石井一久

プロフィール


  • 選手名 - 石井 一久(いしい かずひさ)
  • 背番号 - ヤクルト時代 16(92年~01年)→16(06年~07年) ドジャース時代 17(02年~04年) メッツ時代 23(05年) 西武時代 61(08年)→16(09年~)
  • 出身地 - 千葉県千葉市若葉区
  • 身長/体重 - 183㎝/85㎏
  • 投打 - 左投左打
  • 球歴 - 東京学館浦安高-ヤクルト(91年ドラフト1位)-ドジャース-メッツ-東京ヤクルト-埼玉西武
  • 顔文字 - ( ゚Д゚)===○
  • 実況板でのあだ名 - ギコ
  • 関連用語 -

ヤクルト時代~西武時代


  • 東京学館浦安高からドラフト1位でヤクルトに入団。
  • 高卒1年目から1軍で登板。西武との日本シリーズ第3戦ではシーズン未勝利だったにも関わらず先発に起用された。
    翌年にプロ初勝利を雨天コールドで拾う。
  • 95年に13勝をマーク、最優秀勝率投手となり日本一に貢献すると以後はヤクルトのエースとして活躍。
  • 97年、当時熾烈な首位争いを繰り広げていた横浜との天王山である9月の2連戦でノーヒットノーランを達成し横浜の息の根を止める。
  • 98年に最多奪三振を記録し、00年にも2回目の最多奪三振に加え最優秀防御率も獲得し、投手2冠に輝く。
  • 01年に14勝をマークし4年ぶりの日本一に貢献。近鉄との日本シリーズ第1戦ではこの年最多勝の藤井を押しのけ先発登板。
    見事8回1安打13奪三振と強打を誇る近鉄いてまえ打線を封じ込める。
  • 日本一を達成したオフ、ポスティングシステムを行使してドジャースに移籍する。
  • 06年1月、古田兼任監督の下、野球人生の集大成を迎える為、高津と共にメジャーからヤクルトに復帰。
    11勝をマークし、Aクラス復帰に貢献。翌年も9勝をマークした。
  • 07年オフ、この年限りで退団となった古田、高津と同じく06年シーズン途中に取得したFA権を行使して西武に移籍した。
    ちなみに石井の人的補償としては福地が西武から加入し、08年・09年と2年連続で盗塁王となる活躍を見せた。
  • 08年は先発ローテとして11勝(その内10勝が西武ドームという謎の成績)をマークし、西武の日本一に貢献した。
  • 09年、前年まで背番号16だった涌井が18番をつけたため、ヤクルト時代と同じ背番号16に変更された。
  • 12年、プロ21年目にして初の無四球完封を達成した。

ボケキャラ


  • 数々の珍行動、迷言を残している。
  • 97年9月2日、この年首位を走っていたヤクルトを横浜が猛追。この2連戦が天王山と目されていた大事な試合でノーヒットノーランを達成したが、
    試合後のコメントが「2~3回からノーヒットノーランを意識していた。
  • 01年にフジテレビのCMでマスコットのつば九郎、つば美と競演。その際も役はボケだった。
  • 01年10月6日のセ・リーグ優勝を決めた横浜戦では試合終了前にすでにベンチ前で待機。
    試合終了の瞬間猛然とダッシュし女房役の古田より先に高津に抱きついた。ちなみに日本シリーズ優勝を決めた10月25日にも同じ事をやっている。
  • 01年セ・リーグ優勝時の若松元監督胴上げ時に石井弘と共謀して若松監督を1回転させた。
  • ドジャースの入団会見では「僕の妻はカリフォルニア人」と発言。記者を笑わせる。
  • 05年オフにメジャーから復帰したヤクルトの入団会見では「2年しっかりやったら、辞めたいと思う。
    残り2、3年やって、今後の人生にプラスになることを見つけられれば」と発言。引退後はTV局のADをやりたいとの事。(ただし下っ端は嫌と注釈付き)
  • 06年から楽天の監督に就任した野村監督も石井の獲得に参戦したが結局古巣ヤクルトに入団し、「年俸吊り上げに利用された」と毒舌を吐かれ、
    あげくの果てには「古田、石井、高津はホモみたいな関係」とこき下ろされた。
  • 06年の春季キャンプでは左わき腹負傷でリタイア1号。全治1~2週間と診断されていたが2日後にあっさり復帰した。

その他


  • 石井弘が石井一に憧れて同じ高校に入ろうとした所、間違えて似た校名の東京学館高に入学してしまったというエピソードがある。
  • 08年3月9日の改修された神宮こけら落としとなったオープン戦で先発。左腕で16番を背負うルーキー加藤との対決で勝利し、「僕の16番をつけるにはまだ早いですね」とコメントした。
  • 西武移籍1年目はヤクルト時代の背番号16をひっくり返した61を背負う事となった。これは16番はすでにエースの涌井が付けていた為である。
    09年からは涌井がエースナンバー18に変更される為、晴れて16番に復帰する事となった。
  • 01年の天王山横浜戦でのノーヒットノーラン、日本シリーズでの活躍等、大舞台に強い事に定評がある。
    しかしドジャース時代には普段の安定感の無さからかポストシーズンでは起用されなかった。
  • 00年に株主女子アナの木佐彩子と結婚する。
  • 叔父は元ヤクルトの石岡康三。

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
1992ヤクルト1200028.02219134.18
1993ヤクルト1931059.16640314.70
1994ヤクルト54750108.09883494.08
1995ヤクルト261341153.015985472.76
1996ヤクルト815031.02226185.23
1997ヤクルト181040117.212054251.91
1998ヤクルト281460196.1241113723.30
1999ヤクルト23860133.016277714.80
2000ヤクルト291090183.021079532.61
2001ヤクルト271260175.017387663.39
2002ドジャース2814100154.0143110734.27
2003ドジャース27970147.0140107633.86
2004ドジャース311380172.099102904.71
2005メッツ1939091.05352525.14
2006東京ヤクルト281170177.217064683.44
2007東京ヤクルト289100166.216362774.16
2008埼玉西武2511100135.110851654.32
2009埼玉西武22990130.013173624.29
2010埼玉西武18960104.29336433.70
2011埼玉西武23690117.09442564.31
2012埼玉西武241050132.17448493.33
日本通算41214310212148.0211010378653.62
海外通算10539340564.04353712784.44











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最終更新:2012年12月06日 00:08