【キャンパス・ライフ2 その6-2】

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 そのとき、血塗れ仔猫の邪悪な笑顔が何者かの拳によってひしゃげた。  みきと雅はとても驚いて、黒い悪魔が殴られて吹っ飛んでいくのを見ていた。  憎き宿敵を殴り倒した異能者――関川泰利は、唾をグラウンドに吐き出してからこう言った。 「もう好き勝手やらせねえぞ・・・・・・。いつまでもくたばっていると思うなよ、この悪魔が!」  そしてその背後から顔を出したのは、三人の少年たちだ。 「おー、動ける動ける。なかなか気分がいいなあ、自由になるのって!」 「ずっとあいつの言いなりになっていたからね。まったく、死んだなら死んだで、とっととゆっくり眠りにつきたかったのになあ?」 「僕なんて何度も頭ちぎられたりお腹かき回されたり散々だったよ。こんな僕でも、あいつだけはどうしても許せないよ・・・・・・」  小山真太郎、・野口道彦、久本昭二は口々にそう言った。好き勝手に動き出した「人形」たちを目の当たりにした血濡れ仔猫は、声を震わせながら彼らにこうきいた。 「ど、どうして・・・・・・? どうして私の束縛しているあなたたちは、勝手に動くことができるの? ここは私が支配しているアツィルト・ワールドだよ? 私の精神世界だよ? あなたたちが自分の意志で行動することはできないはずなのに・・・・・・?」 「誰の世界ですって? 勘違いも甚だしいんじゃないの、血塗れ仔猫さん?」  はっとして血塗れ仔猫は後ろを振り向く。短剣を握った大島亜由美が、彼女のことを見下ろしていたのだ。血塗れ仔猫は慌てて鞭を握ろうとしたが、その顔面を亜由美は容赦なく、前方に蹴り飛ばしてしまう。  吹き飛んでいく彼女の体をしっかり捉え、亜由美は短剣に力を込める。きらきらと白い輝きを帯びたナイフを、亜由美はぴゅんと横になぎ払った。  真っ直ぐ放たれたカッターが血塗れ仔猫に炸裂し、禍々しい悲鳴が上がる。病的なドレスがずたずたに裂けて、黒い布がカラスの羽のようにこぼれていった。  戦いから取り残されて唖然としている雅のもとに、美しい少女が歩み寄る。落合瑠子は「大丈夫?」と怪我をしている雅を気遣ってくれた。 「君たちは、この夏の事件の被害者かい・・・・・・?」と、雅が彼らにきいた。 「ああ、そうだ」と、泰利が答える。「俺たちはあの血濡れ仔猫によって殺された亡霊だ。あいつは俺たちが死んでもこの世界に魂を拘束し、何度も粉々にしたり切り裂いたり好き勝手やってきたんだ。まったく、悪趣味にもほどがあるぜ!」 「ほんと、血塗れ仔猫は憎くて憎くてたまらない。久本くんたちを残虐に殺して、私の妹も無残に手にかけて。これだからラルヴァは悪だと私は思う!」  亜由美はみきが少しうつむいたのを見ると、彼女に向かってにかっと微笑み、こう明るく言ってみせた。 「私が大嫌いなのは血塗れ仔猫。立浪みきさんは何も関係ないじゃない! あなただって、あの悪趣味な黒いクソ猫の被害者だよ!」  彼女に同意して泰利も瑠子も真太郎も道彦も昭二も、みきに向かって微笑んだり、ピースサインを向けたりしている。 「うう・・・・・・みんな・・・・・・みんなあ・・・・・・!」  みきは泣いた。みきはずっと、不条理に奪われることになった七人の命のことを、申し訳なく思っていた。きっと自分は彼らの強い恨みを背負って、破滅のときを迎えるのだろうとさえ思っていた。  でも、そのような悩み事も杞憂に終わったのだ。彼らはきちんとわかっていた。この悲劇の黒幕は立浪みきではなく、「血塗れ仔猫」だということを! 「そうかあ。立浪みきが生きる意志を取り戻しかけているのが、このアツィルト・ワールドに変調を及ぼしているのねえ・・・・・・? 私の掌握していたこの世界がみきに奪われようとしているから、あなたたちは動けるようになった・・・・・・」 「馬鹿言うんじゃねえよ。ここはもともと、てめえの世界じゃねえだろ」と、泰利。 「あんたの拷問はかなーり痛かったよ・・・・・・? そして、よくも散々ここで美玖を辱めてくれたね・・・・・・?」と、亜由美。  二人の亡き異能者は同時に地面を蹴った。「お、おのれえ、人間めええええええ!」という血塗れ仔猫の咆哮が、彼らを迎えうつ。  そして、みきのもとに一人の少女が近づいてくる。それはみくにとてもそっくりな少女、美玖であった。 「倒してぇ!」  と、グラウンドに落ちていた緑の短剣をみきに差し出した。 「血濡れ仔猫をやっつけて! あいつのせいでみんなみんな死んじゃった! 私も殺された! お母さんもお父さんも死ぬほど悲しんだ! お願い、みきお姉ちゃん! みきお姉ちゃんがあいつをやっつけて! 私たちの仇をとってえ!」  みきは姉猫のグラディウスを受け取った。そうだ、自分には自分の帰りを待っている、可愛い妹がいる。早くこの戦いを終わらせて、みくのもとへと帰らなくてはならないのだ。みきは短剣をしっかり握ると、泰利と亜由美に攻め込まれて苦戦している、血濡れ仔猫のほうを向いた。 「私が人間に負けるわけがない! 私は血塗れ仔猫、双葉島の住民を恐怖のどん底に陥れる悪魔なんだ! 鞭で人間を叩いておしおきする死神なんだ! そんな私がこんな亡霊ごときに、こんな雑魚ごときに――」  頭に血が上ると目の前のものしか見えなくなり、冷静さを失うのは猫の血筋の大きな欠点である。血塗れ仔猫はほとんど気づけなかった。彼女の背後でもう一人の自分自身が、姉の短剣を握り締めて飛び掛ってきたことを。 「姉さん! どうか私に、私に力を貸してくださぁい!」 「しまっ――」  隙を突かれた血塗れ仔猫は、ばっと後ろを振り向くが――  みかのグラディウスが、振り向いた血塗れ仔猫の胸に深く刺さった――!  恐ろしい断末魔の叫び声が青空に高く響き渡る。血塗れ仔猫はおびただしい吐血を起こしながら、自分の胸に深々と貫かれた短剣を見た。 「そんな・・・・・・私が死ぬ・・・・・・? 血濡れ仔猫が敗れる・・・・・・? 嘘だ、悪夢は終わらない! こんな、こんな攻撃でくたばるような私じゃないのにぃ・・・・・・!」  地面に崩れ落ちた血塗れ仔猫は、ぜえぜえ辛そうに息をしながらも抵抗を表明した。  しかし。 『いいや、もうおしまいだよ。いい加減、諦めてみきの心から離れていきな』  その声を聞いたとき、大きく開かれたみきの両目から熱い涙がぶわっと沸いて、零れ落ちていった。血塗れ仔猫はあまりのショックに、首をぶんぶん振りながら声のしたほうを捜した。 「バカな・・・・・・! ありえない! そんなことはありえない! どうして、どうしてそんなことがあああっ・・・・・・!」  そのとき、血塗れ仔猫の胸に突き刺さっている緑のグラディウスが、まばゆい発光を見せた。 「何だぁっ・・・・・・?」  突然のことに血塗れ仔猫は目を背け、みきは本当に嬉しそうにして泣きながら、とある人物の帰還を喜んでいる。 『ふふふふ、あたしもね、ものすごい奇跡だと思ってる・・・・・・。みきを安らかな眠りに付かせようとしたあのとき、ありったけの魂源力をこの剣に込めたのが幸いしたんだ。これは偶然であり、まさに奇跡といっていい・・・・・・!』  グラディウスが血塗れ仔猫の体から離れると、げほっと彼女はひと塊の血を吐いた。宙に浮いた短剣はさらに発光を強め、ドンとはじけ飛ぶ。  ・・・・・・白い猫耳。白い尻尾。長い髪の毛は、背中の辺りで一つにまとめ、ぶらさげている。双葉学園の制服を着込んだ彼女はお気に入りのグラディウを左手に握り、恐れおののいている血塗れ仔猫の目の前に立っていた。 「ふざけるなあ・・・・・・! こんなこと、あってたまるか・・・・・・! あなたが、死んだあなたがこの場に干渉することなんて、絶対にありえないことなのにぃ・・・・・・!」  みきは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その人物のことをこう呼んだ。 「お姉ちゃん・・・・・・!」 「ただいま、みき。一人でよく戦った。私がいなくても、お前はもう大丈夫みたいだね」  立浪三姉妹の長女・みかは、微笑みを向けながらそう言ったのであった。 「あれが、みくのもう一人のお姉さん・・・・・・」と、雅が言う。彼もまた自然と笑顔になって、この大逆転にぶるぶる震えていた。  みかはきっと血塗れ仔猫を睨んだ。黒の異形は肩を一瞬震わせたあと、悔しそうに歯を食いしばって黒い鞭を手繰り寄せる。 「てめーが血塗れ仔猫か。よくもみきを乗っ取って好き勝手やってくれたな。あたしゃ、三年前に戦ったときからずっと、みきの心の中にでも潜りこんでてめーをシバきあげたいと思ってきたもんだ。覚悟しやがれ」  姉猫の両目が緑に輝いた。それに呼応して、グラディウスも鮮やかな緑色に燃えあがる。 「く、くっそおおおおおお! 調子に乗らないでえ! 三年前、私に苦戦したあなたに私を倒せるはずが無いいいい!」  血塗れ仔猫は鞭を縦に振り、みかの頭部を吹き飛ばそうとする。だが、みかは表情をまったく変えることなく、左手をぴゅんとしならせた。短剣によって斬られた鞭の先が、彼女の横を通過していった。 「あたしはみきの『お姉ちゃん』だ。いつ、どんなときでも、みきのことを守ってやるんだ。たとえ死んでしまって、ユーレイになってもね・・・・・・!」  みかは血塗れ仔猫に飛びかかった。心臓に穴が開いた血濡れ仔猫は、もはやまともに勝負をすることができない。  みかの瞳がぎゅっと絞られ、猫の鳴き声をこの世界に轟かせる。グラディウスで縦に、横に、斜めに何度も執拗に斬りつけ、一瞬のうちに何百回も憎き相手を切り刻んだ。  瞳の輝きを失って、ふらっと後ろに倒れていく血塗れ仔猫。みかは後ろにいるみきに向かってこう叫んだ。 「今だ、みき! お前が止めを刺せ! 自分でこの悪夢を終わらせるんだ!」 「ハイ、姉さん!」  みきがコバルトの鞭を青に輝かせる。右手から注ぎ込まれた魂源力は手元から先のほうまでぐんぐん伝わり、鞭の全体が青白い発光を見せる。それをしなやかに振りぬいて、血塗れ仔猫の顔面目掛けてぶっ飛ばす。  最後、みきはオッドアイを強く光らせてこう怒鳴った。 「私は『ラルヴァ』なんかじゃない! 猫の力で戦う『異能者』です!」  ――決着の瞬間を、この場にいる人間たちは固唾を呑んで見守っていた。  みきの攻撃は敵の顔面に見事直撃し、血塗れ仔猫は頭部を喪失してしまう。敗北した彼女が膝を付いた瞬間、全身にひびが入って体がぼろぼろと崩れ落ちていった。  その瞬間、真太郎と道彦が歓声を上げる。亜由美が昭二に抱きつく。  泰利と瑠子は二人並んで、笑顔を向けている。  美玖が青空に向かって、「やったぁー!」と嬉しそうに飛び上がった。 「終わった。さすがに疲れたぞ」と、雅も笑いながらあぐらをかいて座っていた。  みかも感慨深そうに妹のことを見つめていた。黒い己に打ち勝ち、試練を乗り越えてみせた泣き虫な妹の背中を、姉猫はしんみりとした表情で見守っている。  崩れ落ちた灰色の亡骸を複雑な心境で見つめながら、みきは猫耳をひっこめた。 「さようなら、もう一人の私・・・・・・」  そう、みきは鞭を消去しながら呟いたのであった。  こうしてみきの心の中に巣食っていた恐怖の異形・血濡れ仔猫は、立浪みき本人によって倒され、敗れ、その存在を消失させたのであった。  アツィルト・ワールドに光が差す。戦いで高ぶった気持ちや火照った体を癒すように、冷たい風が流れていった。それはみきにとってとても懐かしい、爽やかな潮の匂いを運んできてくれた。 「私たちの仇をとってくれてどうもありがとう」  と、大島亜由美が言う。みきは彼女にしっかり向き合うと、申し訳なさそうにしてこう言った。 「あなたたちは何も関係ない生徒だったのに・・・・・・。私のせいでこんな目に合わせてしまって、本当にごめんなさい」 「何言ってるの!」と、美玖が笑った。「私たちの敵はあの血濡れ仔猫じゃないの! みきお姉ちゃんは何も悪くないよ! みきお姉ちゃんがあいつを倒してくれて、私たちもようやくゆっくり休むことが出来そうで、とっても嬉しいんだから!」  ありがとう、とみきは涙ぐみながら言う。そんな三人のところに、こそこそと別の三人組が近づいてきた。 「そーれ!」と真太郎と道彦は昭二の背中を乱暴に蹴っ飛ばし、亜由美のもとへ無理やり寄せてしまう。顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている昭二のことを、亜由美も照れくさそうにして見つめていた。 「血塗れ仔猫もいなくなったことだし、これで私たちもあいつの束縛から解放されることになる。そろそろ永い眠りに着こうと思います。短い生涯でしたが、私は何の悔いもありません」  亜由美がそう言うと、彼女の体がすっと透き通っていった。それに合わせるようにして、美玖も昭二もその存在を薄めていく。  最後に美玖が、「ばいばい! 私の分も頑張って『生きてね』。みきお姉ちゃん!」と、本当にみくにそっくりな笑顔を向けながら消えていった。  それに対してみきは、「うん。生きる。もう二度と、死にたいなんて言わないよ」と呟いてあげたのであった。 「あーあ。結局、昭二に亜由美を取られちゃったってことかあ」  と、真太郎がそっぽを向いてそう言った。道彦がぷっと吹き出して、「ま、そういうわけだ。女々しく悔しがってないで、俺たちも早いこと休もうぜ」と言う。  真太郎が「悔しくなんかないやい」と涙ぐみながら強がったとき、二人もこの世界から去っていった。  そして最後に泰利と瑠子が二人並んで、みきとみかと雅のほうを向いてこう言った。 「俺だって血塗れ仔猫と戦って死んだことに、何の後悔もしていません。何か大切なものをかけて、自分の力を使って戦うことが、異能者としての誇りだと俺は思うから。・・・・・・みきさんも、その手で守っていきたいものや、人がいるんですよね?」 「・・・・・・はい」と、みきは微笑みながら言った。 「何も死ななくてもいいのに」と、瑠子が澄ました笑顔で言う。「直球。正直。一途。この人の良いところであり、困っちゃうところね。まあ、この人のおかげで私は幸せな一生を送ることができたのかな? ふふ」  泰利は何も言葉を発することができず顔を真っ赤にして、下を向いて黙り込んでしまった。姉妹も雅も、楽しそうな笑い声を上げた。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ行こうか、瑠子」 「はい」と、瑠子はにっこり笑う。 「それでは俺たちも一緒に旅立つこととします。俺たちの分も、学園生活楽しんでください。みきさんも、異能者として色々な可能性があるんだということを忘れないでおいてください」  瑠子の手をとった泰利は、地面を強く蹴って飛び上がった。二人は青空を背景にして高く高く飛んでいく。彼の能力は『跳躍』だった。瑠子はそんな彼の手をしっかり握っている。雅は二人の背中に翼が生えているような幻を見た。  瑠子はみきの方を向いてにこっと笑った。みきもその幸せそうな瞳の輝きを見つめ、右手を振ってあげた。  血濡れ仔猫によって殺された七人の魂は、こうして天国へと旅立っていったのである。 「姉さん・・・・・・」  みきは姉に向き合うと、とても寂しそうにこうきいた。 「・・・・・・やっぱり姉さんも、行ってしまわれるのですか?」  そうきかれたみかはばつが悪そうに頬をかくと、こんなことを言ったのだ。 「・・・・・・なんか、そういうわけにもいかねーんだよ。あたし、もしかしたら死んでないのかもしれない」 「ええっ?」と、これにはみきも雅も仰天する。 「あたしの死体が海中から引き上げられたって話なんだよね? でも、それならそれでとっとと成仏しちゃいたいとこだったんだけど、どうしてか不可能なんだ」 「じゃあ・・・・・・みかさんの体がどこかに・・・・・・?」 「だとは思うんだけどなあ」と、みかは困った顔をして言う。「ここにいるあたしは、あたしが三年前、この短剣に込めた魂源力そのものだよ。注ぎ込める限りのすべての魂源力を注ぎ込んだ瞬間、突然誰かに撃たれたんだよね? その結果、身体と魂源力が分離してしまったわけだ。んで、身体はどこに行ったかわからない。一方、あたしの魂源力はこうして宙ぶらりん。とまあ、こういうわけなんだ」  こういった世界であたしは具現できるようだね、とみかは付け加える。雅は異能の奥深さに、ただただ舌を巻くばかりであった。  そんな雅のところにいつの間に、みかが目の前まで近づいてきていた。彼は驚いて、「な、何ですか」と言う。 「その腕輪・・・・・・。んっふっふ、みくのやつ、マサを『ご主人様』にしたわけだねえ」  雅の腕には茶色い腕輪がかかっている。みくと交わした「主従の契約」のしるしだ。 「まさかあたしも、それが『解決の手段』だとは思ってもみなかった。それはあたしたち猫の血筋に代々伝わるものだ。悪趣味なおまじないかとさえ見ていたほどだったのに、そんな意味合いがあったなんてねえ・・・・・・。  よく、みくは気がついたよ。まあ、誰か恋人を見つけようなんて、当時のあたしたちは考えようともしなかったけどさあ」  目をぱちくりさせて、雅はぽかんとしていた。解決の手段? この恥かしい契約が、解決の手段? 何の?  と、ここでみかが顔を赤らめながら、ぽーっと上目遣いで自分のことを見つめているのに気がついた。雅が「え? どうかしましたか、お姉さん」ときいたとき。 「あたしの好みだ。惚れた」 「ええ!」  次の瞬間には、雅は姉猫に押し倒されていた。彼女の長い前髪が顔にかかる。極限まで近づいた緑の瞳は、しっとりと湿っていた。いったい何が始まるのか。自分は何をされようとしているのか。 「往生際が悪くてねえ。あたしはこうしてユーレイになってもなお、好きな人は逃がさないわけさ。とりついてやる」 「はあ? ちょっと、お姉さん。何を」  唇を強引に重ねられた。雅がもごもご抵抗していると、腕を後ろに回されて、ぎゅっときつく抱きしめられてしまう。  ところがその瞬間。みかの体が淡く発光したと思ったら、ぱちんと弾けてしまう。  丸い緑の球体が、仰向けのままの雅の上に浮遊していた。球体となったみかはそのまま降りてくると、すっと雅の胸の中に浸透していった。すると雅の疲労が完全に回復し、折れていた右肘が繋がっている。前よりも力が湧いてくるような気分がしていた。 「・・・・・・と、冗談はここまでにしといて、おめでとう、遠藤雅!」  どこからか、みかの声が聞こえてきた。 「これまでいくつもの戦いを勝ち抜いてきたごほうびだ。マサは夏休み中も、ずっと頑張ってたらしいからね、あたしの魂源力を貸してあげるよ!」 「なるほど、異能者の成長システムですね」と、みきが補足してくれた。 「これで、一回の戦闘に使える治癒の回数が『三回』になったね。あとは治癒を使ったときに、あたしのちょっとした特性が反映されるかな? なあに、オマケ程度の要素だよ。  じゃあ、マサ。後のことは頼んだよ? みきをよろしくね。みくを泣かしたら承知しないぞ! あたしは復活できるまでのあいだ、マサの精神世界でのんびり暮らしてるから、夢の中で会ったときとかあたしとイチャイチャしておくれ!」  立浪みかはそれだけ言うと、みきのアツィルト・ワールドから、その存在を完全に消失させた。 「姉さんは人懐っこいところがあるんです。まあ、半分冗談程度に受け取っておいてあげてください・・・・・」  と、みきが恥ずかしそうにそう教えてくれた。雅は「あ、そうですか、わかりました」と困惑しながら言った。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ帰ろうか。みくのところへ」 「はい」  みきが目覚めることを望んだ瞬間、アツィルト・ワールドはうっすらと白く包まれる。  夢から覚める。不思議な夢から覚める。それは七人の命を惨たらしく奪った悪夢であり、黒の自分に打ち勝って七人の命を解放した痛快な夢でもある。  戦士たちは夢から覚めて、現実へと帰っていく――。  一面に広がる青空と、潮風の吹きつける東京湾。  展望台に戻ってきた雅は日差しの眩しさに目をしかめた。すぐさまはっとして、辺りを見渡す。 「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」  みくがわき腹を押さえたままぐったり倒れていて、彼はびっくりする。みくは血塗れ仔猫の戦闘で負傷していたのだった。 「うわあああ、みく! しっかりしろ! もう大丈夫だからな!」  雅は早速、治癒魔法をかけてあげた。胸のうちに大きく膨らむ魂源力を、右腕を通じて手のひらから分け与える。患部にかざされた治癒の発光は緑色をしており、雅は少し驚いた。 「・・・・・・ぐぐ・・・・・・ぷはあ。重傷者の放置プレイとか、なかなかカゲキなことしてくれるわね、ご主人様ぁ・・・・・・?」  じとっとした目で睨んでいるみくに、雅はへこへこと平謝りをした。 「ゴメン。本当にゴメン。正直悪かった」 「あれ・・・・・・? あんた、瞳が緑色に光ってるわよ?」  え? と雅はぱちぱちまばたきをする。「ふふふ。まるでみかお姉ちゃんそっくり」とみくが言ったとき、彼はなるほどなと納得したのである。みかの魂源力がこうした形で反映されているのだ。  完全に回復したみくは立ち上がると、服に付いた砂をぽんぽんと叩いて払った。それから首をゆっくり左右に振って、心配そうにこうきいた。 「みきお姉ちゃんは、どうなったの? まさかまたいなくなっちゃったとか、そんなことないよね?」 「・・・・・・安心して。ほら、もうすぐそこまで来てるよ」  そして、みくは見た。目の前に白く光る球体が現れ、雛のかえる卵のようにひびわれて光が漏れ出し、ぱっと弾けたのを。  みくは笑った。笑いながら、金色の瞳を涙でいっぱいにした。  光の中から降りてきたのは、黒いドレスを着た少女だった。血塗れ仔猫と違うのは、穏やかな微笑をたたえつつ両目を瞑っていた点である。 「お姉ちゃん・・・・・・!」  みくがそう呼ぶと両目が開かれ、美麗なオッドアイが彼女を向いた。 「ただいま・・・・・・みくちゃ!」 「お姉ちゃあああん! んもう、バカああああああ!」  みくは三年前に一人ぼっちになってから、ずっと一人で戦ってきた。その道のりは決して平坦なものではなかったし、死にかけたことも何度もあった。与田から自分たちの秘密を明かされてから自分を見失い、大好きな相方と離れて旅に出たこともあった。  彼女は気丈でとても気の強い性格をしている。もともとそういう性格であったことは言うまでもないが、複雑な事情はいっそうみくをきつい性格に作り上げていった。彼女は姉がいなくても、しっかり独りで生きていかなくてはならなかった。  そのような苦労の時代も、最高の形で帰結する。みくはみきに抱きついた。三年ぶりの温もりに抱かれてひたすら泣いていた。甘える対象が帰ってきて、ようやく出すことのできた歳相応な子供の姿を、雅も温かく見守っている。 「いったいどこ行ってたのよお・・・・・・。ずっと、最後の朝食のこと、忘れられなかった・・・・・・。ばか、お姉ちゃんなんてきらい。だいきらい」 「ごめんね、みくちゃ・・・・・・。もうこれからはずっと一緒だよ。どこにも行ったりはしないよ。私と一緒にまた暮らしていこうね・・・・・・!」  午後の日差しに反射して、ゆらゆらと白い明かりが真っ直ぐ海に伸びている。それはまるで、これまで二人が歩んできた長い道のりを暗示しているかのようだ。そんな光景を背景にして、姉妹は強く強く抱き合っている。  こうして立浪みきは、三年のときを経て2019年、ついに復活を遂げたのであった。 「ところで・・・・・・」と、みきはおもむろに雅のほうを向いた。 「何でしょうか?」 「マサさんはうちのみくちゃとどういう関係なのでしょうか?」  どきっとして、雅は冷や汗をかく。「ただの友達です」と答えれば恐らくパンチが飛んでくる。「相方です」と言えば機嫌損ねる程度で丸く収まるかもしれない。何よりも大学生が小学生の子を指差して「恋人です」などといえるはずがない。 「マサはね、今年の春から一緒に行動している相方なの。まだこの島に来て少ししか経ってないっていうから、私が世話を焼いてあげているわけ。そうよね、マサ?」  案外大人なみくの対応に、あれこれ思案していた雅は拍子抜けしてしまった。ワンテンポ遅れてみきにこう答える。 「え、はい、そうです。改めまして、遠藤雅と申します。あの世界では色々と生意気言ってすみませんでした」 「嘘です。その腕輪と首輪が何よりの証拠です。本当はどういう関係なのか、お姉さんに教えなさい。今後そういうお付き合いをする際は、きちんとお姉さんを通してもらわないと困ります。わかりましたね、マサさん?」  と、彼女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。雅はどうしていいかわからず、たじたじになってしまった。 「お姉ちゃん、これからお姉ちゃんはどうしていくの?」 「私? えっとね」と、みきは頬に人差し指を当てた。「学園に帰りたい。私はどうやら成長が止まってて、今も十六歳のままみたいなの。だから、編入するとしたら高校一年生なのかなあ?」 「もう、お姉ちゃんのことを悪く言う奴はいないのかなあ・・・・・・」  と、みくが心配そうにしてぽつりと言った。  三年前、立浪みかとみきは「祖先にラルヴァの存在を確認した」という理由で『ラルヴァ』だというレイベリングを一部の学園生徒にされてしまった。一部の陰謀が働いていたとはいえ、自分の存在を否定された双葉学園にみきは復帰することができるのだろうか。 「大丈夫だよ。私は『ラルヴァ』じゃないよ。猫の力を使って戦う『異能者』なんだから」  と、みきは元気に言ってみせた。それを見た妹は嬉しそうに微笑んだあと、続いてこんなことを思い出す。 「あー、そういえば。七夕の夜に偶然会った人がいるの。ええとね、ぱっと見は私とほとんど変わらない女の子みたいなんだけど、学園の教師ですって言ってたなあ。私とお姉ちゃんのことを知っててびっくりしたんだけど、あれお姉ちゃんの知り合いなの?」  雅が与田に捕らわれて、救出に向かった七夕の夜。みくはとある人物と出会っていた。  春奈・C・クラウディウス。みくの話を聞いただけで、みきはその人が誰であるのかすぐにわかった。春奈は双葉学園高等部・1Bの担任であり、三年前のみきの担任でもあった。 「春奈せんせー・・・・・・」  彼女はしきりに自分のことを気にかけてくれた。与田光一の執拗な研究に付き合っていた頃、日に日にやつれて弱っていく自分のことをとても心配してくれていた。あの人のことだから、たとえ私が血塗れた悪魔になっても、こんな自分のことを気にしてくれていたに違いない。そう思うと、みきはぐすんと涙ぐんだ。 「早く、せんせーさんに会いたい」と、みきは言う。「早く春奈せんせーのところに戻って、元気な顔を見せてあげたい。目を背けたくなるような宿命も悪夢も、全部終わった。みんな私は終わらせた。私はできることなら、今の春奈せんせーのクラスに帰りたいと思っている。それが、一番いいよね・・・・・・?」 「そうだね、きっとその思いは叶うと思う」と、雅も同意してあげる。  とんぼのつがいが展望台を飛び回り、三人の目の前をくるくる舞った。暑い夏が終わり、双葉学園はこれから涼しくて静かな秋を迎えようとしている。  こうして、真夏の悪夢は幕を閉じたのであった。  &bold(){ここから先の物語を受け入れるかどうかは、読者にお任せいたします} 「これで全て終わったんだよね、マサ」と、みくがきいた。 「うん。みくも僕も色々あったけど、丸く収まって何よりだよ。もう少し、夏休みは一緒に遊びたかったね。土日とか二人で遊びに行こうか?」 「何バカなこと言ってんの! お姉ちゃんも加えてあげなくちゃ可哀相でしょうが、このバカ!」  ぴょんと飛んで、雅の頭にげんこつをお見舞いさせる。雅が「痛いなあ! 何も殴ることないじゃないかあ!」と、ふざけて怒鳴ろうとしたときだ。 「きゃっ・・・・・・!」  みきの悲鳴が聞こえて、二人ははっとして後ろを振り返る。  二人はみきが何者かによって頭を捕まれて、宙にぶら下げられているのを見た。  潮風にたなびく赤いマフラー。双葉学園の制服。  雅は驚愕して震えだす。  馬鹿な・・・・・・。  どうして・・・・・・。  どうしてこの男が・・・・・・何より「彼ら」がここにいる?  それはつまり、何を意味するのかというと・・・・・・? 「・・・・・・茶番は終わりだ、『血塗れ仔猫』」  醒徒会庶務・早瀬速人は、冷徹な視線をみきに突き刺しながらそう言った――。  &bold(){次回、第二部最終回。}  &bold(){この六話で切っても、シェアードワールド的には差し支えありません}  &bold(){要は最終話の展開を受け入れられるかどうかだと思います} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
 そのとき、血塗れ仔猫の邪悪な笑顔が何者かの拳によってひしゃげた。  みきと雅はとても驚いて、黒い悪魔が殴られて吹っ飛んでいくのを見ていた。  憎き宿敵を殴り倒した異能者――関川泰利は、唾をグラウンドに吐き出してからこう言った。 「もう好き勝手やらせねえぞ・・・・・・。いつまでもくたばっていると思うなよ、この悪魔が!」  そしてその背後から顔を出したのは、三人の少年たちだ。 「おー、動ける動ける。なかなか気分がいいなあ、自由になるのって!」 「ずっとあいつの言いなりになっていたからね。まったく、死んだなら死んだで、とっととゆっくり眠りにつきたかったのになあ?」 「僕なんて何度も頭ちぎられたりお腹かき回されたり散々だったよ。こんな僕でも、あいつだけはどうしても許せないよ・・・・・・」  小山真太郎、・野口道彦、久本昭二は口々にそう言った。好き勝手に動き出した「人形」たちを目の当たりにした血濡れ仔猫は、声を震わせながら彼らにこうきいた。 「ど、どうして・・・・・・? どうして私の束縛しているあなたたちは、勝手に動くことができるの? ここは私が支配しているアツィルト・ワールドだよ? 私の精神世界だよ? あなたたちが自分の意志で行動することはできないはずなのに・・・・・・?」 「誰の世界ですって? 勘違いも甚だしいんじゃないの、血塗れ仔猫さん?」  はっとして血塗れ仔猫は後ろを振り向く。短剣を握った大島亜由美が、彼女のことを見下ろしていたのだ。血塗れ仔猫は慌てて鞭を握ろうとしたが、その顔面を亜由美は容赦なく、前方に蹴り飛ばしてしまう。  吹き飛んでいく彼女の体をしっかり捉え、亜由美は短剣に力を込める。きらきらと白い輝きを帯びたナイフを、亜由美はぴゅんと横になぎ払った。  真っ直ぐ放たれたカッターが血塗れ仔猫に炸裂し、禍々しい悲鳴が上がる。病的なドレスがずたずたに裂けて、黒い布がカラスの羽のようにこぼれていった。  戦いから取り残されて唖然としている雅のもとに、美しい少女が歩み寄る。落合瑠子は「大丈夫?」と怪我をしている雅を気遣ってくれた。 「君たちは、この夏の事件の被害者かい・・・・・・?」と、雅が彼らにきいた。 「ああ、そうだ」と、泰利が答える。「俺たちはあの血濡れ仔猫によって殺された亡霊だ。あいつは俺たちが死んでもこの世界に魂を拘束し、何度も粉々にしたり切り裂いたり好き勝手やってきたんだ。まったく、悪趣味にもほどがあるぜ!」 「ほんと、血塗れ仔猫は憎くて憎くてたまらない。久本くんたちを残虐に殺して、私の妹も無残に手にかけて。これだからラルヴァは悪だと私は思う!」  亜由美はみきが少しうつむいたのを見ると、彼女に向かってにかっと微笑み、こう明るく言ってみせた。 「私が大嫌いなのは血塗れ仔猫。立浪みきさんは何も関係ないじゃない! あなただって、あの悪趣味な黒いクソ猫の被害者だよ!」  彼女に同意して泰利も瑠子も真太郎も道彦も昭二も、みきに向かって微笑んだり、ピースサインを向けたりしている。 「うう・・・・・・みんな・・・・・・みんなあ・・・・・・!」  みきは泣いた。みきはずっと、不条理に奪われることになった七人の命のことを、申し訳なく思っていた。きっと自分は彼らの強い恨みを背負って、破滅のときを迎えるのだろうとさえ思っていた。  でも、そのような悩み事も杞憂に終わったのだ。彼らはきちんとわかっていた。この悲劇の黒幕は立浪みきではなく、「血塗れ仔猫」だということを! 「そうかあ。立浪みきが生きる意志を取り戻しかけているのが、このアツィルト・ワールドに変調を及ぼしているのねえ・・・・・・? 私の掌握していたこの世界がみきに奪われようとしているから、あなたたちは動けるようになった・・・・・・」 「馬鹿言うんじゃねえよ。ここはもともと、てめえの世界じゃねえだろ」と、泰利。 「あんたの拷問はかなーり痛かったよ・・・・・・? そして、よくも散々ここで美玖を辱めてくれたね・・・・・・?」と、亜由美。  二人の亡き異能者は同時に地面を蹴った。「お、おのれえ、人間めええええええ!」という血塗れ仔猫の咆哮が、彼らを迎えうつ。  そして、みきのもとに一人の少女が近づいてくる。それはみくにとてもそっくりな少女、美玖であった。 「倒してぇ!」  と、グラウンドに落ちていた緑の短剣をみきに差し出した。 「血濡れ仔猫をやっつけて! あいつのせいでみんなみんな死んじゃった! 私も殺された! お母さんもお父さんも死ぬほど悲しんだ! お願い、みきお姉ちゃん! みきお姉ちゃんがあいつをやっつけて! 私たちの仇をとってえ!」  みきは姉猫のグラディウスを受け取った。そうだ、自分には自分の帰りを待っている、可愛い妹がいる。早くこの戦いを終わらせて、みくのもとへと帰らなくてはならないのだ。みきは短剣をしっかり握ると、泰利と亜由美に攻め込まれて苦戦している、血濡れ仔猫のほうを向いた。 「私が人間に負けるわけがない! 私は血塗れ仔猫、双葉島の住民を恐怖のどん底に陥れる悪魔なんだ! 鞭で人間を叩いておしおきする死神なんだ! そんな私がこんな亡霊ごときに、こんな雑魚ごときに――」  頭に血が上ると目の前のものしか見えなくなり、冷静さを失うのは猫の血筋の大きな欠点である。血塗れ仔猫はほとんど気づけなかった。彼女の背後でもう一人の自分自身が、姉の短剣を握り締めて飛び掛ってきたことを。 「姉さん! どうか私に、私に力を貸してくださぁい!」 「しまっ――」  隙を突かれた血塗れ仔猫は、ばっと後ろを振り向くが――  みかのグラディウスが、振り向いた血塗れ仔猫の胸に深く刺さった――!  恐ろしい断末魔の叫び声が青空に高く響き渡る。血塗れ仔猫はおびただしい吐血を起こしながら、自分の胸に深々と貫かれた短剣を見た。 「そんな・・・・・・私が死ぬ・・・・・・? 血濡れ仔猫が敗れる・・・・・・? 嘘だ、悪夢は終わらない! こんな、こんな攻撃でくたばるような私じゃないのにぃ・・・・・・!」  地面に崩れ落ちた血塗れ仔猫は、ぜえぜえ辛そうに息をしながらも抵抗を表明した。  しかし。 『いいや、もうおしまいだよ。いい加減、諦めてみきの心から離れていきな』  その声を聞いたとき、大きく開かれたみきの両目から熱い涙がぶわっと沸いて、零れ落ちていった。血塗れ仔猫はあまりのショックに、首をぶんぶん振りながら声のしたほうを捜した。 「バカな・・・・・・! ありえない! そんなことはありえない! どうして、どうしてそんなことがあああっ・・・・・・!」  そのとき、血塗れ仔猫の胸に突き刺さっている緑のグラディウスが、まばゆい発光を見せた。 「何だぁっ・・・・・・?」  突然のことに血塗れ仔猫は目を背け、みきは本当に嬉しそうにして泣きながら、とある人物の帰還を喜んでいる。 『ふふふふ、あたしもね、ものすごい奇跡だと思ってる・・・・・・。みきを安らかな眠りに付かせようとしたあのとき、ありったけの魂源力をこの剣に込めたのが幸いしたんだ。これは偶然であり、まさに奇跡といっていい・・・・・・!』  グラディウスが血塗れ仔猫の体から離れると、げほっと彼女はひと塊の血を吐いた。宙に浮いた短剣はさらに発光を強め、ドンとはじけ飛ぶ。  ・・・・・・白い猫耳。白い尻尾。長い髪の毛は、背中の辺りで一つにまとめ、ぶらさげている。双葉学園の制服を着込んだ彼女はお気に入りのグラディウを左手に握り、恐れおののいている血塗れ仔猫の目の前に立っていた。 「ふざけるなあ・・・・・・! こんなこと、あってたまるか・・・・・・! あなたが、死んだあなたがこの場に干渉することなんて、絶対にありえないことなのにぃ・・・・・・!」  みきは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その人物のことをこう呼んだ。 「お姉ちゃん・・・・・・!」 「ただいま、みき。一人でよく戦った。私がいなくても、お前はもう大丈夫みたいだね」  立浪三姉妹の長女・みかは、微笑みを向けながらそう言ったのであった。 「あれが、みくのもう一人のお姉さん・・・・・・」と、雅が言う。彼もまた自然と笑顔になって、この大逆転にぶるぶる震えていた。  みかはきっと血塗れ仔猫を睨んだ。黒の異形は肩を一瞬震わせたあと、悔しそうに歯を食いしばって黒い鞭を手繰り寄せる。 「てめーが血塗れ仔猫か。よくもみきを乗っ取って好き勝手やってくれたな。あたしゃ、三年前に戦ったときからずっと、みきの心の中にでも潜りこんでてめーをシバきあげたいと思ってきたもんだ。覚悟しやがれ」  姉猫の両目が緑に輝いた。それに呼応して、グラディウスも鮮やかな緑色に燃えあがる。 「く、くっそおおおおおお! 調子に乗らないでえ! 三年前、私に苦戦したあなたに私を倒せるはずが無いいいい!」  血塗れ仔猫は鞭を縦に振り、みかの頭部を吹き飛ばそうとする。だが、みかは表情をまったく変えることなく、左手をぴゅんとしならせた。短剣によって斬られた鞭の先が、彼女の横を通過していった。 「あたしはみきの『お姉ちゃん』だ。いつ、どんなときでも、みきのことを守ってやるんだ。たとえ死んでしまって、ユーレイになってもね・・・・・・!」  みかは血塗れ仔猫に飛びかかった。心臓に穴が開いた血濡れ仔猫は、もはやまともに勝負をすることができない。  みかの瞳がぎゅっと絞られ、猫の鳴き声をこの世界に轟かせる。グラディウスで縦に、横に、斜めに何度も執拗に斬りつけ、一瞬のうちに何百回も憎き相手を切り刻んだ。  瞳の輝きを失って、ふらっと後ろに倒れていく血塗れ仔猫。みかは後ろにいるみきに向かってこう叫んだ。 「今だ、みき! お前が止めを刺せ! 自分でこの悪夢を終わらせるんだ!」 「ハイ、姉さん!」  みきがコバルトの鞭を青に輝かせる。右手から注ぎ込まれた魂源力は手元から先のほうまでぐんぐん伝わり、鞭の全体が青白い発光を見せる。それをしなやかに振りぬいて、血塗れ仔猫の顔面目掛けてぶっ飛ばす。  最後、みきはオッドアイを強く光らせてこう怒鳴った。 「私は『ラルヴァ』なんかじゃない! 猫の力で戦う『異能者』です!」  ――決着の瞬間を、この場にいる人間たちは固唾を呑んで見守っていた。  みきの攻撃は敵の顔面に見事直撃し、血塗れ仔猫は頭部を喪失してしまう。敗北した彼女が膝を付いた瞬間、全身にひびが入って体がぼろぼろと崩れ落ちていった。  その瞬間、真太郎と道彦が歓声を上げる。亜由美が昭二に抱きつく。  泰利と瑠子は二人並んで、笑顔を向けている。  美玖が青空に向かって、「やったぁー!」と嬉しそうに飛び上がった。 「終わった。さすがに疲れたぞ」と、雅も笑いながらあぐらをかいて座っていた。  みかも感慨深そうに妹のことを見つめていた。黒い己に打ち勝ち、試練を乗り越えてみせた泣き虫な妹の背中を、姉猫はしんみりとした表情で見守っている。  崩れ落ちた灰色の亡骸を複雑な心境で見つめながら、みきは猫耳をひっこめた。 「さようなら、もう一人の私・・・・・・」  そう、みきは鞭を消去しながら呟いたのであった。  こうしてみきの心の中に巣食っていた恐怖の異形・血濡れ仔猫は、立浪みき本人によって倒され、敗れ、その存在を消失させたのであった。  アツィルト・ワールドに光が差す。戦いで高ぶった気持ちや火照った体を癒すように、冷たい風が流れていった。それはみきにとってとても懐かしい、爽やかな潮の匂いを運んできてくれた。 「私たちの仇をとってくれてどうもありがとう」  と、大島亜由美が言う。みきは彼女にしっかり向き合うと、申し訳なさそうにしてこう言った。 「あなたたちは何も関係ない生徒だったのに・・・・・・。私のせいでこんな目に合わせてしまって、本当にごめんなさい」 「何言ってるの!」と、美玖が笑った。「私たちの敵はあの血濡れ仔猫じゃないの! みきお姉ちゃんは何も悪くないよ! みきお姉ちゃんがあいつを倒してくれて、私たちもようやくゆっくり休むことが出来そうで、とっても嬉しいんだから!」  ありがとう、とみきは涙ぐみながら言う。そんな三人のところに、こそこそと別の三人組が近づいてきた。 「そーれ!」と真太郎と道彦は昭二の背中を乱暴に蹴っ飛ばし、亜由美のもとへ無理やり寄せてしまう。顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている昭二のことを、亜由美も照れくさそうにして見つめていた。 「血塗れ仔猫もいなくなったことだし、これで私たちもあいつの束縛から解放されることになる。そろそろ永い眠りに着こうと思います。短い生涯でしたが、私は何の悔いもありません」  亜由美がそう言うと、彼女の体がすっと透き通っていった。それに合わせるようにして、美玖も昭二もその存在を薄めていく。  最後に美玖が、「ばいばい! 私の分も頑張って『生きてね』。みきお姉ちゃん!」と、本当にみくにそっくりな笑顔を向けながら消えていった。  それに対してみきは、「うん。生きる。もう二度と、死にたいなんて言わないよ」と呟いてあげたのであった。 「あーあ。結局、昭二に亜由美を取られちゃったってことかあ」  と、真太郎がそっぽを向いてそう言った。道彦がぷっと吹き出して、「ま、そういうわけだ。女々しく悔しがってないで、俺たちも早いこと休もうぜ」と言う。  真太郎が「悔しくなんかないやい」と涙ぐみながら強がったとき、二人もこの世界から去っていった。  そして最後に泰利と瑠子が二人並んで、みきとみかと雅のほうを向いてこう言った。 「俺だって血塗れ仔猫と戦って死んだことに、何の後悔もしていません。何か大切なものをかけて、自分の力を使って戦うことが、異能者としての誇りだと俺は思うから。・・・・・・みきさんも、その手で守っていきたいものや、人がいるんですよね?」 「・・・・・・はい」と、みきは微笑みながら言った。 「何も死ななくてもいいのに」と、瑠子が澄ました笑顔で言う。「直球。正直。一途。この人の良いところであり、困っちゃうところね。まあ、この人のおかげで私は幸せな一生を送ることができたのかな? ふふ」  泰利は何も言葉を発することができず顔を真っ赤にして、下を向いて黙り込んでしまった。姉妹も雅も、楽しそうな笑い声を上げた。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ行こうか、瑠子」 「はい」と、瑠子はにっこり笑う。 「それでは俺たちも一緒に旅立つこととします。俺たちの分も、学園生活楽しんでください。みきさんも、異能者として色々な可能性があるんだということを忘れないでおいてください」  瑠子の手をとった泰利は、地面を強く蹴って飛び上がった。二人は青空を背景にして高く高く飛んでいく。彼の能力は『跳躍』だった。瑠子はそんな彼の手をしっかり握っている。雅は二人の背中に翼が生えているような幻を見た。  瑠子はみきの方を向いてにこっと笑った。みきもその幸せそうな瞳の輝きを見つめ、右手を振ってあげた。  血濡れ仔猫によって殺された七人の魂は、こうして天国へと旅立っていったのである。 「姉さん・・・・・・」  みきは姉に向き合うと、とても寂しそうにこうきいた。 「・・・・・・やっぱり姉さんも、行ってしまわれるのですか?」  そうきかれたみかはばつが悪そうに頬をかくと、こんなことを言ったのだ。 「・・・・・・なんか、そういうわけにもいかねーんだよ。あたし、もしかしたら死んでないのかもしれない」 「ええっ?」と、これにはみきも雅も仰天する。 「あたしの死体が海中から引き上げられたって話なんだよね? でも、それならそれでとっとと成仏しちゃいたいとこだったんだけど、どうしてか不可能なんだ」 「じゃあ・・・・・・みかさんの体がどこかに・・・・・・?」 「だとは思うんだけどなあ」と、みかは困った顔をして言う。「ここにいるあたしは、あたしが三年前、この短剣に込めた魂源力そのものだよ。注ぎ込める限りのすべての魂源力を注ぎ込んだ瞬間、突然誰かに撃たれたんだよね? その結果、身体と魂源力が分離してしまったわけだ。んで、身体はどこに行ったかわからない。一方、あたしの魂源力はこうして宙ぶらりん。とまあ、こういうわけなんだ」  こういった世界であたしは具現できるようだね、とみかは付け加える。雅は異能の奥深さに、ただただ舌を巻くばかりであった。  そんな雅のところにいつの間に、みかが目の前まで近づいてきていた。彼は驚いて、「な、何ですか」と言う。 「その腕輪・・・・・・。んっふっふ、みくのやつ、マサを『ご主人様』にしたわけだねえ」  雅の腕には茶色い腕輪がかかっている。みくと交わした「主従の契約」のしるしだ。 「まさかあたしも、それが『解決の手段』だとは思ってもみなかった。それはあたしたち猫の血筋に代々伝わるものだ。悪趣味なおまじないかとさえ見ていたほどだったのに、そんな意味合いがあったなんてねえ・・・・・・。  よく、みくは気がついたよ。まあ、誰か恋人を見つけようなんて、当時のあたしたちは考えようともしなかったけどさあ」  目をぱちくりさせて、雅はぽかんとしていた。解決の手段? この恥かしい契約が、解決の手段? 何の?  と、ここでみかが顔を赤らめながら、ぽーっと上目遣いで自分のことを見つめているのに気がついた。雅が「え? どうかしましたか、お姉さん」ときいたとき。 「あたしの好みだ。惚れた」 「ええ!」  次の瞬間には、雅は姉猫に押し倒されていた。彼女の長い前髪が顔にかかる。極限まで近づいた緑の瞳は、しっとりと湿っていた。いったい何が始まるのか。自分は何をされようとしているのか。 「往生際が悪くてねえ。あたしはこうしてユーレイになってもなお、好きな人は逃がさないわけさ。とりついてやる」 「はあ? ちょっと、お姉さん。何を」  唇を強引に重ねられた。雅がもごもご抵抗していると、腕を後ろに回されて、ぎゅっときつく抱きしめられてしまう。  ところがその瞬間。みかの体が淡く発光したと思ったら、ぱちんと弾けてしまう。  丸い緑の球体が、仰向けのままの雅の上に浮遊していた。球体となったみかはそのまま降りてくると、すっと雅の胸の中に浸透していった。すると雅の疲労が完全に回復し、折れていた右肘が繋がっている。前よりも力が湧いてくるような気分がしていた。 「・・・・・・と、冗談はここまでにしといて、おめでとう、遠藤雅!」  どこからか、みかの声が聞こえてきた。 「これまでいくつもの戦いを勝ち抜いてきたごほうびだ。マサは夏休み中も、ずっと頑張ってたらしいからね、あたしの魂源力を貸してあげるよ!」 「なるほど、異能者の成長システムですね」と、みきが補足してくれた。 「これで、一回の戦闘に使える治癒の回数が『三回』になったね。あとは治癒を使ったときに、あたしのちょっとした特性が反映されるかな? なあに、オマケ程度の要素だよ。  じゃあ、マサ。後のことは頼んだよ? みきをよろしくね。みくを泣かしたら承知しないぞ! あたしは復活できるまでのあいだ、マサの精神世界でのんびり暮らしてるから、夢の中で会ったときとかあたしとイチャイチャしておくれ!」  立浪みかはそれだけ言うと、みきのアツィルト・ワールドから、その存在を完全に消失させた。 「姉さんは人懐っこいところがあるんです。まあ、半分冗談程度に受け取っておいてあげてください・・・・・」  と、みきが恥ずかしそうにそう教えてくれた。雅は「あ、そうですか、わかりました」と困惑しながら言った。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ帰ろうか。みくのところへ」 「はい」  みきが目覚めることを望んだ瞬間、アツィルト・ワールドはうっすらと白く包まれる。  夢から覚める。不思議な夢から覚める。それは七人の命を惨たらしく奪った悪夢であり、黒の自分に打ち勝って七人の命を解放した痛快な夢でもある。  戦士たちは夢から覚めて、現実へと帰っていく――。  一面に広がる青空と、潮風の吹きつける東京湾。  展望台に戻ってきた雅は日差しの眩しさに目をしかめた。すぐさまはっとして、辺りを見渡す。 「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」  みくがわき腹を押さえたままぐったり倒れていて、彼はびっくりする。みくは血塗れ仔猫の戦闘で負傷していたのだった。 「うわあああ、みく! しっかりしろ! もう大丈夫だからな!」  雅は早速、治癒魔法をかけてあげた。胸のうちに大きく膨らむ魂源力を、右腕を通じて手のひらから分け与える。患部にかざされた治癒の発光は緑色をしており、雅は少し驚いた。 「・・・・・・ぐぐ・・・・・・ぷはあ。重傷者の放置プレイとか、なかなかカゲキなことしてくれるわね、ご主人様ぁ・・・・・・?」  じとっとした目で睨んでいるみくに、雅はへこへこと平謝りをした。 「ゴメン。本当にゴメン。正直悪かった」 「あれ・・・・・・? あんた、瞳が緑色に光ってるわよ?」  え? と雅はぱちぱちまばたきをする。「ふふふ。まるでみかお姉ちゃんそっくり」とみくが言ったとき、彼はなるほどなと納得したのである。みかの魂源力がこうした形で反映されているのだ。  完全に回復したみくは立ち上がると、服に付いた砂をぽんぽんと叩いて払った。それから首をゆっくり左右に振って、心配そうにこうきいた。 「みきお姉ちゃんは、どうなったの? まさかまたいなくなっちゃったとか、そんなことないよね?」 「・・・・・・安心して。ほら、もうすぐそこまで来てるよ」  そして、みくは見た。目の前に白く光る球体が現れ、雛のかえる卵のようにひびわれて光が漏れ出し、ぱっと弾けたのを。  みくは笑った。笑いながら、金色の瞳を涙でいっぱいにした。  光の中から降りてきたのは、黒いドレスを着た少女だった。血塗れ仔猫と違うのは、穏やかな微笑をたたえつつ両目を瞑っていた点である。 「お姉ちゃん・・・・・・!」  みくがそう呼ぶと両目が開かれ、美麗なオッドアイが彼女を向いた。 「ただいま・・・・・・みくちゃ!」 「お姉ちゃあああん! んもう、バカああああああ!」  みくは三年前に一人ぼっちになってから、ずっと一人で戦ってきた。その道のりは決して平坦なものではなかったし、死にかけたことも何度もあった。与田から自分たちの秘密を明かされてから自分を見失い、大好きな相方と離れて旅に出たこともあった。  彼女は気丈でとても気の強い性格をしている。もともとそういう性格であったことは言うまでもないが、複雑な事情はいっそうみくをきつい性格に作り上げていった。彼女は姉がいなくても、しっかり独りで生きていかなくてはならなかった。  そのような苦労の時代も、最高の形で帰結する。みくはみきに抱きついた。三年ぶりの温もりに抱かれてひたすら泣いていた。甘える対象が帰ってきて、ようやく出すことのできた歳相応な子供の姿を、雅も温かく見守っている。 「いったいどこ行ってたのよお・・・・・・。ずっと、最後の朝食のこと、忘れられなかった・・・・・・。ばか、お姉ちゃんなんてきらい。だいきらい」 「ごめんね、みくちゃ・・・・・・。もうこれからはずっと一緒だよ。どこにも行ったりはしないよ。私と一緒にまた暮らしていこうね・・・・・・!」  午後の日差しに反射して、ゆらゆらと白い明かりが真っ直ぐ海に伸びている。それはまるで、これまで二人が歩んできた長い道のりを暗示しているかのようだ。そんな光景を背景にして、姉妹は強く強く抱き合っている。  こうして立浪みきは、三年のときを経て2019年、ついに復活を遂げたのであった。 「ところで・・・・・・」と、みきはおもむろに雅のほうを向いた。 「何でしょうか?」 「マサさんはうちのみくちゃとどういう関係なのでしょうか?」  どきっとして、雅は冷や汗をかく。「ただの友達です」と答えれば恐らくパンチが飛んでくる。「相方です」と言えば機嫌損ねる程度で丸く収まるかもしれない。何よりも大学生が小学生の子を指差して「恋人です」などといえるはずがない。 「マサはね、今年の春から一緒に行動している相方なの。まだこの島に来て少ししか経ってないっていうから、私が世話を焼いてあげているわけ。そうよね、マサ?」  案外大人なみくの対応に、あれこれ思案していた雅は拍子抜けしてしまった。ワンテンポ遅れてみきにこう答える。 「え、はい、そうです。改めまして、遠藤雅と申します。あの世界では色々と生意気言ってすみませんでした」 「嘘です。その腕輪と首輪が何よりの証拠です。本当はどういう関係なのか、お姉さんに教えなさい。今後そういうお付き合いをする際は、きちんとお姉さんを通してもらわないと困ります。わかりましたね、マサさん?」  と、彼女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。雅はどうしていいかわからず、たじたじになってしまった。 「お姉ちゃん、これからお姉ちゃんはどうしていくの?」 「私? えっとね」と、みきは頬に人差し指を当てた。「学園に帰りたい。私はどうやら成長が止まってて、今も十六歳のままみたいなの。だから、編入するとしたら高校一年生なのかなあ?」 「もう、お姉ちゃんのことを悪く言う奴はいないのかなあ・・・・・・」  と、みくが心配そうにしてぽつりと言った。  三年前、立浪みかとみきは「祖先にラルヴァの存在を確認した」という理由で『ラルヴァ』だというレイベリングを一部の学園生徒にされてしまった。一部の陰謀が働いていたとはいえ、自分の存在を否定された双葉学園にみきは復帰することができるのだろうか。 「大丈夫だよ。私は『ラルヴァ』じゃないよ。猫の力を使って戦う『異能者』なんだから」  と、みきは元気に言ってみせた。それを見た妹は嬉しそうに微笑んだあと、続いてこんなことを思い出す。 「あー、そういえば。七夕の夜に偶然会った人がいるの。ええとね、ぱっと見は私とほとんど変わらない女の子みたいなんだけど、学園の教師ですって言ってたなあ。私とお姉ちゃんのことを知っててびっくりしたんだけど、あれお姉ちゃんの知り合いなの?」  雅が与田に捕らわれて、救出に向かった七夕の夜。みくはとある人物と出会っていた。  春奈・C・クラウディウス。みくの話を聞いただけで、みきはその人が誰であるのかすぐにわかった。春奈は双葉学園高等部・1Bの担任であり、三年前のみきの担任でもあった。 「春奈せんせー・・・・・・」  彼女はしきりに自分のことを気にかけてくれた。与田光一の執拗な研究に付き合っていた頃、日に日にやつれて弱っていく自分のことをとても心配してくれていた。あの人のことだから、たとえ私が血塗れた悪魔になっても、こんな自分のことを気にしてくれていたに違いない。そう思うと、みきはぐすんと涙ぐんだ。 「早く、せんせーさんに会いたい」と、みきは言う。「早く春奈せんせーのところに戻って、元気な顔を見せてあげたい。目を背けたくなるような宿命も悪夢も、全部終わった。みんな私は終わらせた。私はできることなら、今の春奈せんせーのクラスに帰りたいと思っている。それが、一番いいよね・・・・・・?」 「そうだね、きっとその思いは叶うと思う」と、雅も同意してあげる。  とんぼのつがいが展望台を飛び回り、三人の目の前をくるくる舞った。暑い夏が終わり、双葉学園はこれから涼しくて静かな秋を迎えようとしている。  こうして、真夏の悪夢は幕を閉じたのであった。  &bold(){ここから先の物語を受け入れるかどうかは、読者にお任せいたします} 「これで全て終わったんだよね、マサ」と、みくがきいた。 「うん。みくも僕も色々あったけど、丸く収まって何よりだよ。もう少し、夏休みは一緒に遊びたかったね。土日とか二人で遊びに行こうか?」 「何バカなこと言ってんの! お姉ちゃんも加えてあげなくちゃ可哀相でしょうが、このバカ!」  ぴょんと飛んで、雅の頭にげんこつをお見舞いさせる。雅が「痛いなあ! 何も殴ることないじゃないかあ!」と、ふざけて怒鳴ろうとしたときだ。 「きゃっ・・・・・・!」  みきの悲鳴が聞こえて、二人ははっとして後ろを振り返る。  二人はみきが何者かによって頭を捕まれて、宙にぶら下げられているのを見た。  潮風にたなびく赤いマフラー。双葉学園の制服。  雅は驚愕して震えだす。  馬鹿な・・・・・・。  どうして・・・・・・。  どうしてこの男が・・・・・・何より「彼ら」がここにいる?  それはつまり、何を意味するのかというと・・・・・・? 「・・・・・・茶番は終わりだ、『血塗れ仔猫』」  醒徒会庶務・早瀬速人は、冷徹な視線をみきに突き刺しながらそう言った――。  &bold(){次回、第二部最終回。}  &bold(){この六話で切っても、シェアードワールド的には差し支えありません}  &bold(){要は最終話の展開を受け入れられるかどうかだと思います} ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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