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第2回読書会 - (2006/06/24 (土) 16:47:47) の編集履歴(バックアップ)


『堕落論』「日本文化私観」を読む

■時
2006年06月07日午後08時~23時
■場所
民俗学研究会部室
■利用図書
坂口安吾著『堕落論』の中の「日本文化私観」
■参加者
メンバー全員+3名
■感想文
以下参照

感想文


■サトミ
題:「日本文化私観」

 「日本文化私観」の内容は面白いか否か、もし友人にそのことを尋ねられたとしたら私は「貴方にとっては面白いかもしれないけれど、私はあまり面白くなかった」と答えるだろう。坂口安吾の名前は知っていたものの、今回初めて彼の著作を読んで私が感じたことは「よく分からない」ということだった。もちろん、「日本文化私観」の内容が全く面白くなかったというわけではない。安吾が文中に書いていることに共感が持てた部分も多くある。
 小菅刑務所や佃島のドライアイスの工場、無敵駆逐艦。美しくするために加工した美しさが一切ない、ただ必要なもののみが必要な場所に置かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっていたもの、それが安吾の「美しい」と感じるものだった。私にも同じように「美しい」と思うものがある。それが鉄塔だ。私が鉄塔を美しいと感じるのには他にも理由があるが、鉄塔は必要な機能 のみが求められ、加工した美しさのないものだと思う。
 しかし小菅刑務所もドライアイス工場も、そして鉄塔も他の人からすれば景観を損ねるものとして美しいものではないと判断されるかもしれない。特別に何か装飾があるわけでもなく、人の目を喜ばすものは何もないのだからだ。むしろ彼らの目に留まることのない、「美しい」という感情をもたらすものか否か判断する対象ではないだろう。法隆寺や平等院などに「美しさ」を感じる人の方が多いと思う。けれども安吾はそういうものの美しさは素直でなく、結局、本当の物ではない、空虚だと言い切っている。古代や歴史といったものを念頭に入れ、一応、何か納得しなければならないような「美しさ」はあってもなくても構わないものだと言っている。

 私が「日本文化私観」を読んで感じた「面白くなさ」というのは、単純に内容を理解できなかったことによるものだけではない。「坂口安吾」という人物と彼の著作に対する周囲の評価、そういうものを念頭に入れ私が何を感じながらこの作品を読んだか、というところに「面白くなさ」の理由がある。映画や音楽では、何か作品を鑑賞する際に全く何の意見も周囲から聞くことなく鑑賞するというのは少ないように思う。作品に触れる時には何かしら前評判のようなものを念頭に入れ、実際に映画や音楽を鑑賞することが多い。今回も、私の中にある「坂口安吾は有名な文筆家」=「彼の作品には何かしら素晴らしいことが書かれてあるに違いない」という思いのもと、この作品を読み進めていった。しかし結局、私の中には「面白くない」という感覚が残った。おそらく周囲には「何故面白くないのか」と言われてしまうだろう。けれども、そういった考えのもと読み進めていったこの作品を、例えば私が「面白い」と感じたらそれでいいのだろうか。「一応、何か納得しなければならない」面白さを感じ取ろうとしているだけではないのだろうか。私が感じた「面白くなさ」というのは、この作品に対して周囲の評価や意見と同じものを感じなくてはならないのではないかという思いからきているように思う。皆が「面白い」「興味深い」と思うことに、私が本心とは別に「面白いものなのだ」と納得しようとしていることが嫌で、全く面白くないと思ったのだ。
 坂口安吾は「私観」=安吾の主観で「美」について語っている。私は安吾のように何かについてきっぱりと言い切る自信はない。けれども以上に述べた事が私の率直な感想だ。他の人はこの作品をどう読んでいったのか、「面白くない」と感じた私が納得してしまうような面白さを見出したのだろうか、とても気になる。

■センセイ
題:なんとなく日本文化?

今回、坂口安吾の「日本文化私観」を私が推薦したわけですが、先ずその理由として挙げるならば、沙門が図書館から借りてきていた『晴れた日はだ巨大大仏を見に』を読んで、こんなに変なものが日本にあったのか!ということです。
日本にある大仏といえば私にとって奈良の大仏、鎌倉の大仏でした。それがこの本を見て高さ120mの大仏が日本には存在している。果たして信仰の対象として存在しているのか?という疑念がわくのだが、フリーマーケットが開かれたり花祭りが開かれたりと、地元に根付いた建物にはなっているようで、不思議な印象を持ってしまう。
利用できるものは何でも利用する貪欲な精神。
今回の読書会で最も知りたいのは、あなたにとって”日本文化”ってどんなイメージですか?
漫画でしょうか?アニメ?車?梅酒を作ること?定期的にスポーツすることでしょうか。

P,11日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だと著者は書いているのだが、”生活の健康”とは何か?国家の健康とは何か?

個人的なところから文化という漠然とした題目について考えてみるわけですが、私は生来の汗かきです。日本の夏、金鳥の夏は私にとって地獄の季節なわけです。自然と涼しい服装、動きやすい服装を選ぶのですが、周りを見るとジーパンをはいています。またある人たちはスーツ(学生服など)を着ているのです。海外はどうでしょうか。いまだに日本だけ明治時代の因習にとらわれているような気がします。
これは著者の、出会うのが遅かったという考えだけでは説明できないと思うのです。なぜ、”不良っぽい”人たちは甚平を着るのか?また、甚平を着ている人をそう捉えることができるのか?
”おしゃれ”とは何でしょう?これって文化ですかね?一方で鮮やかな鳥もいれば花もあります。
私なりに和服をなぜ着ないようになったのかといえば、近代の生活には和服が機能的にそぐわないからだと考えています。和服を着て自転車にでも自動車にでも乗ってみてください。もしくは階段の上り下りをしてみれば分かります。

最後に身近なところで大学生の生活を取り上げてみたいと思います。大学生がよく利用するものを挙げてみます。
コンビに、ほか弁、TSUTAYA、パソコン、携帯電話、油取り紙、テレビ、AV機器、本屋、古本屋(これ怪しいですか?)、マクドゥナルド、他にもあるでしょう。
今回集まった人たちでどんなものが出てくるか、そこも焦点にしたいと思います。

■オオクマ
題:『日本文化私観をさわりだけ読んで』

 この日本文化私観の中で、最も印象に残ったフレーズはコクトオが日本へ来たときに日本人はなぜ和服を着ないのかと嘆くところ(p.6p.8~)から始まる部分だった。
本文中で著者は、このコクトオの言ったことに関し、日本人の洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだと述べ、日本人には着物のみが美しいわけではない(以下省略)と反論している。
 私はこの一連の話に疑問を抱いた。というのも、私が中学生の歴史の授業で日本の弥生時代の庶民とそのころのヨーロッパの庶民の服装を対比した絵が教科書に載っていたが、どう見ても西洋人はふんどし一つで魚を採っており、対して日本人は麻でできていて洋服のように見える服を着て米を収穫していたのをみて印象に残っていたからである。というわけで、今回は、衣服の歴史を調べようと思い立ったわけであります。

1、洋服とはなんぞや?和服とは何ぞや?
 広辞苑によると
 洋服:西洋風の衣服
 和服:洋服と対比される場合は着物をさす
 と書いてあった。大変アバウトな感じですね。
 ここで都合上、洋服と和服をそれぞれ二種類に分類しておきます。というのも、昔は身分の上下で大分服装が違いますので。
 A:ドレスやタキシードなどの正装
 B:現在でいうところのカジュアルな服
 C:高そうな着物、十二単など
 D:安そうな着物(西郷どんみたいな)

 先述のとおり、日本人は昔、西洋人より遥かに服っぽいものを着ていた、そこから着物へとシフトしていったと考えて西洋と比較させれば、A=C B=D てな感じになる。
 ではなぜ日本人はそこからさらに洋服に変わったんでしょうね。

■モンチ
題:「日本文化私観」

 「坂口安吾は嫌いだ」という気持ちが何処から生まれたのか、それを探りながら僕はこのエッセイを読んだ。人が人を嫌うにはそれなりの理由が無ければならない。理由無き嫌悪を僕は好まない。これは僕の理想だ。しかし、この理想が実践されること無いのだ。すでに僕の思考は矛盾を含んでいる。ここに坂口安吾は僕の欺瞞をみてとることであろう。
 僕が他人を嫌いにならないところに欺瞞がある。そして、「僕は他人を嫌いにならない」というところにも欺瞞がある。前者より後者の方が根が深い。前者は他者に対する欺瞞であり、後者は自身に対する欺瞞である。他者に対する欺瞞は、ある時だけにしか分からないかもしれないが、自身に対する欺瞞はそういうわけにはいかない。僕が生きる長さ分だけ根は深く、常にそばにある嫌な感情。ありったけの言葉を使って隠しても、僕の身体は欺瞞に気づく。

 坂口安吾に欺瞞は無い。いや、あるのかもしれない。しかし、「日本文化私観」は人を欺かない。欺かれるのは、「必要」という彼の思想と実践が収斂している言葉を間違った解釈で読むものだけである。彼にとって、金閣寺や法隆寺は必要無いのであって、彼は社会にとって必要無いといっているのではない。金閣寺や法隆寺が必要無いのは、彼の美がそう言っているのであって、社会の美がそう言っているのではない。だから、坂口安吾に倣って、ゆえに金閣寺や法隆寺が必要無いという者は、坂口安吾いわく「美しくみせるための一行」なのである。

 「美」の本質など何処にも無い。「美」の本質を考えても、クレーは絵を描けないし、クレーの「忘れっぽい天使」は生まれてこなかった。「美」は美を忘れたときにやってくるのかもしれない。クレーは肩肘をついて、他愛無い一本の線を描いたのかもしれない。そのとき「忘れっぽい天使」の美が始まり、最後の一本の線を書き終えた「美」が生まれた。この絵に全ての線が必要であるように、小菅刑務所やドライアイスの工場や軍艦の形態すべては必要であったのだし、それらは美しかった。

 クレーと安吾の2を同じように扱ってきたが、安吾はクレーと違って「美」を創り出したわけでなく、ある物の「美」を事後的に認めただけだ。僕はその点に安吾の「美」に対する考えの浅さを感じている。しかし、最初の方で述べたように、安吾の私観に欺瞞は無い。「必要」は「美」であると素直に述べることのできる人間を嫌いだと思う僕の「美」とは一体?

■サモン
『堕落論』より『日本文化私観』

坂口安吾と聞くと私はあの有名なきったない居間のなかにこれまたごちゃごちゃといろんなものがのっかった大きめの机を置き、そこに座り(あぐらで)ペンを持ってランニングシャツと短パンを着てこちらを凝視している写真を思い浮かべます。
私の今日までの安吾体験は、高校2年の時に学校の図書館で借りた角川書店の『堕落論』の内のその写真で初めて坂口安吾を見知って、結局その文庫は全く読まず、あと大學受験の最中の気晴らしに短編小説『白痴』を読んだだけでした。読んだあとの印象は、何がなんだかわかんないものがうごめいている感じで、だけどそれじゃいけないなと思い、なんか最初に写真を見たときの印象と小説を読んだあとの印象が変わんないな、とかあのきったない部屋(写真の)のなかから生まれてきそうな話だなとかいうような適当な感想をねじ込んだだけでした。
そして今回は私にとっては三度目の安吾体験でした。『白痴』を読んだあとに感じた、何かわかんないけど、といったような感想は今回は抱かないで、代わりにわかるんだけど反発できないという大きな感想の土台に、でもやっぱり最初見た写真の印象と変わんないなという感想がうっすらのっかているようなものを感じました。
この『日本文化私観』は評論ではなくてエッセイだと自分では思っているので反発を感じないのは不思議ではないと思いますが、それでもやはりうっすらではありにしろあの写真と結びつくのは不思議に感じました。
ちなみに私があの写真を最初に見て最初に感じたことは「汚い」でも「不潔」でもなく、「雑多」ということでした。
おわり
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