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モスクワ帝国の歴史

1912.7 中華民国から独立。国土はモンゴルのみ。モンゴル国成立。
1917.5 モンゴル国第一次世界大戦で連合国側に参戦。
1920.1 戦勝。青島を獲得。日本との関係悪化。
1937.7 日中戦争に中華民国側で参戦。
1941.12 第二次世界大戦。連合国側で参戦。
1945.9 戦勝。しかしあまりにも大きな負担から親ソ連政権が成立。ソビエト・モンゴル人民共和国成立。
1962.10 キューバでのアメリカソビエト間での戦闘発生がきっかけで第三次世界大戦勃発。東側諸国側で参戦。
1982.6 ウランバートル解放。人民共和国崩壊。大戦中はアメリカ軍の占領下に置かれる
2003.4 西側諸国が勝利。アメリカの傀儡政権であるモンゴル共和国が成立する。
2005.1 1月クーデター。軍事独裁政権が樹立される。
2009 [データ破損]により<統一暦>が制定される
U.C.1~U.C.182 [データ破損]
U.C.0183 大中華帝国建国。
U.C.0185 第一次大中華帝国内戦勃発。鎮圧するも一定の被害を受ける
U.C.0189 E計画実施。大中華帝国崩壊・解体。モスクワ帝国建国・成立。
U.C.0191 第一次モスクワ内戦勃発。エストニア、ラトビアを失う。バルト人民共和国建国・成立。モスクワ帝国では帝政(第一帝国体制第一帝政とも。)が崩壊。モスクワ第二帝国(第二帝国体制下のモスクワ帝国のこと。政権とも。)が成立。
U.C.0195 モスクワ革命。政権転覆。民主化。モスクワ第一共和国(第一共和制とも。)成立。クーデター発生。モスクワ第一共和国崩壊。再度モスクワ第二帝国(こちらはルドルフ・ヨーゼフ率いる政府。いわゆるルドルフ政権のこと。)成立。一党独裁制・ナチ化。
U.C.0198 ハリコフ危機。謝罪により戦争は回避。
U.C.0199 東方戦争。事実上の敗北。ブリャンスク、オリョール、クルスク、ベルゴロド、ヴォロネジを失う。第二帝国体制(ルドルフ政権の方。)崩壊。民主化。モスクワ第二共和国(第二共和制とも。)成立。
U.C.0200 第二次モスクワ内戦。旧政府軍・人民連合を破り勝利。エストニア・ラトビアが帰還。モスクワ総選挙で国家軍事党が勝利、軍事政権が発足。ビスマルク事変。強硬派が政権奪取。
U.C.0201 エクスノール民主主義共和国への爆撃を実施ネザー開拓連合(NCDCU)加盟。審議国就任。
U.C.0202 エクスノール移転戦争に介入。ハニカム公国との予期しない軍事衝突発生(~203年)(シューマッハ電報事件)

詳史


古代
古代にはすでに中世の頃に繁栄する遊牧民族たちがモンゴルとその周辺地域にはいたとされているものの、情報の不足などから細かいことは不明である。が、中国の王朝に対しての脅威であった事はほぼ確実とされている。



中世
中世には遊牧民族が急激に繁栄していき、遊牧民族の一つはモンゴル帝国を築き、圧倒的な繁栄を手にした。一時期は西は東欧、東はカムチャッカ付近まで、南はペルシアや中国北部と、世界の中心にある大帝国だった。しかし東アジアに位置する国家、日本の侵略に失敗し、さらには中国北部でも中国の王朝による反撃が始まると、内部対立や各地での反乱などで急激に衰退していき、1500年ごろには西モンゴルの一部を支配する小国になっており、歴史の表舞台からは消えた。が、この頃に東欧を支配したことが後のモスクワ帝国建国、建国後の(バルト地域を除く)安定にも繋がっているとされる。

↑モンゴル帝国の最大支配領域(1286年)


↑モンゴル帝国の領土の移り変わり(1176〜1506)。
順は1つ目から1176年、1205年、1243年、1286年、1382年、1458年、1506年。

近世
近世になるとモンゴル帝国の名は出てこなくなる。おそらくは1600年に入る前(14世紀末頃。有力な説では1596年。)に滅亡したとされている。滅亡後はモンゴルが中国の王朝であるの支配下に置かれ、近代になるまで歴史の表舞台に出ることはなくなった。

近代
モンゴル国
(1912~1945)

国旗

国章
公用語 モンゴル語
首都 ウランバートル
大統領 1912~1916 ペルジディーン・エルデネバト
日清戦争で清が敗北し、その後列強による清の半植民地化進んでいくと、モンゴル周辺地域では独立を目指す動きが活発になっていった。そんな中で1911年に勃発したのが辛亥革命であり、中国国内が混乱の最中にあるうちに急速に独立戦争をも考えた軍備を整え、1912年7月に辛亥革命の結果中華民国となっていた清からの独立とモンゴル国の建国を宣言した。中華民国は独立こそ認めなかったが、国内が未だ混乱している状態で独立戦争を仕掛けることは愚かだと考え、平和的に独立が行われた。同時期に独立していた大チベット国とは相互国家承認などの国交樹立に関する条約を締結した。また、建国後すぐにアメリカ・イギリス・フランスといった欧米の列強各国への接近を開始し、ドイツや日本などを除いたほとんどの列強各国と関係を構築することに成功した。特にモンゴル国の独立に干渉してモンゴルを手に入れようとしていたロシア帝国との関係の構築・不可侵条約締結は非常に難しいものではあったがなんとか成し遂げ、当分の間モンゴル国の絶対の安定を手に入れることに成功した。列強各国の投資家からはモンゴル国への投資が相次ぎ、モンゴル国経済は急速に発展していった。そんな中で1914年には第一次世界大戦が勃発したが、未だ他国とまともに戦える状態ではなかったモンゴル国はイギリスやフランスからの強い参戦希望を断り、大戦の勃発による軍需産業の急速な発展・経済成長の中で軍備増強に努めた。


統一歴

2008年末にスウェーデンを発端とする世界的な破滅的事象が発生し、世界各地の統治権力が崩壊を迎えたとき、モンゴル国も同様に中央政府を失って分裂・内戦状態に突入した。統一暦182年までの間に数多の勢力が勃興を繰り返したが、旧モンゴル国領を統一する勢力は一向に現れなかった。しかし、180年頃に旧モンゴル国首都ウランバートルを拠点とした中華系の軍閥が大きな力を持ち、西モンゴルを統一すると、そのあと183年までに遠征を繰り返して旧モンゴル国全土を統一し、この軍閥によって大中華帝国が再建された(モンゴル統一戦争)。


主な祝日
1/1 元旦
3/3 建国記念日
12/31 終日の日
最終更新:2025年10月26日 00:37