【怪物記 第六話】

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怪物記    生きるべきか死ぬべきか      ――シェークスピア  ・・・・・・ ――おまじない? ――うん、おまじない。 ――そんな非科学的な……。 ――あはは、魂源力やラルヴァだって科学的とは言いきれないじゃない ――それはそうですけど……。それで、そのおまじないはどうやるんですか? ――興味津々? ――教えたそうですから。 ――あはは、●●君は子供なのに気配り上手ねー。 ――……馬鹿にされてる気がする。 ――してないよー。じゃ、教えてあげる。このおまじないは夜空に懐中電灯を当てて……。  ・・・・・・ ・OTHER SIDE  学園都市の夜は恐怖に包まれていた。  それは一人、あるいは一体の殺人鬼が徘徊しているからだ。  既に一般人と異能力者合わせて七人の少年少女が犠牲になっている。  殺人鬼の名は【血塗れ仔猫】。  鞭で人間を打ち殺し、返り血で黒いゴシックドレスを赤く染める猫耳の殺人鬼。  もはやこの街で知らぬ者はいない殺人鬼。  度重なる【通り魔事件】に学園都市の住人は恐怖していた。  同時期に、二人目と三人目の通り魔の噂も静かに広まっていた。  二人目は霧の中に現れ刀剣で人を切りつける切り裂きジャック。しかしグリムが具現化させた現代の切り裂きジャックは既に寓話騎士によって処断されている。  三人目の通り魔は一人目と二人目よりも小さな噂だった。  三人目は夜道を独りで歩いていると右手に短剣を握って近づいてくる。  しかし今もって殺されたものはおろか傷つけられたものもいないため、血塗れ仔猫の噂の陰に隠れ知る者は多くなかった。  三人目には短剣と犠牲者の有無以外に、これまでの通り魔との大きな相違点があった。  それは、見る者によって姿が違うということ。それぞれの眼に映る通り魔の姿は……。 「死んだお母さんでした」 「あの人は死んだはずなのに……」 「……あいつは俺がずっと昔に死なせちまったのに」  過去に死んでしまった、自分にとって忘れられない人物の姿をしていた。  死者が短剣を握り締め、近づきながら問いかける。 ――生きるのが辛くはないですか?  短剣を危ぶみ逃げる者は追わない。  死者との再会を恐れる者には近寄らない。  死者との再会を喜ぶ者の前からは立ち去る。  死者の下へ行くことを望む者はまだいない。  噂を知る者からは三人目の通り魔もラルヴァであろうとは言われていた。しかしそんなラルヴァは今までいなかった。  当初は名前すらも定められていなかったが、目撃者の一人に刀剣に詳しい人物がおり、ラルヴァが手にしていた短剣の種別を見分けることができたため今ではその短剣の名称で呼ばれている。  短剣の種別は【ミセリゴルテ】。  介錯用の短剣である。 第六話 【ミセリゴルテ】  草木も眠る丑三つ時、私は夜の街を歩いていた。  現在この学園都市は血塗れ仔猫のために夜間は厳戒態勢にあり、犠牲者を増やさないため外出を自粛するよう求められている。この状況が続けばいずれ外出禁止令が出されるかもしれない。  それがわかっていながらなぜ私は外出しているのか。  私の助手が<ワンオフ>のリリエラだから安心して出歩ける?  そんなわけはない。  彼女は私が危機に陥ったとして十回に一回も助けはしない。どうも私がアクシデントに巻き込まれるのを笑って見ているふしがある。あるいは試してでもいるのか。  これまで軽く五十回は死ぬ寸前の目に遭ったが、【踊盃】の事件を入れてもこれまで片手で数える回数ほどしか彼女に助けてもらった覚えはない。  そして普段は名ばかりの助手と食客、加えて金食い虫として過ごし私の預金を削る算段らしい。  五回は命を助けられている計算なので五回分の命の値段と考えれば妥当線かもしれない。  私の命≠プライスレス。食費+生活費+嗜好品購入費÷5。  最初の一回に関しては……貸しや借りといったものはあまり関係がないのだが。  閑話休題。  なぜ私が血塗れ仔猫の徘徊する深夜の街を出歩いているのか。  それは血塗れ仔猫と同時期に現れたもう一体の通り魔ラルヴァ、ミセリゴルテを調査するためだ。  曰く、片手に介錯用短剣《ミセリゴルテ》を握っている。  曰く、「死にたいか」と聞いてくる。  曰く、死んでしまった忘れがたい人物の姿で現れる。  曰く、真夜中にしか現れない。  曰く、一人のときにしか現れない。  つまるところ夜中に一人で出歩いていなければ遭遇できないというわけだ。  『曰く、犠牲者は一人もいない』という情報が無かったら流石に私でも遭おうとは思わない。私はあくまでも研究者で、戦闘は不得手もいいところなのだ。  しかしミセリゴルテ自体の危険度は低くとも今この街には血塗れ仔猫もいる。そちらに遭遇してしまったら、 「…………死ぬなぁ」  だが、その危険を孕んでいてもミセリゴルテは調査しなければならない。  ミセリゴルテが新種のラルヴァだから、ではない。  もしも死んでしまった人物の姿で現れる能力が変身ではなく死者そのものを呼ぶであったなら。  もしもミセリゴルテが呼ぶ死者が『あの人』であったなら。 「私は……」  『あの人』に、何を言うのだろう。  結局その日は明け方近くまで歩き回ったが、どちらの通り魔にも遭遇しなかった。  歩き疲れた足で自宅のマンションへと帰り、ベッドに潜って就寝する。 「センセ~! 昨日どこ行ってたんですかー?」  しかし眠りにつこうとして五分も経たぬ内に助手に揺り起こされた。 「……ねむい」  助手を無視して掛け布団を被って寝入ろうとすると、 「どこ行ってたんですかーって聞いてるんですよー?」  物質転送で布団をどこかに飛ばされた。 「そこまでするか!?」 「聞いてるのに答えないセンセが悪いです」  一理あるが……やはり布団を転送するのはやりすぎだろう。どこにやったんだマイ布団。 「……昨日の夜は街で通り魔の調査をしていた」 「あの血塗れ仔猫っていうネコモドキですかー?」 「いや、違う」 「そうですかー。じゃあいいでーす」  助手はそれだけ言ってさっさと私の部屋から出て行ってしまった。  ……何が、「じゃあいいです」なのだろうか。  私が血塗れ仔猫を調査していないから良かったのか、それともしていないから関心がなくなったのか。助手の言動からはどちらとも判断できない。  疑問はあったが私は自分を引きずり込もうとする睡魔に抗えず眠りについた。  夏とはいえ掛け布団無しで寝るのは少々寝心地が悪かった。  日が暮れて、私はまた深夜の街を歩く。  二時間ほど歩き回ったが、ミセリゴルテは現れない。  目撃談があった地点を中心に動いているのだが出る気配がまるでない。 「逆に目撃談がないところを巡ってみるか」  しかし一つ問題がある。学生達がミセリゴルテと遭遇した地点、それはいずれも血塗れ仔猫の出没地域からは外れていた。血塗れ仔猫の出没地域を避けるように歩いてミセリゴルテに遭遇したのだから当然のことではある。  つまり、ミセリゴルテの目撃談がない場所は自然と血塗れ仔猫の出没地域と被る場所が多くなってしまうのだが……。 「まぁ、そうそう遭遇はしないだろう」  私はこれまでミセリゴルテが目撃されていない地域へと向かった。  助手の声で「フラグが立ちましたよー」という幻聴が聞こえた。  ……幻聴、だろう?  また丑三つ時。私は森林区の自然公園、その展望台まで足を伸ばしていた。  この森林区は先日【七色件】が居座っていたブロックであり、血塗れ仔猫によってある姉妹二人が亡くなった場所だ。あたりを見回せば慰霊のための花やジュースが供えられている。  私は近くにあった自動販売機でジュースを三本買い、二本をお供え物に置いて残った一本をベンチに座って飲んだ。 「成果なし、か」  まだ全域を回ったわけではないが未だに遭遇しない。  ひょっとするとミセリゴルテはもう双葉学園を立ち去ったのかもしれない。  あるいは異能力者かラルヴァに倒されたのか。 「明日また探してみて、いなかったら諦めるか。さて、と」  ジュースの空き缶を缶入れに放り投げて、ベンチから立ち上がって ――視界の端に、白い衣服の端が見えた。 「!」  弾かれたようにそちらを見る。そこには、『あの人』がいた。 ――おまじない? ――うん、おまじない。 ――そんな非科学的な……。 ――あはは、魂源力やラルヴァだって科学的とは言いきれないじゃない ――それはそうですけど……。それで、そのおまじないはどうやるんですか? ――興味津々? ――教えたそうですから。 ――あはは、灰児君は子供なのに気配り上手ねー。 ――……馬鹿にされてる気がする。 ――してないよー。じゃ、教えてあげる。このおまじないは夜空に懐中電灯を当てて……。 「リリエラ、さん」  助手と同じ姿をした、助手が同じ姿をした『あの人』がいた。  介錯短剣を、握り締めて。 「落ち着け」  あれは、ミセリゴルテだ。  あの人の姿をしているだけなのか、『あの人』の魂を呼び寄せているのかはわからないがあれがミセリゴルテであることは間違いない。  兎に角、心を落ち着かせろ。  喜ぶな。恐れるな。  去ってしまう。  私がミセリゴルテに出会ったなら、『あの人』の姿をしているだろうと予想はしていたはずだ。  だから、喜びも恐れもしなくていいはずだ。  『あの人』の姿なら、側にいる助手でいつも見ている。 「……よし」  大丈夫だ。今は喜んでも恐れてもいない。  ただ、知りたいだけだ。  擬態か、降霊か。  それはきっと、ミセリゴルテの最初の言葉で分かる。  私が見詰めるとミセリゴルテは静かに口を開き、 ――生きるのが辛くはないですか? 「…………」  違う。『あの人』ではない。  やはり……擬態だったか。  恐らくミセリゴルテはカテゴリーエレメントのラルヴァなのだろう。  人間の望むものや恐れるものの姿で現れるのは不定形エレメントや精神攻撃を得手とするタイプのデミヒューマンの能力だ。デミヒューマンにしては行動がシンプルすぎるためエレメントだろう。  ミセリゴルテは対象となる人の思考を読み、故人に関する記憶を探って姿を写し取り投影する。  そしてさも死後の世界からの死者のように見せかけ、対象となった人物が死者のもとへ逝くのを望んだならば介錯短剣で刺し殺す。 ――生きるのが辛くはないですか? 「……もう少し演技力をつけるんだな。その様では露骨に違いすぎる」  同じなのは見た目だけだ。まだ助手の方が上手く化けている。  喜びもしない。恐れもしない。そんな私の反応をどう受け取ったのか、ミセリゴルテは短剣を握ったままゆっくりと私に近づき、刺しだした。  その速度は……歩くほどの速さ。  私は手を伸ばし、ミセリゴルテの手をすりぬけて、心臓を貫くはずだった短剣の柄を掴んだ。  それだけでもう短剣はぴくりとも動かない。 「ああ……そういうことか」  死者の姿はミセリゴルテが投影したホログラムのようなものだが、この短剣だけは実体だった。つまりはこの短剣こそがミセリゴルテの本体。  ミセリゴルテの本体は微弱な念動力で浮遊し、移動することで人を刺す。しかしその速度は襲い掛かって人を殺すには至らない。  だから、ミセリゴルテは死者の姿を映す。死者の声で問いかける。  死を受け入れた人間が短剣を避けないように、防がないようにするためだ。  あるいは……本当に介錯するために刺し殺そうとしているのかもしれない。  この世でもう辛い目に遭わせないように。 ――生きるのが辛くはないですか? 「辛いというほどじゃない。まだやりたいことも、死ねない理由もある」  それまで私に掴まれていても前に進もうとしていたミセリゴルテから力が抜けた。  どうやら、私を介錯することを諦めたらしい。それが私の気持ちを汲んでか、単に不可能と判断してかまではわからない。 「さて、どうしたものか」  本体である短剣を岩にでも力任せに叩きつければ、私でもミセリゴルテは倒せるだろう。  しかし身を護るために倒す必要がない、犠牲者もいない、私怨もないものを殺すのはどうも……性に合わない。  期待を肩透かしにはされたが、それはこちらが勝手に期待していただけだ。……いや、今となってはあれが期待だったのかすらも怪しい。 「まぁ、いいか」  私はミセリゴルテを適当に放り投げた。  念動力で制動をかけたのか空中でミセリゴルテは落下を止める。芸が細かいことに、ホログラムも連動して動きまるでホログラムがミセリゴルテをキャッチしたように見える。  力は弱いが制御能力は高いラルヴァなのかもしれない。 「死者の姿を見て、声を聞いて、その上であちら側に逝きたいという人がいるなら私は止めんよ。だから、君は逃がす」  まぁ、そうそうミセリゴルテに殺される人間はいないだろう。現に犠牲者は今もってゼロだ。  相変わらずこちらの言葉を理解しているのかはわからないが、ミセリゴルテはその場に止まったままこちらを向いていた。  さて、確かめたいことは確かめた。解決らしい解決もした。帰って今夜は日が昇る前に眠ろうか。  そう思い、家路につくため振り返ると、  夜闇のよりも深い黒のドレス。  猫を思わせる黒い耳と尾。  一匹の生物のような奇怪な鞭。  血の結晶に似た光を放つ赤い瞳。  一人目の通り魔――血塗れ仔猫が立っていた。 「そうか、ここは六人目と七人目の犠牲者が殺された場所だったな」  犯人は犯行現場に舞い戻る。セオリーといえばセオリーだ。  むしろ感心すらしていただろう……自分が八人目の犠牲者候補でさえなければ。 「ところで少々尋ねたいのだが……っと!」  質問しようとした途端に鞭が跳んできた。無様でも地面を転がって避けていなければ頭を砕かれて即死だっただろう。 「……ラルヴァならデミヒューマンの知能A以上はあるだろうに、少しは人の話を聞け。踊盃はもう少し聞く耳があったぞ」  愚痴を言っている間にも鞭は次々と襲い掛かってくる。  一秒ごとに死ぬ思いをしながら辛うじて避けているが、もうじき避ける体力もなくなるだろう。なにせこちらは一般人。ましてや一晩歩きどおしの後だ。  命懸けの縄跳びはすぐに終わった。私の足がもつれ、地面に倒れこんでしまったからだ。  血塗れ仔猫は攻撃してこないが、ジリジリと近づいてくる。いたぶっているつもりなのだろう。猫がネズミや毛糸玉を玩具にするように。  案の定、助手が助太刀しに来る様子もない。これは……死ぬなぁ。  まぁ、それはそれとして、だ。 「一つ聞きたい」  先ほど言いかけた質問を再び口にする。  血塗れ仔猫は構わずに近寄ってくる。 「君は本当にラルヴァか?」  血塗れ仔猫の足が……止まった。  単純な疑問だった。  私はこれまでの経験上、ラルヴァについてはよく知っている。未知のラルヴァでも少し観察すれば似た例から概要くらいは推測できる。勘とも、経験則とも言う。  しかし、血塗れ仔猫はどうも勘が利かない。能力や生態がうまく推測できない。  こういうことは最近でも一度あった。  七色件を巡る事件で“聖痕《スティグマ》”のスピンドルという異能力者の襲撃を受けたときだ。  ラルヴァでも異能力者でも固有の能力・異能の起こす事象にさほど違いはないはずがスピンドルの異能はほとんど推測できなかった。戦闘中に久留間君が言い当てたからこそ理解できたくらいだ。  ゆえに私の経験則は異能力者相手には通じない。  だがラルヴァでも理解不能型能力の<ワンオフ>のように推測しづらいものもいる。  ならば、私が推測できていないこの血塗れ仔猫は……どちらだ? 「君は……」  私はなおも問おうとしたが、言葉は出なかった。  先刻のように攻撃を受けたわけではない。いや、ある意味では攻撃か。  血塗れ仔猫から何百人分もの殺気を固めたような明確な殺意が私に向けられていた。  どうやら……虎の尾を踏む質問だったらしい。  血塗れ仔猫が鞭を振りかぶる。  今度はかわせない、かわしても……一帯ごと爆砕される。そんな予測がついた。  なら血塗れ仔猫はラルヴァなのだろうか、などと最後まで他人事のような思考をしていた。  しかし、それで最後にはならなかった。  私の右方、血塗れ仔猫から左方より歩いてくる……いや、浮いてくるものがあった。  一本の短剣……ミセリゴルテだ。  血塗れ仔猫が現れてから完全に意識の外だったが、どうやらまだこの場に留まっていたらしい。  しかし私には今のミセリゴルテは短剣がただ宙に浮いているようにしか見えない。  だが、血塗れ仔猫はそうではなかった。 ――生きるのが辛くはないですか? 「…………あ。ああ、ああアアアああああアア嗚呼アアアアアアアァァァ!!!」  血塗れ仔猫は絶叫する。  両手でこめかみを押さえ、膝を突く。  その両目からは血の涙。  身を引き千切られるかのような慟哭。  短剣が近づくにつれて血塗れ子猫の苦悶は増していく。  ミセリゴルテは思考を読み取り、死者の姿を写し取るラルヴァ。  彼女はミセリゴルテに……何を見ているのだろう? ――生きるのが辛くはないですか?  ミセリゴルテはなおも血塗れ子猫にその刀身を近づける。  だが、ミセリゴルテが血塗れ仔猫に触れるよりも早く、血塗れ仔猫の中でぶつりと、何かが切れた。  血塗れ仔猫は鞭を振りかぶり、振り下ろす。  それは絶大な膂力により成され、近づいていたミセリゴルテを粉々に砕くだけにはとどまらず、地面を陥没させクレーターを作り出した。  爆発に似た衝撃が拡散し、周囲のものをあらかた吹き飛ばす。  反動で自らも傷ついているが、それすらもわからぬほどに、今の血塗れ仔猫は錯乱していた。  血塗れ仔猫は鞭をどこかへと消し、一刻も早くこの場を離れたいとばかりに猫のような勢いで駆けて公園から去って行った。  砕け散ったミセリゴルテは粉々になった破片も大気に溶けて消えてなくなった。  こうして二体のラルヴァは去り、残ったのはクレーターが出来た公園と、 「……生きてるなぁ」  余波で公園の茂みの中に吹き飛ばされながらも、五体満足で生きている私だけだった。  ・・・・・・  吹き飛ばされたせいか体中が痛んだ。  特に足はそれまでの酷使もあってか立つのもやっとで、バスも動かないこの時間に歩いて家まで帰るのは不可能だった。 「仕方ない……今日はここで野宿するか。明日バスが動いたら乗って帰るとしよう。流石に血塗れ仔猫ももうここには立ち寄らないだろうし、な」   私はやっとの思いでベンチまで戻ると、その上で仰向けになって寝転がった。  目の前には曇り空に閉ざされた夜空があった。 ――このおまじないは空に懐中電灯を当てて星の形を描くの。 ――星の形? ――そ。おまじないでよくある五芒星。 ――描いたらどうするんです? ――そしたら懐中電灯の灯りを動かして、描いた星を地平線や水平線に落ちる流れ星にするのよ。  あとは本物と一緒で願い事を唱えるの。あとは自分の努力次第。 ――なんだか女の子向けのおまじないみたいですね。 ――そりゃそうよ。私が子供のころ考えたんだもの。 ――……御利益なさそうですね。 ――そうかな? 流れ星を待つのもいいけど自分で作った流れ星に願い事をして、  自分の力で叶えようと頑張るの、良いと思わない? あ、願い事って言うか願掛けかな。 ――願掛けね。でも、僕はそういうのはよくわかりませんね。  欲しいものがあるわけでもないし、就きたい仕事があるわけでもありません。 ――じゃあ可愛い女の子と付き合いたいとかどう? ――……それもよくわかりません。僕はまだ十歳の子供ですから。 ――お子様―。 ――だから本当に子供なんですって……。 ――あっはっは、でもね灰児君。 ――誰だって死ぬまでに一度は、自分の力で何かを成さなきゃいけないときが来るよ。 ――それまでは死ねないんだよ。  いつからか、雲が切れて隙間から星空が覗いていた。  私はコートから懐中電灯を取り出して、星空に向けて光を当てる。  掌中の小さな灯りはすぐに夜の街の灯に消されてしまうが、それでも五芒の星を描いてみる。  灯りを水平線に向けてゆっくりと下ろしながら、願い事を言う。 「どうか、あの人との約束を果たせますように」  そのためにも、もっとラルヴァのことを知らなければならない。  そんなことを考えながら公園のベンチで夜を明かした。  翌朝目が覚めると、私は布団を被っていた。眠っている間に誰かが布団を掛けておいてくれたらしい。  誰のしたことかはすぐわかり、私は苦笑した  布団は昨日どこかへと飛ばされた私の掛け布団だったからだ。 「……あいつめ」  私は夜明けの街を自分の掛け布団を抱えて家路に着くこととなった。  朝の日差しが新たな一日の始まりを告げる。    今日は……どんなラルヴァと出会うことになるのだろう。 第六話 怪物記 第一部 了 登場ラルヴァ 【名称】   :ミセリゴルテ 【カテゴリー】:エレメント 【ランク】  :下級C(危険度審査段階) 【初出作品】 :怪物記 第六話 【他登場作品】: 【備考】   夜に一人で歩く人の前に現れる通り魔ラルヴァ。  手に介錯短剣を持ち、その姿は目撃者が過去に死別した忘れがたい人物と同じ姿をしている。  「生きるのが辛くはないですか?」と問いかけながら近づいてくるが、恐れるものや死者との再会に喜ぶものからは逆に逃げる。  相手が死を受け入れると刺し殺すと推測されているが、そのケースは未だない。  正体は掌中の介錯短剣そのもの。  念動力を使う短剣のラルヴァであるが、念動力が弱いため短剣をゆっくりとしか動かせない。  そのため相手のの思考を読み取り、故人に関する記憶を探って容姿を写し取りホログラムを投影することで人が自ら死に向かうように仕向けている。    その目的が人を殺すためか、人を苦しい生から介錯しようとしているかは現在不明。
怪物記    生きるべきか死ぬべきか      ――シェークスピア  ・・・・・・ ――おまじない? ――うん、おまじない。 ――そんな非科学的な……。 ――あはは、魂源力やラルヴァだって科学的とは言いきれないじゃない ――それはそうですけど……。それで、そのおまじないはどうやるんですか? ――興味津々? ――教えたそうですから。 ――あはは、●●君は子供なのに気配り上手ねー。 ――……馬鹿にされてる気がする。 ――してないよー。じゃ、教えてあげる。このおまじないは夜空に懐中電灯を当てて……。  ・・・・・・ ・OTHER SIDE  学園都市の夜は恐怖に包まれていた。  それは一人、あるいは一体の殺人鬼が徘徊しているからだ。  既に一般人と異能力者合わせて七人の少年少女が犠牲になっている。  殺人鬼の名は【血塗れ仔猫】。  鞭で人間を打ち殺し、返り血で黒いゴシックドレスを赤く染める猫耳の殺人鬼。  もはやこの街で知らぬ者はいない殺人鬼。  度重なる【通り魔事件】に学園都市の住人は恐怖していた。  同時期に、二人目と三人目の通り魔の噂も静かに広まっていた。  二人目は霧の中に現れ刀剣で人を切りつける切り裂きジャック。しかしグリムが具現化させた現代の切り裂きジャックは既に寓話騎士によって処断されている。  三人目の通り魔は一人目と二人目よりも小さな噂だった。  三人目は夜道を独りで歩いていると右手に短剣を握って近づいてくる。  しかし今もって殺されたものはおろか傷つけられたものもいないため、血塗れ仔猫の噂の陰に隠れ知る者は多くなかった。  三人目には短剣と犠牲者の有無以外に、これまでの通り魔との大きな相違点があった。  それは、見る者によって姿が違うということ。それぞれの眼に映る通り魔の姿は……。 「死んだお母さんでした」 「あの人は死んだはずなのに……」 「……あいつは俺がずっと昔に死なせちまったのに」  過去に死んでしまった、自分にとって忘れられない人物の姿をしていた。  死者が短剣を握り締め、近づきながら問いかける。 ――生きるのが辛くはないですか?  短剣を危ぶみ逃げる者は追わない。  死者との再会を恐れる者には近寄らない。  死者との再会を喜ぶ者の前からは立ち去る。  死者の下へ行くことを望む者はまだいない。  噂を知る者からは三人目の通り魔もラルヴァであろうとは言われていた。しかしそんなラルヴァは今までいなかった。  当初は名前すらも定められていなかったが、目撃者の一人に刀剣に詳しい人物がおり、ラルヴァが手にしていた短剣の種別を見分けることができたため今ではその短剣の名称で呼ばれている。  短剣の種別は【ミセリゴルテ】。  介錯用の短剣である。 第六話 【ミセリゴルテ】  草木も眠る丑三つ時、私は夜の街を歩いていた。  現在この学園都市は血塗れ仔猫のために夜間は厳戒態勢にあり、犠牲者を増やさないため外出を自粛するよう求められている。この状況が続けばいずれ外出禁止令が出されるかもしれない。  それがわかっていながらなぜ私は外出しているのか。  私の助手が<ワンオフ>のリリエラだから安心して出歩ける?  そんなわけはない。  彼女は私が危機に陥ったとして十回に一回も助けはしない。どうも私がアクシデントに巻き込まれるのを笑って見ているふしがある。あるいは試してでもいるのか。  これまで軽く五十回は死ぬ寸前の目に遭ったが、【踊盃】の事件を入れてもこれまで片手で数える回数ほどしか彼女に助けてもらった覚えはない。  そして普段は名ばかりの助手と食客、加えて金食い虫として過ごし私の預金を削る算段らしい。  五回は命を助けられている計算なので五回分の命の値段と考えれば妥当線かもしれない。  私の命≠プライスレス。食費+生活費+嗜好品購入費÷5。  最初の一回に関しては……貸しや借りといったものはあまり関係がないのだが。  閑話休題。  なぜ私が血塗れ仔猫の徘徊する深夜の街を出歩いているのか。  それは血塗れ仔猫と同時期に現れたもう一体の通り魔ラルヴァ、ミセリゴルテを調査するためだ。  曰く、片手に介錯用短剣《ミセリゴルテ》を握っている。  曰く、「死にたいか」と聞いてくる。  曰く、死んでしまった忘れがたい人物の姿で現れる。  曰く、真夜中にしか現れない。  曰く、一人のときにしか現れない。  つまるところ夜中に一人で出歩いていなければ遭遇できないというわけだ。  『曰く、犠牲者は一人もいない』という情報が無かったら流石に私でも遭おうとは思わない。私はあくまでも研究者で、戦闘は不得手もいいところなのだ。  しかしミセリゴルテ自体の危険度は低くとも今この街には血塗れ仔猫もいる。そちらに遭遇してしまったら、 「…………死ぬなぁ」  だが、その危険を孕んでいてもミセリゴルテは調査しなければならない。  ミセリゴルテが新種のラルヴァだから、ではない。  もしも死んでしまった人物の姿で現れる能力が変身ではなく死者そのものを呼ぶであったなら。  もしもミセリゴルテが呼ぶ死者が『あの人』であったなら。 「私は……」  『あの人』に、何を言うのだろう。  結局その日は明け方近くまで歩き回ったが、どちらの通り魔にも遭遇しなかった。  歩き疲れた足で自宅のマンションへと帰り、ベッドに潜って就寝する。 「センセ~! 昨日どこ行ってたんですかー?」  しかし眠りにつこうとして五分も経たぬ内に助手に揺り起こされた。 「……ねむい」  助手を無視して掛け布団を被って寝入ろうとすると、 「どこ行ってたんですかーって聞いてるんですよー?」  物質転送で布団をどこかに飛ばされた。 「そこまでするか!?」 「聞いてるのに答えないセンセが悪いです」  一理あるが……やはり布団を転送するのはやりすぎだろう。どこにやったんだマイ布団。 「……昨日の夜は街で通り魔の調査をしていた」 「あの血塗れ仔猫っていうネコモドキですかー?」 「いや、違う」 「そうですかー。じゃあいいでーす」  助手はそれだけ言ってさっさと私の部屋から出て行ってしまった。  ……何が、「じゃあいいです」なのだろうか。  私が血塗れ仔猫を調査していないから良かったのか、それともしていないから関心がなくなったのか。助手の言動からはどちらとも判断できない。  疑問はあったが私は自分を引きずり込もうとする睡魔に抗えず眠りについた。  夏とはいえ掛け布団無しで寝るのは少々寝心地が悪かった。  日が暮れて、私はまた深夜の街を歩く。  二時間ほど歩き回ったが、ミセリゴルテは現れない。  目撃談があった地点を中心に動いているのだが出る気配がまるでない。 「逆に目撃談がないところを巡ってみるか」  しかし一つ問題がある。学生達がミセリゴルテと遭遇した地点、それはいずれも血塗れ仔猫の出没地域からは外れていた。血塗れ仔猫の出没地域を避けるように歩いてミセリゴルテに遭遇したのだから当然のことではある。  つまり、ミセリゴルテの目撃談がない場所は自然と血塗れ仔猫の出没地域と被る場所が多くなってしまうのだが……。 「まぁ、そうそう遭遇はしないだろう」  私はこれまでミセリゴルテが目撃されていない地域へと向かった。  助手の声で「フラグが立ちましたよー」という幻聴が聞こえた。  ……幻聴、だろう?  また丑三つ時。私は森林区の自然公園、その展望台まで足を伸ばしていた。  この森林区は先日【七色件】が居座っていたブロックであり、血塗れ仔猫によってある姉妹二人が亡くなった場所だ。あたりを見回せば慰霊のための花やジュースが供えられている。  私は近くにあった自動販売機でジュースを三本買い、二本をお供え物に置いて残った一本をベンチに座って飲んだ。 「成果なし、か」  まだ全域を回ったわけではないが未だに遭遇しない。  ひょっとするとミセリゴルテはもう双葉学園を立ち去ったのかもしれない。  あるいは異能力者かラルヴァに倒されたのか。 「明日また探してみて、いなかったら諦めるか。さて、と」  ジュースの空き缶を缶入れに放り投げて、ベンチから立ち上がって ――視界の端に、白い衣服の端が見えた。 「!」  弾かれたようにそちらを見る。そこには、『あの人』がいた。 ――おまじない? ――うん、おまじない。 ――そんな非科学的な……。 ――あはは、魂源力やラルヴァだって科学的とは言いきれないじゃない ――それはそうですけど……。それで、そのおまじないはどうやるんですか? ――興味津々? ――教えたそうですから。 ――あはは、灰児君は子供なのに気配り上手ねー。 ――……馬鹿にされてる気がする。 ――してないよー。じゃ、教えてあげる。このおまじないは夜空に懐中電灯を当てて……。 「リリエラ、さん」  助手と同じ姿をした、助手が同じ姿をした『あの人』がいた。  介錯短剣を、握り締めて。 「落ち着け」  あれは、ミセリゴルテだ。  あの人の姿をしているだけなのか、『あの人』の魂を呼び寄せているのかはわからないがあれがミセリゴルテであることは間違いない。  兎に角、心を落ち着かせろ。  喜ぶな。恐れるな。  去ってしまう。  私がミセリゴルテに出会ったなら、『あの人』の姿をしているだろうと予想はしていたはずだ。  だから、喜びも恐れもしなくていいはずだ。  『あの人』の姿なら、側にいる助手でいつも見ている。 「……よし」  大丈夫だ。今は喜んでも恐れてもいない。  ただ、知りたいだけだ。  擬態か、降霊か。  それはきっと、ミセリゴルテの最初の言葉で分かる。  私が見詰めるとミセリゴルテは静かに口を開き、 ――生きるのが辛くはないですか? 「…………」  違う。『あの人』ではない。  やはり……擬態だったか。  恐らくミセリゴルテはカテゴリーエレメントのラルヴァなのだろう。  人間の望むものや恐れるものの姿で現れるのは不定形エレメントや精神攻撃を得手とするタイプのデミヒューマンの能力だ。デミヒューマンにしては行動がシンプルすぎるためエレメントだろう。  ミセリゴルテは対象となる人の思考を読み、故人に関する記憶を探って姿を写し取り投影する。  そしてさも死後の世界からの死者のように見せかけ、対象となった人物が死者のもとへ逝くのを望んだならば介錯短剣で刺し殺す。 ――生きるのが辛くはないですか? 「……もう少し演技力をつけるんだな。その様では露骨に違いすぎる」  同じなのは見た目だけだ。まだ助手の方が上手く化けている。  喜びもしない。恐れもしない。そんな私の反応をどう受け取ったのか、ミセリゴルテは短剣を握ったままゆっくりと私に近づき、刺しだした。  その速度は……歩くほどの速さ。  私は手を伸ばし、ミセリゴルテの手をすりぬけて、心臓を貫くはずだった短剣の柄を掴んだ。  それだけでもう短剣はぴくりとも動かない。 「ああ……そういうことか」  死者の姿はミセリゴルテが投影したホログラムのようなものだが、この短剣だけは実体だった。つまりはこの短剣こそがミセリゴルテの本体。  ミセリゴルテの本体は微弱な念動力で浮遊し、移動することで人を刺す。しかしその速度は襲い掛かって人を殺すには至らない。  だから、ミセリゴルテは死者の姿を映す。死者の声で問いかける。  死を受け入れた人間が短剣を避けないように、防がないようにするためだ。  あるいは……本当に介錯するために刺し殺そうとしているのかもしれない。  この世でもう辛い目に遭わせないように。 ――生きるのが辛くはないですか? 「辛いというほどじゃない。まだやりたいことも、死ねない理由もある」  それまで私に掴まれていても前に進もうとしていたミセリゴルテから力が抜けた。  どうやら、私を介錯することを諦めたらしい。それが私の気持ちを汲んでか、単に不可能と判断してかまではわからない。 「さて、どうしたものか」  本体である短剣を岩にでも力任せに叩きつければ、私でもミセリゴルテは倒せるだろう。  しかし身を護るために倒す必要がない、犠牲者もいない、私怨もないものを殺すのはどうも……性に合わない。  期待を肩透かしにはされたが、それはこちらが勝手に期待していただけだ。……いや、今となってはあれが期待だったのかすらも怪しい。 「まぁ、いいか」  私はミセリゴルテを適当に放り投げた。  念動力で制動をかけたのか空中でミセリゴルテは落下を止める。芸が細かいことに、ホログラムも連動して動きまるでホログラムがミセリゴルテをキャッチしたように見える。  力は弱いが制御能力は高いラルヴァなのかもしれない。 「死者の姿を見て、声を聞いて、その上であちら側に逝きたいという人がいるなら私は止めんよ。だから、君は逃がす」  まぁ、そうそうミセリゴルテに殺される人間はいないだろう。現に犠牲者は今もってゼロだ。  相変わらずこちらの言葉を理解しているのかはわからないが、ミセリゴルテはその場に止まったままこちらを向いていた。  さて、確かめたいことは確かめた。解決らしい解決もした。帰って今夜は日が昇る前に眠ろうか。  そう思い、家路につくため振り返ると、  夜闇のよりも深い黒のドレス。  猫を思わせる黒い耳と尾。  一匹の生物のような奇怪な鞭。  血の結晶に似た光を放つ赤い瞳。  一人目の通り魔――血塗れ仔猫が立っていた。 「そうか、ここは六人目と七人目の犠牲者が殺された場所だったな」  犯人は犯行現場に舞い戻る。セオリーといえばセオリーだ。  むしろ感心すらしていただろう……自分が八人目の犠牲者候補でさえなければ。 「ところで少々尋ねたいのだが……っと!」  質問しようとした途端に鞭が跳んできた。無様でも地面を転がって避けていなければ頭を砕かれて即死だっただろう。 「……ラルヴァならデミヒューマンの知能A以上はあるだろうに、少しは人の話を聞け。踊盃はもう少し聞く耳があったぞ」  愚痴を言っている間にも鞭は次々と襲い掛かってくる。  一秒ごとに死ぬ思いをしながら辛うじて避けているが、もうじき避ける体力もなくなるだろう。なにせこちらは一般人。ましてや一晩歩きどおしの後だ。  命懸けの縄跳びはすぐに終わった。私の足がもつれ、地面に倒れこんでしまったからだ。  血塗れ仔猫は攻撃してこないが、ジリジリと近づいてくる。いたぶっているつもりなのだろう。猫がネズミや毛糸玉を玩具にするように。  案の定、助手が助太刀しに来る様子もない。これは……死ぬなぁ。  まぁ、それはそれとして、だ。 「一つ聞きたい」  先ほど言いかけた質問を再び口にする。  血塗れ仔猫は構わずに近寄ってくる。 「君は本当にラルヴァか?」  血塗れ仔猫の足が……止まった。  単純な疑問だった。  私はこれまでの経験上、ラルヴァについてはよく知っている。未知のラルヴァでも少し観察すれば似た例から概要くらいは推測できる。勘とも、経験則とも言う。  しかし、血塗れ仔猫はどうも勘が利かない。能力や生態がうまく推測できない。  こういうことは最近でも一度あった。  七色件を巡る事件で“聖痕《スティグマ》”のスピンドルという異能力者の襲撃を受けたときだ。  ラルヴァでも異能力者でも固有の能力・異能の起こす事象にさほど違いはないはずがスピンドルの異能はほとんど推測できなかった。戦闘中に久留間君が言い当てたからこそ理解できたくらいだ。  ゆえに私の経験則は異能力者相手には通じない。  だがラルヴァでも理解不能型能力の<ワンオフ>のように推測しづらいものもいる。  ならば、私が推測できていないこの血塗れ仔猫は……どちらだ? 「君は……」  私はなおも問おうとしたが、言葉は出なかった。  先刻のように攻撃を受けたわけではない。いや、ある意味では攻撃か。  血塗れ仔猫から何百人分もの殺気を固めたような明確な殺意が私に向けられていた。  どうやら……虎の尾を踏む質問だったらしい。  血塗れ仔猫が鞭を振りかぶる。  今度はかわせない、かわしても……一帯ごと爆砕される。そんな予測がついた。  なら血塗れ仔猫はラルヴァなのだろうか、などと最後まで他人事のような思考をしていた。  しかし、それで最後にはならなかった。  私の右方、血塗れ仔猫から左方より歩いてくる……いや、浮いてくるものがあった。  一本の短剣……ミセリゴルテだ。  血塗れ仔猫が現れてから完全に意識の外だったが、どうやらまだこの場に留まっていたらしい。  しかし私には今のミセリゴルテは短剣がただ宙に浮いているようにしか見えない。  だが、血塗れ仔猫はそうではなかった。 ――生きるのが辛くはないですか? 「…………あ。ああ、ああアアアああああアア嗚呼アアアアアアアァァァ!!!」  血塗れ仔猫は絶叫する。  両手でこめかみを押さえ、膝を突く。  その両目からは血の涙。  身を引き千切られるかのような慟哭。  短剣が近づくにつれて血塗れ子猫の苦悶は増していく。  ミセリゴルテは思考を読み取り、死者の姿を写し取るラルヴァ。  彼女はミセリゴルテに……何を見ているのだろう? ――生きるのが辛くはないですか?  ミセリゴルテはなおも血塗れ子猫にその刀身を近づける。  だが、ミセリゴルテが血塗れ仔猫に触れるよりも早く、血塗れ仔猫の中でぶつりと、何かが切れた。  血塗れ仔猫は鞭を振りかぶり、振り下ろす。  それは絶大な膂力により成され、近づいていたミセリゴルテを粉々に砕くだけにはとどまらず、地面を陥没させクレーターを作り出した。  爆発に似た衝撃が拡散し、周囲のものをあらかた吹き飛ばす。  反動で自らも傷ついているが、それすらもわからぬほどに、今の血塗れ仔猫は錯乱していた。  血塗れ仔猫は鞭をどこかへと消し、一刻も早くこの場を離れたいとばかりに猫のような勢いで駆けて公園から去って行った。  砕け散ったミセリゴルテは粉々になった破片も大気に溶けて消えてなくなった。  こうして二体のラルヴァは去り、残ったのはクレーターが出来た公園と、 「……生きてるなぁ」  余波で公園の茂みの中に吹き飛ばされながらも、五体満足で生きている私だけだった。  ・・・・・・  吹き飛ばされたせいか体中が痛んだ。  特に足はそれまでの酷使もあってか立つのもやっとで、バスも動かないこの時間に歩いて家まで帰るのは不可能だった。 「仕方ない……今日はここで野宿するか。明日バスが動いたら乗って帰るとしよう。流石に血塗れ仔猫ももうここには立ち寄らないだろうし、な」   私はやっとの思いでベンチまで戻ると、その上で仰向けになって寝転がった。  目の前には曇り空に閉ざされた夜空があった。 ――このおまじないは空に懐中電灯を当てて星の形を描くの。 ――星の形? ――そ。おまじないでよくある五芒星。 ――描いたらどうするんです? ――そしたら懐中電灯の灯りを動かして、描いた星を地平線や水平線に落ちる流れ星にするのよ。  あとは本物と一緒で願い事を唱えるの。あとは自分の努力次第。 ――なんだか女の子向けのおまじないみたいですね。 ――そりゃそうよ。私が子供のころ考えたんだもの。 ――……御利益なさそうですね。 ――そうかな? 流れ星を待つのもいいけど自分で作った流れ星に願い事をして、  自分の力で叶えようと頑張るの、良いと思わない? あ、願い事って言うか願掛けかな。 ――願掛けね。でも、僕はそういうのはよくわかりませんね。  欲しいものがあるわけでもないし、就きたい仕事があるわけでもありません。 ――じゃあ可愛い女の子と付き合いたいとかどう? ――……それもよくわかりません。僕はまだ十歳の子供ですから。 ――お子様―。 ――だから本当に子供なんですって……。 ――あっはっは、でもね灰児君。 ――誰だって死ぬまでに一度は、自分の力で何かを成さなきゃいけないときが来るよ。 ――それまでは死ねないんだよ。  いつからか、雲が切れて隙間から星空が覗いていた。  私はコートから懐中電灯を取り出して、星空に向けて光を当てる。  掌中の小さな灯りはすぐに夜の街の灯に消されてしまうが、それでも五芒の星を描いてみる。  灯りを水平線に向けてゆっくりと下ろしながら、願い事を言う。 「どうか、あの人との約束を果たせますように」  そのためにも、もっとラルヴァのことを知らなければならない。  そんなことを考えながら公園のベンチで夜を明かした。  翌朝目が覚めると、私は布団を被っていた。眠っている間に誰かが布団を掛けておいてくれたらしい。  誰のしたことかはすぐわかり、私は苦笑した  布団は昨日どこかへと飛ばされた私の掛け布団だったからだ。 「……あいつめ」  私は夜明けの街を自分の掛け布団を抱えて家路に着くこととなった。  朝の日差しが新たな一日の始まりを告げる。    今日は……どんなラルヴァと出会うことになるのだろう。 第六話 怪物記 第一部 了 登場ラルヴァ 【名称】   :ミセリゴルテ 【カテゴリー】:エレメント 【ランク】  :下級C(危険度審査段階) 【初出作品】 :怪物記 第六話 【他登場作品】: 【備考】   夜に一人で歩く人の前に現れる通り魔ラルヴァ。  手に介錯短剣を持ち、その姿は目撃者が過去に死別した忘れがたい人物と同じ姿をしている。  「生きるのが辛くはないですか?」と問いかけながら近づいてくるが、恐れるものや死者との再会に喜ぶものからは逆に逃げる。  相手が死を受け入れると刺し殺すと推測されているが、そのケースは未だない。  正体は掌中の介錯短剣そのもの。  念動力を使う短剣のラルヴァであるが、念動力が弱いため短剣をゆっくりとしか動かせない。  そのため相手のの思考を読み取り、故人に関する記憶を探って容姿を写し取りホログラムを投影することで人が自ら死に向かうように仕向けている。    その目的が人を殺すためか、人を苦しい生から介錯しようとしているかは現在不明。

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