《息しつつあるモノ》
定義
《体内世界》において息しつつあるモノ。
記述
- 《混濁》は初期の段階で「生きよ、息をせよ」という呼びかけを聞いた。その呼びかけに応じて《息しつつあるモノ》が動き始めた。それによって《混濁》は、安らかなものとなった。
- 《混濁》は《知りつつあるモノ》と《知られつつある混濁》とに分離する。
- 《知られつつある混濁》は《体外世界》や《体内世界》等に分離する。
- 《体内世界》の中に《息しつつあるモノ》という一種特異なモノがあることに気づく。
- 《息しつつあるモノ》の特異性を列挙すると次のようになる。
- 《息しつつあるモノ》は動き続けている。《知りつつあるモノ》に知られても、知られなくても動いている。
- 《知りつつあるモノ》が意識すると、《息しつつあるモノ》を意識的に止めたり、意識的に動かしたりすることもできる。そうでない場合には自動的に動き続けている。
- 意識的に《息しつつあるモノ》を止め続けてみると、《知りつつあるモノ》は背後からの圧力を感じて錯乱状態になる。
- 《息しつつあるモノ》の《動き》は、《知りつつあるモノ》が存在しない場合、寝ている場合でも継続しているようである。《息しつつあるモノ》は《知りつつあるモノ》よりも長い間、かつ、持続的に存在する。。
- 《息しつつあるモノ》は《知りつつあるモノ》が感じえないなにものか、《他者》やモノへの共感とか《繋がり》とかを感じ取っているように見える。
!!区別
《求めつつあるモノ》と《息しつつあるモノ》
#《息しつつあるモノ》は《求めつつあるモノ》である。
#《求めつつあるモノ》は、地べたの虫けらの《身体》の中の《求めつつあるモノ》でしかない。が、それ以外には、《求めつつあるモノ》はない。
#《息しつつあるモノ》は《求めつつあるモノ》であるが、『息すること』を《求めつつあるモノ》であるにすぎない。
#「求めつつあるモノ」は「息しつつあるモノ」という言葉が指し示していたモノへの、新しい呼び名である。
#《求めつつあるモノ》は《身体》である。
#《身体》は身体的健康を求めているようである。
#モトモノ
- イシモ(《求めつつあるモノ》と《息しつつあるモノ》)という呪文で、《求める思いこみ》の噴出点をたどっていったら、頭の中心あたりにたどりついた。これを《求めつつあるモノ》ということにしておこう。NG。
#《求めつつあるモノ》と《息しつつあるモノ》とが通じ合うと、健康になるかも。NG。
#《求めつつあるモノ》はまず第一に《身体》の健康を求めているように感じられる。
#すべてのモノは
《求めつつあるモノ》である。
#《息しつつあるモノ》は《求めつつあるモノ》であるがゆえに、他のモノと共感する。
#《求めつつあるモノの群れ》が現れる。
#《知りつつあるモノ》も、おそらく、客観的には《求めつつあるモノ》である。しかし、《知りつつあるモノ》は自分が《求めつつあるモノ》であることに気づかない、または、それを知ることを拒否する。《知りつつあるモノ》は知ることの原点であることを《求めつつあるモノ》である。
#自己言及関数
。X(t+1)=F(X(t))。
#自己言及関数の群れ
。Xi(t+1)=F(X1(t),X2(t),..,Xn(t))。
《地べたの思考》と《息しつつあるモノ》
#夢の中で
《地べたの思考》が現れた。無知無能。歩き回らなければ何も見えない、何もできない。地図なき彷徨。目的なきさまよい。限知限能。
#《地べたの思考》の反対物は《地図の思考》だろう。《地図の思考》には実感がない。《地べたの思考》には、実感がある、のか?
#《知りつつあるモノ》の実感は《地べたの思考》の実感である。
#《地べたの思考》と《地図の思考》の相互変換。
#徒競走で
、スタートラインにいるときの世界と、ゴールにいるときの世界とのつながりがよくわからない。《私》が移動したのだろうか、《私》のまわりの《世界》が移動したのだろうか? 《地べたの思考》においては、《私》のまわりの《世界》が移動したのである。《地図の思考》においては、《私》が《世界》の中を移動したのである。
《他者からの混濁》と《息しつつあるモノ》
#最近
《他者からの混濁》を観察している。たぶん、これで、非常に疲れた。
#《他者からの混濁》を観察しているうちに、《限知限能》とか、《地べたの思考》とかが思い浮かんできた。《地図の思考》も必要なのだ、両方必要なのだ。「学者共は、どっちがよいか、と議論しているようだが、ほどほどがよいに決まってるでねえか」。
《息しつつある宇宙史》
#《今・ここ》に《息しつつあるモノ》があるということは、《宇宙史》の或る時、或る場所に《息しつつあるモノ》があるということである。《宇宙史》には《息しつつあるモノ》があり、《宇宙史》は《息しつつあるモノ》である。《宇宙史》は《息しつつある宇宙史》である。
#「息しつつある」というのは、物質的なIO循環、情報のIO循環と拡大して理解してもよいだろう。
#万物には物質的
#《私》が、《いま・ここの・この肉の塊》のなかの《息しつつあるモノ》だけに注目するのは、《私》のサイズにもっともフィットする《息しつつあるモノ》に注目したということであろう。
《息しつつあるモノ》の《背後者回路》
#そのようにできているから
、そのように動く。《いま・ここの・この肉の塊》は、そのようにできているから、そのように動く。《息しつつある肉の塊》である。
#《息しつつあるモノ》の動きの噴出点は?
《息しつつあるモノ》の『一切』
#《息しつつあるモノ》の『一切』は、《知りつつあるモノ》の『一切』より大きい。
#《息しつつあるモノ》の『一切』には《知りつつあるモノ》を含むので、《息しつつあるモノ》の『一切』の中には《知りつつあるモノ》の『一切』を含む。
#《知りつつあるモノ》の『一切』の《見通し》の中には《息しつつあるモノ》への《見通し》を含むので、《知りつつあるモノ》の『一切』の中には《息しつつあるモノ》の『一切』を含む。よって、同じ大きさになる。
#《息しつつあるモノ》のそれ自体における『一切』は、《知りつつあるモノ》のそれ自体における『一切』とは異なった領域へと拡がっている。
。
最終更新:2020年07月07日 15:08