プロフィール
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選手名 - 増渕 竜義(ますぶち たつよし)
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背番号 - 63(07年)→22(08年~)
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出身地 - 埼玉県草加市
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身長/体重 - 184㎝/80㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 鷲宮高-東京ヤクルト(06年高校ドラフト1巡)
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顔文字 - (`‐u‐´)
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実況板でのあだ名 - まっすー
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関連用語 -
入団前
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小4から野球を始め、草加栄中では1年時に関東大会ベスト8まで進出。
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「打倒私立」を目指して県立の鷲宮高に入学。入部当初は体重61㎏で監督もプロのレベルではないと判断していたが、
1年秋にはエースの座に着き、2年冬には腹筋、背筋を連日1000回こなし、1食どんぶり3杯の食事もあって3年時には80㎏まで成長した。
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3年春に埼玉県大会優勝、関東大会ではベスト8まで進出。
地区大会1回戦の越谷東戦で7回16奪三振、代表決定戦の杉戸戦で9回16奪三振、県大会2回戦の所沢北戦で
6者連続を含む17奪三振等圧倒的な力を見せ付けて県大会優勝。
県大会~関東大会で9試合60回1/3、84奪三振という快記録を残す。
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3年夏には5回戦の市立浦和高戦でノーヒットノーランを達成。準々決勝で春日部共栄、準決勝で聖望学園といった強豪を倒し、
決勝まで進出するも浦和学院に4失点完投負けで悲願の甲子園出場を逃した。
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甲子園出場はならなかったものの、斎藤雅(元巨人)を彷彿とさせるスリークォーターからのピッチングは
この年ドラフト指名された田中(楽天)、大嶺(ロッテ)、前田(広島)、堂上(中日)と共に「ビッグ5」の高評価を得る。
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ドラフトでは在京のヤクルト、地元の西武がドラフトで指名し抽選の結果ヤクルトへの入団が決まった。
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なお、母親がヤクルトレディという事でマスコミから注目を浴びていた。
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入団発表で背番号が発表され、前評判が高かった事もありそれなりの番号が与えられると予想されていたが、
その番号はあの平本がつけていた63。実況板では不穏な空気が流れた。
後日、63番を付けたのは増渕が昭和63年生まれだったからという事が判明した。08年からは高津の22を引き継ぐことに。
ヤクルト時代
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春のキャンプから一軍に帯同し、オープン戦でも結果を残したため、さっそく4月7日広島戦で先発投手として一軍デビューを果たした。この試合を7回1失点と好投し、今後が期待された。
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しかしその後2試合で11失点とプロの洗礼を浴び、あえなく二軍落ち。
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それと同時に肩の故障も発覚し、リハビリ、及び体力作りを行うこととなった。
(このリハビリ、及び体力作りのことを球団ホームページでは「「山部道場」に入門」と紹介された。)
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2軍での実戦登板を経てシーズン終盤に一軍復帰。
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そして10月4日の横浜戦では先発し7回無失点と好投、見事プロ初勝利を飾った。
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08年は新人王の資格を残しており、2桁勝利が期待されたが不安定な投球が続き後半戦は1軍に上がれなかった。
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09年は戸田で練習中に打球が直撃し骨折。この年の1軍登板は1試合のみであった。
その他
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08年1月4日、同期の上田と共に東京タワー地上150メートル大展望台までの階段590段を駆け上がる自主トレを敢行した。タイムは6分5秒
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ドラフト同期の衣川の夫人も増渕の母親と同じヤクルトレディであった。
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入寮の際、ミッキーマウスのぬいぐるみを持参。本人曰く、「段ボールを開けたらたまたま入っていた」
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07年春のキャンプに関する記事で辻内と取り違えられた。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
2007 | 東京ヤクルト | 6 | 1 | 1 | 0 | 29.1 | 21 | 14 | 14 | 4.30 |
2008 | 東京ヤクルト | 12 | 3 | 3 | 0 | 55.1 | 25 | 28 | 26 | 4.23 |
2009 | 東京ヤクルト | 1 | 0 | 1 | 0 | 5.0 | 4 | 6 | 7 | 12.60 |
| 通算 | 19 | 4 | 5 | 0 | 89.2 | 50 | 48 | 47 | 4.72 |
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最終更新:2010年09月16日 00:41