目を開けて最初に飛び込んでくるのは、真っ白な天井。
しばらくすると白い服を纏った人間がせわしなく私の目の前を通り過ぎていく。
私のことなど気にもかけない、まるで私の存在など無いのではないかと思わせるように。
外の世界へと出て、私を待ち受けていたのは、永遠の孤独。
「社長、今月分のラインです」
「社長、来週の日曜日、ラジオ放送への出演の依頼が来ておりますが……」
いつもと変わらない日常。
シルフカンパニー11階、社長室には毎日せわしなく白衣を来た社員たちが訪れる。
予算や生産などの会社の運命を左右する重大な話もあれば、
ラジオ、テレビ番組への出演依頼など、社員たちの用件は多種多様。
社長はそんな彼らの話をしっかりと聞き、自分の意思をを伝え、
側近の秘書も休む暇も無く記録をしている。
そんな年中忙しく働き続けているシルフカンパニーの人間達をボール越しに、遠めに眺める萌えもんが一人。
――ラプラスである。
シルフの社員――タクヤの父に捕まって、やってきた場所がこのシルフカンパニー。
社長は最初こそ彼女のことを可愛がってくれたが、1ヶ月もしないうちに話しかけるどころか、
ボールの中から出してもらえなくなってしまっていた。
しかもラプラスが入っているマスターボール、外側からロックがかかっているので、内側からの脱出は不可能。
そんな日々が続いて……かれこれ8ヶ月が経つ。
ボールの中は心なしか居心地が悪く、
天井を見上げても真っ白な壁があるだけで何も無い。
せわしなく動く人間の姿は初めこそは興味を持てたが、流石に8ヶ月も見続けていると飽きてくる。
これだったら洞窟の中にいた方がまだマシだったと、今更になって思う。
「社長、5時から会議が入っています」
黒革の高級そうな椅子に座っている社長の隣で、秘書が手帳を開きながら言った。
「ん? ……ああ、そうだったな」
社長は座ったまま、腕時計を眺めた後、立ち上がってエレベーター乗り場の方へ向かった。
恐らくそろそろ行ったほうがいいと判断したのだろう。
何も言わずにエレベーター乗り場へと向かう社長に、秘書も何も言わずに足早に歩き出す。
程無くしてエレベーターが到着し、乗り込んだ2人は、ドアの向こうへと姿を消した。
それを確認したラプラスは目を閉じる。
そして――歌った。
洞窟にいた頃の癖か、どうしても暇なときはメロディーを口ずさんでしまう。
ボールの中に閉じ込められたラプラスの唯一の楽しみであった。
その美しく、透き通った声は今も健在。
歌っている最中だけはボールの中の窮屈の他、辛いことは忘れられた。
でも、歌い終えてやってくる虚しさは、洞窟にいた頃以上に彼女の胸を締め付けた。
――タクヤ、どうしているだろうか。
締め付けられる胸を押さえながら、ラプラスはタクヤの顔を思い浮かべる。
しかし、どうしてもタクヤの顔を鮮明に思い出すことが出来なかった。
約束したのに、あと1年と少ししたらタクヤのパートナーになるというのに、なんだか情けなくなった。
まあ、こんな状況で、タクヤと再会出来る確証など無いのだけれど。
きっと疲れているんだろう……考えてみればさっきから瞼が重い。
タクヤの顔が思い出せないのを勝手に疲れのせいにして、ラプラスはそのまま目を閉じた。
別にやることだって無いし、寝ようが何しようが、誰かに咎められる事は無い。
明日も、
明後日も、
来週も。
こうやって無駄に日々が過ぎていくのだ。
そう思いながら、ラプラスの意識は闇へと沈んでいった。
「――ふははははははは!」
一体何時間眠っていたのだろうか。
誰かの高笑いでラプラスは目を覚ました。
目を擦りながら、一体何があったのかと確認する。
真っ先に目に飛び込んできたのは、黒いスーツを身に纏い、釣りあがった眼を持つ、いかにも悪人顔の背の高い男。
視線を右側へと向けると、両手を頭に乗せ、冷や汗を垂らしている社長と秘書の姿。
左側に視線を向けると、数人の黒ずくめの男達――いや、数人女性もまじっているようだ。
黒ずくめの男達を見た瞬間、ラプラスはハッとなった。
タクヤとの会話を思い出す。
――全身……黒ずくめ? 違うよ、僕はロケット団なんかの仲間じゃないよ。
あの時は確か……タクヤを仲間を連れ去った黒ずくめの男の仲間だと勘違いして。
――ロケット団っていうのは、各地で悪事を働いている悪い奴らのことで……
そうだ、ロケット団。
仲間を――連れ去っていった悪い奴。
そうだと分かった瞬間に、憎しみや憎悪の感情が胸からふつふつと沸きあがってきた。
たとえラプラスが仲間に対して抱いていたのが空想の絆だとしても、
かつて仲間と共に過ごしてきた大切な時間――それは確かに今も記憶の中に存在しているから。
記憶が、彼女を憎悪や憎しみに駆り立てているのだろう。
しかし、それなのにボールの中から出ることが出来ない、それが余計にラプラスの心を苛立たせる。
「所詮何百人もの人間を指揮する者の覚悟などこんなものよ!
自分は椅子にふんぞり返って何もしない! ただ事を見つめ、自分が気に入らなければ作り直しと怒鳴る!
このような人間にこの会社の社長を務めるのは少々役不足だと……そうは思わんかね?」
黒スーツの男――恐らくロケット団のリーダーの言葉に、団員たちは一斉に頷いた。
それを見て、口元に笑みを浮かべた黒スーツの男は社長の方へと歩き――――
「安心しろ……このシルフカンパニーの今後は私達ロケット団が保証しよう。
数年としないうちにシルフの名はカントー……いや、ジョウトにまで響き渡る!
そして誰もが私達ロケット団の名を聞いて震え上がり、恐れるだろう!」
社長の首元を掴み、団員の方へと突き出した。秘書も同じように。
「こいつらを見張っておけ……これからこいつらには手伝ってもらうことが山ほどあるからな」
団員はそれを聞いて、社長と秘書の両腕に縄をかけると、強引に椅子へと座らせた。
「たった今このシルフカンパニーは我々ロケット団の支配化に入る。
社員の皆には、ロケット団の壮大な計画の第一歩を見届ける立会人になってもらう。これは名誉あることだ、幸せに思いたまえ。
なお団員は社員の監視、各階の見張りを強化せよ。以上だ」
黒スーツの男は社長の椅子の前にある電話を取り、ダイヤルを回すと、声高らかにそう言った。
「さて、見張りの者以外は2,3階の見張りに当たってもらおう。侵入者を発見次第、即刻排除、分かってるな」
見張りを除く4,5人の団員は頷いて、エレベーターに乗り込んだ。
それを見届けた黒スーツの男は、ポケットの中から紙を取り出すと、その紙を机へ思い切り叩き付けた。
「さあ社長、ここにサインしてもらえると助かるな」
社長は黒スーツの男が叩き付けた紙を眺める。
何か書かれているのか、そうだとしたら何と書かれているのか、ラプラスの位置からは見えなかった。
数10秒して、社長は顔を上げて首を振った。
「全社員の解雇……だと!? ここで働いている社員が何人なのか知っているのか!?」
社長は声を荒げた。
「知っているとも。社員合計750人。間違いはないだろう?」
そんな社長の姿を馬鹿にしてるかのように、言葉の合間に失笑を含めた黒スーツの男。
「それ程の人間が一気に解雇されてみろ……大きな批判を喰らい、会社は一気に信憑性を失うぞ」
「批判、罵倒……いい響きだ。それが悲鳴に変わると思うと嬉しくてたまらないよ」
「……お前は、狂ってる……狂ってる!」
恍惚の表情をした黒スーツの男を見て、怯えだす社長。
そんな社長の顔を見て、さらに笑い出す黒スーツの男。
「まあそう怯えないでくれ……それは前置きでしかない。大切なのはその次の文章なんだ」
「なに……? 『その代わり、萌えもん300匹を仕事に従事させる』……どういう意味だ?」
「そのままだよ……萌えもんは人間よりも遥かに強い力を所持している。
しかも従事させる萌えもん達は我らロケット団の忠実なしもべ……この会社の為に手足となって働いてくれるだろう」
黒スーツの男はそう言いながら、スーツの裏に隠していたボールを取り、宙へ投げようとした。しかし。
「サカキ様」
その動作はエレベーターから出てきた、ロケット団員――さっきまでここにいた団員とは違い、首に赤いスカーフを巻いている――によって遮られた。
「なんだ……これから我が忠実なしもべを見せてやろうとしたところを」
残念そうな表情をして、黒コートの男――サカキは手に持ったボールをコートの中へと忍ばせた。
「申し訳ありません。伝言が入ったため、ご連絡の程を」
団員はサカキの前にひざまずく。
「連絡など電話で出来るだろう……まあ、いい。それで? どうした?」
「まず一つですが……4階,2階の2箇所に侵入者を発見。現在全力で排除に向かっております。
何でも侵入者はどちらも16,7歳の少年のこと。しかも相当な腕を持っているとのことです。既に敗北した団員が何人か……」
サカキは表情を曇らせることなく……むしろ笑った。
「ふふ、そうでないとな……崇高な目的の前には障害が付き物だ。追撃の手を緩めるな。して、他には?」
「はい、ジョウトに潜伏している同志からの連絡ですが、2日前に調査していた洞窟の件……
やはり過去のケースからの同志の推測通り、最深部に1匹のラプラスを発見しましたが、いかがなされますか?」
「こっちにもラプラスはいるがな……多く所持するに越したことはないが……いい、放置しておけ」
「了解しました。失礼します」
団員は立ち上がってサカキに礼をすると、エレベーターの方へ姿を消した。
ラプラスは声にならない叫びを上げていた。
ジョウト? 洞窟? ラプラス?
あの団員から出た言葉から、それが何を意味するのか……今まで培った外の世界に対する僅かな知識を使って推測する。
なんだか団員が話した言葉に、もの凄い不安を覚えたから。
さっきまで聞こえていたサカキとその団員、社長、秘書の声は今は聞こえない。
サカキがボールを宙に出して、青い何かを出していたが、それも目に入らない。
結論を出すのは容易だった。
そう、つまり――――帰ってきたのだ。
2度とあの洞窟に帰ってこないと思っていた、仲間の内の1人が。
約束を覚えてくれていたのか、それとも外の世界に飽きたのかは分からないが。
とにかく帰ってきてくれたのだ。
それが分かったと同時に、ラプラスの目に涙が浮かんだ。
頭に思い浮かんだのは――かつての自分。
一人寂しく、そこで皆の帰りを待ち、
そもそも皆が帰ってくるか分からないのに、
孤独という悲しみと闘いながら、
今も外の世界を旅している仲間達の為に歌い続ける。
自分と決定的に違うのは――皆との絆を、この手にしっかりと抱いているということ。
空想なんかじゃなくて、ちゃんと存在する形で。
ごめんなさい。
心の中で呟いた。
誰にでも夢はある。些細なものから、他人から大言壮語だと笑われるものまで。
外の世界の話を聞いて、皆の心に夢が生まれた。
その夢を叶えてみたいと、心から願うようになった。
たとえ仲間と一時の別れをしてまでも、叶いたい夢が。
外の世界へ足を踏み入れても尚、仲間のことを片時も忘れることは無かった。
なのに、私は。
見捨てられたと勝手に解釈して、自分の心の中に存在していた絆をいつの間にか消して。
それを認めるのが怖くて、信じるだの、待ち続けるだの奇麗事で隠して、空想の絆を作って。
何だかんだ言って、見捨てたのは私の方じゃないか。
ごめんなさい。
こんなにも軽々と皆を裏切ってごめんなさい。
そう頭を下げれば許してもらえるだろうか。
いや。
許してもらえなくてもいい。仲間と認めてもらえなくてもいい。
ただ、行って謝りたい。
でも、私はここから出られない。
私はここで永遠の孤独に悲しみ、苦しみ、寂しく老いて死んでいくのだ。
だから、謝りにいけないんだ。
ごめん。
また心の中で呟いた。
涙で霞んだ視界を凝らして、再び前方へ視線を移す。
「……貴様はそうだ、先のタマムシシティの件も、常に私の前に現れては邪魔をする。
何故だ!? 何故この私達ロケット団の思想が分からない!?」
さっきとは明らかに状況が違っていた。
黒髪短髪の今初めて見る少年が、サカキの前に腕を組んで立っている。
そのサカキは少年の前にひざまずき、歯軋りをして少年のほうを睨みつけていた。
社長と秘書の傍にいた団員は、姿を消していた。
「分からないっての。萌えもんは俺たちと同じように生命を持っている。人と萌えもんの生命の重さは同じ。
萌えもんを道具としてこき使っているあんたらの考えに対して、共感の一欠けらも感じないね」
「しかし……お前たちトレーナとて、萌えもんを戦わせ、傷つけるというのに、後方で指示をして楽をしてるじゃないか!?」
「ああ、確かにそうだ。でも俺たちの仲間は俺と一緒に戦うことを承知の上で俺に同行してくれてる。
仲間が傷つく様子を見て、ただ指示をして見守ることが出来ない自分を呪うさ。
俺にとって萌えもんは仲間、あんたらにとっては道具、この時点で分かり合うことなんて不可能だって」
必死の形相で睨むサカキに尻込みせずに、堂々と自分の考えを述べる少年。
サカキはその形相を緩めると、口元にまた笑みを浮かべた。
「……ふふ、そうか、やはり君とは馬が合わんようだな。仕方ない。シルフカンパニーの乗っ取り計画は諦める。軍の建て直しが必要だ。
そうだ、最後に……君の名前を教えてはくれないか?」
「何でまた」
「これから何度もロケット団の障害になりうるであろう人物だ。名前を覚えておいて損はないだろう?」
少年が自分の名を名乗るのに少しの間があった。
「……ダスク」
「ダスク、いずれまた会うときが来るだろう。その時、敗北にひざまずくのは私じゃない。そのことを肝に銘じておけ」
サカキは捨て台詞を吐いて、コートの中から閃光弾を取り出した。
閃光弾、というよりは、暗黒弾、というのだろうか。
視界が一瞬暗闇に包まれたかと思うと、サカキは姿を消していた。
「いや、助かったよ。君のお陰だ」
少年――ダスクに縄を解いてもらった社長は、安堵の表情を浮かべ少年の手を握った。
秘書もまた同じように、安堵の表情を浮かべている。
「いえ、まずは何より無事で良かったです」
「これは何かお礼をしなくちゃいけないな……しかし、何を君にやれば……」
考え込む社長をよそに、ダスクの視線がラプラスの入っているボールへと向けられ、
そして彼はそれを手に取った。
「これ……」
「ん? ああ、それはラプラスという萌えもんだ、珍しいだろう」
社長の話を聞いているのか聞いていないのか。
ダスクはまじまじとラプラスを見つめていた。
他人からジロジロ見られるのはあまり経験が無いので、ラプラスは少し視線を逸らす。
「あの、もし良ければなんですけど、ラプラスを連れて行ってもいい、なんてことは……」
ダスクは社長に遠慮がちに聞いた。
「んー……会社の一大事を救ってくれたからな……よし! 分かった。連れて行くといい。きっとそっちのほうがラプラスにとっても幸せかもしれないからな」
「ありがとうございます」
ダスクはそう言うと、ラプラスをボールから出した。
ようやくボールから開放されたラプラス。思わず大きく伸びをする。
その姿を見て、ダスクは笑い、それに気付いたラプラスは頬を赤くした。
「ラプラス、俺たちの――仲間になってくれないか?」
ダスクはラプラスにそう笑いかけて、手を差し出した。
もう一生孤独だと諦めかけていた私を助けてくれた。
何より私にあの洞窟へ戻れる、皆へ謝るチャンスをくれた。
恐らくチャンスは一度きり――これを逃すわけにはいかない。
ごめん、タクヤ――約束、守れそうにも無いかもしれない。
そう心の中で呟いた。
「分かった。よろしくね、えっと……ダスク、でいいのかしら?」
「いや、その名前で呼ぶのは止めてくれると。皆はマスター、って呼んでるし、それでいいよ」
「うん、改めて、よろしくね。マスター」
ラプラスもまた、ダスクの手を握り返す。
それは苦渋の決断。
約束を平気で破る自分が、一瞬だけ恐ろしく感じてしまった。
カントー地方のとある森の中。
今宵は快晴。
空には満天の星空と、三日月。
聞こえるのは風の音、木の葉が揺れる音、焚き火から出る火花の音、微かに萌えもんとそのトレーナーの寝息。
それと、美しく、透き通った歌声。
「……寝れないのか?」
トレーナーがむくりと起き出し、彼女の方を見た。
「あら、もしかして聞いてたの?」
彼女は歌うのを止め、トレーナーの方を振り向く。
「聞いてた。寝たふりしてて」
「そう、……ふふ、恥かしいところ見られちゃったかな」
「悪い。あまりにも綺麗な歌声だったから、つい」
そう言うとトレーナーは、空を見上げて三日月を指差した。
「見ろよラプラス。今日は三日月だな」
ラプラスもまた、トレーナーが指を指す方向を見つめた。
「満月もいいけどさ、やっぱり三日月もいいよな……」
トレーナーの表情を見て、いつかの少年もこんな顔してたな、とラプラスは笑う。
「なあ、ラプラス」
「何?」
「また、さっきの歌、歌ってはくれない……かな?」
トレーナは照れくさそうに視線をそらし、小さな声で呟く。
「ええ、構わないわよ」
ラプラスはそう言うと、再び歌い始めた。
その歌をトレーナーは目を細めて聴いている。
私の歌声よ、遥か彼方の洞窟の、仲間の帰りを待ってる友の下へと届けて欲しい。
何千里という距離を越えて、私の想いを届けて欲しい。
友よ。かつて皆と歌ったメロディーに乗せて、君にメッセージを送る。
それを聞いた君は怒るかもしれない、悲しむかもしれない、私を一生恨むかもしれない。
それでも構わない。
ただこれだけは信じて欲しい。
今、私の心の中で息づいている絆は、確かに、存在している。
―――――――――――――――――
これにて金銀引っ張り出して思いついた「melody」完結です。
全編通して支離滅裂な内容だったはず。
前編の後半で思いつきで構想変えたらこんな結果に……
まあ、変えなくてもこんな結果になるのだと思うけど。
次はほのぼのとしたもの書きたいなあ。
書くのか分からないけど言ってみたり、とか言ってかくんだろうなきっと。
そのときはまたまたよろしくおねがいします。
最終更新:2008年02月15日 20:44