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blog/2006年06月25日/感想と質問と。維緒さん編 - (2006/06/25 (日) 22:04:39) のソース

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維緒さんの「もうじき僕は歌わない。」読みました。

維緒さん、執筆ほんとにお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

こういうブログにしても、冊子にしても、何にしても、
維緒さんの存在がなければ、
そして、賛同がなければ成し得なかった企画だと思います。
維緒さんがサラリとすることが、ほんとはとても大変なことだと私は常々思っています。
エネルギーのいる、そして情熱のいることだと推測します。
ええ、もちろん、維緒さんが「そんなことない」と否定しても、私はそう思っています。


で、まず、単純に思ったことなんですが、
この「もうじき僕は歌わない」は本当は「もうじき僕は歌わない。」だったんですか?
私は、ずっと「・・・歌わない」だと思っていましたが、維緒さんの投稿を見ると「・・・歌わない。」になってますね。
「。」の存在ってかなり大きいような気がします。
「。」の存在に今まで気が付かなかったのは迂闊だったなぁと、ちょっと悔やんでしまいました。


・・・本題。

維緒さんの「もうじき・・・」を読み終えて、すぐに私は、「これが一番『もうじき僕は歌わない。』らしい小説だなぁ」って思いました。日向君のより私のより、よりタイトルに忠実なふさわしい、よりタイトルをイメージすることが出来る作品だと感じました。
それが、維緒さんが意図したわけでなくても、私にはそう感じられたわけです。

今の時点で、彼には出口がないように感じました。先が見えない状態です。でも、その状態にもがいてるでもなし、肯定しているでもなし。この今の状態を肯定も否定もせず、ただ日々の生活をこなす。
仕事に熱意を持っているのかどうかも文面からは伝わって来ませんでした(たぶん持ってないですよね?)。
かと言って、小説を本気で書いて生計を立てていこうという気持ちもないみたいです。
ネットでの繋がりを大切にしているわけでもない、でも、断ち切る気持ちもない。
同僚(津坂さん)と特別親しくなりたい気持ちもない(親しくなりたい気持ちがあるのだけど表に出したくない)、
かと言って、拒絶する気もない。
彼が本当にしたいことは何なんだろうか?彼が求めているもの、彼が必要としているものはいったい何なんだろうか? 
もっと単純に言えば、彼が生活していく中で楽しいと思えることって何なんだろうか、そういう瞬間は存在するんだろうか?

読後、そういう思いが私の中に残りました。
そして、その思いがすべて重なって、一番、もうじき僕は歌わない。、小説だと感じたわけです。


もしかしたら、すごく勘違いなことを言っているのかも知れません。ものすごく的外れなことを書いているのかもしれないです。
でも、感想っていうのは、そういうものだと思うし、そいういうことを言う読者がいてもいいんじゃないかと思うので素直にここに書いています。


で、
私がこの作品を読んでる時に感じたことなんですが、
私は、はじめ、この作品は三人称で書かれているのかな、って思っていました。
というのは、文中で『彼』と『僕』という呼び方が出てきたので、私は主人公のことを天の声が『彼』と呼んでいるんだと思ってました(一人称だと『僕』という呼び方しか出てこないはずですから)。
で、結局、この作品は三人称で書かれたものなのですか?一人称で書かれたものなのですか?
このブログで、この『僕』『彼』について、日向君と維緒さんのやり取りの中で、『僕』はミサトアキで『彼』はイトイカズマだということが書いてありました。
それって、この作品を読んだだけで理解できるものなのでしょうか?
ちょっと私にはわかりにくい部分でした。


それと、日向君も書いてたけど、津坂さんが自分のことを『僕』と呼ぶことに対しても、はじめ私は、津坂さんは女性なのか男性なのかどうなのか、ってことで戸惑いました。自分のことを公然と「僕」と呼ぶ女の人を私は知りません。実生活の中でも、小説やドラマの中でも。そして、こういう書き物の中においては、僕・俺は男性を、私・あたし、は女性を指すものっていうのがだいたいの決まりのようになっていると思います。(もちろん、『私』と自分のことを呼ぶ男性もいますが、これは実生活でもよく耳にしますので不自然さはないです)。
そういう前提があるものですから、津坂さんが何の前置きもなしに自分のことを『僕』と言うと、読者としては「ええ?この人男だったの?それとも彼(主人公)が言ったの?」って思うのです。
もしそこで、その津坂さんの発言をうけて、彼が「この人は自分のことを僕って言うんだ」とか、そういう文章があれば、読者としてはスッと入っていけると思うんですが、彼はそのことに全く触れていないし、それが私としてはすごく不自然な感じがしたのです。(日向君もそういうことをブログ上の書き込みでしてましたよね?)。

津坂さんが自分のことを『僕』と呼ぶのはなぜなんでしょうか?
そして、それについて、彼がなんのコメントもしないのはなぜなんでしょうか?

もしかしたらすごくつまらない質問をしているのかもしれないですけど、単純に聞きたいのです。
もしかしたら、その裏にすごいことが隠されているかも知れず・・・、もしそうだとしたら隠されていることを見てみたいとも思いますので。


維緒さんの書くものは一筋縄では読めない、と常々思っています。もちろん良い意味でです。
すんなりめでたしめでたし的に終わるようなものを維緒さんは書かないし、書きたくもないと思っていると思います。
今回の作品もかなり後ろで何かあるのは感じられます。
それは読者に理解してほしいとかそういうのを超えたところのものだとも思います。
今回の作品もかなり読み応えのある濃厚な作品だったと思います。そして、主人公の設定が維緒さんに近い設定であることにちょっと驚きのようなものを感じました(小説を書く公務員)。そして、最後の部分は維緒さんの姿を書いたものだということ。・・・そういうものすべてがこの「もうじき僕は歌わない。」であったと思います。私個人的には、最後の部分はあったほうがよかったと思います。最後の部分があることで、より深くこの作品を味わえたと思うからです。



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