【虹の架け橋】

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 らのらの
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***夕方ごろのお題「虹」より



 虹の色のように表情のころころ変わる、元気な女の子がいた。
「いぃーお天気だあ! 今日は学校終わったら、みんなで遊ぼうよぉー!」
 そう、三年生の名札をつけた少女は言った。列を乱し、路上で遊び始めた彼女らに対して、六年生の先輩が「こらぁ! 遊んでないでちゃんと並びなさい!」と怒る。
 二重まぶたのかわいいこの子は、名前を森田虹子《もりたにじこ》という。表で遊ぶことが大好きな女の子で、もう登校途中の段階からすでに、今日の終業式のあと何をして遊ぼうか、心を弾ませていた。
 薄めのまだら雲も白く際立つ、晴れ渡った朝だった。すずめの鳴き声を楽しんでいたとき、ふと、友人の中里郁美《なかさといくみ》が握っているピンクの雨傘が目に付いた。
「あれえ、いくみちゃん。どうして傘なんて持ってるの?」
「にじちゃん、今日、雨振るってテレビで言ってたよ?」
 虹子は首を傾げた。寮暮らしだからテレビはほとんど見ていないし、雨が降るなんて誰も言ってなかった。目をぱちくりさせて、こう言う。
「こんなにいいお天気なのに? 今日は雨なんて降らないよ。なんとなくそう思う」
 おしゃべりに夢中な彼女らを、集団登校の班長が再び一喝した。

   ∴

 双葉学園・初等部の終業式は、大きなトラブルもなく無事に終わった。
 春先に高等部の入学式が強襲されてしまったこともあり、現場は異能者の教員たちが厳重に警戒するという、強い緊張感が走っていた。
 無論、異能者の卵であるこの初等部の子供たちには、そのような大人の事情などは関係ない。退屈な校長の話を無視し、よそ見をしたり友達どうしでしゃべっていたり、みんな好き勝手やっていた。
 午前中で全ての行事が終わり、いよいよ子供たちが待ちに待っていた夏休みは始まった。
 その後、男子たちが校庭でポコペンをしていたので、虹子も郁美を巻き込んで参加を表明した。植木鉢やらお道具箱やら、全てその辺に放ってから、男子の輪に乱入する。
 このアクティブな少女に対抗心を燃やしたのが、スポーツ刈りの野球少年・朝倉太陽《あさくらたいよう》だった。

   ∴

 じゃんけんに負けた太陽は、真剣な眼差しで校舎の壁に手を着いた。
 鬼は、隠れている人を見つけたら名前を呼んで壁にタッチをする。そうすることで、その人を「捕獲」できる。全員の捕獲に成功したら、晴れて鬼の役目は解け、最初に捕まった者が新しい鬼となる。しかし、他の人によって壁をタッチされてしまったら捕虜は解放となり、再びゲームは降り出しに戻ってしまう。ほぼ缶ケリと同じゲームだ。
 しかし、太陽にとって本当の敵は虹子であった。こういった遊びにおいて、彼はいつも彼女によって「敗北」という辛酸を舐めてきた。
「アイツのあの能力は、反則すぎるんだ!」
 十を数え終え、ぐるりとフィールドのほうを向きながら、心の中でそう言った。勝負は始まった。
 太陽は、運動神経のかなり良い少年である。まず鈍臭い男子が続々と釣れていき、ひとつの難関であった、同じ野球クラブの友達との真剣勝負もぎりぎりのところで太陽が勝った。牽制球でランナーを刺すような集中力や瞬発力が、この日の太陽は一段と研ぎ澄まされていた。
 男子はあっという間に全員捕まり、ついでに郁美も難なく捕まえた。残すところは、宿敵・虹子のみ――。
 白い塊を何重にも積み重ねた入道雲が、汗をびっしょり流す小さな太陽を見下ろしている。航空機の音がうるさいセミの声をかき消して、轟然と聞こえてきた。
 既に捕まってしまった友人たちは、必死な太陽とはうってかわって非常に退屈そうにしていた。この息を呑むような大勝負に、まるで興味を示さない。
 それを気に食わなく思った太陽は、とうとう勝負に出る。壁から大きく離れ、虹子をおびき出そうとしたのだ。
(かけっこに持ち込めれば、俺は勝てる!)
 校舎のあたりには、どこにも隠れる場所はない。せいぜい校舎の陰から鬼の隙を突いて攻め込んでいく手段があるくらいで、そのような作戦を取った輩は、苦労することなくすでに返り討ちにしている。こうして離れてみることで、校舎の陰には誰もいないことがわかった。離れてしまっても差し支えない。
 それでも、壁から距離を取る行為は博打に等しい。太陽は集中し、いつ、四方八方から虹子が登場してもいいように、待ち構えていた。
 現れない。
 それでも虹子は現れない。
 とうとう、太陽の忍耐が限界を迎えた。
「くっそお! どこにいやがる森田虹子ぉー! いい加減大人しく出てきやがれぇ!」
 太陽はむきになって、遠くに位置するプールまで走っていき、その物陰を調べる。もう、そこしか隠れられる場所は考えられなかったのだ。
 ところが、それが勝負の分かれ目になってしまった。
 随分と遠くまで来てしまった太陽は、校舎の方を振り返って言葉を失う。
「えへへー、いっくよー!」
 虹子の声が、青空に高く響き渡る。彼女は校舎の屋上にいたのだ。
 白い雲に指差して、彼女はその場でくるりと右回りを見せる。すると、指先からシャワーのように、大量の粒子が涌き出てきたのだ。
 キラキラと輝きだしたプリズムは、やがて一本の「虹」をつくる。「虹」はくるくると螺旋を描いて、鬼のいなくなった壁へと到達した。
「しまったああああああ!」
 絶叫と共に、太陽がこちらへと走ってくる。そんな彼に虹子はにっこりと笑顔を向けて、虹の滑り台をくるくる降りていく。
「はい、たーっち!」
 大歓声と共に、捕虜が散り散りに逃げていった。そんな「敗北」を目の当たりにした瞬間、太陽は屈辱のあまりその場で崩れ落ち、仰向けに倒れて込んでしまった。

   ∴

「くっそう・・・・・・! 反則すぎるんだよあの力!」
「ありゃあしょうがないよ。朝倉はよく頑張ったよ」
「鬼ごっこのときもあれで逃げ切られた! あいつ公園の池に、あの虹の橋かけやがって逃げたんだぜ? 俺がそれに乗って追いかけたら消しちまうし! おかげで溺れて、めっちゃひどい目にあった!」
 友人たちと下校していた太陽は、なおも悔しそうに大声を上げる。すると、他の連中がくすくすと笑い出した。
「お前は本当に、虹子に関しては一生懸命だよなあ!」
「あ、やっぱり太陽は虹子のこと好きなんだ? ひゅーっ」
「て、てめえ! 誰があんなノーテンキな女と!」
「赤くなってるぞ朝倉ぁ、ああもう、お前、いつ告るんだいー?」
「知ってるか朝倉。森田もな、朝倉のこと好きなんだぜ?」
 それを聞いた瞬間、太陽は思わず立ち止まってしまう。小さな心臓が飛び跳ね、顔から火が出たのを彼は感じていた。
 池に落とされたとき、虹子は溺れる太陽に向かって橋を架けてくれた。自分に差し出してくれた小さな手と、眩しい笑顔。虹の架け橋。それだけで、彼の心は全て持っていかれた。
 そんな思春期特有の純真さでいっぱいな少年の顔に、友人はこうひどいことを言った。
「嘘だよ。バーカ」
「・・・・・・てんめぇえええ!」
「ぎゃあー、キレた! 朝倉がキレたぁ!」
「逃げろお前ら、ボコボコにされんぞ!」
 住宅街の細い道の真ん中で、太陽は怒りの咆哮をあげながら、ふざけた嘘をついた男子の襟首を捕まえ、投げ倒し、ボコボコに蹴った。
 そんな火照った頬に、冷たい雫が落ちる。
 雨だった。

   ∴

 虹子は小学校の昇降口で一人、止まない雨を見つめていた。
 郁美の言っていたことは本当だった。入道雲は徐々に黒へと変色し、大粒の雨を島に流し込んだ。
 終業式の日までに持ち帰らなかったお道具箱を濡らしてしまうわけにはいかない。一人寂しく、足止めをされていた。
「私の力で、寮までひとっ飛びできたらなあ・・・・・・」
 そう、無力な指先を見て彼女はため息をつく。こう雨が降っていては、虹子の力「レインボー・ロード」は行使できない。「光」がないと無理なのだ。
 不意に、泣き出しそうなぐらい寂しい気持ちになる。こうして実家を離れて寮暮らしを始めてから、もう二年半の時が過ぎていた。
 母親は虹子が産まれたときの話を、いつも喜びながらしてくれた。指先に七色のテープのようなものを巻いてあなたは産まれたのよと、虹子は聞いている。
 やがて、虹子は親元を離れ、双葉学園に入学することを選択する。「自分の力で世界じゅうにキレイな虹をかけたい!」そう、幼稚園で虹子は短冊に願い事を書いていた。
 それでも寮暮らしを始めたときは寂しさのあまり、連日泣いていた。これは親友である郁美すら知らない事実である。
 よく晴れた日曜日には、いつも実家の母親、父親、兄、飼い犬のウエサマ(松平健似なので)たちのことを思い浮かべながら、指先から虹を出してみた。
 遠く離れた家に向かって小さな虹を投げているうちに、虹子の能力は着実に成長し、今では具現させた虹の上を歩くことができるぐらいに、強固でしっかりとした力になっていた。クラスメートの誰もが、その素敵な力に憧れた。
 皮肉にも、家族を思う孤独な気持ちが、あの見るものを魅了する鮮やかなレインボー・ロードを育てたのだ。
「今、お母さんたちどうしてるのかなあ・・・・・・うう、おうちに帰りたいよぅ・・・・・・」
 あと数日経てば、帰省も許される。しかし、真夏の雨雲が少女の心を覆い尽くしてしまい、その頬を塗らしてしまう。虹子はぎゅっと植木鉢を抱きしめて、一人すすり泣いていた。

   ∴

「やっぱりここにいたのか。傘持ってないの、見てたんだぜ」
「太陽くん・・・・・・」
 彼はたまらず目を逸らす。虹子の泣き顔を直視できなかったのだ。ぼんやりと雨に霞む小等部の校門を見つめながら、とりあえずこう言った。
「雨、止まないな」
「止まないね」
 会話が途切れてしまう。もじもじと、今度は自分のスニーカーを見つめ始めた太陽に対し、虹子がこうきいた。
「傘、入れてくれるの?」
「・・・・・・誰が、お前なんかと、相合傘なんて」
「いじわる」
「・・・・・・!」
 その一言で、照れ屋の太陽に何かの決意がついたようだ。
 彼は黒いランドセルをその場に放り投げる。傘も差さず、大雨を全身に浴びながら、彼はまっすぐ手のひらを天に差し出す。分厚い雨雲に向かって右腕をしっかり上げる。
「どうしたの? 何してるの? 濡れちゃうよ?」
「いいから黙って見てな」
 灰色のシャツが、べっとり黒く濡れてしまう。顔面を打ち続ける大粒の雨に耐えながら、太陽は濃厚に渦巻く雨雲に向かって手を伸ばし続けた。
 すると、奇跡が起こる。
 雨雲が切れ、光が差してきたのだ。
「わあ・・・・・・」と、虹子はその力に見ほれていた。
 太陽は歯を食いしばって、なおも異能力で雨雲をどかそうとした。木漏れ日のように差してくる一筋の光が、何本も何本も降り注いできた。まるで悪しき強大な存在が、正義の力を前にしてばらばらに解体していくような光景である。太陽は晴れない彼女の心に、温かな光のシャワーを浴びせた。
 やがて、島を覆い包んでいた雨雲はきれいさっぱりなくなってしまう。真夏とは思えない涼しい風が吹くと、朝顔の葉から雫がひとつ零れ落ちた。
「すごい・・・・・・すごいよ太陽くん! こんな力、始めてみたよぉ!」
「俺は、こうして雨を晴れにする力があるんだ。まだまだ上手にコントロールできないけど、すげえだろ?」
 うん、うんと虹子は何度も首を縦に振った。
 力を使い切った太陽は、その場に座り込んでしまう。「ちょっと疲れたわ。多分、数時間ぐらい経ったらまた降っちゃうだろうから、お前は早く帰りな? そんなにたくさん荷物を抱えてるんだから、また降り出して途方に暮れても、もう知らないぞ?」
 虹子は立ち上がった。植木鉢を昇降口の脇に置き、お道具箱の入ったキルティングの袋だけを肩にかける。
「ま、植木鉢はあそこに置いてけばいいよ!」と、笑顔を取り戻した虹子は言った。
「おいおい・・・・・・」と、太陽がため息をつく。「なーんのために、俺は太陽呼び寄せたんだか。持っていかないと、あとあと先生に怒られるぞ? せっかくその左手が空いてるんだから、」
 そう言いかけた太陽に、その小さな左手が差し出された。
「私は太陽くんと一緒に帰るから、いいの! ほら、立って!」
 青空に映える笑顔を前に、彼の頬が真っ赤になる。手と手を取りあうと、虹子は右手の人差し指をある方へと向け、ドンとさした。
「寮までかかれぇ! 虹の架け橋!」
 すると、足元から遠くのほうに向かって巨大なアーチが具現した。伸びやかに青空へと飛び上がり、天頂を掠め、寮までと続いていく。雨上がりの優しい陽によって、虹子のレインボー・ロードはっきり・くっきりと鮮やかな色を放っていた。
 双葉学園を取り巻くこの島に、大きな大きな虹がかかった瞬間であった。授業中の高校生たちも、執務をしている醒徒会会長も、中華鍋を振っている苦学生も、猫と遊んでいる風紀委員長も、誰もかもがうっとりと目を奪われていた。もちろん彼らは、それが初等部の少年・少女の異能が生み出してみせたものだということを知らない。
「さ、行こ? 私と一緒に帰ろ、太陽くん」
「すげえ・・・・・・。今まで見たことない、すごいの出したもんだなあ・・・・・・」
 そう太陽が呆けていると、虹子は恥かしそうにこう言う。
「太陽くんが私に光をくれたから、私は大きくてきれいな虹をかけられるんだよ・・・・・・」
 彼はいっそう、顔を強く赤らめた。

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