《知りつつあるモノ》

《知りつつあるモノ》



記述。《知りつつあるモノ》(シリモ)とはどのようなモノか?



  • シリモ、狭義の《知りつつあるモノ》::《知りつつある混濁》の正体は正確には分からなかったが、《知られつつある混濁》を観察しているとき、《知りつつあるモノ》を眼の後ろ辺りで感じることが多いと感じた。それが二番目に現れた《知りつつあるモノ》である。狭義の《知りつつあるモノ》(シリモ)ということにしよう。
    • シリモ(=狭義の《知りつつあるモノ》)は体内時空の中に在る。体内時空は体外時空の中に在る。体外時空の全体は《此時此処からの宇宙史》である。
    • 《体外背後者時空》::体外時空には直知限界があり、その先(向こう側)を《体外背後者時空》と呼ぶことにする。直知限界の範囲内を体外直知時空と呼ぶことにする。体外直知時空と体外背後者時空の全体は《此時此処からの宇宙史》である。
    • 《体内背後者時空》::体内時空にも直知限界があり、その先(向こう側)を《体内背後者時空》と呼ぶ。直知限界の範囲内の体内時空は体内直知時空と呼ぶ。体内直知時空に、痛み、痒み、体勢感覚、思い描きなどが《体内背後者時空》から噴出する。噴出する場所(噴出点)は、直知限界の表面にある。
    • 《背後者身体》::シリモ(=狭義の《知りつつあるモノ》)自体の背後も直知限界の先にあり、直知できない。シリモの背後にあるのは(こちら側の)背後者時空である。この背後者時空は実際には《身体》であるらしいが、もちろん直知できないので、推知するのみである。まあ、《背後者身体》と呼ぶことにする。シリモ自体は《背後者身体》の表面にあるということになりそうだ。
      • 《背後者身体》がどのようなモノかというと、
        • シリモが何かを感じ、知ったとき、その知ったという情報が届き、蓄積される場所である。
        • また、シリモの関心や注目を背後から操るモノである。
        • また、息を止める実験をしたときに(もしくは強い痛みを感じた時や、他者が出現した時などに)、背後からシリモを錯乱させるモノである。
        • 《背後者身体》は唯識の「蔵識」(阿頼耶識)に、シリモを操る情報は「作意」に、似ているかもしれない。

  • 視覚シリモ::何年も狭義の《知りつつあるモノ》=シリモで決まりだと思っていたが、狭義の《知りつつあるモノ》は広義の《知りつつあるモノ》を代表するようなものではなく、ブッダの「六処」の「眼識」「色境」「眼処」に対応するようだと気が付いた。視覚に属する知りつつあるモノ(視覚シリモ)に過ぎないと気が付いた。
    • 視覚シリモは聴覚シリモとは異なる。視覚時空と聴覚時空とは異なる。聴覚イメージと視覚イメージとでは異なる。視覚時空の直知限界と聴覚時空の直知限界とでは異なる。目には見えない部屋の外の小鳥の声が聞こえる。目をつぶると、見えていたものの音が無いので聴覚時空から消えてしまう。音を出すモノだけで、聴覚時空は構成されている。
    • 意味覚シリモ、意味覚時空、意味覚イメージというとらえ方も面白い。視覚シリモが視覚時空のモノを感じるとき、同時に意味覚シリモはそのモノの何であるか、どのようなモノであるかという、そのモノの『意味』をそのモノの場所で感じる。同様に、聴覚シリモが聴覚時空に音楽を感じる時、意味覚シリモはその音が何であるかという『意味』を感じる。
    • 《視覚シリモ》が狭義の《知りつつあるモノ》の正確な名前ということになった。ブッダの「色境」にあたるのは《視覚時空》、視覚作用の背後にあるのは《視覚背後者》である。

  • 六覚シリモ::《知りつつあるモノ》(シリモ)には、ブッダの見解を参考にすると、感覚器官の違いによって六種類ある。
    • 視覚シリモ
      • 視覚シリモの場所は眼の場所には無い。眼の後ろの頭の中央に視覚シリモを感じる。夢や幻や図形問題をイメージする視覚シリモは眼ではない。そもそも、眼というのは直知できない。
    • 聴覚シリモ
      • 聴覚も、視覚と同様に遠隔地にある物を感じるし、三次元空間を構成する。
      • しかし、その直知限界は異なる。
        • 壁の向こうの音を感じるし、木々の風の音はどの木からの音なのかを視覚的に識別できない。
        • 目に見えているモノのほとんどは音を立てないので、聴覚時空には存在しないかの如くである。
    • 嗅覚シリモ、嗅覚シリモは鼻の中に在る。
      • 善悪の根源は嗅覚と味覚にある。先カンブリア紀に眼が出現する前は、餌の匂いに近づき(善)、敵の臭いから逃れる(悪)ことが最も重要な行動パターンであった。
      • 嗅覚で、海からの風の匂いとか、花畑の匂い、草むらの匂い、線香の匂いなど、遠くの場所にある物の匂いを感じる、か? それは錯覚と言うべきか?
    • 味覚シリモ、味覚シリモは舌に在る。味覚も、毒の味なら吐き出し(悪)、栄養の味なら飲み込む(善)という行動パターンの重要な要素。
    • 体感覚シリモ。眼を瞑って手の感覚を研ぎ澄ませ壁を伝い、足の感覚を研ぎ澄ませてぶつからないように、歩いてみよう。そのときの体の感覚と、部屋の時空の感覚。
    • 意味覚シリモ。意味覚シリモの場所は、他のシリモと重なった場所にある。
      • 視覚シリモが10メートル先の人を見る時、意味覚シリモはその場所に彼の意図を感じる。(彼が横断歩道を渡ろうとしているという意図を感じる)。
      • 味覚シリモがパンケーキの味を感じる時、意味覚シリモは子供のころに食べたホットケーキの味を、舌の上に思い出す。



  • 《此時此処からの一切を知りつつあるモノ》(イコシモ)::
    • 《身体》は身体が知り得た一切を知っているはず。イサシモ、《身体が知り得た一切を知りつつあるモノ》。過去に知ったことも知っているはず。具体的な実感は得られなかった。
    • 《身体》は此時此処で身体が知りつつある一切を知っているはず。イコシモ、《此時此処からの一切を知りつつあるモノ》。此時此処で知りつつある一切に限定。《腹》にあるような実感がある。《腹に落ちた》という感覚になると、腹で一切を知りつつある感覚になる。
    • シリモの背後者身体を観察して、視覚シリモや味覚シリモなどの認知情報の伝達されている先を、主観的に、辿ると、尾てい骨の付け根辺りに辿り着く。場所ははっきりしない。そのちょっと前の《息しつつあるモノ》(イシモ)の裏側あたり。仙骨説もある。
    • 認知情報の到達先は、認知情報が動作情報に変換されて返ってくる場所であろう。
    • イシモ(《息しつつあるモノ》)の認知的側面。知りつつあるイシモ。《知りつつあるスーハ―》、シリスハ。イシモ尾働き=スーハ―を長らく観察すると、スーハ―の認知的側面、《知りつつあるスーハ―》が見えてくる。
    • シリモは感覚的直知対象であるが、イコシモは概念的に構成された思い描き?。いろいろな視点から辿り着きつつあるが、まだ、実態は判然としない。


  • 対象世界(時空)がある。対象世界のなかの近距離の時空を知る、距離ゼロの時空に何があるかを感じる。《知りつつあるモノ》があるのを知る。

区別。《知りつつあるモノ》と似て非なる物

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最終更新:2021年01月06日 18:26