大祖国聖杯戦争

―――その年の冬木市は、いつもより冬の訪れが早かった。

「セイバー!こっちこっち!」
森の中を雪の妖精の様な少女が駆けて行く。
「ああわかったわかった。だがマスターよ、そんなにはしゃいで転ぶでないぞ」
その後に続くのは立派な口髭を蓄えた精悍な騎士。
「むー、失礼だわ。レディに対して子供扱いだなんて」
少女がむくれる。
「むう、すまぬな、だが御身にもしもの事があればどうするのだ?」
謝罪しながらも騎士のお小言は続く。
騎士は生前、三十路になるまで身体を動かせなかった男だった。
故に、身体の問題に関しては人一倍に敏感である。
その相手が自分の主ともなれば尚更だ。
「聖杯の器であるならば、もう少し自重というものを…」
「もう、セイバーってばお堅いんだから!ちょっとくらいなら大丈夫って言ってるじゃない!」
説教はもううんざりだといわんばかりに、少女が怒り出す。
「いやしかし…」
「それに、もし敵が来ても、貴方が護ってくれるのでしょう?セイバー」
不敵な笑みを浮かべるマスターに、従者たる騎士は居住まいを正し、堂々たる騎士の礼を取る。
「無論の事。この身体の動く限り、この命の続く限り、御身を護る盾となり、御身の道を切り拓く剣となりましょう。このイリヤー・ムーロミェツの名にかけて。我が主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」
セイバー、イリヤー・ムーロミェツ。
ロシア叙事詩ブィリーナに登場する英雄の中で特に人気が高く、現代においても偉人として語り継がれる程の豪傑である。
その最期は祖国を護るため必死に戦ったものの、味方の慢心が元で天に裁かれ、石像になるというものだった。
味方の慢心、だが、あの時自分にも慢心、油断は無かったか。
全く無かったのならば、イヴァンの兄弟もあんな言葉を吐かなかったに違いない。
ならば、もう二度と油断はすまい。
この小さき主を守り抜き、聖杯へと至る。
そして石像と化した勇士達をも救うのだ。
セイバーの胸の裡を知ってか知らずか、聖杯の少女は無邪気に声をかける。
「ありがとう、わたしのセイバー。じゃあ、肩車をしてちょうだい!これなら、転ばないでしょう?」
悪戯っぽく笑う主に従者は微笑み、その肩に乗せるべく膝を折った。
(全く、無邪気なものだな…子供というものは)
その後ひとしきり共に遊び、同じ名を持つ主従は居城へと戻って行った。



―――薄暗い地下室にも、外の寒気は入ってくる。しかし、その中に渦巻いている熱気は、そんなものなど撥ね返してしまうような異様なものだった。

「―――であるからして、今のお前は間違っている!手段と目的が逆転してしまっている!!そもそもお前は苦しむ弱者を救いたかったのだろう?ならば何故その弱者を喰らって生き永らえている!本末転倒ではないか!!」
拳を振り上げ、男が演説している。
「…そ、そうじゃ!儂は、儂は、何という事をしてきたのだ!!儂は…死ぬべきなのか?」
演説の聴衆は老人一人。
男の熱気に引き摺られ、その演説に引き込まれてしまっている。
「それも違う!今ここでお前が死ねば全てが無駄だ!!だから聖杯を手にするのだ!!そしてこの世に救済を!!!」
男の演説に更に熱がこもる。
「そうじゃ!散っていった者達のためにも、聖杯を!!」
「そうだ!!そして勝利と栄光を、この手に!!!」
「この手に!!!」
熱気を作り出している男は、古めかしい軍服に身を包んでいる。
その熱気に引き込まれ、熱狂しているのは、不気味な外見の老人。
そしてその老人に賛同するかのように蠢く無数の蟲達。
前者が従者、後者が主人である。
しかし、明らかに従者が主人を扇動している。
もっと端的に言おう、それは洗脳に近いと。
今や完全に同調した両者は、堅い握手を交わす。
「感謝するぞ、ランサー、アドルフ・ヒトラーよ!儂に道を示してくれて!!」
「こちらこそ感謝するぞ、マスター、マキリ・ゾウゲンよ!私の正義を、ドイツの正義を、再び世に知らしめる機会を与えてくれて!!」
アドルフ・ヒトラー、ナチの総統、二十世紀最悪の独裁者、第二次世界大戦の引き金を引いた男。
だが同時に彼は至極真っ当な手段で権力の頂点へと登りつめた男でもあるのだ。
演説によって民衆を導き、その民意によって選ばれた総統。
その時民衆は確かに彼を選んだのだ。
だが、彼は戦に敗れた。
そして、民衆は彼を散々に罵り、自分達は悪くない、扇動されていただけだ、悪いのはあいつだけだと叫んだ。
彼は怒った、その道を選んだのは誰だ、自分は確かにお前達を導こうとしたのに、この仕打ちはなんだ。
私の道が全て誤りである筈が無い、今度こそ、その事を思い知らせてやる。
天と地の狭間にある、私の哲学を世界に思い出させてやる。
熱狂を続ける槍の主従。だがその目が見据える先は果たして同じものなのだろうか。




―――暖房が効いた館の応接間。だが窓は白く曇っていた。外との温度差は相当なもののようだ。

「あら、私じゃない!そうなの、また切手になったのねえ、いやん、恥ずかしいわぁ」
旧ソ連軍服の白人女性はそう言いつつも、キャッキャと喜んでいる。
「…なんでこんなのが来ちゃったのかしら…」
館の、そして女性の主たる少女、遠坂凛はそう言って肩を落とした。
「なーにしょげてんのよ、リン。私これでも祖国を護った英雄よ?ハズレみたいに言われちゃ心外ねえ」
軍服の女性は主の肩を叩きつつ、言葉をかける。
「そうは言うけどね、神秘は古いほど蓄積されるの!近代の貴女じゃ中世程度の英霊でも敵いっこないの!わかってるの?アーチャー!」
声を荒げる主人に対し、アーチャーと呼ばれた従者は肩をすくめて頷いた。
「はいはい、わかってますわかってます。だから、言ったでしょう?そのためにマスターを狙うって」
「ダメよ、そんなアサシンみたいな戦法。遠坂の理念に反するわ」
頑なに自分の提案を拒む主に、アーチャーは内心嘆息した。
アーチャー、その真名はリュドミラ・パヴリチェンコ。
第二次世界大戦において傑出した成績を残した史上最高の女性狙撃手。
退却する友軍を救うべく狙撃を敢行し、任務を達成した彼女にとって、マスターを狙うのは至極当然の発想だった。
マスターという指揮官さえ潰せば、兵士たるサーヴァントは消滅する。
兵士同士で正面からぶつかる必要は無い。
そう説明しても優雅たれなどといって聞きやしない。
どうしたものかしらね、と考えていた彼女は、不意に周囲の違和感に気付いた。
誰か居る…いや、見ている?どこから?……窓…!
「リン、伏せて!」
「えっ!?」
咄嗟にマスターを庇い、床に伏せさせる。
ほぼ同時にガラスが割れ、床に小さな穴が空いた。
「…狙撃ね。やるじゃない、寸前までこの私にすら気付かせないなんて」
主は何が起こったのかまだ分からない様だ。
周囲を探ると、気配は既に消えていた。
「これが戦争よ、『マスター』。さ、立って。私のスキルで、貴女にも気配察知を習得してもらうわ。私が不在でも今の奴を感知出来る様に」
そう言って主を立たせる彼女は先程までとは別人であった。
即ち兵士、数多の戦場を生き抜いた「古強者」の顔である。




―――早朝の道場、しんとした冷気が室内に満ちている。…いや、満ちていた。

「よし、朝の体操終わり!シロウよ、牛乳はないか?」
ランニング姿の白人男性は、爽やかに傍らの少年に問いかけた。
問いかけられた少年はそれどころではなかった。
「ゼェ…ハァ…あ、あ…ら、ライダー、ま…まだ飲むのか…?」
大の字になってぶっ倒れ、荒い呼吸を繰り返している。
サーヴァントの体操に付き合った結果であった。
「当たり前だろう、体操の後は牛乳だ!というか、あの程度でへばったのか?いかんなぁ、もっと鍛えねば」
じゃあ冷蔵庫見てくるか、と呑気に母屋へ向かう男性を見送りながら衛宮士郎はふと思い出した。
「朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで…って、満更ネタでもなかったんだな…」
白人男性の正体、それはライダーのサーヴァント。
真名は、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。
スツーカの悪魔、戦車撃破王、空の魔王。
様々な二つ名を奉られ、大戦中にスターリンに名指しで「ソ連人民最大の敵」とまで言われたという、ドイツ空軍屈指のエースパイロット。
だが実際に相対してみるとそんな二つ名からは程遠い、「普通の人」、というのが、初対面の士郎の感想だった。
『ほんとにライダーはそんな渾名で呼ばれてたのか…?』
そんな疑問を口にしてしまった程だ。
『ん。じゃあ、一度乗ってみるか?』
『へ?』
そして顕現した爆撃機の後部座席に乗せられ、そのまま夜空へと舞い上がった。
『ひゃあああああああああああ!?!?!?』
『ははははは!いいぞ、最盛期というのはいいものだな!ようし、急降下だ!!』
『え、ちょ、ま』
『いくぞ!ジェリコのラッパの準備はいいか!』
…ほんの数分程度であったが、士郎は彼が本物の英霊である事を理解した。
ライダーたるもの、騎乗物に乗ってこそその真価が発揮される。
愛機に乗ったライダーは正に水を得た魚であった。
…正直水を得すぎていた。
「…あんなムチャクチャ2500回以上も繰り返して、30回以上も撃墜されて、それでも生きてたんだから、そりゃ英霊くらいにはなるよなあ…」
「そうかな?私は別に特別な事は何もしていなかったと思うのだが…」
士郎のぼやきは従者に聞こえていたらしい。
いつの間にか軍服に着替えたライダーが、道場の入り口に立っている。
その手には、何本もの牛乳パックがあった。
「まあ牛乳でも飲んで一息つこう。その後で朝食、そして出撃だ!私のマスターなんだ、ガーデルマンまでとはいわんがせめてニールマンくらいにはなってもらわんとな!」
…取り敢えずもう少し三半規管を鍛えよう。
それから、牛乳の買い出しに行こう、確か今日が特売日だった筈だ。
どこまでもマイペースな従者にちょっぴり今後が心配な士郎であった。




―――木枯らしが吹く森の中。曇り空の下を一組の男女が疾走している。

二人組は森の奥、目立たない場所にこれまた目立たないよう設営されたテントへと素早く入った。
そのまま、作戦の結果確認を行う。
「…では、狙撃には失敗したということですか?アサシン」
女性の方は男物のスーツに身を包んだ男装の麗人。
「ああ、俺の気配遮断が見破られた。恐らく気配察知持ちがあちらのサーヴァントなのだろう」
男性の方は純白のギリースーツに身を包んだ小柄な男性。
「…厄介ですね、攻撃時にも気配遮断が解けないのが貴方の最大の武器だというのに」
責めている様にも聞こえるがその実は単なる事実確認でしかない。
出来た事、分かった事を淡々と確認していく。
それに合わせ、男性も報告を行う。
「だが、収穫もあった。俺に気を取られて奴さん方、お前さんには気が付いていなかった様だしな」
そう、この二人組こそ先程遠坂邸を襲撃した犯人であったのだ。
「盗聴器…でしたか?確かに指示通りの場所に取り付けては来ましたが…」
「よし、それでいい。では受信の具合を確かめよう」
「わ、私はあまりこういう物の使い方が…」
女性の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ。
魔術協会より派遣された凄腕の封印指定執行者。
だが、魔術師の例に漏れず彼女もまた現代文明の利器を苦手としていた。
…要するに、機械オンチなのである。
「使い魔だったか?それでは相手に感知されてしまうのだろう?ならば魔力など発しないこちらを使うしかあるまい」
困惑するバゼットに淡々と正論を伝え、説明書を手渡す男性はアサシンのサーヴァント。
真名を、シモ・ヘイヘ。
冬戦争において、赤軍兵士から「白い死神」、「災いなす者」と怖れられた、コッラーの奇跡の立役者。
祖国フィンランドにおいて今なお「偉人」と讃えられる伝説的狙撃手。
「使えるものがあるならば、それを利用すべきだ。慣れていないのならば、慣れればいいだけだ。情報は、得られるものは得た方がいい」
鹵獲した銃を愛用し、狙撃兵として史上最多の確認戦果を残した者の言葉には、確かな重みがあった。
「それに、慣れていないのは俺も同じだ。聖杯からの知識があっても、生前こんな物は使った事が無いんだからな」
私にはその知識も無いのですが…とは言えないバゼットであった。
だが、死神はさらに追い討ちをかける。
「確認が済んだら、携帯電話の使い方の復習だ。俺のやつと警察、消防、それに魔術協会と聖堂教会の番号登録は済んだか?」
「本当に使うのですか!?こんな物が無くとも貴方とは心話で話せばよいでしょう!」
流石に反論するバゼット。
だが、アサシンは首を振る。
「その心話で警察が呼べたらこれもいらん。神秘の秘匿が前提条件ならば、これで第三者を介入させれば、相手は撤退せざるを得なくなる。追い詰められてもその隙にこちらも撤退すればいい」
「……」
理屈ではその通りなのだが規格外の神秘たるサーヴァントにそんなことを言われるとは。
「納得したか?ではまず盗聴器の方からだ」
英霊とはこんなものだったのだろうか…
少し夢の破れたバゼットであった。




―――その日の朝はまさしく快晴そのものだった。だが海から吹く寒風は少し強く、肌寒い。

「おはようマスター!いい天気だな!だから左耳を削いでもいいかな?どうかな?」
「……」
「皇帝たる余に返事をせぬとは何たる不敬!では両耳にしよう!」
意気揚々と拷問の支度に取り掛かる自らのサーヴァントに対し、マスターたる魔術師は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
手足の半数と指の大半はこの数日の内に少しずつ潰され、もはや使い物にならない。
なにより舌がとうの昔に抜かれてしまっている。呻き声を上げるのが精々だった。
「しかしこの現代というのは素晴らしいな!特に電気だったか?これはすごい!余の時代にはなかったものだ!」
現代の技術に子供の様に目を輝かせる男の真名はイヴァン四世。
恐怖の雷帝、史上初のツァーリ、ロシア史上最大の暴君。
バーサーカーのクラスを得て召喚された彼だがその狂気は評価規格外の域に達している。
一見理性を残しているように見えるがその実は「苛立ちの発散のために加虐したい」という思考で固定されている。
故に、現代の技術への関心も「どのような拷問に使えそうか」といった興味しかない。
「ある程度こちらで身体を操作できる所が非常に面白い!拷問の幅が広がるな!余はなんだかワクワクしてきたぞ!」
「…ウウッ…ウッ…」
「そうかそうか、じゃあ早速試してみるか!えーと、こいつをここに繋いで…」
そうしてマスターの心身を破壊しにかかるバーサーカー。
自らの消滅など気にもせず、己が主を破滅させる従者。
魔術師は最後の手段とばかりに令呪に念じた。
(令呪を以て命ずる!バーサーカー、『愛しの牝牛』を装備せよ!頼む!)
意思疎通の成立しないバーサーカーへの、しかも心話による令呪。
果たして成功するのか、魔術師は必死に祈った。
すると祈りが通じたのか、バーサーカーの動きが止まった。
妻の肖像画が填め込まれたロケットを見つめ、動かなくなる。
(よ、よし!重ねて令呪を以て命ずる!バーサーカーよ、自らのマスターを拷問することを禁ずる!!拷問するなら他の奴にしろ!!!)
するとバーサーカーは一瞬ニヤリと笑うと霊体化して部屋を出て行った。
残されたマスターは安心すると共に猛烈な後悔に襲われた。
(ああ、何故最初にこうしておかなかった!何故あのロケットを取り上げてしまった!!)
召喚直後、バーサーカーはロケットを握りしめたまま、その場を動こうとしなかった。
業を煮やしたマスターはそのロケットを手から叩き落としたのだ。
途端にバーサーカーが豹変した。
『貴様が余のマスターだな!はじめまして、死ね!』
そうして、あっという間に拘束され、拷問が始まった。
拷問による気絶と覚醒の繰り返しで、令呪の存在すら忘れていた。
気が付けば、再起不能の身体にまでされてしまった。
(畜生、畜生…。だが、とにもかくにも助かった…)
だが、魔術師は知らない。
バーサーカーの規格外の狂気はもはや理性に近い。
それは即ち、理性そのものでもあるということだ。
理性ある獣を野に解き放ったという事実を、マスターはまだ知らない。





―――気の早い北風小僧が駆け抜けるマウント深山商店街。吹く風は冷たく、通行人は皆寒そうに歩いている。

「フェーッフェッフェッ!久々の娑婆はいいもんだねえ!」
「お、おいキャスター!もう少しスピードを落とせよ!」
「なに言ってんだい!チンタラ飛んでちゃ情報が集めらんないだろうが!」
…どうも駆け抜けているのは彼だけではなかったようだ。
臼だ。
臼が、老婆と少年を乗せて地面すれすれを飛んでいる。
しかし、通りを歩く人々は誰一人としてそれに気付かない。
臼の後ろに追随する箒が、その痕跡を抹消し、老婆自身もまた、隠匿の魔術を自分達にかけていたからだ。
無論、通行人にぶつかるなどという愚は犯さない。
「そもそも僕がついてくる必要あったのか?なあ…」
「全くピイピイ五月蝿いねえ!男ならもっとシャキッとおし!」
キャスターと呼ばれた老婆は少年を叱り飛ばし、同時に臼の速度を上げる。
少年は観念したかのように下を向き、手に持つ本を握りしめた。
キャスターのサーヴァント、老婆の真名はバーバ・ヤガー。
スラヴ民話に登場する妖婆であり、その前身は大地母神であったとも言われる魔女。
その主人たる少年の名は、間桐慎二。
御三家の一角の末裔だが、彼に魔術回路は無い。
そんな彼がマスターになれたのは、その手にある書物のおかげである。
偽臣の書、マスターとしての権利を他者に委譲する赤い本。
桜に令呪が浮かび、サーヴァントの召喚に成功したまではよかったのだが、長年の魔力搾取の影響か彼女は倒れてしまった。
ランサーの洗脳で再び正義に目覚めた臓硯は、こんな状態の、何より可愛い孫を戦いになど向かわせられない、自分が二人分のマスターになると言い出したのだ。
焦ったのはランサーとキャスターである。
きれいになったのはいいが桜からの魔力搾取、蟲の調達のための人喰いもやめてしまった今の臓硯では、負担が大き過ぎる。
最悪、マスターごと三人とも消滅してしまう。
慌てた二人は大急ぎで術を開発して慎二を説得し、彼に妹の代わりに戦場に立つと言わせることに成功した。
「全く、僕は魔術師じゃないってのに、こんな戦争に引っ張り出してさ…」
「そうかい、そいつはすまなかったねえ。でもお前さんもあの娘…サクラを救いたかったんだろう?」
「!?そ、そんな訳…」
吹き出す少年を老婆はニヤニヤと見つめる。
「素直じゃないのは頂けないが、兄貴としては上出来さ。安心おし、アタシはそのために召喚に応じたんだからね」
バーバ・ヤガーは伝承によっては他者に助言や恩恵を与え、主人公達を善導する賢者としての側面も持つ。
それらの恩恵は通常難題を達成した者にしか与えられないが、長年の蟲による魔力搾取に耐えた桜は、資格有とみなされたのだろう。
慎二はまだ信じられないといった面持で自分を見つめている。
「ま、信じられないんならそれでもいいさ、アタシはアタシのしたいようにするだけさ」
召喚された時に、彼女はマスターである桜の心に触れた。
搾取の苦しみ、兄の横暴、それらへの複雑な負の感情。
一方で、部活の先輩への想い、憧れ、恋心。
この世の闇を見てきた桜にとって、彼はまさに白馬の王子様のような存在であった。
「…王子様と結ばれないお姫様なんかいるもんかい。サクラ、アンタを幸せにしてあげるからね」
そう呟くキャスターは、魔女は魔女でもまさしくお伽噺の善き魔女そのものであった。




―――その年の冬木市は、いつもより冬の訪れが早かった。

そう、冬木市「だけ」が、いつもより冬の訪れが早かったのだ。
街全体を、大規模な寒気団が包み込んでいた。
その季節外れの冷気が上空で収束していく。
冷気は下がり、暖気が上空へと昇るはずなのに。
それは通常有り得ない出来事。
まるで意思を持つかの様に冷気が凝り固まり、形を成していく。
収束が終わるとそこには人の形をした「何か」が佇んでいた。
「……………」
十年前の生き残り、アサシンのサーヴァント、冬将軍。
大自然の権化たる「それ」に性別などは本来、無い。
だが冬木の聖杯には「それ」とよく似た二つ名の者達が溶け込んでいた。
その中でも「それ」が呼び出された時期に溶け込んだ者。
冬将軍はその者に影響を受け、その者の姿を写し取っていた。
…同時に、その者の想いも、写し取っていた。
「………切嗣、イリヤ………」
「それ」はアイリスフィール・フォン・アインツベルンの姿をしていた。

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最終更新:2015年01月21日 21:43