プロフィール
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選手名 - ロベルト・アントニオ・ペタジーニ(Roberto Antonio Petagine)
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背番号 - ヤクルト時代 9(99年~02年) → 巨人時代 13(03年~04年) ソフトバンク時代 16(10年~)
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出身地 - ベネズエラ共和国ヌエバ・エスパルタ
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身長/体重 - 184㎝/84㎏
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投打 - 左投左打
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球歴 - アストロズ-パドレス-メッツ-レッズ-ヤクルト-巨人-レッドソックス-マリナーズ-LG-ソフトバンク
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顔文字 -G ̄o ̄D
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実況板でのあだ名 - ヘノ
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関連用語 -
ヤクルト入団前のペタジーニ
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94年、アストロズでメジャーデビュー。
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メッツ時代には3年連続で3Aのオールスターに選出され、97年には3Aインターナショナル・リーグでMVPを獲得した。
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99年にレッズからヤクルトへ移籍。
鬼神の如き活躍
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来日初年度から4番ファーストで出場し、打率.325、44本塁打、112打点でホームラン王を獲得。
シーズン44本塁打は04年の岩村と並んで現在も球団記録である。
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2年目も打率.316、36本塁打、96打点と安定して高いレベルの成績を残す。
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3年目の01年、打率.322、39本塁打、127打点でホームラン、打点の二冠王に輝き、チーム4年ぶりの日本一に貢献。
セ・リーグMVPも獲得した。実況板や2ちゃんねるでは神と崇められる。
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4年目の02年からチームとの対立が表面化する。
8月に死球を連発され、メジャーでは当然とされている報復行為をチームが行わなかった為に不満が蓄積。
10月17日の池山引退試合では途中帰宅してしまう。
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成績は残していたが、ヤクルトが出せるギリギリの4億5千万という高年俸がネックになって退団。
年俸7億2千万という馬鹿みたいな金額を提示した巨人に移籍した。
巨人移籍後
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ヤクルト時代に「ペタ」と呼ばれていた為、それと区別するために当時の原監督から「ジーニ」と無理矢理呼ばれていた。
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ファーストが専門なのに何故かライトで起用される(前年にメジャー移籍した松井の穴を埋めるためらしい)。
開幕戦でいきなりその素人ぶりを発揮。ライトへ飛んできた打球をキャッチした後全力で送球したが
ボールがとんでもない方向に飛んで行ってしまった為、2ちゃんねるでは「ペタキャノン」と呼ばれ失笑された。
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それでも100試合出場で打率.322、34本塁打、81打点と打撃面では評判通りの実力を発揮。ヤクルト戦でもよく打ってた。
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04年にはどう見ても実力が下の清原とファーストを併用され、賛否両論を巻き起こす。
持病の両膝の悪化で規定打席にも届かず、この年限りで退団した。
メジャー復帰
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巨人退団後の05年、レッドソックスの3Aと契約。8月にメジャー昇格して一時4番ファーストで起用された。
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06年にマリナーズへ移籍し、開幕戦で代打ホームランを放つ。
なお、この年のマリナーズはペタジーニの他にイチロー、城島と日本球界に縁のある選手が3人も在籍していた。
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7月9日にマリナーズを解雇された。
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その後08年から韓国のLGツインズでプレー。09年限りで退団し、10年シーズン途中にソフトバンクに入団した。
6年ぶりの日本球界復帰となる。
実力について
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年俸の問題や性格の問題でトラブルメーカーにもなったが、その打撃力は日本球界最高の助っ人と評価する人も少なくない。
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前述の通りシーズン本塁打の球団記録に加え、シーズン打点、シーズン四死球の球団記録も保持している。
確実な打撃、流してもスタンドインするパワー、恐ろしいまでの選球眼は神と崇められてもおかしくない物であった。
オルガ夫人
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夫人のオルガさんは25歳年上。年上の友人の家に遊びに行ってそこで出会った友人の母親がオルガである。よって義理の息子は年上。
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日本でもその愛妻ぶりは知られ、よくキスをしていた。巨人時代には春季キャンプ時のオルガの部屋も球団が用意していたらしい。
年度別成績
http://www.thebaseballcube.com/players/P/roberto-petagine.shtml
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最終更新:2010年09月23日 23:22