零崎を、執刀します
「例えば人を貶める善人が居るように。例えば法を破る警察が居るように。例えば人の命を救う
殺人鬼だって、居たって良いんじゃないかと思うんだよ」
ぼくの目の前に居る女性が、そう告げる。
腰の辺りまである、綺麗に整えられた漆の長髪。
それと対極の様に、純白を基調としたサマードレスを着用している。
その顔付きはどこぞの三つ子メイドほどでは無いにせよ、かなり若く見える。
背丈は女性として平均的な程度だろう。もっとも、女性の平均身長なんて詳しくは知らないが。
零崎骨織――《継接細工(フェムトメンタル)》と名乗った彼女。
彼女は極々飄々とした口調のまま、言葉を続けた。
「確かに殺人鬼の存在意義は殺人だろうし、殺人しなければ殺人鬼ではない。しかしながら、それは別に殺人鬼が人の命を救ってはいけない理由にはならないだろう?」
彼女はただ、そう告げる。
「まあ、そうかもしれませんが。でもどうせ、助けた相手だってさえ殺すんでしょう?」
「そうかもしれないね。でも、それでもいいのさ。人を助けたい私と、人を殺さざるを得ない私とでは、まるっきり別物だ。別人とさえ言える。例えばきみ、崖から落ちそうな男が居たとしよう。その気になれば助けられる。彼を、どうせぼくが助けてもどこかで死んでしまうかもしれないと見捨てるのかい?」
「……それは、まあ、さすがに助けますけど」
「だろう?つまりそういうことなんだよ。その後どうなるかなんていうのは私が知った事じゃあないんだ。些か自分勝手が過ぎるかもしれないけどね。医者としての私の責任で死ぬのならば兎も角、殺人鬼としての私に殺されるかどうかなど、知った事では無いね」
さも当然のように。
さも自然なように。
さも必然のように。
さも歴然なように。
彼女はそう告げる。
「――だから例えば、かつてきみの妹を殺した事についても、私は少しばかりも罪意を持っていないし、きみもあの人識と知り合いならば、零崎に人殺の罪悪感を求めるのは酷だという事くらい把握しているだろう。……まあただ、私はあまり知り合いに隠し事はしたくないのでね。短い間とはいえ、ヒューストンで一時期きみに対して教師のようなものをやっていた身としては、かわいい教え子に妹の仇くらいは教えてあげようと思ったのさ。気の迷いだがね。そもそも、本当だったらこういう事はもっと前に教えておくべきだったんだろうけどね。生憎と、あの飛行機にきみの妹が乗っていたとは知らなかったんだ。だから、あの時は伝えられなかった。そこについては、そこだけについては、素直に謝ろう」
そう接げる。
そう告げる。
「……別に怒る気も、咎める気も、ましてや敵を討とうとも思いませんよ。どうせ、ぼくの名前を呼んだその時点で、何にせよ死ぬ運命だったでしょうし」
「そうかい。君が良いというならまあ、良いんだけれどね――私の話は、それだけだよ。それじゃあ、縁が――いや。もう、会わないかな。じゃあね、戯言遣いくん」
「さようなら、頬裏(ほおり)先生」
これが彼女との、零崎としての彼女との、最初で最後の、会合だった。
0
この場合、どちらが悪いかは問題ではない。
どちらを悪くした方が得かどうかだ。
1
零崎骨織。
医者にして殺人鬼。
元ER3システム所属者。
数少ない女性の零崎。
《継接細工(フェムトメンタル)》。
それらのどの一つを取った所で常人の持つべき肩書きではないし、そもそも彼女は零崎の中でもいっとう異質だった。
あの、少女以外は殺さない零崎一族唯一の菜食主義者、零崎曲識よりも。あるいは、両親共に零崎という生粋の零崎、零崎人識よりも。殺人鬼としても、人間としても異質であった。
曰く何事にも興味が無い。
曰く故にあらゆる事柄に興味がある。
曰く人の命にさえ興味が無い。
曰く故にただなんとなく殺し、なんとなく助ける。
殺人に理由が無いのは零崎の特徴ではあるが、しかし人助けにすら理由が無いのは彼女くらいのものであろう。
彼女にとっては、零崎一賊という集団すらどうでもいい。
ただなんとなく。状況が、あるいは運命が、そうさせただけ。
本当にそれだけだった。
だから今彼女が実行せんとしている仇討ちだって、彼女からしてみれば至極どうでもいい。
どうでもいいが故に、しかし彼女は間違いなく零崎の中でも抜きん出て殺人鬼だった。
「ああ、面倒だなあ」
口でそう言いつつ、内心でも何の混じり気も無く純度百パーセントでそう思う彼女。
彼女には仇討ちという名目こそあれど、これから行うであろう殺人に対しての理由はそれでは不十分――否、過十分だ。
どうでもいいから、殺す。
それだけが彼女の理由。
もっとも彼女と非常に近しい性質を持つ人間は、まあ存在するのだが――それでも、彼女の異質さはそれを超越している。
勿論彼女にも理想と呼べるものや、信念と呼べるだろうものは存在する。
しかし彼女はそれを持ってさえ『どうでもいい』と評す。
自分の精神(メンタル)すらどうでもいい。
故に、《継接細工(フェムトメンタル)》。
「私にしてみれば、零崎に仇を為しただのなんだのなんて、本当にどうでもいいんだけどね――まあでも、一応この私にだって零崎としての責務を果たす義務くらいはあるし、ね」
当然その責務やら義務やらだって、彼女にしてみれば本当はどうでもいいのだ。
しかし彼女は自分がそういう人間であると自覚している。
それこそ息をすることすら、心臓を動かすことすらどうでもいいと放棄してしまいかねないような人間なのだと、よく理解している。
だから何かもっともらしい理由を付けて、とりあえずなんらかの行動を取る事を、自分に課している。
――まあその結果、医者だったり殺人鬼だったり、かと思えば研究者だったりと、傍から見ずとも至極とんでもない人生を歩むことになったのだが。
しかしまあ、彼女にとってはそれさえどうでもいいのだろう。
それこそが彼女。
それこそが――零崎骨織。
「さて。情報が正しければあそこに件の零崎一賊に仇なした命知らずくんが居るはずなのだけれど」
そう言った彼女の目線の先に鎮座しているのは、おおよそまともな建造物ではなかった。
気圧されるような迫力を誇るその建造物は、要塞と呼んで差し支えないだろうほどに、巨大。
更にその周囲には、軍のパレードでもしているのかという程に歩兵やら装甲車やら、あるいは戦車やらが大量に配置されている。
上空には夥しいほどの戦闘ヘリと戦闘機の集団。
誰がこの光景を見て、これら全てが生身の人間たった一人を迎撃する為だけに用意されたなどと想像できるというのか。
明らかに大袈裟。
紛う事なき過剰武装。
それでも彼女はただ――ただただ、面倒臭そうに笑っていた。
「派手な歓迎会だなあ。私ってそんなに人気者かしら?」
……どころか、軽口すら叩いている。
無論、彼女の頭がおかしくなった訳ではなく、状況に諦めて自暴自棄になっている訳でもなく――
「それじゃあちょっくら――零崎を執刀するとしますか」
――実力と実績に裏打ちされた、純粋なる自信によるものである。
2
「あー疲れた。早く帰って一風呂浴びたいわ」
そう言いながら踵を反す彼女の背後には、かつて建物だったと思われし愉快なオブジェが存在していた。
一応、軽く原型こそは残っているが――戦車やらヘリやら何やらの残骸が突き刺さり、散々なまでに惨憺たる状態になっている。
『私にとってはヘリコなんてお手軽なダイナマイトみたいなもんなのよ』とは彼女の言。
それもその筈、彼女は地上から上空を飛ぶ旅客機同士を『縫い付け』て、正面衝突させたことさえある。
もっともこの場合は状況が違うのだが――それでも、航空戦力に正面から対応できる零崎など、彼女くらいのものだろう。
それもまた、異質。
「まったく、いくら私が集団戦に強いって言っても、疲れるもんは疲れるんだからさ。ちょっとは気遣って欲しいわよね――」
そんな、誰に向けたわけでも無い愚痴を零しつつ視線を前に向けると。
「――え」
さっきまでそこには、誰も居なかった筈だ。
それなのに、気配すら感じさせることも無いままに――そこに、彼女が立っていた。
まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。
彼女が、居た。
「よう、頬裏――久しぶりじゃん。元気にしてたか?」
かなりの長身に、オーダーメイドの真っ赤なスーツと、それを着こなす抜群のプロポーション。
百人が百人認めるであろう美貌と、それを完膚なきまでに台無しにする異様なまでに悪い目つき。
――人類最強の請負人、哀川潤が、そこに居た。
「じゅ、潤――あんた、何でここに」
「そりゃ愚問だな。あたしは請負人だぜ?仕事で来たに決まってんだろ。まあもっとも――」
視線を骨織から逸らし、その背後のオブジェと化したビルへと向ける。
「――どうやらあたしの出る幕はなくなっちまったみたいだがな。おい、どうしてくれんだよ」
知らんがな。
喉まで出かかった呟きを、骨織はぐっと飲み込んだ。
「そうだな、こりゃ責任取ってあたしの仕事を手伝ってもらう他無いな」
「いやなんでよ!?」
理不尽だった。
彼女とは零崎になる前からの付き合い――零崎になったことは最初は隠していたが、知られたときは今までに無いほどの本気でブチ切れられた――だが、ここまで理不尽なことを言われたのは久々だった。
そもそも、こうして話すのも何年か振りなのだが。
「まあまあいいじゃん。あたしとお前の仲だろ?ちょこっと人助けをするだけだかんさ」
「あんたと関わると碌な事が無いのよ……」
何か碌でも無い思い出でもあるのだろう、骨織は露骨に嫌そうな顔をしている。
「いやいやこれが、お前にとっても悪い話じゃないんだよ」
「そうね、悪いじゃなくて最悪だわ」
「うるせえよ。あたしはその言葉にいい思い出が無いんだ――と、だ。悪い話じゃないってのは、だな」
この時骨織は、例え何を言われようと引き受ける気は無かった。
そう。仮に何と言われようと何をされようと、彼女にとってはどうでもいい。
だから、適当にあしらって断ろうと思っていた――いたのだが。
「――救出対象ってのが、ひょっとしたら零崎のなりかけかもしれないんだ」
終ぞその意思は、押し通す事が叶わなかった。
3
「ああ全く……なんで断らなかったんだろう、私」
愛車(ダークブルーの輸出仕様NSX、割と気に入っているらしい)のハンドルを握りながら、一人呟く骨織。
他ならぬかの哀川潤関係の仕事が、まさかそう簡単に済むわけも無い。基本的に面倒な事を避けたい彼女は出来る事ならこの仕事を引き受けたくは無かったのだが――
「零崎の成りかけ――ねえ」
彼女は零崎一賊の家賊の繋がり等に関してはさっぱり興味が無い。
しかし、彼女としては珍しい、非常に珍しいことだが――今まで殺し等と無縁だった人間が、『零崎化』するというその現象自体には非常に興味を持っていた。
何故今までそんなものとは無縁だった人間が、突然人を殺さねば生きていけぬ様な体になるのか。
何故理由も無く人を殺す殺人鬼と言うものが生まれるのか。
彼女はそれが、柄にも無く疑問だった。
それは彼女が理由も無く他人を助ける人間だったからかもしれないが――
そうして気が付けば、彼女自身が零崎になっていた。
「って言ってもまあ、本当に私が零崎なのかどうなのかは、怪しい所なんだけどね――別に、その気になれば人を殺さなくても問題ないし」
そう。
彼女には人を殺す理由が真に存在しない。
人を殺さなくては生きていけないという理由すら、存在しない。
彼女はただなんとなく、人を殺すだけ。
或いはそれは零崎の心理を理解しようとするが為の殺人なのかもしれないが――しかしそんな事はどうでもよかった。
零崎かどうかは問題ではなく、零崎という名を持つからこそ殺人す――
今の彼女にとっては殺人はその程度の理由だった。
故に。
彼女が真の意味で零崎とは言えない故に、彼女の零崎に関する興味は未だ尽きることが無い。
特にそれが、零崎のなりかけともなれば―――柄にもなく、彼女は釣られてしまう。
「全く、どうでもいいが私のスタイルだってのに。面倒なものに興味を持っちゃったもんね」
それは確かにその通りだろう。
殺し名の中でも最も忌避される、零崎一賊。
普通なら関わろうとさえ思わないだろうその集団に、あろう事か興味本位で関わり一員にすらなった彼女の行動は、普段の彼女とはまた別の毛色の異質さを醸し出す。
何故そこまで零崎に固執するのかは、傍から見れば理解不能であるし、本人にしても良く分かっていないのだろう。
「それが分かった時、もしかしたら自分が何者か分かるかもしれない――なんて。っと、着いたわね」
たどり着いたのは小さめの喫茶店。人類最強によればここにクライアントが居るらしい。
仕事の詳細はそいつから、との事だった。
駐車スペースに車を置き、店内へと入る。
NSX、かっこいいよね。
最終更新:2012年08月03日 23:54