プロフィール
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選手名 -山部 太(やまべ ふとし)
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背番号 - 19(94年~00年) → 30(01年~06年) → 99(07年~)
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出身地 - 愛媛県八幡浜市
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身長/体重 - 181㎝/76㎏
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投打 - 左投左打
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球歴 - 八幡浜工高-NTT四国-ヤクルト(93年ドラフト1位)
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顔文字 - ( +д+)
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実況板でのあだ名 - やまべ 山部
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関連用語 - ヘロカッ ヘロヘロボーイズ 山山コンビ 山部道場
入団前
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中学時代は軟式野球部補欠の外野手であったが、八幡浜工高の監督から投手として誘いがあり、進学を決定。
3年夏には愛媛県大会決勝まで進出。大会終了後にはプロからの誘いが来ていたが、体力不足を理由にNTT四国へ入社。
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NTT四国では西山一宇(元巨人)との左右2枚看板で活躍。93年には全日本代表にも選出され、同年秋のドラフトで逆指名でヤクルトに入団。
ヤクルト時代
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2年目の95年、左腕から繰り出される快速球を武器に16勝をマーク。同じく左腕速球派の石井一と共に優勝に貢献。
日本シリーズでは先発せずにリリーフとして3試合に登板し1勝をマークしている。
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翌年も7勝をマークしたが、ケガやノーコン矯正の為の練習等でバランスを崩し速球のスピードを失う。
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その後低迷が続き、軟投派に転向。99年に6勝、02年に5勝と低迷、復活を繰り返す。
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03年はリリーフに専念。抜群のコントロールとヘロカ(へろへろカーブ)を武器に防御率1.05という神の活躍。
上記の様に「先生」と呼ばれたり、「困った時の山部」と大絶賛。
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ところが04年は打者に慣れられたのか大炎上。
期待を裏切られたからかその年から先生とは誰も呼ばなくなり、「やまべ」「へろか」と馬鹿にされる。
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その年同じベテラン左腕で炎上した山本樹とセットで山山コンビと揶揄された。
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05年も40試合に登板したが防御率は6点台。06年も低迷が続いている。
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06年9月、土橋と共に戦力外通告を受け、10月に引退を発表。
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10月15日の巨人戦で土橋と合同の引退試合を行い、2-0とリードした9回表に登板。堀田を三振に仕留めて有終の美を飾った。
外野スタンドでは「ありがとう 黄金左腕 山部太」の横断幕が掲げられた。
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現在は戸田で投手コーチを務め、高卒新人投手等を鍛える「山部道場」を開いている。
その他
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名前の太は同じ四国の高松出身の大打者である中西太から取られている。
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NTT四国時代は地元で巨人戦の中継しか放送されてなかった事もあり、ヤクルトの選手は
ほとんど知らなかったという。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
1994 | ヤクルト | 16 | 1 | 6 | 0 | 67.0 | 64 | 44 | 30 | 4.03 |
1995 | ヤクルト | 31 | 16 | 7 | 0 | 160.0 | 144 | 90 | 68 | 3.82 |
1996 | ヤクルト | 20 | 7 | 4 | 0 | 123.2 | 98 | 57 | 55 | 4.00 |
1997 | ヤクルト | 14 | 0 | 2 | 2 | 25.2 | 24 | 13 | 10 | 3.51 |
1998 | ヤクルト | 29 | 3 | 8 | 0 | 63.0 | 62 | 38 | 32 | 4.57 |
1999 | ヤクルト | 28 | 6 | 7 | 0 | 90.1 | 89 | 59 | 52 | 5.18 |
2000 | ヤクルト | 9 | 1 | 3 | 0 | 30.1 | 25 | 11 | 23 | 6.82 |
2001 | ヤクルト | 12 | 4 | 2 | 0 | 52.2 | 36 | 24 | 22 | 3.76 |
2002 | ヤクルト | 10 | 5 | 3 | 0 | 40.2 | 29 | 12 | 25 | 5.53 |
2003 | ヤクルト | 34 | 2 | 0 | 0 | 43.0 | 36 | 18 | 5 | 1.05 |
2004 | ヤクルト | 25 | 1 | 0 | 0 | 23.0 | 22 | 18 | 25 | 9.78 |
2005 | ヤクルト | 40 | 0 | 2 | 0 | 21.0 | 21 | 14 | 15 | 6.43 |
2006 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.1 | 1 | 0 | 0 | 0.0 |
通算 | | 269 | 46 | 44 | 2 | 740.2 | 651 | 398 | 362 | 4.4 |
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最終更新:2010年09月22日 15:24