詳史
古代
古代にはすでに中世の頃に繁栄する遊牧民族たちがモンゴルとその周辺地域にはいたとされているものの、情報の不足などから細かいことは不明である。が、中国の王朝に対しての脅威であった事はほぼ確実とされている。
中世
中世には遊牧民族が急激に繁栄していき、遊牧民族の一つは
モンゴル帝国を築き、圧倒的な繁栄を手にした。一時期は西は東欧、東はカムチャッカ付近まで、南はペルシアや中国北部と、世界の中心にある大帝国だった。しかし東アジアに位置する国家、
日本の侵略に失敗し、さらには中国北部でも中国の王朝による反撃が始まると、内部対立や各地での反乱などで急激に衰退していき、1500年ごろには西モンゴルの一部を支配する小国になっており、歴史の表舞台からは消えた。が、この頃に東欧を支配したことが後のモスクワ帝国建国、建国後の(バルト地域を除く)安定にも繋がっているとされる。
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| ↑モンゴル帝国の領土の移り変わり(1176〜1506)。 |
| 順は1つ目から1176年、1205年、1243年、1286年、1382年、1458年、1506年。 |
近世
近世になるとモンゴル帝国の名は出てこなくなる。おそらくは1600年に入る前(14世紀末頃。有力な説では1596年。)に滅亡したとされている。滅亡後はモンゴルが中国の王朝である
清の支配下に置かれ、近代になるまで歴史の表舞台に出ることはなくなった。
近代
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モンゴル国 (1912~1945) |
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国旗 |
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国章 |
| 公用語 |
モンゴル語 |
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| 首都 |
ウランバートル |
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| 大統領 |
1912~1916 |
ペルジディーン・エルデネバト |
日清戦争で清が敗北し、その後列強による清の半植民地化進んでいくと、モンゴル周辺地域では独立を目指す動きが活発になっていった。そんな中で1911年に勃発したのが辛亥革命であり、中国国内が混乱の最中にあるうちに急速に独立戦争をも考えた軍備を整え、1912年7月に辛亥革命の結果中華民国となっていた清からの独立とモンゴル国の建国を宣言した。中華民国は独立こそ認めなかったが、国内が未だ混乱している状態で独立戦争を仕掛けることは愚かだと考え、平和的に独立が行われた。同時期に独立していた
大チベット国とは相互国家承認などの国交樹立に関する条約を締結した。また、建国後すぐにアメリカ・イギリス・フランスといった欧米の列強各国への接近を開始し、ドイツや日本などを除いたほとんどの列強各国と関係を構築することに成功した。特にモンゴル国の独立に干渉してモンゴルを手に入れようとしていたロシア帝国との関係の構築・不可侵条約締結は非常に難しいものではあったがなんとか成し遂げ、当分の間モンゴル国の絶対の安定を手に入れることに成功した。列強各国の投資家からはモンゴル国への投資が相次ぎ、モンゴル国経済は急速に発展していった。そんな中で1914年には第一次世界大戦が勃発したが、未だ他国とまともに戦える状態ではなかったモンゴル国はイギリスやフランスからの強い参戦希望を断り、大戦の勃発による軍需産業の急速な発展・経済成長の中で軍備増強に努めた。
統一歴
2008年末にスウェーデンを発端とする世界的な破滅的事象が発生し、世界各地の統治権力が崩壊を迎えたとき、モンゴル国も同様に中央政府を失って分裂・内戦状態に突入した。統一暦182年までの間に数多の勢力が勃興を繰り返したが、旧モンゴル国領を統一する勢力は一向に現れなかった。しかし、180年頃に旧モンゴル国首都ウランバートルを拠点とした中華系の軍閥が大きな力を持ち、西モンゴルを統一すると、そのあと183年までに遠征を繰り返して旧モンゴル国全土を統一し、この軍閥によって大中華帝国が再建された(
モンゴル統一戦争)。
主な祝日
1/1 元旦
3/3 建国記念日
12/31 終日の日
最終更新:2025年10月26日 00:37