コルトM1851

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コルト M1851 ネイビーはアメリカの銃器メーカーであるコルト社が1851年に発売したパーカッション(銃用雷管)式シングルアクションリボルバーである。

コルト社は1848年に.44口径という大口径のコルトM1848(通称コルト・ドラグーン)を開発し、アメリカ陸軍の制式拳銃に採用された。そして1851年に.36口径に小さく軽量化したM1851を開発した。シリンダーには、1843年のテキサス海軍の勝利の場面が描かれており、これが navy (海軍)と呼ばれる由来となっている。

「Colt Revolving Belt Pistol of Naval Caliber」(直訳すれば海軍仕様口径コルト回転式ベルトピストル。弾丸直径に36口径を採用した)は、後にコルト1851ネイビーまたはネイビーリボルバーという名称で知られるに至る。雷管と球形弾を用いることからキャップ&ボールリボルバーとも呼称される。1847年から1850年にかけ、サミュエル・コルトによって設計された。本銃は、金属薬莢を用いる回転式拳銃が広汎に使用されはじめた1873年まで製造ラインに残っていた。コルト・ポケットモデルだけでも、並行開発された各型の生産数に勝っており、総生産数はアメリカ国内だけでも約250,000挺を超える。コルト・ロンドン兵器工場ではおよそ22,000挺を生産した。

「コルト1851ネイビー」の呼称はコレクターによって用いられた通称である。この通称は、当初「ネイビーリボルバー」と呼ばれていたところから発するものである。本銃は通常「Colt Revolving Belt Pistol of Naval Caliber」と呼ばれた。シリンダーには1843年5月16日に行われたカンペチェの戦いにおけるテキサス海軍(テキサス共和国の海軍。1845年アメリカに併合)の、勝利の情景が彫り込まれている。テキサス海軍は当時、コルト・パターソン・リボルバーの初期型を購入して配備していたが、これはコルト社の最初の大きな商機と成功であった。コルト1851ネイビーリボルバーのシリンダーに彫り込まれた海軍の情景は、コルト社による感謝の現れであった。「ネイビー」の呼称にもかかわらず、この回転式拳銃は主として一般人と陸軍部隊に購入された。

「ネイビー」の著名な使用者には、ワイルド・ビル・ヒコック(ガンマン)、ドク・ホリデイ(ガンマン)、リチャード・フランシス・バートン(探検家)、ネッド・ケリー(無法者)、そしてロバート・E・リー(軍人)などが存在する。1873年、最新式の金属薬莢式のリボルバーが市場に出回った後にも、本銃は長く用いられ続けた。

マシュー・ペリーが2度目に来日した1854年、当時最新型だったこの拳銃を幕府の重臣達に数丁贈ったとされている。のちに水戸藩でコピーされ桜田門外の変の際に井伊直弼暗殺に用いられたらしい物が、大阪の古式銃愛好家の手で保管されていることが2010年1月に確認された。

性能


36口径ネイビーリボルバーは、1847年に44口径ウォーカー・コルトから派生したドラグーン・リボルバーより非常に軽量であり、鞍頭の両側面につけられるホルスターで携行するよう設計されていた。本銃は31口径のポケットリボルバーの銃身内径を拡大したバージョンであり、ポケットリボルバーはベイビードラグーンから派生したものである。これらは1836年型のパターソンリボルバーの作動機構を単純化し、改善したものを用いている。メーカーでの呼称が現わすように、ネイビーリボルバーはベルトホルスターに収容して携行できるよう、サイズを整えられている。本銃は北アメリカにおける西部の広汎な植民化の時期において非常に人気のあるものとなった。コルトの積極的な商業活動により、ヨーロッパ、アジアおよびアフリカまで、ネイビーリボルバーやコルト社の他の製品が輸出されることとなった。

36口径(実寸としては.375から.380インチである)の球形弾は重量が86グレインである。銃口初速は毎秒1.000フィートパーセコンドに達し、近代的な.380ACP弾と威力では比肩しうる。弾薬は推薬と球形弾または他の形状の弾頭から構成される。また初期の金属薬莢、南北戦争時代には発火しやすい紙製薬包も使用された。これらの弾薬は全て薬室後方の突起にセットされる雷管によって発火された。

サイトは、大部分のコルト社製のパーカッション式リボルバーと同じく、ハンマー上部に彫られた刻み目と、フロントサイトのビードから構成される。比較的粗雑なサイト配置にもかかわらず、これらのリボルバーと現代作られる複製品は、通常ほぼ正確に射撃できる。
最終更新:2013年05月28日 22:25