【キャンパス・ライフ2+ 第5話「成長」】

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「おめーらマジで、コイツが人殺しだってこと知らなかったんだな」
 この壮絶な場に居合わせてしまった一年B組のクラスメートは、数えてほんの数人ほど。
 ファミリーレストランである程度勉強を終え、帰宅してしまった生徒たちはとても幸運である。なぜなら、立浪みきが『血塗れ仔猫』である真実を、知ってしまうことがないから。
「コイツはなぁ、ガキを七人もブッ殺した悪魔なんだぜ!」
 みきがぐっと青いロープを握り締めたのを、クラスメートたちは見ていた。
「んで、お前らどう思ってんだい? こんな人殺しとクラスメートやれんのかい?」
 オメガサークルの末端工作員・グリッサンドは嬉しそうにげらげら笑い、立ち尽くして動けない彼らに言う。「学園の品格を問われるぜェ!?」 
 みきは、自分の黒い影である血濡れ仔猫を倒すことによって、真夏の一件を乗り越えられたはずであった。そして醒徒会も理解してくれたからこそ、復学の願いもかなった。
 しかしこの場にいるクラスメートたちは、ついに真実を知ってしまった。
 立浪みきは「ラルヴァ」であり、血塗れ仔猫であること。
 立浪みきは、三年前に大きな事件を起こした犯人であること。
 立浪みきは殺人者であること。
 当然、これまでのような付き合い方はもう二度とできないだろう。彼らは、彼女らは、殺人鬼との接し方を自分で考える必要がある。
「倒せよ。殺せよ。まさか人殺しと知って、これからも仲良くするつもりじゃねぇよな?」
 グリスはクラスメートを煽る。彼は色々なことを妄想して、心を弾ませていた。
 クラスメートたちが、この場でみきを断罪するのを見てみたい。それこそ三年前みたいに。
 もしくはみきが暴走を起こし、再び島の人間を無差別に殺戮して、地獄へ堕ちていく過程を見届けるのも、非常に面白そう。
 あるいは怒り狂ったみきが自分に勝負を挑み、そして返り討ちにしてみせる。これなら猫娘を二匹まとめて組織に連れて帰れるし、何よりグリス自身が爽快だ。
「こんな物語に巻き込まれたばっかりに、災難だなぁ! お前らの親がどんな顔をしてんのか、マジで見てみてぇ!」
 完全勝利を確信していた。生意気なみきも、憎たらしい血塗れ仔猫も、どっちも不幸にして地獄のどん底に落としてやらないと気が済まない。
 形あるものを粉々にしてしまうのが、彼の生きがだい。それがかけがえのないものであればあるほど、壊しがいを感じて絶頂に至れるのである。命。きずな。安心。信頼。「愛」。そういったものをぶち壊すために生まれてきたのが、改造人間・グリッサンドなのだから。


 目の奥底が痛む。
 心の奥底にずっとしまってきた黒い意識が、みるみるうちに膨れ上がっていく。
 この男は生かしておけない。妹に乱暴をはたらき、クラスメートにひどいことをした。
 何よりもここまで自分を煽ってみせた下劣な愚か者を、見逃すわけにはいかなかった。
 殺す。殺してやる。この強姦魔は血祭りに上げてやる!
「お姉ちゃん・・・・・・」
 そのか細い声を耳にしたとき。両目が紅く染まりかけていたみきは、はっとして意識を取り戻した。
「クソ、目覚めやがったな!」
 グリスはそう言って、ばっと背後を振り向いた。天上から縄で吊るされている立浪みくが、うっすらと両目を開けて姉猫を呼んだのだ。
「みくちゃ」
 こんな醜い自分を見られたくない! それは激怒の感情を上回り、みきはすんでのところで黒い血の暴走を止めることができた。
怒ってはいけない。怒りに身を任せてしまったらいけない。
三年前のように、もう力に乗っ取られて暴れるわけにはいかないのだ。自分は害のあるラルヴァなどではなく、「猫の異能者」でありたいのだから。
 だが妹が語りかけたことは、みきにとって想像できなかった内容であった。
「こいつは倒して」とみくは言う。「こいつは触れちゃいけないことに触れた。バラしちゃいけないことをバラした。だからやっつけて」
「みくちゃ、今助けるから待ってて」
「私はこいつが許せない。だからお姉ちゃんも、もう怒っていいんだよ?」
「『怒ってもいい』? みくちゃ、あなた何を言って」
「うるせぇよ、お前ら」
 みきがロープを射出して、みくを宙吊りにさせている縄を切ろうとしたそのとき。
「ガキのほうは死んでしまえ――――――――――――――――――ッ」
 全身の皮膚を赤黒く変色させたグリスの胸元から、最大火力の一発が炸裂したのだ。
「み、みくちゃあ!」。グリスの非情な攻撃に、みきは顔を青くして叫び声を上げる。
「何でもいいからこいつをぶっ殺しちゃってぇ! お姉ちゃ―――――――――ん!」
 グリスの攻撃によって吹っ飛んでしまう直前に、みくは涙を撒き散らしながら、理解の遅い姉猫にそう怒鳴った。
 アツィルトを直接変換してひねり出された、膨大で強力な火力。それはもはや、バルカン砲のポテンシャルを凌駕した、想像以上の一撃を可能にした。みくの小さな体は閃光に呑み込まれると、轟音と共に消え去ったのであった。
 とんでもない力の発現により、B組のクラスメートは激しい突風にうめき苦しんだ。風紀委員見習いのクラスメート・神楽二礼は、立浪みくの姿が跡形もなくなり、反対側の壁に大きな穴が開いてしまっているのを、呆然としながら認めた。
「なっ!」
 魂源力を瞬間的に搾り出し、肩を上下させていたグリス。彼は、床に誰かが伏せているのを発見した。
「・・・・・・助かったぁ」
 そう、みくは両目をぱちぱちさせながら声を震わせていた。
 とっさのところでみくを救出し、床に伏せさせていた人物が起き上がる。彼女は一年B組の生徒などではなく、たった今、この場に現れた新たな乱入者であった。
「たどり着くまで手間取ったぞ・・・・・・!」
「て、てめぇは!」
 グリスは因縁の宿敵に、これ以上ない憎しみと呪いの念を込めて睥睨する。
 見た目は学園でもよく見られるタイプである、小柄で童顔の少女だ。しかし特製の靴の、かかとから展開されている大型の「鎌」。黄緑の蛍光色に浮かび上がるその禍々しい装備が、彼女を殺し屋たらしめていた。
 聖痕の殺し屋「ストライカー〝スカイラーク〟」だ。
「決着をつけよう。やはり貴様は生かしておけん! 絶対にだ!」
「スカイラ――――――――ク! どうしてそう、お前は何度も何度も俺の邪魔をするんだァ――――――――――――――――――――――ッ!」
 スカイラークはすんでところで、生命の危機に陥ったみくを救出してみせたのだ。聖痕はラルヴァをあがめる信仰団体だ。立浪姉妹を守るのは道理といえる。
 立浪みきは、巡るましく起こった一連の出来事を、硬直したまま眺めていることしかできない。
 また、自分は何もできなかった。無力だった。
 救いの手が伸びたのは非常に幸運だった。だが、みきが妹を守れなかったのは事実である。彼女はみくを救うことができず、結局のところ、死なせてしまったのも同義だった。
 どうして妹を守ることができなかったのか、みきはやっと本当の理由を見つけることができた。
 本気の力を出していないからである。
 みくの叫んだとおり、自分に秘められた力を引き出して、グリッサンドに襲い掛かればよかったのだ。グリスは絶対に許されるべきではない悪漢だ。悪は滅ぼされるべきである。どんな手を使ってでも。
 立浪みきは暴力が嫌い。出血が嫌い。争いごとが嫌い。だから血塗れ仔猫も大嫌い。あんな女は決して「私」ではない。
 でも、それでは愛する妹を絶対に守れない!
 みきは身を持って、自分のとんでもない弱しさを痛感したのである。
 ・・・・・・すっかり自分の戦いをメチャクチャにされてしまったグリスは、みきやみく、B組のクラスメートのことなどすっかり眼中にない様子で、スカイラークと戦闘を始めていた。たびたび邪魔を入れられた彼もまた、ここで彼女と決着をつけることを腹に決めていた。
「こっちを向きなさい!」
 ドカンという、床が砕ける音。青い鞭の先が床にめりこんでいた。
「弱い奴には用がねぇ! 邪魔するな!」
「いいえ。私の相手をしていただきます。あなたを引っかいてやらないと、気が済まない」
「ほんと、舌の根だけは乾かねぇ女だなぁ」グリスは激しい怒りのあまり、口角を吊り上げて笑っていた。「自分が誰なのかわかってねぇ弱虫に、俺様が負けるわけねぇんだよ!」
「私は血塗れ仔猫だよ」
「な」
 このとき、この場にいる全員が絶句した。時間が凍り付いて止まったかのような、緊張のはしった沈黙。
「あなたが言ったとおり、私は血塗れ仔猫。子供を七人殺した。今もB組のクラスメートとしてのうのうと生きる、呪われた女」
「お、お前・・・・・・・!」
 みきの力強い声は、クラスメートの耳にも十分届いていた。彼女はクラスメートに対しても、自分の立場をはっきり表明しているのだ。彼女はもう覚悟が決まっていた。
 みきにとって大切なことは、猫の戦士として胸を張ること。
 それも、口先だけの意味ではない。猫の戦士として胸を張ることとは、ラルヴァとして堂々とすることであり、血塗れ仔猫としてきちんと自覚を持つことを意味するのである。それらは川又ふみが教えてくれたことだ。
 すなわちそれが、本当の意味で「強くなること」であったのだ。
「もう二度と、争いごとから逃げない。宿命から目を背けない。あなたのような人を倒すためなら、私は残虐な化け猫にもなる!」
 みきのオッドアイが爆発したように激しく輝いた。


「あーっはっはっはっは! ケッサクだぁ――――――――――――ッ!」
 薄暗い建物の中が、真っ黒に塗りたくられた。みくもスカイラークもクラスメートも、驚きの表情をしたままぴくりとも動かない。そのような精神世界のなかで、みきと全く同じ姿・顔をしている呪われた黒猫が、豪快な爆笑を見せていた。
 クラスメートに殺人者であることがバレたうえ、頑なだったみきも、とうとうそのことを自覚したのである。血塗れ仔猫が復活してから目指してきたことが、いよいよ実現したように物事は見えた。
「とうとう認めたねぇ、立浪みき! そう、あなたはラルヴァなんだよ! 罪の無い七人の命を奪った殺人鬼『血塗れ仔猫』なんだよ!」
「・・・・・・そうだね。立浪みきは血塗れ仔猫だよ」
 みきはしっかりと血塗れ仔猫の赤い目を見て言った。すると、もう一人の自分も意地の悪い顔つきを止めて、きちんとみきのほうを向いてくれる。その瞳はどこか嬉しそうである。真面目な表情で、みきは血塗れ仔猫に語りかけた。
「私はとんでもない人殺し。七人の生徒をこの手にかけた」
「うん」
「その罪は永遠に消えないし、永遠に許されるべきではない。あなたがやったとか私がやったとか、そういう問題じゃなかった。私はそれらを永遠に背負っていく覚悟がある」
「うん」
「そして、凶暴な側面を持っている猫の種族。それも立浪みきの大事な要素であり、私たち姉妹の大切な要素」
「ええ」
「愛する人たち・・・・・・。みくちゃやクラスメートを守るためなら、私はどんな黒い鬼にでもなる。獰猛な猫になる。恐ろしいラルヴァにさえなれる」
「うん、それで?」
「二度とあなたを拒絶しない! あなたは私。私はあなた。凶暴な猫の血を怖がらずに、本気で戦うよ!」
 みきはそう、もう一人の自分にはっきり宣言したのであった。
「だから、血塗れ仔猫。私に力を貸して!」
 血濡れ仔猫の顔をまじまじと見るのは、これが初めてだった。見れば見るほど、自分に瓜二つだということがわかる。
 同じ人物だから当然のこと。みきは、こんな当たり前のことにも気づけなかった。封印したい呪われた過去に目を背けるのを止めて、彼女は、自分の犯した罪をしっかり直視する。
 黒いほうのみきは、うっすらと瞳に涙を浮かべていた。嬉しいのだ。
 本来なら人格が分裂することなど、ありえないことなのだ。みかもみくも、そのような事態に陥ることはなかった。みきが猫のちからの凶暴な一面を、極端に恐れて精神的に敬遠していたために分離してしまったのが、「血塗れ仔猫」である。
 自分のちからに自信を持てない。自分のちからを誇りに思えない。自分の力が怖くてしかたない。
 みきが三姉妹の中で一番実力を発揮できない理由は、こういった理由によるものであった。
「もう、絶対に弱音を吐かないでね? 自分がラルヴァであることに、猫の異能者であることに、本当の意味で誇りを持ちなさい?」
「ええ、約束する。もう一人の私」
 右手を前に出すと、血塗れ仔猫もすっと左手を差し出してくれた。それはまるで、鏡の中の自分とやりとりをしているかのように、全く同じような動きをして応えてくれる。
 両手が堅く結ばれる。二人はまったく同じ笑顔を見せる。真っ黒な世界がまっさらな光に包まれる。


「お前、それはいったい・・・・・・?」
 グリッサンドが、愕然としながらみきに問うた。
 青い両目がグリスを捉えている。邪悪なものをすべて焼き払ってしまいそうな、明るくて、深い色合いを見せる瞳になっていた。中途半端なオッドアイよりも、よほど力強そうで恐ろしい印象を与える。
 瞳の中の炎がゆらめきを見せた瞬間。グリスの顔面に鞭の先がめりこんだ。
「ぐはっ・・・・・・」
 回避行動も取れなかった。それぐらいみきは容赦せずに、相手の顔を狙って攻撃を仕掛けたのだ。グリスは意識が飛んでしまい、頭から倒れこんでしまった。
「よくも、みくちゃをひどい目に合わせたね」
 うつぶせのグリスに一発、鞭を叩き込んだ。肉体を叩く形容しがたい音が、大きく響き渡る。
「猫たちもみんなあなたに殺された。だから私はあなたを許さない」
 何と、自分の青い鞭をグリスの首に巻きつけた。生命の危機を直感したグリスは、恐怖に怯えた表情になって鞭を握り、首をへし折られないよう必死に抵抗している。そして、みきの青い瞳がひときわ強く輝いた。
 みきはグリスを鞭で拾い上げ、遠くにロープを渡すようにして彼を投げつけてしまった。グリスの大柄な体は壁に叩きつけられ、建物はがたがたと地震のように細かく揺れた。
 口から血反吐を撒き散らしながら、グリスはみきの突然の変化に強く困惑していた。
「何もかもが変わりやがった・・・・・・ッ!」
 鞭のスピード。パワー。そして、躊躇せず急所を狙ってくる「非情さ」。
 立浪みきは本当に、何かに目覚めてしまったのだ。それこそ、強さも殺意も血塗れ仔猫と同等なものに。
「冗談じゃねえ! 改造人間が雌猫なんかに負けるかよ!」
 そう怒鳴るとしっかり構えて、みきに銃口を向けた。そのまま力任せに、バルカンを作動させた。
 ガガガと真正面から襲い掛かってきた銃弾。しかし、みきはそれを一発一発、確実に鞭で打ち落としてみせる。粉々になった銃弾が、みきの足元にぽろぽろ零れ落ちる。
「ふ、ふ、ふざけんなぁ! 俺のバルカンが」
 たまらず声を荒げてしまった瞬間。みきはしなやかな跳躍を見せた。
(まさか!)
 そのまさかであった。グリスの弱点は「死角」である。つまり、後ろに回られると無防備なのだ。これは空き地で血塗れ仔猫も取った、当然の正攻法である。グリスは背後に、怒りに燃え上がる青い瞳を見た。
 みきは右手をすっと上げた。そして。
「ぐああ――――――――――――――ッ!」
 バリッという、何かが引き裂かれた音。グリスは絶叫しながら倒れてしまった。
 背中から鮮血が噴き出ていた。そんなグリスを、みきは非常に冷淡な顔で眺めている。頬に血液の雫がかかっている。自分の爪で、背中を深く切り裂いてしまったのだ。爪で引っかくという行為は、温和なみきが最も嫌った戦法の一つであったのに。
「あなたの汚らわしい血など見ても、何も感じない」
 ビッと、右手に滴る大量の血を払いながら言った。大ダメージを追ったグリスは、のた打ち回りつつ、圧倒的な強さで攻め立ててくるみきから離れようとする。
「その冷静さは何だってんだ! お前はいったいどうなっちまったんだ!」
「強くなったのかなぁ? どうでもいい。私はあなたを殺してやりたい」
 淡々とした口調の中に、尋常でない大きさの怒りを垣間見る。
 グリスは、おぼろげながらも気づくことができた。自分は余計なことをしてしまったのだ。異能を上手に使いこなせなかった姉妹最弱の立浪みきを、完全に覚醒させてしまったのだ。
 むきになって立ち上がり、グリスはみきに向かってこう大声をぶつけた。
「クラスメートの視線が、怖くねえのかよッ!」
「全然怖くない。もう隠すものなんて無いから、すごく気が楽になった」
「お前は人殺しだ! もう二度と楽しい学校生活を送れねーぞ!」
「全部私が悪いのだから、仕方ない。みんなに嫌われてもしょうがない」
「ラルヴァ扱いされて嫌じゃないのか! これから学園生に、三年前みたいなひどい目に合わされるかもしれねぇんだぞ!」
「私はラルヴァ。でも、だからって与田のような人たちにどうこう言われる筋合いはない」
 みきを弱気にさせるため、あらゆる手を尽くしてグリスは煽ってみせる。だが、もうみきには通用しなかった。
 彼女はついにラルヴァであることを自覚し、殺人犯であることを認めたのである。もう、彼女がびくびく恐れるものなど、何もない。素直に、率直に、自分に秘められたちからを憎き悪人にぶつけるのみ・・・・・・。
「これから殺人鬼として責められても、私は逃げない。どんな差別や暴力も、甘んじて受け止める。それが私の宿命」
 みきはニヤリと笑みを作ってみせた。血塗れ仔猫と大差ない表情に、グリスは心から恐れ慄いた。
「ところで癌細胞さん? あなたのほうは悪者としての宿命、受け入れる覚悟はある?」
 ヒュンと、みきの右手が真上に振られる。グリスがそれに気づいたときには、すでに彼の顔面に青い鞭が雁字搦めになってまとわりついていた。
「ぐ・・・・・・! て、てめぇ、何をする気だ」
「あなたも多くの命を奪った。まるで私みたいに。だから、あなたも甘んじて罰を受けなさい」
 青い両目がかっと光ったとき、みきの右手からありったけの魂源力が鞭に注がれ、グリスの顔面に襲い掛かってきた。
 迫り来る「死」を前にしながら、グリスは思わずこうつぶやいてしまった。
「テメェはいったい、何者なんだ」
 計り知れない大きさで押し寄せてきた、アツィルトの津波。グリスはそれをすべて、顔面で受け止めた。


 一年B組のクラスメートたちは、みきがグリスを無慈悲に痛めつけるのを見ていた。
 これが立浪みきの本性であり、本気のちからである。
 また、七人の生徒を殺してしまった過去を持つのも、立浪みきという人間である。
 その事実を知ってしまった生徒たちは、何を思い、どう受け止め、そしてどうこれから彼女と接していくのか。しつこく繰り返すが、彼らは今一度、それを自分で考える必要がある。
 みきはゆっくりと、仰向けになって動かないグリスのところに向かっていた。魂源力を流し込んで、そのまま彼に叩き込んだのだ。空き地でやられた小技をそのまま、彼に対して喰らわせてやったのだ。
「私は猫だよ?」
 その声を聞いて、グリスはヒッと悲鳴を上げながら、焼きただれた顔面をみきに向ける。
 みきの両目が、まるで血のように赤くなっていた。人格が「血塗れ仔猫」に入れ替わったのだ。血塗れ仔猫はにまにまと、いつもの意地悪な笑みを浮かべている。
「弱虫みきはね、ようやく猫の戦士として覚醒したの。醜いラルヴァであることや、大きな罪を自覚して受け入れることこそが、彼女の成長する条件だった」
「ここまで強いとは・・・・・・ッ!」
「すなわちそれは、私『血塗れ仔猫』を受容すること! 私をわたしとして認めること! あなたはその手助けをしてしまった!」
 きゃはははははバカみたいと、目の赤いみきは無邪気な笑い声を上げた。
「今のみきは、私なんかよりもよっぽど恐ろしい。冷静にあなたを殺そうとしてる」
 分裂した人格は、もう一つにまとめることはできなかった。みきは強くなったが、何も本来の優しさを忘れてなどはいなかった。あえて血塗れ仔猫に人格を切り替え、グリスと話をさせているのも、みきの心遣いである。
「私はあなたを絶対に許さないよ。猫を虐める奴は化け猫に呪い殺されちゃえ。それが私たち猫の血筋の、もともとの役割。あんたたち科学者ごときに扱えるような代物じゃないんだよ、馬鹿にしないで!」
 満足いくまでしゃべり倒した血塗れ仔猫は、勝ち誇った笑顔のまま両目を閉じる。次にまぶたが開かれたときには、もとの青い瞳に戻っていた。みきはもう一人の自分に続き、こう言う。
「そしてその力を、私は愛する人たちのために使う。守りたいものを守るために使う。姉さんだってみくちゃだって、そうして恐ろしい力と付き合っていた」
 グリスは力の入らない足腰に渇を入れながら、どうにかして何とか立ち上がることができた。彼だって人造人間としてのプライドがある。人をさらい、傷つけ、殺すために造りかえられた工作員として、ここは絶対に引けない。ここでみきに負けてしまったら、自分は何のために人生を捨てて、改造させられてしまったのか・・・・・・。
「守りたいものを守る力が、私にもある。たとえそれが呪われたものでもね」
「調子に乗るな・・・・・・。この俺様を、倒した気でいやがって・・・・・・」
 大型のバルカンを、自分の改造人間としての象徴を、みきに向ける。体中からアツィルトを集め、胸元に集中させた。一方、みきは凛とした表情で右手にロープを持った。
 グリスの目が白く光っている。全身の筋肉が盛り上がり、血管がどくどくと波打っている。残っている全ての魂源力を、バルカンの火力に変換するつもりなのだ。過剰に力を使いすぎて、自分の身がどうなってしまうのか、もう想像もつかない領域に彼は到達していた。
 みきも決して気を抜かずに、鞭を握る力を強めて構えていた。魂源力が鞭に行渡り、瞳と連動してコバルトブルーに輝いている。
「俺様はオメガサークルの工作員・グリッサンド様だ! ムカつくものはみんな粉々にブッ壊してやる!」
 彼は野獣のように猛々しく吼え、展開できる限りの大火力を、バルカン砲をつたって一気に押し出したのである。
 ところが。
「終わったな」
 みきの戦いぶりを見守っていたスカイラークが、実に落ち着いた口調でそうつぶやいた。
 グリスはとんでもなく間抜けな顔になっている。自分が勇ましく吼え終えたときには、すでにみきの鞭が自分目掛けて飛んできているからだ。鞭の先端は、バルカン砲の穴にすっぽり突入してしまった。
「馬鹿な」
 次の瞬間、彼の体は激しい閃光に包まれた。鞭が砲身に詰まり、行き場を失った火力が爆発を起こしたのだ。
 この大暴発でグリスはあっけなく自爆し、致命的なダメージを負った。
「言ったでしょう? 私はもう、どんな残虐な手も使うって・・・・・・」
 青い鞭を手繰り寄せながら、みきは静かな声でそう言った。


 みきは鞭を消去すると、ゆっくりとクラスメートの方を向いた。
 一年B組のクラスメートは、びくっと肩を震わせる。そして誰もが無言のまま、この建物から出て行ってしまった。神楽二礼も「え、えーと。待つっすー」と、いつもの調子で言いながらクラスメートを追いかけていった。
 正直言って悲しかった。しかし、いつかは起こりうることだったのかもしれない。
 あの過去のことは、いつまでも隠し通すわけにいかない。自分のような殺人者と一緒にいること自体が、異常なのだから。彼らだって彼らの意見はあり、自分のような害悪ラルヴァと共にいることに関して、立場を表明する権利がある。
 みんなこれから、どのようにして自分と接してくれるのか? それは、明日になってみないと分からない。自分にとって、これからまったく新しい日常が始まるのだと、みきは思っていた。
「がああ・・・・・・! あの雌猫めぇええ・・・・・・!」
 開きっぱなしになっているドアのほうを、寂しげにじっと見つめているみきに、グリスは言った。
 自慢のバルカン砲は爆発して失われ、もう跡形もない。撤退しか選択肢が残されていなかった。禍々しく歪んだ顔で、彼はみきに呪いをかけるようにつぶやいている。
「次だ・・・・・・! 次は絶対に、アイツを蜂の巣に」
「ねね、おにーさん」
 不意に呼ばれて、グリスは後ろを振り向く。
 とても可愛らしい小さな女の子が、にこにこと八重歯を見せていた。彼女はキッと瞳を黄色に輝かせると、こう言った。
「あんたの腹パン、ちょー痛かったわよ・・・・・・?」
 みくは右腕を引くと、そのまま思いっきりグリスのわき腹に、グーをぶちこんだ。
 グリスは豪快に吹き飛ばされ、壁を突き破って隣の部屋に突っ込んでしまった。
 こうして立浪姉妹は、オメガサークルの手先を撃退することに成功したのである。


「ねえ、みくちゃ?」
「うん、なぁに? お姉ちゃん?」
「自分のちから・・・・・・。怖いと思ったことない?」
 住宅の塀を、平均台の上を歩くようにして進んでいたみくに、みきはきいてみた。
「はっきり言って、怖かった」
 くるんと前転しながら、みくは路上に着地する。そして、にかっと明るい笑顔をみきに向けてこう笑い飛ばした。
「今は、マサがいるからへいき! 私はマサを守るために戦う飼い猫なんですもの、ふふ!」
 首輪の鈴が、しゃらんと鳴る。みきもふっと微笑んで、妹の言動に応えてあげた。
 と、同時に自分の至らなさを実感して、ひっそり恥じていた。
 守りたいものがあって、守りたいものを守るために、自分のちからを使う。みくは自分を遠藤雅の飼い猫だと自覚することで、凶暴なラルヴァである負い目を克服してみせたのだ。
 自分なんかよりもよっぽど立派だと、みきは苦笑してしまった。みくの小さな背中に、偉大な姉猫の影を見る。みくちゃは姉さんに似たんだな、と彼女は思った。
『フン。これで平和な日常が訪れるとか、思っちゃやぁよ?』
「あら、どうしたの?」
 そして頭の中で繰り広げられる、もう一人の自分との会話。
『私は血塗れ仔猫。七人の子供を殺した呪われた化け猫。絶対にあなたを乗っ取って、島のみんなを殺しちゃうから! 春奈もボロボロのズタズタに』
「ふふ。そんなことは、私が許しません」
『なっ』
 血濡れ仔猫はびっくりして、その口を塞がれてしまった。
「あなたは私が倒したじゃない? 私の体は、あくまでも私のもの。あんまり調子に乗ると、二度と表に出してあげないよ?」
『あらまぁ、すっかり強くなっちゃって・・・・・・。何もそこまで言うことないじゃないっ』
 そう、ふてくされた様子で言った。不意に、あの黒猫がほっぺを膨らませてそっぽを向いた様子が目に浮かんでしまい、みきは思わず笑ってしまった。
 人格が分離してしまったのは、もう仕方がない。元に戻しようがない。永遠に、みきは自分の分身と付き合っていく宿命にあるのだ。自分の罪や過去が、いつまでもついて回るのと全く同じこと。
 みきはみきであり、血塗れ仔猫は血塗れ仔猫であることも事実。
 しかし、みきは血塗れ仔猫であり、血塗れ仔猫はみきであることも、また真実。みきはそのことをきちんと把握しているから、もう二度と商店街や保健室のときのような、おかしな違和感に頭をひねることもないのである。
「あなたのこと、何て呼ぼうかな?」
『は? 突然何言い出すの?』
「だって、あなたのことを特別に、血塗れ仔猫って呼びたくないもの」
『どーしたのー? 力がみなぎりすぎて、お馬鹿になっちゃったのー・・・・・・?』
「ミキって、呼んでいいよね?」
 みきがそうきいた瞬間、血塗れ仔猫は完全に黙ってしまう。
 それから、少し間が空いて。
『・・・・・・勝手になさいっ』
 そう、またもふてくされたような声が帰ってきたのである。
 みきがそう呼びたい理由は、きちんとある。二度と、彼女のことを忌々しいものとして、拒絶したくないからだ。そのような弱い性格のせいで、彼女はマイクの父親を惨殺してしまい、三年前の事件を起こしてしまい、姉猫を亡くし、挙句の果てには学園生を七人も殺してしまった。みきはもう、そのことがちゃんとわかるのだ。
「よろしくね、ミキ」
 これまでのひ弱な自分自身と決別するかのように、みきはそう言った。
「お姉ちゃん? さっきからなんでニヤニヤしてるの?」
「何でもないよ、みくちゃ。それより、これから屋根飛び競争する?」
「うん! やろっか!」
 二匹の仔猫は同時に跳躍し、民家の屋根に上った。


 みきはこのようにして、自分に秘められた強さに目覚めたのであった。
 しかし、みきが直面しなければならない『事実』『試練』。
 それは「もう一つ」あることを忘れてはならない。


 立浪みきに、幸せになる権利などないのだ。
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