今日は大きな収穫があったわ。お姉ちゃんたちが言ってた人間がこんなに簡単に手に入るなんて。家に着くのが楽しみで、歩みが速くなる。
「……ひっく」
「あなた、魔理沙って言ったわよね」
「……あぁ、そうだよ」
「よろしくね、『大魔法使い』の霧雨魔理沙さん」
「うぅ……っ」
あんまりいじめると声をあげて泣きそうだったから、それ以上はつつかないでおいた。さらに足が軽くなった。
守矢の神社から地底の入口まではいくらか距離がある。何かを話したら帰ってからの話題が無くなると思って、魔理沙と一言も話さないまま、15分くらいは歩いた。地底の入口に来た頃には、魔理沙の嗚咽が止まっていた。寝息が肩に当たって、少しくすぐったい。もう一回背負い直しても、再びしくしく言う気配がない。それでも、よく使い込まれた箒だけはしっかりと握ってる。無意識の行動だよね。
地上と地下を結ぶ道は、いつも井戸の中のような、ひんやりと湿ったベールに包まれている。地上の者にとっても、地下の者にとっても、正直言ってこの雰囲気は好ましくないものでしょうね。私もあんまり好きじゃない。でもこのときはそんなのが苦にならなかった。魔理沙の帽子を直してあげる。
「あら、その人間は……」
目の前で声がした。金色の長い髪、それとは裏腹に少し地味な色の服、そして緑色の眼。
「いつも笑顔で楽しそうで妬ましい、その人間が倒せたなんて妬ましい……」
嫉妬の妖怪のパルスィは、妬ましそうに私の方を見て、爪を噛んでいる。会えば必ず噛んでいる。癖なのね。癖のほとんどは無意識の行動。でもパルスィのははっきり言って異常。甘い味でもするのかしら。
「こんにちは、パルスィ。魔理沙のこと、知ってるの?」
「そりゃ、ここで番人やってれば会うでしょ、地霊殿まで行ったんだから」
パルスィと橋を渡る。パルスィは私と歩調を合わせながら、かつて彼女を降した少女の顔をまじまじと見ている。魔理沙はそんなことも知らないで、さっきと同じように小さな寝息を立てている。
「魔理沙って言うんだ。初対面なの?」
「そうだけど、どうして?」
「そうじゃないみたいに仲が良さそうだから。妬ましいわね」
パルスィはとにかく何にでも嫉妬する。こんなに嫉妬深いのに、不思議なことに友達はいっぱいいる。友達がほとんどいない私にとっては、そんなパルスィの方が妬ましい。でも仕方ないのかなって思う。
気が付くととっくに橋を渡り終えていて、目の前には旧都の灯りが見えていた。ここまで来る間も、パルスィは何度も「代わろうか?」って言ってくれた。いくら魔理沙が軽いとはいえ、ある程度は私の歩くペースを落とさせていたことは否定できない。それでもパルスィは、ずっと歩みを私に合わせてくれた。確かにパルスィは所謂「病んだ心」を持ってるかもしれないけど、きっと根は優しいんだ。さっき不思議って言ったけど、彼女が好かれる理由はこれだと思う。
「ここまで来て、橋の番は大丈夫なの?」
「いや、ちょっとそこに用事があるだけよ」
街道にあるひとつの屋台を指差すパルスィ。尖った耳の先を、もう片方の人差し指でいじってる。これも癖。照れ隠しするときはいつも耳に触る。
「なるほど、勇儀ね」
「は? 何でよ?」
「最近あんたと勇儀が一緒に店を回ってるって噂だから」
「言っとくけど、あんたたちが考えるような深い意味はないわ。ただちょっと、あいつと酒を飲むのが日課になってるっていうか、それだけの話よ。誘ってくるのはあっちだし」
じゃあなんで私から目を逸らすの? そう聞こうとしたけど、それ以上何かを言ったら緑眼の怪物を作り出しそうだったので、喉のあたりにとどめておいた。
「じゃあね」それだけ言うとパルスィはさっきの屋台に入っていった。私はというと、そこから家までまた一人になった。
旧都の奥にある屋敷、地霊殿。私の家。私の放浪癖を心配したお姉ちゃんが持たせてくれた鍵で玄関を開ける。カチャリと、乾いた音がした。
「ただいまー」
返事はない。エントランスのステンドグラスが、七色の光を家の中へと誘い入れている。まだ時間もそんなに遅くないし、お燐とかは仕事(?)で、お姉ちゃんは買い物に行ってるのかな。
それじゃあまだ魔理沙を起こす必要はないわね。そのまま私の部屋に魔理沙を連れていって、ベッドに寝かせてみる。それまであんまり人間に会ったことがなかった私が、こんなに近くで人間を見るのは初めてだった。私たちの帽子をそばにある机に置いて、魔理沙の隣に寝転がってみる。背はそんなに高くないかも。帽子があると高く見えるかもしれないけど、無ければせいぜい私よりちょっと高いくらいかな。次に魔理沙の顔を見る。日の当らない地底に住んでる私に比べると、いくらか健康そうな肌の色。白黒の服装に合った金髪。半開きになった口からは寝息と柔らかそうな唇の擦れる音。そこまで観察してから、ちょっとだけ魔理沙を抱きしめてみる。魔理沙の体温は、さっきまで背中で感じていたけど、こうして前で感じる方が何倍も温かかった。私の腕には、慎ましくも枕みたいに柔らかい魔理沙の胸が当たっている。魔理沙が呼吸をするたびにそこが上下するのが伝わってくる。今までは死んだ人間しかここに持ってきたことがなかったけど、生きたままってのも見どころが色々あって悪くないわ。
ただひとつ口惜しいのは、魔理沙の心が読めないこと。
昔は私も、今のお姉ちゃんのように他人の心を読むことができたけど、心を閉ざしてからは、「第三の眼」の瞼は言うことを聞いてくれなかった。魔理沙の心を読みたかったのは確か。でも心の奥底から読みたいとは思えなかった。魔理沙の心を読むのが怖かったって言えば正しいかも。心を閉ざした理由はただ単に、心を読むことで嫌われるのがいやだったからだし。今まで多くの人間や妖怪が、お姉ちゃんや私の周りからいなくなってきた。せめて魔理沙は、離したくなかった。こんな面白い人間を手放すわけにはいかない。
「んぅ……」
強く締め付け過ぎたのか、魔理沙が目を覚ました。起きるなり、私と目が合う。
「な! 何で私、お前とこんな」
魔理沙は勢いよく跳ね上がった。やっぱり生きた人間って面白いのね。
「おはよう魔理沙。よく眠れたかしら」
私も起き上がる。魔理沙は顔を赤らめる。
「いつから寝てた?」
「う~ん、地底の入口あたり?」
「私、重くなかったか?」
「お空より軽いんじゃないかな?」
「微妙だな」
実際お空のことを背負ったりしたことなんてないけど。お燐は軽そうね。さっきも言ったように、魔理沙は軽かったけど。
「それでな」
魔理沙は少し俯いて言う。
「さっきは油断したんだ。私が本気を出したら、地霊殿ごと吹き飛ばせるんだぜ。だから……」
魔理沙は私の方を見る。地霊殿の前に、この部屋を潰すって言うのかしら。
「また今度、勝負しようぜ。今度は本気で行く!」
予想外にも、満面の笑みでの宣戦布告。神社で見たものより、ちょっとだけ真剣さを含んだ表情。
「ええ、望むところよ!」
いつになるか分からないけど、今度は私が油断して負けないように気をつけないと。避け方といい動き方といい、お姉ちゃんから聞いた話のとおり並大抵の人間とは違うのは一目瞭然だったから。
「それと、さっきは泣いてて言えなかったんだが」
その笑顔を崩さずに、魔理沙は私の前に手を差し出す。
「よろしくな、こいし」
さっきまではあんなに悔しがってたのに、まるで別人みたい。私の手は自然に、魔理沙の手を強く握り返す。小さくも、エネルギーあふれる手だった。
「改めて、よろしく、魔理沙」
「ただいまー」
お姉ちゃんが帰って来た。魔理沙を連れてエントランスに行くと、お姉ちゃんは楽しそうに、お茶の準備を始めた。魔理沙をリビングに招待して、早速地上の話を聞くことにした。
「約束は約束だからな。そんなに急かすなよ」
魔理沙の話す地上は、私たちが地底に封印されたときの地上とは少し違うところがあった。それも興味深かったけど、もっとおもしろかったのは最近地上で起きた異変の話。私が地底に封印されてから地上に出たのは、実は今日が初めてだった。言われてみれば、昔は守矢の神社なんてなかった。あそこの神社は、ごく最近に外の世界から引っ越してきたみたいね。私が地底を放浪してる間に、地上はそんな楽しいことで満ち溢れていたなんて。封印された身である以上、あんまりするべきじゃないだろうけど、もっと地上を歩きまわりたいと思った。
時計を見るともう17時近かった。一通り話し終えると、魔理沙は帰る用意を始めた。
「じゃ、今度はミニ八卦炉を持ってくるぜ」
お姉ちゃんと二人で魔理沙を見送る。魔理沙がエントランスの扉を閉めたところで、私は魔理沙が帽子を忘れていることに気が付く。
「私が届けてくるから、お姉ちゃんは先に戻ってて」
扉を開ける頃には、魔理沙は箒に跨って、今にも飛び立とうとしていた。
「魔理沙ー」
なんとか魔理沙に私の声が届いた。帽子を持って手を振ると、魔理沙はそれが帽子だと分かって、箒からいったん降りる。
「おっ、悪いな」
受け取った帽子を両手で頭に乗せて、再び箒に跨る。
「ねぇ魔理沙」
「ん?」
飛び立つ前に、一つだけ確認したいことがあった。
「今度は私が、魔理沙の家に行っていいかな? 魔理沙の家も見てみたい」
魔理沙は少し困った様子。
「いいけど、来てもガラクタばっかりだぜ」
「それでいいの。その方が面白そうだし」
魔理沙の家を想像する。きっと足の踏み場が無いんだろうな。片づけられない性格なのね。
「こいしがそれでいいなら、いつでも歓迎だぜ。それじゃ、またな!」
飛んでいく魔理沙に、思いっきり手を振った。魔理沙が見えなくなるまで。
「お姉ちゃん、誰かと握手したことある?」
お風呂から上がった後、日本酒を呷るお姉ちゃんに聞いてみる。もう徳利を7本空けてるのに、意識はしっかりしている。
「そうねぇ、まだ地上にいた頃かしら。どうして急に?」
お姉ちゃんは閉ざされた私の心までは読めないから、私が相手だといつもの自問自答みたいなことはできないはずなのに。
「――なるほど、魔理沙さんね」
「どうして分かったの?」
「だってそれしか考えられないじゃない。あなたにとっては初めてだったの?」
「うん……」
魔理沙の手を握った右手を、左手で握る。
「嬉しかったの。誰かからあんな風に手を差し出されたの、始めてだったから……」
お姉ちゃんはお猪口をテーブルに置いた。私を、驚きの表情で見つめる。
「何年ぶりかしら、笑ってるあなたを見るのは」
「え?」
心を閉ざしてから、私の感情や表情には制限がかかるようになった。単純なこと、例えば好き嫌いくらいとかは感じるけど、それが顔に出るようなことはほとんどなかった。さっきはいきなりだったからそんなに考えなかったけど、心の底から、嬉しかったんだ。「第三の眼」の瞼が、ほんの少し軽くなる。
「ほら、一緒に飲みましょ」
お姉ちゃんは私の前にお猪口を置く。それを手にとって差し出すと、お姉ちゃんは徳利の中身を注いでくれた。私はお酒に強くない方だから、少し口をつけただけで、全身にアルコールが行き渡ってしまう。
「それにしても不思議ね、私たちより遥かに弱い人間が、妖怪にこんなに強い影響を与えるなんて。魔理沙さん、やっぱり見どころがあるわ……」
お姉ちゃんは微笑んでいる。今頃魔理沙は何をしているんだろう、そんなことを考えながら、私はさらにお酒を補給する。飲み始めてすぐに眠気が襲ってくる。ちゃんと髪を乾かしてから寝ないと。今日はさっきの魔理沙みたいにぐっすり眠れそう。
今日は素敵な1日だったわ。
最終更新:2009年08月24日 02:15