第九話 心のかたち

顔を出したばかりの太陽が優しい光りを振る舞い、朝露に濡れた草原がきらきらと輝いていた。
空を見上げれば、青空に浮かぶ雲が、穏やかな風にのって悠然と地平線を目指している。
もう清々しいとしか形容のしようがない朝だった。
しかし、草原のど真ん中にいた一行は白髪の青年を除き、皆一様に暗澹とした顔をしていた。

「あの、今日中に見つからなかったら、いい加減学院に戻りませんか。もう一週間になりますし……」

シンジは怖ず怖ずとした様子で、露骨なまでに不機嫌そうな主人に提案した。

「却下。【虹の記憶】を見つけるまで、絶対に帰らないんだから」

先日のタリブ村訪問の際にルイズ一人だけをおいてけぼりにしたのは大失態だったようだ。だからと言って、シンジ自身、まさかここまでルイズの不興を買うとは思ってもみなかった。
タリブ村から持ち帰った【竜の羽衣】を、ライバルであるキュルケから見せ付けられたルイズの激昂ぶりは凄まじいの一言に尽きた。
そんな彼女の口から飛び出た言葉が暗澹とした旅路の幕開けだったのだ。

「私ならもっと凄い宝物を発掘できるんだからっ!」

そもそも、竜の羽衣はタルブ村の聖堂に鎮座されていただけの代物に過ぎないので、それをお持ち帰りしたからといって、お宝発掘とは言い難い。
しかし、キュルケの挑発に怒り狂ったルイズにそんな理屈は通用しなかった。
ピサの斜塔の如く傾いてしまったルイズの機嫌を元に戻す為ことのみに尽力する、悲しいかなシンジに残された選択はそれしかなかった。
こうして、全く宛もないまま、宝探しの旅に赴くことになったのだが、いかんせん、初号機の使用はオスマンに差し止められたままである。
自身一人でルイズの安全を確保する事に不安を感じたシンジは、ギーシュに同行を求めた。
実のところ、タルブ村での戦闘で、オークの猛攻に晒されたギーシュの傷は、未だに完治していなかった。しかし、自身の価値観に良い変化を齎してくれた少年の嘆願を無下に断るわけにもいかず、ギーシュは快く承諾した。
この面子に加えて、宝の眠る場所に心辺りがあると、自ら進んで旅の同行を求めた酔狂な転校生ジュリオ。
この四人による宝探しは出発から一週間経っても、微塵の展開も見せなかった。

「ギーシュさん、すいません。なんか、大変な事に巻き込んでしまったようでて」

「なに、気にするな」

ギーシュはシンジの肩をぽんと叩き、ぶつぶつと不満を漏らすルイズの姿を見遣った。

「しかし、こうなるとルイズを説得するより、宝を見つけだす方が簡単そうだな」

「全くです」

「なあ、ジュリオ。しつこいようだけど、本当にここらで間違いなんだよな?」

ジュリオは静かな微笑みを浮かべたまま澄んだ声で答える。

「一応、そう聞いているよ」

「ゴルゴダの丘の麓に広がりし新緑の絨毯。そこに溜まるは赤き雫。三つの月が重なりし時、朱き雫を跨ぐ七色の橋が架からん。虹の記憶は天使の壮麗たる歌声と祝福共に舞い散るだろう……、か」

ギーシュは、ジュリオから聞いた言葉を反芻し、それから小さくため息を漏らした。

「新緑の絨毯ってのは、この草原のことなんでしょうど、朱き雫の池ってなんなんですかね」

「それっぽいものが全くないしなあ」

「だけど、答えを見つけないと、地獄の行進は終わりませんよ」

「宛もなくひたすら歩くことがこんなにきついこととは知らなかったよ……。ルイズはたいした奴だ。少しずれてるけど」

ギーシュはげんなりしながら、小さく呟いた。

「なんか言った?」

「いや、なにも」

ルイズに睨まれたギーシュが惚けた口調で答えたその時、一行の背後から獣の遠吠えが響いた。ルイズは足を止め怪訝そうに背後を覗う。

「狼?」

「いや、おそらくワーウルフだろう。ロマリアは緑豊かな国だからね、トリステインに訪れる前はよく耳にした鳴き声だ。ああして仲間と連絡を取り合っているんだよ」

ジュリオの言葉を聞いて、ルイズが眉をひそめる。

「仲間と連絡…?」

今度は、前方から遠吠えが響き、それに呼応するかのように、一行の前後左右に至る全方向から次々と遠吠えがこだました。

「囲まれているみたいですね」

「ワーウルフは山林に生息する亜人種でしょ。なんで、こんな拓けた草原にいるのよ」

「昨年の異常気象は酷かったからね。猛暑に暖冬、はてさて、大雨が訪れたかと思えば、大干ばつ。森の実りも手痛い被害を被った。その為、餌となる山森の生き物が激減したらしいよ。ついに彼らは食料を求めて野に下った。
ロマリアでは、相次ぐワーウルフ被害に王室も頭を悩ませている」

ルイズの顔から血の気が引いた。

「つまり、あいつらって……」

「そう。餓えているんだよ。僕達は彼等のランチにご指名されたようだね」

ワーウルフは社会性を兼ね備える亜人種の中でも凶暴で残忍な存在ということで有名だ。慎ましく誇り高いエルフ族とは違いワーウルフは、政治的、宗教的な利害関係などなくとも人間と衝突を繰り返す。と、言うよりも、人間狩りに興じる。
他の亜人種と同様に人間よりもはるかに屈強な肉体を誇り、俊敏性のみに注目すれば彼らと肩を並べられる存在などあり得ない。
魔法を使えなくとも、それを補ってあり余るほどの能力を持っていた。
つまり、ルイズが恐怖に駆られるのも無理のない話しなのだ。

「あそこにそれっぽいのがいますね」

狼の様な姿をした、それでいて二足直立する奇妙な生き物を視界に捉えたシンジが、その影を指差す。体長はおよそ二メイル程だろうか。

「あっちにもいるわよ」

「どうやら、戦うしかないようだな」

ギーシュは懐から杖を取り出し、足元に控えていた使い魔の大モグラに指示を下した。主人の命を受けたヴェルダンデは、すぐさま穴を掘り始め、そのまま地中に姿を消す。
ジュリオとシンジは剣を抜き、ルイズを挟むように陣取った。
より甲高い遠吠えの残響が草原に掻き消えると、ワーウルフ達は一行を目指して一斉に駆け出した。
背後に草々を撒き散らしながら、烈風の如く迫り来るワーウルフを見つめ、ギーシュが口を開く。

「二、三十匹ってとこか」

「多いですね……。ワーウルフって強いんですか?」

シンジが緊張した面持ちで尋ねると、ジュリオが答えた。

「あの規模の群れを討伐するには、最低でも十人のメイジと五十人の護衛で編成された部隊であたるのが一般的だね」

「つまり、すごく強いってことですね」

「無駄話は後だっ、来るぞ!!」

ギーシュが叫ぶと、最前を駆けていた一匹のワーウルフがシンジを目掛けて宙に飛んだ。
凶悪な牙を剥き出し、涎を振り散らすワーウルフの鋭い爪を左手のデルフリンガーで受け止めたシンジは、目の前に接近する醜悪な顔面に向かって右手のマゴロク・エクスタミネート・ソードを滑らせる。
頭部から胸部にかけて両断されたワーウルフは悲鳴をあげることすらかなわずに絶命し、予想外の光景を目にした他のワーウルフ達が一瞬動きを止めた。
その隙を突く形で、ギーシュがすばやく杖を振った。草原の朗らかな風に乗ってバラの花びらがワーウルフ達の頭上に舞う。それを認めたギーシュは、錬金魔法を唱え、全ての花びらを青銅の槍へと練成した。
無数の槍は重力に導かれ、直下のワーウルフ達に襲い掛かる。
避ける間もない。
ワーウルフ達はスコールの様に降り注ぐ青銅の槍によって、次々と串刺しにされていった。
実際はそうでもないのだが、一番の脅威をギーシュと認識した生き残りのワーウルフ達は、お互いに目配せをし、ひとまず、標的を彼に絞ることに決めた。
しかし、その判断は彼らの寿命をより一層短くしただけに過ぎなかった。
一斉にギーシュ目掛けて突進したワーウルフ達は、ヴェルダンデによって掘り抜かれた巨大な落とし穴にはまり込んでしまったのだ。大モグラのヴェルダンデからすれば、地表の薄皮一枚のみを残して、その下部を抉り抜くことなど実に容易かった。

「この世に生を受けた全ての者は大地より生まれ、大地に還る。安らかに眠り、次の生命が紡がれる時を待つといい」

落とし穴に嵌ったワーウルフ達に凍土のような視線を投げかけたギーシュは、再び杖を振った。
穴の真上に舞った花びらが大量の土くれに変わり、激流の様に流れ込む。抗う術を持たないワーウルフ達はそのまま生き埋めにされ、文字通り息絶えた。
残るワーウルフはいよいよ一匹である。
しかし、始末したワーウルフに比べると、異様に巨大な体躯を誇っていた。恐らく群れの長なのだろう。
ワーウルフは地を這うような怨嗟の唸りをもらした。

「ワーウルフの群れの絆は強い。仲間を殺されて怒り狂ってるんだ」

ジュリオは誰に言うでもなく小さき呟き、剣を構えたままワーウルフを見据えた。
ギーシュは杖を振り、七体のワルキューレを練成した。
得物を振りかぶったワルキューレ達が、ワーウルフに向け突進を始める。
ワーウルフは空気を揺らすほどの咆哮を上げると、目前に迫った二体のワルキューレの頭部を掴む。生まれながらにして兼ね備えた膂力をいかんなく発揮したワーウルフは、ワルキューレの身体を宙に持ち上げ、頭部を握りつぶした。

「嘘だろ……、ぼくのワルキューレは青銅製だぞ」

思わず驚愕の声を上げたギーシュを尻目に、剣をわき腹に構えたジュリオが、ワーウルフの懐に入り込もうと試みる。しかし、風を受けた秋の落葉の如く次々と降りかかる巨大な爪に阻まれ、思うようにいかない。
その間にワーウルフの背後に回ったシンジは、敵の死角から音もなく二刀の斬撃を放った。
しかし、風の流れが微妙に変化したことを察知したワーウルフは、シンジの攻撃を難なくかわす。
裏をかいたつもりのシンジにとって、渾身の攻撃をかわされるとは思ってもみないことだった。そのため、空を切った剣の勢いを殺せず、その場でたたらをふんだ。
無防備な姿を晒した少年の胸部をワーウルフの巨大な拳が貫く。

「つっ!」

肺から空気を無理やり押し出された少年の口からは短い悲鳴しか出ない。
ワーウルフに比べると小柄すぎたシンジの身体が、後方へ十メイルほど吹き飛ばされた。
苦痛に悶えるシンジの視界に、追撃を狙うワーウルフの爪が光った。
シンジが、すぐ後に訪れるであろう死を覚悟した瞬間……。

彼の目前で、陽光に輝く桃色髪が舞い散った。

「これだから、バカシンジは。私がいないと何にもできないのね。ほんっとにバカなんだから……」

言葉の内用とは裏腹にルイズの口調には穏やかな含みが滲んでいた。

「……ルイズさん?」

草原に倒れ込むシンジの体を庇う様に覆い被さっていたルイズの両腕から力が抜け、鳶色の瞳がゆるやかに閉じられた。
事態を飲み込めないシンジは仰向けのまま呆けた様子でルイズの背中に両腕を回す。指先がぬらりとした不快な液体で濡れた。
それが鮮血であることに気付いた少年の瞳孔が一気に萎縮し、瞼が開かれた。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」

少年の慟哭が広大な草原に散る。
皮肉なことにシンジの悲鳴は狂気に満ちた人獣をさらに興奮させる結果となってしまい、鋭利な爪による一撃が再びルイズの背を襲った。衝撃によってルイズの体は小さく跳ね、鮮血が舞った。
その場に駆け付けたジュリオは、ワーウルフの脇腹に向かって前蹴りを浴びせると、よろめくワーウルフとルイズ達の間に転がり込むようにして割って入り、なおも執拗にルイズの血を欲するワーウルフの前に立ちふさがった。
しかし、背後の二人を守る為にはワーウルフの攻撃を左右に避けるわけにもいかない。
地に足をつけてワーウルフの猛攻を凌ぎ続けるジュリオの体に、次々と生傷が刻まれていった。

「まずいな、このままだと押し切られる」

ジュリオはワーウルフの背後にいたギーシュの様子を窺った。

「かといって、タブリスの力を解放するわけにもいかない、か……」

1対1では分の悪いジュリオの負担を少しでも軽減する為に、ギーシュは残る全てのワルキューレをワーウルフへの攻撃に投じた。
しかし、これはかなりリスクの大きい賭けだった。
一行の中でギーシュの近接戦闘能力はルイズに次いで脆弱なのだ。
ワーウルフの標的がギーシュに変わろものなら、護衛を持たない彼が一瞬のうちにほふられるのは間違いない。
しかし、ギーシュは最悪の想定に構うことなく、ワーウルフの横をすり抜け、ルイズの元へと駆け寄った。
ルイズの呼吸は不自然なまでに短く、切り裂かれたマントと衣服の下からは、深い十字の切り傷が姿を覗かせていた。
しかし、今は応急手当てをしている暇すらない。ギーシュは力を失したシンジの腕を掴んだ。

「何をしている?早く立て!」

「ルイズさんが……、ルイズさんが……、ルイズさんが……」

主人の名を呟き続けるシンジの目の焦点は全く定まっておらず、恐慌を来しているのは明らかだった。

「ルイズはまだ生きてる!今はあいつを始末するのが先だ!」

「ルイズさんが……」

「ばかやろう!ほんとにルイズを殺す気か!?」

「ルイズさんが……」

ギーシュは深く息を吸い込み、シンジの胸ぐらを掴みげると、少年の頬を渾身の力で殴打した。

「すまんな、平民。ぼくはお前を殴らなくてはならない。殴らなくては……、気が済まないんだっ」

ギーシュは、あの時、自身がシンジに向かって吐き捨てたセリフを正確にトレースした。
彼からすれば、卑小で無知だった過去の自分を想起させる忌避すべき思い出である。

「……ギーシュさん」

シンジの瞳に少しずつ光が甦る。ギーシュの荒療治は一応の成果を見せたのだ。

「シンジ、まだ戦えるな?」

唇の端から滲み出る血を右手で拭いながら、シンジは小さく頷いた。

「よし。悔しいけど、ぼくの魔法では奴に敵わない。だけど、君は別だ。伝説のガンダールヴである君ならあいつを倒せるはずだ。さあ、いけ」

「はい」

シンジは立ち上がり、倒れこむルイズを一瞥した。少女の安否が心配で仕方ないが、メイジでもない彼に出来ることといえば、祈りを捧げるくらいのことだ。
自分の無力さを自覚した少年は、自身を戒めるかのごとく俯きがちに小さく体を震わし、両手に収まる剣を強く握りしめた。

「ギーシュさん、ルイズさんを頼みます」

「わかっている」

ジュリオと旋風のようなせめぎ合いを続けるワーウルフに向かってシンジは突進した。
ギーシュはルイズのマントを外すと、彼女の服を破り、傷を確認した。あまりの深さにギーシュの顔が歪む。

「まずいな……」

土の大家、グラモンの血筋を色濃く引いたギーシュの才能は土系統の魔法に特化しているため、水系統魔法の素養は皆無だった。治癒魔法の全てが水系統に属するので、ギーシュは回復魔法を一切備えていない。
ギーシュは腰元に備えた小さなバックから小瓶を取り出した。中身は、彼の恋人であるモンモランシーから預かった回復薬だ。
モンモランシー本人がいれば話は早いのだが、いないものを嘆いていても何も始まらない。

「頼む、効いてくれよ……」

ルイズの背から流れ出した鮮血を拭い、ギーシュは回復薬を傷口に注いだ。ルイズの体に流れた回復薬は白い閃光を発すると、彼女の傷をみるみるうちに塞いでいった。

「さすが、モンモランシー……!」

ギーシュが感激の言葉を漏らした時、此度の戦闘も結末が見え始めていた。
二人の『伝説』を相手にするワーウルフの体に、少しずつではあるが疲労という名の死神がのしかかり始めたのだ。
目の前に迫るワーウルフの爪を、地面に伏せるように交わしたシンジは、隙だらけのわき腹目掛けて、マゴロク・エクスタミネート・ソードを振るった。ワーウルフの横腹が裂け、飛び散った鮮血がシンジの顔に一線を描いた。
襲い掛かる鋭痛に、一瞬だけ動きを止めたワーウルフの右腿をジュリオの剣が貫く。
短い咆哮を上げ、ワーウルフの両膝が崩れ落ちた。
シンジはワーウルフの肩を踏み台にして跳躍した。宙で前回転をし、勢いを付けてから、首筋目掛けて全体重をかけた剣を振るう。
体から解き放たれたワーウルフの頭部は地面に転げ落ち、それでも動きを止めない心臓は首から大量の鮮血を噴出させた。
シャワーのような血を浴びながら、シンジは二つの剣を腰に収め、静かに空を仰いだ。

「どこの世界にいっても、この匂いからは逃げられないんだな……」




その晩、ルイズの容態が悪化した。
モンモランシーの回復薬とジュリオの治癒魔法によって傷口は完全に塞がったものの、失った血の量が多すぎた。
そのうえ、ワーウルフは風土病を持っていたようで、体力を極端に下げたルイズの体を蝕んでいった。

「ルイズさん……」

シンジは額にあてていた濡れタオルを交換し、心配そうに主人の名を呼んだ。
ルイズの体は常識はずれの熱を持ち、汗を大量に流していた。意識も混濁しているようで、視線が定まっていない。

「やはり、ぼく一人でも町に向かって、助けを呼んでくるべきか?」

焚き火に薪をくべながら、ギーシュが小さく呟くと、ジュリオは首を横に振った。

「一人でこの草原を抜けるのは危険すぎる。もともとモンスターの多い地域だけど、ワーウルフさえ現れる始末だ。のたれ死ぬのが落ちさ」

「しかし、このままだとルイズが……」

ジュリオはルイズの首筋に右手を伸ばした。
シンジは不安げにギーシュの顔を覗う。

「熱、上がってますよね……。ルイズさん、本当に大丈夫なんでしょうか……?」

ジュリオは静かに息を吐き、口を開いた。

「妙な話なんだけど、しばらくの間、ぼくとルイズを二人にしてくれないかい?」

不可解なことを口にしたジュリオを前にして、ギーシュとシンジが顔を見合わせた。

「なんでですか……?」

「秘法を試してみたいんだ。ひょっとしたら、ルイズを治せるかもしれない」

ギーシュが首を傾げる。

「秘法?」

「そう。ロマリオの一部の貴族しか行使できない特殊な魔法があるんだ」

「ぼくらが席を外す意味は?」

ジュリオは困ったように笑った。

「門外不出の秘法だからね。悪いけど、君らにも詠唱や魔法発現の様子を見られるわけにはいかないんだ」

ジュリオの言うとおり、そういう特殊な魔法を門内のみに継承していくのは良くあることだった。
誰も知らない魔法を持つということは、それだけで戦闘や戦争の際、有利に働く。

「そうか、そういうことなら」

そういってギーシュは腰を上げるとシンジに向かってあごをしゃくった。

「行こう、シンジ」

「はい」

「で、どれくらいの間、席を外してればいいんだい?」

「一時間もあれば」

「分かった。さあ、シンジ。散歩でもするか。後はジュリオに任せよう」

「はい。ジュリオさん、ルイズさんのことよろしくお願いします」

シンジとギーシュの姿が闇の向こうに消え去ったのを確認した後、ジュリオはルイズが着ていた白いワイシャツのボタンを外していった。
緩やかな稜線を描くルイズの胸に右手を伸ばし、優しくもみしだくと、ジュリオの手はルイズの体の中に溶け込み始めた。

「んっ……」

奇妙な感覚にルイズが小さなうめき声をあげた。
ジュリオは左手でルイズの頬を摩りながら、優しく落ち着いた声で言葉を紡いだ。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。世界の理(ことわり)を捻じ曲げた不完全でありながら完全なイレギュラー。きみにこんなところで死なれても困るんだ。アスモダイの赤き月が潜むこの地に安寧を求めているのかい? だけど、それは許されないよ。きみにはもっと相応しい死に場所、もっと相応しい棺桶が用意されているのだから。さあ、きみの中に眠るアスモダイの歌を聞くといい。生命の実の欠片を抱くきみなら、病などすぐに追い払えるよ」

ルイズの呼吸は次第に落ち着き始め、熱も常識外れのスピードで下がっていった。

「そう、いい子だ。しばらくは平穏を楽しむといい。きみに残された時間はそう多くもないのだからね」




翌朝。
深い眠りから覚めたルイズの視界に抜けるような青い空が広がっていた。
新緑の香りが鼻をくすぐる。

「ここは……?」

「ゴルゴダの丘の麓ですよ。ルイズさん、体調はどうですか?」

聞きなれた声が響く。顔を向けると方膝をついた少年がいた。

「シンジ……」

そうか。私はあの時、気を失って……。

「おっきいワーウルフはシンジがやっつけたの?」

「はい」

ルイズは仰向けのまま、シンジの頬を撫でた。

「そう、よくやったわ」

シンジは眉をひそめた。

「でも、ぼくは使い魔なのに、ルイズさんを守れなくて……」

「みんながこうして無事なんだから、それでいいのよ」

シンジの体が震え、瞳から涙がこぼれ始めた。

「どうしたの?」

「いえ、なんか安心しちゃって。ルイズさんのことが本当に心配だったから。本当によかったです。でも、おかしいですね。嬉しいはずなのに涙が出てくるなんて」

シンジは涙を拭った。
そんなシンジの様子を眺めていたルイズは、呆れたように微笑んだ。

「ほんとにばかね。こういう時は笑えばいいのよ」

さすがのルイズも懲りたのか、その日の内にトリステイン学園に戻ることを決めた。
なんの成果も残さなかったルイズのことを、キュルケは散々ばかにしていたが、ルイズは特に気にしていない様子だった。
主人の殊勝な態度を疑問に思ったシンジはルイズに尋ねた。

「……悔しくないんですか?」

「何が?」

「いえ、その、キュルケさんに相当言われてるみたいだから」

ルイズはシンジの頬に両手を添えた。

「あいつはね、気付いていないだけなのよ。私には最高の宝物があるってことにね。もっとも、私もこの前まですっかり忘れていたけど」

ルイズの言葉を解さなかったシンジは、はあ、とだけ短い返事をした。



学園にたどり着いた後、旅の疲れを感じさせない様子で寝室に戻ると机の上に見覚えのない一枚の紙が置かれていたことに、ジュリオは気付いた。

『今夜12時、アルヴィースの食堂できみを待つ』

心当たりのあったジュリオは手紙の指示に従い、12時前にアルヴィースの食堂に向かった。
食堂からは軽快な音楽が流れている。ジュリオが食堂を覗くと壁際に置かれた小人達が愉快な踊りを披露していた。
椅子に腰かけ、テーブルの天板に方肘をつきながら、それを楽しそうに眺めていたのは、ルイズの元婚約者であるジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだった。
目の前に置かれた二つのティーカップが湯気を立たせている。彼が用意したものだ。

「お久しぶりです。ワルド子爵」

声をかけられたワルドはジュリオに手招きをした。

「どうだ、なかなか器用に踊るだろう。さすがはトリステイン学園といったところだな」

「いつからこちらに?」

「いや、俺もたったさっき来たばかりさ」

ジュリオは拳を口元に寄せると小さく笑った。

「いえ、いつからトリステイン学園に潜んでいたのですか、という意味ですよ。あの置手紙なんですが、少しばかり日焼けしているように見えました。まさか、ぼくが現れるまで毎晩こちらでお待ちしていたわけでもないでしょうが」

「いや、毎晩待っていた」

ジュリオは不思議そうな顔をした。

「ぼくが旅に出ていたことを知らなかったんですか?」

「そうだったのか、どおりで」

「教会の諜報員とは思えないほどの情報不足ですね」

「そう言うなよ。周りはメイジばかり。しかも、オールド・オスマンに伝説の軍人である炎蛇のコルベール、おまけに土くれのフーケまでいるんだ。うかつな行動をするわけにもいかない。だから、昼間は食堂の屋根裏に隠れていたのさ。ここなら、食料の調達にも困らない。水もあるからな、体を拭くこともできる」

「あなたも結構しぶといんですね」

「仕方ないさ。ここでは俺も嫌われ者だし、耐えるしか選択がない」

「で、そうまでして、ぼくとの接触を望んだ理由は? 教会の指示というわけでもなさそうですし」

「決まっているだろ、きみに聞きたいことがあるのさ、ジュリオ君。いや、最後の使者タブリス」

ジュリオは肩をすくめてから、椅子を引き出して腰を下ろした。

「なるほど、あなたも知っていたのですか。で、聞きたいこととは?」

「そうだな。教えてもらえるのなら、まず、お前の目的からだな」

「別に構いませんよ。自由です」

「自由?」

「そう、自由がほしい。突き詰めていえば、残る理由はそれだけですよ」

「曖昧で抽象的なことばかりをのたまうのは教会のお家芸というわけか? まあ、いい。では、その自由を手に入れるために、きみはどのような手段を講じるつもりだ?」

「彼次第ですよ」

「彼? 教皇か?」

ジュリオは首を横に振った。

「碇シンジくんのことですよ」

瞳に怪しげな光を燈したワルドは紅茶をすすり、ジュリオにも飲むように促した。

「高い葉を使っているみたいだよ、なかなか美味しいぞ。しかし、きみもガンダールヴにご熱心なんだな。オールド・オスマンといい、教会といい、彼に何があるというのだ」

「彼の名前、実に変わっていると思いませんか?」

「そうだな、初めて聞く名だよ」

「では、カヲルという名前はどうでしょうか?」

「聞いたこともないな。ロマリアでは普通にある名前なのか?」

「いいえ」

「で、その名とあの少年になんの関係があるんだ?」

「カオルという名は、以前、ぼくが名乗っていたものですよ。その名前も彼の名前も、過去ではありふれているものでした。そうですね、ざっと二万五千年程前の聖地では……」

言葉の意味を図りかねたワルドは首をかしげた。もっとも時を越えた召喚などということは、異例中の異例のことなので、ワルドの理解が及ばないのは無理ならないことだった。

「……意味がよくわからないのだが」

「無理もありませんね。サモン・サーヴァントで過去の人物が召喚されるなんてことは、滅多にないようですし。正直に言いましょう。碇シンジくん、つまり、ガンダールヴはこの時代の人間ではありません。彼はルイズの導きを受け、二万五千年の時を越えてこの地にやってきたのです」

指先で前髪をつまみ、ワルドは窓の外を眺めた。
東の空には煌々と輝く星々と、妖艶な光りを放ちながら、静々と浮き上る二つの月がある。

「サモン・サーヴァントでそんなことが起こりえるのか?」

「みたいですね。実際、彼がこうして現代にいるわけですから。ここからが話の核心です。二万五千年前、三度目の滅びの時は彼の不在によって巻き起こされたものなのです。 あの少年は心の壁を持つアダム族に対抗可能なリリス族の優秀な戦士でした。事実、彼は次々と襲来するアダム族をほぼ一人で退けていきました。あのままいけば、ぼくの命もなかったでしょう。しかし、そこでリリス族にとって看過できないイレギュラーが起きてしまった。それこそが……」

「サモン・サーヴァントというわけか」

ジュリオは頷き、ティーカップを手に取った。

「彼を失ったリリス族は、それでもアダム族にたいして善戦していました。しかし、三度目の滅びの時は起きてしまった」

紅茶をすすると、ジュリオはワルドの瞳を真正面から見つめた。

「……ぼくの手によってね」

想像以上にスケールの大きい話を聞かされ、ワルドは困惑していた。彼の当初の目的は、ジュリオを通じて、教会の動向を探ることだった。最近、教会の態度はワルドに好意的とは言いがたく、自身の安全を図るために教会の実情を知ろうとしたのだ。
前触れもなく背中を刺されるなどということは、彼の望む結末ではなかった。

「きみのいうことは真実なのか?」

「微塵の虚もありません」

「なぜ、滅びの時を……?」

ジュリオは薄く笑い、ティースプーンでカップを叩いた。チンと高い音が響く。

「ぼくがアダム族だからです」

「やはり、リリス族が憎いのか?」

「いいえ。リリスより生まれし、リリン。ぼくからすればあなた達はむしろ愛すべき存在ですよ」

「では何故一度はリリンを滅ぼした?」

「楔があるからです」

「楔?」

「そう、楔です。ぼくの心に打たれた楔ですよ。それがこう言うんです。リリンを滅ぼせ、と」

「天啓というわけか。やはり、アダム族とリリス族の共存は不可能なんだな」

「ですから、戦いも不可避ということです」

「それにしても妙だな。なぜきみは教会にいる? 教会の目的はこの地に人々の楽園を創生することだろう。それが【楽園創生計画】だ。ならば、アダム族のきみは教会にとっても邪魔な存在のはずだ」

「なぜ、【人々】という言葉をリリンだと決め付けるのですか?」

ワルドは眉をひそめた。

「まさか、アダム族とでもいいたいのか?」

「その通りですよ。教会の真の目的はアダム族の殲滅ではありません。リリス族とアスモダイの滅亡ですよ。後に残るのはアダム族の祝福を受けた地、ハルケギニア。つまり、楽園です。それこそが楽園創生計画の実態ですよ」

ジュリオの口から語られた真実を聴いて、ワルドは呆然とした。

「教会の連中は何をとち狂っているんだ。なぜ自滅を望む?」

「よほどアスモダイの血が憎いんでしょうね」

「アスモダイへの憎悪とリリンの滅亡に何の関係があるというんだ」

「まず、初めにヒトがいました。第一始祖民族とも呼ばれる人型種族は、銀河系の各地に生命の種をばら撒き始めました。 その理由が何だったのか、何を目的としてたのか、今となってはわかりません。彼らは我々からすれば、まさしく神に等しい存在です。 創造物が創造主の思考を理解しようなどと言うことは愚かな行為です。まあ、はっきりしてる事は複数の種がばら撒かれたことです。 運の悪いことにそのうちの二つがたまたま同じ星に落ちました。 白い月のアダム、そして黒い月のリリスです。 アダム族とリリス族による種族繁栄を賭けた戦いが始まりました。長い時が経ち、知恵の実を持つリリス族はロンギヌスの槍を作り上げ、アダムの封印に成功します。彼らが第二始祖民族と呼ばれる存在です。彼らは一つの書物を後世のリリンへと残しました。 そして、時は流れ、二万五千年前。その書物を手に入れたリリンの末裔は、原罪からの開放を望み、そして、その手段も手に入れました。 ぼくも彼らに利用されるだけの存在だったんですよ。そして、知恵の実を食してしまったリリンの贖罪が行われました」

「きみが起こした三度目の滅びの時の事だな。しかし、リリンはなぜその時に死滅しなかったんだ?」

「三度目の滅びの時がこの星に舞い降りた後、全てのリリンは生命の源たる赤き海へと姿を変えました。 元の姿に回帰することが彼らにとっての贖罪だったようです。そこに広がったのはお互いに傷つけ合うことのない永遠に続く安寧の世界。 しかし、リリンの中にはその世界を拒絶する者もいました。お互いに傷つけあうこともなければ、お互いに愛し合うこともないからです。 あるのは自己愛と自慰の感情だけ。傷ついてもいい。それでも、人から愛されたい。そう強く願った者達は赤き海から、再び一個の人としてこの世界に還元されてゆきました。こうしてリリンは滅亡から免れたのです。 その後、少しずつではあるが、リリンはその数を増やしてゆき、数千年後、新たな文化を得るまでに至りました。 時を同じくして、この星にイレギュラーが舞い落ちます。それこそが第三の生命の源たるアスモダイ、そのキャリアである赤き月がハルケギニアに衝突したのです。 これが四度目の滅びの時。もっともリリンはこの時も辛うじて滅亡を逃れましたが。それからは、ぼくらアダムより生まれし天使とアスモダイより生まれし悪魔との対立が始まりました。 ああ、天使や悪魔という呼び方はあくまでもあなた方リリンの言葉を借りた便宜的なものです。ぼく自身がそう思っているわけではありません。 アダムから生まれし者も、リリスより生まれし者も、アスモダイより生まれし者も、姿形は違えど同じヒトなのですから」

ジュリオは小さく咳払いをしてから言葉を継いだ。

「二つの種族の対立を尻目に、リリスより生まれしヒトは、失ってしまった文明、つまり知恵の実の奪還に躍起になっていました。 天使と悪魔の対立はいよいよ激化していきましたが、ぼく達アダム族の圧倒的優勢は揺るぎませんでした。 アスモダイ族は、リリンと同様に心の壁を発現できなかったからです。存亡の危機に晒されたアスモダイ族は偶然発見したリリスの肉体を自身に取り込みました。 彼らからすれば苦渋の選択だったでしょう。こうして生命の実を得たアスモダイは心の壁を凌ぐ強力な力を得ました。それが虚無です。 しかし、皮肉な結果も待っていました。リリスの肉体を取り込んだ彼らの姿はリリンに酷似していたのです。そうアスモダイの系譜エルフ族はこうして誕生したのです。 リリス族のリリンとアスモダイ族のエルフは、アダム族を共通の敵と認識し結託しました。この頃から、リリンとエルフの間で積極的に交配が行われるようになります。 ここまで言えば分かりますよね? 魔法を扱うリリン、つまりメイジの誕生ですよ。魔法とは文字通り悪魔の法、あなた方リリンが憎むべきアスモダイの力というわけです」

いつの間にかジュリオの怪しい瞳の輝きに引き込まれていたワルドは言葉を失っていた。こめかみから大粒の汗を流し、息は短く、荒くなっていた。

「どうしました、具合でも悪くなりましたか?」

ジュリオは微笑みながら、ワルドの肩にそっと手を置いた。ワルドはその手を振り払ってから口を開いた。

「大丈夫だ。話を続けてくれ」

「聖書の内容と同じことですよ。アダムと仲違いをおこしたリリスは悪魔アスモダイの元へと赴き、彼らとの間に子供をもうけた。 それがあなた方人類、リリンです。二百年前、ある高名なメイジがアスモダイのキャリアに捨て置かれていた預言書、――裏ブリミルの書を手に入れ、この事実を知ってしまった。 リリンにとってエルフは憎むべき存在、アスモダイも同様です。しかし、憎悪してやまないアスモダイの血が自身に流れている。 この事実を知った彼は驚愕し、絶望したのです。彼は有力な貴族で、誇り高かった。だからこそ、その事実を許すことが出来なかった。
そして、思い立ったのです。悪魔の血を持つリリンはエルフと共に滅ぶべき種族ではないのか、と。純然たるヒトであるアダム族に、このハルケギニアの未来を委ねるべきではないか、と。それこそが我々リリンに残された唯一の贖罪の道なのではないか、と」

「……正気の沙汰じゃない」

「ぼくもそう思いますよ。しかし、彼の考えに賛同する貴族もいたのです。こうして秘密結社教会は発足しました。 彼らは歴史を裏から操り、リリンとアスモダイ族の滅亡を画策していたのです。そして、現代に至り、彼らの念願も成就されようとしています。 レコン・キスタによるエルフの殲滅、その後に行われる滅びの時の儀式によって、アダム族の楽園が誕生し、彼らの贖罪も行われるというわけです」

ワルドは大きく深呼吸をした。

「なるほどね、小難しい話だ。ただし、一つだけ分かったこともある」

「なんですか?」

ワルドは風のような流れる動きで杖を引き抜くと、ジュリオの首元に切っ先を据えた。ジュリオは驚いた様子も見せずに冷ややかな微笑を浮かべながら、紅茶を口にした。

「きみは生きていてはならない……!」

「賢明な判断です」

「ほざけっ!」

首もとに伸びる切っ先をすんでのところで避けたジュリオは、ティーカップの中身をワルドに向かって浴びせかけた。ワルドは背のマントを翻しそれを凌ぐと、椅子から立ち上がり、背後に飛んだ。

「さすがは魔法衛士隊長殿。実に洗練された動きですね」

「立ち上がらないのか?」

「その必要もないので」

「……なめるなよ!」

ワルドの詠唱に呼応した空気は刃に変わり、ジュリオに襲いかかる。ジュリオの首を切断するかに思えたワルドの魔法は、突如現れた赤く輝く障壁によってかき消された。

「心の壁か……!」

ワルドが忌々しげに呟くと、役目を終えた赤き壁は空中に霧散していった。

「教会やオールド・オスマンが碇シンジくんに夢中なのは、これが理由ですよ。ぼくは楽園創生計画の要です。心の壁を持つぼくに打ち勝てる者といえば、虚無を持つ者か、もしくは同じ心の壁を持つ者だけです」

「なるほど。彼というよりも、彼の従えるアダム族が重要ということか」

「それもあるでしょうが、それよりも、忘れてならないのは彼がガンダールヴであることです。不完全ながら、生命の実と知恵の実を合わせ持つ神に最も近い存在。場合によっては、世界は彼が思うように作り変えられる。彼が真摯にそれを望んでしまったら、教会でも留めることは難しいでしょう」

「ガンダールヴとは一体なんなのだ? ただの使い魔じゃないのか?」

「単身で、全てをゼロに戻すことが可能な唯一の存在です。彼の前では心の壁も無力ですよ」

「きみは彼に何を望む?」

「彼のしたいようにさせたい。彼がどういう道を選ぼうと、そこにぼくの自由があるから。彼がこの世界に留まるもよし。世界を二つに分けるもよし。彼が何をしようとぼくは口を挟もうとは思いません」

「世界を二つに……?」

「交わるはずのなかった二つの平行世界。それを融合させてしまったルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。彼女が背負う原罪は、リリンの比ではありません」

「何の話だ……?」

「さて、ぼくはもう部屋に戻ります。旅の疲れも溜まっていますしね」

そう言ってジュリオは腰を上げると、ワルドに向かって会釈をし、踵を返した。

「待て、まだ話は終わってない」

「あなたも早くこの場を離れた方がいいですよ。この部屋には鼠が潜んでいるようですから」

ジュリオは肩越しに忠告をすると、食堂の外へと消えていった。青年の言葉通り、この部屋には鼠が潜んでいた。オスマンの使い魔である。そして、二人の会話は、この使い魔を介してオスマンに筒抜けだった。
それを悟ったワルドは舌打ちをし、食堂の出口に向かって駆け出した。

「俺のなすべきことは一つか……」

ワルドは決意の篭った声でそう言った。
最終更新:2008年06月05日 23:07
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