様に非常に高い階にある。窓から逃げる≒投身自殺となる程度には地上との間に距離がある。普通の人間は余裕で死ねるな。 「会長、お願いしますね」 「え? あ、うむ! ハイジ! こっちに来るのだ!」  副会長の言葉に会長が力強く答え、私はよくわからないまま窓際に引き寄せられ、 「とおー!」 そのまま窓からダイブした会長に袖を引かれて共に窓から地上へと落下した。 「…………………………………………死ねるなぁ」  全身に当たる風の勢いに私が本気で死を覚悟した。だが、覚悟した死は訪れず、舗装された石畳の硬い(と実際に感じるのかどうかはわからないが)感触はせず、代わりに何かふわふわとした感触に顔を埋めていた。この感触の正体は、 『うな~~~~~!!』  巨大化した会長の式神、白虎だった。我々のクッションになって石畳の舗装道路に着地したらしい。白虎の巨体と巨重を受け止めたために着地点の石畳は無惨に砕け散っている。  それにしても、実は結構危うかったのではないかと思う。いや、会長は無事に済む確信があったのだろうが高所からの道連れダイブは事前に言ってから実行して頂きたかった。  などと思考した直後に醒徒会室の外壁が吹き飛んだ。そうだ、黒い生徒とゾンビの違いはもう一点あった。黒い生徒の中には異能力者もいる。ましてやこの学園の生徒の中でトップクラスと名高い醒徒会の一人も黒く染色されているのが現状だ。言ってから逃げる隙はなかったのか。それに副会長が降りてこないところをみると会計監査と一緒に足止めをしなければならないほどらしい。  しかし、それで一安心とは問屋が卸さなかったようだ。なぜなら醒徒会室の外へと無事逃げおおせた我々を……今度は数十人の白い生徒達が道路の先から追いかけてきたからだ。  そんな事情で我々はこの路地裏で我々を捜索する生徒達から隠れている。巨大化した白虎は目立ってしょうがないので元の大きさに戻してもらっている。  学園都市のどこかで爆音が轟く。やはり、相当な大事になっているのは間違いない。 「それでハイジ、この騒動の大本のラルヴァの名前は何といったか?」 「この【扇動事件】を引き起こしたラルヴァは境界パンダだ」 「む、醒徒会室での話に出てきたラルヴァか」 「ああ。だから話の続きをすることになる。……境界パンダの生態はその能力と深く結びついている。生態について最初に言っておくと、境界パンダとは白色と黒色、二頭一対の熊のラルヴァだ」 「それはパンダではなくただの熊と白熊ではないか?」  まったくだ。だから陰陽熊という元の名前も何も間違っていなかったのだが、時代の流行だったのかパンダに改名されてしまった。微笑ましいと言うよりは笑い話だ。しかし、境界パンダの恐ろしさは名前などで拭いきれるものではない。 「カテゴリーはビースト。等級は中級Bノ5」 「5というと、死出蛍のようなタイプなのか?」 「いや違う。境界パンダは数少ない真っ当な意味での……」 「『存在するだけで人を殺す』ラルヴァだ」 「…………」 「連中は黒熊と白熊の二頭一対だが、どういうわけか生まれたときから互いを憎み合い、争い続けている」 「兄弟喧嘩というわけか」 「むしろ自己否定だ。だが、連中は自分たちで直接牙や爪を交えて争うことは決してしない。代わりにあるものを使う」 「あるもの?」 「人間だ。境界パンダは人間を駒にしたゲームで決着をつける」  脳裏に醒徒会室を襲った生徒達や我々を追い回した生徒達の姿が思い出される。彼らの姿は黒か白に染められ、遠目に見ればチェスか何かの駒に見えただろう。 「……人はゲームの駒ではないのだぞ」 「同感だ。だが境界パンダにとってはそうじゃない」  境界パンダは自身の魂元力を変換した『波動』を常に体から放出している。黒い境界パンダからは『黒い波動』、白い境界パンダからは『白い波動』が本体から数十~数百メートルの範囲に撒き散らされ、『波動』を浴びた人間を『黒い波動』なら黒に『白い波動』なら白に染色する。  染色された人間に接触した人間も同じ色に染色されてしまう。醒徒会室で書記が黒く染まったのはそのためであり、生徒達から逃げ回っていたのもそれを避けるためだ。加えて、染色された人間は感染者を増やそうと動き回る。これが双葉学園都市の現状だ。  だが、ここまでは境界パンダの能力の前段階に過ぎない。 「境界パンダが駒を揃え終えたと判断し、感染者の増大を止めたとき、白と黒の境界パンダはゲームを始める。その瞬間……」 「白と黒に染色された人々は殺し合いを始める」  さながらチェスの駒の如く、染色された人々は互いの命を奪い合う。  白は黒を敵と見做し、黒は白を敵と見做し、互いの間に敵味方の心理的境界線《ボーダーライン》を定めて殺しあう。  だからこそ、境界パンダ。  自分達は傷つかないゲームのような争いで人々の屍を築き上げる横暴で凶悪なラルヴァ。 「……止める手段はあるな?」  尋ねる会長の顔はいつになく真剣だった。 「駒を揃え終わる前に境界パンダを倒せば染色された人間は元に戻る。だが、問題点が多すぎる。我々は境界パンダの現在位置を知らない。知らぬ間に『波動』の射程距離に入り込めば我々も境界パンダの駒になってしまう」  白や黒と言ってはいるが『波動』そのものは無色であり、エネルギーとして感じることもできない。逆に察知できる類のものならこの双葉学園都市でこうも易々と感染拡大するわけがない。気づけば、染められているのだ。 「現在位置がわかったとしても、近づけば波動の影響を受けてしまうのにどうやって境界パンダを倒す?」 「どうやって? そんなものは決まっているではないか」 「この双葉学園醒徒会長、藤神門御鈴の全身全霊をもってだ!」 「敵が見えぬと言うなら努力を尽くして探して見つけ! 勝つ手段がないと言うなら知力の全てを絞って考え抜き! そうして出来た道筋に己の力の全てを込めて、学園生徒の明日を背負い、戦い必ず勝利する! それが双葉学園の醒徒会長だ!!」  会長は「どうだ!」と言わんばかりに胸を張った。  論理的に言えば今の彼女の発言は現実的でも何でもない精神論にすぎない。だが、もしも私がこの学園の生徒なら彼女を醒徒会長選んでいただろう。そう心の底から思えるほどに今の彼女は輝いている。 「……わかった。勝つ手段は私が何とか考える。だから、勝利するのは任せた」 「もちろんだ!」  勝つために最も重要なのが境界パンダの現在位置だ。それを把握していなければ勝つどころか唐突に駒にされて敗北しかねない。どうにかして境界パンダの『波動』に触れずに境界パンダを探さなければ……。都市内の監視カメラの管理室に行くか? しかし屋内で染色された生徒に遭遇すれば高確率でアウトだ。 「ん?」  私が思案を巡らせていると、私の携帯電話が非通知で着信を告げる。しかし、生徒の大半が境界パンダの影響下にある中で誰が電話をしてくるのか。そもそも、私の携帯の番号を知っている人間などそう多くはないが……こんなことで考えていてもしょうがない。 「もしもし」 『もしもしとか案外フツーの受け答えですねーセンセ』  助手だった。 「……なぜお前が携帯電話を持っている」 『やー、プリペイド式っていうんですか? お手軽でいいですよねー、これ。玩具ですけど』  一昔前に使い捨て携帯が玩具として発売されたことがあったが、どうやら助手はそれを入手して私に電話を掛けてきたらしい。 「尋常じゃないくらい立て込んでいるので切るぞ」 『あ、パンダのことでしょー? ワタシの用事もそれなんですよー。センセ、黒と白のどっちが勝つか賭けません?』  …………こいつは。いや、言っても仕方あるまい。こういう奴だと分かった上で助手にしているのだから。 『センセは白と黒のどっちに賭けます? ワタシはやっぱり黒ですねー。なにせ醒徒会のメンバーの半数が』 「私はどちらも勝たないという結果に賭ける」 『あれ、引き分けですかー?』 「いや、勝つのは灰色だ」  白と黒の対立だ何だと言っているが、そもそも世の中はチェスのように白と黒の二要素だけで出来ているわけではない。それを、境界パンダに思い知らせてやろう。 「私と会長が白黒両方を負かしてみせる――キングを討ちとってな」 『おお。センセってばなんだかカッコいいですねー』  助手は茶化しながらも、声音はどこか嬉しそうな様子だった。 『じゃあじゃあセンセ』 『パンダの居場所、知りたくないですかー?』 ・・・・・・  助手が電話で伝えてきた場所は中央区に立ち並ぶビルや施設の隙間にあった。そこは入り口の看板に『飲食店』建設予定地と銘打たれたまま野晒しとなっている空き地だ。広さは四百平米といったところだが……なるほど、立地がいい。あそこに陣取っていれば周囲のビルや施設を利用する多くの人間を『波動』の影響下に置くことが出来る。境界パンダの知性は動物並だがこと能力の使用に関しては知恵が回るようだ。  私と会長は境界パンダから直線距離で三百メートル離れたビルの屋上にいる。助手から境界パンダの現在位置の他に(どういうわけか知っていた)『波動』の有効範囲が二百五十メートルであるという情報を聞き出した後に選んだ監視に最適のポイントだ。此処まで来るときはビルの中を通ると『波動』の影響範囲に入る恐れがあるため、白虎に再度巨大化して跳んでもらい、直接この屋上に移動した。 「パンダはいたのか?」  私はコートの内ポケットからオペラグラスを取り出して会長に手渡し、私自身は双眼鏡で広場にいる境界パンダの様子を探る。それにしても……。 「どうやら本当に自分達の手を汚す気はないらしいな」  広場では白と黒の境界パンダが睨み合っている。両者の距離は近く、今にも組み合って戦うことが可能な立ち位置だ。だが、境界パンダはそうしない。なぜなら境界パンダにとって争いとは自分達の身を傷つけあうことではなく、集めた駒を消費しあうことなのだから。 「ハイジ、それでどうやって境界パンダを倒すのだ?」 「今考えているところだ」  このポイントからなら狙撃という手もあるだろう。しかし境界パンダは中級のラルヴァ、通常のライフル弾では効果など期待できない。やるなら狙撃専門の異能力者に頼るしかないが、そんな人材は今いない。こちらで戦闘能力を有しているのは会長の白虎だけ。しかし如何に白虎といえども三百メートルも先にいる中級ラルヴァを倒す手段はない。 「会長、つかぬことを聞くが、白虎の他に式神は?」 「……今は使えん」  となるとやはり白虎でやるしかない。だが、どうやって? 「グズグズしている時間はないんだがな……」  時間をかけすぎると境界パンダは駒集めを打ち切ってゲームを始めてしまう。そこまで事態が進んでしまったらもう止めることは出来ない。 「会長、白虎は何ができる?」 「む? 色々できるぞ。噛んだり引っ掻いたり人を乗せて跳んだり、あと紫穏と一緒だとぱわーあっぷしてごーじゃすになってすごいビームが撃てるのだ」 「すごいビームか、それが使えたら万事解決だったな」  残念ながら肝心の書記は真っ先に黒くなってしまった。ビームが撃てないとなると、あとは噛むか引っ掻くか跳ぶかだが…………跳ぶ?  この屋上まで跳んだあの脚力なら境界パンダのところまで一足飛びでいけるのではないか。いや待て、一足飛びで行けるからどうなる。結局会長が『波動』を浴びればそれまでだ。ならば会長をこの屋上に残して白虎だけ……駄目だ、距離が離れすぎては白虎が力を発揮できなくなる。今考えなければならないのはどうやって『波動』の影響を受けずに境界パンダを倒すか……………………影響を受けずに?  ああ、なんだ。 「一回思いついてしまえば、簡単なことだな」  こんなことは誰でも思いつく。むしろ今まで思いつかなかった私は実は馬鹿なのかもしれない。 「会長」 「なんだ?」 「勝てるぞ」 「そうか」  敵は見つけた。  勝つ手段は作り上げた。  あとは勝つだけだ。 ・・・・・・  境界パンダ達がお互いのちょうど中間点にあるその物体に気づいたのは同時だった。いやむしろ、その物体が現れたと同時に気づいたと言うべきか。そんなものはそれまでなかったはずなのに、当たり前の様子でその物体はそこに置かれていた。  それはプリペイド式の携帯電話だった。 「あー、あー、只今マイクのテスト中……ふん、いささかベタだったか」  双眼鏡を通して見た景色では境界パンダがプリペイド携帯のスピーカーフォンから聞こえる私の声に興味をもった様子だ。このまま話し続ける。 「さてね、話が通じるとは思わんが、少し話させてもらおうか。正直なところ、私は君達の生態や能力は横暴で凶悪で関わりたくないとは思っているが、否定しているわけではない。なぜならそれが君達というラルヴァが獲得した能力であり、その能力で争いあうことが君達の生態なのだから。それを否定してしまうのは私としては出来ない」  これは偽らざる本心だ。人間の視点から嫌なものだと思うことは出来ても、完全に否定してしまっては生態学者としては失格だ。だから境界パンダというラルヴァの生態と能力を私は肯定する。  ただし、 「人間として反抗するかどうかはまた別の話だが」  私の声音の変化を感じ取ったのか境界パンダが周囲を警戒する。だが周囲360度を見回しても彼らにとっての敵の姿はない。  それはそうだろう 「千年間、君達もずいぶん永いこと喧嘩してきた。――そろそろ彼女に白黒つけてもらいたまえ」  なぜなら、彼らにとっての敵は――真上にいる。  境界パンダの頭上には、頭部に会長を乗せた白と黒の縞模様の巨大な虎がいた。  会長の白虎は巨大化したまま ――自由落下していた  もはや境界パンダが白に染めようが黒に染めようが関係ない。  扇動してもどうにもならない。  白虎は重力に身を任せて落下しているだけのだから。  もう白虎や会長にも落下をどうこうすることはできない。  そして今の今まで私の声に気を取られていたために逃げることもままならない。  境界パンダはもう……詰んでいる。 「最後に一つ言わせてもらおう」 「喧嘩両成敗、だ」  二匹の境界パンダは着地した白虎の巨大な両肢に踏み潰されて絶命した。 ・・・・・・  事件の翌日、私と助手は研究室から学園都市の様子を眺めていた。幸いなことにこの事件は一人の犠牲者も出ないうちに解決した。境界パンダの起こした事件では初めてのことだ。 「ワタシのプリペイドケータイは犠牲になりましたけどねー。言われたとおりパンダの間に置いてきたらあのびゃんこちゃんに踏み潰されてぐっちゃぐちゃでしたよー。ひどいですよー。鬼ですよー悪魔ですよーラルヴァですよーこの人」 「それはお前だ。だいたい、携帯電話の件は今度ちゃんと契約した携帯電話をやるということで話がついただろう」 「インターネットとテレビと高速通信とSDカードとその他諸々が付いた最高級品にしてくださいよー。なんたってワタシは今回の功労者なんですからー」 「……否定しておきたいところだが、まあいい。たしかに今回は助かった」 「あ、定額無制限のプランでお願いしますねー」 「言われんでもそのつもりだ。後で馬鹿みたいな金額を請求されても困る」 「ありがとうございまーす♪ いやー、それにしても死人こそいませんけど怪我人や壊れた建物は随分出ましたよねー。これからこの事件の恨み辛みでギスギスした展開になるんですかねー。ワクワク」  などと助手はのたまったが、そうなると思っているものはこの学園では極少数だろう。 「生憎だが、そうはならない。今回は禍根が残るような犠牲者は出ずにすんだからな。それにそこまで単純じゃない」  そう、単純じゃない。 「なぜならこの世界の境界は白と黒だけではないからだ。丸か四角か。大か小か。数え切れないほどの境界線で線引きされている。たとえ境界パンダの境界線で白と黒に二分化されて争いかけた間柄だとしても、その境界線が消えてしまえば彼らは仲間さ。なぜなら、彼らはみんなこの双葉学園という名の境界の内側にいて、友情や愛情という名の境界の中にいる」  研究室の窓から見える風景の中では学園の生徒達が手分けして自分たちが壊してしまった醒徒会室や学園都市の各施設の修繕作業に当たっている。彼らが今やっている作業は本来ならば業者に全て任せて直すこともできた。しかし、壊してしまったのは自分達だから、と一部の生徒達が自分達にできる範囲で修繕を始め、やがて他の生徒達も集まった。そして今、彼らは協力し合い、自分達の学園を直している。 「境界の外側と争うことも手を繋ぐこともできる。それはやっぱりどこかで同じ境界の内側にいるからだ。単純じゃ、ないだろう?」  自由で複雑な世界、境界だらけの世界で我々は生きているのだから。 第三話【境界パンダ】 了 登場ラルヴァ 【名称】   :境界パンダ 旧名:陰陽熊 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :中級B-5 【初出作品】 :怪物記 第三話 【他登場作品】: 【備考】  白と黒の二匹の熊。 常に互いを敵視している。 自分たちが直接戦う代わりに人間を駒にした戦争ゲームで争う。 過去の歴史の中に何度か登場し、境界パンダのゲームが契機となって始まった戦争もある。 境界パンダのゲームは四段階まである。 第一段階:境界パンダ自身が発する魂元力を変換した『波動』で人間を駒にする。※1      このとき白は白の、黒は黒の『波動』を放出している。 第二段階:駒になった人間が接触によって駒を増やす。 第三段階:駒の数が規定数以上となったとき白と黒それぞれの人間が殺し合いを始める。※2※3 第四段階:どちらかが全滅したらゲーム終了。境界パンダは十~百年の充電期間に入る。 ※1:波動の範囲は数十~数百メートル ※2:規定数はゲームごとに異なる ※3:一度殺し合いが始まると境界パンダを倒しても止まらない
#ref(怪物記3.jpg) [[ラノで読む>http://rano.jp/825]]    &italic(){白黒つけるぜ}      &italic(){――ゼブラーマン} ・・・・・・  私と会長が隠れた商業区の路地裏の傍を数人の黒い生徒たちが駆けていく。 「……行ったのか?」 「行ったようだ」  我々は数千人の生徒に追われている。別に会長のファンクラブに追い回されているなどの事情ではない。大体そんなに大勢はいないだろう……いやひょっとするといるのかもしれないが。  我々が追われているのは、学園の生徒が白と黒の二色に分かれており、我々がそのどちらにも染まっていないからだ。  数ある色の中で白と黒の二色は最も対立している色だとされている。例えば一般に天使のイメージは白で悪魔のイメージは黒、正しいは白で悪いは黒。そして……チェス。  陰陽太極図という図式がある。あれの場合は黒――陰の中にも白――陽があり、陽の中にも陰がある。そして陽が陰を、陰が陽を食らおうとして鬩ぎ合い、やがて互いの内にある陽と陰に食われて陰陽が入れ替わり、それを延々と繰り返すというものだ。  今回の事件はそんな白黒の対立の一種に双葉学園都市が巻き込まれてしまったというものだ。 「それでハイジ、この騒動の大本のラルヴァの名前は何といったか?」 「この【扇動事件】を引き起こしたラルヴァは」  自分達の対立に双葉学園全体を巻き込んだはた迷惑なラルヴァの名は   第三話【境界パンダ】 ・・・・・・  事態は二時間前まで遡る。  私は醒徒会の執務室、すなわち醒徒会室を訪れ醒徒会書記にレポートを提出していた。この醒徒会室という場所は洋風のオフィスといった風情だが、なぜか資料室という名目で和室が付随しているよくわからない場所だ。 「これがこの二週間で出現したラルヴァに関するレポートだ。死出蛍に関しては新たに判明した生態と戦う上での注意点を私のほうで追加してある」 「おつかれさまー」  レポート提出と言うとまるで宿題に追われる大学生のようだがそうではない。これは情報交換の一種だ。この学園の生徒たちが遭遇したラルヴァの中で過去に発見されたことのある個体に関する生態や対処法のデータを渡し、代わりに未発見だったラルヴァのデータをもらう取り決めになっている。  本来なら全て私が直接生態観察に行きたいところだが私の体は一つであり、加えてラルヴァは遭遇するまで未発見の個体かどうかはわからない。何より偶発的な遭遇も多い。全てをカバーするのは不可能だ。 「いつもありがとうございます。こちらが新たに発見されたラルヴァのデータです」  醒徒会の副会長から対価のデータを受け取る。表紙は【金属喰い(仮称)】というラルヴァだった。パラパラと捲って読んでみると、能力こそは該当する例がいくつかあるが形状や食した金属の模様がそのまま体表に表れる特徴など新しい部分もある。 「新種だ」 「あれだけ出現してよくまだ新種が見つかるものだね」  私の呟きが聞こえたのか醒徒会の会計監査が呆れたような口調で言った。 「新種と言うよりは変種なのかもしれん。例えば生物学的には同じ昆虫や鳥でも生息域によって模様や食料に違いが出る。ラルヴァの場合はそれがより顕著であり、生物学的レベルで別の種族になってしまうほど変化している可能性もある。だとすると、生息域だけでなく時代も関係しているはずだ。人間とて初期のホモサピエンスから随分と進化している。ラルヴァもそうだろう」  生まれたのが1999年の前か後での違いは無論あるだろう、などとラルヴァについて語っていたら、 「ハイジの話は難しいし回りくどいぞ」 と、苦情を言われてしまった。苦情の主は一番奥の一番サイズの大きいデスクに座った……ここで一番小さい醒徒会長だった。 「私の話し方は性分なのでどうしようもない」 「直す努力をするのだ。それに先日もう少し普通の喋り方をしていたのを見たぞ。独り言のようだったが」  どうも助手との会話を聞かれていたらしい。突っつかれても困るのでスルーしよう。 「そうそう、ラルヴァの中には先ほどの説明とは逆に最初に出現してから千年以上経過しても一切形状と性質に変化が見られない種族もいる」 「例えばどんなちゅ族だ? あ……」  噛んだ。 「……コホン。そ、それでハイジ、その出現してからいっさいけいじょーとせいしちゅに変化が見られないちゅぞくとは例えばどんなちゅぞくなのだ?」  しかも慌てているせいか言い直して余計に言い間違えている。 「……代表的な例としては先日この都市に出現した赤壁だな。あれは昔から変わらず、ずっとあの形らしい。それ以外では流遇城《リュウグウジョウ》や七色件《ナナイロクダン》、それと変り種では【境界パンダ】だ」 「境界パンダ、聞いたことがある」  有名なラルヴァなので会計監査は名前に覚えがあるらしい。副会長も知っている様子だ。だが会長と書記は「なにそれ?」という顔をしている。 「パンダとはあの白黒のパンダか?」 「そのパンダだ。会長の式神と同じように白黒のな」  うなー、と会長の腕に抱きついていた白虎が鳴いた。 「境界パンダは生態や姿形が一切変化していないにも関わらず名前が変わった稀有な例だ。元々は陰陽熊と呼ばれていたが、一八六九年に中国で初めてジャイアントパンダが発見された後に名称が変更になったという逸話がある。存在自体は千年以上前から確認されているラルヴァだ。しかし、この微笑ましい名前の変遷とは裏腹に境界パンダの能力は危険で、その生態も能力と深く結びき……む?」  私は境界パンダの解説を中断せざるを得なかった。解説の途中、不意に醒徒会室のドアが乱暴に開かれたからだ。  ドアの向こうには五、六十人もの生徒達がおり、彼らの目はみなどこか虚ろで視線が宙を彷徨っている。さらに奇妙なのはまださして日差しも強くない季節であるのに全員が全員、奇妙に浅黒い肌をしていること。……黒? 「ちょっとちょっと!? なにさーこんな大人数で! だいたい入るならノックくらいしてからにしなって」  彼らの肌の黒さに、記憶の中の何かが引っかかりを覚える。そう、今しがたも思い出していた気がする。  黒、染色、感染、黒、白、陰陽…………境界パンダ! 「だから待ちなって……」  書記が醒徒会室に入ってきた黒い生徒達を手で静止しようとしたのと、 「「触るな!!」」 私と会計監査の警告は同時だった。同時だったために、間に合わなかった。  書記の手が黒い生徒に触れると、黒い生徒達の肌から『黒』が滲み出して書記の手を伝っていった。数秒もしないうちに彼女の皮膚は黒い生徒達と同じ黒に染まっていた。そしてクルリとこちらへと向き直り、他の黒い生徒と同じように迫ってくる。 「おお!? イメチェンか!? 健康小麦肌にイメチェンなのか紫穏!」 「会長、下がってください」  純粋に驚いている会長を、異常事態を悟り警戒体勢をとった副会長が下がらせる。私の横では会計監査が黒い生徒達の動きを警戒している。 「語来。やはりこれは境界パンダの?」 「噂をすれば影とは言うが……何もこの学園都市に出なくてもいいだろうに。流石の私でも会いたくない部類のラルヴァだぞ、境界パンダという奴は――横暴で凶悪すぎるからな」  私が愚痴を言っている間にも黒い生徒たちと黒く染色された書記がフラフラとした足取りでこちらに迫ってくる。ああ、こんな風に寄ってくるゾンビと戦うシューティングだかアドベンチャーゲームがあったな。あれと違うのは撃ってはいけないことと 少しでも触られたら即同類になってしまうことか 「……かなり深刻な違いだ」 「ぼやいている暇があるなら逃げろ。君たちが逃げる時間は僕が稼いでやる」 「と、言われてもだな」  外への唯一の正規出入り口であるドアの前には黒い生徒達がいる。残る逃げ道は窓くらいとなるわけだが、この醒徒会室はよくある漫画の生徒会室と同様に非常に高い階にある。窓から逃げる≒投身自殺となる程度には地上との間に距離がある。普通の人間は余裕で死ねるな。 「会長、お願いしますね」 「え? あ、うむ! ハイジ! こっちに来るのだ!」  副会長の言葉に会長が力強く答え、私はよくわからないまま窓際に引き寄せられ、 「とおー!」 そのまま窓からダイブした会長に袖を引かれて共に窓から地上へと落下した。 「…………………………………………死ねるなぁ」  全身に当たる風の勢いに私が本気で死を覚悟した。だが、覚悟した死は訪れず、舗装された石畳の硬い(と実際に感じるのかどうかはわからないが)感触はせず、代わりに何かふわふわとした感触に顔を埋めていた。この感触の正体は、 『うな~~~~~!!』  巨大化した会長の式神、白虎だった。我々のクッションになって石畳の舗装道路に着地したらしい。白虎の巨体と巨重を受け止めたために着地点の石畳は無惨に砕け散っている。  それにしても、実は結構危うかったのではないかと思う。いや、会長は無事に済む確信があったのだろうが高所からの道連れダイブは事前に言ってから実行して頂きたかった。  などと思考した直後に醒徒会室の外壁が吹き飛んだ。そうだ、黒い生徒とゾンビの違いはもう一点あった。黒い生徒の中には異能力者もいる。ましてやこの学園の生徒の中でトップクラスと名高い醒徒会の一人も黒く染色されているのが現状だ。言ってから逃げる隙はなかったのか。それに副会長が降りてこないところをみると会計監査と一緒に足止めをしなければならないほどらしい。  しかし、それで一安心とは問屋が卸さなかったようだ。なぜなら醒徒会室の外へと無事逃げおおせた我々を……今度は数十人の白い生徒達が道路の先から追いかけてきたからだ。  そんな事情で我々はこの路地裏で我々を捜索する生徒達から隠れている。巨大化した白虎は目立ってしょうがないので元の大きさに戻してもらっている。  学園都市のどこかで爆音が轟く。やはり、相当な大事になっているのは間違いない。 「それでハイジ、この騒動の大本のラルヴァの名前は何といったか?」 「この【扇動事件】を引き起こしたラルヴァは境界パンダだ」 「む、醒徒会室での話に出てきたラルヴァか」 「ああ。だから話の続きをすることになる。……境界パンダの生態はその能力と深く結びついている。生態について最初に言っておくと、境界パンダとは白色と黒色、二頭一対の熊のラルヴァだ」 「それはパンダではなくただの熊と白熊ではないか?」  まったくだ。だから陰陽熊という元の名前も何も間違っていなかったのだが、時代の流行だったのかパンダに改名されてしまった。微笑ましいと言うよりは笑い話だ。しかし、境界パンダの恐ろしさは名前などで拭いきれるものではない。 「カテゴリーはビースト。等級は中級Bノ5」 「5というと、死出蛍のようなタイプなのか?」 「いや違う。境界パンダは数少ない真っ当な意味での……」 「『存在するだけで人を殺す』ラルヴァだ」 「…………」 「連中は黒熊と白熊の二頭一対だが、どういうわけか生まれたときから互いを憎み合い、争い続けている」 「兄弟喧嘩というわけか」 「むしろ自己否定だ。だが、連中は自分たちで直接牙や爪を交えて争うことは決してしない。代わりにあるものを使う」 「あるもの?」 「人間だ。境界パンダは人間を駒にしたゲームで決着をつける」  脳裏に醒徒会室を襲った生徒達や我々を追い回した生徒達の姿が思い出される。彼らの姿は黒か白に染められ、遠目に見ればチェスか何かの駒に見えただろう。 「……人はゲームの駒ではないのだぞ」 「同感だ。だが境界パンダにとってはそうじゃない」  境界パンダは自身の魂元力を変換した『波動』を常に体から放出している。黒い境界パンダからは『黒い波動』、白い境界パンダからは『白い波動』が本体から数十~数百メートルの範囲に撒き散らされ、『波動』を浴びた人間を『黒い波動』なら黒に『白い波動』なら白に染色する。  染色された人間に接触した人間も同じ色に染色されてしまう。醒徒会室で書記が黒く染まったのはそのためであり、生徒達から逃げ回っていたのもそれを避けるためだ。加えて、染色された人間は感染者を増やそうと動き回る。これが双葉学園都市の現状だ。  だが、ここまでは境界パンダの能力の前段階に過ぎない。 「境界パンダが駒を揃え終えたと判断し、感染者の増大を止めたとき、白と黒の境界パンダはゲームを始める。その瞬間……」 「白と黒に染色された人々は殺し合いを始める」  さながらチェスの駒の如く、染色された人々は互いの命を奪い合う。  白は黒を敵と見做し、黒は白を敵と見做し、互いの間に敵味方の心理的境界線《ボーダーライン》を定めて殺しあう。  だからこそ、境界パンダ。  自分達は傷つかないゲームのような争いで人々の屍を築き上げる横暴で凶悪なラルヴァ。 「……止める手段はあるな?」  尋ねる会長の顔はいつになく真剣だった。 「駒を揃え終わる前に境界パンダを倒せば染色された人間は元に戻る。だが、問題点が多すぎる。我々は境界パンダの現在位置を知らない。知らぬ間に『波動』の射程距離に入り込めば我々も境界パンダの駒になってしまう」  白や黒と言ってはいるが『波動』そのものは無色であり、エネルギーとして感じることもできない。逆に察知できる類のものならこの双葉学園都市でこうも易々と感染拡大するわけがない。気づけば、染められているのだ。 「現在位置がわかったとしても、近づけば波動の影響を受けてしまうのにどうやって境界パンダを倒す?」 「どうやって? そんなものは決まっているではないか」 「この双葉学園醒徒会長、藤神門御鈴の全身全霊をもってだ!」 「敵が見えぬと言うなら努力を尽くして探して見つけ! 勝つ手段がないと言うなら知力の全てを絞って考え抜き! そうして出来た道筋に己の力の全てを込めて、学園生徒の明日を背負い、戦い必ず勝利する! それが双葉学園の醒徒会長だ!!」  会長は「どうだ!」と言わんばかりに胸を張った。  論理的に言えば今の彼女の発言は現実的でも何でもない精神論にすぎない。だが、もしも私がこの学園の生徒なら彼女を醒徒会長選んでいただろう。そう心の底から思えるほどに今の彼女は輝いている。 「……わかった。勝つ手段は私が何とか考える。だから、勝利するのは任せた」 「もちろんだ!」  勝つために最も重要なのが境界パンダの現在位置だ。それを把握していなければ勝つどころか唐突に駒にされて敗北しかねない。どうにかして境界パンダの『波動』に触れずに境界パンダを探さなければ……。都市内の監視カメラの管理室に行くか? しかし屋内で染色された生徒に遭遇すれば高確率でアウトだ。 「ん?」  私が思案を巡らせていると、私の携帯電話が非通知で着信を告げる。しかし、生徒の大半が境界パンダの影響下にある中で誰が電話をしてくるのか。そもそも、私の携帯の番号を知っている人間などそう多くはないが……こんなことで考えていてもしょうがない。 「もしもし」 『もしもしとか案外フツーの受け答えですねーセンセ』  助手だった。 「……なぜお前が携帯電話を持っている」 『やー、プリペイド式っていうんですか? お手軽でいいですよねー、これ。玩具ですけど』  一昔前に使い捨て携帯が玩具として発売されたことがあったが、どうやら助手はそれを入手して私に電話を掛けてきたらしい。 「尋常じゃないくらい立て込んでいるので切るぞ」 『あ、パンダのことでしょー? ワタシの用事もそれなんですよー。センセ、黒と白のどっちが勝つか賭けません?』  …………こいつは。いや、言っても仕方あるまい。こういう奴だと分かった上で助手にしているのだから。 『センセは白と黒のどっちに賭けます? ワタシはやっぱり黒ですねー。なにせ醒徒会のメンバーの半数が』 「私はどちらも勝たないという結果に賭ける」 『あれ、引き分けですかー?』 「いや、勝つのは灰色だ」  白と黒の対立だ何だと言っているが、そもそも世の中はチェスのように白と黒の二要素だけで出来ているわけではない。それを、境界パンダに思い知らせてやろう。 「私と会長が白黒両方を負かしてみせる――キングを討ちとってな」 『おお。センセってばなんだかカッコいいですねー』  助手は茶化しながらも、声音はどこか嬉しそうな様子だった。 『じゃあじゃあセンセ』 『パンダの居場所、知りたくないですかー?』 ・・・・・・  助手が電話で伝えてきた場所は中央区に立ち並ぶビルや施設の隙間にあった。そこは入り口の看板に『飲食店』建設予定地と銘打たれたまま野晒しとなっている空き地だ。広さは四百平米といったところだが……なるほど、立地がいい。あそこに陣取っていれば周囲のビルや施設を利用する多くの人間を『波動』の影響下に置くことが出来る。境界パンダの知性は動物並だがこと能力の使用に関しては知恵が回るようだ。  私と会長は境界パンダから直線距離で三百メートル離れたビルの屋上にいる。助手から境界パンダの現在位置の他に(どういうわけか知っていた)『波動』の有効範囲が二百五十メートルであるという情報を聞き出した後に選んだ監視に最適のポイントだ。此処まで来るときはビルの中を通ると『波動』の影響範囲に入る恐れがあるため、白虎に再度巨大化して跳んでもらい、直接この屋上に移動した。 「パンダはいたのか?」  私はコートの内ポケットからオペラグラスを取り出して会長に手渡し、私自身は双眼鏡で広場にいる境界パンダの様子を探る。それにしても……。 「どうやら本当に自分達の手を汚す気はないらしいな」  広場では白と黒の境界パンダが睨み合っている。両者の距離は近く、今にも組み合って戦うことが可能な立ち位置だ。だが、境界パンダはそうしない。なぜなら境界パンダにとって争いとは自分達の身を傷つけあうことではなく、集めた駒を消費しあうことなのだから。 「ハイジ、それでどうやって境界パンダを倒すのだ?」 「今考えているところだ」  このポイントからなら狙撃という手もあるだろう。しかし境界パンダは中級のラルヴァ、通常のライフル弾では効果など期待できない。やるなら狙撃専門の異能力者に頼るしかないが、そんな人材は今いない。こちらで戦闘能力を有しているのは会長の白虎だけ。しかし如何に白虎といえども三百メートルも先にいる中級ラルヴァを倒す手段はない。 「会長、つかぬことを聞くが、白虎の他に式神は?」 「……今は使えん」  となるとやはり白虎でやるしかない。だが、どうやって? 「グズグズしている時間はないんだがな……」  時間をかけすぎると境界パンダは駒集めを打ち切ってゲームを始めてしまう。そこまで事態が進んでしまったらもう止めることは出来ない。 「会長、白虎は何ができる?」 「む? 色々できるぞ。噛んだり引っ掻いたり人を乗せて跳んだり、あと紫穏と一緒だとぱわーあっぷしてごーじゃすになってすごいビームが撃てるのだ」 「すごいビームか、それが使えたら万事解決だったな」  残念ながら肝心の書記は真っ先に黒くなってしまった。ビームが撃てないとなると、あとは噛むか引っ掻くか跳ぶかだが…………跳ぶ?  この屋上まで跳んだあの脚力なら境界パンダのところまで一足飛びでいけるのではないか。いや待て、一足飛びで行けるからどうなる。結局会長が『波動』を浴びればそれまでだ。ならば会長をこの屋上に残して白虎だけ……駄目だ、距離が離れすぎては白虎が力を発揮できなくなる。今考えなければならないのはどうやって『波動』の影響を受けずに境界パンダを倒すか……………………影響を受けずに?  ああ、なんだ。 「一回思いついてしまえば、簡単なことだな」  こんなことは誰でも思いつく。むしろ今まで思いつかなかった私は実は馬鹿なのかもしれない。 「会長」 「なんだ?」 「勝てるぞ」 「そうか」  敵は見つけた。  勝つ手段は作り上げた。  あとは勝つだけだ。 ・・・・・・  境界パンダ達がお互いのちょうど中間点にあるその物体に気づいたのは同時だった。いやむしろ、その物体が現れたと同時に気づいたと言うべきか。そんなものはそれまでなかったはずなのに、当たり前の様子でその物体はそこに置かれていた。  それはプリペイド式の携帯電話だった。 「あー、あー、只今マイクのテスト中……ふん、いささかベタだったか」  双眼鏡を通して見た景色では境界パンダがプリペイド携帯のスピーカーフォンから聞こえる私の声に興味をもった様子だ。このまま話し続ける。 「さてね、話が通じるとは思わんが、少し話させてもらおうか。正直なところ、私は君達の生態や能力は横暴で凶悪で関わりたくないとは思っているが、否定しているわけではない。なぜならそれが君達というラルヴァが獲得した能力であり、その能力で争いあうことが君達の生態なのだから。それを否定してしまうのは私としては出来ない」  これは偽らざる本心だ。人間の視点から嫌なものだと思うことは出来ても、完全に否定してしまっては生態学者としては失格だ。だから境界パンダというラルヴァの生態と能力を私は肯定する。  ただし、 「人間として反抗するかどうかはまた別の話だが」  私の声音の変化を感じ取ったのか境界パンダが周囲を警戒する。だが周囲360度を見回しても彼らにとっての敵の姿はない。  それはそうだろう 「千年間、君達もずいぶん永いこと喧嘩してきた。――そろそろ彼女に白黒つけてもらいたまえ」  なぜなら、彼らにとっての敵は――真上にいる。  境界パンダの頭上には、頭部に会長を乗せた白と黒の縞模様の巨大な虎がいた。  会長の白虎は巨大化したまま ――自由落下していた  もはや境界パンダが白に染めようが黒に染めようが関係ない。  扇動してもどうにもならない。  白虎は重力に身を任せて落下しているだけのだから。  もう白虎や会長にも落下をどうこうすることはできない。  そして今の今まで私の声に気を取られていたために逃げることもままならない。  境界パンダはもう……詰んでいる。 「最後に一つ言わせてもらおう」 「喧嘩両成敗、だ」  二匹の境界パンダは着地した白虎の巨大な両肢に踏み潰されて絶命した。 ・・・・・・  事件の翌日、私と助手は研究室から学園都市の様子を眺めていた。幸いなことにこの事件は一人の犠牲者も出ないうちに解決した。境界パンダの起こした事件では初めてのことだ。 「ワタシのプリペイドケータイは犠牲になりましたけどねー。言われたとおりパンダの間に置いてきたらあのびゃんこちゃんに踏み潰されてぐっちゃぐちゃでしたよー。ひどいですよー。鬼ですよー悪魔ですよーラルヴァですよーこの人」 「それはお前だ。だいたい、携帯電話の件は今度ちゃんと契約した携帯電話をやるということで話がついただろう」 「インターネットとテレビと高速通信とSDカードとその他諸々が付いた最高級品にしてくださいよー。なんたってワタシは今回の功労者なんですからー」 「……否定しておきたいところだが、まあいい。たしかに今回は助かった」 「あ、定額無制限のプランでお願いしますねー」 「言われんでもそのつもりだ。後で馬鹿みたいな金額を請求されても困る」 「ありがとうございまーす♪ いやー、それにしても死人こそいませんけど怪我人や壊れた建物は随分出ましたよねー。これからこの事件の恨み辛みでギスギスした展開になるんですかねー。ワクワク」  などと助手はのたまったが、そうなると思っているものはこの学園では極少数だろう。 「生憎だが、そうはならない。今回は禍根が残るような犠牲者は出ずにすんだからな。それにそこまで単純じゃない」  そう、単純じゃない。 「なぜならこの世界の境界は白と黒だけではないからだ。丸か四角か。大か小か。数え切れないほどの境界線で線引きされている。たとえ境界パンダの境界線で白と黒に二分化されて争いかけた間柄だとしても、その境界線が消えてしまえば彼らは仲間さ。なぜなら、彼らはみんなこの双葉学園という名の境界の内側にいて、友情や愛情という名の境界の中にいる」  研究室の窓から見える風景の中では学園の生徒達が手分けして自分たちが壊してしまった醒徒会室や学園都市の各施設の修繕作業に当たっている。彼らが今やっている作業は本来ならば業者に全て任せて直すこともできた。しかし、壊してしまったのは自分達だから、と一部の生徒達が自分達にできる範囲で修繕を始め、やがて他の生徒達も集まった。そして今、彼らは協力し合い、自分達の学園を直している。 「境界の外側と争うことも手を繋ぐこともできる。それはやっぱりどこかで同じ境界の内側にいるからだ。単純じゃ、ないだろう?」  自由で複雑な世界、境界だらけの世界で我々は生きているのだから。 第三話【境界パンダ】 了 登場ラルヴァ 【名称】   :境界パンダ 旧名:陰陽熊 【カテゴリー】:ビースト 【ランク】  :中級B-5 【初出作品】 :怪物記 第三話 【他登場作品】: 【備考】  白と黒の二匹の熊。 常に互いを敵視している。 自分たちが直接戦う代わりに人間を駒にした戦争ゲームで争う。 過去の歴史の中に何度か登場し、境界パンダのゲームが契機となって始まった戦争もある。 境界パンダのゲームは四段階まである。 第一段階:境界パンダ自身が発する魂元力を変換した『波動』で人間を駒にする。※1      このとき白は白の、黒は黒の『波動』を放出している。 第二段階:駒になった人間が接触によって駒を増やす。 第三段階:駒の数が規定数以上となったとき白と黒それぞれの人間が殺し合いを始める。※2※3 第四段階:どちらかが全滅したらゲーム終了。境界パンダは十~百年の充電期間に入る。 ※1:波動の範囲は数十~数百メートル ※2:規定数はゲームごとに異なる ※3:一度殺し合いが始まると境界パンダを倒しても止まらない

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