【一人の少女の死に際して】

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【一人の少女の死に際して】 - (2009/11/07 (土) 03:00:30) の編集履歴(バックアップ)






 その日の朝、一人の女生徒が亡くなった事が伝えられた。
 名前は彦野舞華《ひこの まいか》、2016年7月に学園で起こったラルヴァ襲撃事件に巻き込まれて重傷を負い、その状態で無茶をした事による体力と魂源力《アツィルト》の消耗が原因だという。2年間の間ほとんど学校に通えず入院し通しの生活を送っていた。先日の醒徒会選挙では無理をおして登校、投票をしたものの、それが彼女の限界であり、その上に内緒で病院を抜け出した事が致命的となったらしい。最期は安らかな表情を浮かべていたというが、話を聞くと、その言動は常に何かと戦っているような、苛烈な物だったと聞く。
「何か……というよりも、ラルヴァだよ、ね」
 学校に出てきて一番にその話を聞いた彼女、春奈《はるな》・C《クラウディア》・クラウディウスは、そんな言葉を洩らしたという。



  一人の少女の死に際して



 ついに、時が来てしまった。春奈の頭の中では、そんな言葉が渦巻いている。
 彦野舞華は、2年前のあの事件……立浪みか、みき姉妹が与田技研の人間を中心とする何かに『消された』事件に巻き込まれたのだろう。あの事件は、2年のタイムラグを経て、2人の教え子を彼女から奪ったのだ。
(彦野さんだったら、真っ先に突っ込んじゃうだろうからね……)
 ホームルームを終え、職員室の椅子に座った春奈が、目を瞑って当時のことを思い出す。受け持ちの授業は2時限からだ、それまでは少しこうしていよう。

 彦野舞華は、真っ直ぐすぎる少女だった。そして、その真っ直ぐ向かう方向が、奈落へ繋がる一本道だという事は目に見えていた。
「彦野さん、ちょっといいかな?」
 ある日の放課後、彼女を呼び出した。先日あった集団模擬戦闘しかり、他の異能実技担当の教諭からの報告しかり、その異能の使い方に破滅的なものを感じる……というのが、個別面談に彼女を呼び出した理由だった。彼女の異能特性上ある程度は仕方ないとはいえ、時には指示を無視してまで相手を倒すことについて固執する。その事についてやんわりと質問した……少なくとも彼女は、出来るだけ穏やかな言葉を選んだ。その問いに対する舞華の返事は、
「私は、少しでも多くのラルヴァを倒さなきゃいけないんです」
 その言葉に対して、春奈は軽く息をつく。彼女の事情を考えれば、そういう思考に行き着くことは当然ありえる筈なのに。

 ラルヴァは徹底的に排斥、排除すべき。そういう考えは、決して珍しくも不思議でもない。その思考に至るケースも様々で、ラルヴァは悪であるという通り一遍の教えを受けたもの、自分の異能に溺れて単に力をぶつける相手を見つけたいもの(関係ないが、そういう輩が風紀委員になろうとすると歴代風紀委員長によって即座にブッ飛ばされるらしい)、もしくは『何もしなければラルヴァは人間を滅ぼす。ならこっちから先に殲滅しなきゃいけない』と分かったような口で理論を唱えるものと様々だが、その中でかなりの数を占め、かつ根深いのが『実際にラルヴァの被害に遭い、何故こんな目にと考えた結果そうなった人達』である。
 双葉学園には、ラルヴァに対して因縁がある……もっと言えば、ラルヴァによって大事なものを奪われた、人生を狂わされた人が、決して少なくない。春奈もその一人であり、目の前の少女……舞華も、まぎれもなくその一人である。その憤怒は、ある程度までは必要なものだと考えている。しかし、何事も度をすぎると毒となってしまうのだ。

 毒の一つ。少なくとも、今の学園のスタンスは『有害なラルヴァの退治』であり、それを無視して勝手に行動を取られるのは、そのスタンスに反する……つまり、度をすぎてラルヴァを討つことに固執する生徒は、いわゆる『言う事を聞かない生徒』なのである。中等部や高等部で、異能者としての道徳と称して情操教育に取り入れようという動きもあるが、その効果に春奈は懐疑的である。少なくとも、その気持ちはある程度理解できているつもりなのだ……画一的な情操教育で、個々の怒りや悲しみを抑えられるかどうか。

 毒の一つ。ラルヴァ討伐に執着するあまり、自身や他者へ攻撃的な性格になってしまったり、視野が狭くなって自身の可能性を埋もれさせてしまうこと。春奈は、こちらをより懸念している。より強い力を手に入れようと自身に罰を与えたり、自身の意にそぐわない相手に対して人格攻撃までしたり、といった傾向が見られる。2018年の醒徒会選挙で執拗なまでにラルヴァ排斥を唱えた立候補者、与田光一《よだ こういち》が落選したのはは、これによって投票権を持つ一般生徒を『引かせた』のが要因の一つだったように思える。
 なお、その逆……ラルヴァに対して攻撃的でなければそんな事は無いのか、という事については、ラルヴァを崇める過激な新興宗教団体『聖痕《スティグマ》』の例を挙げるまでも無く否定できる。偏った考えをこの多感な時期から持つことが危険なのだ。
 彼女、彦野舞華は「ラルヴァを倒さなければいけない」という一念に囚われて、自身の道をそれ一本に決めてしまっている。春奈はそう感じた。

「だからね、今の自分が思っていることが全部だ、って思って欲しくないの。無限の可能性がある……とまでは言えないけど、足を止めてまわりを見れば、きっと別の道も見えるはずだよ」
「……先生は、見つけたんですか?」
 『私の気持ちが~』というお決まりの一言を、舞華は発しなかった。春奈の過去……1999年の出来事がひょんな事からバレてしまったのもあるが、彼女の矜持がその発言を許さなかったのだろう。
「見つけたのが、教師って道だった……で、いいのかな。少なくとも、この学園に入ったら必ず戦わなきゃいけないって訳じゃないから。もし道を探すなら、あたしは全力でサポートするよ」

 春奈は『ラルヴァに対して憎しみを抱くより前に、するべきことがある』という考えである。怒りや悲しみだけを戦いの理由にして欲しくない、同じ戦うのでも、未来に何かを残して欲しい。難しいかもしれないけど、自分にとっての『それ』を探して欲しい。そういう事を伝えたい、それが、この道を選んだ理由の一つだ。

 教育者は、その言葉が教え子に届くことを祈って、ひたすらに言葉を発し、態度で示すしかない。
 その時の言葉が舞華に届いたかどうか、春奈はついに知ることが出来なかった。

 海外出張から戻ってきた春奈が耳にしたのは、ラルヴァ襲撃事件の発生と、それによる被害……彼女の教え子では、行方不明となった立浪みき、一部内臓を完全に破壊され、重体と言ってもいい怪我を負わされた彦野舞華、他重軽傷者数名という惨事。
 立浪みきの件についてきな臭い気配を感じていた春奈はそれを調査する一方、怪我を負った生徒の見舞いに回った……彼らは事件について触れようとはせず、春奈もあえて突っ込むことは無かった。彼らが話さなかったのは、立浪みきの秘密を守るためだったのか、別の理由だったかは定かではない。
 重傷を負った彦野舞華は、その後春奈に心を閉ざし、何かを話すことは無かった……話すことは無い、と本心から言われてしまったのでは、取り付く島も無い。その後容態が快復しないまま何度も面会するが、その態度は、最期まで変わらなかった。
 彼女の心の扉を開ける方法はあったのか。今でもそれは、分からないままだ。

「……せい、クラウディウス先生?」
「……!? あれ、佐々木先生……もしかして、もう時間?」
「……もう二時限目始まってますよ」
「ごめん、ありがと~!! 行ってきま~す!!」
 完全に思考の海に溺れ、時間の感覚を失っていた。一つ下の後輩であり、同じく教諭となった佐々木タクミの声で意識を取り戻した春奈は、慌てて荷物をまとめ職員室を飛び出した。
「……なるほど、これは……」
 後には、二時限の授業が無い佐々木が残される。彼は、亡くなったその生徒の情報を見ていた。

 春奈は翌日、彦野舞華の葬儀へと参列した。彼女の両親は、互いに壁を作っていたようでもあり、互いに慰めあっているようにも見える。舞華の弟がラルヴァに襲われて亡くなり、その後不仲が噴出して一家がバラバラになったと聞く。そして一人残された娘との死別で、再び肩を並べる……その心境は、男性と付き合った経験、もしくは結婚した経験の無い春奈には、まだ分からない感覚なのだろう。

 ……その夜、人通りの絶えた通りを、滅多に出さない喪服を着て、春奈が帰宅の道筋を辿っている。
「何度経験しても……ね……」
 教師としての経験のほかに、その異能によって戦場で指揮をとることもある彼女。だが、人が亡くなるという感覚はいつまで経っても慣れることはない。それを『自分がまだ正常な証拠』と考えるのは慰めにもならない……といった事を、つらつらと考えてしまう。

 何かに、声をかけられるまでは。

『--はありませんか?』

 後ろから、唐突に声が聞こえた。
 どこかで聞いたような声が、今まで聞いたことが無いような憂いを帯びて聞こえる。
 声は、すぐ近く。
 制限モードにある春奈の異能でも、その気配を感じ取れる。
 彼女が読み取れない思考。
 ラルヴァの気配。
 ゆっくり、ゆっくり振り返る。

『生きるのが辛くはありませんか?』

 その姿は
 さっきまで写真で見ていた、彦野舞華のものだった。
 その手には、彼女に似つかわしくない短剣。
 目の前のラルヴァが、なぜ彼女の姿なのかは分からない。
 けれども、これが彼女でないことは分かる。
 葬儀に顔を出したからではない。
 彼女は一度も、そんな悲しそうな声を出したことが無かったから。

『生きるのが辛くはありませんか?』

 もう一度、問われる。
 舞華の姿が、一歩ずつ近づく。その動きは緩慢で、春奈の足でも逃げられるだろう。
 だが、彼女はそうしなかった。
 常識的な判断は、今の春奈の頭には存在しない。

「うん、辛いよ」

 一歩、また一歩。短剣が、春奈の目の前にまで迫る。

「でも、それでいいの」

 舞華の姿をした何かの足が、止まった。

「楽しいこと、嬉しいことを全部使っても、相殺できないくらい辛いけど……まだ、やりたいこと、やらなきゃいけないと思うことがあるから。それで、いいの」

 舞華の姿は、そこで立ち止まったまま、春奈の言葉を聞いている。



「辛いのなんて、大丈夫だから、いくらでも我慢するから。全部やり終わって、あたしが満足するまで……もうちょっと、待ってて」

 言いたいことを言い終わり、春奈はきびすを返して立ち去る。
 背後でラルヴァの気配が消失するが、わき目も振らない。
 やりたい事があるから生きる。これ以上に単純明快な理由は無いだろう。


 このラルヴァは、死者の姿を模倣する。それならば、既に亡くなったものと思われていた、立浪みきの姿を借りていてもいい筈だ。
 後にミセリゴルテと呼称されるラルヴァが彦野舞華の姿を借りて現れたのは、何故か。
 立浪みきが、まだ生きている事を春奈が信じていたからなのか。
 直前に亡くなった、彦野舞華の印象が強すぎたからなのか。
 それとも、彼女の無意識にある別の理由か。
 もしかしたら、ミセリゴルテに何らかの力があるのかもしれない。
 それは恐らく誰にも分からず、春奈自身も分かっていないだろう。

 春奈が、離別した存在と対峙するのは、それから一年後のことである。
 一人は変わり果てた姿で、もう一人は、一見姿を留めて。


 「皇女様と猫」もしくは「境界線上の姫君」に続く




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