【鉄の心は揺るがない-第弐話_2】

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 暗い洞穴の中で敬はゆっくりと目を覚ました。
「う……いってぇ……何だここ?」
 敬は辺りを見回すと自分が大きなトンネルの中にいる事に気づいた。
コンクリートで固められたトンネルは明らかに人工的な物で幾つかのケーブルがトンネルの奥まで敷設され、所々には配電盤が設置されている。
ここは双葉各区に設けられたインフラ整備網の一つで、地上に配備された一般電線では賄いきれない、
企業や公的機関の電線、また一部機関の通信ケーブルや、リアルタイムで下水道の水位や水圧の情報を各情報施設に送る為の下水道情報採取設備でもあった。
「おい、爺さん。大丈夫か。ケガは無ぇみたいだけどどっか打ってて目の前でご臨終ってのは勘弁だぞ」
「んむぬ……言うてくれるわィ……こちとら百戦錬磨の武人じゃぞ。そうそう簡単にくたばるタマじゃないわ」
 両肩を強く揺すると鉄蔵はゆっくりと目を覚まし、憎まれ口を叩く。そんな事を言う元気があるなら大丈夫だろうと敬も安心した為か大きく息を吐いた。
「元気そうでなにより。それよりトンでもない所まで着ちまったみたいすよ。なんだここ?」
「ここは……双葉区大規模インフラ共同溝じゃな。直接的に整備するのはわしの仕事じゃないんじゃが、
地区ごとの整備に必要な業者の入退室管理はわしがやっとるから知っておるぞ。
ただ、各地区は蛇の目のようになっておって、さながら現代の大迷宮……ってとこかの」
「その迷宮を上手いこと使って逃げようって魂胆なのかね。意外に頭が回るじゃねぇか。鉄クズラルヴァのクセによ」
「今回は頭に血が上ってたわしもそうじゃが、余り怪異を侮らん方が良い。腐っても怪異じゃ。程度の差はあれど奴らは人を襲い、殺す事に躊躇せんモンが多い」
「そんなモンすかね。まぁ目下の所、とりあえずは地上への出口を探した方がいいかもしんねーな」
「大将は双葉学園の学生さんじゃろ。生徒手帳でどうにか外部と連絡はとれないのか?」
「あー。生徒手帳は屋台の中すね」
「そうか、そいつぁ困ったのぅ。とりあえず共同溝に設置されとる非常用の電話で助けを求めるしか無いかの」
「それが一番手っ取り早そうすね」
 鉄蔵も立ち上がり、ジャージに纏わりついたコンクリートの破片を両手で払い、はたと立ち止まり辺りを見回す。
「……はぐれたか」
「ん? ああ、刀に変身したペットの柴犬すか。俺が気がついた時、辺りには見あたらなかったすね」
「まぁ、ペットというよりも相棒……どちらかというと家族じゃな。まぁ、あいつなら心配無いじゃろ。わしよりも頼れるやつじゃ。自力でどうにかして地上にでとるじゃろう」
「そうすか。それだったら余程あちらさんと一緒に落下した方が……いや、何でも無いすよ。ほら、そんな泣きそうな顔しないで下さいよ、冗談すよ冗談!!」
 いい歳をした老人は鉄の様な心を持ちながらも、案外ナイーブな精神をも持ち合わせているのだった。

 トンネルを等間隔で照らすライトは、どこまでも続くのでは無いかと思わせる程に長く続いている。
心許ない明かりを当てにしながら、薄暗く続く道の何処かにある緊急連絡用のライフラインを探し敬と鉄蔵は歩いていた。
「緊急用の電話無いすね」
「無いの」
「本当にあるんですかね」
「一応、ある、はず、じゃ」
「なんでそこで言葉に詰まるんですかねぇ!!?」
「あった、はず、じゃ……」
「頭痛くなってきた……」
 拍手敬は片手で額を押さえながら嘆息する。
「そういや、あの柴犬も異能、だと思うんすけど使えるんすね。動物が異能使うなんて初めて見たんで割と新鮮というか何というか」
「ケンゾーの事か。まぁ、なんじゃ。色々あってわしの元におるんじゃが、あいつの家系には何度も助けられたもんでの」
 薄暗いトンネルの中で二人は歩みを進めながらも会話を続ける。
「へー。家系って事はもしかして柴犬のパパママも異能使えちゃったりしたり」
「ママは無理じゃがパパは使えちゃったりしたんじゃな。
まぁ、異能に関して言えばあいつの曾祖父が一番魂源力があったんじゃなかろうか。
今はあいつにわしの隠居生活のお供をしてもらっとるが、まさかまた怪異との闘争に駆り出されるとはアイツも思いもよらんかったじゃろうな。
禄《ろく》でもないジジイじゃよ。ワシは」
 言葉を続けるうちに鉄蔵の声は消沈する。その表情からは何も伺い知る事はできなかったが、敬は言葉の端々からどこか落ち込んでいる用に感じた。
「事情はよく知らねーけど」
 思い立ち、トンネルの天井を見上げる。
「そんな事ないんじゃないすかね」
投げやりではあるが、はっきりとした声で敬は否定の言葉を告げた。
「さっきだってあんなに息が合ってたじゃないすか。ご主人様が一声上げただけで、その意志を汲み取って動くなんて並の絆《きずな》じゃできやしねぇ。
少なくとも、それってよっぽど相手を信頼してないと無理なんじゃねーかな」
 こめかみを人差し指でかりかりと掻きながら、眼前に広がる暗闇へと言葉を投げる。
微かな明かりに照らされた敬の顔は仏頂面ではあるものの若干気恥ずかしそうにしていた。
「そうか、──そうじゃな」
鉄蔵は眉尻を下げながらもその口元は微笑を湛えていた。

 歩みを進めていた敬と鉄蔵は不意に立ち止まる。等間隔で続いていたライトが何メートルか先で途切れており、
そこから深い闇が黒色のカーテンのようにトンネルの奥を覆う。
 しかし、その闇の中に何者かが潜んでいる気配。眼前の暗闇に紛れながらも覆い隠す事のできない、強烈な存在感を漏らし続ける黒色の何か。
広く大きいトンネルの中央にその存在は確かに在った。
「何モンだ、姿見せろよ」
 拍手敬は相対する何かの動きを逃さぬように目を細め、その横で国守鉄蔵も陰に潜む相手の出方を伺う。
何者かは無言のままだ、暗闇の中では何かがぶつかり合い、がしゃり、がしゃりと何者かの歩みであろう音が響きわたる。
張りつめた空気のまま、何者かは灯りの下に姿を表した。
 人工の光に灯され姿を表した人物は筆舌しがたい様相の童女。首元まで伸び、黒耀石のような艶を放つ黒髪。
胸元を隠す様に何重にも巻かれた晒し木綿。
様々な意匠の鞘に収まった刀や剥き身の太刀は日本鎧の草摺《くさずり》の様に何本も腰に巻き付けられており、その隙間からは朱色の袴が見え隠れしている。
背中からは二対の鉄槍が伸び、それに幾重も括りつけられた刀という名の羽根、それはさながら刀で造られた鷹の翼。
「な、何だコイツ……」
 その姿を目の当たりにした国守鉄蔵は喉を慣らし、呻く。
「貴様……”刀狩り”か……」


「我を懐かしき名で呼ぶ者。汝《なれ》は誰ぞ」


 一歩二歩と鉄蔵に歩み寄る刀狩り。鉄槍から生えている羽根は、鞘同士がぶつかり耳障りな音を辺りに響かせる。
「長いこと会っとらんかったからワシの見分けもつかなんだか。
昼夜問わずに鬼切《おにきり》を寄越せとワシの尻を追いかけ回して来たのは何処のどいつじゃ、このうつけが」
「汝《なれ》は護国の鬼か……落ちぶれたものだ。鬼切を模した刀で満足する様な下郎に用は無い。去ね」
 刀狩りと呼ばれる童女は面白くなさそうに吐き捨てる。
「そんな事は今更言った所でどうにもならん事じゃ。それよりも、貴様何故ここにおる。こんな所に貴様の求める妖刀はありゃせん。ワシ等が追ってきた怪異はお前さんの差し金か」
「護国の鬼よ、汝《なれ》も理解しておるのではないか。我はただ行脚し刀を欲すだけと。
相対する刀の所有者を追い求めた折りに、ここに降り立った。汝が申すように今も刀を求めここに在る。
──そも、輓近《ばんきん》は礼を失する怪異も増え、我としても不快であるのは事実ではあるがな」
「そうじゃったな……ふん。どこかの誰かさんの刀を奪う為にここにおるって事か……あいも変わらず、度し難い」
 これ以上無い渋面の眉間に、更に皺を寄せる。
「この離島は良い。我の持つ刀達が何処《いずこ》よりも明らかな声で囁く。袂を分かつた同朋の下へと我をいざなう、故にこの不可思議な島に足を運んだ」
 刀狩りは喉から笑い声をこぼしながらも言い告げた。
「さて、これ以上の戯れは無意味であろう。それとも久方ぶりに手合わせるか? 護国の鬼よ」
 刀狩りの言によって剣呑な空気が場を支配すると、それまで唖然としていた敬も気を持ち直し身構える。
「戯れはどちらさんじゃい。人も殺さんような怪異を相手にするなぞ防人の名折れじゃ、ワシゃもう行く」
 刀狩りを尻目に鉄蔵はトンネルの更に奥深くへと消えていく。
「おい、爺さん待ってくれよ!!」
 通り抜けざまに刀狩りに注視の視線を向けた敬だったが、冷ややかな視線を感じると、苦笑いを洩らし即座に走り去っていった。
「随分と不思議な童よ。ほんにこの島は面白い場じゃ」
 敬が走り去ったのを見届けると、童女のラルヴァの楽しげな苦笑がトンネルの中を木霊《こだま》した。

「爺さん、さっきの女の子ってラルヴァなんだよな? お知り合いだったみたいだけど、一体どういった関係?」
 暗闇を歩き続けるうちに再び照明の生きている場所に出た、二人はそれを頼りに早足で歩みを進める。
「まぁ、なんじゃ、旧知の間柄というか恩人というか」
「ラルヴァが人を助ける事もあるのかよ……」
「それこそ例外じゃ。あやつの場合は見返りが無い限りは人を助けるような事はせん。無害と言えば無害じゃが、こと刀の事になると執拗なまでに追い立てて来る」
「刀オタクのラルヴァねぇ。変なラルヴァもいたモンだな」
「幽鬼の類の怪異じゃが、あやつがこの島に来たとなると先が思いやられるわィ……」
顎をさすりながら、鉄蔵は溜め息を漏らす。

「とかなんとか、そんな事言ってる間に共通の仇がやっとこお見えになったみたいすよ」
 やりとりを終え、立ち止まると、やや視界の開けた十字路が広がっていた。
「ほんにトンネルとは魔境じゃのぅ。うーははー」
 敬と鉄蔵の視線の先には、橙色の薄明かりに照らされ、艶めかしいまでの光沢を放つ金属製のラルヴァ。胴体からは鋼鉄で出来た蜘蛛の足を何節も生やしていた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いぃ……なんじゃ、こんなにおるんかい……」
「ちょっ、俺、逃げていいすかね」
 気だるげに敵の数を数える敬と鉄蔵だったが、金属製のラルヴァの後ろにはもう一体のラルヴァが控えている事に気付く。
 背丈は高く、両腕がつるはしの様な形状をしている。そのラルヴァが一際大きな唸り声を上げた。
唸り声に反応し、金属製のラルヴァは背丈の高いラルヴァに飛びかかる。
 複数の金属型ラルヴァは背丈の高いラルヴァを、覆い隠す。
金属製のラルヴァは不定系となり徐々にその形がはっきりしていき、最終的には硬質化する。
周囲から金属製ラルヴァは一体と残らず消え去り、背丈の高いラルヴァだけがその場に残る。
ラルヴァの全体的なシルエットは膨れ上がり、当初よりも鋭利な鋭さを持った重武装。
 背丈は二十尺三寸(約6.1m)となり、人でいう両腕は西洋のガントレットの様に変質、両手にはステップドリルが装着されていた。
 後々解る事だが、このラルヴァはビースト・仮称金属喰いとデミヒューマン・トロルドの、異種間共同体という生態を保有した、新たな生態系を持つラルヴァだった。
「なんかクソデカくなってるんすけどぉ!? ……爺さん独りであれってなんとかなりそう? いけそうなら俺はここらへんで……」
「いや、うん、まぁ、それ以前に切削錐《ドリル》じゃぞ……どないせっちゅうんじゃィ。わしゃあんなの喰らいたくないぞィ……」
「──念のため聞いときたいんすけど、爺さんて異能あるんすよね?」
 ファイナルアンサーを聞くクイズ番組司会進行の様な真剣な顔で敬は問いかける。
「あるにはある、が」
「が?」
「攻撃手段は無いッッツ!!」

──残念ッッツ!!

 賞金を目の前で一千万円への夢を絶たれた挑戦者の様な
面もちで敬は項垂れた。
「多少の体術は使えん事も無いが、果たしてこのラルヴァにワシのような付け焼き刃の格闘が通用するかどうか……それに体術自体に関してなら大将にはかなわんじゃろうな」
「そうすか……それじゃここって俺がどうにかせにゃならんの?……」
「いや、ワシも手助けするには手助けするぞィ」
 ずいと体をラルヴァへと踏みだし、不適な笑みを敬へと向ける。自信に満ちた表情に感化されたのか、敬もまた不適な笑みを浮かべる
「へへっ、そうすか。自称百戦錬磨の武人が相方なら、そりゃ頼もしいかもね」
 応じるように敬は重心を落とし低く構える。
 手のひらを逆手に。また逆手となった拳で空を切り、真っ直ぐ突き出す。完全に外界から遮断されているはずのトンネルの中に、確かに一陣のつむじ風は巻きあがった。

「あー、くそ、面倒臭ぇけどやってやんよ。っていうかこんなヤツ相手に本当に勝てんのかよ」
「背水の陣じゃ、もしくは乾坤一擲を賭す。または死なばもろともじゃな」
「いやいやいや俺は死にたくないんで、ピンチになったら素直に逃げますよ!!」
「そうじゃな、逃げられそうならのーーっと来たぞィ」

 トロルドはガシャガシャと無骨な金属音を響かせながら眼前に迫ってきた。
胴体を大きく反らし左手のドリルを鉄蔵めがけ突き出すが、余裕を持って回避する。対象を失ったドリルは地面に突き刺さった直後に回転し爆砕。
砕け散った破片が、パラパラと音をたて辺り一面にコンクリートの粉塵を巻き上げる。

「マジかよ……逃げたほうが良くないすかこれ」
「まぁ、なんじゃ……逃げたほうが良いかもしれんの」

 粉塵の中から姿を表したトロルドは体勢を整え一直線に鉄蔵へと駆け、再びドリルを振り回す。動きは緩慢だったが両手に備わるドリルの威力に敬と鉄蔵は唖然とした。
「ちょぃと、こいつぁ、うへ、確かに、ちと、どうしようも無いんじゃ、無かろうか、のぉ、って、大将ォオ!! なんか必殺技ないんかィ!! 必殺技ァア!!」
「いや、爺さん必殺技ったって、そんなポンポン出せたらってうぉおぃい!?」
 トロルドは体躯の差を生かした移動で鉄蔵から距離をとり、油断している敬へとすぐさま詰め寄る。
やや上空からドリルを突き立てるが敬は軽やかに地面を蹴り後退、再び瓦礫の破片で出来た雨が降り注いだ。
「っとぉ、そんなトロ臭ぇ動きじゃ一生当たってやれねぇな!!」
 内心は緊張の連続ではあったが、挑発を以て自身を奮起。トロルドが繰り出すであろう次の一手を考える。
トロルドの形状をよく観察する。見たところ攻撃手段は両手のドリルだけ、そうなれば話は早い。
「おい!! 爺さん!!」
「何じゃィ。そんなデカい声ださんでも聞こえとるぞ」
「こいつの攻撃ワンパだわ!! 隙みて逃げるぞ!!」
「あー、なんじゃ。たしかにこやつはワンパクさんじゃな。そんなのこんだけ攻撃されりゃ十分理解ーー」
「──そおォオじゃねぇええエヨ!! こいつの攻撃は単調だって言ってんの!!」
 敬は地団駄を踏みながら指摘する。
「ふむ、そうじゃな。それも解っとるわい、ってまた来よった」
 一定の速度で繰り出される攻撃。一撃の威力は高いが、その動作の一つ一つは重く、敬と鉄蔵の身体能力でもある程度の余裕をもって回避できた。
「さんざっぱら言うてきたが、確かに逃げた方が賢明じゃな」
 敬と鉄蔵はトロルドを挟み対角線に位置をとる。
「大将、やっこさんの次の一撃が来たら逃げるぞ」
「そうそう、最初からこうしてりゃ良かったんだよ……」
 トロルドは吠え、地響きにも似た唸り声がトンネル内部の空間を揺さぶる。大振りかつ大胆に、
その凶悪なドリルを鉄蔵に突きだしたが、それは空を切り地面を粉砕。その一瞬の隙に鉄蔵は大きな声で合図を放つ。
「こっちじゃ大将!!」
「あいよッッツ!!」
 合図と同時に着た道と逆の方向へ、二人は全力で駆けだす。殺伐とした空間から一瞬のうちに戦略的撤退をこなす様は見事の一言に尽きた。
 取り残されたトロルドは二人の消えた先を静かに見つめ、不気味に震えだす。トロルドの全身からぱきり、ぽきりと拳を鳴らす様な異様な音が響いた。

 トロルドから逃がれる為、複雑に入り組んだトンネル内部を縦横無尽に走り回った敬と鉄蔵は気力も底を尽き、両膝で体を支えながら呼吸を整えた。腹一杯に空気を吸い込み深く息を吐く。
どうにか敵を撒いたと互いに安堵の表情を浮かべる。敬は冷たい地面に腰を下ろし、壁に背を預けた。
「なんとか逃げきったみたいすね」
「ぞうじゃの、びどまづーーカーッ!! ペッ!! ひとまず安心と言った所か」
 敬は苦笑いを浮かべながら胆汁を吐く鉄蔵を窘める。
「汚ぇなぁ」
「そんな事言われてもこいつぁ生理現象でどうしようも無いんじゃな、大将も歳をとれば解るぞィ」
「解りたくもねぇよ……」

 ふと、鉄蔵がトンネルの先に視線を流すと通路の先が行き止まりになっており赤く光る何かがある事に気付く。
おもむろに近づきその何かを確かめると歯茎を見せる程の笑みで敬に呼びかけた。
「やっぱりワシゃ間違っとらなんだぞ、大将。緊急用の電話発見じゃィ」
 吉報に気を良くした敬は、先ほどまでの疲れを忘れて鉄蔵へと駆け寄る。
「あー、やっと助かる見込みが……」
 壁に埋め込まれる形となっている鉄扉を開けると、簡素な受話器が立て掛けられていた。
鉄蔵は受話器を取り回線が繋がるのを待つ。単調な電子音を我慢し耳元に受話器を押しつけていたが、ぶつりという音と同時に電子音が止まった。
「んぁ、何じゃィ、これ繋がっとるんか、おーィ。聞こえとるかー」
 何度も受話器に呼びかけてはみたものの、反応は返ってこない。
「おィい。ふざけとるんかー。こっちゃ緊急事態で一刻の猶予も残されとらんのじゃぞー。おィい」
「爺さん、爺さん!」
「何じゃィ、こっちゃ忙しいんじゃぞ」
「いや、何か聞こえてこねーか」
 敬の言葉をどう捉えたのか、鉄蔵は再度受話器を耳に押し当てる。

『──ォォオ』

「お、本当じゃ、やっと繋がったみたいじゃな」
「いや、いやいやいや!! 爺さん、なんかヤバそうだぞ!!」
「だからの、こっちはさっきから……何じゃこの石ころ」
 上空からこつんこつんと落ちてくるコンクリートの破片。二人は壁の上部を見つめ、目を見開いたまま、一筋の汗が頬を伝う。

 相対してたラルヴァ。
 巨大な体躯。
 両手は徹底的なまでに破壊する事に特化した掘削錐《ドリル》。

 その全てが二人の脳裏をよぎる。

「──下がれぇィッツ!!」

 そう叫んだ途端、爆音と共に目の前の壁は粉々にはじけ、石片の散弾銃が周囲に霧散した。
 敬は鉄蔵の叫びに反応し壁から距離をとったが、幾つかの小さなコンクリート片は敬の脚に突き刺さる。
また、鉄蔵も後ろに跳び退いたが同じように銃弾が背中にめり込んだ。
 二人は苦悶の表情を浮かべ転げたが、傍に現れたであろう敵の追撃から逃れる為、痛みに耐え衝撃の反動を利用して前転。そのまま立ち上がり敵の方向へと身を翻す。

「くぁあああ!! いってぇえええッツ!!」
「うぐぐ……不覚をとったわ……」

 突如として壁の中から現れたラルヴァは、トンネルという舞台に設置されたスポットライトに照らされ、
慄然と立ちつくしていた。双眸は怪しげな光を漏らしながらも、二度も二人を逃すまいと、その鋭さを増している。
「こんな余計な怪我するぐらいなら、最初っからやっといた方がよかったかもしんねーな」
「ほんに強がりさんじゃなぁ」
 鉄蔵は敬に余計な心配をさせまいと余裕の表情を見せてはいたが、先ほど受けた外傷により体力は大きく削がれていた。
そんな鉄蔵の様子に気付いてはいたが、敬もまた笑い顔を崩さずに呟いた。
「どっちが強がりなんだか……」

 眼前の敵を睨みながら、敬は深く息を吸い込み、視線を動かさないまま鉄蔵にゆっくりと語りかける。

「──さて、爺さん。俺はこの一生の中で至高のおっぱいも揉まないうちに死んじまうなんて勘弁だ。
だから、死にたくねぇ。死ねねぇ。
今から無茶な注文しちまうかもしれねぇ。爺さん、”30秒だけ”完璧に時間を稼いでくれ。
老体に鞭を打つ注文になっちまうな。へへっ、ここは一蓮托生なだ。俺も百戦錬磨の武人にお願いするっきゃねぇ。言っちゃなんだが、俺も爺さんも後がねぇからな」
「中華料理屋の大将が老人に注文とはなんだか変な話しじゃな。しかし、まぁ、……その注文、確かに聞き届けたぞぃ」
 トロルドがゆっくりとこちらに近づいてくる。その足取りはその巨体から伝わる質量を一歩ごとに嫌という程に感じさせる。

「良いんじゃな?」
 鉄蔵の問いかけに敬は怪訝な顔で答える。
「30秒が厳しいんなら別に20秒でもいいぜ。ただそうなるとかなり辛──」

「──たったそれだけの時間で良いのか、と聞いておる」

 不気味なまでに歪ませた口元から漏れる乾いた笑い声。
常に柔和な微笑みを絶やさず道程を共にしていた老人の豹変。
その笑みは、これから繰り広げられるであろう闘いに身を振るわせる恐怖なのか、それとも命を賭す事によって背筋を這う興奮、その快楽か。

「言うじゃねーか。爺さん。そこまで大見得切るんだ、くたばったりしたら、承知しねぇぜ」
 敬は苦痛に顔を歪ませながらも口元に笑みを浮かべ、鉄蔵から大きく距離を取り後ろに控える。
「無論」
 鉄蔵が口元に浮かべる不気味な笑みは一瞬のうちに押し隠され、能面のように冷たい表情がトロルドに向けられる。
その瞳から光は消え空洞となり、一息の間に再び光りが戻った時には瞳孔は大きく開き、そこからは人ならぬ眼光が漏れ出す。

「聞け、異類異形の物の怪よ」
 鉄蔵の言葉など、耳に入らぬかのようにトロルドは一歩、また一歩と歩みよってくる。

「この国の、防人の一人として名乗ろう」
 仁王立ちのまま、左腕は重力に逆らうこと無く。右手の掌を中空に突き出し、人差し指、中指、薬指、小指、親指を順に折り、拳に力を、魂源力を。
それは、ゆらめく陽炎のように。
精緻な織物が結われる。

「金剛不壊《こんごうふかい》の鬼の蔵」
 結われた織物は結晶となり、それは鉄蔵の全身の各部位を覆う。指先、手の甲、前腕から上腕、胴体、脚、そして頭部に至るまで、全て。

「鬼瓦《おにがわら》の鉄蔵《てつぞう》たぁワシの事じゃッッツ!!」
 名乗りを上げた武士《もののふ》は、巨大な敵に対峙した。

 突如として変体を遂げた鉄蔵を粉砕せんと、トロルドは勢いに任せて鉄蔵にドリルを突き出す。
耳障りな金属音はあまりの速さに、音域が変わるほどに。トロルドの腕から伸びたドリルはそのまま鉄蔵の眉間に吸い寄せられる。
あまりにも無防備な鉄蔵の構え。
 ドリルが鉄蔵に突き刺さるかと思われたその直後、コツと軽い金属音が鳴った瞬間にトロルドの放った攻撃は逸れ、地面に突き刺さる。
トロルドは多々良を踏みながら仰け反り、おぼつかない足取りですぐさま追撃を行う、が。

カツン。

 またもや軽い金属音と共に攻撃は逸れる。トロルドの体勢は今度こそ崩れ、左腕のドリルは大きく地面にのめり込む。
危機感をおぼえたトロルドは右手を大きく振り回し鉄蔵を威嚇するが、その隙間を縫うように、ゆるりと鉄蔵は近づいて行く。
 右腕のドリルを、何度も何度も、振り回す。その都度、金属音が響き攻撃が逸れる。

 コツ、カツン、コツ、カツン。

 単調な、それでいて残酷な音、それは鉄蔵の歩く音。トロルドの攻撃による音。着実に詰め寄る鉄蔵はトロルドの懐《ふところ》まで差し迫った。

「速い……が、そうではない」
 トロルドの右腕は鉄蔵を打ち倒さんが為に何度も振るわれるが、鉄蔵が一瞬にして放つ裏拳によって、悉《ことごと》くいなされていた。トロルドは飽きること無く、
叩きつける豪雨のように突きを繰り出すが、鉄蔵の手甲《てっこう》によって弾かれる。

「愚直過ぎ」
コツ

「かといって、奇抜でもなく」
カツン

「そして何よりも」
コツ

「全体的に粗すぎる」
 絶大な破壊力を生み出す回転力と推力。その回転力は常であれば物体を削り取る事に長けていたが、鉄蔵の纏《まと》う鬼瓦《おにがわら》の前では全くの逆効果。
ほんの少し、横に力を加えるだけで逸れる。その回転力こそがトロルドにとって仇になる。

 コンクリートを砕く破砕音がトンネル内部に響き、その破片が飛び散る。周囲一体は淡い橙色のライトに照らされた粉塵がもくもくと立ち上がる。
 トロルドは地面にのめり込んだ両腕を抜こうと必死にもがき、右手を引き抜く。
そのままドリルを鉄蔵に向け、一撃を繰り出すが、鉄蔵はいなす事なく跳び退いた。勢いに飲まれたトロルドは豪快な音をたて地面に伏せる。
「そろそろ頃合いじゃろ、大将」
 粉塵は止み、中からはトロルドとその背後で構える敬の姿があった。

「──タイムオーバーだぜ……」

 いつの間にかトロルドの背後に回り込んでいた敬は、口の端から漏れる血を気にもせず、大声でトロルドに言い放つ。
「十分に練気もすませたスペシャルメニューだ!! こういう時こそこの台詞だろ!!」
 うっすらと、だがそれでいて流麗さをともなった気のうねりが躰から沸き立つ。
「釣りはいらねぇ!! とっときなッッツ!!」
 気と魂源力を織りなした諸刃の剣。
 そして、最後の切り札。
 拍手敬の日々の鍛錬のたまものか、達人の一撃にも見劣りする事のない発頸が放たれる。
偶然ではあったがそれは絶大な威力を発揮し、拍手敬必殺の一撃はトロルドの巨躯を確かに打ち貫く。
 その発頸の効果なのかは解らないが、トロルドの巨体の一部を覆っていた金属は流動的な液体へと変化し流れ出した。
 衝撃と重低音。金切り声を上げたトロルドは上半身を左右に揺さぶり、反撃を行わんとするかの如く暴れ、ついには力つき。

 果てた。

「あ……案外、なんとかなる、もんじゃねーか……」
 トロルドが地面に倒れた事を見届けると、同じような格好で敬も地面に前のめりに倒れ込むが、鉄蔵がそれを抱きとめた。
「──ようやった。ありがとう」
 歳の程は孫と然程変わらず、本来であれば怪異とは縁も無く、若い時分を過ごすべきであろう若者がこうして闘いに身を投じなければならない世の中。
何も悪くない、誰も、何者も悪くは無いのではないのか。詮無い話ではあるが、疲れはて、目を瞑るこの若者を見つめていると、その事が無性に腹立たしくもあり、悲しくもあった。
 鉄蔵はぐっと喉の奥から、鼻や目にこみ上げてくる物を我慢し、背中の痛みに堪え、敬を背負い歩きだした。


-第弐話・了-

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