
年表、時代からの考察
安部公房(1924-1993)
幼少期を 帰国、現成城大学入学
1940 戦下のため繰上げ卒業、東大医学部入学
1943 結婚、詩集を自費出版
1947 処女小説を刊行 「人間失格」太宰治
1948 「仮面の告白」三島由紀夫、「山の音」川端康成
1949 「赤い繭」で戦後文学賞を受賞
1950 「壁-S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞受賞
1951 「二十四の瞳」壷井栄
1952 「あすなろ物語」井上靖
1953
大岡昇平 1909-1988
第二次戦 三島由紀夫 1925-1970
井上靖 1907-1991
吉行淳之介 1924-1994
第三の新人 遠藤周作 1923-1996
このように、同時代の作品、同世代の作家と比べると、安部公房は特に異彩を放っている様に見える。(私的には、他の作家はどうも、戦争くさいように感じる。)
・小説の設定が荒唐無稽であるから、時代感というものが出てこない。
・安部自身、戦火にある日本にほとんどいなかったせいもあるかもしれない。
・伝統の排斥「伝統という概念そのものを、とにかく拒否したいのは・・・」
不条理であること
カフカ メタファーのような、非現実的な世界にいる人間の生活を描く、また、死にゆく姿、「悲しみ」を描く
→非現実的な世界というものが、不条理
カミュ 人間自身の内在する不条理さを描く、個人的な美徳とりも、個の生の悦びをを享受されることが重要視される
→個の生の悦びというものは、論理的でない不条理なものである
安部公房 非現実的な状況と論理的不条理さ
独特の世界構成~論理的不条理さ~
○感覚を視覚化、文章化
「肉屋で上げている豚肉のイェロー・オーカー・・・」
○客観的な描写
「蒼い顔、額の皺、上ったり下ったりする喉仏・・・」
↓
●現実と感覚の交錯
「雨漏りと料理の湯気で、ぶよぶよになった場末のアパート・・・」
「目を覚ますと、身体中に鋼鉄のゼンマイが仕掛けられていて、ぴんぴん跳ねてしようがなかった。」
これらによって世界が作られていく。
○非現実的な状況 ○論理的不条理さ(SF的?)
- チョークで描いた物の具現化 ・肉体が壁の成分に置きかえられてしまった。
・太陽光で消滅 ・窓やドアの創造
・貧乏? ・壁への吸収
↓
●これらによって、世界が躍動し始める
そしてアルゴン君が世界の創造主となる
全てが混沌となってカタルシスに向か ⇒アルゴン君の悲しみ?
状況というものがあまりに荒唐無稽なため、論理がしっかりしていないといけないのだが、その論理もかなり脆い。
小説として、身を保つために、一人称(主人公格)の感覚というものはしっかりとしていないといけないのかも?
(主人公は非常に素直、素朴な印象を受ける。)
赤い繭・初編のあとがきにて
「壁がいかに人間を絶望させるかというより、壁がいかに人間のよき運動となり、人間を健康な笑いにさそうかということを示すのが目的でした。」
安部公房 ⇒自ら手の届かない理論によって身を削られていくもどかしさから、「不正操作の不条理」を描いていると思う。
それは、悲しみでも虚無感でも苛立ちでも笑いでもありえる。
描かれる「不正操作」によって翻弄される人々(満州の半砂漠的イメージが原点?)
⇒人間というものは、ちっぽけで、状況によって人間が翻弄されてしまう。
自分というものへの疑問、相対的な「僕」
「壁」 「名前」が奪われる。
「赤い繭」 「家」が奪われる。
「砂の女」 「自由」が奪われる。
「箱男」 「見る」という存在。「見られる」から逃れる。
⇒生活の中のなにかがない。求めるが、最終的に見つからない。
⇒不必要?相対的に「僕」が社会で存在している?
「魔法のチョーク」に対するコメント
石川淳
「(人間に対して押し迫る壁に対して)安部公房君が椅子から立ち上がって、チョークをとって、壁に絵を描いたのです。」
「精神の生活は個々に安部君のチョーク的に必然の形式を取る。それが現実の生活と相似の形態に固定していないのは、安部君が精神の運動に表現を与えているからです。この形式において、この仕事は現実の生活上に普遍的な意味を持つ。すなわち世界観が出来上がる。」
佐々木基一
「世界も空虚、自我の内部も空虚――あるいは世界も自我の内部も、ともに固い壁で閉ざされている――ということは、同時に世界も自我の内部もともに未来に向かって(未来に向かってのみ)無限の可能性をはらんでいる場であり――あるいは、ともに突破し、変革すべき対象でしかない、ということである。」
野口武彦
「『魔法のチョーク』は、一口に言えば、この「壁」とのたたかいの方法論をみごとに図解して見せた作品である。」
「この短編の妙は、(中略)、アルゴン君が真正の画家としてチョークで壁の上に「天地創造」をこころみようとする場面にある。」
「世界を与えられるものとしてではなく作り出す物として引き受けることを決意したとき、その人間はみずからの責任にアルゴン君のように戦慄を禁じえないだろう。「この仕事は窓を窓にするためにする付属的な仕事じゃない。世界の創造に関わることなのだ。おれの一筆が世界を決定するのだ。」というアルゴン君の言葉は、不可能の「壁」を突破してその向こう側へ出るためのたたかにおいて想像力に課されるはずの負荷の重さを暗示している。」
清水徹
「(最後に壁と化したのは)夢見る力の強さが、次第に夢の苦さを教えてゆき、その苦さが無垢な夢の実現へのかぎりない再出発をうながすという、まるべメビウスの輪のようなふしぎな回路が」描かれている。
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最終更新:2008年12月01日 23:26