アットウィキロゴ

50.5話 暗夜行路

「……ちくしょう!」
 と青年は叫び声をあげた。湿った土壁のトンネルに、声がむなしく反響し、カビと埃とで濁った空気に散って
消えていく。あとに残った静寂は、今の青年――葛葉キョウジの陥っている状況を的確に物語っていた。
 孤独。ただただ、孤独だった。どこか分からぬ暗闇の中、キョウジはずっと彷徨い歩いている。人はもちろん、
悪魔の気配さえも感じない、一面の暗闇。左手に石油ランプを持ち、限られた視界に全神経を集中しながら歩く。
右手は腰のあたりに油断なく構え、いつでもホルスターに挿した銃を引き抜けるようにしていたが、そのような
配慮もまったく無駄な努力というほかなかった。
 とにかくマズい、とキョウジは焦った。孤独はマズい。仲間も仲魔もいない不安もあったが、それよりもっと
不安なのは、敵すらいないことだった。誰もいないということはつまり、この場所が"忘れ去られた場所"である
ということではないのか。こんなところで足止めを食らっているということ、それ自体が非常にマズい。自分が
無為に過ごしている間にも、周囲の事態はどんどん進行してしまうことだろう。それはマズい、マズすぎる。
 とにかく出口だ、とキョウジは思った。とにかく出口を見つけて外に出なければ話にならない。しかし、なぜ
だか分からないが、出口がさっぱり見つからないのだった。先ほどから、目印を付けてみたり、壁に手を当てて
離さないようにして歩いてみたり、思いつくことはすべて試しているのだが、同じところをぐるぐるとまわって
いるらしい、という最悪の現実を確認しただけに終わっていた。
「……はあ、困った」
 手頃な岩を見つけて腰をおろした。出口がないはずはない、それは確信があった。現在位置がいったいどこか
さっぱり分からないものの、木材を組んで壁や天井が補強されているところから考えて、ここは天然の洞窟では
なくて人工の坑道、おそらく前大戦中に掘られた防空壕であろう。落盤して出口が埋まったならともかく、その
ような痕跡はなかった。とするならば、出口は『ない』のではなく、なんらかの理由で『見つけられない』のだ。
そこまでは分かったのだが、しかし、どうすればそれを見つけられるようになるのかまでは分からない。それが
分からないことにはこの暗闇から出られない。
 ため息をついた。急に空腹感を覚える。支給された時代錯誤な石油ランプを岩の上に置いて、腕時計を明りの
下で確認する。もうすぐ6時。かれこれ2時間近くも無為に歩きまわっていることになる。
 ザックを漁り水のボトルを手に取った。ふと気になったのでボトルを観察する。市販のミネラルウォーターの
ようではあるものの、ご丁寧に無地のラベルが巻かれており、メーカーや製造年月日などは確認できなかった。
食糧品のほうもほぼ同様の状態で、一切情報を与えない、という主催者(たち?)の細かな心遣いがひしひしと
感じられた。
「ったく、表示義務違反の品なんか食べさせる気かよ」
 落胆する心を、冗談を言って紛らせる。箱を開け、スティック状の固形食糧を取り出して食べた。
「うまいっ! もっと食わせろ! ってね」
 言った直後、後悔がキョウジを襲った。独り言や冗談の類は、匙加減が難しい。適量なら己を鼓舞することも
できるが、少し間違えると一挙にむなしさに襲われる。どんよりとした気分のまま、固形食糧を口に押し込んで
水で流しこんだ。食糧というより兵糧という感じだが、まあとにかく空腹感はそれなりに紛れたのでよしとする。
よしとするほかなかった。
 腰をおろしたついでに休憩をとることにし、キョウジはザックの中から冊子を取り出した。これまた主催者が
ご丁寧に用意してくれた、「すてきなげーむのしおり」ことルールブック兼名簿である。いちおうすでに重要と
思われる部分には目を通してあったが、どうしても確認しておきたいことがあった。
 名簿のページを開いた。自分の名を含め、50名分の名前がずらりと列挙されている。見間違いであってほしい。
そう思いながら、ひとつひとつの名前を指でなぞりながら丹念に追っていった。さっきは、混乱してたし、目も
この闇に慣れていなかったから、自分の知っている名前だと思いこんでしまっただけだろう。まあ珍しいほうに
入る苗字とはいえ、難しい漢字でもないし、それに、ほら、よくある名前じゃないか、久美子なんて名前は――。
「……どういうことだよ」
 キョウジは空になった水のボトルを乱暴に投げ捨てた。ボトルが軽快な音を立てて岩壁で数度跳ねて転がった。
音は闇に吸いこまれ、再び沈黙が押し寄せる。キョウジは名簿を再び読み直す。
 見間違いではなかった。『秦野久美子』。彼女の名前だ。
「ちくしょう、どういうことだよ」
 キョウジは頭を抱えた。彼はそれなりに楽天的な性格ではあったが、さすがにこの状況でこの名前を見て、偶然
同姓同名の別人が紛れ込んできたのだ、と思いこむことはできなかった。
「なんでなんだよ、なんで、なんで?」
 頭をかきむしりながら呻く。ばっちりと決まったリーゼントがぐちゃぐちゃに乱れた。
「なんで彼女ばっかりこんなことにばっかり巻き込まれるんだよ、なんで平和に生きられないんだよ!」
 久美子の顔がいくつも思い浮かんで、消える。キョウジは――いや、キョウジの身体の中にある魂、依智純也は、
腹の底から湧き上がる怒りに任せて大声で叫んだ。
「なんでなんだよ……? 彼女にはなんにも関係ないじゃないか、彼女はなにも悪くないじゃないかッ!」
 拳を腿に振り下ろした。強烈な痛みが、背筋を駆け上って、後頭部で弾ける。それが彼の興奮をより煽りたてた。
何度も、何度も、拳を腿に叩きつける。何度も、何度も、繰り返す。
 意味がないことは分かっていた。自分で自分を痛めつけたところで、周囲の状況はなにひとつ変わりはしない。
しかし、やらずにはいられなかった。あまりに理不尽すぎるではないか。彼女はただの大学生だというのに、偶然
吾妻教授の研究室に在籍していただけで、偶然古代秦氏の血を引いていただけで、あんな危険な目に遭わされた。
それだけでも運命という理不尽なものを呪うに十分なのに、なぜまたこんなことに巻き込まれなければならない?
戦う理由もなく、それゆえ当然に力もなく、そしてその必要もない、平和ボケした日本人として老いて死んでいく。
大多数の人間が享受しているその権利は、なぜ彼女にだけ与えられないのか。
「ちくしょう!」
 最後に一発、思い切り拳を腿に落とした。叫びたくなるような痛みにあらゆる思考が吹き飛ばされ、キョウジは
逆に冷静さを取り戻しはじめた。こんなことをしている場合ではない。自分で自分を痛めつけても、それで彼女の
不幸を分け合ったことにはならないのだ。偽りの達成感を味わっている間にも、時は刻一刻と過ぎていく。
「……彼女を、探さなきゃ」
 もう、なんで、とは言わなかった。こうなってしまった理由など問うても仕方がない。重要なのは、今の現実。
彼女がこの狂気の街にいて、今この瞬間にも危機にさらされているという現実だ。
 救わねばならない。なんとしても、彼女を救わねばならない。なぜなら、俺は――

 急に、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。キョウジの魂は、もともとは多少の資質があるだけの一般人である。
が、キョウジの肉体は葛葉一族の優秀な悪魔召喚師のもので、非常に秀れた身体的・霊的能力を兼ね備えていた。
魂が未熟なため、能力を完璧に使いこなせているとは言えず、今だに魔法はまったく使えないし霊感もほとんど
なかったが、その乏しい霊感でもこれほどに感知できるほどの、強大でまがまがしい力が遠くで湧き上がるのを
感じた。それは急速に膨らみ、この街を覆う。いや、はじめからこれはこの街そのものだったのかもしれない。
『諸君、夜の闇は去った。定刻である』
 声が響いた。暗闇の中、濁った空気全体が震えているのか、肌がビリビリと振動を感じた。
(……いや、震えているのは、僕自身か)
 とキョウジは冷静に分析する。霊的な力の波によって魂を直接震わせることで、声を伝達しているのだろう。
いったいどれほどの力があれば街ひとつの範囲にそれほどの波を放つことができるのかは、見当もつかない。
このゲームの主催者(たち?)の力を推して知るべし、というところか。
 腕時計を見る。午前6時ちょうどを指していた。主催者が誰だか知らないが、マメな性格ではあるらしい。
そこにキョウジは言いようもない怒りを感じたが、その根拠は自分でもよくわからなかった。
『我が元へ参った魂の名を告げる……』
 と、感情のこもらぬ声が淡々と続ける。あるいは最初から感情そのものを持っていないのだろうか。
 キョウジはザックから名簿を出そうかどうか少し悩んだ。出してどうする? 聞いた名に赤線でも引くのか、
買い物で見つけた品をメモから消してくみたいに? 生理的な嫌悪感を抱きつつ、しかしやらざるを得ない、と
考え直し、ザックに手を突っ込み、名簿を掴み、ページをめくり……そこで、動きが止まった。
『……秦野久美子……』
 感情のない声が、その名を読み上げた。まるでただの物の名のように、淡々と。その声の主にとって、ただの
物の名と等しいだけの価値しか持たぬということなのだろう。聞く者にとってはそうではないというのに。
『死者の数はまだ少ない。精々殺しあうがいい―――』
 声が傲岸に語り終える。振動が止み、静寂が再び洞穴を満たした。急激な無音に耐えかね、耳が不快な高音の
耳鳴りを奏ではじめたが、しかしキョウジは動かなかった。ただ、じっと動かなかった。

 どれだけそうしていたのか。時計を確認する気はなかったし、しようにもランプの火はいつの間にか消えていた。
 なぜだろう、とキョウジはぼんやりと考えた。先ほどまでの燃えるような問いとは似ても似つかない、痛みを
感じるほどに冷たい疑問だった。
 涙が出ないのは、なぜだろう。
 あまりに現実感がないからだろうか。しかし自分はこのすべてが現実で真実だと知っている。いや、異界という
現実と非現実の境目を何度もくぐった肌が、現実だといやおうにも感じ取っている。
 あまりに事実が重過ぎるからだろうか。あまりに唐突すぎるからだろうか。そうかもしれないし、そうではない
かもしれない。混乱していた。その混乱のせいにすることもできたが、しかしそれは自分に嘘をつくことになる。
嘘で自分を騙しきれるならばそれでもいいが、二度ほど三途の川の渡し守に対面し、闇の商売を通じて幾多の命を
奪ってきた自分……過酷な現実に鍛えられ“死”に慣れた冷徹な自分が、そんな安易な嘘はすぐに見破ってしまう。
 涙が出ないのは、なぜだろう。
 もう自分には泣くことが許されていないのかもしれない。ギリシア神話のラミアのように、涙という救いの道を
奪われてしまっているのかもしれない。ラミアは悲しみに蝕まれたあまり、半蛇の怪物と化した。自分も同じだ。
違うのは、ラミアは泣けないから怪物となったが、自分は既に怪物だから泣けないのだろう。悪魔召喚師という、
人の則を踏み外した、怪物にも等しい存在だから。
 そもそも、大切な人を奪われて、泣いて悲しむ権利など自分にはないのだ。商売柄、危険なことに首を突っ込む
ことは多かった。悪魔だけでなく、人の命を奪うこともあった。自分の手によって、大切な人を奪われた人がいる。
それが巡りめぐって、自分に戻ってきただけのこと。理不尽に見えるが、しかしそれが世の定めだ。
(因果な商売だ……デビルサマナーってのは)
 少しだけキザに決めてみた。そうやって強がることしか自分には許されていない。それは仕方ないことだった。
『名前は、なんて呼ばれたい?』
 あのときのレイ・レイホゥの問いに、自分は「葛葉キョウジ」と答えた。そう答えた以上、覚悟がなかったとは
言えない。葛葉キョウジとして生きる運命を受け入れる、そういう意思表示をしたのは自分だった。それは同時に
こういう世界で生きるという道を選んだことでもあるのだ。受け入れるしかなかった。
(それだけじゃないだろう?)
 あくまで冷徹な自分の一部が抗議の声を上げる。まだ自分は嘘を吐いている。嘘まで行かずとも、意図的に目を
逸らしていることがある。それは、わかっていた。そのままにしておけばいいじゃないか。そう思っても、自分の
心は常に自分の思い通りになるとは限らない。
(僕は、怒っている)
 そう、それは事実。猛烈に、怒っていた。理不尽な運命に。それを引き起こした主催者に。抗えず、彼女を救う
ことができなかった自分に。
(それだけじゃない、わかっているだろう?)
 そう、確かに……いや、わかってはいない。だが薄々は気づいていた。気づきたくないとも思い……そして目を
逸らしている。できることならば目を逸らし続けていたい。気づかぬまま過ごしていたい。
(僕は、怒っている。自分自身に……自分自身がいま感じている気持ちに)
 キョウジは暗闇の中で再び頭を抱える。背筋から頭に向けて血液が逆流したような、いやな感覚が身体を包んだ。
(僕は、彼女が死んだと知って……安堵したんだ)
 違う、叫びそうになったが、その声は喉で凍りついた。違わない。そう、それは偽りようもない真実だった。
(この街には、あのシド・デイビスもいる。見知らぬ敵がいっぱいいる。彼女を守るどころか、自分が生き延びる
ことができるかもわからない)
 それはあまりに単純すぎる理論展開で、むしろキョウジの盲点だった。そう、ここは自分が見知った街ではない。
少し歩けば裏社会の知り合いがいて、事務所に帰れば薬や重火器が万全整えてあって、頼れる仲魔やパートナーの
協力が得られるような、そんな世界ではないのだ。
(ここは見知らぬ異世界。そんなところで重荷を背負うことはできない。重荷が自分の手元に届く前に消え去って、
お前は安堵したんだ、そうだろ?)
 そうかもしれない。……いや、間違いなくそういう思いはあった。そこまで露骨ではないにしろ、ほんのわずか、
コンマ以下数十桁の少数であろうとも、混じっていなかったと断言することはキョウジにはできなかった。
(自分が当事者でなく傍観者でいられる間に彼女が死んでくれたから、お前は自分が被害者だと思い込めたんだ。
彼女の死の責任を完全に免れ、純粋な被害者でいられることに安堵した)
 それじゃまるで僕が彼女を殺したみたいじゃないか、とキョウジは心の声に弱弱しく反論した。
(違うのか? 彼女が死ぬことが運命だとしたら、彼女を守ることはそれに逆らうことだ。お前は何に逆らった?
この闇の中、半べそかいてウロチョロしていただけ。彼女を押し流した運命の激流に逆らうことなく、その一部に
成り下がっていたじゃないか)
 違う! 僕はこの運命を許しはしない。彼女を殺したものを許しはしない。
(許さないならどうする? 復讐でもするのか? 彼女の敵討ちとばかりに誰かを殺すのか? それのどこに正義が
ある? 所詮は単なる殺意さ。要はただ自分が殺したいから殺すだけじゃないか?)
 心の声は執拗に続ける。キョウジは眼を閉じ、細く息を吐いた。 
(いいんだよ、正直になってしまって。殺したいから殺すのさ。それの何が悪い?)
「……いつのまに憑かれたのかな?」
 つぶやき、キョウジはすばやく自分の右肩の上の空間に向かって左手で掴みかかった。手が空を掴むと同時に、
ぎゃあッ、という叫び声があがり、なにもない空間から、どぎついピンク色をした悪魔が現れる。
「こうやって心の弱い者を追い込み、殺し合いを加速させるってわけか」
 悪魔の首をがっちり掴んだ左手に、ぐっと力を籠める。苦しそうなうめき声が聞こえた。夜魔の類だろうか、
魔力に向いた能力をもつそれの肉体はなんとも頼りない感触で、少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうだ。
そうしてしまいたい激情が胸の中を駆け巡るが、キョウジはそれをこらえた。後に残るのは不快感だけだという
ことはよくわかっていたから。
「いろいろ忠告ありがとう……おかげで冷静になれた。あやうく、主催者サマの思惑に乗せられるところだった」
 首に巻きついた指を外そうと、ピンク色の夜魔はじたばたともがく。一見愛らしくも見えるさまではあったが、
キョウジには不愉快な踊りにしか見えなかった。自分の心の声を騙って洗脳を試みてきた者に好意的な感情を抱く
ことができるほどにはキョウジも能天気ではない。
「お前のご主人様に伝えろ。僕はご立派な聖人君子じゃないし、かといって開き直るほど子供でもないが」
 左手を離す。支えを失った夢魔がぽとりと地面に落ちる。と同時に、爆音が洞穴内に響いた。
「お前らを許してやれるほど大人でもない……このケリは必ずつける、ってね」
 キョウジは硝煙立ち上る銃を無造作にホルスターに戻した。リボルバー拳銃はあまり使い慣れていないのだが、
さすがは西部開拓時代から使われ続けた名銃、コルト・シングルアクション・アーミー……通称"ピースメーカー"
だけのことはある。極端にバレルが長く、そのため威力と反動が半端じゃなく大きいというクセこそあるが、それ
以外には目立った粗もなく、重心といい、グリップの具合といい、トリガーの感度といい、文句なしの扱い易さだ。
クイックドロウで抜きざまに放たれた弾丸は、夜魔の頭のすぐわき5cmのところを狙い通りに撃ち抜いていた。
「そら、行けよ。……次は外さないぞ」
 きょとんとしている夜魔に、顎を振って逃げるよう促す。それでもまだ事態を理解できていないのか、それとも
腰が抜けて動けないのか、悪魔は座り込んだまま動かない。キョウジが苛立たしげに銃口を再び向けると、夜魔は
慌てて飛び上がると、逃げるようにして闇の中に姿を消した。
 ため息をひとつつき、銃をホルスターに戻す。また、静寂と孤独とがキョウジを包んだ。
「……重荷、か」
 ぽつりと一言つぶやいた。心の中に、薄ら寒い風が吹いているような気がする。
 反論できなかった。悪魔のあの言葉に、自分は反論できなかった。
 すでに両手は穢れている自覚はあった。魂も潔白とは言えぬ諦めもあった。しかしそれでも最後の最後、人間と
しての良心だけは決して捨てないつもりでいたはずだった。
 それなのに、あの外道な言葉に対し、自分は反論ができなかった。人間として最低の、良心の欠片もない思想に、
自分は半ば同調しかけていたのではないのか。もしかすると自分は最後の良心までもついに捨ててしまって……
「……はは、危ない危ない」
 キョウジは首を軽く振った。悪魔の言葉に対しあれだけの啖呵切っておいて、自分から考え込んで落ち込んでは
世話はない。
 誰にだって打算的なところはあるし、醜いところはある。そんなことは分かりきっていることだった。ことさら
その一点だけを取り上げて、卑怯だ醜悪だと騒いでいられるほど、自分はもう幼稚ではなかった。残念なことに。
「ただだからと言って、そういうもんだと飲み込んで一人で生きていけるほど大人でもないんだ、残念なことに」
 またつぶやいて、苦笑した。さっきから独り言が多くていけない。やはり一人は心細かった。誰かと一緒なら、
こんなに落ち込んで考え込むこともないのに、一人でいるというのはこうもつらいことなのか。
 岩に座りこみ、手探りでランプを手に取った。マッチを擦る。ほんの小さな明かり、しかしキョウジにとっては
とても大きな救いのようにも思えて、しばらくしげしげと見つめてしまう。そうこうしている間に、小さな木片は
あっという間に燃え尽き、周囲はまた再び闇と静寂に押しつぶされてしまう。
「やれやれ、縁起でもない」
 自分の今の姿がいかに病んでいるかに急に気づいて、キョウジは苦笑した。これじゃまるで、あの童話の不幸な
少女みたいじゃないか。雪に埋もれて死ぬしかなかった少女、無力ゆえに希望とさえ呼べない小さな明かりに縋る
しかなかった少女。
「……はは、まるで今の僕そのものだな」
 笑った。乾いた、痛々しい笑いだった。状況は、なにも変わっていない。ここは忘れられた洞穴、自分はここで
ひとり彷徨う哀れな男。銃があろうが、悪魔召喚師としての腕があろうが、なんの役にも立たない。無力で孤独で
絶望的なことにかけては、あの少女に勝るとも劣らぬ状態になんの変わりもないのだ。
 しかし、希望がないにしても、キョウジは前に進む。それがこの男の強さだった。
 二本目のマッチを眺めるのもそこそこにランプに点火する。ガスランプ特有の熱と音と臭いとが黒一色の世界を
鮮やかに切り裂いた。その明るさをつい直視してしまい、まばゆさに目がくらむ。くらむことはわかっていたが、
しかし見ずにはいられなかったのだから仕方がない。
 しばし目を瞬かせ、慣れるまでランプと逆の岩壁を見ていようと視線を移し……そこでキョウジはある物を見た。
 先ほど投げたボトルが、岩壁に半分めり込んでいた。
 歩み寄り、ボトルをつま先で軽く蹴ってみる。ボトルは軽やかな音を立てて、岩壁の中につるりと入り込んだ。
まるで"壁など幻であるかのように"。
「……はは……なんだ、意外と希望はあるじゃないか」
 キョウジはまた笑い、荷物をさっとまとめて幻の岩壁を通り抜けて進んでいく。その足取りは決意に満ち満ちて
力強く、その瞳はいっそう輝きを増して前を見据え、その口元は油断なくキリリと真一文字に結ばれている。
 ドアが見えた。隙間から光が洩れている。ついに見つけた、出口だ。ドアノブをひねり、必要以上に力を入れて、
開け放った。光と風とに包まれたような気がした。


【時刻:午前6時半】【場所:平坂区・春日山高校】

【葛葉キョウジ(真・女神転生 デビルサマナー) 】
状態:正常
装備:ピースメーカー
道具:なし
基本行動方針:レイと合流、ゲームの脱出
      (久美子の死はショックだったが、仇討ちなどとは考えていない)
備考:中身はキョウジではなくデビサマ主人公です。

Back>>050
Next>>051

最終更新:2009年02月14日 22:40