マハーヴィーラ

(ニガンタ・ナータプッタ、Nigantha Nataputta) - ジャイナ教の開祖。相対論者
六師外道の一人

本名は「ヴァルダマーナ」であるが、大悟してから後にはマハーヴィーラと尊称される。
また「ジナ(勝利者)」という尊称も持ち、六師のひとりとして、
「ニガンタ・ナータプッタ」の名でもよばれている。
ナータプッタとはジニャータ族の出身者という意味である。
ニガンタとは、かれより以前に古くから存した宗教上の一派の名であるが、
彼がこの派に入って後、その説を改良したのでジャイナ教の名が出ている。
が成立した。
ジャイナとはジナ(勝者、修行を完成した人)の教えという意味である

彼は仏陀と同じころ(紀元前六~五世紀)、ほぼ同じ地方で活躍した。
ヴァイシャーリーの王族に生まれ、長じてヤショーダーと結婚して一女をもうけたが、
両親の死後三十歳のときに出家し、沙門(シユラマナ)の生活をはじめた。
見に一糸もまとわぬ裸形で、人々の非難に耐えながら十二年間の苦行をしたすえ、
ついに全知者の境地に達し、そののち、七十二歳で死ぬまで布教をつづけて
多数の信徒を得た。

このジナの生涯は、仏陀のそれによく似ているが、
それは当時の沙門(シユラマナ)たち全般にも多かれ少なかれ共通なものである。
しかし、少し立ち入ってみると、仏陀とジナとのあいだには、著しい違いがある。
仏陀は人柄も穏和で穏健な道を歩み、「中道」や禅定(ぜんじょう)を説いたが、
ジナには克巳心や厳格さが特徴であり、
ことに仏陀のしりぞけた苦行に重要な意味を認める。

ヴァルダマーナは西紀前444年ころに
商業都市ヴァイシャーリー市の北部の村で王族の子として生まれた。
彼は成長して一婦人と結婚したが、三十歳のとき出家して修行者(沙門しゃもん)となり、
ニガンタ派に入り、専心苦行を修した。
その結果、大悟を得てジナとなり三十年教化を行い、
七十二歳で寂した(西紀前372年ころ)。

ジャイナ教の伝説によると、彼が世に現れる以前に23人の救世主が現れ、
第23祖をパーサといい、マハーヴィーラは第24祖に該当するという。

当時の思想界においては、種々の思想が対立し、互いに争っていたが、
マハーヴィーラは事物に関しては絶対的なあるいは一方的な判断を下してはならないと主張した。
事物は種々の立場から多方面にわたって考察すべきである。
もしも何らかの判断を下そうとするならば、
“或る点から見ると”という制限を附して述べなければならない。
例えば事物は実体または形式という点から見ると常住であると言い得る。
すべては相対的に言い表し、相対的に解すべきである。
この観察法を“見かた”といい、この点にもとづいてジャイナ教の立場は不定主義(相対主義)と称せられる。

マハーヴィーラはかかる批判的・反省的立場に立っていたから、
ヴェーダ聖典の権威を否定し、
バラモンたちが日常行っている祭祀は無意義・無価値であると主張したのみならず、
祭祀において獣を殺すのは罪をもたらすといって排斥し、また階級制度に反対した。
そうして合理的な立場に立って、
あらゆる人間があらゆる時あらゆる所においても遵奉すべき普遍的な法がある、と考えた。









最終更新:2007年07月28日 11:44
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。