人が倒れていた。
壊された人形のように様に体という躯という躰という軀という軆という身体が解体されていた。壊体されていた。
肉片が落ちていた。
食べ残しのように顔が目が口が耳が首が胸が腰が肩が腕が手が指が腿が膝が脛が足が胃が肺が腸が肝臓が腎臓が膵臓が脾臓が心臓が落ちていた。堕ちていた。
見渡す限りの赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。赤。
これはもはや死体でも、ましてや人間でもない。ただの、残骸だ。
それもどう見ても一人分の量ではない。どんなに少なく見積もっても二桁には到達しているだろう。
「……参ったね、これは」
ここまで派手なのは久しぶりだ。流石の僕でも多少は動揺もするというものだ。全く、死体は何度見ても慣れる物じゃない。
死そのものは、もうとっくに見飽きているが。
……さて、これはどこをどう見ても事故では無いだろう。こんな事故があってたまるものか。
となると、人為的なものと言う事になるが、それにしてもこれだけの人数をこんな状態に出来るとは尋常じゃない。肉体的にも、精神的にも、おおよそまともな人間の仕業ではないだろう。そもそも、人間の仕業かどうかも怪しいが。
しかし、証拠を隠蔽する気すら感じられない堂々とした犯行現場だ。となると、これから下手人が取る行動はおおよそ二択に絞られる。
――逃走か、皆殺し。
「……まあ、後者だろうなあ、この場合」
ここまで派手に殺しておいて逃走も逃亡もあったものではない。そもそも、こんな惨状を生み出せるような人物であれば逃走する必要もあるまい。機動隊だろうが自衛隊だろうが返り討ちに出来るだろう。
……そういえば、田仲は無事なのだろうか。いやまあ、別に無事じゃなくて良いのだが、こういう状況下でくらいは少しは心配してやってもいいかもしれない。
「まあ、このくらいで死ぬような奴じゃないか」
うん。やっぱりいいや。あいつの事は気にするまい。惨殺死体になってたら、その時はその時だ。
……まあ。それよりも今はここから出るのが先だ。僕にはむざむざ惨殺されるような趣味は無い。
幸いにも近くに出口があるので、周りに危険が無いか確認しつつ移動する――が。
「……こういう時は絶対に開かないって、規約か何かでもあるんじゃないのかな、こういうの」
当然のように開かなかった。
必然のようにお約束だった。
「現実は非情である……とか、言ってる場合じゃないよな」
さて、割と本格的にピンチだ。得体の知れない
殺人鬼のようなものが存在する空間に閉じ込められているわけで、まあ、僕の人生の中でもベスト100くらいに入りそうな感じのピンチだ。
ここだけ自動ドアの電源が落ちている、と言う訳でも無いだろう。というか、無理やり開けようとしても全く動かないので電源が落ちている訳ではない筈だし、多分故障でもないだろう。
問題は何故開かないかではなく、何故開かなくしたかである。
……まあ、考えるまでも無く皆殺しにする為だろうが。
こうなると、もはや下手人をどうにかするまで脱出出来まい。
まあ、そういう訳で――だ。
「いい加減出てきたらどうかな。えーっと、殺人鬼?さん」
「……ナンだよ。気づいてたのか」
とりあえず、先ほどから気になっていた気配へと声をかける。
これでも気配には敏感な方なのだ。さして自慢にはならないが。
呼びかけに反応して出てきたのは、見た目は今時の若者スタイルの割と何処にでもいそうな少年。
――但し、肩に担いだ鋏とも剣とも言い得ぬ奇怪な物体を除けば、だが。
「きかか。お前、スキだらけに見えるくせに、全然隙が無いな。お陰で、さっきから苛々してんだ」
「いやいや、僕は隙だらけだよ。それに、よしんば隙が無かったところで、抵抗のしようが無いさ」
明らかに、異質。
まともな人間ではない。
人間かどうかも怪しい。
限りなく、あちら側の人物。
――或は、僕側の人物。
「ヨシ、決めたぜ。今から俺様はお前を殺す。隙がどうとか関係ねえ。そんでもって、他の生き残ってる奴を殺す。どうだ?」
「好きに、すればいいさ」
「ソレじゃ、遠慮なく」
そう言ったと思うとふいに、少年が――消えた。
勿論、それは、あまりの速さゆえに目で捉えることが出来ないだけであり、消えたわけではない。
……まあ、要するに当たると死ぬという事なので、しっかり避けておく。
「ッ!?」
「……はあ」
全く。やはり、田仲など無視すればよかった。
何でこんな事に巻き込まれなくてはいけないのか。
まあ、この調子なら、どうせ何をした所でろくでもない目に遭っていたのだろうが。
「……クソっ!何で、避けられるんだよ!」
っと、こいつの存在を忘れるところだった。
手に持った鋏のような物を振り回しつつ突撃してくる少年を、軽くステップして避わす。
「……それにしても、無駄が多いね」
僕は身体は殆ど鍛えていないので、彼とまともにやりあう事はまず無理である。というか、身体を鍛えていたところで普通の人間には無理だろう。
要するに爆走する十トントラックに真っ向から立ち向かうようなものである。それは無理だ。こちとら軽自動車どころか下手をすれば原付なのだ。
しかし、その十トントラックが直線軌道ではなく、グネグネと蛇行していたとすれば。
その場合、その隙間を縫えば、例え歩いてでも避わすことが出来るのだ。
理屈で言えばそういうことである。
但し、避ける事が出来るというだけであり、此方から有効打を与える事が出来るわけではない。
つまり、相手が諦めてくれる前に僕の体力が切れたら詰みである。割とハイリスク。
「畜生っ!鬱陶しいんだよ、オマエっ!」
振り下ろされる鋏のようなものを右へ、左へと避ける。
出来る限り最低限の動きで、かつ最大限の回避を。
生まれてから今までの、非情なまでに非常な酷く混沌とした二十年弱の時を至極淡々と過ごす中で習得した、生き残るための知恵。
こんな状況くらい、今までの一生と比べれば日常茶飯事である。この程度で死んでいるようでは今この場に僕は存在しない。
どちらかと言うと存在したくも無いが。
というか、超絶帰りたい。
「イライラするぜお前っ!ちょっとは戦えよ!」
「いやいや、僕はただの巻き込まれた一般人だよ。そんなこと出来るわけ無いじゃないか」
嘘は言っていない。というか、状況的に殆ど事実だ。
そもそも、僕の目的は逃走であって闘争ではない。
戦いは避ける。争いは傍観する。それが僕のスタイルだ。
臆病者と嘲るが良し。臆病なくらいが丁度良い。