月が輝く寒空――
夜空に忽然と輝く月に負けぬようにと、散りばめられた彩が輝きを放つ。
澄み切った冷たい空気によって、輝きは一層の美しさを得る。
そんな、ありふれた冬の一夜。
だが、ここ、トキワの森の郊外の草原では、異質な空気が漂っていた。
「いい月夜だ。このような夜に彩るのは、やはり鮮血の紅が一番似合う。
そうは思わぬか?」
流れ者の萌えもんである彼女――ハブネークは、愛刀に頬擦りをしながら不適に笑う。
対峙するのは甲冑に身を包んだ一体の萌えもん。
数十年に一度、特別なビードルから進化する森の守護者。スピアーの突然変異亜種である、ラスピアス。
余談ではあるが、特別なビードルはトキワの森でしか生まれない。
だから、長い間旅をしてきたハブネークにとっても、これは思いがけない邂逅であった。
だが、そんなハブネークとは対照的に、ラスピアスは両手に携えた槍を不機嫌そうに揺らした。
「ご高尚なご趣味ですこと。私には理解できないわ」
皮肉というスパイスをふんだんに振りかけた一言だったが、ハブネークには効果が無い。
ふむ、と思案顔になると真剣に考え込んだ。
「お主はよき理解者になれると思うのだがな。
私の趣味を高尚だと称するのであれば、お主にも理解できるはずだ」
自分で辿り着いた結果に満足したのだろう。ハブネークは、その顔に喜びを湛えていた。
そんなハブネークに呆れたように溜息を吐く。
妙な性格をしているが、こいつは曲者だ。ラスピアスは、直感でそう感じていた。
そうでなければ、ホウエン地方から旅をしてカントーに到着するなど不可能だからだ。
「まぁ、折角の理解者も無駄か」
心底残念そうに言葉を吐くハブネーク。
頭に疑問を浮かべながらラスピアスは次の言葉を待つ。
「理解していようといまいと関係ないからな。――どうせ死ぬ」
平然と、淡々と。ただそれが事実だと言わんばかりに言葉を吐き捨てるハブネーク。
ラスピアスの背筋を震えが走った。それは、恐怖ではない。
「つまらない冗談ね」
それは純粋な怒り。久しく忘れていた熱い激情に、ラスピアスの封印されていた闘争本能が開放される。
ビリビリと大気を震わすそれを、ハブネークは心地良さそうに受け止めた。
「まいったな……。私は冗談を言える性格ではないのだ」
それは、紛れも無いハブネークの本心である。
だが、言われているラスピアスからすればそうではない。
彼女は、それを完全な侮辱であると受け取った。
ここまでコケにされて黙っていられる性分ではないラスピアスは、返答代わりに槍を鳴らした。
チャリ、と金属的な音が、耳に非常に心地いい。
「そうだ、それでいい」
ハブネーク自身も、かつてないほどに高揚していた。
感じる闘気は比肩する者が見当たらず、またそれの透明さにハブネークは満足気な笑みを浮かべた。
これは楽しみだ。
ハブネークの面には、愉悦がありありと浮かんでいた。
その愉悦を快く思わないのが、彼女と対峙しているラスピアスだ。
その面には、不快という二文字がでかでかと書かれている。
「あんたの掌の上で踊らされてるっていうのが気に食わないわ」
「私は踊らせたつもりではない」
ハブネークの言葉にムッとするラスピアスだが、次の言葉を聞いてその不機嫌さも吹き飛ばした。
「踊らせるのではなく、共に踊ろうではないか。
さぁ、私をしっかりエスコートしてくれ」
「私、女をエスコートする趣味は持ってないのよねぇ……。
――でも、貴女だけは特別よ。存分にエスコートしてあげるわ。
ただし気を付けなさい。付いてこれないなら、肉塊に成り下がるだけよ」
皮肉気にニヤリと笑うラスピアス。
それを見て、ククと喉を鳴らすハブネーク。
二人の間を一陣の風が吹き抜けた。
二人の空気を感じとったのだろうか。風は足早に駆け抜けていった。
風に誘われるように足下の草も忙しそうに揺れる。
これより演じられるのは二人の舞踊。
命を賭け、互いの獲物が火花を散らす――荒々しくも美しい戦い。
立会人は夜空に浮かぶ十五夜の月。観客は夜空を彩る星星。
ハブネークは鯉口を切り、ラスピアスは槍をしっかりと握り締める。
緊張は止まることも無く高まり続ける。
火蓋を切るのはラスピアスか、はたまたハブネークか。
互いに切欠を掴めず、相手を伺いながら、じりじりと間合いを計る。
そして、ラスピアスの足が地を蹴り――法螺貝が高らかに鳴り響いた。
ラスピアスの動きは、喩えるならば閃光のそれ。
そこから放たれる強烈な一撃もまた、閃光の如し。
ゴウ、と暴風を纏って繰り出された突きを、ハブネークは刀身に滑らせ、いなす。
決して、真っ向から受け止める愚は犯さない。
強烈な点の攻撃を受け止めれば、彼女の愛刀は脆くも折れてしまうからだ。
だからこそ、点の位置をずらすに止め、ギリギリの位置で身体を捻らせて閃光をかわす。
そして、身体を捻らせた力を余すところなく刀に伝え、宙に真一文字を描く。
ラスピアスは、追撃用にとっておいたもう一本の槍を防御に回して、事なきを得た。槍と刀が衝突し、火花が夜空に散った。
その状態で、二人はしばらく停止する。互いの顔が引っ付きそうな至近距離である。
お互いが、退くに退けない。下手に退けば、相手の間合いに支配されかねないからだ。
だが、そうもいってられない事態となった。
「――ッフ!」
ハブネークの背中から生えた尻尾がラスピアスを襲う。滴る液体は、恐らく毒。
ポイズンテール、と呼ばれるハブネークの代表的な技である。
もっとも、彼女はこの技――考えようによってはハブネークの代名詞でもあるそれ――を均衡状態からの不意打ちにしか使わない。
この技を受けた相手は大抵、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
己の武器と武器での真剣勝負の最中に、このような技が飛んでくるのだ。意表をつくどころの騒ぎではない。
そして、それはラスピアスも同じだった。
突然の不意打ちではあったが、彼女は無事であった。
超人的――人と定義してよいのか甚だ疑問ではあるが――な第六感で、何らかの襲来を察知した彼女は、慌てて身を退いていた。
そして、彼女の目と鼻の先を、毒を滴らせながら、鞭と化した尻尾が疾走した。
背筋が凍った。ラスピアスの心境は正にこれだったに違いない。
次に湧き上がったのは純粋な怒り。
己の武を以って打ち勝とうという気概の相手だと思っていたのに……。その怒りの中には、失望が見え隠れしている。
ラスピアスの無言のプレッシャーを感じ取ったハブネークは、飄々としていた。このような反応には、最早慣れっこだった。
気にしないどころか、ラスピアスの事を益々気に入ったようだ。
それは当然のことながら、ラスピアスの言葉の背景にある失望を感じ取ったためであろう。
失望という事は、己に期待してくれていた、という事とイコールである。ハブネークは、それが嬉しかった。
「そう怒るな。あの状態ではアレしか手がなかった。当たらなかったから良かったではないか」
いけしゃあしゃあと対応するハブネークに、ラスピアスも矛を収めた。
そもそも、これは萌えもん同士の戦いであり、武器以外の使用もあって然るべきである。
彼女とて、意表をつく技を一つも二つも所有している。
ならば怒りを感じるのは筋違いだ。ラスピアスはこう結論した。
「まぁ、それもそうよね。……いいわ、こっちにだって考えがあるから」
そうでなくては、とハブネークは気を引き締めなおした。
先ほどの攻防。
一瞬の攻防であったが、それは二人の特性を如実に物語っていた。
瞬発的な速さに優れたラスピアス。
神業的な技巧を持つハブネーク。
この二人の打ち合いは、一撃必殺の様相を呈してきた。たった一つの傷が、お互いの技を鈍らせかねないからだ。
それを悟ってか、二人は動かない、いや動けない。
「来ないのか?」
挑発的なハブネークの笑み。
ここは一つ乗ってやろう。これがラスピアスの判断であった。
「じゃあ、お言葉に――甘えて!」
言葉と共に、閃光が草原を駆ける。
右へ左へとジグザグに動き、ハブネークに狙いを付けさせない。
そして右に振れ、更に加速して直進し、ハブネークの左方向から刺突を繰り出す。
ハブネークは危な気もなく回避して、一太刀。先ほどの一閃とは違い、優雅に円の軌道を描く一振りである。
その趣の異なる太刀を受けるのではなくかわして、ラスピアスの二撃目が奔る。
いや、それだけではない。
両手に持った槍を、引く素振りさえ見せずに突きまくる。
ハブネークも、これには参った。
繰り出された技はみだれづき。ラスピアスの十八番であるこの苛烈な攻めは、確実にハブネークを追い込んでいく。
(これは少々旗色が悪いか……)
ハブネークは持ち前の七色の太刀筋を以って辛うじていなし、かわしてはいるものの、いつ攻撃が当たるかは分からない。
並みの武人のみだれづきであれば、いくら手数が多くてもそれは下手な鉄砲に過ぎない。いつかは当たるであろうが、そこまで恐れるものではない。
だが、ラスピアスの技量は、ハブネークの想像を超えていた。
このような攻めを行いながらも、そこには急所を狙う正確さがきちんと存在していたのだ。
どちらにしても、このままではジリ貧になり喘ぐだけだ。
ハブネークは慎重に機会を伺う。
起死回生の一手ではあるが、これが失敗すれば自分の命は夜空に散る。
かつてないほどの緊張感にハブネークの顔に喜悦が浮かぶ。自分が望んだこの状況に陥ったのは何度目か。
過去の死闘を思い出し、それが更にハブネークを昂らせる。
そして、見つけた一瞬の隙。僅かながら、槍を大きく引いた瞬間に、烈火の気合を浴びせかける。
ドクン、とラスピアスの心臓が高鳴った。次いで、冷や汗が溢れてくる。
(身体が……動かない)
困惑するラスピアスを他所に置き、ハブネークは飛び退いて大きく息を吐く。
放った技はへびにらみ。強烈な気合を浴びせる事で、相手を呑み込んで行動を束縛する技。
極度の集中力を必要とするため、あれが外れたり気合で返されれば、ハブネークの身体には風穴が開いていただろう。
緊張で疲弊した精神を労わるように息を吐き、ラスピアスを見やるハブネーク。
困惑から帰還したラスピアスは、自分の身体を取り戻していた。
「やってくれたわね……」
「ああせざるを得なかった。ギリギリだったのだぞ」
そう言ってお互いに笑いあう。
お互いの体力も限界に近い。命を取り合うこのやり取りは、二人の精神を明らかに削っていた。
恐らく、次の攻防で勝負がつくであろう。二人もそれを察している。
ハブネークは刀を逆手に持ち、地面に限りなく身体を寄せる。
ラスピアスは両手の槍を引き絞り、いつでも放てるような構えを取る。
「いくぞ――!」
「こい――!」
お互いが地を蹴り、一気に距離が詰まる。
直線的なラスピアスと跳ねるような動きのハブネーク。
「ダブル――」
「かみ――」
暴風を纏った槍と、逆手の構えから振り下ろされる牙と化した太刀が衝突し、お互いの攻撃が逸れる。
「――ニードル!」
ラスピアスから放たれるのは必殺の二撃目。
引き絞った左腕から放たれたその一撃は、過たずハブネークを襲う。
「――くだく!」
萌えもんだからこそ出来る、逆手の構えを捻って繰り出す、天への一撃。
下降で噛みつき、上昇でくだくこの一連のコンビネーションは、ラスピアスの命を奪わんと迫る。
その槍と刀が、はたと止まった。
槍はハブネークの腹部の一歩手前で止まり、刀はラスピアスの喉を食いちぎるには今一歩足りなかった。
「惜しかった……」
「惜しいわね……」
二人は同時に呟いた。
「後一歩踏み込んでいればお主の喉を食い千切られたのだが……」
「貴女が後一歩こちらに踏み込んでいれば、お腹に風穴を開けてあげられたのに……」
二人はお互いが呟いた事が可笑しかったのか、ククと笑った。
そしてお互いに武器を収めて腰を下ろした。
ハブネークは、懐から徳利とお猪口を取り出して酒を入れる。
それをラスピアスにも進め、二人で杯を交し合った。
「月見酒も悪くはないな」
「そうね……」
満足気に頷くハブネークと、疲れたように同意するラスピアス。
二人の背後を、穏やかな風が吹きぬけた。
――了――
最終更新:2008年01月22日 21:37