【Little Drummer Girl】

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【Little Drummer Girl】 - (2009/12/24 (木) 17:43:44) のソース

  &bold(){2015年 12月23日 水曜日――}


 今にもふとした拍子で粉雪が散りばめられてきそうなぐらい、寒い夜のことだった。
 子供がカラスのラルヴァに追いかけられていた。肩から提げた手提げ鞄をばたばた揺らして、彼女は逃げ惑う。習い事の帰りに夜道を一人で歩いていたところを、襲われた。
「はあっ・・・・・・、はあっ・・・・・・!」
 今晩は一段と冷えていた。全力で走っているので、鼻の中がつんと冷たくて痛い。胸の中が焼けどしそうなぐらい、熱い。
 厚いジャケットを重ねて着てきたせいで、とても動きにくかった。それでも走らないといけない。すでに右肘のあたりをラルヴァの爪でえぐられてしまい、袖が赤く濡れていた。
 寒すぎて、喉がからからに渇いて、頭がぐらぐらする。今、自分がどこのどの道にいるのかもわからないぐらい、彼女は激走を続けてきた。空気がとても乾燥しているので、走っていて瞳が濡れてしまい、視界がぼやけてしまう。
 そうして集中力を欠いたのが、運命の分かれ目だった。
「あうっ・・・・・・!」
 転んでしまったのだ。
 この初等部の子は「一般人」で、ラルヴァに抵抗する力は何一つとして無い。立ち向かったら間違いなく食べられてしまう。頑張って立ち上がろうとするが、足腰に力が入らず、なかなかその場から離脱することができない。
 目の前に黒い羽が一本、ふわりと落ちてきたときだった。
 ガアアアアアアッ!
 ばさばさと眼前に降りてきた恐怖の化物。女の子は絶叫する。こうして暗くなってから、表を出歩く大人はもう誰もいなかった。まして、今日のような今年一番の冷え込みでは。
 ずしり、ずしりと大きな黒い体が接近してきた。女の子は熱い涙をいっぱい流しながら、がたがたと震えている。
 少女はもうおしまいだと覚悟を決めた。ぼろぼろと涙を流しながら、必死になって親を求めて泣き叫ぶしかなかった。――巣から零れ落ちた、無力なひな鳥のように。


「だぁあありゃあああああああ!」
 すると、力強い掛け声を寒空に高々と上げて、何者かが後ろから飛び出していった。長いポニーテールをしている、高等部の制服を着たお姉さんだった。
 彼女は腰から抜いた長剣の柄をカラスの脳天に叩き込み、相手に手痛い一発をお見舞いした。すかさず長い脚で回し蹴りを決めて、ラルヴァの体を遠くにぶっ飛ばす。
 その人は何ともう一本、長剣を握っていた。両腕を交差させ、二本とも構える。
「・・・・・・一瞬で切り刻んでやるッ!」
 吹き飛んでいくカラスの体に瞬く間に接近し、一気に切り上げてしまった。
 この冬に似つかわしくない、赤黒い塊が路面に降り注いでいく。少女はあっけに取られた様子で、その頼もしい背中を見つめていた。何せ、本当に一瞬のうちにケリがついてしまったのだから・・・・・・!
 剣豪少女は二本の剣をはらって汚れを除いた。腰に収めてから後ろを向き、立ち上がることのできない女の子のところへ寄った。
「危なかったね。どれ、怪我の様子をみせてごらん?」
 骨は繋がってるね、と黒髪の高等部生は言った。言葉のひとつひとつに力が入っていて、頼もしい。女の子は両目をぱちくりさせて、思わずこうきいた。
「あ、ありがとうございます! あなたは誰ですか?」
「私? ・・・・・・ふふ、『十六夜月夜』と言えばわかるかい?」
 い、い、いざよいつくよ? 
 少女はがくがくと顎を上下させながら、剣豪少女の微笑を見つめている。
 十六夜月夜。
 主に子供向けの演劇で活躍している、初等部の子の間では有名な役者さんだ。


 翌日のことだった。十六夜月夜と名乗った女が、ラルヴァに襲われた女の子のお見舞いに来ていた。
 ラルヴァに襲われた傷は命に別状ないものであったが、その後、高熱を出してしまったのだ。あれだけ寒い中走り回っていたのだから、無理も無いだろう。
 病室にて女の子の話を一通り聞いてから、月夜は真剣な顔つきをして指先を顎に当てていた。
「ふむ。それは困ったな・・・・・・」
「はい。右腕を怪我しちゃったので、スティック握れそうもないんです・・・・・・」
 彼女の名は山内聖子といった。明日行われる町内会のクリスマスパーティーで、楽器演奏会に参加するつもりだった。ドラムを担当することになり、ずっと練習に励んできたのだが。
「明日になったってときに、これか。・・・・・・クソッ! ラルヴァは子供たちの幸せを、何から何まで奪いやがるッ!」
「・・・・・・怖い顔しないで、月夜さん」
「・・・・・・あ、ごめん」
 ラルヴァの話になると性格が豹変するのが、月夜の特徴だ。
 彼女は極端なラルヴァ殲滅主義者だった。数年前に巻き込まれた「ある事件」をきっかけにしてそうなってしまったんだと、十六夜月夜のファンである友達は熱心に語っていた。
 聖子は掛け布団をぎゅっと握ってこう言った。悔やんでも悔やみきれないような、悲しい調子で。
「もう仕方がないんです。ラルヴァなら仕方ありません。それに、不用意に表を出歩いていた私も悪かったと思います」
「いいや、そんなことはない! 悪いのはみんなラルヴァだ。ラルヴァは悪なんだ。生かしておいても、百害あって一理無しの害虫なんだ!」
 月夜は聖子の両肩を持って、しっかり目を見つめてそう言い聞かせる。
 初等部の女の子は、もちろんこの剣豪少女は自分を励ましてくれているんだということを、きちんと理解している。が、月夜の言葉から強い感情がにじみ出ていることも、敏感に察知していた。この人は過去に、何があったのだろう?
 聖子が不安そうな視線を送ると、十六夜月夜は腕を組んで、もう一度あれこれ思案していた。
 そして、にっと笑顔になった彼女は聖子にこう言った。
「よし。ここはぜひ、私に任せてほしい」
「え?」
「ドラムだったらこの私が叩いてやろう。なあに、これでも音楽はたしなんでいるほうなんでね!」
 女の子は小さな口をぱくぱくあけて、月夜の発言に驚いていた。
 音楽隊のなかでドラムを叩ける子は聖子しかいなかった。聖子が怪我をして出演が不可能になってしまった今、誰か代わりを探さなくてはならない。彼女はすっかり困り果てていたところであった。
「嘘・・・・・・。月夜さんが、私たちの発表会に出てくれるんですか!」
「ああ! あんなラルヴァに台無しにされたんじゃ、みんなガックリするだろう? 私にまかせな。ここは一肌脱いであげるよ」
「本当に、ありがとうございます・・・・・・。私なんかのために・・・・・・」
「少しでも多くの子供に笑顔を与えられるよう、私は演劇を頑張ってるんだ。こういうときに子供たちの力になってあげるのが、とっても好きなんだ」
 十六夜月夜は聖子の頭をたくさん撫でながらそう言った。
 しかし、彼女はドラムをまったく叩いたことがなかった・・・・・・。


 その後、月夜は書店に寄った。ドラムの教則本を購入するためである。
 十六夜月夜は演劇役者と平行して、双葉島の歌手としても活動している。それも子供たちを喜ばせてあげたいという動機からだ。
 しかし、そのような音楽の経験がドラムの習得に繋がるかといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。それ以前の話として彼女はドラム一式を持っていなかったので、学園に無理を言い、徹夜で音楽室に篭ることを決意した。
 日付は変わり、二十四日になった。世間が極限まで浮かれに浮かれる、クリスマスイブ。
「うーん・・・・・・。なかなか難しいもんだな」
 月夜は音楽室の床に寝転び、思い切り背筋を伸ばした。表は真っ暗ではあるが、月や星座が明るく輝いており決して寂しいとは思わない。
 とりあえず、教則本のプラクティスメニューは全部こなした。持ち前の根性で習得してみせた。身に着いたかどうかと聞かれれば、時間の浅さから見て微妙なところだが、一肌脱いであげると言った以上は前へ前へと進まなければならないのである。
「こんなクリスマスイブも、まああってもいいのかな・・・・・・」
 苦笑しながらモバイル学生証の電源を入れる。画像フォルダに収めてある、ある男の子の画像を開いた。
「和樹、お姉ちゃんは頑張ってるよ」
 自分の長い髪の毛を手に取り、さらさらと床に流した。
 弟が似合っていると言ってくれた髪形を、いつまで経っても変えることができない。長すぎだよとクラスメートに茶化されることもあるが、多分、今後も彼女はずっとポニーテールのままでいることだろう。一年後も、三年後も、十年後も、ずっと。
「・・・・・・ふん、貴重な時間を潰してしまったな。休憩は終わりだ!」
 しなやかな動作で跳ね飛んで起き上がると、鞄から楽譜を取り出した。あの女の子から貸してもらったものだ。
「うーん、“Little Drummer Boy”・・・・・・。難しそうだな、こりゃあ・・・・・・!」
 簡単な教則本とは比べ物にならないぐらい、複雑なTAB譜が月夜の眠気を吹き飛ばす。それからイブの夜が明けても、彼女はぎりぎりの時間まで音楽室に閉じこもって、スティックを握り続けていた。


 双葉島の住宅地にある公民館で、町内会のクリスマス会が開かれる。
 ごちそうを食べてゲームをやって、みんなプレゼント交換をしたあとに、いよいよ楽器演奏会のときがやってくる。なおプレゼント交換までは、怪我をしたあの少女も参加していた。聖子は友達と話しているときは楽しそうであったが、いざ演奏会が近いてくると、だんだん笑顔が曇ってきて時折悲しそうな横顔を見せるようになった。
 控え室にて、初等部の子たちによる音楽隊が集結していた。みんな立派なおめかしをしており、親の溢れんばかりの愛情が透けて見えるかのようである
 今日まで彼らの指導をしてきた音楽の先生が、残念そうな表情で子供たちにこう事実を明かした。
「さて、ここでみなさんに大事なお知らせがあります。ドラムを担当する聖子ちゃんが怪我をしてしまったため、今日、ドラムを叩けなくなってしまいました」
 ざわざわと、これからステージに上る子供たちが話をしだした。
 ドラムがいないんじゃ、どうすればいいんだ? ドラム無しでやるの? 聖子ちゃんかわいそうだね。様々な雑談が沸き起こって控え室は騒然となる。
「静かに! その代わりですが今日ここに、とあるすごい人が駆けつけてくれました! 十六夜月夜さんです!」
「ええ――ッ!」
 ・・・・・・部屋の外で子供たちの発した大歓声を聞き、当の月夜は自然と笑顔になってしまう。やはり、小さい子供は可愛くて元気があって、大好きだ。
「さて、そんな彼らのためにも私はがんばらなきゃだな・・・・・・」
 一転して難しい顔になる。実は、今回の楽曲を完全にマスターできなかったのだ。
 とても難しい曲だった。タイトルからしてドラマーが一番目立つ曲だったのである。
 何とか全体に渡って一通り叩けるようにはなっていたが、オーディエンスに向けてカッコよく叩けるかどうかと聞かれたら、はっきり言って自信がない。
 そう下を向きかけたとき、月夜の心に聖子の言葉が蘇ってきた。
『月夜さん、私のぶんまでどうかお願いします。私のぶんも楽しんできてくださいね・・・・・・』
 あのような悲しそうな微笑を見せられて、失敗なんてできるわけがない!
「・・・・・・しっかりしろ! ここまできたら堂々と、最後まで叩いてやろうじゃないか!」
 そう強く意気込んで控え室の扉に触れる。今日一緒に楽器を弾くことになる子供たちと、合流しようとしたそのときだった。
「あ、あの・・・・・・」
 とても物静かで落ち着いたトーンの、女の子の声。
 月夜は呼ばれたほうを振り向いた。


 父兄や他の子供たちは、まだかまだかと開演を待ち構えていた。聖子は母親と並んで暗闇のなか、沈んだ顔をしてしょんぼりと待っていた。 
 やがて幕が上がる。眩しい照明が映し出したのは、ピアニカやリコーダー、トライアングルを手に持った幼い子供たちや、木琴、鉄筋、さらにはピアノやオルガンといった楽器の前に立っている高学年の児童たちであった。
 そして、端っこでマイクの前に立つ人物の姿に、誰もがびっくりする。
「あれ、演劇役者の十六夜月夜さんじゃない?」
「本当だ! まさか彼女が演奏会に来てくれるなんて!」
「どうしたんだろう、今年はやけに豪華じゃないか!」
 音楽隊は大きな拍手で出迎えられた。指揮者が壇上に立つと大きな歓声が引いていったかのように収まり、彼がその手を高く上げるとさらにしんと静まり返る。
 ドラムを叩くのは月夜ではなかった。控え室の前で彼女と顔を合わせた、中等部ぐらいの女の子だ。前髪がとても長く、目が隠れてしまっている。
 そんな彼女の陽気なドラムロールから、曲は始まった。軽快なスティックさばきだ。はねたリズムに乗っかるかたちで、十六夜月夜は歌い始める。
“Come they told me, pa rum pum pum pum”・・・・・・
 キリストの誕生を祝福したい貧しい少年が、せめてものお祝いとしてドラムを叩くという、クリスマスソングのスタンダードである。
 中等部の子がドラム経験者だったのだ。彼女が空いたドラムを埋めることになり、月夜は得意の「歌」で舞台にあがることになったのだ。
 子供たちの演奏と、十六夜月夜の歌のコラボレーションが、まさか実現するなんて。聴衆の誰もかもが、このささやかなサプライズに喜んでいる。
 聖子はどうしても、今回のクリスマス会でドラムを叩きたかった。みんなで楽しいクリスマスを迎えたくて、一番難しいドラムを買って出て練習に励んできた。自分が頑張ることで、みんなと一緒に幸せになりたかったのである。
(私は歌うことで、子供たちやあの子を楽しませてあげるってわけだね・・・・・・)
 舞台の上から、皮肉も楽しまされる側となってしまった聖子と目が合う。
 憂いの一切なくなった、とても幸せそうな微笑を向けてくれた。


 あのあと月夜が聞いた話によると、怪我をしてしまった聖子の親が知り合いにかけあって、代わりとなるドラムの人を用意してしまったらしい。彼女はごめんなさいと謝ってくれたが、それに関して月夜は特に気にしていなかった。
「私なんかのために・・・・・・本当にありがとうございます!」
 聖子の笑顔さえ取り戻すことができれば、十六夜月夜は幸せだった。自分よりも小さな子供たちが生き生きとして平和に暮らせるのならば、他に何もいらない。彼女はそんな剣豪少女であった。
「あら」
 演目が全て終わって、月夜が公民館を後にしようとしたところ。急遽、この演奏会に借り出されてきたドラムの子とたまたま出くわした。
「・・・・・・演奏会、お疲れ様です」
「お疲れ様。あなた、ドラム上手なんだね。得意なのかい?」
「昔取った・・・・・・杵柄です・・・・・・」
「そ、そう・・・・・・」
 まるでささやき声のような、しっとりとした声である。何を考えて向こうを眺めているのかわからないような無表情をしており、いっそうこの人物が謎めいて見えた。前髪によって目が隠れてしまっているせいもあるだろう。
「歌・・・・・・お上手なんですね・・・・・・」
「ああ。一応役者やってて、歌も勉強してきたからね。『十六夜月夜』って名前、聞いたことあるだろ?」
「・・・・・・聞いたこと無いです」
 人差し指を頬に当てて小指を傾げられてしまい、月夜はガックリ転倒しかける。やはり自分は子供にしか知名度が無いのだろう。
 でも、それでいいんだ。
 これからも私は子供たちのために演劇役者を頑張る。歌も頑張る。将来は教育番組の、歌のお姉さんになるんだ! ・・・・・・月夜は決意も新たに、家路に着こうとした。
 が、そのとき、ドラムの女の子が月夜にこうきいてきた。
「あなたの本当の名前は・・・・・・何ていうのでしょう・・・・・・?」
 月夜はその場で立ち止まり、長すぎるポニーテールを振り回しながら、振り返る。
「私? 私はね、本当は『彦野舞華』って言うんだ」
「そうですか・・・・・・。私は、『南雲小夜子』と申します・・・・・・」
 前髪に隠れていた彼女の笑顔が、くしゃっとほころんだ。

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